<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

その他SS投稿掲示板


[広告]


No.24249の一覧
[0] 異人ミナカタと風祝 【東方 オリ主 ダーク 恋愛(?) 『境界恋物語』スピンオフ】[宿木](2011/08/22 21:18)
[1] 異人ミナカタと風祝 序の一[宿木](2011/02/03 01:20)
[2] 異人ミナカタと風祝 序の二 弥生(夢見月)[宿木](2011/01/18 22:37)
[3] 異人ミナカタと風祝 序の三 卯月[宿木](2011/01/18 23:01)
[4] 異人ミナカタと風祝 第一話 卯月(植月)[宿木](2011/01/23 00:18)
[5] 異人ミナカタと風祝 第二話 卯月(苗植月)[宿木](2011/09/09 14:54)
[6] 異人ミナカタと風祝 第三話 卯月(夏初月)[宿木](2011/02/02 23:08)
[7] 異人ミナカタと風祝 番外編 ~八雲と橙と『御頭祭』~[宿木](2011/04/02 22:16)
[8] 異人ミナカタと風祝 第四話 皐月[宿木](2011/04/06 22:52)
[9] 異人ミナカタと風祝 第五話 皐月(早苗月)[宿木](2011/04/11 23:39)
[10] 異人ミナカタと風祝 第六話 水無月[宿木](2011/06/29 23:34)
[11] 異人ミナカタと風祝 第七話 水無月(建未月)[宿木](2011/07/03 22:49)
[12] 異人ミナカタと風祝 第八話 水無月(風待月)[宿木](2011/07/08 23:46)
[13] 異人ミナカタと風祝 第九話 文月[宿木](2011/07/15 23:08)
[14] 異人ミナカタと風祝 第十話 文月(親月)[宿木](2011/08/22 21:30)
[15] 異人ミナカタと風祝 第十一話 文月(愛逢月)[宿木](2011/08/28 21:23)
[16] 異人ミナカタと風祝 第十二話 文月(文披月)[宿木](2011/09/02 02:37)
[17] 異人ミナカタと風祝 第十三話 文月(蘭月)[宿木](2011/09/12 00:51)
[18] 異人ミナカタと風祝 番外編 ~『御船祭』と封印と~[宿木](2011/09/17 20:50)
[19] 異人ミナカタと風祝 第十四話 葉月[宿木](2013/02/17 12:30)
[20] 異人ミナカタと風祝 第十五話 葉月(紅染月)   ←NEW![宿木](2013/02/17 12:31)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[24249] 異人ミナカタと風祝 第三話 卯月(夏初月)
Name: 宿木◆e915b7b2 ID:21a4a538 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/02/02 23:08


 「武居大智の死は、不幸な事故だと警察は判断したようだな」

 「……ええ。アレは、事故ですよ」

 「放課後、人気のない校舎からの、運悪く足を滑らせての転落、か――――。ああ、事故だな、確かに」

 「水鳥先生。何か僕に言いたい事でも?」

 「いや。唯、少しだけ気に成ってな。……なあ、四音。生徒会の目安箱の中に、武居の“転落現場”に関する要望が、無かったか?」

 「ええ、有りましたね。屋上のフェンスが緩んで危険だ、直してくれという容貌と、最近屋上で風紀を乱す生徒がいて困る、という要望です。しっかりと対処しましたよ、僕は」

 「だろうな。私も知っている。ただの偶然なら、良いのだがな」

 「今日はえらく絡みますね……。主題は何です?」

 「私はな、四音。お前をしっかりと評価している。お前が仮に人を殺すならば、世間の推理小説顔負けの完全犯罪を行い、死体は愚か、事件すらも隠匿して終わらせるだろう。だから、お前が事故に関わっていた、とは思わない。転落事故は偶発的な物だろう。だが……」

 「……ああ。……だからと言って、誰の意志も関与していない、とは言えないと。……分かりました。頭に入れておきますよ」






 異人ミナカタと風祝 第三話 卯月(夏初月)






 チャイムの音がしたのは、私が目の前の卵焼きを食べ終わった時だった。
 そのまま玄関の開く音がして、続いて「お邪魔します」という声がする。そして廊下を歩く音が台所にやって来て、止まった後に早苗が入って来た。時計を見れば、何時もより十五分は速い。

 「お邪魔しますね、レオ」

 和食の匂いが漂うダイニングルームに、着替えた私と、台の上の朝食。四月の終わりに近い、と有る朝の日の事だ。実は朝、早苗が顔を出すのは昔から余り変わらない。
 制服姿に身を包んだ彼女の外見は、実に優良高校生だ。整えられた髪、清潔感有る雰囲気、ナチュラルメイクに、利発さと活発さ、明るさと優しさを持つ、才媛そのままである。
 こんな時、二人きりだとかなり砕けた空気に成るのだが、残念ながらそうは成らなかった。

 「あ、お早うございます」

 ――――と、早苗が笑顔を向ける先は、私では無い。私の対面で、静かに食事をしていた祖母で有る。

 「はい、お早うございます。今日も良い日柄ですね、早苗さん」

 「はい」

 そう言って互いに穏やかに、静かに微笑む。微笑むと言っても、口元が柔らかく弧を描くだけだが、笑みは笑みだ。生徒会長よりよっぽど穏やかな笑顔で有る。
 正直、その笑顔をもう少し、私の前で見せて欲しい、と思う。普段私が見る祖母は、嫌でも背筋が伸びてしまうような、張り詰めた空気を持っている。何と言うか……、そう、厳しいのだ。
 神職に付いているから当然と言えば当然なのだが、私への教育は非常にしっかりと行ってくれている。何を隠そう、早苗の御婆様と一緒に、神前での礼儀作法や祝詞や儀式の準備や、そんな諸々の巫女スキルを私に叩きこんだのが祖母だった。……正直、愛情が無かったら逃げ出すレベルだった。

 「今日は、何か早くに行く用事でも有りましたか?」

 「いえ。少し早めに朝の仕事が片付いただけです」

 丁度良いので迎えに来ました、と早苗は言う。

 「先週、『御頭祭』も終わりましたし、少し余裕が有るので、一緒に行こうと思ったんです」

 「何時も有難うね。――――玲央、早くしなさい」

 「はい」

 これ幸いと返事をした。祖母から急げと言われなくとも、急ぐとも。
 がっついてると思われない程度に素早く、残った朝食を口に運び、呑み込む。その後、空のお皿を流し台に運び、洗剤に浸ける。朝食の片付けは祖母の担当だ。

