《Page9 判定》 伊出が弥ミサの姉を尾行し始めて、三日が経過した。 彼女は妹のミサが夜神ライトの死後に購入した東京郊外の家を受け継ぎ、そこに甥と姪と共に住んでいる。 街中の内科と皮膚科を兼ねた医者二人と看護師五人の、小さいが設備が充実しているのでなかなか繁盛している病院の看護師をしていた。 両親を亡くして妹を守って生きてきたためか非常に生真面目な性格で、そのせいか男性付き合いも殆どなく職場と家を往復し、行くところといえば近所の大型スーパーくらいなものだった。 「ミサとはえらい違いだな・・・」 看護師といっても入院設備がある病院ではないので七時までの勤務、定休日は土日と木曜日。木曜日や土日には近くの市民病院で、夜勤のバイトを請け負うこともあるようだ。 月収は手取りで30万ほどで母子家庭手当て等もあり、一家三人で暮らせる程度の収入はある。 伊出が早朝から弥家宅まで出向くと、そこは普通の家とは明らかに違う。 XPの長女・音遠がいるせいか、窓は厚手のカーテンで厳重に覆われ、ドアに回ってみれば鍵が何と三つもついている。 素直な見方をするなら、病気で外に出られない娘がいる上、両親を強盗に殺されたのだから警戒心が強いのは当然。 ひねくれた見方をするなら、彼女がキラで監視や盗聴などを恐れている・・・となる。 ミサとはそれなりに付き合いがあった伊出としては、前者であることを祈るばかりだ。 「しかし、いつまで続ければいいんだ?」 何の動きもない弥を監視し続けるのに疲れた伊出がニアに苦言すると、ニアは一冊の黒いノートを伊出に手渡した。 「これは・・・デスノート!」 「の複製品です。例によって、ジェバンニに作って貰いました」 あの日ニア達は夜神ライトをキラと断定するため、魅上が持っていたデスノートを贋物と摩り替える必要があった。 神経質を絵に描いて色を塗ったような男だった魅上の目さえごまかせる精巧なコピーを作ったジェバンニのおかげで、ニアは勝利を収めることが出来たといっても過言ではない。 「・・・これを弥の家に行って本物と摩り替えて来い・・・とでも言うのか?」 「そんな無意味なことはしませんよ。ただ反応を見たいんです。 彼女がノートの所有者なら、それを見せれば何らかの反応を示すはず・・・」 「なるほど・・・しかし、どうやって彼女と接触を持つんだ?弥がキラなら、不自然に近づいてくる人間を物凄く警戒すると思うが」 伊出が眉を寄せて尋ねると、ニアはおもむろにクリームを取り出した。伊出は物凄く嫌な予感がした。 「・・・これは?」 「塗ると軽い炎症を起こすクリームです。ちょっとだけ塗って炎症を起こして貰います。 その後、彼女が勤務している病院に行って下さい」 悪い予感というものは的中する。 捜査というものは身体を張って行うものだが、こんな張り方はイヤだ・・・と思ったが、効果的なのは確かなので渋々承諾して左腕に塗りつけた。 竜崎もそうだったが、ニアといいLを名乗る者はどうしてこうも肉体的のみならず、精神的消耗を強いられる捜査ばかり考え付くのだろう。 しかも効果的であることは確かなので、断りづらい・・・全くもってタチが悪い。 ヤケになったように左腕に塗りまくった伊出に、ニアはのんびりした声で言った。 「そんなに塗らなくても、それくらいで十分ですよ」 「ああ、そうか」 気のない返事で応じながらクリームを塗り終えると、ニアは無感情に指示する。 「明日になったら、痒みと発疹が出ます。放っておいても三日後には治りますが、病院に行って診察を受けて下さい。保険証は本名がバレる危険があるので忘れたことにしましょう。 明日は弥の出勤日なのは確認済みです。彼女がいるのを見計らってノートをパラパラとめくったり、落としたりして彼女の反応を見せて下さい」 「監視カメラはどこだ?」 『見て下さい』ではなく『見せて下さい』というセリフで、伊出はニアの次の命令を予想していた。