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No.2120の一覧
[0] ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/01 23:36)
[1] Re:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/02 20:46)
[2] Re[2]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/03 20:01)
[3] Re[3]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2008/09/12 00:45)
[4] Re[4]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/06 21:15)
[5] Re[5]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/06 22:01)
[6] Re[6]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/23 01:53)
[7] Re[7]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/28 01:15)
[8] Re[8]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/09/03 20:47)
[9] Re[9]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/09/05 07:46)
[10] Re[10]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/09/17 09:44)
[11] Re[11]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/10/07 23:17)
[12] Re[12]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/10/29 10:31)
[13] Re[13]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/01/09 06:16)
[14] Re[14]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/03/02 06:09)
[15] Re[15]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/03/03 16:12)
[16] Re[16]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/03/08 01:23)
[17] Re[17]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/05/05 03:44)
[18] ワルキューレの午睡・第二部十節[ドジスン](2007/12/26 07:53)
[19] ワルキューレの午睡・第二部最終節1[ドジスン](2008/02/11 03:51)
[20] ワルキューレの午睡・第二部最終節2[ドジスン](2008/02/11 03:52)
[21] ワルキューレの午睡・第三部一節[ドジスン](2008/02/11 03:53)
[22] ワルキューレの午睡・第三部二節[ドジスン](2008/11/15 07:17)
[23] ワルキューレの午睡・第三部三節[ドジスン](2008/11/15 07:16)
[24] ワルキューレの午睡・第三部四節[ドジスン](2008/12/01 06:10)
[25] ワルキューレの午睡・第三部五節[ドジスン](2008/12/08 17:11)
[26] ワルキューレの午睡・第三部六節[ドジスン](2008/12/08 17:13)
[27] ワルキューレの午睡・第三部七節[ドジスン](2009/04/14 00:40)
[28] ワルキューレの午睡・第三部八節[ドジスン](2009/07/27 00:36)
[29] ワルキューレの午睡・第三部九節1[ドジスン](2009/09/21 01:05)
[30] ワルキューレの午睡・第三部九節2[ドジスン](2010/03/19 02:00)
[31] ワルキューレの午睡・登場人物表/あらすじ[ドジスン](2011/02/25 00:16)
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[2120] Re[3]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)
Name: ドジスン◆bcd22b31 前を表示する / 次を表示する
Date: 2008/09/12 00:45




4.Firestarter (前)






「はい。各所で絶賛の呼び声も高い授業注目の二回目です。早速主任に説教されてへこんだので、今日は予告どおり記紀についていくつか喋りたいと思います。んで、ちょっとこれは喋りだすと私のほうが止まらない予感がするので、先にプリントを配っておきますね。プリントの方はキッチリテスト範囲を見込んだ内容をまとめてあります。答え合わせは授業の最後。で、前半は私、ひたすら記紀について喋るので、『記紀なんて常識だろ』という人や『最終的に受験に出ないなら必要ない』という人は聞き流してオーケーです。ただ教養が問われる今回は、例外的に何人かには不意を討って質問とかするから油断しないようにね」