 「御馳走様でした!」――と言い残して、私は台所を出た。急いで二階に上がって、歯を磨いて、磨きながら鞄の中身を確認して、宿題と授業の道具が揃っている事を確かめた後に、歯ブラシを置いた。口を濯ぎながら、制服に財布と携帯電話が仕舞われている事を確認する。
 鏡を見て、髪の毛が整っている事を確認して、頬を釣り上げて笑顔の練習を二秒だけした後で、今度は下へと戻った。階段横に置いておいた鞄も一緒だ。使用総時間は、早苗が来てからざっと四分である。

 「待たせて御免。準備出来たよ」

 昔から要領が良かった早苗と違い、巫女修業で時間を取られていた私は、こういう日常生活の行動は速いのだ。日常生活でのサイクルを鍛えないと、とてもではないが時間が足りなかった。
 今ではもう、随分と余裕を持って対処出来るのだが、染み付いた癖は抜けないもの。女子のくせに身支度は早く、中学校時代の水泳では女子の誰よりも早く着替えが終わっていた。

 「それじゃ、行って来ます!」

 私の言葉に玄関で待っていた早苗に追いすがる様に、私も靴を履く。
 玄関の戸を開ける寸前に、背中に。

 「はい。気を付けて行ってらっしゃい」

 静かな、祖母の声が聞こえた。普段は堅い人だけれど、こういう所で少しだけ優しさが見えるから、厳しくとも……嫌いでは無い。愛されている自覚が有る事は、良い事だ。

 一歩外に出れば、今日も良い天気だった。




     ●




 それから約十五分後。
 早苗に付き合って早めに登校した私は、する事も無いまま、生徒会室に座っていた。張り切って早苗に付き合った私だが、考えてみれば、来た所で役目は何もない。

 果たして何時から来ているのか、御名方四音は私達が部屋に入って時には当然の様に座席に座っていて、当然の様に仕事をしていた。普段と空気も態度も変わらない。やっぱり不気味だ。

 早苗は早苗で、「この書類の裁き方は?」「先輩、此処に印鑑を」「吹奏楽部から部室棟管理の要望が来ていますが……」「頼まれていたコピーです」等など、実に有能にこなしている。会計職じゃなくて副会長でも良いんじゃないかと思える程。
 時間を潰す方法を考えなければいけない。授業まで、まだ後一時間近くも残っていた。

 「あ、レオ。温かいお茶を入れてくれると嬉しいです」

 「……うん、分かった」

 しずしずと立ち上がり、給湯前に行く。生徒会の片隅には、簡単な給水設備が設置されているのだ。

 早苗と一緒に生徒会に入った私だが、御名方四音の反応はかなり冷やかで、お世辞にも乗り気とは言い難かった。ただ、最後には許可をくれた辺り、話が全然通じない人では無いらしい。
 階級は一番低い、庶務――――要するに雑用だが、悲しい事に会長と会計が優秀すぎて、私がする事と言えば、本当に雑用ばかりだった。お茶を淹れるとか、水鳥先生を呼んで来るとか、書類コピーとか、荷物運びとか、訪ねて来る奇特な人間の応対とか、だ。

 「はい早苗。……先輩も、どうぞ」

 真新しい湯呑みと、使いこまれた湯呑み、二つにお茶を淹れて手渡す。

 「有難う」

 そう言ってこっちに頭を下げる早苗と、無言のまま、けれども無視せずに受け取った御名方四音。第一印象ほど、危険ではない……のかもしれない。いや、警戒をする、しない、は別としても、殺気を向けられる頻度は多く無い。
 緑茶の残りを自分の湯呑みに注いで、腰を下ろす。そう言えばもう時期、新茶の季節だ。立ち上る湯気の香りを楽しみながら、そう思う。カレンダーの日付はまだ四月だが、天気も空気も五月に移りつつある。窓から、無駄に爽やかに広がる青空が伺えた。

 つい二週間前に、人一人が死んだとは、とても思えなかった。




 結局、武居大智は搬送先の病院で死亡が確認された。

 死因は地面への激突による脳挫傷と頸椎損傷。警察の調べによると、自殺や誰かに落とされた訳では無い、唯の事故だそうだ。それも、死んだ彼自身が気を付けていればまず発生しなかっただろう事故、との事だった。

 事件から二日後に、御名方四音から聞いた話である。
 実は屋上は、少し前から落下防止の金網が緩み始めていて、危険だと生徒からも指摘が有ったらしい。そして実際、何箇所かは破損しており、修復も兼ねて取り外されていた。
 無論、生徒達には、その趣旨を説明した張り紙を掲示したし、入らないように伝えていた。屋上のへの扉は、しっかりと鍵を懸けて立ち入り禁止にしてあった。鍵は職員室と生徒会から動いていないそうだ。

 しかし、件の武居先輩は、こっそりと屋上に忍び込んで、風紀を乱していたらしい。流石に女子を連れ込んでエロい事をしていた訳では無いが、転落現場には吸いかけの煙草が落ちていたそうだ。私が第一印象で語った通り、彼は少し不良が入った様な人だったので、納得を持って受け入れられた。
 即ち『煙草を吸おうと、立ち入り禁止の屋上へとこっそり侵入していた武居大智は、不運にも屋上から転落死した』という事である。日本の優秀な警察が調べて、そんな結論に落ち着いたのだ。多分、間違いは無いだろう。

 屋上への侵入ルートは、すわ密室か、とも思われたが、簡単に解決した。少し前から一部の男子生徒の話題になっていたそうだが、実は非常階段から登るルートが存在したらしい。非常階段を上り、雨樋に足を懸ければ簡単に屋上へ到れる、との事だった。
 その他、疑わしい部分は無かったのだと思う。小説やアニメでは警察官が無能に貶められる事が多々あるが、実際は凄く優秀だ。彼らの目を欺くような妙な小細工は、素人では不可能に近い。

