意識の無い白井先輩をお兄ちゃんに預け、犬型ロボットの群れと対峙する。
――良かった、間に合って。
実を言うと、数日前から白井先輩の異変に気づいていたのだ。
先輩自身のAIM拡散力場の他にもう一つ、全く別の力場が微弱ながら流れているのが視えていた。
なのに、先輩は普通だった。異物が流れ込んでいるのに、気にした様子をまるで見せていなかった。
何か仕掛けられているな、と思った。
そう遠くない内に、誰かが先輩を利用するつもりなのだ。
確証は無いけど、確信は充分過ぎる程にあった。
だから以前、お姉ちゃんの動向を窺っていた時と同様の手を使った。
学園都市中に設置された監視カメラの制御を一時的に奪い、先輩を見張っていたのだ。
そして怪しい動きを見せたところで現場へと急いだのだが、どうやらそれで正解だったみたいだ。
「暴行及び傷害の現行犯で拘束するよ、お兄さん」
感情を押し殺し、低い声で呟く。
「言ってくれるね、お嬢ちゃん。冗談としては上出来だ」
余裕の笑みを崩さない小太りのお兄さんを、私は冷ややかに見る。
巡らす視線の先には、お兄さんを守るように佇む犬型のロボット達。
大能力者の白井先輩に対し、瞬間移動による回避も許さなかった程の速度は確かに油断ならない。
だけど、それだけだ。あの程度なら恐れるに値しない。私の方が間違いなく速く動けるのだから。
まずは自分との実力差を相手に思い知らせようと身構えた、正にその時。
いつの間にか、二体のロボットが目の前にまで迫っていたのだ。
口の部分に取り付けられた鞭をしならせ、襲いかかってくる。
紙一重で避けたが、直後、額に汗が滲んだのが自分で分かった。
標的を見失った鞭は叩きつけた地面を深く、深く抉り取ったのだ。
直撃を許せば、サイボーグの身体を以てしても無事で済みそうにない。
その点だけでも厄介なのに、更に、
「なっ……!?」
避けた瞬間、再び私は驚く羽目になる。
ロボット達は私の動きに対して機敏に反応し、即座に向きを変えて鞭を振るってきたのだ。
先程とは段違いの速さ。私の最大出力と、その速度はほとんど変わらない。
一撃で勝負を決めかねない重い一撃が、息つく間もなく撃ち出される。
ロボット達の連撃を避けながら、私は何とか反撃を繰り出す。
だけど効かない。硬過ぎる。殴ったこちらの方が壊れてしまいそうだ。
「最初の威勢はどこに行ったのかな、木原那由他」
名前を呼ばれ、思わず顔を向ける。
「君のことは調査済みだ」
ニヤリと口の端を歪ませ、小太りのお兄さんは得意げに語り出す。
「機械の身体とAIM拡散力場を視覚的に捉える能力を併せ持つ、学園都市が誇る科学力の中枢を担う木原一族の異端児。だけど君も察している通り、このロボット達は君の義体よりも高性能だ。その上、無能力者の僕に対して君の能力は何の役にも立たない」
見る者を不快にさせる嫌らしい笑みで、そう断言される。
「大人しく上条当麻を渡せば痛い目を見なくて済むよ」
「痛い目、ね」
皮肉に言いながら、私は目の前にいる自信過剰な男を見た。
その背後に侍る、主人の命にのみ忠実に従うロボット達を見た。
「気に入らないな、その目」
我儘な子供のように、お兄さんが言う。
「全く、困ったお嬢ちゃんだ。万に一つも勝ち目は無いって言うのに」
そしてまた、あの嫌らしい笑みを浮かべる。
「どうやら想像力の無い人間は実際に体験しないと理解できないらしい」
その言葉が合図だったかのように、再び二体のロボットが跳びかかってきた。
高層ビルの屋上から別のビルの屋上へと跳び移って、結標淡希の後を追いかける。
空間転移を繰り返して移動する彼女は速く、なかなか距離が縮まらない。
追いつくことは出来ず、かと言って振り切られることもなく。
大覇星祭の喧騒から次第に離れていき、やがて第二十三学区に辿り着く。
すると結標淡希は一切の迷いも無く、この学区において唯一の出入り口であるターミナル駅へと入っていった。
学園都市中の全線をかき集めた故に、国際空港並みの広さと複雑さを持つその駅に。
学園都市内において最も機密性が高く、大覇星祭の期間中においても一般公開が唯一許されていない第二十三学区。
祭りの最終日ということも手伝って、この学区には現在、私達二人を除けば誰一人としていないようだ。
だけど、それだけが理由であるとは到底思えない。いくら何でも静か過ぎる。
罠だということは誰の目から見ても明らか。
だけど、ここまで追ってきて何もせずに戻るのもバカらしい。