 いつの時代も、嫌われる授業とは即ち生徒の負担が大きい授業である。いきなりざわつき始めるクラスメートに苦笑すると、高村は手早くプリントを配り始めた。

「そんじゃ早速。記紀神話について知ってる事、誰かに聞いてみます。まず皆さんがどれだけ知ってるか、っていうのを把握したいからね。最近の高校一年生の認識ってのはどんなもんなのか。じゃあ、えっと、瀬能あおい」
「はっ、はい」がたんと椅子を鳴らして、指名された女子生徒が立ち上がる。「えっと、日本神話? を集めた本だったりしたようなしなかったような……」
「うん、半分正解」高村は頷く。「でもちょっと足りないな。記紀って言うのは古事記と日本書紀のことなんだが、ではこの二つの違いは何にあると思う? 次、鴇羽舞衣」
「確か……日本書紀は勅撰で、古事記はそうじゃなかった、って教わりました。あと、日本書紀は正史だけど古事記は微妙に認めてられないとも」
「そうだな。大体においてそういう認識で問題はないと思う。いわゆる六国史、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、あとは日本文徳天皇実録に日本三代天皇実録だな……に連なる系譜の、一番最初がこの日本書紀というわけです。古事記が神話的だけに外向的な性格を持っている一方で、日本書紀は主に内向きの記録と言われています。っていきなり言ってもなんだかわからないだろうから説明するんだけど。それじゃ次の、春妹。この記紀が編纂されたのは八世紀初頭なんだが、どうしてこの時期に国史、国の歴史だな、これを明らかにするような動きが生まれたんだと思う?」
「国を支配する上での朝廷の正統性を、主張するためではないでしょうか」留学生の春妹は、小首を傾げる。「どちらもわたしは直接目を通したことは一二度くらいしかありませんが、古事記にしても、創世の神話という意味では宗教色が見えるものの、結果的には神武天皇から始まる皇家の血を筋立てているものである、と記憶しています。後年本地垂迹説によってあっさりと仏教に感化されるあたり、この頃はまだ神道も政治の道具以上の性格は薄かったのではないでしょうか」

 しん、と教室が静まり返る。すげえな、と真後ろの席に座る楯祐一が囁くと、春妹は顔を赤らめてうつむいた。

「ああ。ありがとう」やや呆気に取られながらも、高村が授業を再開した。「なんか一気に喋る事を取られてしまいました。よく勉強してますね。細かな部分では詰めが甘いけど、そうやって歴史の動きから当時を生きていた人間の思想や思考を推し量るのは大事な事です。記録とは即ち過去の人たちがどう生きたか、ということを念頭に置けば、興味や感情移入によって憶えやすくもなります。ところで、春妹は留学生なんだっけ?」
「はい……」恐縮しながら春妹が頷く。
「ちなみに、どこから?」
「アルタイです」
 高村が動きを止めた。「アルタイって、あのアルタイ共和国か。ロシアの近くにある」
「どこかはともかく、アルタイです」
「……他にもあるのか?」

 訊ねると、眉を下げて春妹は微笑むのだった。

「どうなんでしょう」

 ※

「しかし、授業って週何度もやるもんじゃないよなぁ」
「はあ、そうなんスか?」

 午前中最後の授業を終えると、とりあえず生徒会室に顔を出して言伝を預かるのが楯祐一の日課だ。いつもならば無為な思索に時間を潰しながら騒がしくなりはじめる廊下をただ歩くのだが、この日は珍しく道連れがいた。先日赴任してきた新任教師の高村恭司である。学園に来てからまだ見ていないのが生徒会だけだという事で、楯がその案内を頼まれたのだ。

「うん。教える方も教えられてる方もさ、週に二回も同じ授業なんか受けたら疲れると思わないか。しかも進学クラスなんか特に一時間目から七時間目までコマがびっしりだろ。今さらながら、俺はよく高校生をやってたと思うよ」
「でも、気分的には楽なんじゃないスかね」根が体育会系の祐一は、とても教師には見えない高村に対しても礼を尽くしてしまう。「高校入ってちょっとバイトなんかしたりすると実感しますけど、やっぱ楽っすよ、学生って。授業中だってただ座ってれば問題はないわけだし。それに比べると社会って厳しいなぁ、とか」

 中学時代は朝な夕なとなく剣道部で汗を流した祐一だ。ただ登校し、決められた授業を受けてさえいれば残りの時間は自由に使える立場の気軽さは身に染みている。もっともそれが彼自身にとって歓迎すべき事なのかは、まるで判然としなかった。ぬるま湯のような日々に、疲れきった心身が癒えているような感覚は確かにある。しかし末端から、築き上げてきた自分が腐り落ちていく心持ちも、決して錯覚ではないのだ。

