もう駄目だ。どうしようもない。
私の心を占めるのは、絶望の二文字だった。
この男を相手に、私では勝負にすらならない。
一方的に嬲り殺され、それで終わり。
悔しいけれど。本当に悔しいけれど、諦めるしかない。
ああ、短い生涯だったな。
辛いことばかりだったけど、でも、悪くない人生だったな。
大切な友達を助けてもらえたし。私自身の存在を認めてもらえたし。
それに、お姉ちゃんって呼ばせてもらえたし。
もらえた、なんて卑屈に考える癖はまだまだ抜けないけれど。
本当に多くのものをもらった。
この腕に持ち切れないくらいの、それはきっと幸せ。
幸せ過ぎて、今すぐ死んでしまっても文句なんて――
「――あるに、決まってるよ」
自然と口をついて出ていた。
自分でも情けなくなるくらい、湿り気を帯びた声で。
そうだ、私は死にたくない。
お姉ちゃんと、もっと一緒にいたい。
もっともっと、私は生きていたい。
だから。そう、だから。
最後の最後まで、諦めるワケにはいかない。
一本、また一本と短剣が空中に作り出されていく。
それを見ながら、しかし私は冷静に考えていた。
生き残るために、今の自分が出来ることは何なのか。
機械の身体を活かした体術は効果が無い。
どう転んでも第二位の防御を突破できない。
AIM拡散力場の流れが視えても、それだけでは全く足りない。
この相手から勝利を掴むには、あまりにも脆弱な能力だ。
意図的に能力を暴走させようとしても、おそらく上手くいかないだろう。
第二位と同じ超能力者である美琴お姉ちゃんに、全く通じなかったのだから。
――ん?あれ?
ふと、疑問が浮かんだ。
私自身のAIM拡散力場は、どんな風に視えるんだろう。
能力が開花してからは他人の流ればかり視ていて、今まで気にも留めていなかった。
第二位に注意を払いつつ、自らの身体を直視する。
私の中を流れるAIM拡散力場は、一切の色彩を帯びていなかった。
無色透明の力場が、身体の隅から隅まで循環している。
なるほど、と思った。
自身のAIM拡散力場を調整して、相手の流れに合わせていたのか。
だから意図的に能力の暴走を引き起こせていたんだ。
何の特徴も持っていないから、他人の流れを真似できたんだ。
――力場の調整、か。
不意に、とある考えが閃く。
ひょっとしたら出来るかもしれない。
淡い期待を胸に、AIM拡散力場の調整に入る。
第二位に見えないよう、右手を背に回し後ろに隠して。
思い浮かべるのは黄金の螺旋。
お姉ちゃんだけが持つ能力の波長。
寸分の狂いも生まれないよう、慎重に形成していく。
そして、その努力は報われる。右手の指先にパチパチと電気が走ったのだ。
――これだ……!
上手く行けば第二位に対抗できるかもしれない。
第二位の能力に干渉するなんて、私には出来ない。
お姉ちゃんのように強大な力を扱えるワケでもない。
だけど、これだったら出来る。やってみせる!
私は目の前の現象を観察する。
意識の大半が真っ白になるくらい、強く。
続いて落ち着いた、しかし限界近い速さで力場の調整を行なう。
ただ視るだけじゃない。視えた波長を寸分の狂いも無く正確に捉え、再現しようとする。ううん、してみせる。
「バカな」
私と相対して、第二位が初めて動揺の声を上げる。
自身の能力を真似されるなんて、思ってもみなかったんだろう。
さすがに自分の領分を越えた能力の模倣は厳しく、身体が悲鳴を上げている。
全身を針で刺されたような痛みが走る。凄まじいまでの徒労感に襲われる。
だけど代償に見合うだけの成果はあった。
私の周囲には、金でも銀でもない金属で出来た短剣の群れが浮かんでいた。
垣根帝督が空中に作り出した物と全く同じ数、同じ形の短剣が。
それだけじゃない。私の背中には白い翼が生えていた。
その数、六枚。長さこそ本家の半分にも及ばないものの、間違いなく第二位の能力。
「出来るはずが……!」
「常識が通じないのは、お兄さんだけじゃないってことだよ」
垣根帝督が右手を頭上に掲げる。
私もまた、右手を上げる。全く同じ動作で、全く同じタイミングで。
まるで事前に打ち合わせでも済ませていたかのように。
そして同時に掌を相手へ向け、顕現していた短剣の群れを解き放った。
互いに撃ち出した短剣が中央で激突する。
金属同士がぶつかり合う甲高い音が鳴り響く。
同じ速度で正面衝突を起こした短剣が、明後日の方向へ次々と弾き飛ばされる。
「硬度まで一緒かよ」
吐き捨て、しかし第二位は不敵に笑う。
短剣の弾幕が互いに薄れてきたところで、告げる。
「だったらリズムを上げるぜ」
おびただしい数の短剣が、第二位の周囲に現れる。
「二発目……!?」
「ついてこれるか?」
