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No.24249の一覧
[0] 異人ミナカタと風祝 【東方 オリ主 ダーク 恋愛(?) 『境界恋物語』スピンオフ】[宿木](2011/08/22 21:18)
[1] 異人ミナカタと風祝 序の一[宿木](2011/02/03 01:20)
[2] 異人ミナカタと風祝 序の二 弥生(夢見月)[宿木](2011/01/18 22:37)
[3] 異人ミナカタと風祝 序の三 卯月[宿木](2011/01/18 23:01)
[4] 異人ミナカタと風祝 第一話 卯月(植月)[宿木](2011/01/23 00:18)
[5] 異人ミナカタと風祝 第二話 卯月(苗植月)[宿木](2011/09/09 14:54)
[6] 異人ミナカタと風祝 第三話 卯月(夏初月)[宿木](2011/02/02 23:08)
[7] 異人ミナカタと風祝 番外編 ~八雲と橙と『御頭祭』~[宿木](2011/04/02 22:16)
[8] 異人ミナカタと風祝 第四話 皐月[宿木](2011/04/06 22:52)
[9] 異人ミナカタと風祝 第五話 皐月(早苗月)[宿木](2011/04/11 23:39)
[10] 異人ミナカタと風祝 第六話 水無月[宿木](2011/06/29 23:34)
[11] 異人ミナカタと風祝 第七話 水無月(建未月)[宿木](2011/07/03 22:49)
[12] 異人ミナカタと風祝 第八話 水無月(風待月)[宿木](2011/07/08 23:46)
[13] 異人ミナカタと風祝 第九話 文月[宿木](2011/07/15 23:08)
[14] 異人ミナカタと風祝 第十話 文月(親月)[宿木](2011/08/22 21:30)
[15] 異人ミナカタと風祝 第十一話 文月(愛逢月)[宿木](2011/08/28 21:23)
[16] 異人ミナカタと風祝 第十二話 文月(文披月)[宿木](2011/09/02 02:37)
[17] 異人ミナカタと風祝 第十三話 文月(蘭月)[宿木](2011/09/12 00:51)
[18] 異人ミナカタと風祝 番外編 ~『御船祭』と封印と~[宿木](2011/09/17 20:50)
[19] 異人ミナカタと風祝 第十四話 葉月[宿木](2013/02/17 12:30)
[20] 異人ミナカタと風祝 第十五話 葉月(紅染月)   ←NEW![宿木](2013/02/17 12:31)
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[24249] 異人ミナカタと風祝 第十三話 文月(蘭月)
Name: 宿木◆e915b7b2 ID:21a4a538 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/09/12 00:51


 夏休みも目前に控え、期末テストも終わった月末。
 その日、本気で危ない場所が有る事を知った。




 からり、と恐る恐る玄関の扉を開けると、生温かい、ぬるい風を頬に感じ取った。
 地域で有名な、襤褸屋敷。決して古い訳ではない。朽ち果てている訳でもない。だが、どこか寂れた空気を伝える、陰気な屋敷。御名方四音の住む家に、鍵は懸かっていなかった。

 「――」

 ごくり、と思わず息を飲む。家は住宅地にあり、今も炉端では老婆が世間話をし、犬を引いた女性が散歩がてら歩んでいる。休日の、なんら変わらない片町の風景。だが、その温かく賑やかな空気が、屋敷の中には届いていない。家の中と、家の外。それが見えない壁で区切られているようにすら感じられた。

 「……お邪魔、します」

 誰に言うまでも無く、静かに一歩、玄関に足を踏み入れる。コンクリート造りの玄関には、揃えて並べられた黒靴が一足。御名方四音の物だ。彼は家にいるのだろう。
 しん、とした部屋の中。乾いた、黴臭く――――葬式のような家の中だ。古い畳の匂いも、長い時を刻んだ梁も、カチコチと静かに時を数える古びた時計も、静寂を引きたてる一要素でしかない。
 外の音は何も届かない。いや、耳に聞こえているが――――何処か、遠い。それは、意識を一点に集中させた者には、周囲の音が耳に入らないのと似ていた。自分の意識が家の中に向いている。神経が尖っている。否応なしに、家が持つ空気を全身で感じ取る事に、全身を傾けているのだ。

 それは、この屋敷の持つ――――空気だ。
 まるで闇が手招くか、深淵が引きずり込むか、どこか異界に迷い込んでしまったのか。踏み込んだが最後、恐怖で心が鋭敏になってしまう。そして、周囲の全てに感覚を向けなければ怖くなってしまう。