「そりゃ高校生は気楽だよ。ただ、もちろん気楽さの中にも気苦労はあるだろ? 生徒会なんてのはその最たるもんだ。俺なんか、高校時代は極力関わらないようにしてたぞ」
「いやぁ。俺はなんつーか、ただの手伝いみたいなもんですから。本当にスゲェのは会長とか副会長ですよ。はっきりいって高校生じゃねーっすよ、あの人たち」
 完璧を絵に描いたような二人を思い浮かべて祐一は詠嘆する。
「嘱託ってことか」なぜか重々しく高村は呟いた。「それはそれで気苦労が多そうだ」
「……はい、実は結構」多分に本音を混ぜて祐一は嘆息した。
「ま、キツイときは適当に息抜きしろよ。若いうちは体は相当な無理にも耐えるんだけど、精神的にはなかなかそうも行かない。根性がある、とかそういうレベルじゃなくてな。不慣れなことが多いから、心の処理もスムーズには行かないんだ。これが歳を取ってくると逆になって、面の皮は厚くなるんだが、今度はちょっとしたことでも肉体の方が悲鳴を上げる。ままならないもんなんだ」
 俺なんか元気そうに見えるが実は余命幾ばくもないんだぜ、と笑う高村に噴出しながら頷いて、おや、と祐一は目を瞬いた。「先生って、もしかして武道かなんかやってました? じゃなければ、茶道とか」
「いや? 習い事とはトンと縁がないね。生まれてこの方文系一筋だけど、なんでまた」
「ん、いやなんか、歩き方がぴんと背筋通ってるっつーか。それに結構ガタイ良くないですか? 胸とか腕回りとか」

 童顔のために威厳や迫力には決定的に欠ける高村だが、独特の講義をはじめ立ち居振舞いや物言いには不思議な説得力があった。年齢は二十歳半ばということだから、そこはやはり社会経験の差なのだと祐一は思う。

「そうか? フィールドワークの成果かな」とんとん、と高村は腰を叩く。「そういう楯こそ姿勢がいいよな、歩くときは。授業中は前線の歩兵みたいに頭を低くしてたけど。トーチカでも見えてたか」
「そりゃだって……指されたくなかったんで」本音をこぼしてしまってから、祐一は失言に気づいた。案の定、高村は底意地の悪そうな笑みを浮かべている。
「じゃあ次回は一発目おまえからな」
「マジですか!? 勘弁してくださいって……あ?」

 と、生徒会室を目前にしたところで、祐一は引き戸の前で居心地悪そうに佇む少女を見つけた。またぞろどっちかの先輩の追っかけか、とため息をつきかけるが、そうではないとすぐに気づく。特徴的な髪型が、あまりにも見慣れたものだったからだ。
 目を剥いて、思わず大きな声で呼びかけた。

「詩帆。なにやってんだおまえ。ここ高等部だぞ」
「あ、お兄ちゃん」俯いていた宗像詩帆が、ぱっと顔を上げて駆け寄ってきた。「もう、遅いよ。どこ寄り道してたの」
「知らねえよ。なんでこんなトコまで来てるんだ、執行部に呼び出しでも受けたか?」
「ひっどーい。あたしそんな不良じゃないもん」いささか小児的に、詩帆が頬を膨らませた。「朝メールしたじゃん。お弁当作りすぎちゃったから持っていってあげるって。どーせ今日も購買のパンか学食なんでしょっ」
「あー。ンなもん適当でいいんだよ。余ったんなら夕飯で喰うか明日の弁当に回せばよかったのに」
 
 そういえばそんなメールがあったな、と祐一は吐息する。傍らの高村の視線が妙に気になって、気恥ずかしかった。十三歳にもなって昔のままの調子で時と場所を選ばずじゃれついてくる詩帆である。決して嫌っているわけではないのだが、邪険にしてしまうのだった。

