それが起こったのは突然だった。それまで"順調"に地球に向けて移動を続けてきたコロニーに変化が生じたのである。時間にして0083年午後4時30分(阻止限界点まで194分、地球落着まで494分)。後にこの出来事は所謂"星の屑"作戦の砲火の始まりに擬せられる。
午後4時30分、コロニー後部の姿勢制御用スラスターが点火。それまで前部を地球に、後部を月に向けて移動していたコロニーがゆっくりと反時計回りに回転を始めた。回転運動はコロニー自体の慣性を弱める方向で働いているようで、徐々に、ゆっくりと減速が始まっていることが観測されている(コロニー自体がAMBAC機動を行っているようなものだからだ)。
当然、いきなりのコロニーの動きに対し、デラーズ・フリートは可能な限りのコントロールを行おうと試みた。まず、後部にケーブルを接続してコロニーの航行状況を管制していたムサイからコントロールが試みられるが、アクセスが何らかのプログラムによって邪魔されている間にコロニーの回転によってケーブルが引きちぎられ、コントロールが失敗に終わる。
同時に周囲の部隊がコロニー近辺の警戒を強め、接近を行っていたヴォルガ級巡洋艦2隻、及び搭載MS部隊と交戦を開始した。この混乱に乗じてアルビオンがコロニーに接近を開始し、迎撃に出撃したグラードル隊をGP03が一蹴、コロニーにMS隊を侵入させることに成功する。
また、コロニーの動きの変化を察知した地球軌道艦隊は前衛部隊の前進を命令。プラズマ・レーザー砲艦2隻を第一軌道艦隊、及び第9艦隊の護衛で両脇から中央部へ移動させると、ミラーの第一回照射を阻止限界点以前、プラズマ・レーザーの最大射程範囲とリンクするように設定し、防衛体制を整えた。
コロニーの推進剤噴射による回転は、まるでそれが何かの歯車でもあったかのように全ての事象の動きを早めたのである。
「なんだ、この振動は?」
アナベル・ガトーは陸戦及び補修要員を率いてコロニーに侵入していた。現在時は午後4時半。早く前部航行管制室に行き、最終軌道調整用のプログラムをセットしなくてはならない。そしてそれと共に、デラーズ・フリートに潜入しているであろう勢力の情報も、だ。
「少佐!コロニーが回転を始めています!」
外を確認しに行ったエンジニアの一人が戻るなりそういった。ガトーの表情が驚きに変わり、また内心ではやはりと言う思いが強くなった。コロニーが回転を始めたということは慣性の移動で速度が減衰させられる。コロニー内部に残っている推進剤の量如何にもよるが、現在の残量から言って停止は不可能。となれば、減速させて狙いやすくし、何らかの方法を持ってコロニーを破壊するつもりだ。
「詳しく!」
「反時計回りに回転を開始!慣性が弱められて地球への移動速度が低下していきます!このままでは落着までの時間が倍になる可能性があります!」
その言葉と共に銃声が響き渡る。前方、港湾部管制ブロックの入り口辺りからだ。誰も引き返してこない。
「前方の状況は!?」
「不明!白い硬性宇宙服着用の部隊と交戦!あれは……レーザー!?敵の武器には手持ち用のビーム、もしくはレーザー光学兵器が存在!」
やはり!ガトーは口元を引き絞る。この宇宙で人間用光学兵器を実用化するほどの能力を持つ軍需企業など考えられる限りではひとつしかない。そして、その企業がある場所と最も関係が深い人間も容易に想像が付く。やはり、やはりか。
何故ですか、閣下!