 ――――ギシ。

 少し離れた所で、床が鳴る音がした。確か、古出玲央が語っていたか。この家は古い。誰かが廊下を歩むと軋み、まるで天然の鶯張りになっているのだと。

 (……さあ、御対面、ですね)

 己を叱咤して、彼女は御名方四音が出てくるのを待つ。身体に走る震えは武者震いだと言い聞かせる。額に浮かぶのは冷や汗だと誤魔化す。心が、逃げた方が良いと囁いている。だが無理やりに抑え込み、彼女は静かに待った。
 一秒が一時間に。須臾が永遠に。まるで時間が引き延ばされた感覚。長年使われ、しかし人の気配が染みついていない不気味な屋敷には、なにか別の物が憑いていると思わせるに十分だった。

 ――――ギシッ。

 床を踏む音は、徐々に大きくなる。歩みは静かで、そして一定だ。家鳴りに集中するのを避けるように、彼女は大きく息を吸った。すう、という息の音は――静まり返った屋敷に響く。吐き出す息は荒かった。
 かちかち、と時計が針を刻む。針の進み方は、どこか不安定だ。止まったり進んだりを繰り返しているのかもしれない。だが、その長針と短針は、確かに今の時間を指している。音だけが揺れ動き、針は決して間違えない……。どんなに遅れようとも、秒針がぶれようとも、その針が、“何時の間にか正しい時間を指している”――――まるで、そんな事象が、正しいと思ってしまうような。

 ――――ギシィ。

 足音は、より近い。そろそろ、対面だ。彼女は心に気合を入れ直し、びっしょりと汗をかいた掌をズボンの裾で拭う。真夏の筈が、妙に肌寒い。温度差まで異様なのだろうか。
 これは、この恐怖を文字で表せという天のお告げだ。そう思う事にする。学校でも悪名高い生徒会長。洩矢の巫女とその親友の弱みを握り、手籠めにしている悪逆非道な男。まあ所詮は噂だが、要するにそんな噂が流れる位に危険人物扱いされている人間に、記者の魂が騒いだのだ。此処で退く訳にはいかない。
 それにだ。この家は、昔から怪しかった。住んでいる人間は少ない筈なのに、妙に人の気配が有る。その割に生活感が異常に少ない。庭も、手入れされていない癖に殆ど様子が変わらず、時の流れから断絶してすらいるのではと疑念を抱かせる。そんな家だ。御名方四音が住んでいなくとも、何れ来てみたいとは思っていた。

 ――――ギシ。

 足音が止まった。畳敷きの広間には、90度曲がった形で廊下が配置されている。つまり玄関から建物の奥を覗く事は出来ず、境目の廊下を閉めてしまえば四角いだけの空間になってしまう。それなのに。
 壁には幾つかの扉や襖が有ったが、その何れもが今にも開きそうな印象。あるいは、ほんの微かに開いて、人ではない何かが覗きこんでいるような印象を、齎して来る。
 さっさと廊下の戸を引き開けて、出て来てくれないだろうか。この際、御名方四音でも良い。一人きりでいると、心がどうしようもなく騒いでしまうのだ。
 その思いが通じたのか。
 ――――カラリ、と玄関と廊下を繋ぐ扉が開き。




 ――――それだけだった。




 「……。……え」

 しん、と静まり返った周囲からは、他のどんな音も聞こえてこない。先程までの、床を歩く軋む音もだ。
 廊下と隔てていた扉は開いたまま。だが、そこから御名方四音が顔を出す事も無い。てっきり、驚かそうとしているのだ。そう思って、時計の針を眺めるが――――不安定な秒針が一回転しても尚、誰かが出てくる気配は無かった。

 「……あのー。御名方、さん?」

 言葉が途切れているのは、内心の不安の表れだった。誰かが出てくる気配は無い。いや、それどころか。
 床を踏む音が無くなって、気がついた。
 廊下の影に居る筈の、人の気配が、微塵も感じられない。

 「――――」

 こめかみから流れた汗が顎を伝うに至って、彼女は体が硬直している事に気がついた。
 帰った方が良い。また学校で話を伺おう。そう言い聞かせる。ゆっくり一歩、後ろに下がって。




