《Page41 海砂》 神崎が最後にニアに紙片を手渡すと、彼はもうどうでもよさげにそれを受け取り、ミサをちらりと見ただけでさしたる反応を示さなかった。 捜査員達は死を前にしてここまで冷静になれるのかと疑問に思ったが、もしかしたら未だに逆転の要素があるのかも知れないと、一縷の望みを抱いた。 「ふふ、ミサのお陰で、本当に上手くことが進んだ。 感謝しているよ、ミサ」 「とーぜん!ミサはライトのためなら、なーんでもするんだから!」 嬉しそうにライトの腕に絡みつきながら笑うミサを、捜査員達は理解できないという目で見つめている。 「ミサ・・・何で自分を殺したライト君を、そこまで慕うんだい?」 松田が喘ぐように問いかけると、ミサはライトに向けるのとは真逆の憎悪を込めた視線で松田を睨みながら言った。 「ミサが誰を好きになろうと、ミサの勝手でしょ。 ライトが私を殺してくれたお陰で、ずっと私はライトと一緒にいられるようにしてくれたんだもん。 嬉しくてミサ、もっとライトのこと好きになっちゃった」 どこまでもライトを愛し続けるミサの行動は、普通の人間には全く理解できないものだった。 最後の最後で失態を犯したことで冷然と切り捨てられた魅上のように、ライトに恨み言を延々と語るほうが、よほど理解できるというものだ。 それは妹を殺されてなお、ライトに協力し続ける夏海を見ても同感だ。 何故この姉妹は、そこまでライト(キラ)を慕うのだろう? 「どうして私達が、キラ様をお慕いするのか解らないといった顔ですね」 「そりゃあ、ミサ達の両親が強盗に殺されて、その強盗をライト君が裁いたからってことなのは知ってるけど・・・でも」 「それだけにしては異常だ、と言いたいのでしょう? 私達はあの強盗がキラ様によって裁かれた後、今の社会を変えるためには、キラ様が必要だと思っていました。 罪を犯した人間が、裁きを受けずにのうのうと生きていられる不公正な社会で悲しむのは、私達だけで終わりにしたい・・・ずっとそう願っていたのです」 そのためには、どうしても犯罪者を抑制するというのが必要になる。 けれど今の社会で、どうしてそれが可能だといえるのだろう? 「そもそも警察自身のモラルの低下も激しいです。 収賄容疑で逮捕して自白を強要し、ろくな証拠もないのに立件したこともありましたね。 重要な証拠品をなくしたという話もよく聞きます。 私達の両親が殺された事件でもそうでした」 「え・・・?」 ミサの両親が殺された事件を詳しくは知らなかった松田達が問い返すと、ミサがギリ、と指を噛みながら続けた。 「あの事件ってさ、犯人の名前がしばらくして報道されるのが止まったのって知ってる?」 「あ、ああ。冤罪の可能性が出てきたっていう理由で・・・」 「その冤罪の可能性の理由は?」 「確か、証拠不十分・・・で・・・」 先ほどの夏海が言った『重要な証拠品をなくしたという話もよく聞きます。私達の両親が殺された事件でもそうでした』という台詞が蘇った相沢が、言葉を途切らせた。 「そのなくした証拠品って言うのが、父さんと母さんを刺した包丁なんだけどね。 事件を目撃して、何とか犯人から逃げたミサとお姉ちゃんが通報して駆けつけた警官が、父さんに刺さったままだったって言ってたヤツ」 つまり、犯人が持ち去ったわけではなく、現場に放置されたままだった凶器である。 言うまでもなく、もっとも重要な証拠品以外の何ものでもない。 あろうことかそれを、京都府警は無くしたと言ったのである。 「そのずさんな管理には、随分多くの非難が集まりました。 でもその件については誰も責任を取ることなく、裁判が始まりました。 凶器のない裁判で容疑者に不利な裁判が進められるはずもなく、冤罪だという弁護士の主張が通りかけていたところを、キラ様が犯人に死刑判決を言い渡し、執行して下さったのです」 この成り行きは姉妹がキラを崇拝するに充分なものだったが、ミサが『利用されるだけでいい』と言うほどにライト(キラ)に協力する意志を示し、夏海が妹を殺されてなお崇拝するほどの狂信に陥らせた、決定的な理由があった。 