「前方の敵戦力をひきつけろ!私は脇道から廃棄用ダクトを通って管制室に向かう!其処の二人、付いて来い!」
二人の陸戦兵は頷くとアサルトライフルを手に取った。
第70話
同様の混乱は侵入に成功した陸戦隊を追う形で前部港湾管制室への進路を取ったアルビオン隊でも見られていた。コロニー内部へ進路を取ったGP03を包み込むように攻撃を開始したデラーズ・フリートMS隊。火力に物を言わせてその攻撃を排除するとGP03はコロニー内部に侵入した。
侵入したウラキは目をむいた。コロニー内部をジェーン年鑑でしか見たことがないGファイターの改造機らしき航空機と宙間移動用のバイクらしき物体が飛行していたからだ。また、周囲に展開している兵員見たことのない宇宙服を着用している。
「なんだ!?こいつら!?」
あちらもこちらを確認したようだが攻撃はせずにコロニー前部に向かって飛行していく。……いや、前部に向かう途中で高度を上げて上面側のブロックへ移動していった。姿がすぐに見えなくなる。望遠機能を使って確認しようとするが追いつかない。煙幕かそれに近いもの―――可視光線は遮らないくせに光学観測機器の機能だけを潰す何かを用いている。勿論ミノフスキー粒子は戦場以上の濃さだ。
「ウラキ!工作隊より入電!後部及びコロニー各所に爆薬の設置完了!あとは前部だけだ、急げ!」
バニングの声が響くが、それと同時に銃撃。どうやら、ジオン軍MSの攻撃らしい。視界の隅を何かが掠めたような気がするが気にはしない。ウラキはそのままGP03をコロニーに着底させるとコクピットハッチを空け、コロニーに降り立った。目標は決まっている。前部航行管制室。恐らく、ガトーはそこにいる。
「……ウラ……キ!何を……して……!戻……!」
バニングの声が響くがウラキはそれを無視して近くのエレカに乗り込むと前部港湾ブロックへ車を走らせた。
コウ・ウラキ中尉。ナイメーヘン士官学校を0082年に卒業した新任士官。連邦軍のエリートコースの一つでもある空戦士官過程を優秀な成績で卒業している。特に、乗った機体の性能を高いレベルで発揮させることに長けており、士官学校時代にはMSおよび航空機運用では優秀な成績を残している。
その彼が初の実戦を迎えたのがオーストラリア・トリントン基地だった。連邦軍の士官である事をアイデンティティのひとつ、特に重要なそれとして認識していた彼に取り、大尉の階級章にだまされる形でアナベル・ガトーによるガンダム二号機強奪を目前で許したことは、これ以上ほどの強い自責の念として彼の心中に刻まれた。勿論それは、ソロモン海での攻撃を防ぎきれなかったことで罪以上の意識にまで肥大している。
その反面、パイロットとしてアルビオンで過ごした生活は、彼の連邦軍MSパイロットとしての自己規定を肯定する形で進んだ。キンバライト鉱山基地攻撃、及びソロモン海でのジオン軍MSとの戦闘、そして年上の恋人、ニナ・パープルトンとの関係は、彼の精神にちょっとした慢心の種を植え付けていた。
勿論それは若い士官には当然発生し経験する出来事の一つであり、本来の歴史であればバニングの戦死やケリィ・レズナーとの戦闘の経験で生じたパイロットとしての自信喪失とそこからの回復によって克服されるべきものであったはずだった。
本来の歴史であれば。
しかしこの世界ではその二つの出来事は巧妙といって良いほどの介入によって発生しなかった。このため、作中で"僕がガンダムを一番上手く扱えるんだ"というセリフによって表現される彼の認識は、なんら変わる事無く残り続けていた。
だからこそ、彼は彼のそうした認識を最初に否定したアナベル・ガトー、そして彼に代表されるジオン軍に対する敵愾心を、誰もが見えない心の内で肥大化させていくことになった。勿論、GP03に乗り込んでからというもの、打ち続く戦闘で彼の体に打ち込まれた対G剤も強い影響を与えている。