「うちじゃそんなに食べないもん。それにこの季節に一日置いておいたらスグ傷んじゃうもん。せっかくお兄ちゃんのために大きいお弁当箱だって持ってきたんだから、責任もって食べてよう。はい、どうぞ。美味しいよー。お兄ちゃんの好きなものがいっぱいだよー」
「あのなぁ……」なんで余りものに好物がたくさん入っているのだ、とは口にしない。祐一も詩帆の意図するところぐらいはわかっている。
「折角なんだし貰えばいいじゃないか、楯」と、口を挟んできたのは高村だ。
「ですよね!」得たりと詩帆が勢い込む。「それでこちらは、お兄ちゃんのお友だち? 同じクラスの人ですか?」
「……」高村が凍りついた。
「ばっ、ばか! 背広着てんだぞ、見ればわかるだろうがっ。先生だよ先生! 新しく来た先生だっつーのっ」慌てて、祐一はフォローに回る。
「えーっ。そうなの? 見えなーい。わかーい」その努力を、一瞬で台無しにする詩帆だった。
「ど、どうもスイマセン先生、こいつ頭の中空っぽで」
「いや、いいよ」高村は諦観をまとう。「それより弁当、遠慮無く貰えって。ところで君は、楯の彼女?」
「違います。なんでそうなるんスか」
 言下に否定したものの、「そうでーっす」と詩帆が祐一の腕を抱いたために幾分空々しい空気が流れた。
「参ったなー。あたしたちやっぱりそう見えるんだよお兄ちゃん」
「見えねえよ。からかわれてんだよ。だいたいお兄ちゃんとか呼ぶんじゃねえよ」
「あ、どうも初めまして先生。あたし中等部二年の宗像詩帆です。お兄ちゃんがいつもお世話になってます」
「ああ、社会科新任の高村だ。そのうち中等部にも教えに行くと思うから、よろしく」
「聞けよ!」と祐一は声を荒げるが、詩帆にしても高村にしてもまったく動じない。
「とりあえず、妹ではないんだ?」高村が微笑ましそうに目を細めた。
「全くの他人っスね」

 ひどい、とまた詩帆が口にしかけたとき、がらりと音を立てて生徒会室の引き戸が開いた。

「それじゃ、失礼しましたぁ」

 気だるげにいって出てきたのは、祐一にも何度か見覚えのある少女だ。執行部の綱紀粛正に最近たびたび引っかかる中等部の生徒で、夜間外出の常習犯ということだった。そのため他には特に素行が悪いという内申はないのに、呼び出しの常連に名を連ねている。鬼の異名を取る執行部長に、完全に目をつけられたのだ。
 また彼女は援助交際をしている、という噂もあった。そんな話を聞けば、祐一も年ごろの少年である。性的な関心を含んだ目で見つめずにはいられない。色白で線のはかない、いわゆる美少女なのだが、どちらかといえば闊達で肉感的な異性が好みの祐一にも、彼女が売春などという行為をしているとは思えなかった。執行部長には多分に強引な所がある。今回もその手の誤解なのかもしれない。

「待ちなさい、結城さんっ。話はまだ終わってないんだから!」
「お昼食べる時間なくなっちゃうんでー」

 ぴしゃりと戸が閉じられる。背後から飛ぶ怒声を意に介さないあたりは、さすがに大胆である。少女、結城奈緒は、当世風にカットした髪に指先で触れながら、祐一とその腕を取る詩帆を関心なさそうに一瞥し、素通りしようとした。
 が、ぴたりとその歩みが止まった。彼女の視線は一箇所に固定されている。
 矢先には、ひらひらと手を振る高村教諭が立っていた。

「うげえ。ホントに先生だったんだ……」

 奈緒が小声で呟くのが聞こえ、祐一は眉をひそめる。奈緒のものであろう香水の馨りが、ほんの少し匂われた。
 肩を竦めると、奈緒は値踏みするように高村を見回した。双眸は警戒と猜疑心に満ちている。

