異人ミナカタと風祝 第一話 卯月(植月)
貴方は神様を信じますか?
「イエス、かなあ」
食事もお風呂も台所の後片付けも終えて、パジャマでベッドに寝っころがって携帯電話を弄っていた私は、送られてきたスパムメールの題名に、中身を見る事もしないまま、そう呟いた。
私は、神様はいる――――存在する、と思っている。西洋や欧米で語られる唯一神とか絶対神という意味では無く、もっと身近で見えない所に、神様は存在しているというのが私の考えだ。
日本独自の世界観。言葉にすれば自然崇拝や精霊信仰、アミニズムに近い。自分の周囲に存在する全てに潜む八百万の神様達の存在を、信じている。勿論、別に敬虔な神の使途と言う訳ではない。信仰心を持って過剰崇拝しているのではない。きっと神様はいるだろう、と思って、なるべく周囲の対象に感謝を捧げつつ、日々を生きているだけである。
私も典型的な日本人で年頃の乙女だ。12月24日、25日にはケーキを食べ、2月14日にはチョコレートをばら撒いている。流石に家が家なので、神社と寺を併用する真似はしないが、それでも全く異なる宗教に接していると言えるだろう。
ま、昨今の神様の事だ。イベントを祝いはせずとも、きっとその名目で騒いでいても不思議では無い、と思う。同時、この国で純粋に神を祀っている者など、もう大分少ないのではないか、とも思った。
不信心だろうか、とスパムメールを消した私は、携帯電話を枕元の充電器に繋いで、ベッドから起き上がった。
勉強机の上の、祖母から勉強課題として渡された本を取る為だ。
「……えっと」
お世辞にも整頓されているとは言えない机から、ぶ厚く大きな、神社の辞典を発掘して、付箋の付けて有ったページを開く。これだけは覚える様に、と言われている部分だ。記憶力が良いとは言えない私は、まだ完璧に諳んじる事が出来ない。
ほぼ全てを、コアな部分まで滔々と解説できる早苗は、ほんと凄いと思う。流石は本家の巫女だ。
本を開いたまま、再度ベッドの上に戻ると、私は寝っ転がって眼を落とす。背暗がりにだけ注意をして、眠くなりそうな小さな字と、見覚えのある四つの写真に眼を通した。
洩矢上社・本宮。
洩矢上社・前宮。
洩矢下社・春宮。
洩矢下社・秋宮。
諏訪市、茅野市、下諏訪市。三カ所に分割して置かれている信濃国一宮。律令制の時代には、明神大社として信仰を集めた、全国各地の洩矢神社を纏める本社。神位・正一位の有名観光スポット。
『洩矢大社』だ。
最も、近隣の人は『洩矢大社』では無く、普通に洩矢神社で有るとか、御年配の方に成れば「お諏訪様」、「八坂様」の様に正式名称より親しみを込めている。洩矢大社と呼ぶのは、観光客か、畏まった時か、あるいは公的な場面位ではないだろうか。
主祭神は二柱――――訂正、三柱。
上社に祀られているのが、建御名方神(タケミナカタ)と八坂刀売命(ヤサカトメ)。
遥か古代から信仰され、坂上田村麻呂の北方討伐や、元寇の神風にも力を貸したと言われている軍神。建雷神、経津主神と並ぶ日本三大軍神の一人と、その妻。
そして下社に祀られているのが、建御名方の兄にして、大国主の長男・八重事代主命(コトシロヌシ)だ。正直、上社と比較して随分と影が薄いので、ついつい零れ落ちてしまう。
遥か昔、それこそ嘘か真か万年以上も昔から、この地で信仰を集めていたというこの巨大な神社である。
事実、時折、建御名方と同一視される、「洩矢神」と言う存在は土着神の一種なので――――ええと多分、縄文時代の自然崇拝から、延々と脈々と、基盤が続いているのだろう。正直、人間の視点では考えられないスケールの大きさである。
しかし。
「私でも、神の眷属には程遠いもんなぁ……」
呟いた。此処まで大きな由緒正しい神社でも、「状況」が結構、逼迫しているのだ。良く知っている。信仰心という形の無い物が、もし可視出来たら、きっと随分と減少しているに違いない。