本来は強化人間用の薬剤として開発されたものの一つであるそれは、投与されたものの肉体を高G環境下に対応させる代わりに精神的な視野狭窄に陥らせる副作用を持っていた。連続投与を続けた場合の最初の症状は全てが敵に見えるというこれ以上ないほどの欠陥薬物であったが、投与の回数を軍医がコントロールしていれば問題ないとして等閑に付された。
勿論この判断には開発に関わった医療関係者からの厳しい管理を義務付ける書類が添付されていたが、ラビアンローズから急いでGP03を受け取り、ジオン軍及びコロニーの追撃を始めたアルビオンの医務室では受領した医薬品の確認すら終わっていない段階でしかも、コロニーに危険なまでの蝕接を三隻という小部隊で続けていたこともあって発生した負傷者への対応に追われて確認が出来なかった。
そしてこれが二つ目の原因として、問題に対して働くこととなる。
ウラキはそのまま前部港湾の管制ブロックの入り口まで到達すると警備室のコンピューターを操作して内部の地図を入手し、警備室に併設されている監視カメラで通路の封鎖状況を把握すると短時間ゆえに封鎖が不可能だった物資搬入路を使って管制室へ移動を始めた。
彼の手には、軍制式の拳銃が握られていた。
浅はかだった。コウ・ウラキの思念が復讐(そう呼べるかどうかはかなり微妙だが)に囚われているのとは対照的に、アナベル・ガトーの思念は後悔そのものだった。勿論その思念は、自分が今後ろ手に拘束されて前部航行管制室への道を進んでいることが原因となっているためである。
廃棄用ダクトから二名の陸戦隊員と潜入したは良いが、前部航行管制室まであと少しと迫ったところで青い硬性宇宙服を纏った士官に指揮された、白色の硬性宇宙服の集団に阻まれた。勿論それだけならば諦めて引き返すか他の手段をとるべきところであろうが、二人の陸戦隊員が急に銃を構えて自分を拘束し、硬性宇宙服の集団と親しげに合流した今となっては無理だった。
「答えろ、貴様たちは一体何者だ?」
「申し訳ありませんが、少佐。将軍より少佐をお連れするようには命じられましたが、質問に答えるようには命令されておりません」
自分を連行している硬性宇宙服の男たちは確か、ヤコブとヴィルヘルムとか呼ばれていたはず。双子だろうか声がそっくりだ。話しかけて情報を引き出してみるか。
「君たちは一体何者だ。所属は?将軍とは誰だ?」
「申し訳ありません少佐。我々も任務でありますので。ヴィル、そろそろだぞ」
「了解だヤコブ。少佐、こちらへどうぞ。閣下がお待ちかねです」
航行管制室の扉をくぐると、ガトーが待ち望んだ人物がそこにはいた。ノーマルスーツのバイザー越しに、この三年、生存を待ち望んだ人物の顔が見える。そして勿論その傍らには、三年前と変わらずに、寄り添う少女の姿があった。
「ガラハウ閣下……っ!」
「アナベル・ガトー少佐、か。三年ぶりになる。ア・バオア・クーでは世話になった。姉さんが助かったのは君のおかげだ。ありがとう」
ガトーはそのままトールに走りよった。詰め寄ろうとするが腕が拘束されて動かない。もう少し、と言うところで阻まれた。立ちふさがったのはハマーン・カーン。三年前よりも女らしく成長した彼女は、まさしく"女"らしく、守るべきものの前に立っている。
「カーン家のお嬢さん!?何故だ、何故君や閣下がここにいる!?閣下、あなたはここで何をしているのです!?閣下、あなたはジオンを裏切ったのですか!?それにこの軍隊は!?連邦軍ならばまだしも、我がデラーズ・フリートにまで部隊を潜入させているなど!」
「死者合計65億4500万人。軍人を除いて、だ。何の死者かわかるか、ガトー」
トールは一言、そういった。いきなりの数にガトーは驚きを隠せない。それだけの戦死者が出た戦争など存在しない。一年戦争でさえ、公称で8億2300万人の被害だ。それだけの死者など、戦争では生じ得ない。そんな戦争は、人類は経験していない。
「本来の一年戦争での死者合計数だ。ブリティッシュ作戦の前提となった一週間戦争で、ギレン閣下が他のサイドへの無差別攻撃を認可した場合、及び、地球降下作戦の際に質量爆弾を用いた際の地球気候の変動による死者も合わせてある。聞かせてくれ。宇宙の独立と死者。見合うのか、君にとっては?」