弥姉妹は夜に二人で買い物に出ていて、帰宅した時にこの事件に遭ってしまった。 電気が消えていたので不思議に感じながら居間に戻り、電気を点けるとそこにあったのは血まみれの両親の姿と返り血を浴びている見たことのない若い男だった。 悲鳴を上げる姉妹の声に驚いたのだろう、逃走しようとした犯人がミサを突き飛ばした時、変に伸びていた爪がはっきりと見えた。 つまり犯人はあの日、手袋などしていなかったのだ。 「だから、凶器にはしっかり指紋が残っていたはずなの。 でも、警察は凶器をなくしたって言って、家に残ってるはずの指紋だってロクに捜査しなかった。 そのままの裁判で犯人に有罪なんて判決、出るわけなかった」 「そのずさんな捜査を見て、警察に任せておけないからキラに・・・というわけですか」 ニアが安易な考えだ、と馬鹿にしたような口調で言うと、夏海の目が見開いた。 「ずさん?ええ、ずさんにもなりましょうとも! 私達の両親を殺した犯人は、ある有名財閥の御曹司でした。 後になって知ったことですが、京都府の警察本部長の親戚でもあったそうです。 どうして重要な証拠品が紛失されたのか、お解かりになりましたか?」 「・・・え?」 警察本部長と言うのは、地方警察の長である。 つまり、京都で一番の権限を持つ警察官ということだ。 「ま、まさか・・・本部長はその御曹司の犯行を隠匿したの、か・・・?」 「他に考えようがありますか? 人が二人殺されたのに犯行現場をろくに捜査せず、証拠品を紛失した上にそのことについて誰も責任を取らず、挙句が裁判で“証拠がない”として冤罪だと主張したんですよ」 弥の両親が殺された事件は、実は何度か報道されてはいた。 だがこういう言い方は残酷だが、人が強盗目的で殺される事件は何度も起きているし、それより惨い事件が多く起こったこともあって、東京ではそれほど大きく扱われなかったのだ。 財閥が情報操作を行い、さらに京都府警の本部長が事件の隠ぺい工作を必死になって行ったこともあり、ただの冤罪の可能性がある強盗事件が起こったとしか警察庁に報告されなかった。 だから相沢達は、弥姉妹の事件を詳しくは知らなかったのだ。 ライトが犯罪者裁きを始めた頃、インターネットで警察による不当捜査やずさんな捜査を扱っているサイトを見つけて、この事件を知った。 どう考えてもおかしい捜査経緯に不審を抱いたライトは冤罪とは考えず、すぐにその犯人の名前をデスノートに書いたのである。 「おそらく竜崎は、詳しい経緯をミサを逮捕する前に知ってはいただろうね。 おおかた、それをお前達に告げれば彼女に対して同情心が沸いて、あんな拷問めいた尋問をすることに強く反対されるとでも思って、言わなかったんだろう」 ライトがフンと肩をそびやかしながら笑うと、充分にあり得ることだったので相沢達はギリ、と唇を噛む。 「私が愕然としたのは、警察内部でそのことを訴えても、誰も耳を貸してくれなかったということです。 中には『金目当てでわざと犯人を裕福な家の人間だと言っているのだろう』と笑いながら本部長は私達に言ったのです。 罪を罪と認識していなかったのです、あの男は!」 その時の悔しさが蘇った夏海が、涙を流す。 「私はその後、犯罪被害者の会という、犯罪被害者達が集まる会に入りました。 警察のずさんな捜査が原因で犯人が捕まらない方や、未成年者や精神疾患者であるという理由で加害者が発表されないせいで、犯人を糾弾することすらままならない方が大勢、在籍していました。 私はその時、思ったのです。 “法律が人を救うことはないのだ”と」 人を殺した人間を遺族が殺せば、それは私刑という犯罪になる。 それなのに、強盗目的で人を殺した人間は親が金持ちであれば犯行を隠匿されて無罪となり、未成年者であれば遺族にすらその存在を知らされずに、数年の懲役でその罪がなかったことになる。 「キラ様があっさりと世の中に認められたのも、それが原因でしょう。 警察機関や法律がしっかり機能していれば、遺族を救っていれば、あれほどキラ様が慕われることはなかったはずですから」 「う・・・」 大事な人間を殺されて、裁判で身勝手な言い分を述べられても、そこで面と向かって怒声を叩きつけることすら出来ない。 