雷のような音が地上を叩きつける。
観光客で溢れ返るビーチを、六つの機体が駆け抜ける。
鋭い風が一瞬で吹き抜ける。
「うわあ!」
と、初春が声を上げた。
もちろんあたしも上げていた。
水平線の向こうから現れた謎の機体。
迎え撃つのは五機で編成されたアメリカ軍の飛行隊。
真っ黒に染められた戦闘機が、正体不明の敵を追い詰めていく。
その展開は、まるで絵に描いたようだった。
強いて言うなら出来過ぎている。あまりにも都合のいい展開。
まあ、それも当然だ。だってこれ、アトラクションだし。
学芸都市では映画のワンシーンを模した見世物が度々行なわれる。それも、何の前触れも無しに。
最初は戸惑うばかりだったけど、今なら大丈夫。本物じゃないんだって分かっていれば、純粋に楽しむことが出来た。
普段はあまり感情を表に出さない春上さんも、
「すごいの。本当にすごいの」
と、はしゃいだ声を上げている。
ホント、なかなか本格的じゃないですか。
特に敵機として登場した、全長五メートルほどのUFO。
見た目はトビウオみたいだけど、どうやって飛んでいるんだろう。
御坂さんだったら、知っているかもしれないな。ちょっと訊いてみようかな。
はしゃいだ気持ちのまま、あたしは隣にいる御坂さんに顔を向けた。
でも御坂さんは、はしゃいでいなかった。そう、全然はしゃいでなんかなかったんだ。
すごく真剣な顔をして、じっと空を見つめている。目の前で繰り広げられている空中戦の行く末を見守っている。
「御坂さん?」
声をかけてみる。
けれど、その声はもっと大きな声によってかき消されてしまう。
この場に最も似合った歓声がビーチを満たしていた。
みんな、夢中になっていた。手に汗握る死闘を前に興奮していた。
なのに御坂さんは冷め切っていた。真剣な顔を空に向け、無言のまま立ち尽くしていた。
あたしも空に目を移した。UFOが被弾したらしく、真っ直ぐ飛べなくなっている。クライマックスが近づいている。
これはアトラクションだ。
本物なんかじゃない。客を楽しませるための作り物。
そうですよね、御坂さん。ねえ、そうですよね。
やがてUFOが海に落ちた。
正義の味方が操る戦闘機が、見事に勝利を収めたのだ。
沖から軽く五十メートルは離れた位置で、トビウオ型のUFOが波に揺れる。
ビーチにいる皆が皆、浮かれていた。
優雅に空を舞う戦闘機に、釘付けになっていた。
だから気づいていなかった。海に浮かぶUFOの表面が、不気味な光を放ち始めたのを。
何だろう、あれ。
どうして点滅しているんだろう。
疑問に思った直後、御坂さんがいきなり叫んだ。
「逃げて!」
まるで悲鳴のような声。
「早く!」
全ては一瞬だった。
突如、轟音が鳴り響いた。UFOが爆発したのだ。
バラバラになった機体が舞い上がり、雨のように砂浜に降り注ぐ。
何も考えられなかった。
ただ呆然と立ち尽くしていた。
我に返ったのは、誰かの悲鳴を聞いたからだった。
「いやああああっ!」
振り向く。十メートルほど先で、女の子が倒れていた。
足を滑らせたらしく、顔を歪めながら、右膝を抱えていた。
その頭上には、一際大きなUFOの破片が迫っている。
――助けなきゃ!
