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No.19733の一覧
[0] 白銀の討ち手シリーズ (灼眼のシャナ/性転換・転生)[主](2012/02/13 02:54)
[1] 白銀の討ち手【改】 0-1 変貌[主](2011/10/24 02:09)
[2] 1-1 無毛[主](2011/05/04 09:09)
[3] 1-2 膝枕[主](2011/05/04 09:09)
[4] 1-3 擬態[主](2011/05/04 09:09)
[5] 1-4 超人[主](2011/05/04 09:09)
[6] 1-5 犠牲[主](2011/05/04 09:10)
[7] 1-6 着替[主](2011/05/04 09:10)
[8] 1-7 過信[主](2011/05/04 09:10)
[9] 1-8 敗北[主](2011/05/24 01:10)
[10] 1-9 螺勢[主](2011/05/04 09:10)
[11] 1-10 覚醒[主](2011/05/20 12:27)
[12] 1-11 勝利[主](2011/10/23 02:30)
[13] 2-1 蛇神[主](2011/05/02 02:39)
[14] 2-2 察知[主](2011/05/16 01:57)
[15] 2-3 入浴[主](2011/05/16 23:41)
[16] 2-4 昵懇[主](2011/05/31 00:47)
[17] 2-5 命名[主](2011/08/09 12:21)
[18] 2-6 絶望[主](2011/06/29 02:38)
[20] 3-1 亡者[主](2012/03/18 21:20)
[21] 3-2 伏線[主](2011/10/31 01:56)
[22] 3-3 激突[主](2011/10/14 00:26)
[23] 3-4 苦戦[主](2011/10/31 09:56)
[24] 3-5 希望[主](2011/10/18 11:17)
[25] 0-0 胎動[主](2011/10/19 01:26)
[26] キャラクター紹介[主](2011/10/24 01:29)
[27] 白銀の討ち手 『義足の騎士』 1-1 遭逢[主](2011/10/24 02:18)
[28] 1-2 急転[主](2011/10/30 11:24)
[29] 1-3 触手[主](2011/10/28 01:11)
[30] 1-4 守護[主](2011/10/30 01:56)
[31] 1-5 学友[主](2011/10/31 09:35)
[32] 1-6 逢引[主](2011/12/13 22:40)
[33] 1-7 悠司[主](2012/02/29 00:43)
[34] 1-8 自惚[主](2012/04/02 20:36)
[35] 1-9 青春[主](2013/05/07 02:00)
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[19733] 1-8 自惚
Name: 主◆9c67bf19 ID:decff9ff 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/04/02 20:36
理由はわからないがサユは俺を呆然と見つめていて、俺はその理由を探るべくサユの瞳を不安そうに見つめ返す。そんな奇妙な時間が数秒すぎて、

「あらあら。お母さんの前でいきなり見つめ合うなんて。もしかして悠司の彼女さん?」
「えっ!?ち、違う!……かな?」
「ふふ、そうやって肝心な時に女の子の顔色を窺うのは頼りなさげで印象悪くなっちゃうわよ?」
「ぐっ!?」

図星をドスリと突かれてよろめく俺をよそに、母さんがゆっくりと立ち上がってサユの元へ歩む。サユはまだ混乱しているのか、相変わらず目を丸くして立ち尽くしたままだ。母さんがサユの目線に合わせて中腰になり、にこりと穏やかな笑みを浮かべる。
仏像を思わせる温厚な微笑みが部屋全体の空気を暖める。

「サユちゃんって言うのね。悠司のこと、よろしくお願いします。変に大人ぶってて生意気なところがあるかもしれないけど、仲良くしてあげてね」
「……はい、もちろんです。きっと、彼を良い未来に導いてみせます」

一言一言、決心するように紡がれた言葉が印象的だった。「悠司も頼れる彼女さんを見つけたわね」と嬉しそうに白い歯をこぼす母を前に、サユの黒真珠の瞳に強い光が宿るのを見た。運命に抗う戦士の目―――フレイムヘイズの眼光だった。
不意に、彼女が今告げた“彼”が、俺のことを指していないように思えた。只ならぬ決意を秘めた瞳が、俺(悠司)ではない別の男ユウジを映しているように見えたのだ。それならば、サユが突然驚愕したことも説明がつく。彼女は“ユウジ”という名前に心当たりがあったのだ。それも並々ならぬ想いが。
自分以外の男がサユの心を釘付けにしていることに不快を覚え、密かに臍を噛む。

(サユ、君の過去に何があったんだ?その男とは―――ユウジとは、どういう関係だったんだ?)

こんなに可憐な美少女なのだ。放っておかれる道理はないし、俺より先に誰かが惚れたとしても不思議はない。それに、彼女にもフレイムヘイズになる前には人並みの人生があったはずだ。その時に恋人がいた可能性だってある。むしろ今までその考えに至らなかったことの方が不自然だ。
そこまで思い悩み、俺ははたと重要なことに気付いて目を剥いた。

(俺はサユの過去を何一つ知らないじゃないか……!)