 だからあれは、事故なのだ。

 転落死した事実は大きな話題を呼んだが、武居大智が死んだのは自業自得でもある……と、世間の風潮は思ったらしい。学校側の責任だけでも無い。ニュースで放送されたのは一日で、翌日からは別のニュースに取って代わられた。
 生徒達への動揺を防ぐ為、翌日一日が臨時休校になったが、学習自体は始まってもいない時期。事件発生が夕方で目撃者の数も多く無いことから、直ぐに学校は機能を取り戻した。

 唯一、その名残を抱えているのは、彼の妹、同じクラスの武居さんだけであろうか。心的なショックが大きく、未だ復帰できていない。登校はしているが、まともに授業を受けられていないのだ。四月の授業は高校生活にリズムを合わせる為の重要な時期なので、正直、心配だった。




 「レオ? 教室に戻りますよ?」

 「え? あ、うん。御免」

 早苗の声に引き戻されて、慌てて壁の時計を見れば、授業までもう二十分程だった。一時間目は、確か数学だったか。数字が苦手な私には、かなり難儀だ。

 立ち上がった私は、早苗と自分の湯呑みを回収して、流し台へと片付ける。見れば机の上にはまだ多くの書類や資料が散乱しているが、一部だけが整頓されていた。机には本人の性格が現れるというが……整頓された場所は早苗の仕事をしていた場所で、残った大量の紙の山は、多分、これから彼が使用する分と、彼が始末を付けた分だ。
 生徒会長は授業に出ないまま、仕事を続けるのだろう。此れも普段と同じだった。

 「では、放課後、又来ますね」

 「ああ。……宜しく」

 多分、笑ったのだと思うが、微かに口元を歪ませて、彼は私達を見送った。




 偶然、武居さんから相談を受けたのは、その日の昼休みの事だ。




     ●




 清澄高校には学食が有るが、生徒数と比較して少し手狭だったりする。食券を買い、カウンターへ出して、席を取って注文を待つという、普通の学食なのだが、席の絶対数が原因で、余り人気が有るとは言えない。味は並みだし、常連もいるので赤字では無いのが幸いか。
 だから、私と早苗のお昼ご飯も、どちらも持参のお弁当だ。

 「レオのご飯は何時も、美味しそうです」

 「いや、早苗のも美味しそうだよ。……今日は何を交換する?」

 「ええと。……それじゃ、その卵焼きを下さい。私のポテトサラダ、上げますから」

 教室の一角で机を合わせ、交換しながら食べる。
 私と早苗は互いに家で家事を叩き込まれている。だから料理も出来る。というか、正確には――――私達が神社の仕事の役に経たなかった幼い頃、親達が神社で働く裏で、家の仕事を任されていたのだ。だから、揃って家事が出来るようになってしまった。
 巫女としてはこの先、一生勝てないだろう。でも料理の腕は結構、良い勝負だったりする。

 「昨日は……揚げ物?」

 「はい。レオの家は、……煮物ですね?」

 因みに、早苗の弁当の中身は昨日の夕飯の残り。私の弁当は昨日の残りに、今日の朝御飯がプラスされている。
 もう長い付き合いの私達は、中身や得意料理を鑑みれば、意外と昨日の献立が見えたりする。早苗の家の夕食の場合、カレーと冷奴がセットで出て来る事も承知の上である。想像も何もない、要するに経験だった。
 教室内には、私達以外にも何人かのグループが有る。もう仲良くなった女子達のグループや、騒ぐ男子達やら。孤立している人間がいないのが、幸いだろう。

 私も早苗も、クラスメイトと仲は良い。ただ家の立場が立場だ。お陰で、どう関わったら良いのかを決めあぐねているらしい。別に私も、そして早苗も、軽口は全然気にしないのだが――――。

 「……あの」

 「はい?」

 少し元気の無い声で、話しかけられた声に、反応する。横を向いた時、所在なさげに其処に立っていたのは、顔馴染みの顔だ。同じ中学校から来た、武居さん。
 武居織戸。先日、屋上から落下して死んだ、武居大智を兄に持つ少女だ。

 「何かな。……あ、一緒に食べる?」

 「……あ、……はい」

 如何も、纏っている空気が暗い。兄が死んだ事のショックもそうだろうが、以前の快活さが、無い。
 元々、武居さんは――――言っては悪いが、凄く品行方正だった訳ではない。程程より、少し外れがちな、真面目とは、少し言い難い少女だった。ただ、頭は良かったし、……所謂、世渡りが上手いタイプというのだろうか。悪ぶっている、でも性根は悪くない。そんな少女だった。
 武居先輩の死は、かなり影を落としているらしい。軽い化粧をしていても両目に光が無い。彼の死が、馬鹿の自業自得、と呼ばれている事に起因するのかもしれない。

 「それで、相談ですか?」

 私達は中学校時代から、妙に相談事を持ち掛けられる事が多かった。神社で働いている、という部分が変な風に解釈されたのか、何かとアドバイスを授けて下さい、という人が多かったのだ。
 私も早苗も割と聞き上手で、しかも助言は結構に的確だった。お陰で評判が高まり、ますます多くの人に頼られる様になった。良循環だ。武居織戸ならば、その事実を知っていても不思議ではないだろう。

 「――――お二人は、生徒会、ですよね」

 「うん、そうだね」

 手近な机に、購買で買ったサンドイッチを置いて、少しずつ食べ始めた彼女に、私は頷き返す。
 私達が生徒会に入った事は、もう凄く有名だ。有名税と言う意味も有るのだろうけれど、あの超絶異常者・御名方四音と一緒に活動をしている、と言う衝撃の方が、多かったのだと思う。
 私達が所属した事を知った生徒達が、数日間、噂を確かめようと扉から覗いていた事を知っている。男子の目線の先に遭った殆どが、早苗への物だった事が、少し悲しいが。

 「あの、――――少し、お願いしたい事が有るんですけれど……放課後、訪ねても良いですか?」

 「あ、私は良いけど……。早苗?」

 「良いですよ、私も。ただ、一人では来るのは、雰囲気的にも少し酷だと思うので……」

 良いですか、レオ? と此方を向く早苗の目に、無言で頷き返す。
 美少女の範疇に入る私達ならば兎も角、御名方四音に積極的にお近付きに成りたい人間は少ない。その事実を、生徒会に入って痛感した。