勿論、観光名所としてはかなり有名だ。諏訪市どころか長野市からも援助が出ているし、小学生の頃のオリンピックで御柱祭が紹介されて以来、七年ごとに日本全国からかなりの客がやって来る。市は潤うし、個人の商店や茶店は大繁盛だ。
休日や週末、年末年始には、御利益を得ようとかなりの参拝客がやって来る。各言う私も、四ヶ月前、年末年始には早苗と一緒に並んで巫女服に身を包み、一日中仕事に忙殺されていた。アルバイトでは無い身の上、確かに手慣れた仕事ではあったが、非常に忙しく、正月など無いも同じだった。
だから、名所としては尚も継続しているのだ。
けれど過去の信仰の場と同じであるとは、とてもではないが言えないだろう。早苗の言葉を聞くまでも無く、十分に分かっているつもりだった。
昔の信仰心とは――――言い換えれば生活すべてに神が存在した時代の信仰心と言う事だ。
信濃の国で言うのならば、毎日勤勉に働く農家の民や、野山を巡って人々が生活していた時代。そんな彼らが神に祈った事は、毎日の生活と、生命への感謝と、己や身内の平穏だ。現代社会における、悩みを解決して欲しい、という中身の筈が無い。
彼らの支配者とて、望んだ事は鎮魂や怨霊封じ。利益や俗に塗れた祈りとは、多分、一線を化す。
神と言う物は、畏怖の具現化だ。だからこそ人々は手厚く彼らを祀り、信仰心を持って祈る事で僅かな目溢しを頂いて来た。参拝客が、賽銭を投げて、こんな事をお願いします……と頼んだ所で、中身や密度に大きな隔たりがあって当然なのかもしれなかった。
「私の未来は、如何なるでしょう……」
パタリ、と本を閉じる。小さな文字を眼で追っていたお陰で、随分と眠気が襲ってきていた。こんな体質だから、一向に本を読みこめない。
ふわ、と軽く欠伸をして枕元の目覚まし時計を見る。そろそろ午後十一時も過ぎようかという時間だ。明日も特別ゆっくりと寝ていられる訳ではない。数日前までは春休みで余裕が有ったのだが、今日の入学式でいよいよ、高校時代がスタートしてしまった。今後の予定は一切が未定、さしたる目標も無いが、過分や夜更かしは健康にもお肌にも悪い。
本を机の上に戻し、通学用に品定めした鞄の中に明日の準備が出来ている事を確認して、私は部屋の電気を消した。そして、布団に潜り込む。
眠る寸前の視線の先。木目帳の壁には、入学した諏訪清澄高校の制服が掛けられていた。
●
古出玲央。それが私の名前だ。
古出が苗字で玲央が名前。初対面の人には、まず“ふるで”と読まれてしまうし、れお、と名前の読みを教えると妙な顔をされる。まあ確かに、女の子の名前にしては少し変わっているかもしれない。
因みに、綽名は小学校からずっとレオ。カタカナ表記でレオだ。同じ獅子ならば、せめてレオでは無く可愛らしい、「リオ」として貰いたかったところだが、こっちの名前は既に使われてしまっていたのだから仕方が無い。
家族構成は二人。私と祖母だ。本当はもう一人姉がいるのだが、彼女は海外留学中。両親は……まあ、良いや。余り楽しい話じゃないし。
身長は160前位。体重はヒミツ。スリーサイズは、……まあ自分では人並みではないかと思っている。親友に比較すれば少々胸元が心許ないが、腰から足に懸けてのラインは自信が有る。
顔立ちは、祖母が言うには母親に良く似ている、そうだ。鏡を見て評価をすると、――――まあ、悪くは無い。睫毛が少し眺めで、眼が大きいのは、五官の家系の特徴みたいなものだろう。
住んでいる場所は、長野県の諏訪。長野中央自動車道から『洩矢大社』方面へ向かい、上社前宮と上社本宮の丁度真ん中くらいの位置に家が置かれている。茅野駅から車で七分位だ。近所には私だけでなく、『守谷大社』関係の人達が多く住んでいる。お陰で昔っから付き合いは有る。気の良い人達ばかりで、随分とお世話に成っている。
そして忘れてはいけないのが、友達。
昔から一緒に遊んだ、私の幼馴染とも言うべき存在が、早苗――――東風谷早苗だ。
『洩矢大社』上社本宮の役職「五官の祝」。