 玄関の扉が、閉ざされている事に気がついた。




 「――――っ!!」

 古い引き戸だ。横に動かす扉は、必ず大きな音を出す。まして神経は鋭敏で、必要以上に周囲の物音には注目していた。その癖、全く気が付かなかった。扉が閉まっていた事に。
 慌てて扉を開こうとする。だが開かない。鍵が懸かっている訳でもない。固い訳でもない。まるで扉が壁に成ってしまったかのように、微動だにしない。慌てて、ガタガタと枠を動かし扉を大きく叩く。

 「……ちょ、なんで! 何で開かないの!?」

 恐慌状態だった。恐怖への限界を越えれば、人間は容易くパニックに陥ってしまう。
 好奇心は猫をも殺す。そんな格言が脳裏をよぎったが、既に遅かった。

 ――――ギシィ。

 床を踏む音が聞こえた。




 自分の直ぐ、真後ろから。




 ギグ、と。振り向こうにも、身体が機械のように硬直して動けなかった。
 余りにも突然に。まるで現象だけがその場所に現れたかのように。
 床を踏む音がしたと思えば、何かの気配がある。僅かな身体の動き、息の音、衣服が擦れる音。それらが伝わって来る。明確な何者かの痕跡だ。たった一つ。……人の気配がない事を除いては。

 「――――!!」

 廊下から玄関に目を向けて僅か十数秒。何時だ。何時の間に、背後に存在していた。
 彼女を急き立てるのは、それだけではない。背後に立つ、何か。そう、何かとしか思えない物がいる。気配は真っ当な物ではない。振り向いてはいけない。それが解る。理性やら感覚やら、そう言った物を越えて教えて来るのだ。

 ――――本気で、ヤバイと。

 心に囁く、振り向けという意志を押しとどめる。見てはいけない。見たら、必ず終わる。何が終わるのかを考えるまでも無い。自分が終わる。ガチガチと震える歯を食いしばって、彼女は耐える事しか出来なかった。
 唐突に。

 「    」

 人間とはとても思えない声で。
 肩に置かれた手は。
 まるで泥の塊か、腐敗した人体の如くに醜悪な掌であると視界の片隅で認識し――――。




 そこから先は、覚えていない。
 次に目覚めた時は、自宅のベッドの上だった。




 この日以降。
 彼女は――――佐倉幕は、御名方四音には二度と関わらない事を、心に固く誓った。
 だが、それが手遅れだったと知るのは、もう少しだけ後の話。






 異人ミナカタと風祝 第十三話 文月(蘭月)






 まどろみから覚醒すると、枕元に水鳥楠穫が居た。

 身体が冷たい。全身が汗でびっしょりと濡れ、筋肉は強張っている。
 光源は一つしかない部屋だ。だが夜目は利く。天井付近のオレンジの蛍光灯が、ぼうっと部屋を照らす中、目を開けると水鳥先生が、瞑想のように目を閉じて静かに座っていた。存在には驚かなかったが、枕元に居た事に驚いた。ほんの少しだけ。

 きし、と胸元が軋む。静かに息をすると、先程までの苦痛を証明するかのように――――僅かに、胸元が痛んだ。心臓だけでなく、肋骨にも支障が出ているかもしれない。

 「……起きたか」

 呻いた声に、静かに目を開けて彼女が語りかける。目も声も穏やかだ。
 神出鬼没だと思うが……この人は。いや、人じゃないのだろうが。彼女が空間を渡れる事は、少し前から承知の上だった。

 「……どうも」

 声は擦れていた。喉から絞り出された、引き攣った様な音だった。

 「ああ。起きるな。寝ていろ。……お前、また死にかけたぞ」

 「……そう、ですか」

 「助かるかは、武の悪い賭けだった。――――運が良かっただけだよ。お前が今回、死ななかったのは」

 死にかけた。でも死んではいない。いや、偶然に死ななかった、だけだろう。
 真綿で首を絞める様に、嬲る様に殺される。悪夢に苛まれ、その反動が身体を蝕む。今回はかなり危なかった。結果として息をしているだけの事。悪夢自体を解決しない限り、僕の命は永くないのだと思う。
 “汚く生き延びているから苦痛が続いている”と言う言い方が正しい気すら、するのだ。