「……しかし、その死者は出なかった!閣下、推測で話をされても答えようがありません!」
トールは首を振った。
「私が出させなかったのだ、少佐」
「……一体、閣下はどういう目的で!?ジオンの理想、スペースノイドの独立のために……」
「それも私の目的の一つではある。しかし、ザビ家のジオンの理想は、デギン陛下の思想からはずいぶんと離れていった。ギレン閣下はジオンの経済力がコントロールできる規模にまで人類の数を減らそうと考えていた。勿論、地球上の人口は地球を汚染するだけの存在だとして全て抹殺する予定だった。最終的に地球圏の人口を、恐らく10億程度にまで減少させる予定だったのだろう。そうでなければジオンの経済は持たないからな。しかし、ギレン閣下には予測できないこともあった」
「そんな!100億近い人間を虐殺するなど!?」
「事実だ。証拠が欲しいならいくらでもある。必要ならば総統秘書官のアイリーン女史に証言させても良い。私の目的は人類の種としての生存、及び人類が到達しえた知見の保護にある。デギン陛下に協力しジオンとして活動したのも、その目的のためだ」
ガトーは黙る。親衛隊第二艦隊の司令官であるトールが、自分の知らないギレンを知っている事をガトーは知っている。そして、トールがどちらかと言えばギレンに近い存在では無くデギンに近い存在であることも。それに問題はない。ガトーにとってはどちらも尊敬すべき存在だ。スペースノイドの独立を達成し国家を創設したデギンと、その国家に誇りある軍隊を創設して10倍する連邦軍と戦って見せたギレン。双方共に卓越した政治家だと思っている。
だからこそ公国親衛隊にトールの推薦で配属されたときは誇りを感じた。だからこそキシリアの存在が許せなかった。底の浅い陰謀家はついには戦争全体を失う結果をもたらした、そう考えていたからだ。そしてギレン・ザビは自分にとって守るべき公国の象徴であった。
しかし、その考えは三年の間に変わりつつある。トール戦死の報に接してから脱出の可能性を探ったのは当然だが、脱出していたときの事を考え、当然行方を追いもした。その中で手がかりになるかと思い、一年戦争時代のトールの動きを追った。その中で見えることがあった。それがガトーを少しだが変えている。
トールの作戦行動を追うと、ギレンが少なからず、トールの行動とかぶらない――まるで、トールを排除しようとすれば危険であるかのように――範囲で自身の権力拡大を行っていた。その記録をガトーはグワデン艦内で見た。そしてまた、トールにキシリアの始末を押し付けた地球降下作戦後の権力闘争はガトー自身の目からしても行き過ぎと思える部分があった。これまではそうでもしなければキシリアを押さえ込めないと感じていた。しかし、特に地球撤退後は異常だ。キシリアをトールの配下に形の上でもするなど、一年戦争の際にはキシリアを押さえつける絶好の配置だと感じられたが、内実を見ると戦争の推移よりも、月でトールとキシリアの噛み合いを誘発させたとしか思えない行動だ。
「ジオンの経済力が10億の人口を支えられる力があったのは、工業コロニーであるジオン製品の輸出先として、各サイドがあったればこそだ。その市場を自ら潰す行為に出れば、ジオンの経済力は遠からず先細りする。となればどうなると思う?10億の人口を管理できる力が先細り、100億を殺しつくしても尚、更に人間を殺しつくすことになる。勿論そうはならないように他のサイドを経済的に支配すると言う方法もあるだろうが、早晩、反乱を招いていただろうな。結局支配者がスペースノイドに変わっただけで、連邦政府と行うことに変わりはない」
