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No.2120の一覧
[0] ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/01 23:36)
[1] Re:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/02 20:46)
[2] Re[2]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/03 20:01)
[3] Re[3]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2008/09/12 00:45)
[4] Re[4]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/06 21:15)
[5] Re[5]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/06 22:01)
[6] Re[6]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/23 01:53)
[7] Re[7]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/08/28 01:15)
[8] Re[8]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/09/03 20:47)
[9] Re[9]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/09/05 07:46)
[10] Re[10]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/09/17 09:44)
[11] Re[11]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/10/07 23:17)
[12] Re[12]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2006/10/29 10:31)
[13] Re[13]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/01/09 06:16)
[14] Re[14]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/03/02 06:09)
[15] Re[15]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/03/03 16:12)
[16] Re[16]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/03/08 01:23)
[17] Re[17]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)[ドジスン](2007/05/05 03:44)
[18] ワルキューレの午睡・第二部十節[ドジスン](2007/12/26 07:53)
[19] ワルキューレの午睡・第二部最終節1[ドジスン](2008/02/11 03:51)
[20] ワルキューレの午睡・第二部最終節2[ドジスン](2008/02/11 03:52)
[21] ワルキューレの午睡・第三部一節[ドジスン](2008/02/11 03:53)
[22] ワルキューレの午睡・第三部二節[ドジスン](2008/11/15 07:17)
[23] ワルキューレの午睡・第三部三節[ドジスン](2008/11/15 07:16)
[24] ワルキューレの午睡・第三部四節[ドジスン](2008/12/01 06:10)
[25] ワルキューレの午睡・第三部五節[ドジスン](2008/12/08 17:11)
[26] ワルキューレの午睡・第三部六節[ドジスン](2008/12/08 17:13)
[27] ワルキューレの午睡・第三部七節[ドジスン](2009/04/14 00:40)
[28] ワルキューレの午睡・第三部八節[ドジスン](2009/07/27 00:36)
[29] ワルキューレの午睡・第三部九節1[ドジスン](2009/09/21 01:05)
[30] ワルキューレの午睡・第三部九節2[ドジスン](2010/03/19 02:00)
[31] ワルキューレの午睡・登場人物表/あらすじ[ドジスン](2011/02/25 00:16)
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[2120] Re[2]:ワルキューレの午睡 (舞-HiME)
Name: ドジスン 前を表示する / 次を表示する
Date: 2006/08/03 20:01






3.Humint






 人が去りつつある船中で、少女二人が交錯していた。
 火線が走り、刃がそれを薙ぐ。
 玖我なつきは集中を逸らさずに駆ける。追走する影に二度三度と発砲しながら、コンテナの陰に飛び込んだ。
 直後に耳を聾する不協和音が鳴り響き、同時に金属製の匣が音を立てて拉げた。なつきを狙う敵の一撃が為したのだ。

「化物めッ」

 飴のように鉄を斬る手腕に戦慄しながら、それでもなつきは己を鼓舞して立ち上がる。コンテナがゆっくりと倒れた先にある薄暗がりに目を凝らすと、長剣を提げた影が見えた。彼女の胸ほどしか背のないその少女、美袋命が、離れ業の体現者である。
 呼吸を整えながら、なつきは命に銃を突きつけた。

「おまえ、どうあっても帰る気はないんだな」

 応えは敵意に満ちた視線だ。なつきの見知る日本刀とも西洋刀とも趣の違う得物が、妖しく輝きはじめる。

「なら、痛い目を見てもらおうか」

 言い終わるやいなや、二人は動き始める。機先を制したのは長剣を持つ命である。間合いの点で絶対的に不利な彼女には、そうする以外に行動の選択肢はない。そして無論、なつきもそれを承知している。美袋命の剣腕が、常軌を逸しているということもだ。
 雄叫びと共に地を蹴る命を、なつきは冷静に見定める。拳銃を手にする彼女は、単純に速さの点で命より数手上を行く。照準を合わせて発砲するまでには秒も要らない。
 ためらいなく放たれた銃弾を、しかし命はすんでで躱す。ほとんど直角の軌道である。なつきが同じことをすれば、即座に体を傷める動きだ。獣のような体術。しかし、なつきの予測を外れるほどではない。

「無駄だ」

 焦燥を億尾にも見せず、ただ銃口がスライドする。不意を衝くという意味では効果的な挙動だが、間合いの取り合いをする現状で読まれればただの悪手である。心中で幾分辛くそう採点して、引き金を引いた。
 甲高い音が貨物室にこだました。

「な、にぃ」

 口角を吊って、なつきは一瞬言葉を失う。
 命が、立てた剣の腹で銃弾を防いだのだ。得物の尺が背丈ほどあるといっても、人間業ではない。
 そして一瞬と置かず、そのままの姿勢で走り出した。我に返ったなつきが数度引き金を絞るが、命は些少の弾着をものともしない。太股を、脛を穿たれ、身に付けた制服が破れて血を流しても、決して速度を緩めずになつきに肉薄する。

「ばかっ、死にたいのか!」

 どこを撃っても致命傷になる。その距離まで接近されて、なつきは初めて選択を迷った。一度も最適手を見誤らなかった命との、これが明確な差となって決着を招く。剣の柄で顎を打たれ、傾いだ体を命の足が刈る。勢いよく床に倒れた体を、遠慮呵責のない蹴りが襲った。

「おまえには、無理だ」

 刹那呼吸を止めたなつきは、戦闘時には一変する命の狂的な表情に、かすかな嗤いを見た。
(――こいつ)
 その意図を即座に察して、なつきは歯がみする。
 底を読まれた。読んだ気にさせた。
 屈辱と共に、臓腑の底を熱が炙る。怜悧な外面に反し、なつきは激情の女である。一度怒り心頭に達すると、後先を顧みない所があった。

「……図に乗るな。誰が無理だと……?」

 突きつけられた剣の刃に、ひそかに再物質化させた銃を突きつけ、撃ち放った。手加減なしの最大出力である。それでも手放さずに大きく剣を泳がせただけの命は、やはり異常だ。しかしその間隙で、反撃には充分すぎた。全力で足を突き上げ少女を吹き飛ばすと、両手に構えた銃を乱射しながら、なつきは吼えた。