 「……起こしてくれませんか?」

 「良いのか?」

 「はい。……少しだけ」

 腹筋を使って起き上がろうにも、身体に力が入らなかった。背中を押されて身体を起こす。

 起き上がって、確信した。見覚えの無い部屋だ。天井にオレンジ色の蛍光灯が輝いていた時点で変だと思った。少し前に切れて、そのままだったからだ。
 寝ている寝具も煎餅布団では無く、簡素ではあるが清潔な病院のパイプベッドだった。布団も、シーツも枕も真っ白。部屋は、古びた木の香りが漂っている。色のコントラストだけを見れば、自宅と変わりは無いが、不吉さや陰気さは雲泥の差だ。勿論、我が家が泥である。
 カーテンが引かれていて外の様子は伺えない。だが多分、夕方から明け方までの間だろう。体内時計がそう教えてくれた。

 「……事情を、説明して貰って良いですか?」

 夢の中で、泥に引きずり込まれて。
 無数の狂った哂い声に包まれて。
 心臓の拍動が止まって、倒れ込んだ時に――――水鳥楠穫が駆けこんで来たところまでは、覚えている。

 「私が気付いて乗り込んだ時には、お前は倒れて心臓が止まり、呼吸も危なかった。……取りあえず、心臓マッサージに人工呼吸をして応急手当。多少強引だったが、それで息は戻った。で、今回は放っておくのも不味いと思ってな……。知り合いの医者の所に、運び込んだと言う訳だ」

 「……それは、どうも」

 「照れ臭いか?」

 「――――いえ。昔からの付き合いですし」

 感謝をするべきだろう。人工呼吸の部分も含めて。礼儀としては。
 だがキス程度、今さらという感じがする。そもそも風呂に一緒に入った事だって有った。昔は。
 父親の死もかなり昔の事だ。母親など、記憶にも殆ど残っていない。東風谷早苗から聞いた“情報”には、一日を同伴した価値が有ったが、それだけだ。御名方四音が未だに人間として――――真っ当からは離れていても――――過ごす事が出来るのは、水鳥楠穫の恩恵に依る所が大きい。
 つかず離れず、距離感こそ絶妙な位置を保っているが、概念とすれば、きっと彼女は親だ。

 『お前の母親に悪いぞ、それは』

 そう言って、その昔に笑顔で否定されて以来、二度と口に出してはいないが。

 「……ところで、此処は、何処ですか?」

 ふと、尋ねてみたくなった。
 彼女の知り合いの医者。普通の医者ではないだろう。並みの医者では、僕の容体を聞けば、手を投げて降参するか(遅いか早いかの違いはあっても)、研究するかだ。表に出せない裏の医者なのだろうか。
 水鳥楠穫ならば、その位の伝手は十分に持っていそうだが。

 「ここか。ここは――――」

 ふむ、と一旦腕を組み、どう説明したものか、と考えた末に静かに、短く場所だけを告げた。

 「こう呼ばれているよ。……『永遠亭』とね」




     ●



 次に目を覚ました時は、既に太陽が昇っていた。
 とはいっても、空が少しだけ明るい程度だ。強い光は差し込んでこない。
 開かれたカーテンの奥には、先端が見えない程に高く伸びた青竹が、有り得ない密度で繁殖していた。竹藪が何処まで続くのかもわからない。緑色に遮られ、館は常に薄暗い。

 こんな建物の中にいれば、きっと時間も解らないだろう。
 永遠亭、という屋敷の名前を思い出す。

 「…………」

 確か今日は、土曜日だ。
 今日と明日。二日間を使って、思い切り静養するのも悪くは無いだろう。
 あの狂った蛙が、静養させてくれるかどうかは――――別としても。

 「……無理だな」

 結論など、言うまでも無かった。
 小さく吸い込んだ空気は、今迄嗅いだ事がない程に清浄だった。長野県も、都会に比較すれば随分と空気も水も綺麗だが、それとは一線を画す。まるで人間が立ち入らない、仮に立ち入ったとすれば遭難は必至とも言える、奥深い自然の中の香りだ。最高級のサナトリウムでも、きっとこうはいかない。

 古く時代を感じさせる木造の建物。緑色の中に隠れるような屋敷。
 どこか、洩矢神社の本殿に近い物を感じさせた。

 「……御馳走様でした」

 十分後。
 寝台の前に置かれた、軽めの朝食。和風の味付けをしたスープの中に、パンと卵を落としこんだ一品だった。僕の食事量を考えてくれたらしく、マグカップに一杯分。滅多にまともな食事をしない僕でも、全て食べてしまう。そんな質と量だ。
 トレイを頭の上に乗せた兎が、零すことなく運んできてくれた時には、何だかなと思ったが気にしない。ここは“そう言う場所”なのだ。そう心の中で解っていたからだと思う。