毒を食らわば皿までは、Lの指揮下に入った時から捜査員全員が身に染みていることわざである。 「察しのいい方は助かります。そのネクタイです」 ベージュ一色のシンプルなネクタイには大きめの石で飾られたネクタイピンがついていたが、それがカメラになっている。 「盗聴器も入ってますから、気をつけて取り扱って下さい。では、明日お願いします」 伊出はそのネクタイを受け取ると、捜査本部を出て行った。 翌朝、ニアの言ったとおりに左腕に痒みと発疹があった。 我慢出来ないほどではないが妙にイラついてきて、伊出は愚痴りながら弥が勤めている谷口皮膚科病院にやってきた。 病院が開いて一時間半ほどの十時半頃、伊出が病院に入ると、まだ空いているらしく患者の数は少ない。 受付に保険証を忘れたことを告げ、その上で診察を了承して貰うと偽名で左腕に痒みと発疹が出来た症状を申告し、待合室で待つ。 殆どが子供の患者で、付き添いの親が目立っている。そのせいか待合室にあるテレビは“それ行こう!アンパン工場へ!”というアニメを流していた。 ビジネスマンを装って持ってきたカバンから例の偽ノートを取り出すと、パラパラとめくる。 患者達は見向きもせずに本を読んだり音楽を聴いたりしており、特にこちらを見るようなことはない。 五分ほど経つと、待ち人が伊出の前に現れた。 「伊佐本さん、お待たせしました。診察室へどうぞ」 (弥・・・!!) ミサに顔立ちはよく似ているがお堅い雰囲気を持った看護師・弥が、伊出を呼びに来たのだ。 「あ、ああ。すぐに行きます」 すっと慌てたように立ち上がると、ノートを床に落とした。 「あっ!失礼」 伊出がいち早くノートを手に取ると、弥がぽつりと呟いた。 「黒い表紙のノートですか・・・最近流行っているのかしらね」 「流行っている・・・ですか?それは知りませんでした。これはその・・・上司から支給されたものでして」 世間話を装いながら伊出が探りを入れると、弥は営業スマイルであっさり話してくれた。 「あら、やっぱり特別な物なのかしら?私の甥や姪も持っているんです。私が触ろうとしたら『絶対ダメ!』なんて言ってどこかに隠して・・・。 大人に秘密を持つ年頃の子供って、大変ですね。はい、こちらです」(確かに黒い表紙のノートは珍しい・・・いや、そうではなくて!彼女がキラならこんなことを喋るか? このノートに疑問を持って探りを入れようとこの話をしたのなら、すぐに会話を打ち切るのか?) 伊出が難しい顔をして悩んでいると、二十代後半くらいの若い医者がニコニコしながら言った。 名札には“谷口和利”と書いてある。 「伊佐本さん、ですね。そんな顔をなさらず、どうぞおかけ下さい」 「あ、はい・・・すみません」 「相当お辛い症状なんですか?まあとにかく診察しましょう」 「お願いします」 伊出が左腕を見せると、谷口ははははと軽く笑った。 「軽い発疹ですね。このくらいなら薬を処方しますから、三日かそこらで治りますよ。痒みは酷いですか?」 「いえ、それほどでも・・・先日知人に貰ったクリームを使ってみたら、こうなって」 「いけませんよ、そういうのは。ちゃんと自分に合っているか調べてから使わないと」 谷口は笑いながら注意し、いろいろカルテに書き込んでいく。 「処方箋を渡しますから、隣の薬局で貰ってから帰って下さい」 「ありがとうございます」 幾つかのやり取りの間も、弥はずっと近くで立っている。 「じゃあ弥君、処方箋を頼むよ」 谷口からカルテを受け取った弥が頷くと、診察室のドアを開ける。 「はい。伊佐本さん、お疲れ様でした」 「あ、はい。先生、ありがとうございました」 伊出と弥が診察室を出ると、彼女は待合室で伊出に待つよう指示し、また仕事場に戻ってしまった。 さらに五分ほどが経過すると受付に呼ばれ、初診料と診察料を請求されたので支払うと、処方箋と領収書をくれた。 