 「良いよ。放課後、案内してあげる。六限目の授業が終わったら教室にいてね?」

 武居さんに確認すると、彼女は、はい、と頷いた。
 「OK。……じゃ、気を取り直してご飯にしよう。武居さん、何かいる? 美味しいよ?」

 沈んだままで食事をしても、美味しくは無い。私は彼女に気を使いながら、お昼を一緒に頂く事にしたのである。




     ●




 さて、放課後。夕焼けはまだ見えず、けれども確かに日が傾き始めた時間帯。遠くからの運動部の掛け声や、響いて来る吹奏楽の楽器の音色を耳にしながら、私達は生徒会室に集っていた。
 御名方四音は、静かに、何も言わずに、手元の書類を片付けつつも、話に耳を傾けている。手を動かしてはいるが、しっかりと話は聞いているのだろう。時折、その手が止まったり、小さな反応を返したりしている。

 「屋上に、行きたいんです」

 それが、武居織戸の最初の発言だった。
 その一言で、生徒会長の腕の動きが一瞬止まったのは、決して見間違いではないだろう。
 短く、はっきりと言われた言葉に、一枚の書類に印鑑を押し終わった彼は、つ、と目線だけを此方に覗かせて、幽鬼の如き暗さで口を開く。

 「武居大智の死は、事故ですよ」

 その、背筋が冷えそうな瞳を受けて、武居さんはたじろぐ。無理も無い。慣れている私でも怯まないのが精々だったのだ。並みの男子程度にしか知り合いがいないだろう彼女には、荷が重い。
 冷酷な物言いに、ちょっと苛っと来た私だ。どうも御名方四音という人間は、思いやりとか優しさと言う物が、かなり欠如している様に思える。前々から思ってはいたけれど、今などは特に。

 「先輩。……話くらいは聞いてあげるべきだと、思いますけれど」

 そう発言したのは、私では無い。御名方四音の始末した書類を整理し、分配し、有る物は廃棄し処分しながら、仕事場を綺麗にしていた早苗だ。
 その目が、まるで仕事中の如くに鋭い事が、意外だった。

 「…………」

 早苗の目線に、生徒会長は歪んだ眼で、ギロリと視線を合わせる。
 そして、そのまま互いに、十秒ほど睨み合い――――小さく悪態を付いて、やはり先輩が先に、視線を反らす。……どうやら私の知らない所で、微妙な力関係が構築されつつあるようだった。

 「どうぞ、全部話して下さい。絶対に他言しませんから」

 不機嫌そうな顔で黙ってしまった生徒会長に変わって、早苗が先を促した。




 「警察の人は事故だと言いましたけど、……納得、しきれていません」

 武居さんは、脅しにも似た眼光が消えたことで、気を持ち直したのか、本心を語り始めてくれた。

 「それは、死んだ事が納得出来ない、んじゃないの?」

 身近な、それも予期せぬ人間が消えて、それを納得出来る人間の方が少ない。
 だったら、別に特別な事では無いよ、と私は言おうと思ったのだが、其れは否定される。

 「いいえ。多分、違うと思います。……如何しても、分からないんです」

 「何が?」

 「……兄は、如何して、落ちたんでしょうか」

 「如何して、って……」

 そりゃ事故で、と言おうと思ったけれども、そう言う答えを求めているのでは、ないだろう。
 ……もしかして彼女は、事故の原因を、求めているのだろうか。

 「確かに兄が屋上から転落死した。それは事実です。でも、――――高校生男子が、危険だと分かっている場所に不注意に近づいて、それで死んだ、……それは少し、変だと、思うんです」

 違いますか? と言う彼女の言葉に、早苗も、悩ましそうな顔だ。
 この場合、相談された側とすれば、率直に感想を答えるしかない。

 「言いたい事は、分かりますけど……。事故の原因、と言っても、それを探るのは容易では無いですよ。不注意から運の悪い偶然まで、探り様が有りませんし」

 警察の話では、武居大智の死体に不自然な点は無かった、そうだ。
 まず、遺体には暴行の様子は見られなかった。つまり誰かに強引に落とされた訳ではない。体内からは睡眠薬を初め、意識に異常を引き起こす薬物も、一切、発見されなかった。
 また、覚悟の自殺でも無かったようだ。遺書は無いし、遺体は靴を履いてもいた。思春期だから他人には言えない悩みが有ったとしても、家族にすら一切心当たりが無く、また死んだ当日の彼は普段通りの行動だった。それは調べが付いている。

 特徴的だったのは、遺体の状態だろうか。詳しい事は、これも御名方四音からの話なのだが――――高所からの落下で死んだ遺体には、相応の違いがあるらしい。
 簡単に言うと、自殺ならば頭部から地面に落下し、事故や強制での滑落ならば、下半身や全身から落下するのだそうだ。司法解剖の結果、武居大智の遺体の状態は、後者に近い物だった。

 「でも、……なんで、屋上に行ったのかも、怪しいんです」

 「煙草じゃなくて?」

 「いえ。それは、確かに理由の一つとして、有りそうなんですけど……。でも、少し変なんです」

 「――――?」

 疑問符を頭に浮かべる私達(というか、私と早苗)に、武居さんは、実は、と言い難そうに告げる。

 「……お母さん、兄が煙草吸ってる事、知ってたんです。――――絶対に人前では気を付けろって、しつこい位に言っていたんです。『高校生だし、興味を持つのは分かる。煙草を吸うのは自由だけど、マナーは守りなさい。その代わり、自分の部屋でなら、こっそり吸っても良いわ』って」

 「……それは」

 現代日本では、喫煙が認められるのは飲酒と並んで二十歳からである。
 お酒の方は御神酒や甘酒、卵酒なども有るし、真夏に冷えたのを、こっそりと自宅で隠れて飲んでいる高校生は多分、珍しく無いだろう。私も早苗も(一応、巫女の仕事の一環では有るが)、注意を払いつつも飲んでいる。実は。
 流石に喫煙経験は無いが、煙草の方も似た様な物なのかもしれない。武居母の言葉は、果たして倫理的に良いのかどうかは、置いといても。

 「態々、兄は屋上まで出て行って、煙草を隠れて吸う必要が無いんです。家で許可が出てますから。……それに、足を踏み外して屋上から落ちた、って言っても、――――じゃあ、如何して兄は、態々落ちるような場所に、近寄ったんでしょう?」