 スプーンを置いて、少し自分の身体を見る。昨日の寝巻ではない。誰かが交換してくれたのだ。
 無駄足を踏ませたな、と思いながら部屋の中を観察していると、ノックの後で水鳥楠穫が入って来た。

 「少しだけ調子が戻ったらしいな」

 安心したぞ、と僕が完食した椀を見て、笑った彼女は言う。

 「取りあえず、顔を見せに行こう」

 「……誰にですか?」

 「お前を診察する、医者の所にさ」

 立てるか? と促されて、僕は静かに肯定する。
 彼女の気遣いは嫌いではない。同情とは違う、決して揺るがない理由の上に成立しているからだ。無為の優しさは煩わしいだけだが、根の張った想いを蹴り飛ばすほど残酷でもなかった。
 廊下に出ると、夏の筈が妙に涼しい。冷房機能が有るのだろうか、と思って水鳥楠穫に聞いてみると『常時稼働している訳ではないがな』との事だった。詳しい言及を避けている――――有るには有るが使い難い、と解釈をしよう。

 病室から、すぐ隣の部屋。
 歩いて5メートルもしない内に、通された。
 水鳥楠穫に同伴されて、僕が入った部屋には、三名の女性がいた。
 その内の二名は、もう暫く前から顔を知っている女性だった。

 「…………」

 見覚えのある顔だ。金髪碧眼の美女と、銀髪の美少女。
 名を、グリューネ・E・クロウリーと稲葉鈴。
 本名かはさておき、僕はそう名前を聞いている。
 最後の一人。見覚えの無い女性は、診察室の椅子に座っている。赤と青のツートンカラーのナース服(らしき衣装)の上から白衣を羽織った、銀髪で長身の美女だ。年齢は不明だが、大人の色香を持っていた。

 「……なるほど」

 グリューネさんが、僕に軽く目で微笑んだのを確認する。

 「……そう言う事ですか」

 何月かに一回。僕に薬を渡してくれている二人が此処にいる。

 元々、僕は薬を服用している。それは皆が知っている事実だ。その薬は、父親が死んで以後、本格的に“向こう”からの浸食がヤバくなり始めた僕を見かねて、水鳥楠穫が渡してくれた物だった。
 表向きは『父親がボーダー商事の一員で、その伝手を今でも使っている』となっている。古出玲央もそう思っている筈だ。……それは間違いではない。だが、完全な事実でもないのだ。『父親が所属していたという名目を利用し、ボーダー商事から水鳥楠穫が手に入れて来た』が、正しい。

 要するに、だ。
 僕は水鳥楠穫に紹介されるまで、薬を飲んだ事は無かったし。
 家に二人を来訪させたのも、水鳥楠穫だったということである。

 その二人が此処にいる。と言う事は――――難しく考える必要も無い。

 「あら、理解が早くて結構ね」

 僕の言葉に、ツートンカラーの女性が感心したように微笑した。

 「初めまして、ね? 御名方四音。……私が薬師の、八意永琳よ」

 この女性。
 八意永琳が、僕の薬を造っている薬剤師で、そして水鳥楠穫の知っている凄腕の医者だと言う事だ。
 この際、彼女達の正体については、何も言及しない事にする。

 「……貴方、賢いわね」

 僕の目線に、何かを感じ取ったのか。
 恐らく、僕が知る中で最も優れた頭脳を持っていそうな彼女は、怪しい笑顔で言った。

 「知るべき事と、知るべきではない事。両方を理解出来る人間は少ないわ。その見極めが出来る人間も。大抵は、知るべき事を知ろうとしないか、知らなくても良い事を知ろうとするか、そのどちらか。貴方はどちらでもない。この場所や、私達についてを尋ねようとはせず、その代わり――――己が知るべき事は解っている。ええ、そう言う賢い人間は、嫌いではないわ」

 真意は見えない。見えないが、多分、楽しんでいるのだと思う。
 人間ではない――――と言う事は、彼女も水鳥楠穫と同じく、人ではないと言う事か。まあ僕だって人間かと言われればギリギリ人間の範疇だが、そろそろ逸脱しかけている。敢えて口に出す必要も無い。
 人間と人外の境目など、あって無い様なもの。違いなど些細なことだ。人を襲うとか恐怖の対象であるとか。だったら僕もそう違いはしない。

 「さて、まず前提を一つ。貴方は、根本的な原因を潰さない限り治りません。貴方が呪いを解除する。そうなって初めて悪夢と苦痛は消えます。――――私の薬は、苦痛を取り除き、悪夢に伴うダメージを回復させる事は出来ますけれども、ね。常時責め立てている『祟り』を切り離す事は出来ないわ」