考えている暇はなかった。
駆け寄ろうと一歩踏み出した、その時。
すぐ横で、空気が震えた。御坂さんだった。
十メートルの距離を一気に駆け抜け、女の子の前に立ったのだ。
「お姉様!」
白井さんが叫んだ。
破片はすぐそこまで迫っていた。
駄目だ。このままじゃ、二人とも潰されてしまう。
御坂さんが女の子を見た。そして、次の瞬間。
女の子をその背に庇うようにして、迫りくる破片と向き合った。
天高く拳を振り上げ、足元の砂に叩きつける。
同時に、真っ黒な壁が地中から勢いよく突き出した。
御坂さんを守るように現れたそれは、飛んできた破片を正面から受け止める。
果たして、壊れたのは破片の方だった。衝突した瞬間に粉々となって砕け散り、悠然とそびえる黒い壁だけが残った。
危機が去り、訪れる沈黙。
誰も動き出そうとしない。まるで時が止まってしまったみたいだ。
寄せては引く波の音だけが、やけに大きく聞こえる。
やがて、誰かが震える声で、
「ブラボー!」
と、叫んだ。
それを皮切りに、あちこちで口笛が吹かれ、拍手が起こり、歓声が上がった。
ここはアメリカで、当然の如く英語で喋っているので、何を言っているのか全く理解できない。
でも、一つだけ分かったことがある。ここにいる誰もが、御坂さんを褒め称えている。
臨場感に溢れた演出を見せた、素晴らしい役者として。
全く、御坂さんは意地悪だ。
一緒にいるあたし達すら騙してしまうなんて。
今の出来事も、アトラクションの一部だったんだ。
そうなんですよね、御坂さん。
本物なんかじゃ、ありませんよね。
「パスタ鍋ってどこだっけ」
「左側の戸棚です」
「フライパンは?」
「流し台の下」
それはもう、唐突だった。
鯖缶だけの食事を終えた後も我が物顔で居座っていたフレンダに、いきなりキッチンに呼び出された。
「何なんですか、急に」
低い声で訊ねる。
フレンダが目を細める。
「あのさ、絹旗」
「何です」
フレンダは、なかなか口を開かない。
ただ、私をじっと見つめている。
鼓動が少しばかり早くなった。
「お腹、減ってない?」
全く予想していないことを、やがて訊ねられた。
「あ、減ってます」
なのに、口は勝手に動いている。
考えてみれば、起きてから何も食べていない。
「じゃあ、作ってあげる」
「出来るんですか、料理」
「一通りはね」
ええ、と思わず声を上げてしまった。
だって、仕方ないじゃないですか。
料理が出来るって言い切ったんですよ。
あのフレンダが。三度の食事を缶詰だけで済ませてしまうような人が。
「何よ、その反応」
心外だと言わんばかりに、フレンダが訊ねる。
「あまりにも意外だったので」
隠すようなことでもないので、素直に感想を述べる。
「うわあ、ショック」
目を閉じ、右手で額を押さえ、天を仰いでみせるフレンダ。
「結局、ひどく傷ついたワケよ」
「鯖缶ばっかり食べているからです」
くすくす笑いながら、大袈裟に驚いている彼女に応じる。
「もっと自炊しているところを見せればいいのに」
「とは言ってもねえ。一人だと作り甲斐がないワケよ」
「以前は、いたような口振りですね」
「何が?」
「作る相手」
フレンダが苦笑いを浮かべた。
どうだろうね、なんて言って、曖昧に笑っている。
ちょっと変な反応だった。恥ずかしがったりするなら分かるけど、どうして苦笑いなんだろうか。
「フレンダ」
名前を呼んでみる。
「あの」
「何でもない」
声が少し掠れていた。
「何でもないよ」
「そう、ですか」
「ほら、ご飯作らないと」
「ですね」
何だか心のどこかに妙なものがつっかえたような感じだった。
でも、かと言ってそれを問いただす気にもなれなかった。
底抜けに明るいフレンダにだって、あるはずなのだ。
自らの命を危険に晒すことになっても、それでも成し遂げたい何かが。
闇に手を染めた人間というのは、そういう人ばかりだから。
それが一体どういうものなのか、私には見当もつかないけれど。
「それにしても、突然ですよね」
場の雰囲気を変えたくて、そんなことを口にしていた。
「どうして手料理なんて振る舞ってくれる気になったんです?」
その言葉を聞いた瞬間、フレンダの浮かべていた笑みが、きらきらと輝くような笑みに変化した。
「電話でもさ、共通の話題があると盛り上がるじゃない」
「共通?誰と?」
「誰だと思う?」
勿体ぶった調子で、訊き返してくるフレンダ。
「私の知ってる人ですか」
「もちろん」
――ひょっとして、御坂なんですか。
真っ先に浮かんだのは、彼女の笑顔だった。
まあ、有り得ないとは思うんですけどね。
御坂と知り合ったのって、つい最近のことですし。
映画談議で盛り上がっていた時、フレンダは全く会話に入って来なかったですし。
いや、もちろんこれは客観的な意見ですよ。
決して羨ましいとか、私にも番号を教えてほしいとかってことじゃないですよ、うん。
「分かりませんね」
考える振りをしばらく続けてから、答える。
「ホントに?」
「さっぱりです」
フレンダは私の顔をじっと見つめていたが、やがて、
「これ、なーんだ?」
などと言って、シルバーの携帯電話を私の眼前に突きつけた。その途端、私は息を呑んだ。
画面に表示されているのは間違いなく御坂の名前と電話番号、そしてメールアドレスだった。
「御坂とさ、メールするようになったんだ」
なんて嬉しそうに語るフレンダの声が、やけに遠く聞こえた。
考えているのは、目の前にある電話番号とメールアドレスのことだった。
御坂の声を、御坂との時間を与えてくれる、これ以上ない代物だった。