今サユの隣にいるのは自分だという現状に自惚れ、全能感すら抱いていた。サユのことは何でも知っているような気さえしていた。しかし、思い返せば俺は彼女の過去を何も知らない。優しくて強い女の子だということはわかっていても、なぜこんなに優しくて、どうしてこれほど強くなったのか―――強くならなければいけなかったのかを知らない。彼女が辿ってきた人生も、味わってきた苦楽も、フレイムヘイズになった理由も知らない。自分の気持ちばかりにかまけていて、彼女を知る努力を怠っていた。サユも俺に積極的に過去の話をしない。それはつまり、俺が自分の過去を打ち明けるに足る男だと認められていない証左だ。
これでは、サユを振り返らせることはできない。古いユウジの上に俺を上書きすることはできない。
黙りこくった俺たちを見て面白そうに顔を綻ばせる母さんを視界の隅に入れながら、俺は急激に湧き上がった焦燥感に身を焼かれていた。
今のままでダメだ。俺という存在をサユの心に深く食い込ませないと、いずれ忘れ去られてしまう。ユウジという同じ名前の男に掻き消されてしまう。そうさせないためにも、俺はサユのことをもっと知らなければならない……。


‡ ‡ ‡


母さんとの話は他愛のないものだった。俺が初めて病室にクラスメイトを連れてきたことに喜んだ母さんがサユを質問攻めにして、サユは困りながらも一生懸命に応対してくれた。俺の普段の素行なんて聞いても、サユはまだ一日しか学校で一緒に過ごしていないのだから答えられるはずもない。答えに詰まって横目で助けを乞う視線を送ってくるサユに微笑ましさを覚えながら、俺たちは何とかその場をやり過ごした。
……別の男―――ユウジにも、その可愛い表情を許していたのだろうか。

母さんの体調を考えて、俺たちは一時間ほどで病室を後にすることにした。病室から出る間際、後ろから俺だけを引き止める声が投げかけられる。

「悠司、ちょっといいかしら」
「……?あ、ああ」

その声は、身内の者にしかわからない程度だが、有無を言わせぬ迫力のようなものを孕んでいるように聞こえた。戦士として気配の変化に敏感なサユはそれを察知できたのか、「先に行ってるよ」と気を使ってくれる。
残された俺に、母さんが静かに切り出す。

「あの娘、普通の女の子じゃないわね?」

今までの朗らかな表情とは打って変わって厳しい視線が俺を貫いた。経験に裏打ちされた人生の師としての親の目を向けられ、俺は咄嗟に否定することすら封じられて息を呑む。常に柔和な母さんがこんな風に厳しい感情を露わにすることなど滅多にない。
隠し事をしている子どもを無条件に凍りつかせる親の眼差しに、何とか言葉を搾り出す。

「……どうして?」
「女の勘、ってところかしら。あの娘は小さくて非力に見えて、実は誰よりも強い。そうなんでしょう?」

反駁しなければバレてしまうとわかっていても、あまりに的確な考察に無言しか返せない。
つい一時間ほどの会話で、どこまで見破ったのだろう。同じ女だからか。それとも、これが母親の力というものなのか。
見開いた視界の中で、母さんはなおも追求を続ける。

「あの娘の正体を詮索するつもりはないわ。でも、あなたは―――あの娘が好きで、あの娘と一緒に歩みたいんでしょう?」
「……!」

狂いなく正鵠を射られ、またも無言を返す。せめて驚愕の表情だけは悟られぬようにしようと俯いて拳を握りしめた。
俺は彼女が好きだ。例え今はまだ相応しい相手として認めてもらえなくとも、必ず相応しい男になってみせる。しかし、サユは普通の女の子ではなく、世界各国を渡り歩いて敵と戦うフレイムヘイズだ。彼女と共に歩むということは、病気の母さんを残して旅立つということに他ならない。もう今までの日常には戻れないだろう。また母さんのもとに帰ってこれる保証はない。それどころか、命を失わないという保証もない。そんなことを、どうして病身の母さんに打ち明けられるというのか。

「……ねえ、悠司。母さんを負担に思って踏み出せずにいるのなら、母さんはここで自殺するわ」
「なっ、なに言ってんだよ!?」

俯いていた頭を驚愕に持ちあげれば、母さんは過激な言葉とは正反対に穏やかな顔で佇んでいた。

「親のやってはいけないことは、子の道を阻むこと、子の重石になることよ。私はすでにその大罪を犯してしまってる。私はこれ以上、あなたを縛りたくないの。あの人もきっとそう思ってる」
「……母さん」
「フリッツ・悠司・ルヒトハイム。私とあの人の息子。あなたは誰よりも強く、気高いわ。あなたならどんな世界でも生きていける。私が保証する。だから、あなたはあなたが進みたい道を進みなさい。振り返らず、走り続けなさい」

言葉一つ一つが心に染み渡り、身体の芯を熱する。
俺に血肉を分け与え、俺以上に俺を信じ、理解してくれている肉親の証明。これ以上に説得力のある証明はない。
自身の全てを肯定されたことで、武者震いに似た震えが総身を走った。今まで積み重ねてきた父さんと母さんとの思い出が確かな圧力を伴って俺の背中を押すのを感じる。もう振り返る必要はない。母さんは、振り返られることを望んでいない。
決意を込めてグッと拳を握りしめた俺に母さんは一度頷き、そして微苦笑する。

