《Page17 疑問》 曲が終わると、クラスメイトから拍手が鳴り響いた。 「すっごい上手だったよ~、サワキさん」 「一回見ただけなのに、凄いよな」 賞賛の声の中、サラはぱっとライトから手を離し、照れたように頭を掻く。 「そうですか?ありがとうございます」 「ねえねえ、第二パートのこの辺が踊りにくいの。教えてくれない?」 「あ、私も~」 女子生徒がサラに群がってきたので離れていくのを見ながら、キラは思ったより体力の要るワルツに荒く息を吐いていた。 (・・・あれだけ動いているわりに、マスクに変化がないな。医療用なら、激しい運動は避けさせると思うんだけど) 素人考えだからか、とキラが考えを巡らせている中、サラはこちらに視線を送るでもなく、クラスメイトにコツを教えている。 (とにかく、何とかマスクを剥がして顔を見せさせるんだ。顔さえ手に入れば、名前も解るんだから) キラが姉の無邪気な眼光を思い浮かべながら校内の監視カメラのある場所を脳内で確認すると、ちょうどチャイムが鳴り響いた。 「皆さん、それまでです!明日から本格的に練習に入ります。 一週間ごとにパートが覚えられたか確認しますので、時間を見て練習しておいて下さいね」 悠里が解散を告げると、クラスメイトは更衣室に戻っていく。 サラも女子生徒に囲まれながら更衣室に足を向けるのを確認し、キラも更衣室に戻ると携帯にメールが入っているのが目に入った。 (姉さんから・・・) ちらっと横目でクラスメイトの様子を見ると、手早く着替えてカメラも人もいない場所に移動し、内容を確認する。 (“谷口先生に指令。サラ・サワキの家族の写真を手に入れるように”か。 彼女だけじゃなくて、家族も疑えってことだな) メールを消去したキラは、何の変哲もない算数の問題が書かれた紙を取り出し、その下に水に溶ける紙に書き写した指令内容のメモを貼り付けて、今度は職員室に足を向けて悠里の元に行った。 「あら、弥君。どうしましたか?」 「参考書の問題で、解らないところがあって・・・」 これは暗号で、『今キラから緊急指令が出た』という意味だ。 悠里はこくりと息を呑むと、すぐに笑顔になって問いかける。 「あら、そうですか。どんな問題ですか?」 「この問いなんですけど・・・」 キラが先ほど作成した指令メモを悠里に手渡すと、悠里はちらっと時計を見た。 「そう、これは少し難しいわね。今時間がないから、後でまた来て貰えますか?」 「はい、先生。それでは失礼します」 キラが立ち去った後、悠里は早足でトイレに向かい、鍵をかけて問題の下に貼り付けてあるメモの内容を確認する。 (サワキさんの家族の写真・・・学校に来る機会があったら、写真を撮れってことかしら) とてもそうは見えないが、彼女がキラに刃向かうLの仲間なのだろうか。もしくは彼女自身でなくとも、その両親がそうだとか・・・。 (詳しいことは、後で弥君に聞けばいいわ。とにかく、キラ様のご命令どおりに) 悠里は真剣な表情でメモをトイレに流して隠滅すると、何事もなかったかのように職員室に戻るのだった。 その後も滞りなく授業が終わり、キラはさりげなくサラの後を追った。 クラスメイトの女子が一緒に帰ろうと誘うが、彼女は送迎つきだからと言って申し訳なさそうに断っている。 「両親が事故で亡くなって以来、祖父が神経質になってしまって・・・」 そう言われてしまうと無理に誘うことも出来ず、女子は残念そうに引き下がった。 学校が終わると、キラはまっすぐに帰宅し、部屋に戻って鞄を置き、宿題のドリルと予習のためのノートを持って一階のリビングに下りた。 キラの部屋にはテレビがないので、ニュースを見ながらドリルをやろうと思ったのだ。 キラが再臨してから、犯罪の数は激減した。だがバレないとタカを括っているのか、はたまた自殺志願者なのかは解らないが、強盗や殺人のニュースが流れている。 こういうのをチェックするのは姉の役目だが、念のため自分の脳裏にもその犯罪者のリストを作成しながら、キラはドリルを解いていく。 