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No.19733の一覧
[0] 白銀の討ち手シリーズ (灼眼のシャナ/性転換・転生)[主](2012/02/13 02:54)
[1] 白銀の討ち手【改】 0-1 変貌[主](2011/10/24 02:09)
[2] 1-1 無毛[主](2011/05/04 09:09)
[3] 1-2 膝枕[主](2011/05/04 09:09)
[4] 1-3 擬態[主](2011/05/04 09:09)
[5] 1-4 超人[主](2011/05/04 09:09)
[6] 1-5 犠牲[主](2011/05/04 09:10)
[7] 1-6 着替[主](2011/05/04 09:10)
[8] 1-7 過信[主](2011/05/04 09:10)
[9] 1-8 敗北[主](2011/05/24 01:10)
[10] 1-9 螺勢[主](2011/05/04 09:10)
[11] 1-10 覚醒[主](2011/05/20 12:27)
[12] 1-11 勝利[主](2011/10/23 02:30)
[13] 2-1 蛇神[主](2011/05/02 02:39)
[14] 2-2 察知[主](2011/05/16 01:57)
[15] 2-3 入浴[主](2011/05/16 23:41)
[16] 2-4 昵懇[主](2011/05/31 00:47)
[17] 2-5 命名[主](2011/08/09 12:21)
[18] 2-6 絶望[主](2011/06/29 02:38)
[20] 3-1 亡者[主](2012/03/18 21:20)
[21] 3-2 伏線[主](2011/10/31 01:56)
[22] 3-3 激突[主](2011/10/14 00:26)
[23] 3-4 苦戦[主](2011/10/31 09:56)
[24] 3-5 希望[主](2011/10/18 11:17)
[25] 0-0 胎動[主](2011/10/19 01:26)
[26] キャラクター紹介[主](2011/10/24 01:29)
[27] 白銀の討ち手 『義足の騎士』 1-1 遭逢[主](2011/10/24 02:18)
[28] 1-2 急転[主](2011/10/30 11:24)
[29] 1-3 触手[主](2011/10/28 01:11)
[30] 1-4 守護[主](2011/10/30 01:56)
[31] 1-5 学友[主](2011/10/31 09:35)
[32] 1-6 逢引[主](2011/12/13 22:40)
[33] 1-7 悠司[主](2012/02/29 00:43)
[34] 1-8 自惚[主](2012/04/02 20:36)
[35] 1-9 青春[主](2013/05/07 02:00)
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[19733] 1-4 守護
Name: 主◆548ec9f3 ID:0e7b132c 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/10/30 01:56
「つまり―――君みたいな“フレイムヘイズ”って呼ばれる奴らは、人間の味方って解釈していいんだな?」
「そう思ってくれて問題ないよ、フリッツ君」
辿々しい俺の確認に、目の前で椅子に腰掛けているサユは微笑を浮かべたまま頷いた。
サユが街の修復を終えた後、俺たちはすぐ近くにあった俺の自宅に移動していた。窓からすっかり暗くなった外の景色を見れば、いつも通りの賑やかな町並みが広がっている。向かいでは教会の鐘が鳴り、皆に本格的な夜の訪れを報せる。その長閑な光景には先の人外同士の戦いの爪痕など微塵も見て取れなかった。
(その人外の片方がこんな女の子だなんて、未だに信じられないな)
正面へと目を戻せば、長い説明を終えて喉を潤そうとホットミルクをこくこくと喉に流し込むサユの姿がある。その姿は先までの彼女とはまるで違っていた。純白に燃えていた双眸も長髪も今は黒真珠のような鮮やかな黒色に染まり、白銀の戦装束はなぜか濃紺の給仕服になっていた(彼女の説明によると、フレイムヘイズには今のサユのような『通常形態』と炎を纏って戦う『戦闘形態』があるらしい)。
簡単な自己紹介をした後、俺はサユに多くの質問をした。過去に同じ質問を受けた経験でもあるのか、サユは嫌な顔一つせずに丁寧に答えてくれた。
『紅世』という、“この世の歩いていけない隣の世界”があること。そして、この世界は遥か昔から紅世の住人による侵入と暴虐を受けていること。それを撃退し、紅世と現世のバランスを保つためにサユのようなフレイムヘイズが日夜戦っていること……。
簡単に信じられる話ではなかったが、実際に経験をしてしまった後では信じる他なかった。