「悠司、あの娘を支えてあげてね。あの娘はきっと、とても脆いわ」

サユが脆い?あんなに強い彼女に、俺が支える余地があるというのか。

「上手くは言えないけど、あの娘は自分の強さについて行けていない気がするの。たくさんの矛盾と悩みを抱えて、それでもあなたのためにと無理して頑張ってくれてるのよ。だから、少しでもいい、力になってあげなさい」
「……わかった。必ず、サユを護ってみせる」

今度は俺が力強く頷く番だった。
俺の知らないことに、母さんは気付いていた。俺はサユに無理をさせていた。彼女は俺のためだけに、俺に付き添って護衛をしてくれている。
だが、その好意に甘んじるのはもう終わりだ。これからは、母さんが言ったように俺が彼女を護れるようにならないといけない。そのためにはもっと強くなる必要がある。支え合い、共に戦うための力を自在に操れるようになる必要が。
瞳の奥で囂々と火の粉が舞うのを自覚する。そんな俺を見つめる母さんが危ういものを見るようなどこか不安そうな眼差しを向けてきたが、心配は無用だと強く見つめ返す。なぜなら、俺は父さんの形見を―――稀代の宝具製作者、デニス・ルヒトハイムが俺のために残した宝具を身につけているのだから。
サルマキスの触手に縛られたサユを助けだしたこの義足型宝具の強力な一撃を思い出す。

(そうだ、俺にはこの宝具があるじゃないか。ずっと俺を支えてくれた、父さんの宝具が!)

気分が熱く高揚し、自然に口端が釣り上がる。そもそも、これを使いこなせるようになってサマルキスを撃退できるほど強くなれば、この宝具をサユに渡す必要もない。いや、さらに俺がサユより強くなれれば―――彼女を俺の傍においておきながらこの日常を維持することだって、不可能ではないではないか。
サユを護れる力は、彼女と運命を共にする資格は、すでに俺の手中にあったのだ。

(見てるがいい、ユウジ!お前に出来なかったことを、俺がやってやる!この俺が、サユと共に歩むんだ!!)



目が醒めたような心持ちで病院を出る。視界が鮮明になったような、順風満帆な心持ちだ。今なら何でもできそうな全能感さえ感じる。ひやりとした空気が火照った頬を撫でて心地良い。
一段階成長した自分を早く好きな女の子に披露したいという子どもっぽい気持ちに後押しされ、顔を左右に振って目当ての美少女の姿を探す。特に何が強くなったとかいうわけではないが、自分の進むべき方向が目の前に明確に開けたことは十分成長したと言えるだろう。
そこらの女の子とは別格の見目麗しい彼女はすぐに見つけることが出来た。

(……なにしてるんだ?)

病院の前に設けられたテラスの一角で、ベンチにちょこんと座るサユの手元が淡く白い輝きを放っていた。近づきながら目を凝らせば、それは銀色のオルゴールだった。普通の人間には見えない輝きが凝縮してオルゴールの形状に固定されると、今度はそれを裏面が銀色をした黒い布で優しく包んでいく。その布はサユが戦闘時に纏う外套に似ていた。
サユのフレイムヘイズとしての固有能力は『贋作』で、彼女の記憶にある宝具を創ることが出来るという。テイレシアスの自慢気な紹介の仕方からして、とても凄い能力に違いない。事実、何もないところから自分の記憶と存在の力だけを頼りに宝具を創り出す彼女は、まるで女神のように神々しく俺の目に映った。
サユの力を目の当たりにして改めて感嘆していると、布に包まれたオルゴールがすうっと薄れるようにして姿を消した。

(……いや、違う。そこにあるのに見えなくなっただけだ)

フレイムヘイズの近くにいた影響か、それとも宝具を身に付けている効果かはわからないが、紅世の存在に触れたことで俺に芽生えた存在の力に対する察知能力が、サユの手元にまだオルゴールがあることを感覚で教えてくれる。まるで額のもう一つの目で見ているかのような不思議な第六感だ。あの黒い布はおそらく、内にあるものを隠匿する宝具の贋作なのだろう。

「サユ、そのオルゴールはいったい?」
「えっ!?フリッツ君、これが見えるの!?」
「ほお。タルンカッペを見破るとは、なかなか素質があるな。小僧」

サユの手元を指さして問うてみれば、サユが丸い目をさらに丸くして驚く。テイレシアスも賞賛の声を上げるくらいだから、俺はけっこう筋がいいのかもしれない。サユと俺とを隔てる垣根を一つ乗り越えることができた。これでまた一歩、彼女に近づけた。
「まあな」と胸を張る俺にクスリと微笑みを返し、サユが透明になったオルゴールを持ったまま立ち上がる。まるでパントマイムの真似事でもしているようで、少し滑稽だ。

「これは保険だよ。もしもの時のためのプランB」
「プランB、ねぇ」

それをそっと木陰に置くと、オルゴールは完全に認識できなくなった。きっともう誰も気付かないに違いない。何の宝具かはわからないが、この予防策が必要になる事態が起こらないことを願う。どこからか「ねぇよンなもん」という野太い声が聞こえた気がするがきっと気のせいだ。
不意に、サユがまたもや後ろをさっと振り返った。釣られて俺も背後を見やる。10メートルほど向こうで、複数の人影が物陰に慌てて飛び込むのがチラリと視界に映った。さっきもこんなことがあった。いったい何なんだ?
疑問の目でサユを伺えば、彼女はイタズラを思いついた少年のようなニヤとした笑みを浮かべていた。いたずら猫のようなお転婆な表情も似合うのだなと我知らず見蕩れていると、サユがきゅっと小さな手を絡ませてくる。

「ねえ、ちょっとこっち来て」
「え、うわっ!?サユ、何を――!?」

ぐい、と予想以上の力で引っ張られて言われるがままに傍らの茂みに突っ込む。昼間でも鬱蒼としていて適度な空間が開いているここは、“そういう行為”が横行している場所としても有名なだけに変な誤解を生みかねない。

(いや別に嫌というわけではないし将来的にはしたいと―――って違う!)