ガトーにとっては自身で想像はしつつも聞きたくない結論だった。しかし、正しいと感じてしまう自分を認識している。一年戦争開始前、トールは軍人、特に士官教育にはデギンの影響力を十二分に生かせるような配置を為していた。ギレンの目が軍に光っている事を逆手に取り、新規士官教育にダニガン中将やカーティス大佐などのザビ家独裁に対して批判的な軍人を、閑職的な配置、と言う名目で配していた。それはジオン軍人の練度を更に高める結果をもたらし、戦争の激化をもたらすことを承知していたが、その一方で正式な士官教育を受けた軍人が生み出されることは、ともすればただの虐殺の応酬になりかねない戦争に、軍人の良識と言う最後の一線を敷く役目も果たしていた。
「……それが閣下の考えですか。だからこそジオンでも連邦でもない行動の道を選ばれた、と?」
トールは頷いた。揺らぎはあるが、決断は疑っていないようだ。
「ギレン閣下その人に否やがあるわけではない。閣下は戦死しても尚閣下と呼ぶに値する能力と指導力を持ち、一年戦争を一年と戦いぬけたのは確かに、ギレン閣下の指導力を抜きにしては語れない。また、現在サイド1と月が独立しスペースノイドの未来に光明が見えたのも、スペースノイドの間に鬱屈としてたまる不満をギレン閣下が吹き出させて見せたからに他ならない。しかし、だ。しかしだよ、ガトー。教えてくれ。今のジオンはギレン閣下のジオン足りうるのか?勿論、私はデギン陛下に近いと自らを任じているから、そこからがわからない。ジオンは、"ジオン"なのか?」
ガトーは瞑目し、頭を振った。スペースノイドの独立を言い訳に生物兵器の散布を狙った水天の涙。それがガトーをしてジオン残党についてもう一度考えさせるきっかけとなったのは確かだ。生物兵器という、旧世紀から使用が禁止されているはずの禁断の兵器を使っても尚、達成すべき理想がジオンにあるのか。そして―――
地球人口が35億残り、其処に食糧難を発生させることになれば当然発生するだろう飢餓の死者に対して独立が言い訳になるのか。
「しかし、何故。……閣下ほどの方であらばギレン閣下をして……」
トールは自らを守るようにガトーとの間に立っているハマーンの方に手を添え、横に退かせた。視線だけで会話をしているようにも感じられる。数瞬の後、うなずきあった。何か、了解に達したらしい。トールは言葉を続けた。
「ハマーン・カーン。キシリア機関のチェックに寄ればニュータイプ候補生。キシリアがサイド6に作っていたフラナガン機関では、ジオン・ダイクンの定義したニュータイプを兵器として実用化する研究が行われていた。君も知るシャア大佐のジオングがそれだ。勿論、ソロモンからア・バオア・クーにかけて投入された独立300戦隊の使用MA、エルメスに使われていた技術もそれ。そして御存知、アインス・アールについても、だ。彼らがどのようにして"製造"されるか知っているか?」
"製造"。ガトーはその言葉で何が行われているか容易に想像がついた。キシリア機関が占領地や貧民区に出入りして何かをやっていることは寄港したコロニーでもよく噂になっていたし、自身がデラーズに近かったこともあってそうした情報には接している。アクシズから派遣されてきたイカルガ中尉と会った際には、まだ年若い少女が巨大MAを操り、しかもそれが"調整"とやらのおかげだと聞いてショックに近いものを覚えたのも確かだ。
「キシリアは良い。もう死んでいるからな。しかし、キシリアが行おうとしていたことをギレン閣下も行っていた。いや、行おうとしていた。勿論実用化には程遠かった。ハードウェアであるMS、MAについては君も見たジオングが示すように一応の完成を見ていたが、ソフトウェア、つまりパイロットの養成でくじけていた。人体実験以外にその時点では方法が見つからなかったからだ。それでもパイロットの製造は強行された。ギレン閣下にはニュータイプについて軍事用以外にももう一つ要求があったからだ」
「それは……?」
「ザビ家からニュータイプが出る必要を感じていたこと、だ。政敵であるジオンの思想を本当の意味で受け継ぐためには、ザビ家のニュータイプが必要だった。そのためにザビ家の血縁からニュータイプ機関に送る人材を探してもいたし、自身や縁戚のDNAをニュータイプとしての能力を発現させたもののDNAと掛け合わせることで人工的にニュータイプを作ることも考えていた。……ミネバも対象となっていたよ。ソロモンから脱出しようとしたゼナ殿とミネバが秘密警察の標的になったのはそういう理由からだ。決して、反体制派のせいではない」