「……この間はどうも」どうとでも取れる台詞は、出方を窺うかのようだ。
「よう。こっちこそ」対して高村は、泰然たるものだった。「明るい下で見た方が美人だな」
「……」一瞬だけ目を丸くし、徐々に表情に険を宿すと、唇を吊り上げて奈緒はいった。「それ、セクハラですよ」
「褒めても怒られるなんて、まともな社会じゃないと思わないか。女の子が追い剥ぎやる社会に比べれば、マシかもしれないけど」
「なにそれ。皮肉?」奈緒が乱暴に髪をかきあげる。面倒だとでもいいたげだった。「説教でもしたいんですか、センセイ?」
「されたいのか?」
「冗談。死ねって感じ」
「俺もする気はないよ。ただ、親を心配させるような真似は控えた方がいいぞ」
「――」

 反応は劇的だった。驚くほど鋭く変じた奈緒の眼を、祐一は危いと感じた。細い肩が強張り、握りしめられた拳が何かを掻くように動く。まるで攻撃の準備行動のようだと感じて、まさかな、と祐一は自身の判断を一笑にふした。いきなり教師に手を挙げれば、風華学園では最悪退学処分もありえる。
 しかし、その手は一瞬だけ鈍く輝き閃きかけて――
 高村の指が、ばちこんと奈緒の額を弾いた。
 うわ、と祐一は眉を集めて自分の額を撫でた。相当な快音が耳に届いたのだ。

「でこぴん」と高村はいった。「言ったそばから危ないヤツだな、おまえ」

 奈緒はすぐに答えなかった。両手で額を押さえて、悶絶している。指の隙間からきっと高村を見上げた瞳は、潤んでいた。しかしそれ以上は何も言わず、大丈夫か、と伸びかけた高村の手を凄まじい勢いで払い落とすと、早足で去っていった。

「おっかねえ女だなぁ」女っておっかねえなぁ、と言い換えるべきだったかも知れない。見てくれだけが真実ではないと学んだばかりの祐一は、とりあえず当り障りのない言葉を口にする。
 それを受けて、詩帆が呟いた。「あのひと、嫌い」
「なんで。なんかされたんか? おまえ学年違うだろ」
「そういうわけじゃないけど……なんとなく、ヤな感じなの」
「へえ」

 要領を得ない言葉に、祐一は鼻を鳴らす。大人しいようで内弁慶な詩帆は、意外と人の好き嫌いが激しい。今回もその範疇だろうと判断した。と、

「よーし。それじゃ、早速生徒会の見学と行こうか」
「……大物ですね、先生」にこやかに笑う高村が、祐一には宇宙人のように見える。「……って、先生、その胸なんですか?」
「え?」と祐一の指先を追って高村が胸元に目を落とし、うおっとうめいた。いつの間にか、高村が下げていたネクタイが、結び目の丁度真下から完全に分断されていたのである。この男が驚くのを、祐一は初めて見た気がした。「やられたな……。今全身鳥肌立ったよ、この蒸し暑いのに。冷や汗まで流れた」
「まさか」はっと気づいて、祐一は結城奈緒が去った廊下を振り返った。「あいつ、ナイフかなんか持ってたんじゃ」
「いや、いいよ。抛っておいて。きっとさっきのは、俺も悪かったんだろう」ばつが悪そうに、高村が後頭部を掻いていた。「今度会ったら謝っておく。あとネクタイ代せびる。ついでにズボン代も」
「……いいんスか、それで」
「うん。だからさっき言っただろう」したり顔で高村は頷いた。「歳を取ると、誰しも図太くなるんだよ」
「なんだか先生って、先生っぽくないですね」詩帆が不思議そうに呟く。
「これは、おまえらに言うべきことじゃないかもしれないけど」と高村が嫌そうな表情でいった。「心構えが雑すぎるんだよ、俺は。こんな調子じゃ、やっていけないと思う。教えること自体は割と好きなんだが、向いてないのかもな」
「……」

 ならなぜ教師になんかなったんだろう、と祐一は思う。思うだけだ。さすがにそこまで踏み込めるほど、彼らの間柄は近くない。しかしその意をすぐに汲んだのか、高村はネクタイを解きながら、微苦笑した。その顔が一気に十歳も老け込んだように見えて、祐一はぎょっとする。