 淡々と情報を伝える。初めからそう言ってくれる辺り、世辞や虚偽とは無縁の人らしい。
 その方が僕も気楽だ。

 「では何故、貴方を見るか? それは簡単な話。……貴方が呪われている背景には、私も関係しているからよ」

 「……何が、どう関係しているのかは」

 「秘密。貴方には直接は関係ないもの。それに――――関係が有るとすれば、尋ね先は私ではなく、楠穫の方が詳しいわよ?」

 「…………」

 聞いても答えてくれそうになかった。ならば尋ねるのは無粋と言う物だ。
 祟られている僕だが、触ってはいけない存在を見極める事は上手いつもりである。

 八意さんは、背後にいた稲葉さん(優曇華と呼んでいた。彼女の名か)に何かを囁き、部屋から退出させる。誰かを連れてこいと言っていた。僕に合わせる相手なのかもしれない。
 グリューネさんはグリューネさんで『では、私はエルと外来に居ます』と言い残して出て行った。エルが誰だかは知らないが、一般の客も来ている事が以外だった。

 部屋の中に、僕と八意永琳と水鳥楠穫。
 三名だけが残される。何をされるのか、と少しだけ身体に緊張が走ったが――――それを自力で解放した。水鳥楠穫が連れて来たのだ。ならば信じよう。

 「それじゃあ診療を始めましょう」

 彼女は、静かに掌を僕に向けて。
 くすり、と頬笑み、呟いた。




 ――『胡蝶夢丸ナイトメア』――




 視界が、霞んだ。




     ●




 夢と記憶は密接な関係が有る。安心なさい。心に踏み込みはしないから。

 そんな声が響いた時には、僕の視界は白く染まっていた。霞みか霧か、唯白いだけの世界だ。夢の中。記憶の中に有る限りでは、悪夢しか見なかった僕にとって――――ただ、普通に夢の中の漂う体感は、初めてだった。
 ゆらゆらと揺れる空気は、仄かな温かみを伝えて来る。悪くない感触だ。

 八意永琳は薬師だと言った。それも、あらゆる分野に効果を齎す薬師だと。抗鬱剤や栄養剤、興奮作用のある薬。そう言った薬が巷には溢れている。ならば心療も診療もお手の物と言う事か。
 起きているかは解らない。だが、思考能力と冷静さと、彼女の問いかけに答える意志は残っていた。




 ――貴方の名前は。
 御名方四音。

 ――生年月日は。
 198……9年、8月8日。

 ――家族は。
 既に、亡い。

 ――では、記憶に残っている家族は。
 父親だけ。

 ――両親の名前は。
 父親は、御名方三司。
 母親は……御名方、参。……まいる?

 ――では、両親の死亡動機は。
 父親は、今から8年前。1998年の――『御柱祭』の下社・木落坂で死亡。
 母親は、……病死とだけ。

 ――父親の事は、何処まで知っていますか。
 ……地元の高校を卒業後、東京の大学に進学。その後、外資系企業『ボーダー商事』に入社。日本を拠点に貿易に携わる。海外出張も多く、当時の土産が家に残っている。……後、母の病死を契機に退社したそうですが、僕にその記憶はありません。――――稼いだ遺産と人脈を基に資金を運用し、投資で利益を上げる。……その遺産は、現在は僕の名義になっている。

 ――貴方の家には、何が有る?
 色々と。生活に必要な物は全て。

 ――父親が持ってきたもので、印象に強く残っている物に、何が有ったかしら。
 ……人形。オルゴール。時計。お守り、など。

 ――良いわ。では次、貴方の母親の事を話して?
 ……全然、全く知りません。

 ――それは、何故?
 何故か、と言えば……。………………。

 ――疑問に思った事は無い?
 ……なかったですね。




 質問は続いて行く。
 冷静に、順当に。
 僕が答えを持たない、幾つかの疑問を生みだしながら。




 ――質問を変えましょう。貴方の身近にいる人物を一名、上げて下さい。
 水鳥楠穫。

 ――では、全く関心がない人物を一名、上げて下さい。
 誰でも。僕の関心が有る人間は、両手の数で足ります。それでも敢えて無関心な相手を言うならば、入り婿だった父方の親類縁者です。僕の金しか見ていません。