「来い、デュラン」
 大気が、凍結する。

 錯覚ではない。ありえざる現象が起こりつつあった。不可思議な物質の転移に、周囲の分子運動が急激に遅滞し始めているのだ。
 天井を格子状に走る水道管が破断して、流れる水が固体化する。気温までもが急激に下がり、直後には、空間を圧する存在感をともなって、一匹の魔犬が具象する。
「…………」
 満身創痍の命が、ひそやかに息を呑む。
 現れたのは異形であった。
 姿形こそ犬を模しているが、体躯は二メートルをゆうに越え、大型の狼と称した方が近い。力強く地を食む四肢は金属質の武装でよろわれ、背には一対の砲塔がそびえていた。
 高次物質化能力と呼ばれる超能力によって生み出される、≪チャイルド≫と呼称される超常の存在である。

「人が善意で手加減してやっていれば、ずいぶん嘗めた真似をしてくれるじゃないか。ええ、美袋、命。調べはついているぞ。……貴様。一番地の手引で風華に入るつもりだな?」

 名指しされた命は、やはり何も応えなかった。ただ昂揚する戦意に身を任せらんらんと眸を燃やすと、傷痍に臆することなく剣を掲げる。
「あくまでやる気、ということか」
 なつきもまた、火がついている。
 この期に引く、という選択肢はない。
 だから静かに命じた。

「デュラン。ロード、シルバー・カートリッジ」

 主の指示に、異形の魔犬は内包する暴力の解放をただ待つのみだ。
 まなじりを決した美袋命が、床に深々と剣を突き立てる。
 そして二人は、同時に叫んだ。

「射て!」
「ミロク!」

 ――直後、轟音と共に船体は両断された。

 ある夜、海上での一幕である。


 ※


 真昼の月の隣には、アクセントのように赤く燃える星がある。
 幼い頃、亡父にその星の名を聞いて困惑されたのが、鴇羽舞衣のもっとも古い記憶だった。
 ほどなくして生まれた弟にも、それどころか他のどんな人間にも月に寄り添う赤星など見えていないのだと気づいたのは、小学校に入学してからのことだ。
 同級生に散々からかわれても頑として星の存在を主張し、ついには淡く初恋めいた想いさえ抱いていた担任に優しく諭されても、彼女は考えを変えなかった。両親は星を舞衣の空想の産物と思ったのか、最初こそ幼い娘に話を合わせる形で色々と話題に上らせたが、娘が本気で星の存在を信じているのだと悟ったあたりで、家族の間では徐々に『星』の話が避けられるようになった。
 舞衣以外の人間で星の存在を本気で信じたのは、だから幼い弟が最初ということになる。

 母が死に、そして父が死んだ。
 病を抱えた弟と二人きりになって途方に暮れていた頃だった。放り出された厳しい現実に実効的な対処を考えるには日が浅すぎたのに、先の事を考えずにはいられない程度には、不慮の弔事から時間が経っていた。
 父の訃報を聞いても、はじめ舞衣は泣かなかった。母が死んだときは身も世もなく泣いたから、耐性がついていたのかもしれない。しかし泣きじゃくる弟を慰めるうちに、涙は時間差でやって来た。自分たちはもう二人きりになってしまったのだと気づいた。
 舞衣は、何に対しての涙なのかもわからなくなるほどに泣いた。十五歳になった今でも、往時を振り返るのには注意がいる。気を抜くと涙が溢れてしまうのだ。時間を置いてさえそんな調子なのだから、過去の自分たちはよく立ち直ったものだと、他人事のように感心している。
 実際、舞衣には自分が何をどうすればいいのかわからなかったのだ。
 一切が血縁ですらない人間に仕切られた葬儀を一通り終え、それでも悲しんで悲しんで、泣きはらした瞳が現実に向けられたとき、最初に捉えたのが弟だった。
 それは弱い生きものだった。儚くて脆く、優しく包み守ってやらなければすぐにでも壊れてしまう、繊細なこわれものだった。
 在りし日の、平和な昼下がりが不意に思い起こされた。
 微熱が続く弟に添い寝をしてやりながら、舞衣は窓間から見える白昼の月を指差して語ったのだ。

(星がねえ……あるんだよ、ホントに。みんなないって言うんだけどさ)
(そうなんだぁ。ぼくには見えないけど、ねえ、大きくなったらおねえちゃんと同じ赤いお星さま、見えるようになる?)
(うーん……どうだろうねえ。だめなんじゃないかなー)
(ええー。おねーちゃんばっかずるい。ぼくも赤いお星さま見たいー!)

 他愛のない思い出だ。追憶できたのが奇跡的なくらい、どうということのない出来事だった。
 しかし覚悟は、決まった。
 庇護者になろう、などと大仰な思いつきはありえない。
(この子を、守ろう)
 弟は子供だった。舞衣も子供だった。親戚もおらず、頼る当て所も持たず、二人が持ち合わせていたのは不安ばかりだった。
 けれど立つ瀬は用意されていた。
 そのときから、鴇羽舞衣は働く女子校生となったのだ。

 ※

「へえ。それじゃ引っ越しそのものは五月にはもう終わってたのか」

 感嘆する童顔の青年から心持ち距離を取りながら、舞衣は頷いた。

「……うん、まあ。ちょっとやることもあったし、入寮までの準備もあったから……しばらくは、前に住んでたところと行ったり来たりだったんだけど、この度晴れて、ね。まあ、ちゃんと授業に出るのは今日からなんですけど」
「ふーん。しかしそうすると、一日だけ鴇羽が先輩ってことになるのか。惜しいな。昨日の内に赴任自体は終わってたんだけど」

 なにが惜しいんだか、と舞衣は胸中で呟く。さすがにいくら納得が行かなかろうと、今日から教師だという人間に対して遠慮呵責のない半畳は入れられない。そもそも、舞衣としてはつい一日前に高村を生徒扱いして恥をかいているため、一礼してさっさと学園に向かいたい気持ちが大きかった。気安く話しかけてくる高村に対する苦手意識もある。
 代わりに頓狂な言葉を吐いたのは、ある意味で舞衣が青年よりも距離を取りたいと願っているルームメイトだった。