その五つの役職の内、最も偉いとされる「神官長」東風谷家の、末裔にして跡取り娘。
郁々は「神長官」の座に付くだろう、未来の『洩矢大社』の責任者だ。
因みに我が古出家も、東風谷家に次いで格式高いとされている「禰宜大夫」職の家系。家も近く同じ年と言う事も有って、昔から私と早苗は一緒だった。
何を隠そう、私と彼女は昔っから、一緒に遊び、一緒に学校に通い、そして一緒に巫女としてのスキルを叩きこまれた関係なのである。
最も、仕事が苦手だった私と違って、早苗は実に才能が有った。もう巫女としての天性の才能を持っていたに違いない。私の場合は、生来の不器用さや雑な部分もあって巫女として仕事をこなせる様に――――祖母から、まあ良し、とお墨付きを貰うまで――――随分と時間が懸かったが、早苗は、私が四苦八苦した仕事を完璧にそつなくこなし、小学生の頃から働いていた。
正直、早苗には、大体全部の面で負けている、と言っても良い。
巫女としての仕事もそうだが、早苗の方が頭が良いし、スタイルも良いし、器量良し性格良し家庭的スキルも有って、礼儀正しい美人で、しかも気さくと嫉妬する位の完璧ぶりだ。早苗に勝っている部分と言えば、喧嘩の強さくらいだろう。
ただ、それでも彼女に対して複雑な劣等感を抱いた事はない。彼女は優秀だが、何処か少しずれた面が有るというか、何と言うのだろう……。巫女としての能力が高すぎて、一般社会の人間とは一線を画すというのか。兎に角、ちょっとだけ違っている。
乱暴に行ってしまえば、宇宙人や未来人や超能力者を目にした時に、平平凡凡な自分にコンプレックスを抱かない、比較するまでも無く抱く必要も無い、といった感覚だろうか。
他人を素直に見る事が出来て、良くも悪くも率直に言葉を発してしまうというのは、私の数少ない利点の一つなのである。喧嘩が起きても後腐れなく仲直りが出来る人間だ、と早苗は言っていた。
それに、私だって結構色々と、早苗の助けに成っているのだ。彼女を日々助け、代わりに巫女の仕事では色々と習いつつ、私は早苗と親友の関係を維持している。
何時から友人に成ったのか、そして何時まで友人で居られるのかを、考えた事はない。
それが友情だと、思っている。
●
「で、やっぱり信仰心は少ないのかな?」
「少ないですね。レオの言う通りです」
精神的に疲れる祖母との朝の会話を終えて、朝から凝った肩に鞄を担いで、私は早苗と歩いていた。二人とも制服に身を包み、春の日差しを浴びながらの通学だ。正直、かなり気持ちが良い。
制服に身を包み隣を歩く早苗は、黒く染めた髪を、蛇と蛙の髪留めで整えている。風に吹かれる、若さと清らかさを兼ね備えた早苗を見ていると、髪を伸ばさなくて正解だったなあ、と思う。別に正反対の格好をするつもりはないけれど、何かと比較されるのは遠慮したい。私が髪を短く切ったのも、そんな理由だった。
こうして話をしながらゆっくりと歩いていても、高校までは十五分も懸からない。毎朝、定刻の起床を義務付けられている私達にすれば、遅刻はまず起こり得ないと言えるだろう。多分。
「……見えるの?」
「いえ、流石に形には見えませんけど。でも、なんとなく分かる物ですよ。神社というか、土地というか……そんな感じの“声”が、聞こえますから」
勿論、この場合の“声”は比喩表現だ……と思いたい。巫女として、土地の空気が変化した事を、敏感に感じ取っているのだろう。
指摘されてみれば。鳥居を潜り、神域に踏み込んだ時の厳かな雰囲気。あの空気が、年々、少しずつ減っている……気が、しなくもない。はっきりと明確に覚えている訳ではないのだが、子供の頃に姉と共に踏み込んだ頃と比較すれば、随分と空気が堅くなっている。
記憶の事なので美化されているかもしれないが、それでも厳粛さ、冷厳さは和らいでいる、と思う。
「やっぱ、丁重に祀られ、丁重に参られると、境内の空気が引き締まるもんね。今のままならその内、御神体に愛想尽かされちゃうんじゃない?」