 ――では、最も気にしている人物を一人、上げて下さい。
 ……東風谷早苗。

 ――彼女を上げた理由は?
 ……嫌でも、僕に近い場所にいるからです。

 ――彼女の事をどれくらい知っていますか?
 ……東風谷早苗。16歳。五官の祝『神長官』の跡取り。人ならざる血の発言か、髪と瞳は緑色。普段は其々、髪染めとカラーコンタクトをしている。現在は後継者としての修業を積みながら、師でもあり現『神長官』でもある祖母・東風谷千種と生活中。母親は既に他界。父親は健在だが東京に単身赴任し、国家公務員。……親友の古出玲央と共に、学校生活を満喫し、生徒会に。権謀術数を巡らせている。……なお、古出玲央と共に中学校時代は、当時通っていた学校を裏から支配していたと言われている。

 ――では、彼女を。
 ――彼女を、貴方は、どんな風に思っていますか?
 …………。
 ………………。

 ――言い変えましょう。
 ――貴方は、本当に。
 ――本当に東風谷早苗を、殺したいのかしら?
 当然です。

 ――即答できるのね。
 ――そう。ならば何も言わないわ。……では、最後。
 ――貴方は、自分がなぜ、呪われているのか。
 ……知りません。

 ――なら、私から言う事は一言だけよ。
 ――『思い出し』なさい。御名方四音。
 ――遠い遠い、遥か過去の記憶。
 ――“前の貴方”の事をね。




 くすり、と微笑んだ八意永琳は。
 ここではない、何処か遠い時代を見ていた気がした。




     ●




 月曜日。既に学校も夏休みに入る直前であり、空気も何処か浮ついている。そんな明るさを、どこか遠くに感じながら、御名方四音は常の如く生徒会室にいた。
 仕事は無い。殆ど全て終わらせてしまっている。それでも学校に来ていたのは、成績を確認する為だ。内申評価は実は悪い四音だが、生徒会長という題目で緩和されるし、テストの成績は文句が付けようがない。そんな結果は良く知っていたが……まあ、それでも顔は出したのだ。

 「お早う」

 「…………」

 お早うございます、と小さく、入室してきた水鳥楠穫に頭を下げる。
 ごく一部の相手にだけは、四音は其れなりの対応をする。

 「調子は、良さそうだな」

 「……お陰さまで」

 四音は、感情を表に出さずに淡々と頷いた。
 あの後、目が覚めた時には再度、隣室で横に成っていた。それまでの問答が全て夢であったかの錯覚さえ受けた。応答は記憶に刻まれている。むしろカウンセリングに近かった八意永琳の診察は、四音に僅かながらの変化を与えていた。

 (――僕自身が知らない、何かが有る、か)

 心情的な変化ではない。天才の四音が、僅かに自分を自覚しただけの話。
 自分の記憶も、案外頼りにならないらしい。
 八意永琳は、僕に『前の自分を思い出せ』と言った。その意味の推測は……全くない訳ではない。
 ヒントは己の中に有る。自分が解らない事を探すのは久しぶりだ。だから、少しだけ気分が高揚しているのかもしれない。きっと他の人間には、何も変わらずに見えるのだろうけれど。

 「なあ、四音」

 「はい」

 「……どうだった?」

 「有意義では有りました。……面白い少女にも会えましたし」

 目覚めた後に、一人の少女と対面させられた。何処かで見た覚えが有る、一人の少女だ。いや、少女と言う程育ってはいない。まるで幼女。金の髪に菫色のドレスを着た女の子。

 名前を、メディスン、と言ったか。
 優曇華と呼ばれていた彼女が、僕の診察の合間に呼んで来たらしい。

 『貴方。……昔、私を持っていた人ね』

 一目で分かった。
 昔、父親は人形を買って来た。古風な、古びた人形。どこで手に入れたかは知らないが、随分と変な土産物だった。結局アンティークとして硝子の箱に入り、家に陳列されていたが――――人形は、何時の間にか姿を消し、今では部屋の片隅に虚ろな硝子箱が置かれているだけである。
 東風谷や古出も知っている筈だ。彼女達が家に訊ねて来た時もガラスケースは其処に有った。誰一人ケースを開ける事も無いまま、寂しく放り出されている。もう暫く前から。
 中身の彼女は、盗まれたのかもしれない。彼女が勝手に消えたのかもしれない。四音は消えた時も、対して驚きはしなかった。まあ、そう言う事もあるだろう。悪夢に比較すれば、全然なんともない事だった。
 だが――――。

