《Page37 炎》 それは、ネオンが弟に対して説明を求める絶叫を放つ少し前に、弥姉弟の母が白い翼を広げながら宙を舞っていた時に始まった。 「あ・・・貴女は・・・弥、海砂・・・?!」 サラは当時出回っていた弥ミサのグラビアから彼女の顔を見せられていたため、彼女の顔を知っている。 もちろん彼女が第二のキラであり、死神の目を持っていたが故に夜神ライトの最大の手駒であったことも聞かされていたが、同時に彼女が死者であることも知っている。 「夜神ライト同様、彼女も死神になっていたのか・・・!」 レスターの呻き声に、嫌な予感が当たってしまったサラは舌を噛んだ。 「あの金庫なら絶対、見つからないと思ったのに!どうしてその子の居場所が解ったのよ!!」 ヒステリックに叫ぶミサに、サラは震えるのを堪えながらも毅然として答えた。 「私の歯には、噛んでいる間だけ電波が出る発信機が取り付けられていたからです。 皮膚に仕込んであったのはただの囮・・・取り出されないに越したことはなかったのですが、仕掛けていて正解でした」 「歯・・・!そっちまでは気が回らなかったな・・・」 苛立った口調と視線で、自分達が持っているデスノートが本物だという疑惑は強まったが、それでも確信には至らない。 正確に言えば、二重三重どころか十重二十重の予防線を張っている夜神ライトが恐ろしくて、今自分が取っている行動でさえも彼の計画内ではないのかと考えてしまうのだ。 (いいえ、ページではなく表紙を触ってから夜神ライトとその死神・・・弥 海砂の姿を視認したのです。 よってこれは、本物のはず・・・!) そう考えなければ、それこそ今の己の行動が無意味に終わってしまう。 「くっ・・・でも、いいもん。 今そのレスターって人とその女の子を殺しちゃえば、済むことなんだからね!」 「ママ!」 ミサはそう叫ぶと、マスクをしているレスターに手に仕掛けてある石で作ったのだろうナイフで襲い掛かる。 キラは冷静にサラとレスターから離れ、神崎はいきなりの出来事に混乱しているネオンを横抱きにし、巻き添えを食らわないようにする。 とっさにレスターはサラを突き飛ばし、ミサを薙ぎ払おうとしたが、彼女の身体に当たるはずの腕は宙を切ったかのように手ごたえがない。 「残念!死神は、自由に身体を透明化出来るんだよ!」ミサは透明化させた身体を浮かび上がらせて、ナイフでレスターのマスクを切り裂いた。 顔を押さえるレスターだったが、既に遅い。 マスクからマスクとは異なる顔立ちの男が現れると、ミサはクスリと笑みを浮かべ、子供達を守るかのように弥姉弟と神崎の前に立つ。 「・・・・!」 いきなりの戦闘に怯えているのか、ネオンが神崎の首筋にしっかりしがみついている。 「終わったようですな。ネオン様、ライト様、ご無事ですか?」 神崎が心配そうに問いかけると、キラは無言で頷き、ネオンも神崎の腕から降りて母のほうを見ながら言った。 「うん、大丈夫。ママ、強ーい!」 パチパチと無邪気に拍手をしながら母を賞賛する娘の頭を、ミサは優しく微笑みながら撫でてやる。 「しまった・・・神崎が死神の目を持っていたら・・・!」 もし神埼が取引で死神の目を持っていたら、今のやり取りで彼にレスターの本名が見えていることになる。 サラは恐怖に目を見開きながらも、再びレスターのベルトのバックル部分に手を伸ばす。 「神崎 康煕、前に出て両手を上げて下さい。今すぐにです!」 「・・・・」 「早く!」 さすがに仲間の命がかかっているので、サラの語調が強まった。 神崎はしばらく無言だったが、やがてミサの背後から前に出ると要求どおり手を挙げる。 (もしかしたら、ミサの背後に隠れて名前を書かれたかもしれない・・・彼に文字が早く書ける技術があれば、名前程度なら書く時間はあった) サラとレスターは同時にそう考え、背中に冷たい汗が流れ落ちる。 だが書けたとすれば、それはせいぜい名前だけ。 となれば、もしレスターが死ぬとしたら四十秒後のはずだった。 死を覚悟の上のキラ捜査とはいえ、さすがにこうして死の瞬間を前にし、二人は恐怖で呼吸が荒い。 (37、38、39・・・40!) サラが震えながらも四十秒を数え終わるが、レスターが胸を押さえて苦しがる様子はない。 「・・・書かれて、ない?」 「レスター指揮官、身体は何ともありませんか?」 サラが唾を飲み込みながら問いかけると、レスターは汗を拭いながら頷く。 「ああ、大丈夫だ。よかった・・・」 安堵の息を漏らす二人を冷ややかに見つめながら、キラは二人に問いかけた。 「・・・安心してるところ申し訳ないけど、一つ質問があります。 ついさっき、『全部のデスノートを燃やせる』みたいなこと言っていたからもしかしてと思ったけど・・・ニアが所有してるデスノート、レスターさんが持ってるんですか?」 「な・・・聞こえていたのか?!」 レスターの驚きながらの台詞は、キラの質問の答えを雄弁に物語っていた。 「あ、やっぱりそうなんですか。 じゃあ、何とか貴方を殺してしまえば、デスノートは簡単に奪えますね」 「じゃあ、ママのデスノートで殺そうか?」 まるで買い物する品を聞いているかのような気軽さで、恐ろしいことを言うミサを見て、レスターは小さく呻き声を上げた。 (そうだ・・・死神は全員、デスノートを持っている。 殺そうと思えば、人間をいつだって殺せる!) 「もう、迷っている時間はない。まず、キラ側のデスノートだけでも抹消させて貰う!」 レスターは恐怖でこれ以上黒か白かを考えることをやめたらしく、ポケットからライターを取り出した。 せめて弥ミサが憑いているデスノートを燃やしてしまえば、少なくとも今は彼女の手による死は免れるからだ。 「あ・・・それ燃やされちゃったら、パパがいなくなっちゃう!」 ネオンが悲鳴じみた声を上げてレスターに駆け寄ろうとするが、神崎がそれを押さえつける。 「いけません、ネオン様!危ないです!」 「だって、パパが、ママが・・・!!」 泣き喚きながら神崎を振り払おうとするが、いかんせん力の差があり過ぎてどうにもならない。 「止めてよ、キラ!」 「大丈夫、すぐに終わる」 キラは動じるでもなく冷静に、そう言い切った。 それに疑問と同時に恐怖すら感じたサラが、震える唇を開こうとした刹那。 「ぐ・・・うおおぉっ!!」 「レスター指揮官?!」 火のついたライターが床に落ちる音がしたかと思えば、ブルブルと全身を震わせ、心臓を掴んで苦しがるレスターの姿が、全員の視界に飛び込んだ。 それを唇の端を上げながら見つめるキラと神崎が見えたサラは、二人がデスノートにレスターの本名を書いたことを悟った。 「貴方達っ・・・レスター指揮官の本名を!」 悔しさに涙を流しながらも、サラはドスンと大きな音を立てて倒れこんだレスターに駆け寄った。 「レスター指揮官、しっかりして下さい!レスター指揮官!」 「あ、が・・・サ、ラ・・・にげ、ろ・・・!」 苦しそうに荒く呼吸をしながらも、レスターはサラに手を伸ばしてそう言った。 「すまな・・・い・・・守って、やれなく・・・て・・・」 悔しそうな表情だった。 そして、幼い少女を危険な捜査に向かわせたことを後悔し、心からの謝罪が込められた腕が、糸が切れたマリオネットのように床にぱたりと落ちる。 「レスター指揮官・・・!起きて下さい、レスター指揮官・・・」 サラは泣きながらレスターの腹を膝でまたぐと、懸命に心臓マッサージや人工呼吸を施し始めたが、効果など微塵もなかった。 