「流石にそれは無いでしょうけど。――――あ、でも庶民派に転向してる位は、有るかもしれないですね」
私の言葉に、まるで見た光景を語るかのように、そう返した。
この辺の、こんな使い方の言葉が、早苗の早苗たる部分だと思う。
東風谷早苗は巫女として、多分、並み外れている。親友の贔屓目や、親族で言われた擁護の言葉を除外してもだ。どれ位並外れているかと言うと、恐らく、見えない物が見える様に成るレベル。残念ながら私は生まれてこの型、そういった存在を見た事は一度として無い。
だから早苗の主観を確認する事は出来ないのだけれど――――まるで早苗は、直ぐ傍に神様がいて、何時でも交流出来るかのように語る事が多い。人前では自粛をしているが(あるいは巧妙に隠しているが)、私の前では特にそうだ。昔から変わらない。
本当に早苗が、洩矢の神様を見ているのか、それとも全て真っ赤な嘘で演技なのか、あるいは感じ取れるだけで見える訳ではないのか、はたまたオカルト宜しく声だけ聞こえるのか。私には判断が付かない。
一歩間違えれば、“電波系“と呼ばれる、外見は良いけど頭が少し残念なタイプに思われる、だろう。
まあ、私は長い付き合いだし神社の娘だ。特に気にしてはいないけれども。
「庶民派……。例えば?」
『洩矢』は、元々庶民が気軽に祀れる神ではない。大きな神が庶民派に方針を転換する、とは中々思い切った行動だ。
「ええとですね。――――昔の血生臭い儀式を、もっと簡素化して穏便な物に変えたりとかです。『蛙狩神事』とか『御頭祭』とか『御船祭』とか『御射山祭』とか」
――――と彼女は名前を並べる。当然、私も知っている行事ばかりだった。最初の三つは、元日と四月十五日、そして下社で行われるお祭りの名前。これらはまだマシだ。規模や形が少しずつ違っていても、縮小の度合いは許容範囲だろうか。
「……でもそれ、祀りの規模を小さくするってことでしょ? 良いの?」
最後の『御射山祭』。これはかなり小規模になってしまった。言い伝え程度でしか聞いた事が無いが、昔は随分と凄かったらしい。今の感覚では、正直グロイと言われておかしく無いレベルの血生臭さだ。
「良くは無いですけど、仕方ない部分が有りますね。もう規模の変化で変わる信仰心の量も微々たる物ですし、無駄な出費を抑える必要があります。人手も多く有りません。……昔みたいに、神社や大社が生活に密着している時代じゃあ無いんですよ」
悲しい事に、と早苗は最後に付け加える。何処となく影が有るのは、決して見間違いでは有るまい。
早苗の神社に関わることへの感覚は、他人では到底理解しきれないだろうと思う。私だって理解しきれないのだ。人間に有りながらにして、現人神とまで呼称される東風谷の家系。人と神の境界線上と言ったって過言ではない。……いや、ちょっと言い過ぎかな。
でも、早苗のその言葉には同意しよう。本当に全く、文明の発展が良い事で有るとは限らない。進歩した科学の裏で消えて行った存在が、手放してしまった幻想が、果たしてどれだけ存在するのやら。
「来週後半にも『御頭祭』が控えていますけど――――まあ物好きな観光客と、地元の人達位です。きっと、見に来るのは。だからと言って、止める訳にはいきません。ジレンマですよ」
「うん。――――あ、そうだ。それで思い出したけど、来週の確認に伺いますって、昨日お祖母ちゃんが言ってた。一応、早苗にも伝えとくね」
「はい。来週末は、また仕事ですね」
そうだね、と頷いた。こればっかりは生まれた家の風習みたいなものだ。文句を言ってどうこう出来る物では無い。自分の仕事だと、随分昔に受け入れている。
将来は神職を継ぐ事を、殆ど義務付けられている私である。私も不満は無いから、それは良いのだ。
だが、それを知っている祖母は、実にしっかりと私に色々と仕事を任せて行く。いや、別に仕事は嫌ではないが、昔と比較すれば信頼の裏返しとも思っているが、他の事をする余裕が無い、というのは高校生活で、青春時代を送る上で、果たして如何なのだろうか?