「色々あるんだよ。俺みたいな凡人でも、生きてれば」

 ※

「ちぃーす」

 と、祐一が足を踏み入れると、ちょうど生徒会長の執務机に勢いよく紙束が叩きつけられる場面に出くわした。すわ決闘か、と高村は目を丸くする。

「だぁーかぁーらぁ! 貴女の采配はいちいちいちいち温いんです!」書類を手袋と間違えたのか、という勢いで少女が詰め寄る相手もまた、少女だった。風華学園生徒会執行部部長、珠洲城遥である。「今の結城さんに対してもそう! 一度ばしィーッと処分を下さない事には、周囲への示しがつきません!」

 そして彼女を向こうに回してのんびりとした表情を崩さないのが、生徒会長藤乃静留であった。

「そないなこと言いはってもなあ、珠洲城さん。確たる証拠もなしに処分を下すことはできません。見た感じ、あの結城さんいう子も意外としっかりしとるみたいやし……。そもそも、判例言うたら大げさやけど、夜間外出には訓戒が慣習どす。そこのところどうしはりますの」
「あ、まァーい!」血管が切れそうなほど激しく、遥が叫んだ。「証拠ですって!? 尋問すればいくらでも出てくるにきまってるわ! そんな日和見、甘ったるくて糖尿病寸前よっ! 判例だの慣習だのは、書き換えるためにあります! 問題が起きてからでは遅いんです! 風紀を取り締まる立場にはこれシーソー烈日の心意気であたるのが当然でしょうッ!」
「秋霜烈日だよ遥ちゃん……」小声で訂正したのは、書記の菊川雪乃である。
「せやかて、反省してます言われたらもう、うちらがそこまで厳しく追及するのはどないやろねぇ」
「あんなの! 表向きしおらしくしてるだけに決まってるでしょうっ」
「せやね。やけど、堪忍な、っていわれたら許すのも人の道思います」
「んああぁあーもう! そもそも最近何もかも色々おかしすぎるのよ! 先月はフェリーが沈んだのにローカル版でしか記事にならないし、やたら事故は起きるわ学内でも負傷者が続出するわっ。陰謀よ、陰謀の香りがするわ……! そしてそれもこれも会長、あなたの手ぬるい事なかれ主義がこまねいたものだという自覚はおありですか!?」
「こまねいたじゃなくて招いただよ、それじゃ意味が重複してるよ遥ちゃん」
「雪乃! 外野からいちいち人の重箱の隅を取らないで!」
「うん、ごめんね。でも取るのは重箱の隅じゃなくて揚げ足だよ」
「せやねえ」

 言いつつ悠然と茶をすする静留は、一枚も二枚も役者が上手という風情だ。

「ゲシュタポか特高みたいなこと言いながらボケてるけど芸人か、あの子」と高村が漏らしたのを聞いて、祐一は部屋の隅に退避しながら説明した。
「よその学校のことはよくわかんないスけど、ウチじゃ生徒会や執行部の権力が異様に強いんですよ。予算も半端じゃねえし。んで、学生自治が基本だから、自然に執行部は厳しくなるんです。……まあ、それにしてもあの緑のでぼちん、珠洲城先輩っていうんですけど、あの人は歴代でも特に厳しいっス。異様に使命感燃やしてるみたいで。……つっても、あの会長、藤乃先輩にはいいようにあしらわれてんですけどね」
「へえ。マンモス校はさすがだな……っていうか、あっちの京都弁の子が会長なんだな。俺はてっきり」高村は近づいてくる詰襟の青年を目線で示して、「彼がそうなのかと思ってた」
「やあ、楯くんいらっしゃい」微笑んで、神埼黎人が非の打ち所のない角度で会釈して、高村に右手を差し出した。「こちらは高村先生、ですね。他の先生方からもお話は伺っていますよ。僕は生徒会副会長の神埼黎人です。どうぞ、よろしくお願いします」
「社会科の高村だ。こちらこそよろしく」高村が、釈然としない様子で伸ばされた手を握り返す。「すごい色男だな」
「ありがとうございます」一寸の照れもなく、神崎は笑った。
「なんというか、ユニークな生徒会なんだな。それにカラフルだ。生徒会は色違いの制服を着る規定もあるのか?」