「それじゃあワタシは、学校では舞衣と恭司の〝せんぱい〟になるのか?」
「いや、ならない。俺は教師で、美袋と鴇羽は生徒。教える側と、教えられる側だ」
「む、そうなのか……。けど、教師というのはもっと大人なんじゃないのか? 恭司は若すぎると思う」
「おまえな、人が気にしてることをズケズケと……」

 独特の対人メソッドを保有する美袋命と、妙にかみ合った会話をこなすのは高村恭司だ。平和なやりとりを交わす二人は、傍目には仲の良い兄妹のようにも見える。
 しかし――高村はともかく、命の方はただの中学生ではない。舞衣は一ヶ月前に死にかけるまでそれを思い知らされたのだ。
(まさか、また会うなんて)
 あのとき命は、風華の制服など着ていなかった。だからもう二度と会うこともないと思い、忘れようと努めた。舞衣は昨日寮の自室に入るまで、五月初旬に洋上のフェリーで彼女がでくわした異常な事態をも、記憶の底に封じようと励んでいたのだ。そしてそれは成功しつつあった。
(なのに……)
〝あの出来事〟の渦中にいた二人の片割れである少女は、よりにもよって自分のルームメイトだというのだ。
 ――死にたくなければこの地から去るんだな。
(馬鹿みたい)
 沈みゆく船の上で投げかけられた高圧的な台詞を思い出し、舞衣は首を振った。
 およそ一ヶ月前、偶然乗り合わせた客船が、事故に巻き込まれ沈没した。幸い荷物は既に仮住まいのアパートに送っていたため、細々とした身の回りの品以外には被害もなかったが……。当の舞衣自身が、死の危険に晒された。
 事件当時の記憶は、なぜかおぼろげである。しかも船が水没する際に生じた渦潮に巻き込まれてから後のことは、まるで憶えていない。気がついたときには翌朝で、舞衣は転入予定の学園の敷地内でずぶ濡れの姿を発見された。執行部と称する上級生に、まるで罪人の如く校舎を引っ立てられた屈辱は記憶に新しい。もっとも明らかな不法侵入を、警察に届けられなかっただけ学園側の対応は寛容だったといえるかもしれない。
 ふと、その前後に身に降りかかった出来事が舞衣の脳裏に想起された。つまり柔らかい唇の感触や、あわや水死者に名を連ねそうになった瞬間のことをだ。
 羞恥と恐怖が胸中にこみ上げた。身震いと共に頬を紅潮させるという器用な真似をして、舞衣は何度目ともわからないため息をつく。
(人の噂もなんとやらとはいうけど、、あれだけ衝撃的なデビューしちゃったらそうもいかないんだろうなぁ)
 父の死で半ば諦めかけていた高校生活だ。友人は欲しいが、悪目立ちして注目されることはもちろん本意ではない。両肩が重いのは、発育のよい乳房ばかりのせいではなさそうだった。

「はあ……」

 そうした悩みとは無縁な二人は、不安に押しつぶされそうな少女を尻目に睦まじく歓談していた。

「それより恭司、さっきからいいにおいがするぞ。甘いにおいだ!」
「香水はつけてないぞ。……もしかして、これか」

 高村がジャケットのポケットから取り出したのは、大福だった。傍にいるだけで胸焼けしそうになるほど舞衣の饗した朝食をかきこんだはずの命は、それを見て顔を輝かせる。
「やろうか」包装をむしりながら、高村が命と大福を見比べる。
「くれ!」と一も二もなく頷く命は、今にも飛び掛りそうなほどだった。
「……ゆっくり味わえよ」
「ん!」

 しかし忠告むなしく、大福は一飲みにされるのだった。
 微笑ましいと評すべき光景を、舞衣は複雑な思いで眺める。前日の内に二人とは面識があったが、お互いに知り合いだということは今朝初めて知った。しかしいつ、どこで、どのように親交を結んだのかがわからない。

「で、聞いておきたいんだが、この学校ってどうなんだ? その、雰囲気とかさ」
「えっと……普通?……です」
「参考にならないぞ、それは」
「そんなこと言われても、あたしも来たばっかりだし」
 それもそうか、と高村が頷いた。「ところで、美袋」
「なんだ。まだなにかくれるのか?」
「そうじゃない。君のな、その背負ってるものなんだけど」

 高村が指差す先にあるのは、命の肩にかかるバットケースだった。舞衣が朝から何度となく言及しようとしてついにできなかった代物である。

「その中身って、やっぱりあれか」
「あれってどれだ?」と命がケースを揺する。
「つまり、例のでかい剣が入ってるのかってことだ」

 同意するように、舞衣も頷く。命が世間知らずで仙人のような生活を送ってきたということはそれとなく聞いている。だがそれにしても、凶器を携帯して当然のような顔をしているのは異常だ。美袋命は『世間知らずで変な女の子』だが、頭が悪いわけではない、というのが舞衣の印象である。だからこそ、あからさまに社会性の破綻した大刀が目立つのだった。

「おお、そのことか。そうだぞ。心配するな。ミロクは肌身離さず持ち歩いているからな。ん、安心だ」
「……そうか、まあしっかりな」
「ん、任せろ」
「……ちょっと」
 あまりにも早く諦めた高村の腕を突いて、舞衣は半眼を送った。
「そんなんでいいんですか? あれの中身カタナなのよ、カタナ! その、銃刀法違反とかになるんじゃ」
「いやだって、何度言い聞かせても手放そうとしないんだよ。これは大事なものだ、の一点張りでさ。しかもなんだか知らないけど、周りの人はあれ、それほど気にしてないみたいなんだよな。それにそうだな、そんなに言うなら鴇羽がなんとかすればいいじゃないか」
「はいぃ!? な、なんであたしが」
「それを言うならなんで俺が」
「あなた先生でしょ!? それに知り合いなんじゃない。親戚だかなんだかしらないけど……」
 高村はひょうひょうと肩を竦める。
「親戚じゃないよ。確かに知り合いは知り合いだが、仕事で一週間くらい一緒にいただけだからな」
「ふーん……。そのわりには、懐いてるみたいだけど」