しかも早苗や、祖母が、私以上に神職をこなしているから、文句も付けようがない。
要領が悪い私は仕事で手一杯だが、彼女達は時間的にも余裕が有るのだ。世の中は不公平だ。
「あー。アレかな。仮に私が部活動とかに加入したい、っていったら、許すかな、お祖母ちゃん」
目の前まで来ていた学校の、入口前の横断歩道を見ながら、少し言ってみる。
「如何でしょう……? あ、レオは、何か興味が惹かれてるんですか?」
「ううん。思っただけだけどね。そう言う早苗は?」
「無いですね、今のところは。何かあったら言いますよ」
「分かった。私もそうするよ」
そんな会話をしながら、私達は校門を潜ったのだった。
●
と、言っても私達は二人揃って同じクラス。一年三組であるので、教室まで一緒に進む事に成る。
序に言えば一年三組三十九人の出席番号は、私“古出”が8番、早苗は“東風谷“で9番だった。
恐らく、学校側が配慮をしたのだろう。小学校・中学校時代は学区のお陰もあって同じクラス、勿論名簿もほぼ隣。流石に席替えをすれば互いの席は遠く成ったけれども、それでもクラスメイトだ。何かと『洩矢大社』に関わる早苗に、手伝いの私(悲しい事に、親族からも割とそんな感じで見られている)をくっ付けたのだと思う。
「おはようございます」
と、礼儀正しく一声を懸けて教室へと入る私と早苗。教室内の視線が集まるが、気にしない。一々人目を気にする人間が、巫女姿で仕事を出来る筈も無いのだ。お陰で、私も早苗も度胸は有る。最も、早苗が言うには『度胸と図々しさは別物ですよ』との事だが、私は実感が薄い。
そんな事を思いながら、席へと付いた。席替えをしていない入学したてのこの時期は、教室窓際から二列目の、後ろから二番目と三番目。席順も、直ぐ前と後という完璧な繋がりようである。
鞄を机の横に懸けて教室を眺める。近隣では一番レベルの高い高校だけど、見知らぬ生徒が皆無という訳じゃない。私達が卒業した中学校からも、二十、三十人は入学していた筈だ。クラスの中に、見覚えのある顔がちらほらと有る。
「ええと。……佐倉さん。あっちが、武居さんと――」
誰だっけ? と、名前を言いながら、眼で顔見知りを追いかけて行く。と言っても、同じ学年の違うクラスだった人達ばかり。私と早苗以外で、中学校のクラスメイトはいない。
先日行われた入学式の際、クラスの顔は一通り見て確認済みだった。
「レオ。大丈夫ですよ、慌てなくても。今日は授業が無くて、ホームルームばっかりですから。学校案内と、年間予定。教科書販売。それに、自己紹介と担任の先生の紹介の時間も有りますよ」
「いや、そうなんだけどね」
私は割と、人付き合いはしっかりとする性格だ。というか、肩書やレッテルが好きではないので、自ずと自分から相手の方に踏み込んでいく性質なのである。良く言えば活発で、悪く言えばデリカシーが無い。
この辺り、自分の肩書をそのまま受け入れて、尚且つ自分で居られる早苗とは少し違う。多分、私は心の何処かではまだ、自分の未来に置ける役職に対しての反発心――――では無いにせよ、僅かに覚える物が有るのだろう。『洩矢神社』の「禰宜大夫」とだけで見られるのが、嫌なのだ。
「そういや、担任の先生も、今日が初披露、かな」
「ええ」
話題を変えた私に、直ぐに早苗が付いてきてくれた。こう言う所が早苗の良い所だ。
入学式の時は、名簿順に「何組で待機」と言われ、そのまま講堂も兼ねた体育館へ直行。早苗は一人、新入生代表挨拶と言う事で座る席が違っていたが、他は大体苗字が近い人達と一緒だった。
その時に私達に支持を出した教師とは、多分、違う人に成っているだろう。
「そろそろ、一時限目ですね」
言われて時計を確認すると、いつの間にか随分と時間を過ごしていたらしい。長針は八時三十五分を示していた。
廊下を歩く足音が聞こえて来たのは、その頃だ。
仕事が出来る変人、というのが第一印象だった。
「初めまして。今日から一年間、君達の担任をする事に成った水鳥楠穫だ。――――宜しく」