 『何かな、お嬢さん』

 『捨てた人間は癪だけど、私は貴方のお陰でもあるわ』

 一つ分かった事は、その人形が、妖となってこの場所に来ていた事実。過程は知らない。彼女に興味も無い。だが、少なくとも彼女の存在の一端に関わっている。そう考えれば、案外、忌み嫌われる性質も悪いばかりではないのだろう。今も御名方の屋敷に化物の一匹や二匹いても、全く変ではないのだし。
 そう考えると、途端にデメリットやリスクが些細な事に思えて来た。

 『だから心臓に効く、お呪い』

 そう言って、特性の薬を投与してくれた。彼女の住んでいると言う、鈴蘭畑の力だ。鈴蘭の花は心臓に強心効果が有る。八意永琳の診療・治療と相まって、健康状態は少しだけ良くなった。普通に出歩いて心臓が悲鳴を上げない。
 その普通は正直、少しだけ有り難い。普通に戻るつもりはないが、擬態をするつもりはあるのだ。少なくとも目的を達成するまでは。

 「……ええ、経験と言う意味では、他とは一線を画します」

 そう。有意義では有った。色々な意味で。時間こそ短かったが、あの『永遠亭』での“会合”は、四音にとっても良い物を得たと実感させた。言葉にすれば、実感させただけ、という非常に短く簡単な一言に成ってしまう。けれども。

 「……久しぶりです、こんな感覚は」

 心が大きく動くのは、四月に感じて以来だ。
 八意永琳との接触は、自分に――――ある意味、確かに薬を投与した。自分が知らない、自分が知るべき事実が有る事を教えてくれた。効果はあった。だが、薬には必ず副作用がある。

 「――  っ」

 くふう、と大きく息を吐いて、生徒会室から窓の外を見る。
 あの時あの入学式で。東風谷早苗を見た時に四音の心は揺れ動いた。喜怒哀楽を封じ込めたのが何時の時分だったか覚えていない。悪夢に魘され、苛まされる度、心は摩耗し感情を消して行った。そうでなければきっと壊れてしまっていた。




 四音は、渇いているのだ。何よりも自分の心が渇いている。
 だから、心を動かしたい。
 どんな感情でも構わない。
 ただ、呪いによって喪失した感情が、何かで戻ればそれで良い。




 東風谷早苗を、本当に殺したいのか?

 八意永琳はそう言った。ああ、勿論だとも。僕は彼女を殺したい。悪夢の中の少女と、何かが重なっている。勘や推測ではない。それは確固たる確信だ。呪いと東風谷は、そして多分ミシャグチと洩矢は繋がっている。鍵は自分と彼女だ。だから、御名方四音は彼女に固執している。
 何より、彼女への殺意は心を呼び起こす。彼女を殺そうと思っている時は、自分が普通の人間に戻った様な錯覚を受けるのだ。だから東風谷早苗を殺したくて殺したくて、どうしようもなく堪らない。
 歪んでいる自覚はある。人の道から外れている自覚もある。けれども。

 「……先生」

 「何だ」

 昇降口に、女子高生二人の姿を見た。明るい古出と、清楚な東風谷と。二人は連れ添って歩いている。楽しそうだ。何を話しているのだろう。夏休みの話だろうか。
 古出が、自分の視線に気がついた。姿を見て指をさす。口の動きは――――オハヨウゴザイマス。読唇術で読んだ。嫌っている事は知っていたが、公私混同はしない。良い娘だ。そして“都合の良い”娘でもある。

 腕で自分の身体を抱き締めるように。まるで、そうでもしないと意志に従って、体が動きだしてしまうと示すかのように。狂おしい程の激情が暴れ出さないように。
 四音は彼女を見て呟いた。




 「古出玲央を殺すと……東風谷早苗は、どうしますかね?」






 翌日。
 先代生徒会長・佐倉帳が――――消息を絶った。














 誕生日とか御柱祭の日程とか、細かい数字は最新の話が正しいです。直しておこう。

 御名方四音。一日だけの《幻想入り》。序に、メディスンとの繋がりも回収。この辺は追々、八雲縁あたりが無駄に解説してくれると思います。家には結構、他にもフラグが有ったりしますよ。
 そして段々と超スペックが明かされる水鳥楠穫。何者なんでしょうね。この人(人じゃないですが)。

 ともあれ、時期は八月に……。こっから、やっと御名方四音が主人公っぽくなります。
 ではまた次回!

 (9月12日・投稿)


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