 下衆の勘繰りとわかりつつ、高村の全身を品定めするように睨む。命との関係が存外深くはないのだと知って、むくむくと不信が芽生え始めていた。
 舞衣の体つきは同年代と比べて明らかに豊満だ。そのため多感な時期に生々しい男の視線も多く経験している。そんな舞衣にとっては父や弟以外の異性とは総じていやらしく、信用の置けない存在だった。
 が、高村は世の無常を悟りきったような顔で、

「懐かれてるのは、食べ物を世話してやったからだろうな、きっと」
「う」

 昨夜ラーメンを与えてからの命の変貌振りを連想し、思わず納得してしまう、舞衣である。「それに」と高村が付け加える。

「この年になって恥ずかしいんだけどさ、最近世の中不思議なことばっかりで、美袋くらいのはあまり気にならないんだよ。とりわけ凄いのは昨日だな。鴇羽、新しい職場で雇い主に挨拶しに行ったらそれが小学生だったときの俺の気分が想像できるか?」
「あー……」

 名物理事長十一歳の存在は、舞衣どころか学園全体にとっても謎である。同時に高村の言葉にまたフェリーで見た光景を思い出して、舞衣は言葉に詰まる。
(不思議なことなんて、要らないんだけど。平凡がいいよ、あたしは)
 梅雨に相応しくどんよりとした空を見あげると、視界の端に巨大な樹の枝振りがよぎる。校門手前の坂に差し掛かったのだ。
 舞衣も高村も、本格的な学園生活の初日である。しかし前途に差すのは愁いばかりで、二人はそれぞれ違った懸念を曇天に反映する。
 暗雲垂れ込める空の下で、美袋命ばかりが闊達に笑っていた。

 ※

 教師に善し悪しがあるとすれば、それは授業への取り組み方に大部分左右される。一般に進学校と認知されればされるほど、その傾向は顕著である。
 基本的に学年ごとの学習カリキュラムには文部科学省の意向が反映されていて、必然学習内容は画一的になりがちだ。そこをいかに飽きさせず、効果的に配分を構成し、教え込むかが手腕の見せ所になる。しばしば脱線と思われがちな教師の雑談もまた、大方は計算づくで配置される時間の使い方である。であるから、もちろん手を抜こうと思えば際限がないのは事実の一側面だった。極論すれば、教科書をゆっくりとなぞるだけでも、授業として最低限の体裁は整うからだ。
 では風華学園に新任としてやってきた社会科教師はどうかというと、論外の一言に尽きた。

「というわけでここからは気分を切り替えて、授業に入るぞ。口調も変えるからな。いい? いいな。はい。えー、さっきも言った通り、今日から古典は私の担当になります。といっても期末テストまであと一ヶ月の時点で担任に変わられてもみんなやりにくいだろうから、基本はプリント中心の授業という形式を取るからよろしく。さて、まあ身も蓋もないことを言うと、国語に属する科目は総じてセンスです。数学とは感性が違うけど、要求されるものはだいたい同じ。個人的にもいまいち納得しがたいんだけど、暗記系の科目以外はずば抜けてできる人は特に勉強しなくてもできるからね。あー、待ってください。別に努力を否定しているわけじゃありません。これはただ手順の問題で、むしろそういうセンスで突っ走ってる人たちが了解してることを教えることこそが学習であると、私なんかは思ってます。まあ古典は比較的暗記に近いから、やることやってりゃ点は取れます。少なくともやっきになって平均点下げようとはしません。あ、いま笑ったね。やっぱいるんだ、そういう先生。参るよね。まあ、今後の指針とかノウハウ的なことはプリントに書いておきました。じゃあそのプリントの内容にちょっと触れようか。え、これはわりと昔からいわれてることですけど、古典の基本は原典を読むことです。いわゆる教科書に載りやすい作品とか、受験で出題されやすい作品とかはだいたい相場が決まってます。あ、一部の難関私立でたまにでる超マイナーかつ難しい問題とかは別ね。あれはまさしく平均点を提げる事を前提にしてるので。というわけで、方丈記とか源氏物語とか徒然草とか平家物語とか奥の細道とか、そういうのを読んで、読みながら自分なりに噛み砕いた粗筋をノートにでも写せばあとはわざわざ勉強する必要はありません。あ、違う違う。違います。わざわざ古典そのままの本を読む必要はないの。メジャーどころは現代語訳されたのが出てるから。それを読むと楽勝です。内容の面白いつまらないに関しては、こっちに言われてもどうしようもないです。そこは他の普通の小説と同じ、それぞれの好みだからね。つかさー、っていきなり素に戻ったんだけど、俺がみんなくらいの頃ね、テストで源氏物語の葵上の章が出たわけ。臨月に六条御息所の生霊が苦しめてうんぬんって状況を説明せよって問題が。で、この中でもませた人は知ってると思うんだけど、源氏物語って要するに和製ドン・ファンみたいなものだろ。まあこっちが先なんだけど。そこでやっぱりませたアホがね、まあぶっちゃけ俺なんだけどね、その問題に『正妻と愛人が精神的な修羅場を繰り広げ、というのは詩的な表現で、実際には御息所の配下による嫌がらせや誹謗中傷があったに違いなく、結果的に御息所はライバルを追い詰めるが正妻もさしたるもの、最終的に二人の勝負はドローだった』って答えを書いたんだ。でもマルもらったから、まあこれは当時の先生が理解ある人だったっていうのも大きいけど、でもそう肩肘張らずに内容の輪郭だけでも押さえておけばだいぶやりやすくなるってこと。へたにわけわからない日本語を鵜呑みにしようとするから混乱するわけですね。はい。あ、でもさすがに単語くらいは別途勉強しなきゃならないだろうけど。といってもみんなは一年生だし、そう焦らなくてもいいと思います。それでも真剣に大学目指すっていう人はどんどん質問なりなんなり、先生に聞きにきてください。うん、でもいきなり梯子外すようでなんだけど、学校の先生って言うのはあくまで学校の先生であって、そりゃ中には例外もいるけど、単に『偏差値を上げるノウハウ』に関しては大手予備校の講師に譲ります。これは別に学校での勉強を蔑ろにしてるわけではなくて、相性の問題でもあります。向こうはそれで飯食ってるわけだしね。先生の中には予備校っていうと顔をしかめる人もいると思うけど、最終的に生徒自身のプラスになればそれが最善だと私は思ってます。とか初日からね。まあ学校と相補的に、うん、お互い補い合いながらってことだけど、やっていけばいいんじゃないでしょうか」