自分が当たり前のように過ごしていた日常とまったく相容れない非日常。それと接してしまった時点で、俺が送ってきた暮らしは終焉を告げた。――――いや、もっと前からすでに、俺は非日常の住人に付け狙われていたのだ。
あれだけの戦いに巻き込まれながら無傷のままの義足に一度目を落とし、再びサユを見る。視線に気づいたのか、サユがその小さな手には大きいカップをテーブルに置いて居住まいを正す。
「『宝具』ってのが、人間と紅世の住人が協力して造る特殊な道具や武器だってことはわかった。でも、それと俺と何の関係が?」
この質問にサユは答えられないようで、彼女はカップの傍らに置かれたペンダントに促す視線を向けた。ペンダント―――この中にいるテイレシアスという男は、俺を襲ったサルマキスと同じ種族であり、その中でも上位種に位置する『紅世の王』と呼ばれる者だという。同種だが、目的が正反対なので同類ではないそうだ。彼のような『王』が人間の強い意思(憎しみなど)に呼応し、その人間と契約することで紅世の脅威に対抗できる戦士―――フレイムヘイズになるのだという。

テイレシアスが渡された視線に応える。
「小僧。お前のセカンドネームは『ルヒトハイム』で間違いないな?」
「ああ、そうだけど……」
この名はサルマキスも知っていた。紅世の住人には有名なのだろうか?
「では、デニス・ルヒトハイムはお前の親族か?」
「それは死んだ父さんの名だ。この義足を造ってくれた」
俺の即答に、テイレシアスは「なるほどな」と低い納得の声を漏らした。俺には何がなるほどなのかまったくわからない。困惑した表情を浮かべていると、サユが助け舟を出すようにテイレシアスに問う。
「テイレシアス、どういうことなの?」
「……小僧、お前の父デニス・ルヒトハイムはかつてあのサルマキスとともに宝具を造っていた。腕の良い技術者だったと聴いている」
「父さんが!?」
あの気味の悪い男と誇りにしていた父親が手を組んでいたと聴かされ、激しく動揺する。テイレシアスの淡々とした言葉がさらに追い打ちをかける。
「今から4年前、お前の父は“時の事象に干渉できる”力を持った宝具を完成させると、それを渡すはずだったサルマキスの前から姿を消した。理由は知らんが、大方あの下衆なトカゲと組んでいるのが嫌になったんだろう。その後、サルマキスは怒り狂ってデニスの消息を追ったが足取りすら掴めていなかった。だが、今日見つけたのだ。デニスが隠した宝具を」
サユが驚愕の瞳で俺を見る。そこでやっと理解できた。サルマキスに渡さなかった宝具を父さんがどこに隠したのかを。
俺に人の規格を超えた速度と地面を抉る脚力を与えた水色に燃える義足を思い出す。
「そうか、この義足が……」
そこまで言って、全身を悪寒が駆け巡った。
(“時の事象に干渉する”、だって?)
俺が速く走れるようになったのは、事故で足を失い、4年前にこの義足を父さんから貰ってからだ。普通に考えれば不自然なことだ。際立った体力を有していたわけでもないガキが偽の足をつけた途端に早く動けるようになるなんて、冗談みたいな話だ。そして極めつけに、この義足には人知を超えた力を持つ宝具が仕込まれている。