どぎまぎしながらも、ここにいると周りからの視線とか俺の理性とかが危ないと忠告しようと口を開きかけ、唇の前に立てられた指に一切を封じられる。サユがパチリとウインクをして待機を伝えてくる。ここで待っていればいいということか?

「二人が茂みに入ったぞ!」
「真昼間からだなんて、いくら何でも早すぎない!?時間的にも年齢的にも早いわよ!」
「こうなったら先輩とあの女を殺して私も―――!」

数秒と経たず、バタバタと慌ただしい足音と共に三人の声が近づいてきた。同年代特有の高い声音たちは、どこかで聞いたことがあるような気がした。記憶を探って思い当たる人間の顔を頭に思い浮かべていると、ちょうどそれと同じ顔が目の前の茂みからガサリと生えてきた。それは、ついさっき部室で会っていた後輩だった。

「……お前、陸上部のマネージャーじゃないか。なんでこんなところにいるんだ?」
「あ、あれ?先輩?」

小柄なマネージャーが釣り上がっていた目をきょとんとさせる。なぜこいつがここに?と首を捻ると同時に、再び目の前から顔が生える。しかも2つ。

「くぉらフリッツぅ!!あんた由美子を茂みに連れ込んで何しようと―――あれ?」
「ははは、ナニってナニに決まってゲフッ!!」

瞬く間に顔が一つ減った。茂みの向こうで「横腹はダメだろ……」という男の呻き声が地面でのた打ち回っている。一瞬だけだったが、さっきの男は同じクラスメイトだったように見えた。授業中に俺にウインクをしてきたメガネだ。
女の方が発した台詞で、こいつらがここにいる理由を何となく察する。

「お前ら、さては俺たちを尾行してたな?」
「ば、バレた!?なぜ!?」
「やっぱりな」
「しまった、誘導尋問だったのね!?この卑怯者!!」
「他人を付け回すような奴に言われたくはない」

なんてわかりやすい奴なんだ。そういえば、クラスメイトにこんなテンションの高い女がいたのを思い出す。最初はさんざん話しかけられたが、その破天荒さが鬱陶しくて無視していたら接してこなくなったので、すっかり忘れていたのだ。
なるほど、サユが俺を茂みに連れ込んだのはコイツらを誘き出すためだったというわけか。きっと俺よりもずっと早くにこいつらに気付いていたのだろう。隣を見れば、サユは目論見通りに事が運んだことを喜んで満足気に微笑んでいた。普段から受け身そのものの彼女は、自分が仕掛ける側になれる機会も少ないのだろう。その横顔をギリギリと歯噛みしながら睨みつけるマネージャーの変貌ぶりが妙に印象的だった。気弱な奴だとばかり思っていたが、いったい何がこいつをここまで感情的にさせているのか。

茂みから出れば、メガネの男が脇腹を摩りながらのそりと立ち上がるところだった。俺の顔を見るなり、気まずそうにひらひらと手を振ってくる。

「あー、すまんフリッツ。俺は尾行なんてやめようと言ったんだがケーテとエリザに無理やり誘われてな?」
「な、なによ!アンタだってけっこう乗り気だったじゃない!」
「リーデン先輩だけ逃れようったってそうは行きませんよ!?」

そうだ。この二人の名前はケーテとリーデンだった。マネージャーの名前はエリザというらしい。知らなかった。
ケーテがリーデンの胸ぐらを掴んでガクガクと激しく揺らし、エリザはまだダメージが残っているであろう脇腹にしつこくパンチをお見舞いしている。これを放置しているとリーデンまで病院行きになりかねないから、気を効かせてやることにする。こういうことはあまり馴れないのだが。

「で、お前らはなんで俺たちを尾けてたんだ?」
「えっ!?そ、それは―――」
「決まってるじゃない!由美子の正体を探るためよ!!」

ビクリと肩を跳ね上げて硬直したエリザの台詞をかき消して、リーデンを突き飛ばしたケーテがサユにビシリと指を突きつけて吠えた。その台詞に、思わず息を呑む。まさか、サユがフレイムヘイズだということがバレたのか?さっきの母さん然り、やはり同じ女同士だと何か感付くものなのだろうか。馴れない配慮なんかせずに逃げていればよかった。
狼狽を表に出さないように平静を装う俺をよそに、ケーテはなぜか切羽詰まった声でさらに捲し立てる。

「由美子、アンタって前からそんな性格だったかしら?そんなに小さくて可愛かった?メイド服なんか着てた?フリッツと仲良かった?気配に敏感だった?
私、前のアンタのことを全然思い出せないの。リーデンのバカは考え過ぎだっていうけど、本当にそうなの?間違ってるのは私なの?それともアンタ?」