短い髪も、眼鏡の奥の瞳も、そう名乗った教師の活発さを示す様な雰囲気を受ける。女性にしては高いだろう、170越えの身長に、きっちりとしたスーツ。冷たい印象は受けないのは、口元に不敵な、子供っぽい笑顔が浮いているからだろうか。
教師と言うよりも、個人事務所を構える仕事人、と言えばイメージしやすいのではないだろうか。
顔はかなり良い。純和風には少し違うけれど、しっかりとした大人の女性と言った感じだ。綺麗なお姉さんが担任、と言う事で、一部の男子が喜んでいるようで……近場の男子達が何人か、目配せしているのが見えた。無理も無い。
「元気が良くて結構。周囲の迷惑にならない様にだけ気を付ける様に。――――さて、何か質問は?」
水鳥先生は、その反応に慣れているのか特に注意をする事も無い。
如何やら放任主義で、締める時にきっちりと締めるタイプなのだろう……と辺りを付ける。私のこう言う推測は、余り外れた事は無い。
軽く嗜めた後に、私達に訊ねて来た。自己紹介の時は、ともすれば静かになってしまう場合が多いが、幸い水鳥先生は司会進行が上手かった。手近な生徒を指名して、名前を聞き、質問を考えさせる。
当てられた生徒は、最初は戸惑っていたが、促す様な笑顔に、徐々に乗り気に成って行った。
以下、大体こんな感じの問答だ。
――――年齢は?
「秘密だ。女性に年を尋ねる物では無いよ」
――――家族構成は?
「まだ独身だ。親は死んでしまったが、親戚が多いから苦労はしていないな。……ああ、自宅に一羽、文鳥を飼っている位だね」
――――じゃあ、恋人は?
「いないね、誰か良い人がいたら紹介して欲しい」
――――出身は?
「南九州だ。霧島の近くだな」
――――趣味は?
「生まれのせいか、海洋学と、船の話題が得意で、女子にしては珍しいと言われていた。最近は、大航海時代や海賊にも嵌っている。昔から船……というか船旅が好きでね。結構色々回っているかな」
――――じゃあ、海外渡航経験は多い?
「勿論多いよ。一応、世界をぐるりと回った事が有る。けれど、最近は国内の方が中心かな。日本も意外と広いからね。色々な名所を巡っていると、段々、新しい発見をしたく成るものだ」
――――あ、担当教科って……。
「ああ、担当教科は社会、地理を教える事に成っている。理数系に進みたい人は、授業担当に成るかもしれないな」
こんな感じで、実に手際よく、雰囲気良く水鳥先生は質問を受け答えして行った。
そのテンポが変わったのは、と有る質問を受けた時だ。
――――部活動の受け持ちはしているんですか?
質問に、水鳥教諭は、当然の如くこう答えたのだ。
「部活動の顧問ではないが、代わりに生徒会顧問をしている。興味が有る人は放課後に来ると良い。図書館と放送室の間にある小部屋だからね」
生徒会顧問。
その言葉が出た時に、一瞬、クラスの中の空気が変わったのは、多分、気のせいではないだろう。
●
綺麗な薔薇には棘が有る、と美人を指して言う事が有る。これはつまり、外見が美しくても隠れた武器を持っているとか、見えない猛毒を宿している、と言う意味だと私は解釈している。
ただ、そうは言ってもだ。私は今迄生きてきて、そんな存在を目の前で目撃した事は無い。精々が悪女役を演じる俳優を、映画やドラマで見た程度である。神職に付いている身近な人々で性悪な者など、一人くらいしか心当たりが無かった。
多分それは、私以外の殆どの生徒がそうだろう。将来はまだ分からないにせよ、息を飲むほどの美貌、あるいはその裏に隠れるだろう猛毒、その内の片方で有っても目撃した経験を持つ者は少ない。
けれども、あの入学式で、全員が等しく、味わった筈だ。
御名方四音は、まじで、猛毒だ。
感覚が鋭敏な、記憶力に優れた物ならば、思い出すだけで心が震えると思う。間違っても感動や歓喜では無く、まるで死人の如き印象に対してだ。鈍い連中ならば魅了されるかもしれないが、間違いなく、あの顔はヤバイ。私の勘が、全速力で警鐘を鳴らしたほどだった。