ちょうどドリルが終えた頃、伯母にして養母が買い物から戻ってきた。かなり買い込んだのか、なかなか重そうな買い物袋を腕に提げている。 「お帰りなさい、伯母さん」 「ただいま、“ライト”。今日はアルバイトの夜勤だから、夕飯を作ったらすぐに出て行かないといけないのよ」 「いいよ、僕手伝う」 夕飯作りを手伝いながら取り止めのない話をしていると、弥がふとリビングの上のドリルとノートに目を留めた。 「“ライト”、悪いんだけどテーブルのドリルやノート、どけて貰えるかしら」 「あ、ごめんなさい。すぐに片付けるよ」 キラがドリルとノートを邪魔にならない位置にどけると、弥はキラが使っていたノートを見て何気なく言った。 「また黒いノート?本当に気に入っているのね」 「ああ、これ?黒じゃないよ、紺色。ま、似たような色だけどさ」 クスクス笑いながら紺色の表紙のノートを見せると、弥はあら本当、と呟いた。 「黒いノートなんて、そうそうないと思うけど。僕が前に持ってたのだって、たまたま知り合いから貰ったんだし」 「そうねえ・・・ああでも、この間患者さんが黒いノートを持っていたのを見たわよ。探せばこの辺りで見つかるかもしれないわねえ」 伯母の何気ない台詞に、キラは眉を寄せた。 「・・・患者さんって、どっちの?」 伯母の勤め先は自分の学校の校医が経営している皮膚科と小児科の病院と、夜勤のアルバイトをしている市民病院と二つある。 (まさか、デスノートじゃないだろうな。もしそうなら、どんな目的でデスノートを谷口病院に持ってきたんだ?) そう思いながら尋ねると、彼女はあっさり答えてくれた。 「皮膚科のほうよ。確か、大したことない発疹で来てた人だったと思うわ」 「よく覚えてるね。谷口先生の病院、結構繁盛してるのに」 「うちは小児科も兼ねてるから、あまり大人の患者さんは来ないのよ。それに、保険証持ってこなかった人だから、よく覚えてたの」 「・・・ふ~ん」 キラはそう応じると、明らかに怪しい人間に念のため父に報告するべきだと判断し、手早く夕飯の下ごしらえを済ませるのだった。 「保険証を持ってこなかった、黒いノートの所持者?」 キラが伯母から得た情報を父に話すと、ライトは顎に指を当てて考え込んだ。 「先月の中旬に、伊佐本と名乗る男。軽い炎症で保険証なし、ね」 ライトが持っているのは、キラが谷口和利に命じて手に入れたカルテのコピーだ。 「で、和利先生の病院につけた監視カメラの映像がコレ」 キラが持ってきた監視カメラのビデオを再生すると、音声は無理だったがわざとらしくノートを取り出したり落としたりする男が、確かにいた。 「こいつは・・・!」 生前にキラを追い続けた刑事の一人・伊出の姿を認めて、ライトは思わずガリっと音を立てて爪を噛む。 (伊出がいるということは、日本捜査本部の連中も力を貸しているということだな・・・思っていたより、行動が早い。 いや、確かにノートの出所の可能性があるなら、ミサを通じて弥一家という推理もあるだろうが、あいつはあの日僕を含めた捜査本部が持ってきたノートを本物だと思っていたはずだ・・・なら何故) ライトは険しい表情で考え込んだ。 ライトが想定していたのは、キラ教団にデスノートの所持者がおり、それが娘・ネオンだと解らせてネオンの元に誘き寄せる、というものだった。 だが伊出が黒いノートを持って弥の元に現れたところを見ると、彼女がノートの所持者だったと知っていたようにしか思えない。 あれが本物だとは思わない。おそらくそれを見せた弥の反応を見て、彼女がデスノートのことを知っていて、かつ所有しているかどうかをテストしたのだろう。 何とか触ろうとしたならクロだが、本物を触らせてしまえばその所有者に憑く死神が認知されることになり、ニア側にノートがあることがバレる可能性が高くなるからだ。 (確かにネオンが十歳になるまでは彼女がノートの所有者だったが・・・何故そこにあると解ったのか) 十年以上もキラが現れなかったのだから、ノートの出所はまた迷惑な死神からだと考えるとばかり思っていたが、これでは自分が捜査本部にあったノートをすり替えていたことを知っていたかのようだ。 (あれが贋物だと知っていたのは、僕とミサだけ・・・ん?) ふとライトは、人間では間違いなく自分とミサだけだったが、もう一人いたことを思い出した。それはかつて自分と共に活動していた、全ての始まりの死神。 (リューク・・・だがあいつは今、死神界にいるはずだが) ライトは死神になり、ある任務を死神大王から依頼された後、リュークに頼んだことがあった。それはあるノートに憑く死神としての権利を、別の死神に譲渡すること。 疑い深いライトは、しっかりリュークがシドウという死神にその権利を渡したことを確認してから人間界に降りたので、それは間違いない。 シドウには死神になってから一度も会っていないし、人間界に降りて人間に憑けばバクチのチップを山ほどやると言って買収しただけで、余計な情報は与えていない。 (・・・リュークがまたノートを手に入れて、人間界に降りたというようなことは・・・あり得るな) あの面白いものが好きな死神のことだ、事態をややこしくして楽しもうとして、引っ掻き回している可能性はある。 (いったん、死神界に戻るか。ノートが新たに人間界に出た可能性があるとなれば、戻っても死神大王に咎められない) ライトはそう考えると、ネオンに言った。 「ネオン、すまないがノートの所有権を僕に返してくれないか?ちょっと死神界に戻って、確認しなければならないことが出来た」 「え~、パパどこか行くの?つまんない!」 ネオンがふてくされた表情で抗議すると、ライトは娘の頭を撫でながら言い聞かせる。 「たった一日だけのことだ。お土産はないが、戻ったらお前がやりたがっていたゲームをプログラムして作ってやるから」 「う~、約束だからね!絶対作ってよ!」 念押ししたネオンはデスノートを取り出すと一枚を無造作に破き、ライトに差し出しながら言った。 「このノートの所有権を放棄しまーす!」 「ありがとう。じゃあ、すぐに戻るが、留守を頼んだぞ」 ライトはノートを受け取ると、翼を広げて夜空へと飛び、姉弟の前から姿を消した。 「あ~あ、パパいないとつまんないのに」 ネオンはぶつぶつ文句を言いながら、父が難しい顔で見ていたカメラの映像に視線を移す。彼女の目には、あらゆる人間の頭上に文字と数字が見えていた。 「この人、伊佐本じゃなくて伊出でしょ?偽名なんだから、絶対怪しいよ」 「あ、やっぱり?父さんのあの態度からして、そうだと思った。じゃあ、この男が持ってるのはデスノートなのかな」 「え~、何でデスノートなんか病院に持ってくるの?誰か殺した様子もないし」 ライトは説明がないままに死神界に戻ったため、子供達が推理を展開している。 幾つかの推理が飛び交ったが、結局答えは出なかった。 「父さん、珍しく少し焦ってたからね。説明なかったけど、戻ったら教えてくれるよ」 「うん、そうだけどさ~。やっぱキラを継ぐなら、この程度は理解できないとマズイと思うんだよね、ネオン的には」 「一理あるけど・・・父さんと比べるのは、今の僕らじゃとうてい無理だよ」 キラが肩を竦めて言うと、ネオンはパっと顔を輝かせた。 「やっぱり?パパに勝つのは無理だよね、パパは何でも出来るんだもん」 デスノートの紙切れを弄びながら無邪気に父を賛美する姉に、キラは言った。 「そうだね、姉さん。とにかく、父さんが帰ってくるまでにやっておくことがあるだろ」 「あ、そうだね。悪い人のリストを作成しなくちゃ。ノートノート」 ネオンはごく普通のノートを開くと、パソコンを立ち上げてインターネットを開き、そこに表示された名前を綴り、デジカメで写真を撮って犯罪者ファイルを作成していく。 「“屋久座 恐太”暴力団員で恐喝の上殺人容疑、こいつ偽名だから裁き不可。 “陪 仁次”麻薬密売人、こいつ本名だから裁きOK・・・」 その日は、犯罪者の裁きが昼までで終わり、夜に犯罪者が心臓麻痺で死ぬことはなかった。