それどころか、犯人を刺激するという理由で面会することすら許されない。 犯人が正当に裁きを受けるというならそれに耐えられもしようが、遺族がそれらの苦痛に耐えただけの刑罰を受けたといえる犯罪者がどれだけいるというのか。 それに・・・。 「まさかあなた方は、この期に及んでも法律の方がキラ様より優れているとは言いませんよね? 拷問が禁止されているはずのこの国で、妹を監禁し尋問したあなた方が」 夏海が絶対零度の視線で相沢達を睨み付けると、松田が呻くように言った。 「それを命じたのは、竜崎・・・先代Lで・・・」 「ならば、上からの命令なら法律違反も辞さないのが警察と言うことですね。 ・・・やはり、キラ様以外にこの世界を浄化できる方はいない」 少しでも別の答えを期待した自分が馬鹿だった、と自嘲の笑みを浮かべて夏海が吐き捨てると、ミサも低い声で言った。 「いつだってミサの邪魔しかしなかった警察なんて、大っ嫌い」 ミサは警察を、非常に嫌っていた。 だからあの第二のキラとして最初にさくらTVに送ったビデオが公開された日、駆けつけたパトカーに腹が立ったのだ。 『もぉ~、どうしていっつもミサの邪魔ばっかりするの!』 その怒りはデスノートにぶつけられ、宇生田の命は半分八つ当たりでかき消された。 あとでライトに『気持ちは解るが、警察にもまっとうな人はいる。もう少し考えてデスノートを使え』と強くたしなめられたから、『今度からはライトの許可がない限り、殺さないようにしよう』と反省したのだが。 「警察を嫌っているわりには、随分と警察に協力していたようですが?」 ニアが言っているのは、四葉キラ・火口の逮捕のことだろう。 あの捜査がスムーズに進んだのは、ミサの命を張った火口との接触のお陰だと言って過言ではない。 「ああ、火口のこと?勘違いしないで。 ミサはライトに協力したの、警察にじゃないの」 でなければ、キラ崇拝者である彼女がキラ捜査に協力などするわけがないのだった。 途中でレムに会い、自分とライトがキラだったことを知らされたミサは、ますます張り切って火口を捕まえようと頑張っただけだ。 「あの時も思ったことだけど、どうせ法律違反をしなきゃ犯罪者が捕まえられないなら、犯罪がなくなるほうがいいに決まってるじゃん。 Lがしたことを全部公表したら、ますますキラの支持率が高くなるよ、絶対に」 キラを捕まえられる唯一の人間とすら言われたLが、盗撮盗聴は当たり前にやっていた上、容疑者を有無を言わさず拘束して自白を迫り、あまつさえその後継者が殺人(デス)ノートを使ってキラを陥れたと世間に知られれば、どんなことになるかは恐ろしいほどリアルに想像できた。 「証拠だって、もう揃えてあるし」 ミサが笑いながら指したのは、体育館にある監視カメラだった。 「ちゃんと登録されてある監視カメラだから、盗撮にはならないからね、れっきとした証拠になるよ。 さっきお姉ちゃんが言った、私を監禁して尋問したことを、マッツーが竜崎に・・・Lに命じられてやったって認めてたのが、しっかり保存されたし」 「あ・・・!」 「これはあなた方も知っているように、インターネットを経由して、パソコンから見られるようになっています。 ちょっと教団の人間が操作すれば、あっという間に全世界に配信される。今回は隠蔽など出来ませんよ」 たとえこの場でキラとして弥一家を逮捕しても、Lと警察の名は地に落ちる。 それどころか、警察はそれはLを含む相沢達捜査員による暴走として切り捨てにかかるだろう。 それだけならいいが、キラに対する支持はさらに高まってしまう。 ミサの言っていたように、『どうせ法律違反を犯すというなら、犯罪がなくなる方がいい』と考える人間が出てくるからだ。 「理解できませんね。 確かに夜神ライトは犯罪者を無くそうとしていましたが、貴方自身に対する態度を見ると、貴方を利用し続けていたようにしか見えませんよ? 死神の目を二度も手に入れさせた上、高田 清美と会っていたことも貴方には詳しい経緯を知らされてはいなかったのでしょう? よく捨てられたと思わなかったものですね」 捜査の経緯を見ると、第二のキラが現れた時点でミサが死神の目を手に入れていたことが解る。 