ガトーは目を見開いた。その言葉にハマーンがトールに寄り添うのが見える。ガトーには少女の姿が今ここにいないミネバの将来の姿と重なって見えた。ミネバ。ミネバ・ザビ。ドズル閣下の娘も対象になっていた!?ガトーの内心に更なる衝撃が走る。ガトーは親衛隊に所属が移る前は宇宙攻撃軍所属でドズルの部下という経歴だ。そして、自身もMAを駆って前線をかける軍人然としたドズルの行動は、全ジオン軍人から敬意の対象となっていた。どんなにザビ家に不満や侮蔑の意を表す者でも、ドズルの軍人としての行動には非がつけられなかったほどだ。それほどまでに兵たちから愛された将軍だった。
そのドズルの娘をニュータイプを確保するための人体実験に供しようとしていた事実は、ガトーの中にドズルに対する忠誠心とギレンに対する忠誠心の間でのジレンマを生み出した。キシリア機関から目の前の男が多くの子供たちを助け出していたことはデラーズを通してガトーも知っているし実際助けられた子供たちを目にしてもいる。一年戦争を利用して戦争犯罪とも言える行為を重ねるキシリアを、ザビ家という理由から逮捕できないが故に、キシリア機関に対して公然と襲撃をかけ続けるガラハウ機関とその功績については、親衛隊は外には出せない秘密、しかし痛快で心暖まるそれ、として喜んでいたものだ。
ガトーの精神は強く揺さぶられていた。目の前の男がハマーン・カーンという少女を大切にしている姿は一年戦争からずっと目にしている。だからこそ、人体実験だのニュータイプだのといったお題目をこの男が心底嫌っていることは充分知っていたし、このような内容で嘘を付く男でないことも一年戦争から解っていた。キシリアというジオンの毒の存在が、ギレンと言うジオンの正しさの象徴で戦う自分を規定していたこともそれに重なる。
しかし、だからといって目の前の男を肯定することも出来ない。これでは自分は何を信じればよいのか。敬愛する人物が実は。これでは自分はとんだ道化ではないか。
「閣下、星の屑作戦は打ち捨てられた宇宙に今一度、地球の人々の目を戻す作戦であります!そのために……」
「飢餓に苦しんだ結果、10億近い人間の死を許容しろ、と。……デギン陛下の前で言えるのか、それが。我々は単なる人殺しのために戦っているのか、ガトー?ジオン公国が命を賭けて望んだ戦争の大義であるスペースノイドの独立は、世論醸成のために10億の餓死を許容するのか?」
トールはコンソールの前に歩を進めた。
「ジオンが戦っている地球連邦とは何なのだ?スペースノイドが憎む地球連邦とは何なのだ?地球で貧困にあえぐ人々なのか?このコロニーが目標とするところは何だ?ジャブローならば良いだろう。其処にいるのは軍人で、地球連邦に命をささげるといった人間たちだから。しかし、北米に落して命を失うのは誰だ?スペースノイドの独立のためには地球にいる全ての人々を憎むしかないのか?空気に税金がかかることが其処までの理由になるのか?すまん、ガトー。そうであるならば私は理解などしたくない」
トールはそういうと推進剤点火レバーに手をかけた。引けば、第二段階の推進剤点火が始まる。今度は地球に正面を向けた際に断続的に推進剤に点火を行ってコロニーを減速させるための点火だ。これによってコロニーの地球落着は大幅に遅れ、現在地球静止軌道上に展開している戦力であれば、楽にコロニーを破砕して大気圏で燃え尽きる大きさに分解できるだろう。コロニー各所に爆薬が仕掛けられて破砕準備が整っているのであればなおさらだ。
「星の屑の真の目撃者は、ここにおいては君と言うことになるのか、ガトー」
「閣下!?それはどういう……!?」
其処まで言ってから急にトールは何事かに気付いたようだ。周囲の状況を見回してから控えていた兵士に向かって怒鳴り始めた。
「周囲を警戒!侵入者が……」
銃声が響き、室内を血球が舞った。