 そういえばそうだな、と祐一は遅ればせながら同意した。不純異性交遊を禁じているわりに、風華学園では制服の改造が半ば容認されている。それでも遥は緑、静留はベージュと一般生徒とは明確に区分できる。神崎の場合は冬服を夏場にも着用しているだけなのだが、目立つことに変わりはない。

「ええ。風華学園の生徒会役員、その幹部ともなれば、色々と責任がつきまといますからね。常に己の立場を忘れないためにも、という慣わしのようですよ、どうやら」
「大変なんだなぁ。下手したら教員よりよっぽど苦労しそうだ」
「まさか。先生方の労苦に比べたら、まだこちらは気楽ですよ。なんといっても、僕たちは学徒ですからね」
「俺も一応、まだ大学に籍はあるんだよなぁ。論文も書かなきゃならんし。あ、そうだ」と、そこで高村が手を打った。「なあ、このへんで珍しい伝説が残ってる場所とか知らないか。図書館に行けばすぐわかるんだろうけど、まだ忙しくてなかなか足を運べないんだ」
 それを聞いて祐一は、神埼と顔を見合わせた。「俺はちょっと。先輩はどうです?」
「そうですね。そういった話ならいくつか聞いた憶えがあります。とはいっても、珍しいというとどうでしょうね。僕も一時期そういった伝承を趣味で読み集めたことがありますが、傾向としては悲恋譚などが多かったような気がします」
「悲恋譚ねえ。俺はハッピーエンドが好きなんだけどな」
「僕もですよ。だけど、史実を元にした後に残る物語といえば、やはりどうしても悲劇になってしまうんでしょう」
「ま、そうだな」同意した高村が、目ざとく祐一にあやをつけた。「どうした、楯。納得行かないって顔だぞ」
「いや、別に大したことじゃないんですけど。なんで悲劇の方が後に残りやすいんですか?」
「完結しているからだ」きっぱりと高村がいった。「たとえばこうだ。二人は末永く暮らしました。めでたし、めでたし。でも本当に、そんなことあると思うか?」
「そりゃ、あるんじゃないですか」
「でも、つまらないだろ」口調はあっさりとしすぎていて、祐一は反感を抱く事さえできなかった。「ということは、薄まっていくんだ。結果、あまり印象深い物語にはならない。人の口には上らず、美化されることもない。幸福は、それ自体美しいともいえるが、結局のところ多くの場合現実的なものだ。娯楽的魅力に欠けるんだな。『めでたしめでたし』は、いわば営々と積みあげていく属性を持っている。後味が良いということは、すぐに消えるという事だ。だから、印象に残らない。だけど悲劇的な結末は、傷を刻む性質を具えている。後味の悪さは、ときに長く残留する。同情と共感を聞いた人に呼び起こし、なぜ幸せな結末にならないのか、という思考を促す。そうだな、恋愛物語で例えてみようか。必要最低限のストーリィとしてのセンテンスはこんなところだ。『二人は出会った』『そして恋に落ちた』『だが困難が訪れた』。起、承、転ってやつだ。さて、ここから結末は分岐する」
「……」