これはおそらく、キラを見つける手段としてミサが進んで手に入れたものだろう。 そして監禁後彼女がデスノートを捨てて記憶と共に死神の目を失ったわけだが、リュークに聞いたところによると、デスノートを再度手にしたからと言って、再び死神の目が戻ることはないらしい。 となるとミサは二度目の取引を行って、死神の目を手に入れたことになるのだ。 「別にいいよ、そんなこと。 ミサはライトの力になれて、嬉しいんだもん。 ライトの力になれて死ぬなら、喜んで死ねる」 それは四葉を調べる時に、ミサが言っていた言葉だった。 ミサが死ぬかもしれないから、と言ってミサの捜査参加を渋るライトに対し、ミサは迷いの無い声で言った。 「それにねえ、マッツー達は誤解してるみたいだから言うけど。 ミサはライトに利用されてるだけだってことは、とっくに解ってたよ。 死神の目があるから、ミサがライトに必要とされていたことも」 その告白に、松田達はむろん、リュークも驚いた顔をした。 ずっとライトに愛されていると言い切っていたミサから、まさかそんな言葉が出てくるとは想像もしていなかったからだ。 「でも、私はそれで構わなかった。ずっとずっと、キラに会いたかった。 法で裁くことが出来なかった両親を殺した犯人を、裁いてくれたキラが好きだった。 キラに会えるなら、その役に立てるなら、寿命なんていらないと思った」 『私は利用されるだけでいいの。信じて』 初めてライトに会った日、ミサは泣きながらそう訴えた。 あれは演技ではなく、正真正銘本気の涙だった。 その想いは、何年経っても変わらなかった。 キラのお陰で日々減っていく犯罪を、そしてその世界に住んでいることを感謝しながら、ミサはデスノートに名前をつづるライトを見つめていた。 ミサはライトに愛されている自信はあった。 他の女がライトに言い寄っても、自分以上にライトの役に立てる女などいないと自負していた。 死神の目がある限り、ライトは自分を愛してくれるということを理解していたからだ。 そしてライトが、役に立たない女を側に置くような人間ではないということも。 だからいつでも、“自分が一番愛されている道具”だという自信があったのだ。 その自信に揺らぎが生じたのは、ライトの命令でデスノートの所有権を放棄した後だった。 キラの記憶がなくとも、ライトを長年支え続けていたというプライドが、ライトに愛されているという自信に変わって存在していた。 けれども、高田と言うキラの代弁者が現れ、ライトとホテルで会っているということが、彼女を怯えさせた。 これが普通の女であれば、ミサも焦って高田を挑発しなかっただろう。 けれど脳の奥底にあるキラとしての記憶から、高田をライト(キラ)が必要としていることを悟り、今まで自分が独占してきた“一番愛されている道具”としての地位を奪われることを恐れたのだ。 死神になって高田を思い返してみると、彼女は自分が恋人として選ばれたと思っていたようだが、そんなことも解らない人間がライトに愛されるなど笑止千万だ。 ライトに必要なのは使える道具であって、恋人などという足手まといはいらないのだ。 いざとなれば切り捨てられることさえも意に介さない人間でなければ、彼に寄り添うのは分不相応なのだから。 だから、ミサは言った。 「私は今も同じ、ライトに利用されるだけで構わない。 私は世界より、ライトが好き」 だから・・・。 「ライトに逆らう人は、誰であろうと許さない」 普段の明るく微笑むミサとは到底思えない、赤く光る死神の目で、ミサは松田達を睨みつけた。 ミサの説得が不可能だと知った松田は、彼女から視線を逸らした。 これまで自分は、いったい何を見ていたのだろう。 ライトの誠実さと聡明さを信じて疑おうともせず、ミサの明るさだけを見て彼女が抱える闇を見ようともしなかった。 ライトの言うとおりだ。 彼らが演技力に長けているのは確かだが、自分達は何と、思考能力がない人間なのだろうか。 負けるべくして負けたのだと、相沢達は認めざるを得なかった。