「無駄だよ、スターラー。デスノートに書かれた人間の死は、どんなことをしても取り消せない」 淡々とした口調でこともなげに言うキラを、サラは凄まじい目で睨みつける。 「・・・いつ、レスター指揮官の名前を書いたのですか? 神崎が手を挙げるまでの間なら、詳しい死の状況を書く時間などなかったはず・・・! それとも、名前を書くだけで四十秒以上経って殺せる方法があったとでもっ・・・!」 レスターの瞼を閉じながらサラが力なく尋ねると、キラはミサに近寄り、背中に手を当てた。 「半分正解。実はデスノートは“先に死の状況を書き入れておけば、後から名前を書いてもそのとおりになる”んだよ」 「何ですって・・・?!」 「ちなみにね、デスノートが仕掛けてあったのはコレ」 そう言ってキラが指したのは、ミサが羽織っている黒いケープだった。 ぺりっとキラがそれから剥がし取ったのは、メモ用紙程度の大きさの紙切れ。 「あんなところに・・・!」 サラはその紙切れに書かれた内容を見て、ギリ、と唇を噛んだ。 【Anthony=Carter(アンソニー・カーター) 今現在相対している少年から、自分が持っているノートについての質問に思わず正直に答えてしまった後、心臓麻痺で死亡】 「レスター指揮官・・・」 「母さんがレスター指揮官を襲った後、神崎先生の前に立っただろ? その隙に、名前だけ書き込んでしまえばこの通り」 まず、デスノートの切れ端に死の状況を書き込んでおき、それをミサのケープに貼り付けておく。 そしてミサがレスターのマスクを剥がして顔を露出させ、それをネオンが見て名前を知り、首にしがみついている振りをして神崎の耳元で教える。 そして神崎が袖口に隠していた小さな鉛筆で、レスターの名前を書いたのである。 「さて、もう一仕事するか。先生、お願いします」 「解りました、ライト様」 忠実な執事のように神崎がキラに向かって一礼すると、ネオンから離れてサラの元に近寄って来た。そして無言で、彼女を拘束する。 「やめて、放して!」 身をよじらせてサラが神崎を振り払おうとするが、さすがに壮年の男の腕力に抗えるはずはない。 キラはそんなサラを見ながら事切れたレスターの服をめくり、腹部に隠していた黒いノートを取り出した。 「これが、ニアのデスノートか」 しげしげとデスノートを見つめながら、どこか感慨深そうにキラは呟く。 「返して!それがキラの・・・夜神ライトの手に渡ってしまったら!!」 そのデスノートは、唯一夜神ライトを・・・そしてその意志を継ぐ者を止める手立てだった。 全てのデスノートを手に入れた彼らは、今まで以上に苛烈な犯罪者狩りを行うに違いない。 いいや、その前にキラを追う自分達を、必ず一人残らず殺す。 そうなれば、もう、誰も彼らを止める者はいないのだ。 「ああ、大丈夫だよスターラー。このデスノートが父の手に渡ることはないから」 「・・・え?」 意外なキラの言葉に、サラは思わず暴れるのをやめ、キラを見つめる。 「それは・・・どういう意味ですか?」 「それはね・・・こういうことさ」 キラはおもむろにレスターが持っていたライターを拾い上げると、ニアが所有権を持つデスノートと、金庫の中に置いてあったデスノート二冊を手に取り、しゅぼっと音を立てて火を灯した。 「え・・・?」 自分とレスターが何が何でもやらなければならなかった仕事を、あろうことかキラ側であるはずの弥 月(ライト)がやり始めたのを、サラはただ目を見開いて凝視する。 壮年の男と未だ幼い面影が残る少年は、淡々とした目。 残る同じ年頃の少女二人は、何が起こったか解らないという目。 