一方的にそう言い放つと、ケーテはサユをじっと強い視線で射抜く。逃げは許さないという気迫に、場の空気がピシリと強張るのを肌で感じる。置いてきぼりにされたエリザの戸惑いの目が俺とケーテを行ったり来たりするが、相手をしてやる余裕はなかった。
こいつはきっと、特別勘のいい人間なんだろう。由美子の喪失とそこに割り込んだサユという異邦人に勘付いて、だけどその腑に落ちない異物感の理由を説明出来るだけの根拠が見つからずにモヤモヤした胸のつかえを感じて困惑しているのだ。だからと言って、違和感の主に直接「お前は何者だ」と問い質すのはこのイノシシのような女くらいのものだろうが。
とりあえず、サユがフレイムヘイズだという答えまでは至っていないとわかってひと安心する。紅世の存在は秘匿されるべきということはサユからの説明で聞いていたし、何よりそれは俺とサユだけの秘密にしておきたかった。
ケーテの追求をどうにかして有耶無耶にしてしまおうと考えを巡らせていると、ケーテの視線を真っ直ぐに受け止めたサユが先に口を開く。

「ノーコメント、ではダメですか?ケーテさん」
「さ、サユ!?」

ノーコメントというのは遠まわしにケーテの疑念を認めたことと同じだ。そんなことをしていいのだろうか?サユがチラリと横目で俺を見上げる。その瞳に「心配しないで」と頬を撫でられたような気がして、俺はケーテを丸め込むために開きかけた口を閉じる。
一瞬目を見張ったケーテが「ふぅん」と何かに納得したように意味ありげに口端を釣り上げる。

「なるほど、ね。ノーコメントか。じゃあ、アンタは本当の由美子かもしれないし、違うかもしれないってわけね。仮にアンタが偽物の由美子だったとして、本物の由美子はどこに行ったの?」
「……それも、ノーコメントです。ごめんなさい」
「な、なによ。そんな顔するなんて卑怯よ」

悄然と肩を落として頭を下げるサユに面食らったケーテがおろおろと狼狽する。本物の由美子はサルマキスに喰われてしまった。もう二度と会うことはないし、ケーテが思い出すこともできない。それを説明しても、こいつはきっと理解出来ないだろう。
これがサユなりの精一杯の譲歩だ。ケーテのわだかまりを解消してやりながら、隠された裏の世界に踏み込ませないために一線を引いたのだ。適当にあしらってやることも出来たのにそれをしなかったのは、ひとえにサユの底知れぬ優しさがあったからだ。
イノシシ女も、あえて全てを教えないことがサユの厚情故であると察したらしく、高い鼻梁をポリポリと掻いてバツが悪そうにそっぽを向く。

「まあ、いいわ。私が間違っていないということがわかれば、後は自分の力で探るのみよ。直接答えを聞くのはカンニングしてるみたいで性に合わないし」
「ありがとうございます、ケーテさん」
「ふん。別にアンタを信用したわけじゃないわ。でも、そうね。悪い人間じゃないってことくらいはわかるつもりよ。サユ・・

親しみを込めて名を呼ばれたことに、サユが顔を綻ばせた。何の衒いもない純真な笑顔に触れてケーテが照れくさそうに再び目を反らす。これで、またサユの魅力に取り憑かれた人間が増えたわけだ。
どうやらケーテは俺が口にした『サユ』をあだ名か何かだと勘違いしたらしい。俺以外に彼女を『サユ』と呼ぶ人間が増えるのは少し癪だが、そこまで嫉妬深くなるのは見苦しい気がした。ここは男の余裕を見せるべきだと、ムスッとしそうになる表情筋を力を込めて押し留める。

「と・こ・ろ・で、話は変わるんだけどね?」

唐突に攻めの勢いを取り戻したケーテがニタリと笑みを走らせる。そしてなぜか俺の顔を一瞥してふふんと鼻を鳴らした。な、なんだ?

「ちょーっと聞きたいことがあるのよね。女同士でお話ししたいことがあるのよ。ほら、エリザもこっち来て!アンタのことなんだから!」
「えっ?えっ?由美子さんが由美子さんじゃないって、え?あれ?」
「その話は一先ず終わったの!ほら、サユもこっちに来る!ただしフリッツ、てめーはダメだ」
「あ、あの、ケーテさん?」

まだ戸惑っているエリザとサユの首根っこを掴んで少し離れたベンチに引きずっていく。その間に俺を威嚇するのも忘れないことからして、女同士でしか話せないことがあるんだろう。そういうデリケートな問題には男が口出しすべきではない。サユを持って行かれるのは寂しいものの、たまには同性と和気あいあいと話をしたほうがサユの気分転換にもなるかもしれないと我慢することにした。その分、後でサユを我が家に誘って好きなだけ話をすればいいのだ。
一つ嘆息して振り返れば、リーデン本体と補助パーツが未だに地べたに転がっていた。とりあえず本体の方のメガネを拾ってその安否を確認する。

「おお、リーデン!よかったな、傷ひとつないぞ。無事で何よりだ」
「そっちはただのメガネだ!!」

ガバリと飛び起きた補助パーツが的確なツッコミを入れると同時に俺の手からメガネを奪取する。本体とドッキングすればリーデン完全体の完成だ。乱れのない見事な一連の動作に思わず「おお」と感嘆の声が漏れる。
服についた土汚れを払いながら、リーデンが呆れ顔を浮かべて話しかけてくる。