 ホームルーム中に堂々遅刻して入室して以来、休むことなく教壇で話す男に殺気を放ちつづけていた玖我なつきを含め、端から眠るつもりだった生徒をのぞけば全員が、呆気に取られつつも高村恭司の授業に耳を傾けていた。抑揚のある話し振りはカルト宗教の教祖か敏腕営業さながらで、しかも内容が奔放すぎた。
 なにしろ高村にしてみれば先任者が入院したため、引継ぎもろくにせず回された授業である。勝手などまるでわからない。だから結果的に好きに喋ることになった。

「そんなわけで、基本的にこの授業はあまり板書に重点を置きません。プリントを解いたら聞くことだけに集中してください。経験上人間って耳と目から同じ情報が流れ込んでくると即座に眠くなるからね。余計なことは書かないし、喋らない。以上で俺の方針については終わり。で、実際これ前の授業ってなにやってたんだ?……えーと、じゃあ玖我」
「……え? な、なんだ」

 不意打ちで指名されて、なつきは気の抜けた声をあげる。
 高村は笑みを崩さず、

「だから、前までの授業だよ。何やってたんですか」
「あっ、ああ。たしか、……日本書紀だか古事記だかを」
「はあ?」
 とたん、表情を凍りつかせる高村だ。耳を疑うような仕草をしてから、再度なつきに訊ねる。
「え、本当かそれ。なんで古典で記紀なんてやってるんだ? この学校右翼だっけ?」
「そんなこと、わたしに言うな。聞かれたから答えただけだ」
「まあそりゃそうか。ありがとう。でも、ふーん……。社会科で古典も意味わからないと思ったが、日本書紀に古事記ね……。わかった。わかりました。じゃあ次回以降はそっちから攻めようと思います」

 しきりに首を捻っているうちに、終業のベルが鳴る。定番のウェストミンスターの鐘ではなく、風華学園独特の調子であった。

「あ、時間か。それじゃ今日の授業はこれまでー。質問がある人は社会科準備室の高村までどうぞ」

 ※

「聞いたぞーう」

 放課後の社会科準備室。スチル製の机上で資料を整理しながら、高村は喜色満面で近づいてくる同僚を見つめた。

「何をですか、杉浦先生」

 へそ出しのボディーコンシャスにジャージのトップス、デニムのミニスカートにサンダルを引っかけるという変態同然の格好が不思議と似合う、その女の名前を杉浦碧といった。高村と同じく予定外の新任で、ついでにいえば隣のクラスの担任でもある。担当科目は日本史の、正しく同僚という立場だ。

「ノンノン、碧ちゃん、ね。ってそれはいいか。なんだか恭司くん、早速オモシロユカイげな授業やってるみたいじゃない。あたしも今度聴講してイーイ?」
「勘弁してください」二重の意味で高村は降参する。
「つれないなぁ。あ、そうだ。早速だけど、今日これからどっか飲みに行かない? 迫水先生が奢ってくれるっていうから。美人のお酌つきよん」
「わ、私ですか?」と声を裏返らせたのは教務主任の迫水だった。恰幅のいい体格にアフロヘアの、碧とは違った意味でユニークな見た目をしている。「ええ、そりゃまぁ、もしこの面子で行くなら私が支払いせざるをえないんでしょうけどねえ。でも杉浦先生、いいんですか? たしか土曜日にも」
「あ、そっかー」ぴしゃりと額を打って碧がうなる。「じゃあ取っておいたほうがいいのかな」
「土曜に何かあるんですか?」

 ずいぶんと砕けた職場だと、感心しながら高村は言う。先年に教育実習で出向した母校の殺伐さが嘘のようだ。教師間にも人間関係というものは厳然と存在するのだと、失望と共に悟ったのは苦い思い出である。

「うん、ホラ、あたしも来たばっかりじゃない? だから土曜の夜はあたしと恭司くんの歓迎会も兼ねて親睦会を催そうってことになってるのさ。で、どうよ。土曜は開いてるの?」
「特に予定はなかった、と思います」飲み会の開催が既定事項ならば高村にはそう答える以外に選択肢はない。
「ホント?」その内心を見透かしたように、碧が念を押す。「そういえば昼休みに遊びにきた子たちに聞いたんだけどさ、恭司くん彼女いるんでしょ? 大丈夫なの。こっち来たばっかりだし、フォローとかいれなくて」
「大丈夫ですよ。そのへんはわかってくれると思うんで」
「へーえ、いいなあ。理解ある彼女なんだ」
「ええ、まあ」

 とはいうものの、恋人の存在がそもそも嘘である。十年近く歳の開いた子供に何度も色事について聞かれるのが面倒で、捏造したのだ。

「それじゃ、詳しい日程とか場所は後でメールするからアドレス交換しよーよ」
「あ、はい」と取り出した機種が全く同じ型遅れのものだったので、二人ははからず顔を綻ばせた。頑丈でシンプル、ということだけを基準に選んだものが一致するあたり、杉浦碧の内面は見た目ほど軽薄ではないのかもしれない。そう頭の中で評価を修正して、高村は久方ぶりに自分が気構えなく笑えた事に気がついた。ここ一ヶ月は特に緊張の連続だったためだろうか。着任を終え初日を終えて、気が緩みつつあるのだ。
「やっぱりあんまり機能に凝られてもぴんと来ないよねえ。あたしゃー質実剛健の方が断然好みだよ」
「ですね」