私は一度だけ溜め息を吐いて、ターミナル駅の自動ドアを潜った。
薄暗い駅の中に結標淡希は独り、佇んでいた。
背後で扉の閉まる音を聞いて、私は彼女と向かい合う。
「懲りない人ね、御坂さん」
お気に入りの下級生を窘めるような雅な口調で、結標淡希は言った。
けれど、私にはそれが芝居じみた物にしか聞き取れなかった。
「この嘘吐き。出来ることなら穏便に済ませたいなんて言ったくせに」
「仕方ないわ。貴女が協力してくれないのだから。聞き分けの悪い後輩には躾をしっかりとしてあげないといけないでしょう」
にこり、と結標淡希が笑う。
そんな彼女を私は、ただ黙って見据えるだけ。
「DNAマップを渡しなさい、御坂さん」
言って、彼女はこちらに向かって一歩を踏み出す。
「大丈夫、心配することは無いわ。今まで不完全なクローンしか作れなかった理由は、単に貴女の同意を得ていなかったから。統括理事長も言っていたわ。想いの強さが能力に直結するんだって。だから今回は成功する。貴女の意思でDNAマップを提供してくれれば、必ず。そして貴女は能力者として、更に特別な存在になれるのよ」
どこか思い詰めたように、結標淡希は語る。
私はただ、首を横に振った。
「特別なんて要らない。アンタだって、そう思ってるんじゃなかったっけ」
「バカね、あんな言葉を信じたの。嫌なワケがないでしょう?この能力のおかげで私は特別になれたのよ。普通の人間には到底出来ないことだって出来るようになった。あの女に借りを作る羽目になったけど、私はようやく、なりたかった自分に戻ることが出来たのよ」
あの女、とは恐らく食蜂操祈のことだろう。
なるほど、ようやく見えた。結標淡希が私を狙った本当の理由が。
「早く同意した方がいいわよ。さもないと貴女の彼氏、どこかに連れ去られてしまうかもしれないから。上条当麻、だっけ。彼の力も特別らしいわね。科学者、特に木原幻生は随分と気にかけていたわ。まあ、私にはどうでもいいことだけど」
肩を竦めて、彼女はそんな風に話を締め括る。
「アンタの彼氏は、もっと危険な目に遭うかもしれないんだよ」
そう、フレンダさんは言っていたけど。
「あら、驚かないのね。貴女の呆然とする顔が見たかったのに。おかしいわね。どうして驚かないのかしら」
結標淡希は不思議そうに訊ねる。
――だって、そんなことは。
「分かっていたわよ、初めから」
「え?」
呆然としたのは、彼女の方だった。
そう。そんなこと、結標淡希に初めて会った時から分かっていた。
あの夜、無理にでも私を捕らえようとしなかった時点で勘付いていた。
情報を操作して、こちらの目を欺こうとしていたことも。
当麻から私を遠ざけて、すぐには助けに行けない状況を作ろうとしていたことも。
それでも。普通の生活を送りたいという彼女の言葉に、嘘は無いと思ったのに。
せめて愚痴くらいには、とことん最後まで付き合ってあげようと思っていたのに。
「だったら、どうして私を追ってきたのかしら。彼氏が危険な目に遭うかもしれないと分かった上で」
動揺を隠し切れていない声。
それに応じるよりも先に、彼女は一つの答えに辿り着いた。
「木原那由他ね」
小さく、掠れるような笑い声と共に、結標淡希はそう呟いた。
「残念だけど、彼女への対策は既に練ってある。期待するだけ無駄よ」
くすり、と嬉しそうに小さな微笑を零す結標淡希。
「上条当麻の元に向かったのは、木原那由他にとって最も相性の悪い相手なのだから」
何の反応も示さない私に、更に言葉を重ねてくる。
「負けを認めなさい、御坂さん。貴女だけが上条当麻を救えるのよ」
誘蛾灯に誘われる虫のように、結標淡希は私に歩み寄る。
そんな彼女から目を離し、私は小さく溜め息を吐く。
「負けない」
仕方なく、口にする。
言葉の意味が分からなかったのか、結標淡希は立ち止まって目を瞬かせる。
「何、ですって」
「対策を練られたくらいで、あの二人は負けないって言ったのよ」
そう。相手が異能の使い手でなかったとしても、当麻は決して怯まない。
自身の持つ力が全て効かなかったとしても、那由他は絶対に諦めない。
その程度で二人を攻略したつもりでいるなんて、とんでもない思い違いだ。
どんなに辛くても、進むべき道を自分で選んだ二人が簡単に負けるワケがない。
「勿論、私だって」
呟いて、私は前に出た。
特別な力に溺れてしまった先輩の目を覚ましてやる為に。
――嘘だろ、おい。
偵察と戦闘の両方をこなす犬型ロボット、タイプ:グレートデーン。
