宇宙世紀成立以後、その後の歴史は少々の変動を入れられたものの、概ね史実どおりの展開となった。
月の衛星軌道との兼ね合いで安定しているラグランジュポイントL5、L4にそれぞれサイド1(ザーン)、サイド2(ハッテ)の建設が、UC0010年、開始された。目標設置コロニー数各250基、農業・居住用コロニーとして島3開放型を建設し、コロニー1基当たり1000万人を限度として移住させる。
建設に伴い、エネルギー源としてヘリウム3を用いる超大型核融合炉を建設し、ヘリウムの確保ため、木星へ派遣する船団の運営組織として木星公社を設立。収集船や、宇宙用船舶の造船は初期こそ地球で行うが、効率と運用を考慮し、月面での建造が行われることとなり、この収集船の建造は、恒久都市『N1』にて行われることとなった。
0016年、サイド1に24基のコロニーが建設された段階を以て連邦移民局が設立、人口の多い中国より移民が開始されると発表されたが、これに対し中国が反発。0017-22まで続く「居住権戦争」が開始される。全世界対中国(後に中国の強い影響下にあるアフリカ諸国も参戦した)のこの戦争は、地球に対する居住権という新しい特権の存在を人類に意識させたが、史実どおり、0021年に終結。連邦は「地球からの紛争の根絶」を宣言した。
0027年、地下拡張工事に手間取る極冠恒久都市「N1」を尻目に、静かの海に建設されたフォン=ブラウン市が完成。入植が開始される。0032年までに「N1」、「グラナダ」を初めとする16の都市が完成。月面の総人口は30億に達した。
0034年、L2にサイド3(ムンゾ)、L5にサイド4(ムーア)が建造開始。サイド3には、工業用コロニーの試験として島3閉鎖型が導入された。しかし、工業生産に伴い発生する空気中の微粒子回収の目処が立たず、居住人口が、開放型に比べ圧倒的に低下(1基当たり100-200万人)。居住人口を制限しても3年に1度、空気の全面的入れ替えと、微粒子回収フィルターの全交換を必要とするためコロニー維持費が増大。居住民に対し、重い空気税が課せられる。
0045年、サイド3を中心に地球を聖地とし、地球人口の低減による環境回復を求めるエレズムが広まる。背景に、地球からの大気輸入の際、地球側が加工費用の一部として汚染除去費を繰り込んでいたことがある。「地球の大気=安全な大気」との印象が強い民衆にとり、汚染除去費は代金のつり上げと映ったようだ。
また、この都市、ルナ2が地球圏へ曳航され月軌道上で資源採掘を開始。思想家ジオン・ズム・ダイクンがサイド国家主義思想「コントリズム」を提唱し、重い空気税に悩むサイド3にて爆発的に広まることとなった。同じ年、サイド5(ルウム)、6(リーア)が建設を開始。
そして歴史の改変が始まる。
第03話
0061年、アメリカ。
ここは地球、アメリカ行政区マサチューセッツ州ケンブリッジ。あの有名なハーバード大学の構内である。連邦政府の設立以後、アメリカ政府の要人を輩出する大学から連邦政府の要人を輩出する学校へと移り変わったこの大学で、現在、タマーム・シャマランGSAS主任教授が、サイド3を中心に拡大するジオニズムの批判演説を行おうとしている。
歴史どおりならば、この時、シャマラン氏は暗殺され、アースノイドはスペースノイドに対する対抗思想を持たないまま戦争に突入し、感情的対立の激発を招く。イデオロギー紛争の側面もある一年戦争では、やっぱりこの点もつぶしておきたい。
「しかし、ザビ家の暗躍って、この時から根深いねぇ」
「トール様。バラライカ女史より4人目の排除が終了したと連絡がありました」
ロベルタの声に私はうなずいた。
講堂。演説会場として開放されているこの大学の周囲は、連邦からの独立を唱えたサイド3に対するデモで埋まっている。本日演説を行うシャマラン教授は、宇宙の独立に対して温情的だからなおさらだ。ここでの演説も、大多数が独立を宣言したジオン・ダイクンへの応援演説と解されている。
事の発端は、サイド3が行った、地球連邦への債権放棄要求だった。
宇宙空間に平均800万人が住む大地を建設する。勿論多額の金が必要になる。連邦政府が当然、その建設費用の大半を出すのだが、コロニーの建設予定数が人口増加を考慮した場合、1000を越える可能性が示唆された段階で、建設費用の一部をコロニーに移住する住民に求めた。そこまでは良い。
通常のコロニーの場合、1基の建設費用を800万人口で負担し、税としてそれを払う。収入としても外壁にある商工業区で生産される小規模工業製品や、農業産品で充分な利益を確保しているから、その運上利益で支払いもたやすい。1000万人で割るとなれば一人当たりの金額も小額だ。
しかし、サイド3は工業コロニー、いや、工業サイドを志向した。人口は1基当たり大体150万人。しかしコロニーの建設費用は変わらないから、単純計算で5倍の費用を支払う必要がある。これでは、いくら工業製品が売れてもおっつかない。その上、工業用コロニーは維持費が高いのだ。
結局、サイド3の財政はギリギリの段階で、連邦・月面都市連合からの資金援助と債権のモラトリアムでどうにかなっている。そこにジオン・ダイクンは債権放棄―――つまり、借金を無い物として扱い始めた。