 碧にとってはどうかわからない。しかし普通の学生のようなやり取りは、高村にとって意外なほど心地良かった。
 雑務と翌日の予習を終えて準備室を後にすると、既に日は暮れかけていた。いつの間にか雨も降り始めている。凝った首筋をほぐしながら、高村は後回しになっていた校舎の散策を開始する。
 端的に表現すると、風華学園はひたすらに広大だ。初、中、高と三つの校舎を有し、さらに体育館や武道場、図書館に学生寮など、施設の枚挙には暇がない。何しろ学園そのものが国から文化財指定を受けている。実に風華という土地そのものが学園を中心にして存在しているといってもよかった。
 高村が確認するのは主な生活圏となる高等部校舎である。他に学園の敷地裏にある、海に面した小山も表面上の調査対象だ。それら学園の敷地内のほとんどを監視するのが、高村恭司の課外の仕事である。

 彼が声をかけられたのは、おおよそ校内を一巡したときだった。

「こんにちは、センセ」

 雨音が、一瞬だけ掻き消えた。

「……」
 首だけを声のした方向へ戻す。目に入る、糊の効いたシャツに濃紺のスラックスは中等部の制服だ。目立つ白髪を短髪にして微笑する少年は、高村が通り過ぎたばかりの窓枠に腰掛けていた。
(今……誰もいないところから現れなかったか?)
 内心で訝りながら足を止め、振り返る。

「こんにちは。そんなところに座ってると危ないぞ」
「センセこそ。なかなか大胆な綱渡りしようとしてるみたいじゃない」
「いや、普通に廊下を歩いてるだけだが」

 思わせぶりな台詞に空とぼけながら、高村は関節部を意識して脱力する。不意の戦闘にいつでも対応するためにだ。

「んー、まあそういうことにしておこうかな」狐のように目を細め、少年は桟の上で肩を竦める。
「君は中等部の生徒かい? 雨宿りでもしてるのかな」
「僕? 僕は炎凪。よろしくね、高村センセ」
「え? いや、ああ、そうだな。よろしく……と、待ってくれ。あれ? 君は俺の名前を知ってるのか。今日の授業じゃあ、中等部は教えていないぞ」
「まあね。知っていますとも」

 高村は大げさに驚いてみせた。内心ではすでに少年の性向を分析し始めている。まず演出家的な精神を持っていることは断定してもいいだろう。さらに自己中心的で、場をリードする術に長けていて、享楽主義的な一面を持っている。目に見える発汗や痙攣といった末梢神経の乱れはない。若年の少年が大人に対しよく浮かべる敵意や反動形成にも似た斜っぽさも見受けられない。よく感情を制御し、そして場慣れしている。老獪な少年という表現は撞着しているだろうか。無論少年がただの生徒であるという可能性も外してはならないが、しかし警戒するにしくはない。だから高村は自分の印象を疑わなかった。彼はこの少年に良く似た人物をひとり知っていた。もしその直感が正しいのならば、それが彼に示唆するところはひとつ。つまり、
(俺の手には負えない)
 ということだ。
 そして、少年炎凪もまた、その事実を示威するために、この場所とタイミングを狙って現れた。
(警告か)

「あはは、ただ挨拶しただけなのに、そんなに怖がらなくってもいいじゃない。傷つくなぁ――って」

 軽やかに笑む少年が一瞬言葉を切り、深刻な表情で高村を覗き込んだ。

「センセ、……なんで生きてるの?」
「――え」

 今度こそ、俄仕込みの擬態は限界を迎えようとしていた。返答に詰まり、高村は咄嗟に胸部を見下ろす。
 そして顔を上げたとき、凪は陽炎のように姿を消していた。

「おい……」

 開かれた窓の向こうに、灰色の空と、針のような雨だけが見える。生温い風が高村の皮膚を舐めてはじめて、彼はおのれの発汗に気づいた。
 そして声だけが、耳に残響する。

「まあいいや。センセのことは内緒にしといたげる。どうせ聞かれないだろうしね。それより、ようこそ、と言っておくね。ようこそ。そして、よく来てくれたよ。センセのおかげで、今度の祭りはきっと、少しは楽しくなる。……それじゃあ、怖いヒトが来たから、僕は行くよ。ばいばい」

 高村は目眩をおぼえ立ち尽くす。数秒後に立ち直ると、静かに窓を閉じて施錠した。

「高村先生。そろそろ時間です」

 いったいどれだけの間そうしていたのか。ふと気づけば凪と入れ替わるようにして、彼の背後に音もなく少女が立っていた。こちらは高村にとっては、よく見知った顔である。
「わかってる」
 答えて、高村は自らの頬を張った。
 深優・グリーアは無表情のまま、赤い眼差しをどこへともなく向けている。
 何かを喋る気にもならず、無言のまま歩き出そうとして、ふと高村は思いつきを口にした。

「なあ、深優。いま、ここに誰かいたか?」
「いいえ。6,125秒前から現時点まで、この階層における生体反応は貴方以外にはありません」
「そうか。……ありがとう」
「いえ」

 聞かなければよかったと、高村は天を仰いだ。

 ※

 強まりつつある雨脚をくぐり、高村と深優が向かう先は学園敷地内のはずれにある礼拝堂だった。いわゆるミッションスクールではない風華学園では一際異彩を放っている場所である。海外の出資者の意向で建設されたプロパガンダ的な性格の強い施設ではあったが、神父やシスターも配備されており、聖歌隊に毎週のミサといった活動自体は堅実に行われている。
 豪奢な門扉を開けて、高村はやや湿気の篭った空間に足を踏み入れた。照明はすでに落とされており、夜に程近いことをしらせる闇色の中で、ステンドグラスの色彩がボウっと浮かんでいる。

「こちらへどうぞ」

 良好な視界には程遠い暗闇を歩いて、深優は迷うことなく高村を導いた。並ぶ長椅子を避けて奥の扉へ抜ける。引き離されないよう背を追いながらも、高村は物珍しそうに堂内を見回していた。
 ほどなくしてかつてはワインセラーに利用されていたと思しき空間へ出ると、深優はかがんで床に添えつけられた取っ手に手をかける。必要以上に重い音を立てて、地下への入り口が露わにされた。その先には、放置された防空壕を改修した回廊が広がっているのだという。