 切々と疑問を上げる武居さんの目元に、光る物が見えたのは、錯覚では無い。

 「……成る程、ね」

 まあ、確かに言いたい事は、分かった。
 武居大智が、屋上に上った理由は、喫煙と思われていた。でも、彼には吸える場所が有るし、隠れて吸う必要も無い。それが一つ目。
 また、屋上が危ない場所で有るという事は彼も当然、知っていただろう。転落防止の柵が壊れていて、立ち入り禁止で有る事は承知していた筈だ。知っていたからこそ、彼は非常階段からのルートを使用した。上った彼の真意は何処にあるのか。それが二つ目。
 そもそも、男子高校生で、それもかなり体格の良い人間が、どんな理由が有ったら、事故で脚を踏み外すというのだろうか。原因は漠然としており、又、説得力に乏しい。これが三つ目。

 しかし、それでも尚、事故としか見る事が出来ない……というのも、入れて良いだろうか。
 其処まで言われてみれば、事故に見せかけた殺人、という疑いを覚えても、無理は無い。

 「その……確かめ、たいんです。この目で。屋上に行ってみれば、何か分かるかもしれません」

 生徒会室に、各教室の鍵が保管されてる事を、聞きました。
 そう言って彼女は、話を締めくくった。




 ……正直、困ったというのが私の感想だった。

 確かに、こうやって事象を並べれば、怪しい、と思えなくもない。ただ、偶然が重なった可能性だって十分に有る。それこそ『家じゃなくて学校で煙草が吸いたくなったから、気紛れに屋上に上ったら、調子に乗って転落した』という事も有り得るだろう。
 事実、警察は残された状況証拠から、そうやって判断を下した。推理小説やドラマの様な、誰かによって演出された事件で有る可能性は、限りなく低い、と思う。

 「くだらない。――――事故ですよ、アレは」

 私の内心を代弁するかのように、あっさりと御名方四音は言う。その忌憚ない意見に、武居さんの顔が、少し歪んだ。多分、ぐさりと心に打ち込まれたのだろう。気遣いという言葉を教えてやりたい。
 他人の顔色など何処吹く風で、生徒会長は不機嫌そうな顔だ。なんか癪に障る事でも有ったのか。

 ……正直に言おう。善人悪人は別として、この顔や態度を見ていると、なんか気分が悪く成って来る。
 存在が異質と言う以上に、性根が歪んでいて気持ち悪いのだ。多分、他人への興味や関心が、かなり薄いのだろう。だから人の想いを気にしない。……彼にとっては、武居さんなぞ如何でも良いのかも、しれなかった。

 「……先輩。ここまで必死に言われて、まだ動きたく有りませんか?」

 部屋に降りた沈黙を破る様に、早苗が言う。

 「――――――――」

 私や武居さんの目など、何も気にしない生徒会長だが……どうも、早苗の言葉と、眼には弱いようだ。
 顔に浮かべる不快感を隠さないまま、大きく椅子に腰かけて、何も言わない。

 「先輩。……こうして、私達もお願いしますと、頭を下げます。……それとも、私達が屋上に行って困る理由でも、有るんですか?」

 傍から見ていると結構、いや、かなり卑怯な言い方だが、生徒会長は特に気にしなかったようだ。目の前の紙の山に区切りを付けて、再度、早苗の顔を見る。
 譲りませんよ、と無言で語った彼女の圧力に、観念した訳ではないだろう。
 だが、大きく息を吐き、小さな舌打ちを隠そうともせずに、……ようやっと彼は口を開いた。

 「……古出。水鳥先生を、呼んで来い」

 面倒くさいんだ、と多分、率直な内心を語りながら、彼は私に命令する。
 表情は嫌だと主張していたが、静かにゆっくりと立ち上がった。

 「?」

 静かに歩いて、生徒会の片隅に置かれていたロッカーから、鍵の束を持ち出す。
 彼は私の方を向いて、億劫そうな顔を隠さないまま、憎々しげに――しかし、確かに言った。

 「屋上に、生徒達だけで行くのは問題、でしょう。……だから水鳥先生を呼んで来いと、言っている」

 「……!」

 理解した私が廊下に飛び出したのは、言うまでも無い。




     ●




 「事情は分かったが……特例だぞ?」

 そう言いつつも、水鳥先生は理由を聞いてあっさりと頷いてくれた。何と言うか、実にもの分かりの良い先生だ。その分、見えない裏で苦労をしているんじゃないかと思う。
 生徒会に保管されていた鍵を携え、屋上へと向かう。既に日は傾き、斜光もオレンジに彩られていた。

 先頭を歩く水鳥先生の後ろに、私と武居さんが続き、最後尾をゆっくりと御名方四音と早苗が歩いている。体力的にも辛いし行きたくない、と件の生徒会長は言ったのだが、手を貸してあげますから、と打算か親切か、今一判断が付かない早苗に促されて同行しているのだ。

 三階の生徒会室から校舎を半周し、屋上へと続く階段を上る。コンクリート製の灰色の階段を上った先には扉が有って、其処には張り紙が貼られていた。『屋上への立ち入りは原則禁止です。何か用事が有る場合は、教職員の許可と同伴の元で……』云々。

 「開けるぞ。風が強いからな、気を付けろ」

 ガチャ、と鍵が開き、言葉通り結構な勢いの風が吹き寄せる。風と共に吹き込んで来たのは、ゴミと木の葉と鳥の羽根だ。立ち入る人間が少ないせいか、埃っぽい。

 けれども、景色は最高だった。

 清澄高校は、この近隣では結構高い建物だ。茅野駅の前まで行けば大型モールや駅ビルが有るが、高校から北には諏訪湖の周辺と言う事で、景観保護として便宜が図られている。具体的には、高さ十五メートル以上の建造物が禁止されている。
 つまり、高校から湖の方を見ると、凄く綺麗なのだ。

 景観が良いお陰で、立ち入り禁止になる前には、結構な生徒が此処を訪れていたのだろう。屋上の床はタイル張りだし、片隅にはベンチも置いてある。
 柵越しに覗くと、西の山間に消え行く太陽と、その光に輝く諏訪湖という、実に幻想的な光景が広がっていた。街並みも一律に揃い、信仰の拠り所として栄えた過去の足跡を示すかのよう。……過去の栄光、と言う言葉が過って、悲しくなった。