「お前はもっとクールだと思っていたが、意外に良い性格をしているんだな」
「俺も、今朝までは自分はもっと冷たい奴だとばかり思ってた」
「ふむ。変わったってわけか。然して、その変化はあの謎多き美少女のおかげか?」
「ノーコメント、ではダメか?」
「わかりやすい回答をどうも」

気絶したふりをしながら先ほどのサユとケーテのやり取りを聞いていたらしい。抜け目のない奴だ。あのイノシシ女に引きずり回される内にここまで達者になったのだろう。そう考えると何だか親しみが持ててくるのだから不思議なものだ。
ふと、こいつに聞いてみたいことを思いついた。背後の三人の会話に耳を傾ければ、「「ぶっちゃけ二人の関係は!?」」「へ?」などとよくわからない話題で盛り上がっている。この距離なら聞かれないだろう。
念のためにリーデンの肩を掴んで引き寄せる。俺のほうが数センチは上背があるから片腕で抱き込む形になる。

「な、なあ、リーデン。ちょっと尋ねたいんだがな?」
「なんだなんだ、藪から棒に。俺にはそっちの趣味はないぞ?」
「違う!」

リーデンとは親交はまったくなかったからこんなことを聞くのは気が引ける。気恥ずかしさに頬が紅潮するのを自覚するが、背に腹は変えられない。

「その……女の子を家に招待したら、いったい何をすればいいんだ?気を付けないといけないこととかあるのか?」
「はあ!?何をいきなり……」
「し、静かにしろバカ!俺は今までそんな浮ついたことを出来る余裕がなかったから、経験がないんだよ!仕方ないだろうが!」

不甲斐ない話だが、俺は今の今まで女の子を自宅に歓待したことがない。異性を意識しだす年頃になったと同時に事故に遭ったり国籍が変わったりしたから、女の子と付き合う余裕も捻出出来なかったし、する気力も生まれなかった。
恥を偲んで助言を求める俺に、リーデンはプークスクスと吹き出さんばかりに頬を膨らませる。む、ムカつく!

「女の子に人気あるからてっきり経験ありまくりだと思っていたら、実はウブなんだな。はは、またもや意外だ」
「うるせえよ!本体に指紋つけるぞ!」
「全世界のメガネユーザー全員を敵に回すつもりか!わかったよ、教える教える!
ったく。いいか、俺の知っている範囲で言うとだな。まず、自然体で接しろ。変に気取ったりするな。そういう猿芝居は得てしてすぐに勘付かれて逆に底の浅さが露見してしまう。かと言って全てを曝け出すのもNGだ。本音と建前を上手く使いわけろ。
何か話をする時は、話題は女の子の方から振らせろ。そしてそれを膨らませつつ、それとなく自分の意見を挟みこめ。途中で頭が痛くなるかもしれないが、我慢だ。女の子の喉が渇いた場合に備えて事前に飲み物も準備しておいた方がいい」
「お、おう……」

メガネをかけているから知識を蓄えていそうだと決めつけてなんとなく相談したのだが、予想以上に情報通だったので少し驚いた。嬉しい誤算だ。その講釈に耳を傾けていると、俺が考えていた以上に女の子の持て成し方は気を使うらしいことがわかる。それら全てを脳に刻みつけながら俺はこくこくとしきりに頷く。

「ああ、それと大事なことを忘れていた。女の子は男よりもずっと匂いに敏感なんだ。普段から清潔にしておくことはもちろん、部屋に迎え入れる時はニオイ対策は万全にしておくべきだ」
「そ、そうか。匂いか……」

そう言われても、自宅の匂いなんて気をつけて嗅いだことはない。自分の部屋は臭くなかったと思うが、嗅覚が馴れただけで本当は臭いのかも知れない。部活から帰って汗に塗れた服を脱ぎ散らかしたまま、そのままベッドで寝たこともあった。シーツは替えればいいだろうがそれだけで何とかなるものか。ふ、不安だ……。

「……つかぬ事を聞くが、お前は由美子ちゃんを自宅に招き入れるつもりなのか?」
「え?あ、ああ。それがどうかしたのか?」
「お前、一人暮らしだったよな」
「だからなんだよ?」
「一応釘を差しておくが、間違いを犯すんじゃないぞ。初めて部屋を訪れた女の子とイタしてしまおうなんてのは男が最もやってはならないタブーなんだからな。してしまえば間違いなく嫌われる。しかもあんな小さな女の子を組み伏せるなんてしてみろ、犯罪レベルだぞ」
「ああ、その通りだな。わかった。よく心に留めて―――って何言わせてんだこのメガネ!!!」
「ぎゃああ指紋がぁあああ!!」

フザけたことを吐かしやがったメガネにベタベタと親指で指紋をつけてやる。そんなことを言うメガネはこのメガネか!!俺がそんなことをするわけが―――するわけが―――な、ないだろうが!!