「仰々しいな」
「必要な措置です」

 予想外の広がりを持つらしい空間を歩きながら、高村は石造りの壁を指先で撫でる。年月を思わせる汚れと頑丈さに、ため息が漏れた。
 そこからは、異国の下水道を思わせる、半円状の通路がしばらく続いた。雨水がどこからか流れ込んでいるのか、床は湿り気を帯びていた。

「公式の見取り図では公開されてない道だな、これ。ざっと見た感じ、他にも似たようなものがたくさんありそうだったけど」
「それは考古学的な見解でしょうか」
「そう思ってもらってもいいと思う」高村は頷く。大学院での彼の専攻は、名義だけになりつつはあるが、一応考古学である。「こういう防空壕だとか抜け道のようなものが作られる理由はわかるか?」
「爆撃を避けるためです」
「……いや、そうなんだけどさ」簡潔極まりない答えに苦笑して、高村は首を振った。案外、教師は適職なのかも知れないと思いながら続ける。「もっと根本的な理由だよ。ただ避難のための場所なら、こんな市街地から外れたところにこれほど大規模なものをつくる理由がないだろう。遺跡、まあそういうかは微妙だけど、こういうものを調べるときには、まずその時代においてどんな役割を担っていたか、ということを考えるのが基本なんだ。当時の習俗や生活なんかを参考にして、色々とありえそうなものを想像する。その点からすると、そもそも空爆の的にされたかどうかも怪しいこの島で、こんな迷路みたいな通路をわざわざ造る理由っていうのはどんなものなんだろうな」
「これも、例の伝説に関係するということでしょうか」
「どうかな。そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない」
「その発言は、回答を保留している、という解釈でよろしいでしょうか」
「ああ。深優の好きに解釈したらいい」
「……」

 それから五十メートルと進まないうちに、二人は目的の場所へたどり着いた。壁を削って最低限の住居環境を作り出したスペースである。いわば即席の会議室として、高村のスポンサーが秘密裏に施工したのだ。

「おお。よく来たね、高村くん」

 しわがれた重厚な声と共に、古めかしい樫の机についた三人が高村と深優を迎えた。表現により正確を期すならば、中でも一際小さい影は、高村に突撃してきた。

「お久しぶり、お兄ちゃんっ」

 穴蔵に似つかわしくない溌剌とした声と金髪を持つ少女、アリッサ・シアーズである。

「ああ、暫くだねアリッサちゃん。……お久しぶりです、グリーア神父。それに九条さんもお変わりなく」
「あら。わたしはついでなの?」
「いや、だって」弁解がましく、高村は言いつくろう。「こっち来ることが決まってからは週に一度は連絡取ってるじゃないですか」
「そうだったかしら」

 からかうように笑う妙齢の女性は、尼僧の服に身を包んだ九条むつみ。そして始めに声をかけてきたのが、ジョセフ・グリーア神父だ。深優とアリッサを含めて、いずれも立場上は高村の上役に位置する顔ぶれである。

「さて」場をまとめたのはグリーアの一言だった。「積もる話もあろうが、それは後回しにしましょう。高村くん、着任早々ご苦労だが、報告をもらえるかね」
「はい」

 腰にまとわりついて離れないアリッサを抱えて高村も席につくと、持参した鞄から数枚の書類を取り出した。

「兼ねてから決まっていたとおり、無事風華学園の教師に就任しました。こちらの書類は現段階で判明している媛伝説についての、まあ下調べ同然のしろものです。で、ざっと見た感じ、明らかに粉飾されてますね、これ」
「ふむ」とグリーアが腕を組む。恐らくはこの程度は既に折込済みなのだろう。彼らが帰属する団体は土着でこそないが、単純な情報収集力では他の追随を許すものではない。
「粉飾というと、具体的にはどういう?」
「事情をちょっとでも知っていればすぐにわかる、という程度です」むつみに向かって、高村はいくつかの事例を挙げて答える。「民俗的には、口承の歪曲やあからさまな捏造などがこれにあたります。というのも、鬼や妖怪、神隠しといったありふれたモチーフに数えられる説話が、このあたりの地域一帯ではあまりに平均的すぎるんです。どこかで聞いた話の寄せ集め、パッチワークスばかりで」
「そちらのことはよく分からないのだけど、それはその、おかしなことなのかしら?」
「通時的に見て、おとぎ話というのは変遷を免れません。ほら、たまに桃太郎は桃から生まれたのかそれとも桃を食べて若返ったおばあさんから生まれたのか、なんてことが取り沙汰されるでしょう。あれと基本的には同じことで、地方によって似たような説話にも個性が生まれるわけです。で、このあたりはそのバイアスがあまりに強烈で、かえって無個性になってしまった。それで学問的には魅力の薄い地域になっていたんですが……」
「近年になって、媛伝説という独特の伝承が浮上した?」
「そうなります。あとは他にも、あまり全国にも類を見ない怪物の話なんかも。なぜかは知りませんが」
「たぶん、土着の組織の支配力が弱まったせいじゃないかな」高村の膝の上でアリッサが呟いた。「周期を考慮すれば、おかしなことでもないわ。うーん……。でも、もしかしたらわざと、というよりは必然なのかも」
「なるほど……噛みあわない存在によってなされた、と」
「ああ、それはあるかもしれないわ」
 納得する自分以外の面々を見て劣等感に苛まれながら、高村は首を傾げる。「あのう、わざとってどういうことですか?」
「つまりね」と、アリッサが高村を見上げた。「例の周期はあくまで周期だから、必ずしも、えーとえーと、punctualじゃないの。だからワルキューレや使い魔の原型は、おんなじ時代にいっせいに揃うわけじゃない。ということは、何十年かのずれのせいで〝間に合わない〟ワルキューレや〝早すぎた〟使い魔だっていた、ってことだよ、お兄ちゃん」
「……」

 笑いかけられて、しかし、高村は応じることができない。喉がひりつき、呼吸に痰が絡み、身動きが取れない。
 間に合わないワルキューレ――即ちHiME。
 早すぎた使い魔とは、つまりチャイルドだ。
(それは……つまり……)