異なる感情を込めて、燃え上がる小さな炎を四人の人間が見守っている。 「な、何でキラ、デスノートを燃やしちゃうのよ!」 金切り声に近い声で我に返ったネオンが問いかけると、キラはそれには答えず逆に姉に問いかけた。 「姉さん、ちょうどスターラーが立ち上げたパソコンから、ニアの映像が見えるだろ? 今、そいつの名前と寿命がどうなってるか解る?」 「え・・・?」 冷静なキラの質問に、サラは絶句した。 「ど、どういうことなの?!弥 音遠には死神は憑いていないはずじゃ・・・!」 死神が憑いていない限り、死神の目の取引は出来ないはずである。 それなのにキラは、死神たる弥 海砂が憑いている神崎ではなく、ネオンにニアの顔を見て名前と寿命が見えるのかと問いかけている。 (何なの・・・どういうことなの?!) 何が何だか解からないのは、キラ側であるネオンも同じだったが、それでも彼女は弟の言うがまま、サラが起動し監視カメラの映像を流しているパソコンに視線を移し、白髪の無表情な人間をじっと見つめた。 「・・・見えるよ、キラ。 だって、あんたがそのアンソニー・カーターって人が持ってたノートを燃やしちゃったんだもん」 「そう・・・それならいいんだ」 その答えを聞いて、キラは笑った。 それはつまり、このデスノートは間違いなく本物だったということ。 そしてヘッドフォンで、父親に連絡を入れる。 「やっと終わったよ、父さん」 淡々とした口調で、キラは父親に報告した。 「・・・レスターという男が持っていたデスノートと、金庫の中のデスノートは・・・全て燃やしたから」 「何考えてんのよ、キラ!説明してよー!!」 サラもネオンに同感だったが、目まぐるしく起こった事態に脳がついていかない。 つい十分前に起こったことが、彼女の走馬灯のように駆け巡る。 姉の叫びはもっともだったので、キラはクスクス笑いながら説明した。 「安心してよ、姉さん。 そう・・・全て父さんの計画通りだ」 「え・・・?ホント?」 半泣き状態だったネオンがしゃくりあげながら確認すると、キラは勝ち誇った表情を浮かべて繰り返した。 「本当だよ、姉さん。 僕らの勝ちだ、スターラー・ジャスティス」 「・・・・」 「何が何だか解らないって顔だね。いいよ、全て説明してあげる」 にっこりと人好きのする笑みを浮かべながら、キラは燃え尽きて灰になったノートを念のために踏みつけ、完全に消火する。 「だから、父さんの所に行こうか。 あ、先生、もう一つの仕事のほうお願いします」 「解りました。すぐにキラ様の仰せのとおりに致しましょう」 この場合のキラ様とは、夜神ライトのことである。 キラ教団本部の者とはいえ、弥 月(ライト)の本名は知らされていないからだ。 神崎がもはや抵抗する力のないサラを放すと、彼女は放心したように床に座り込み、灰になったノートと物言わぬ身体となったレスターをじっと見つめていた。 神崎は時計を確認すると、既に何かが書かれている紙にペンを走らせる。 デスノートの切れ端だ、とすぐに悟ったサラだが、薬が完全に抜けておらず、ミサが神崎の背後に立っているせいで動くことが出来ない。 「神崎先生、書き終わった?じゃ、行こうか。ネオンもおいで」 ミサが神崎の作業が終わったことを確認すると、余りに急な事態に困惑している娘の手を取った。 「スターラーちゃんもおいで。いろいろライトに聞きたいことあるんでしょ?」 先ほどの焦った様子など感じさせない明るい声で、ミサが誘う。 神崎に支えられる形で立ち上がったサラは、呆然としながらも白い翼の死神に先導されて、弥母子と神崎と共に、校長室を通って体育館へと向かう。 その足取りはまるで、護送される罪人のように重かった。