 「昇降口の方は、近寄るなよ」

 学校の昇降口。つまり武居大智が落下した方向は南東だ。目線を向ければ……確かにフェンスが無い。転落防止用の柵は、二メートル以上の高さでぐるりと屋上を囲っているが、一部分だけが欠けている。取り外された柵の向こう側が、他より幾分開けて覗いており、そして臨時に付けたのだろう金網が、ロープで固定されていた。
 ぐるり、と屋上を見回してみるが……特に、不自然な所は無い、と思う。仮に何か人為的な影響が、武居先輩の死にあったとしてもだ。司法の手が入っている以上、――それは既に片付いた事件であり、足跡を辿る事は容易では無いだろう。

 「……ここで、兄が」

 感慨深く――――寂寥感を感じさせながら、静かに佇む武居さんは、其れだけを言って黙ってしまった。
 夕暮れの屋上は、春の薫風と共に、言葉では言えない寂しさと、表わす事の出来ない感情を齎して来る。武居さんの心に有るのは、きっと悲しみだろう。親しい身内を亡くした事への、悲哀。

 ふと思う。仮に私が悲しむとしたら、一体、何時になるだろう。
 巫女として育った私は、人の死も、何回か見ている。生死の概念は同年代の人達よりも、もっとずっと深く関わって、そして自分なりの答えに近付いていると思う。だから、私が辛い、悲しいと感じるのは、死では無い、筈だ。
 それは、過去の体験で自覚している。早苗もきっと同じだ。
 ならば、私が泣くだろう体験とは何か。……きっとそれは、親友の彼女が――東風谷早苗が、自分の手の届かない領域に行ってしまうか、あるいは形を変えてしまうか。そんな時では無いだろうか。

 「御名方」

 屋上を歩いて、何か無いか、と当ても無く動く武居さんの様子を見て、水鳥先生が会長に声を懸けた。
 私は武居さんに協力しようと、前に進んでいる。そして、背後の先生は続けて。




 「お前は、事件の全貌を掴んでいるんだろう? 話してやったらどうだ」




 一瞬、強い風が、吹いた。

 「如何いう事ですか、先生?」

 背後で、様子を伺っていた早苗が、私達を代表して声を上げた。落下現場付近で、柵越しに眼下を除いていた武居さんも、彼女に近寄ろうとしていた私も、思わず止まっている。
 早苗の目線は、壁際で腕を組む先生と、入口前で疲弊したように座っている会長を往復していた。

 「そのままの意味だ。……多分、御名方は――事件の全貌を、ほぼ掴んでいる。……だから、事故だと断言していたんだ」

 違うか? と、座り込む御名方四音に、先生は尋ねる。彼は、ちらり、とp先生を見るけれど、それだけだ。それ以上の反応を返さない。
 その言葉に、何よりも反応したのは、当然というべきか。武居さんだった。

 「じゃ、な、何で――――っ。……説明を。してくれなかったんですか!」

 思わずに、だろう。声を荒げてしまった彼女は、自分で自分の声の大きさに驚いたのか、声を呑み込む。
 周囲の反応を伺う様にして、会長へと迫る。憤懣遣る瀬無い顔をしていた。
 だが、しかし、と言うべきか。

 「……死んだ人間が生き返る訳でも、あるまいに」

 ぼそ、と告げられた言葉と。澱んだ、冥府の底の様な眼光に、彼女の進む足は止まった。その迫力に、進む足が強制的に停止させられた。
 風に煽られる長い烏髪が表情を覆い隠す様は、まるで異端の魔術師。表情を消し仮面を被った、魔人の如くの不気味さと目の色に――――。

 「先、輩?」

 やっぱり、早苗から声が飛んだ。にっこり、と可愛い笑顔だが、目線が、私が一歩下がる位に重い。笑ってない。なんか黒かった。中学校時代に、時々見た黒早苗を彷彿とさせる笑顔だった。

 どうもここ最近、早苗は会長に固執している感が有る。そして実に良い感じに御しつつある。その理由や動機を、私が知ってはいけないのだろうが……しかしそれでも、早苗が、彼の手綱を握りつつあるのは、間違いなかった。
 ただ流石に彼も、……此処まで当然の様に使われるのは嫌だったようだ。立ち上がりつつ、早苗に対して言い放った。

 「……東風谷。――――君とは、しっかりと話し合う必要が有りそうだ」

 腐った魚の様な、なんか危ない眼で睨みあい、一拍の後に、静かに口を開いた。




     ●




 「何回も言っていますが、これは事故です」

 生徒会長は、大事な事なのだろう。何回もそう言って、強調する。

 「……知っていると思いますが、この近辺は、諏訪湖と山の地形効果で、結構、風が吹きます。……夏ならば、昼は湖から山への上昇気流。夜がその逆。冬ならば、乾いた空気が山から下りて来るお陰で雪は少なく、その分晴れる日が多くて、放射冷却で寒くなる。湖が凍りますしね」

 「……?」

 何を言いたいのかが、今一、良く分からない。
 それは武居さんも同じだったようで、目を白黒させている。

 「では、対して今の季節はどうか。諏訪地方で、年内を通して平均風速値が最も大きいのは春です。……風向きは西北西。北西から南東へ吹く風。言いかえれば、諏訪湖から南東に、平野を抜けて行く風になる。この学校の屋上に吹く風も同じ事。……そんな大気の流れの中で、煙草に火を付ける時は、――――どうしたって風下に体を向ける」

 こうやって、と風下を向く御名方四音。背中から風を受ける格好だ。
 細い、ひょろひょろの体格の御名方四音ならば、足を踏み外す間もなく風で飛んで行きそうだった。
 ここからは推測ですが、と彼は言う。

 「『煙草を吸う為に屋上に上った』……のは、武居織戸の話を聞けば、確かにおかしい。学校に露呈したら停学ではすみません。……だったら考え方を変えれば良い。武居大智は屋上に上った。上って“何か目的を果たして”、――――その後で、休憩がてらに、つい一服してしまった」

 ……成る程、と私は感心してしまっていた。
 煙草を吸う為では無く、何か実行をして仕上げに煙草を吸った。煙草は飽く迄も序で、其処に遭ったからうっかりと吸ってしまった、ならば……筋は通っている。
 火を付ける為に口元を覆うにせよ、背中から風を受ける格好になれば、目の前には丁度、柵の無い屋上の端が見える訳だ。