「ちょっと、騒がしいわね!こっちで大事な話をしてるんだから煩くしないで欲しいんだけど!特にリーデン!!」
「なんで特に俺なんだよ!俺が被害者なのは明白だろ!」
「口答えしない!ほら、エリザも何か言ってやりなさいよ!!」
「えっ!?えと、えと、口を閉じてろクソメガネ!!」
「予想以上にひでえ!おい、フリッツ!お前のせいなんだから少しはフォローしろよ!」
「口を閉じてろクソメガネ」
「アドバイスしてやったのになんだその扱い!?」

三人の愉快な掛け合いに、瞬く間に場がぎゃいぎゃいと賑やかになる。いつの間にかその騒ぎは俺を囲んで繰り広げられていた。俺も日本にいた頃は、こんな風に友人たちと輪になってくだらないことで笑いあい、頭を空っぽにして馬鹿騒ぎをしていた。あの頃の懐かしい感覚が胸を掠めて自然と相好が崩れる。今まで、ただ繰り返されるだけの日常が憂鬱で灰色に見えていたが、少し手を伸ばせばすぐ近くに色鮮やかな日々を見つけることが出来たのだ。
ふと、そのキッカケを与えてくれた少女の姿がこの輪の中にないことに気付いた。

(……サユ?)

サユは、まるで相入れぬ壁があるかのように一歩引いて俺たちを眺めていた。子供を見守る母親のような慈しむ微笑を浮かべるだけで、決して輪に混じろうとしない。懐かしい風景の写真を見ているような、もう戻れない世界を向こう側の世界から眺めるような追慕と羨望の眼差しが、とても寂しそうで痛々しかった。
俺の視線に気付いたサユが小さく手を振ってくる。自分が立ち入るべきではないと弁えてしまっているような態度に胸が締め付けられる。
サユのそんな顔は見たくなかった。普通の人間と人間をやめたフレイムヘイズの間に立ちはだかる忌々しい壁を否応なく意識させられるからだ。彼女には、純真で可憐な微笑みが一番似合う。
衝動に従い、サユの下まで駆けてその手を握る。戦士というにはあまりに華奢な繊手は、誰かが握って暖めてやらないときっと凍えて動かなくなってしまう。

「サユ、今の内にアイツらから逃げちまおう!」

俺がサユを護れるくらいに強くなれば、彼女はずっとこのまま、この街で一緒に色鮮やかな日常を過ごすことが出来る。寂しそうな顔を浮かべることもなく、いつまでも年頃の少女らしい微笑みを浮かべたままでいられる。

「―――うん、逃げちゃおう!」

ぐいと引っ張って駆け出せば、頬を赤らめたサユがぎゅっと俺の手を握り返してくる。その縋り付いてくるような手に、母さんが『サユは脆い』と言った理由がわかった気がした。サユは、自分と他者の間に線を引いてしまっている。だから彼女はこの世界で孤独なのだ。その孤独から彼女を助けだすのは、俺の使命だ。

「ああーっ!?こらサユ、まだ話は終わってないわよ!!」
「待て、フリッツ!早まるんじゃない!!」
「わ、私は諦めませんからねー!?」
「うわっ、追ってきた!サユ、もっと早く!」
「うん!」

追ってくる三人を振り切り、それでも俺たちは走り続けた。誰かの手をとって走るなんて初めてだったが、今までで一番楽しい走りだった。後ろを走るサユに笑いかければ、サユも楽しそうに満面の笑みを咲かせてくれる。その可憐な花を咲かせたのが自分だということがたまらなく嬉しくて、俺は握る力を強める。
この笑顔をずっと咲かせておくためにも、導かれる側ではなく導く側としてサユの手を取れるようにならなければならない。今はまだダメでも、きっとすぐに到達してみせる。俺にはテイレシアスが唸るほどの素質があるし、サユを助けだせるほど強力な父さんの宝具もある。
まずは手始めに、俺たち一家の運命を狂わせたサルマキスを倒す。あいつを殺し、植えつけられた恐怖を払拭することで、俺はサユに大きく近づくことが出来る。
不可能などないと錯覚させるほどに燃え上がる闘志を胸に秘め、内心に声高く吠える。

(待っていてくれ、サユ!すぐに君を、幸せにしてみせる!!)


‡ ‡ ‡


『んく、ふああっ!』

しゅる、という衣擦れの音がしてサユの裸身がぴくんと仰け反った。背筋に指をつうと這わせれば小振りな胸が小刻みに震える。雪のような柔肌は汗でしっとりと手のひらに吸い付いて、幾ら撫で回しても飽きることがない。
細い腰に手を回してビロードのように滑らかな下腹部から真っ白な太ももに舌を這わせれば、繊手が爪を立ててシーツを掴み、快感に打ち震える。とくんとくんという心臓の震えが触れ合う肌を伝って脳を揺らす。だめ、やめて、許して、と嬌声混じりの懇願が聞こえるが、くねくねと身悶えする絶世の美少女を腕の中に抱いていては止めることはできない。
10分ほど徹底的にイジメて一頻り反応を楽しんだら、そっとサユの顔を覗き込む。もう何度果てたのだろうか。汗と唾液に塗れた美貌は上気しきっていて、荒い息を吐いている。幼い容姿をしているのに、数筋の髪が張り付いた頬は淫魔かと見紛うほどに扇情的だった。