「次回に来院された際に保険証を提示して頂ければ、今日お支払い頂いた保険分はお返しいたしますので」 「はい。それでは失礼します」 伊出がそそくさと病院を出る際、新たな患者を診察室に案内する弥に変わった様子はなく、こちらと接触するつもりは毛頭ないのか視線を合わせることすらなかった。 (これだけを見ると、とうてい彼女がキラだと思えないんだが) そう思いながら伊出は指定された薬局に行き、塗り薬を処方して貰ってから捜査本部に直行するのだった。 「ご苦労様でした」 「ああ・・・ニア、俺にはどうも、彼女がキラとは思えないんだが」 ずっと監視カメラで見ていたニアに説明するまでもなかったが、弥のノートを見せた際の反応を語って意見を言うと、ニアは“弥”と書かれた人形を指にはめながら言った。 「そうですね、私も同感です」 あっさり同意したニアに、伊出は眉を寄せた。 「おい、解っていて俺にこんな発疹まで起こさせて病院に行かせたのか?」 「いいえ、貴方のお陰で解ったことなんです」 ニアが先ほど録画しておいたニュース番組を再生すると、世界各地で婦女暴行の容疑で行方を追っていた某教団の教祖が逮捕されたと報道された。 そしてそれを生中継していた中で、その教祖は急に胸を押さえて苦しみだし、そのまま死亡した。 「ちょうど十時半・・・俺と弥が診察室にいた頃だな」 「あの病院には待合室にしかテレビがありません。そしてそのテレビは子供向けのアニメを流していました。 インターネットの類で情報を得るためには当然パソコン前にいる必要がありますが、受付ならともかく看護師として患者を相手にしていた彼女では無理」 「しかし、ニアは昨日“直接犯罪者を裁いているのは姪の音遠”と推理していた」 レスターが口を挟むと、ニアは“音遠”と書かれた人形を指にはめた。 「それは間違いないでしょう。ただもう弥はキラではない。その役目を終えて、デスノートの所有権を放棄したんです」 「どういう意味だ」 「つまり、夜神ライトが摩り替えた本物のデスノートを彼の死後弥ミサが所有し、その死後弥に渡った。 そして全ての準備を整えた後に所有権を放棄して姪に譲り、ノートの記憶を無くしたんです」 それなら伊出が偽のデスノートを見せても反応がなく、それどころか姪や甥が大事そうに持っていることを何気なく話した、という現象の説明がつく。 「やられましたよ・・・真っ先に疑うべき弥の記憶を飛ばすとは」 これでは幾ら彼女を追っても、何も掴めない。 「では、今のキラは」 「ええ・・・一番厄介な弥音遠です。鉄壁の家庭要塞に篭って、犯罪を裁き放題」 鉄壁の要塞に篭っているのはニアも同じだったが、誰もそれを突っ込まない。 「監視カメラは無理、外出しない音遠の尾行など不可能・・・手詰まりか」 「いえ、それでも教団から彼女に辿り着ける方法があるかもしれません。 こうなったらこう行動しろなどの対処法は弥から聞いているかもしれませんが、予想外の行動をこちらがしてやればまだ十四歳の少女、付け入る隙が見つかるでしょう」 弥と書かれた人形をゴミ箱に投げ入れながら、ニアは思った。 (しかし、もしそうなら何故伯母にノートを見せた? 触らせてはいないというのは伊出とのやり取りで判るが・・・たまたま偶然、伯母に見られただけなのか) 弥の記憶がない、というのはほぼ間違いない。もし彼女がキラならノートを手に取る絶好の好機、伊出が落とした瞬間に手に取り、伊出の後ろに死神が憑いているか確認しようとするはずだ。 (とにかく、弥音遠の元に行くこと。彼女に繋がっているのは、あと一人・・・) ニアはもう一枚、弥家の最後の家族の調査書を開いて新たな人形を手に取った。 「弥月(ライト)十二歳。私立は神光学園初等部六年生。常に学年トップの成績を収める秀才少年」 調査書を読み上げながら、ニアは人形に“月”と書き込むのだった。