 「その、目的、とは……」

 「……さあ。自分で調べた方が良いでしょう」

 そっけなく言い放つ彼の態度は、本当に面倒そうだ。ともすれば得意げに話す人間も多いだろう“事件の説明”を、御名方四音は本当につまらなさそうに語る。

 しかし、一瞬だけ言い淀んだその態度に、嘘だな、と私は思った。多分、説明する理由が無いから語らないだけで、彼は屋上に上った原因を知っている。生徒会長であり、しかも卓越した頭脳を持つ男だ。

 「含まれるニコチン、タールの分量で微妙な差は有りますが、……煙草を一本、吸い終わるまでの時間は、大体十分から十二分です。……武居大智は割と気が短い性格でした。十分もの間、只管に諏訪湖を眺めている事は出来ない。諏訪湖を見て、今度は反対の――――街を見る。柵の存在しない方向に、足を向ける」

 うん、その行動は想像出来る。
 煙草を片手に徘徊する、と言うシチュエーションは、そんなに珍しくない。
 となれば、後は落下した“理由”だけだ。それさえ分かれば、万事解決したと言って良い。

 「古出。柵の前に」

 「……りょーかい」

 淡々と、何の表情も無く、出された指示に素直に従う事にした。
 勿論、既に仮とは言え柵が設置されているので、何か予期せぬ出来事が有っても落下の心配は無い。

 「まず、足元。――――如何です?」

 「ええと。――――言われてみれば、少し緩い、かな?」

 私の体重では動かないが、思い切り地面を踏みしめると、屋上のタイルが、少しだけ軋んでいる(勿論比喩だ)……気がする。

 「……柵と一緒に、処置が取られましたが――――事故当時は、もう少し不安定でした。タイルがカタカタと、鳴る程度には。建築に問題が有るのではなく、柵が壊れた暫く前の衝撃で、影響が出た、そうです」

 「……あの、まさかそれでバランスを崩したと」

 武居さんが、懐疑的な表情で声を上げるが、其れを無視して御名方四音は私に告げる。

 「……左は? 昇降口前に、何か見えないか?」

 「街以外、ですよね。……昇降口前には、キハダの木が見えますけど」

 自慢の視力を駆使して、周囲を観察し、報告する。
 諏訪市のシンボルであるキハダは、中国漢方で言う黄檗(だったと思う)になる樹木だ。昇降口前に育ったキハダの樹高は、大凡十五メートル。……先端は、高校の屋上よりも高い。
 随分と茂った木の幹には、如何やら野生の烏が巣を作っているようだった。

 「カラス。……アレは意外と、人を襲う。実際、都会では被害が多発している様です」

 そう呟いた生徒会長は軽く頷いて、次を促した。

 「次。……右には?」

 「右って……。右も街、ですが」

 というか、右も左も街だ。湖が背中の方向にあるのだから当たり前である。こちらは特に木が茂っている訳でもなければ、高い建物が有る訳でもない。
 彼の発言の意図が読めないまま、私は答えて行く。

 「……ゴミの収集場所があるでしょう」

 「……ええ。有りますね」

 丁度昇降口から見て、左の隅。かなり奥まった所に、小さな小屋が置かれているのが見えた。
 学校内で発生したゴミが、一回、全て集まって来るのが収集場所だ。一週間ごとに回って来る掃除当番の仕事の一つに、各教室や分担場所のゴミを集めて、あそこまで持って行く。
 流石に昼間では発生しないそうだが、早朝や夜間には、あのゴミを烏が漁る事もあるらしい。

 「次。……頭上を」

 頭上、と言われても……頭の上には蒼い空が広がっているばかりだ。ピーヒョロロ、と鳴きながら、山間から湖に飛んで行く鳶が見えるだけである。
 意外と近くを飛んでいる。手は届きそうにないが……凧揚げでもすれば、接触しそうだ。

 「……鳶と烏が、犬猿の中で有る事は、知っていますか? 餌の奪い合いを、しているそうです」

 「あの。……さっきから、一体、何を言いたいんですか!?」

 ついに辛抱が出来なくなったのか、武居さんが声を荒げて問い詰める。
 冷酷にも見える目線に、少しは馴れたのか、先程よりも距離が近い。

 「……何を? ――――決まっているでしょう。……武居大智の落下原因ですよ。貴方が聞きたがっていた、ね」

 それに怯まず、むしろ真っ赤な口元を歪めて、不気味に言いかえす。
 何がその口元を歪ませたのかを伺い知る事は出来ないが、少なくとも謎解きで感情が高ぶった訳では、無いだろう。

 「言ったでしょう。アレは事故です……。春は烏の繁殖期。どの獣にも言える事ですが、子育て中は非常に外敵に過敏に反応する。まして普段から仲の悪い鳶が近くに来れば、まず間違いなく……喧嘩が起きる」

 ス、と静かに一本、指を立てる。細い、まるで骨だけにも見える様な、白くて不気味な指だった。

 「野鳥というのは、面白い性質を持っています。――――鳶に限らず、猛禽類に言える事ですが……両側に敷居がある空間の、間を抜ける。滑走路的な空間を、自分で認識するのでしょう。――それは例えば、一ヶ所だけ柵が無いなら、その間を上手に抜けて行く……。頻度は低いでしょうが、そう言う事です」

 更にもう一本、ス、と今度は中指が立てられた。

 「見える範囲に餌場が有る以上、其処で食事をするのは鳥も一緒です。……これら、一つ一つの確率は低い。……ですが、其処に先程の諸々の要素を加えれば。そして、それら全ての要素が重なれば――――」

 最後の言葉を、彼は言わなかったが……私はようやっと、転落の原因を理解した。そして納得した。
 確かに事故だ。それも偶然が重なった事による、運の悪い事故。
 事故だ、と言う言葉は、間違いでも何でもなかったのだ。

 例えば、九割の確率で回避できる罠が有ったとする。けれども、この罠が十個存在したら、確率的には、どれか一つには必ず中る事になる。一つ一つは非常に小さくとも、重なれば事故に繋がるとは、そう言うとなのだろう。