「そして」と、むつみが結論を受け取った。「そういったHiME……ワルキューレが、常に連中、一番地に与したとは限らない。むしろ、イレギュラーであるだけに敵対関係になることも多かったんじゃないかしら。暴走したチャイルドも同様ね。そして対抗力の存在しないワルキューレとその使い魔は、体制にとって充分に脅威的だわ……高村くん?」
「あ、……はい」

 ようやく返答すると、気遣わしげなむつみの視線に出合った。

「……ごめんなさい。無思慮な話題だったわね」
「いえ、お気遣いなく」首を振って、高村はグリーアを見やる。「外部から調べられたのは、こんなところです。今後も調査そのものは続けるつもりですが、期待はしないでください。さすがに、この土地の隠蔽は年季が入ってるでしょうから。発掘の許可が出るはずもないし、素人がどうこうしたところで高は知れています」
「ああ、わかっている。もとよりそちらはデコイのつもりだからね。しかし、稀に有益な情報を得ることもあるだろう。そちらに関しては今後も特に口出しすることはない。好きなように続けてくれたまえ」

 高村は黙したままで首肯する。グリーアが言及した通り、スポンサーが高村に課した風華学園での役割はおとりである。諜報員としてはなんの訓練も受けていない高村は、末端としてさえあまりに粗末だ。第一に、適材は他にいくらでもいた。高村の本分は、敵性勢力の喉元で『あまりにもあからさますぎてかえって怪しくない存在』として振る舞う事にある。
 その後二三の打ち合わせを終えると、時刻は既に八時を回っていた。教会をあまり長時間空けるのも都合が悪い。グリーアの音頭で解散しようとした矢先、

「あ、そういえば昨夜HiME見つけました」

 場を凍らせる発言が高村の口から飛び出した。

「ホント!?」アリッサが膝の上で立ち上がった。うかつに動けば唇が触れそうなほど顔を寄せて喚く。「誰、誰」
「アリッサお嬢さま、近すぎます」

 すかさず深優がアリッサを高村から引き離した。

「……凄いわね。いきなりじゃない」
 九条むつみの顔が強張ったのを、高村は見逃していない。
「本当かね」さすがに度肝を抜かれた様子で、グリーアが言った。「つい先だって、ミナギミコトを発見したのも君だったな。それが事実だとすれば素晴らしい働きだ」
「まあ、チャイルド……使い魔も見ましたし、間違いないと思いますよ」
「それで、具体的には誰なのかしら」やや神経質な声音でむつみが聞いた。
「あー、すいません。名前はまだチェックしてないんですけど、この学園の子ですよ。髪を染めてちょっとシャギー入った、中等部の子。あ、美袋と知り合いだから、たぶん三年生かな。そういえばナオって呼ばれてました。美袋ほどじゃないけど身長は小さめで、けっこう美人です」

 特徴を挙げながら、高村は深優に目配せする。ほとんど間を置かず、求める答えが導かれた。

「美袋命の同級生かつ親交がある生徒の中で、条件に該当するのは結城奈緒のみです。ただし、美人というのは多分に主観的な評価であるため検索条件からは除外しましたが」
「それでいいよ」高村は投げやりにいった。
「その子、潰していいの?」はきはきとアリッサがいった。
「……駄目だよ、アリッサちゃん、そんなこと言っちゃ」

 あどけない問いが意味するものを想像しながら、ぎこちなく首を振る。

「えー。なんでえ。どうせワルキューレはみんなやっつけなきゃいけないんでしょ? わかった子から消していけばいいじゃない」
「とにかく、今は駄目」
「……むう。わかった。でも、いつまでもは待たないんだからね」
「これで、二人、か」そのやりとりを見計らい、グリーアが鼻を鳴らした。「出だしとしては上々、といったところだね。しかし高村くん、いったいどういった状況でその娘を?」

 説明を求めるグリーアに、高村は弱りきって手を振った。

「いや、半分偶然のようなものなんですけど。夜間の月杜町のほうで物騒な噂が流れてたのをたまたま耳に挟んだんですよ。辻斬りとか、出会い系の男を専門に狙った追い剥ぎとか。それでまあ、念のためっていうのと、あと地理をおぼえようとしてぶらぶらしてたら、声をかけられて暗がりに連れ込まれました。それでその先でいきなりでっかいクモみたいなのを出され脅されて慌てて逃げて」
「ちょっと待って」むつみが声を弾ませて話を切った。「女子中学生に声をかけられて? 暗がりについていった? そういったのね、高村くん」
「連れ込まれたんです」律儀に訂正するが、聴く耳を持つものはいなかった。
「高村くん……無論君の私生活について過干渉をする気はないが、そういった行為は控えたほうがいい。特に今日から君は聖職者となったのだからね」
「いや、ですからね神父。それはまったくの誤解で」
「……!」アリッサが無言で蹴りを飛ばした。
「痛い、いたいってアリッサちゃん、脛を蹴らないでくれ! なに怒ってるんだよっ」

 ひとり離れた場所で、マヌカンの如く佇む深優が呟いた。

「高村先生は淫行で逮捕ですか」
「してないから。されてないから」
「高村先生は淫行未遂で逮捕寸前ですか」
「……そっち方面のユーモアは心臓に悪いから、学習しないでくれ」
「ところで先生」
「なんだよ」
「昨夜先生が持参すると仰っていたお嬢さまのためのアイスクリームはどこでしょうか」
「……あ」
 高村はさっと目を逸らすが、目を逸らした先に深優がいた。
 明らかなスペックの無駄遣いであった。
「高村先生。お嬢さまのためのアイスクリームは」

 素直に泣きを入れることにした。

 ※

〝ありがとう〟

 手の甲を滑る指が描いたのは、その五文字だ。高村は微苦笑して、ただ首を振る。
 九条むつみは頷いて、〝またあとで〟とさらに書き足した。
 虚ろに笑って、高村は先を思いやる。
「長丁場になりそうだ」

 風華学園高等部社会科教師。
 シアーズ財団所属末端捜査員。
 高村恭司の肩書きは、今のところただの肩書きでしかない。
 


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