 いつからか、神崎と祐一以外の人間も高村の話に傾聴していた。珠洲城遥は奇妙な顔で、菊川雪乃は興味深そうに、そして意外にも、藤乃静留は真剣な顔で。

「ひとつは、『困難に打ち克って結ばれる』。もちろんもうひとつは、『困難に負けて破局を迎える』だ。だがここでは、後者のストーリィは物語として秀逸とはとても言えない。なぜかって? 不幸だが、ありふれているからだ。すなわちただ不幸なだけでも、やはり印象には残りにくい、ということ。まあ当人たちにしてみればそれこそ知ったことか、って感じだろうけどな。とにかく、劇的、嫌な言葉だな、劇的という属性を、平凡化によって失うわけだ。つまり、前者の『結ばれる』という結末が物語としてのカタルシスを生む。さらにその正負がそのまま大団円と悲劇的結末の別れ道になる。ロミオとジュリエットはみんな知ってるか?」
 神崎が頷いた。「ええ。それはもちろん。シェークスピア悲劇のひとつですよね」
「そう。リア王、ハムレットオセロゥ、マクベス……と来て、少しグレード下がってロミオとジュリエット。シェークスピアは知らずともロミオとジュリエットを知らんって人はなかなかいないくらい、これは恋愛悲劇の好例だ。まあかの大作家はストーリーテラーとしてずば抜けすぎていて、『十二夜』やら『真夏の夜の夢』を見れば分かるとおり、正直この類型には当てはまらないけどな。ま、これは物語というものが洗練される前の形式論だと思ってくれ。説話ってのは、別にプロが丹精込めて作り上げたもんじゃないからな。ってことで便宜的に有名どころを取り上げたが、実はこれ、今までの話には微妙にあてはまらん。……で、遠まわしにしてもしょうがないし、結論を言ってしまおうか。『結ばれた』『そして末永く幸せに暮らした』。『結ばれた』『しかしそれは死によってのみ果たされる約束だった』。さあ、どちらがドラマティックだと思う?」
「……なるほど」答えるまでもなく結論は出ていた。祐一にしても、飲み込める話だ。「そういうことなら、断然悲劇っすね」

 ほう、と誰からともなくため息が漏れた。「喋りすぎたな」と高村が頬を掻く。

「興味深いお話どしたなぁ」微笑みながらそう言ったのは、藤乃静留だ。「でも先生。その法則があてはまるにはもひとつ、大きな前提があらしませんやろか」
「そうだよ。欠点とも言い換えられる」こともなげに高村は頷いた。「いまのって全部、現実を下地にした話の場合なんだよな。ノンフィクション前提で、現代ではワイドショウの中でもなきゃ探せないんだ。事実は小説よりも奇なりじゃないが、面白いフィクションの条件は、必ずしも結末じゃない。ハッピーエンドだって後世に残る名作はたくさんある。これらは元からドラマとして作成されているからだ。だけど現実はそうじゃない。悲劇ばかりが、物語化されて、胸を打つ。現実だからこそやるせなくなる。そしてだからこそ、面白い。感情を揺さぶる出来事は、あまねく娯楽だ。皮肉な見方をすればこうなるな。『他人の不幸は、蜜の味』。お粗末」
「嫌なオチっすね」祐一は、苦笑するばかりだった。
「予定外の講義になった」そういうと、高村は背伸びして笑った。「さて、もういい時間だし、そろそろ食堂行かないとくいっぱぐれるか。それじゃ、邪魔したな」

 返事を待たず歩き去る背中に、面々が苦笑した。

「なんだか変わった先生ね」遥がぴんとこない様子で呟く。
「そうかな。でも、高村先生の授業は面白いよ」雪乃はなにか感じる所があったのか、得したとでもいいたげである。
「なんにしても、いきなり来はったと思うたら難しいこと喋りはってすぐ行ってしもうて、せわしない人やわぁ」
「――邪魔するぞ」

 と、高村と入れ違いで、閉じた扉が再び開いた。

「あら、なつき」静留が顔を綻ばせた。

 現れたのは玖我なつきである。彼女も結城奈緒と同じく問題児ではあったが、なぜか藤乃静留と懇意にしていて、特に用がなくとも生徒会室に入り浸っていた。

「高村がここから出てきたな」開口一番、なつきは静留に向かって訊ねる。「なにをしていたんだ、あいつは」
「そういうたら、高村先生はなつきのクラスの担任どしたな。面白い話を聞かせてもろたけど、それがどうかした?」
「どこに行ったかわかるか?」
「たしか、食堂に行くて……あ、なつき?」最後まで聴き終えず、また来る、と言い残してなつきは踵を返した。静留が無念そうに吐息する。「……もう。ここにもせわしない人がひとりおった。いけずやな」







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