木原病理とか言う科学者によって改良を加えられた僕の手駒が次々と破壊されていく。
事前調査の結果、負けるはずが無いと確信していた相手に易々と切り刻まれていく。
木原那由他。彼女の能力は他人の能力への干渉と模倣だったはず。
しかし今、そのどちらでも説明のつかない能力を彼女は行使している。
彼女は今、自らの髪を伸ばし、武器にして戦っている。
ツインテールの先端に刃を形成し、迫り来るロボット達に切りかかる。
伸ばした髪は自在に操れるらしく、上条当麻を守りながら実に器用に立ち回っている。
全く、末恐ろしい子供もいたものだ。
予想外の事態も想定に入れ、四十体も用意していたタイプ:グレートデーン。
その半数以上が既に、彼女の振るう刃の餌食となっている。
この調子では持ち駒の全てが破壊されてしまうのも、時間の問題だろう。
だがまあ、そんなことはどうでもいい。瑣末なことだ。
どれだけ多くの駒を失おうと、任務さえ遂げることが出来れば挽回は可能だ。
彼女の使う未知の能力については、ここまでの戦いの中で見極めさせてもらった。
この僕、馬場芳郎の天才的な頭脳に掛かれば造作も無いことだった。
自身の髪を操る能力を使い始めてから十分が経過しようとしている今、木原那由他は随分と苦しそうな顔をしていた。
呼吸は荒く、顔からは大量の汗を流している。
能力を使えば確かに疲労はする。汗だって勿論、流れるに違いない。
だが、あの量は異常だ。しかも彼女は『風紀委員(ジャッジメント)』として多くの実戦経験を積んでいる。
ペース配分を考えず、がむしゃらに能力を行使するような真似はしないはずだ。
これらの状況証拠から導き出される結論は一つ。
木原那由他はペース配分を考えなかったのではない。考えるだけの余裕が無かったのだ。
強化を施されたタイプ:グレートデーンですら容易く切り裂くあの能力は、一流の能力者であり科学者でもある木原那由他を以てしても消費の激しい代物なのだ。
長期戦に持ち込めば、おそらく彼女の方から勝手に自滅してくれるだろう。しかし相手は木原那由他だけではない。
無能力者の上条当麻はともかく、食蜂操祈が操っていた大能力者が目覚めてしまうと厄介だ。
こちらも駒の数に限りがあることだし、戦いを長引かせるのは得策ではない。
――これを使うとするか。
木原那由他に気づかれぬよう、細心の注意を払いつつポケットからカプセルを取り出す。
一見するとシャーペンのように見えるカプセルの中に入っているのは、蚊を模した極小の昆虫型ロボットだ。
タイプ:モスキートと呼ばれるそれは蚊のように飛行して取り憑き、口の針から対象を無力化するナノデバイスを注入する。
相手がサイボーグであろうと関係ない。生身の部分がごくわずかでもあるならば、ナノデバイスは対象をたちどころに行動不能とする。
シャーペンの芯を出すようにスイッチを押し、僕はタイプ:モスキートを起動させた。
豆粒よりも更に小さなロボットは、音も立てずに対象の死角へと回り込んでいく。
「いやあ、なかなかやるね」
パンパンと手を叩いて木原那由他の意識をこちらに向けさせた時、まともに動けるタイプ:グレートデーンは五体しか残っていなかった。
「僕の計算では残り一体になったところで君が力尽きる予定だったんだけど」
肩で息をしながら、木原那由他がこちらを睨みつける。
それこそが僕の狙いであることに、全く気づいていない。
「これでは僕自身が君の相手をするしかなさそうだ」
木原那由他は黙って僕を見据える。
間もなく身体の自由が効かなくなるなんて、きっと夢にも思っていない。
「僕は幼少期から特殊な暗殺術を仕込まれている。家庭の事情でね」
彼女の注意を引き付ける為、僕はハッタリを続ける。
それにしても、お人好しな奴だ。
敵の無駄話に黙って付き合っているのだから。
「公に使うことは禁じられているのだけど、君のような強者が相手では仕方ない」
木原那由他の首筋にタイプ:モスキートが取り憑く。
勝利は決定的なものとなり、僕はニヤリと笑う。
「さあ、楽になるといい」
直後、うつ伏せになって木原那由他は倒れ込む。
ナノデバイスを撃ち込まれ、立っていられなくなったのだ。
「那由他!」
上条当麻が喚く。
何も出来ないくせに、自己主張だけは一人前だ。
まあいい、ゴミクズが何を喋ろうが僕には関係ない。
現時点で任務遂行の妨げと成り得るのは木原那由他だけ。
彼女さえ仕留めれば、僕の勝利は揺るぎないものになるのだから。