この暴挙は衝撃的な影響を地球圏の経済に与えた。サイド3には工業用コロニーが20基、それに開放型コロニーが25基ほどあり、人口は1億5千万から2億人程度(これはサイド当たり15億の人口を考えた移民計画からすると驚くほど少ない)で、当然債権の額も大きい。これが一斉に不渡りとなったため、サイド3に投資していたマネーファンドが軒並み倒産、取引の停止と相成った。
そしてそれだけではなく、数年後に国家として独立するとまで言い放ち、認めたくないなら連邦議会下院への議員派遣権を要求したのだ。連邦憲章第15条の必要条件は5億を突破することを明記しているにもかかわらず。債権放棄による地球経済への打撃にくわえこの要求。ジオン支持、ないし協調派として知られるシャマラン氏は地球の裏切り者となったのだ。
しかし、本当の意味でシャマラン氏を知るものは、この日の演説が急進の度合いを強めるジオンに対する批判演説となる事を知っている。それは、批判される当のジオン・ズム・ダイクンこそが良く知っている。知っているからこそ―――排除するのだ。暗殺という手で。
「暗殺を手配したのは?」
「尋問の結果、デギン氏のザビ家ではないようです。デギン氏は意外にハト派ですから……」
「ジオン・ダイクンその人の命令」
「その可能性はあります」
メイドではなく秘書の服装になっているロベルタはうなずいた。
「もろ左翼の内ゲバ」
「身も蓋もない結論だね、トール」
ロベルタの反対側、空席となっていた席に着いた若い連邦軍士官が言った。階級は少尉。
「でも、現実そうではないですか?ヤン・ウェンリー少尉」
苦々しげにモニターを見つめる年老いた女性。ローゼルシアは車椅子を苛立たしげに揺らせながら、隣に立つ男へ怒鳴った。隣に立つ男も表情は硬い。いや、むしろ女性よりも苛立たしげに息を吐き出すと、豪奢なソファへ音髙く座り込んだ。
「ジンバ、本当に送ったのだろうな」
問われた男、ジンバ・ラルはあわててうなずいた。確かに彼の―――使えるべきと定められている男、ジオン・ズム・ダイクンの言うとおり、タマーム・シャマランへ暗殺の手を伸ばしたのは彼だ。ダイクン自身、自分の説であるコントリズムを疑ってはいない。理想としては正しいと信じてもいるし、この時代に即した考えであるとの確信も抱いている。
問題は、ジオン共和国―――サイド3に、それを可能とするだけの経済力がない点にこそあった。
工業用コロニーは維持費が高い。独立を訴えかけるにしろ、サイド3自治政府の抱える債務について、連邦とのある程度の妥協が必要と考えるデギンを抑え、独立宣言を出したものの、債務放棄まで訴えたために経済封鎖を返され、サイド3政府は青息吐息となった。
工業用コロニーなど無くとも、月面恒久都市の抱える工場群で代替製品の生産は可能だからだ。特に、無酸素生産設備を持つ月面極冠都市『N1』は、ここぞとばかりに販路を拡大させていた。
サイド3の自給自足は、現在抱えている連邦への債務を変換することでようやく一息つけるのだ。その間に木星との航路を開通させ、無酸素生産設備に必要な核融合炉を持つ必要がある。太陽光発電では発電量が限られるし、化学工業の無酸素化には大規模な発電設備がいるからだ。
「シャマランめ……。地球に残った、残り続ける人類など、天から降る業火に焼かれ、死滅する運命にあると何故気づかん!?」
周囲の人間は目をあわさない。サイド3で絶大な支持を受ける宇宙の革命家は、結局の所こういうものだった。
『地球連邦の行政圏に属す皆さん、私は本学教授、タマーム・シャマランです』
「はじまったな」
連邦軍本部が置かれているニューヤーク市―――数年以内に現在、南米に建設が進められている新基地、ジャブローへ移転の予定だが―――の参謀本部ビルに、集まった壮年の軍人たちがテレビを注視している。
参謀本部作戦課長、シドニー・シトレ中将。第一機動艦隊司令、ヨハン・レビル中将、同艦隊所属『タイタン』艦長マクファティ・ティアンム大佐、彼ら二人をまとめる第一機動艦隊第一戦隊司令、アレクサンドル・ビュコック少将。恐らくは10年後の連邦軍の中枢を担う軍人たちだ。
「こんな放送になんの意味があります?申し訳ありませんが、小官は訓練計画の策定もありますので退室させていただきたいのですが」
「落ち着きたまえ、ティアンム大佐」
シトレ中将は言った。
「連邦宇宙軍の拡大整備計画が議会を通過し、10個艦隊を作るとなれば、基幹部隊の第一艦隊の訓練計画をつくるのも当然の措置だろう。だがな、我々から見てどれだけ暴論であろうと、コントリズムを提唱し、それが支持を受けている以上、次に来る戦争はイデオロギー色の強い物になる。戦うときの論破は必要だ」
レビル中将は頬を掻いた。主席卒業を初等教育から士官学校まで続け、40歳代の中将という破格の出世を果たしたこの軍人は、年に似合わぬ老人めいた口調で言った。
「シトレ閣下、何を考えておいでです?」
「なに、中将。似たような事が歴史にあったと思ってな。ほら、私のところにいた歴史好きの」
レビルはうなずいた。
「ああ、ヤン少尉ですな。戦史の成績が良い……私の従卒だったときには世話になりました」
「あれに影響されてか、事件が起こると似たような歴史的出来事とやらを気にするようになったのだ」
「つまり?」
ビュコックが先を促すように言った。
「第二次世界大戦の旧ドイツ。まさにジオンと思わんかね」
全員がうなずく。
「だとしたら、我々に対する彼らの戦い方は、ドイツに類するものだと私は思うのだよ」
シトレは引き出しから書類を取り出した。