後発の弾幕は先に撃たれた短剣と混ざり合い、私が放った短剣を全て弾いてしまう。
それだけに留まらず、弾幕を失った私へと一斉に襲いかかる。
どうするか、と悩んでいる暇なんて無い。
相手が数に物を言わせてくるのならば、こちらも同じ手で対抗するまで。
すぐさま二発目の弾幕を作り出し、相手の短剣との衝突を再開させる。
もちろん分かっている。
私の能力者としての力量を考えれば、それがどれだけ無謀な行為なのかってことぐらい。
脂汗が滲む。目眩がする。力が抜ける。膝が震える。さっきから呼吸は荒いし、頭も割れるように痛い。
過度な能力の使用によって生じた反動が、容赦なく身体を蝕んでいく。
だけど止めるワケにはいかない。
まだ死にたくなんてないから。もっと生きていたいから。
だから残り少ない力を振り絞る。限界だって超えてみせる。
「マジかよ」
呆れたように、第二位が呟く。
「まだ足掻くのか」
形勢が逆転したワケじゃない。むしろ悪化している。
第二位が短剣を生成する速度に、追いつけなくなってきている。
中央で衝突を繰り返していた短剣は、徐々に私に近づいてきている。
――ここまで、かな。
「お姉さん」
振り向きもせず、後ろにいるショートカットのお姉さんに言う。
「今の内に逃げて」
そんな、と叫ぶお姉さん。
「貴女を置いて行けません!」
「駄目だよ。このままじゃ二人とも死んじゃう」
左胸が締め付けられるように痛む。
さすがに限界みたいだ。それでも私は食い止める。
ほんの一秒でも、短剣の到達を遅らせる。
お姉さんが逃げるまでは、持ち堪えなきゃいけないんだから。
「ね、お願いだから」
三秒ほどの沈黙。それから、
「ごめんなさい!」
お姉さんが飛び退き、短剣の軌道から逃れる。
それと同時。私の背から翼が消え、短剣の群れが押し寄せる。
ああ、悔しいな。
こんなところで終わっちゃうのか。
最後の最後まで頑張ったけど、全然足りなかったよ。
迫り来るナイフを見ながら、何故か笑みが浮かんだ。
――さようなら、お姉ちゃん。
そして正に短剣が突き刺さる、その寸前だった。
一条の光が前を横切り、私に向かっていた短剣を全て消し去った。
そう、それは光だった。まるで雪のように白く、優しい光だった。
光の差し込んできた方向に顔を向ける。
「大丈夫」
目頭が、熱くなる。
「絶対に、大丈夫」
両手で口元を押さえ、私は見た。
血が止めどなく溢れ、皮膚の焼けた背中。
目を背けたくなるような傷を負いながらも両足を踏ん張って立つ、お姉ちゃんの雄姿を。
お姉ちゃんの身体は光に包まれていた。
舞い落ちる雪よりも白く、美しく、幻想的な光に。
輝きは徐々に、徐々に激しくなっていく。
太陽のように力強く、なのに、どこまでも優しく。
驚くべきことが、直後に起きる。
地面に突き刺さる刃。それが全て消えてしまったのだ。
あまりにも唐突に。あまりにも呆気なく。
それだけじゃない。
いつの間にか、身体が楽になっている。
義体だろうが生身だろうが、おかまいなしに切り裂かれた傷も。
能力を酷使したせいで、息をするのも辛くなるほど痛んでいた胸も。
どれもこれも、みんな、すっかり治ってしまっている。
ああ、と声が洩れる。
真っ白な光に包まれたお姉ちゃんは、本当に綺麗で。
――女神様みたい。
命を賭けて戦っている最中なのに、そう思わずにはいられなかった。
私は感じ取っていた。
身体中を流れる真っ白な光を。
瞼を瞑り、胸いっぱいに空気を吸い込んで。
そうだ、この光を私は知っている。
天使との戦いで能力を使い果たした、あの時。
力を求めた理由を思い出した私から溢れ出した、優しい光。
ああ、何て温かいんだろう。まるで、生まれる前から知っていたみたいに懐かしい。
光は手足の隅々まで駆け巡り、痛みも恐れも、どこかに行ってしまった。
うっとりとして、私は深い呼吸を繰り返した。
そのまま光に溶け、光に吸い込まれて、光の一部になってしまいそうだ。と、不意に短剣の嵐が襲いかかってきた。
三百は下らない刃を目前にして、私の心は妙に落ち着いていた。
どんな結果が待っているのかなんて、そんなの、分かりきっていたから。
殺到した短剣の群れは、果たして唯の一つも私には届かなかった。
私の身体を覆う白い光に触れた途端、跡形も無く消滅してしまったのだ。
「な……」
第二位が驚愕を露わにする。
あまりにも大きな隙を作ってくれる。
この絶好の機会を逃すワケにはいかない。
さあ、行こう。優しい光に語りかける。
光は応える。より一層強く、強く輝いて。
光に導かれるままに、右手を空に掲げる。
途方も無い力が奥底から湧き出るのを感じる。
身体中を駆け巡った光が、右の掌に集約される。
そこから再び、幾万の眩い矢となって四方八方に飛び出した。