無表情なデスマスクは、なまじ声が美しく、そして並外れた美貌を持っているが故に、気持ち悪い。
魔性と言う言葉にしては生命力が無さ過ぎる。けれど、唯の美人や美貌と言うには奇妙すぎる印象だった。退廃の美。熟した林檎。落日の魔城。そんな言葉が頭に浮かぶ。一歩間違えれば奈落に誘われそうな、そんな空気をあの男は持っていた。
今にも崩れそうな、壊れそうな、しかしだからこそ見える様式美。死を自分から感受してしまいそうな、痛い程に冷たく甘い空気。下手に免疫の無い女子が、あの声と美貌で耳元に囁かれたら、ふらふらと誘われ、気が付いたら屋上から飛び降り自殺をしていました、と言っても不思議でもなんでもないのだ。
あの男は、其れ位に、ヤバイ。
そして、そんなにヤバイと言う事に、殆ど誰も気が付いていない事も、ヤバイ。
この学校の生徒会長に居座って、何かを画策していると考えただけで、もう震える位、ヤバイ。
正直、あんな男を慕っている連中が、馬鹿ではないかと思う。
其れ位に、私はあの男に、ヤバイ物を感じ取っていたのだ。
二時間以上にも渡るホームルームは、正直、面倒だった。
水鳥先生の自己紹介の後、今度は私達の自己紹介になった。私と早苗の紹介をした後には、おお、と感心の声が上がった。やっぱりこの高校に来ている生徒にとっても『洩矢大社』は大事なんだな、と実感させられる。
これを終わらせ、配布された大量のプリントをファイルに綴じ込み、学校案内を初めとする諸々をやり過ごす。緊張していた事を自覚したのは、教室から水鳥先生が退出した後に成ってからだった。
私にしては珍しく、思った以上に、慣れない空間に疲れている様だった。
制服に成れないのと、新しい環境のお陰で、肩が重い。
この学校、一応私服もOKだ。だから上級生になれば私服や、少し改造した感じの服で学校に来ている人もいる。ただ、正式な制服なら服を選ぶ手間が省けるし、一年生の間は自戒の意味も含めてなるべく着用する様に、と言われていた。
実は教師達も同様で、スーツが義務と言う訳ではないらしい。明日以降の水鳥先生のセンスに期待だ。
「ふう……」
大きく息を吸い込んで、後ろの早苗の邪魔に成らない様に腕を伸ばす。首と肩を回すと骨が鳴った。む、鈍っているかもしれない。日々の運動をもう少し頑張ろう。体重も気にする必要があるし。
伸びている私に、折り良しと見られたのか、早苗から声を掛けられたのはそんな時だった。
「レオ。少しこの後、付き合って貰って良いですか?」
「ん、良いよ。何処か行くの? 部活見学?」
この後、昼食までで今日の学校は終わりだ。一応お昼の時間に、教科書販売が有るが、これは別に急ぎでは無い。ゆっくりとお弁当を食べて、教科書を購入した後ならば、時間に余裕が有った。
今頃下校口には、新入部員を確保しようと数多のサークルがアピールをしながら並んでいる事だろう。
その私の言葉に、ええ、似た様なものです、と早苗は軽く頷いて。
「少し、生徒会室まで一緒に行って欲しいんです」
「…………」
正直に言おう。
この時ばかりは、親友の頭の中が読めなかった。
幾ら「御名方」が『洩矢大社』の関係者だとしても、無暗に脚を踏み入れる必要はないだろうに。
しかし、断ればきっと彼女は一人で行くだろう。
あの生徒会長の前に、早苗を単体で送り出す事に抵抗を覚えた私は、渋々とでは有るが頷く事しか出来なかったのである。
かくして、早苗さんの親友が語り手です。作者初のオリジナル女性キャラなので、ちょっと書き慣れない部分が有りますが、何とか頑張って行くので宜しくお願いします。
高校や『洩矢大社』周辺の地理、主人公ズの家の住所等は、資料を見た上での適当です。流石に写真までは持っていなし、諏訪に行った事が数えるほどしか無いので大目に見て下さい。話の本筋には余り関わりが無いので。
その分、神社や歴史、神等は、かなりしっかり東方世界に擦り合わせてあるので、ご安心を。
ではまた次回。
(1月22日・投稿)