『あ、や、やだ。見ないで……』

俺が凝視していることに気付いたサユが恥ずかしげにシーツで顔を隠そうとする。その初心な仕草に嗜虐心をゾクゾクと刺激され、シーツを乱暴に剥ぎ取る。ビクリと怯え竦んだサユの上に四つん這いに覆い被されば、ベッドがギシリと一際大きな音を立てて軋んだ。
小動物のようにふるふると震える柔肌が、痛いことはしないでと訴えるように俺を見つめる瞳が、理性を容赦無く毟り取っていく。「荒っぽいやり方は嫌われる」と告げる自制の声を、「サユならきっと受け入れてくれる」という自分勝手な悪魔の囁きがかき消す。

『フリッツ、お願い、優しくして。ね……?』

それは完全な逆効果だ。おずおずと呟かれた懇願は、俺には誘惑にしか聞こえない。

『ごめん、無理だ』
『そ、そんな、ふああっ!』

火照った頬に頬ずりをして思い切り抱き締める。ほんの少し力を込めれば折れてしまいそうなほど華奢なうなじからは甘ったるい匂いがする。鼻を押し付けてすうと思い切り吸い込めば、ミルクに似た温かみのある匂いが鼻腔を満たした。男の脳を溶かして情欲を増進させる禁断のフェロモンの匂いだ。これを吸い込んでしまえば、もう自分を抑えることは出来ない。

『愛してるよ、サユ』

首筋や耳たぶに次々にキスの雨を落としながら、耳元で熱っぽく囁く。感度が限界まで高められたサユの身体はそれだけで快感に痙攣し、「はぅ」と弾むような息が小さな口から幾度も漏れる。
もう何度目かもわからない口付けを交わそうと頬に手をやる。赤みが差した色白の肌はまるで桃のようでとても美味しそうだ。この魅力的な果肉は、きっと永遠に味わい続けても飽きることはあるまい。
ゴクリと生唾を飲み込んでそのマシュマロのような朱唇に唇を重ねる直前、甘い吐息と共にサユが小さく囁く。

『うん、ボクも愛してる。―――ユウジ
『え゛っ』

そのとろんと切なげに蕩けた瞳に映るのは、俺ではない別の男ユウジで―――


‡ ‡ ‡


「うぉのれユウジぃいいいいいいいいいいいいい!!――――って、あ、あれ?」

絶叫しながらカッと目を見開けば、そこには電気の消えた見慣れた天井があった。
ぜえぜえと胸を上下させながら目線だけであたりを見渡せば、自分が横になっているのが我が家の小さなリビングのソファだということがわかる。
そういえば、俺は自分のベッドをサユに譲って、自分はソファで寝たのだ。そして、その夢の中で俺はサユと、あんなことやそんなことを……。

「……いい夢だったのか、悪い夢だったのか」

なんとも判断がつきかねる。自分と愛し合いながら他の男の名前を囁かれるなんて、拷問もいいところだ。だが前半部がすこぶる良い夢であったことは間違いないので、最後の屈辱的なシーンだけを記憶から消し去って残りを魂に刻みつけておく。一瞬、興奮のあまりトランクスに粗相をしてしまっていないかと背筋がゾッとしたが、感覚で探ったところによるとどうやら踏み留まったらしい。思春期の中学生じゃあるまいし、そんな失態を犯せばサユの顔をまともに見られなくなる。
ホッと安堵の息を吐いて額を拭うと、大量の汗が付着した。喉もカラカラだ。寝巻き替わりのトレーナーもぐっしょりと汗を吸って肌に張り付いてきて不快だ。一度着替えて、水でも飲もう。そして夢の内容を鮮明に記憶している内に日記に記すのだ。
そう思い立って半身を起こそうと力を込め、

「んん……」

胸元で囁かれた口気にギクリと硬直した。もぞり、と身体の上で何者かが寝返りを打つ。夢の中で嗅いだ匂いがふわりと鼻腔をくすぐる。
まさか、そんなマンガのようなベタな展開があるものだろうか。望んでいなかったと言えば嘘になるが、まさかこんなに呆気無く経験できるとは思ってもいなかった。神さまの気まぐれのご褒美なのか、それとも俺の理性の限界を試しているのか。
ゴックンと唾を大きく飲み込んで現実に向きあう覚悟を決め、身体の上の温もりに目を向ける。
そこには、狭いソファの上で俺に寄り添ってスヤスヤと寝息を立てるサユがいた。下着の上から俺のTシャツを着ただけの無防備な格好はまるで事後そのものだ。

「まさか……あの夢は正夢!?」

だとしたら、俺はリーデンが言っていたタブーを犯してしまったことになる。なんということだ。これでは嫌われてしまう。ああ、でも責任を取ると言えばわかってくれるだろうか。そうだ、責任をもって君と子どもの面倒を見るとはっきり告白しようそうしよう。だがフレイムヘイズは子どもが産めるのだろうか。というか、そもそもサユは妊娠が出来る年齢なのか―――

「そろそろ落ち着け、小僧」
「お、お父さん!?」
「お前にお父さんと言われる筋合いはない!―――って何を言わせとるんだこのマセガキめ。心配せんでも、お前が心配しているような間違いは起きていない。そんなことを俺が許すはずがないだろうが」

サユの胸元にぶら下がるテイレシアスの嘆息混じりの台詞に、俺はさらに混乱する。では、どうしてこんな事態になっているのか。それを思い出すために、俺は意識を回想の渦へと飛び込ませることにした―――。


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