 入学式の頃は、春一番の季節だ。風は、今よりずっと強く吹いていた筈だ。
 烏は春が繁殖期だ。縄張りに近寄る相手には容赦が無い。屋上で煙草を吸っていたら、警戒対象になっても変では無い。
 屋上は鳶の領域でも有る。烏と鳶は犬猿の仲で、餌や縄張りを争って喧嘩をする。しかも猛禽類が好む地形が、柵の撤廃で出現していた。
 ……そして足元は微かに不安定。落下防止の柵は無い。

 一仕事を終え、気が緩んでいた状態。そんな時に、佇んでいたら。――同じシチュエーションに放り込んでも、十人に一人で発生するとは思わない。けれども百人や千人に一人位の確立ならば、多分、……事件は起こりうる。

 「それが運悪く、武居大智だったというだけの話です。……満足しましたか?」

 そう言って御名方四音は、事件の説明を締めくくった。
 それっきり、何も言わずに、黙って屋上から帰ってしまった。その顔が、妙に不満げだった理由を知るのは、もう少し、後のことだ。




     ●




 後日、武居織戸は、私達にお礼を言いに来た。

 御名方四音から語られた推測(多分、ほぼ事実だろうが)の後、少しの間を置いて、水鳥先生は私達を屋上から撤収させた。そして武居さんを下校させた。考える時間を与えたのだろう。
 事件や御名方四音の話をしながら帰宅した私達も、事故についてを考えていた。

 「……その、……有難う」

 そう言って、ペコリと頭を下げた彼女は、相談を持ち掛けた日と比べて、随分と気力を取り戻していたと思う。

 「結局、私は……兄が事故で死んだ事に、納得、出来なかっただけなんだと、思います」

 死んだ事に、では無い。偶然に発生した事故を、信じられなかったのだと、彼女は言った。
 けれども、論理立てて経緯を語られて……現実は“そう”だったのだ、と認めざるを得なくなって、始めて彼女はしっかりと受け止める事が出来た、そうである。
 それだけでも、あの人間不適応な生徒会長の前につれていった甲斐が有ったというものだ。


 御名方四音と言う人間と関わって、分かった事が少し。

 それは、彼はプライベートに踏み込まれる事を極力嫌っているが、決して付き合えない相手では無い、と言う事だ。直ぐに機嫌が悪くなるし、何処か暗黒面を覗いている様な態度だけれども――――注意さえすれば、普通に関われる。
 見たくない。近寄りたくない。そんな相手。私だって積極的に関わりたくない相手だが、決して理解が出来ない相手では、無いのだ。




 それを多分、早苗は見抜いていたのだと思う。




 「先輩。……人と関わるのは、嫌ですか?」

 「……遠慮したいね」

 そんな会話が聞こえて来たのは、屋上での一連が終わった翌日の、放課後。
 私が生徒会室に入ろうとする寸前の事だった。
 中の様子は硝子を覆う張り紙に遮られて、伺えない。けれど声は届く。早苗の声が、随分と違った感じに――――まるで大事な話を持ち掛ける様に聞こえて――――思わず私は、手と足を止めてしまった。

 「先輩。先輩は言いましたよね。……結果は、変わらない。何が有っても、現実は覆らないって」

 「……それが?」

 事実だろう? と御名方四音は、答えた。

 「私も、そう思います。結果は逃げずに、受け止めなければならない。……でもじゃあ、屋上で先輩が事故を語った事による変化は――――悪い、事ですか?」

 早苗は、御名方四音に言っていた。
 いや、むしろ訴えていたと言う方が……正しいのだろう。

 「武居大智さんは、二度と返ってきません。彼は死んでしまったから。でも、先輩が嫌々でも語ってくれたお陰で、武居織戸は前に進めました。それでも尚、何もしない方が良かったと、言えますか?」

 「…………」

 「自分から関わらないのは、その人の自由です。でも、嫌か嫌じゃないかで答えて下さい。……私が関わるのは、嫌ですか? 本当に嫌なら言って下さい。もう、二度としません。お節介も焼きません」

 彼は、何も言わない。
 答えないという事実が、彼の内心を露わしている。
 嫌な事は嫌だと、率直に気にせずに言う事が出来るのが、あの男だ。

 「先輩。……負の正の感情は、紙一重、なんですよ」

 「――――東風谷。……僕に、何が言いたい?」

 傍から聞けば変化の無い声は、けれど、ほんの少しだけ色を変えた。

 「……東風谷家の私が、御名方家の闇を見抜けないと、思いましたか? これでも神様に使える巫女さんで、歴代でもかなり優秀なんですよ、私」

 その言葉に。
 御名方四音は、そうか、とごく普通に頷いて。
 そして、目線を顔ごと合わせながら、言った。

 「……僕はね。東風谷早苗。……君が近くにいる事自体は、別に嫌ってはいない。けれども如何しようも無く――――」

 はは、と虚無的な声で、少しだけ声を上げる。御名方四音にしては珍しい、笑い声だった。




 「――――憎いんだよ」




 正直な言葉は、何処までも乾いていた。
 氷の様な冷たさも、炎の様な熱さも、何もない、ただ固形化したような、虚ろな声。
 淡々と、まるで無味無臭、無色透明な水が、空中に消えて行く様な、そんな色。

 「……三週間。君を迎えて経過したけれども、僕の闇は途切れない。むしろ一層、強くなる。殺したくて殺したくて、この凍り付いた心を動かしたくて、仕方が無い。それが出来たら、どれ程に心が弾むだろうかと、ね。……今ここで君を殺さないのは、其れが出来ないからだ。……準備や覚悟が、整っていないだけだとも」

 「……ええ。気が付いてました。殺意がダダ漏れでしたもん。――――でも、良いです」

 気にしません、と、早苗は静かに語りかけた。




 「……東風谷の家とは関係なく。……私が先輩の闇を。先輩が行動するより早く、きっと祓ってみせますから」




 それがまるで告白の様に聞こえたのは、私の気のせいだったと、思いたい。
















 かくして、早苗と四音の間に、奇妙な関係が構築されました。これがどの様に次へと繋がるかを、お楽しみに。
 次回は番外編の「御頭祭」なお話。そして物語は五月へと移ります。洩矢上社「五官の祝」も、そろそろ新たに出てくる予定です。

 ではまた!

 (2月2日 投稿)


前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.031831026077271