要するに――――俺の自慢の俊足は、純粋な実力によるものではなく、父さんの迷惑な遺産によるものだったわけだ。

「なんだ、そりゃ……」
思わず自嘲が漏れてしまう。自分の俊足の正体を疑うこともせずに今まで調子に乗っていた自分が情けなくて、ひどく滑稽だった。
「大丈夫、フリッツ君?」
心配そうな声に振り向けば、その声そのままに不安げにこちらを気遣う表情をしたサユが、身を乗り出してこちらの顔を覗き込んでいた。その優しさは、絶望に沈みかけていた心を浮上させてくれた。
「……ああ、大丈夫だ」
本当は大丈夫な精神状態じゃなかった。脳天を殴りつけられたようなショックに喉がからからになる。
だが、救いはある。別に二度と走れなくなったわけじゃない。宝具は今も俺が持っているのだ。問題なのは、この宝具を奪おうとしている奴がいることだ。
「サルマキスはまた来ると思うか?」
「間違いなくな。奴は宝具を盗まれたことで顔に泥を塗られた。あの通り、自尊心だけは高い卑屈な奴だ。何としてでもその宝具を奪うだろう。そして憎むべきデニスの息子であるお前の命もまた然りだ」
低い男の声で淡々と告げられた台詞は、最後通告のようにも思えた。あんな化け物に襲われれば、俺なんか一溜りもない。一瞬で殺されるだろう。それならまだいい方だ。ハリハラのような化け物に喰われながらじわじわと嬲り殺しにされるかもしれないし、むしろそうなる可能性の方が高い。俺に非なんてないのに、だ。
死と苦痛の恐怖に肩が震え、歯がガチガチと音を立てる。汗が背筋を伝い落ちる感触が軟体生物が這っているようで気持ち悪かった。

俺ではサルマキスには太刀打ちできない。――――だが、それができる存在ならすぐそこにいる。

震える声をなんとか押し殺して、静かに義足を見つめていたサユを見据える。
「頼みが、ある」
「なに?」
俺は一度目を瞑り、この少女がさっきまでと変わらない天使のような優しさを次の瞬間も発揮してくれることを神に願った。エホバでもアラーでも仏陀でもいい。俺の頼みを聞き入れてくれさえすれば、どいつでもよかった。目を開いて睨むように目の前の“戦士”を見つめ、
「俺を護って、サルマキスを倒してくれ」
しばしの沈黙。沈鬱な空気は圧倒的な重さを持って俺の双肩に圧し掛かり、その重さに押し潰されそうになる。俯く顔でサユを見上げれば、その表情は感情を押し殺しているような暗い無表情だった。何を考えているのか判然としないその視線から逃げるように、俺は視線を落として手元をじっと見下ろす。
調子がいい願いだということはわかっている。フレイムヘイズは群れて行動したり誰かを護ったりすることはほとんどないと聞いた。だが、俺は願うしかなかった。NOという返答が下されれば、俺は死んだも同じだ。抵抗する術を持たない俺が生き延びるには病気で弱った母さんを放ってでも世界中を逃げ惑うしかない。それでも、今日見つかったようにいつかは発見されて殺されることは目に見えている。
それに、宝具を狙う奴らはサルマキスだけじゃない。圧倒的な力を持つ紅世の化け物どもから逃げ続けられる自信はなかった。

神に祈るように顔の前で拳を握り締める。そして、俺の懇願に対するサユの短い返答。
「わかった。君を護って、サルマキスを倒そう」
「……っ!」
押し寄せる安堵に全身から一気に力が抜けた。頭頂まで上り詰めていた血がどっと降りて、そのまま気絶しそうな眩暈まで覚える。いつのまに止まっていたのか、肺が収縮活動を再開して呼吸が再び行われ始める。ひゅう、と喉から空気が漏れた。
「ありが―――」
「でも、条件がある」
俺の台詞を固い声が遮った。可憐な見た目に不相応な、鋭い声だった。また嫌な予感がした。
「サルマキスはボクが討滅しよう。その代わり、」
その白い指が俺の義足を指す。その確固たる意思を宿した双眸は、神の命ずるままに天罰を下す天使そのものだった。そこには何の邪悪もなく、何の救いもなく、ただの“決定”しか存在しない。
「全てが終わった後、その宝具をボクに渡してもらう。これが条件だ」
「な……!」
生き延びたいと考えるのなら、母さんのことを考えるのなら、その取引は喜んで受けるべきだ。サユがサルマキスを倒し、俺がこの宝具を手放せば、俺は普通の人間として暮らしていける。それはどうしようもなく正しい判断だった。

しかし――――この宝具がなくなれば、きっと、俺はもう走れなくなる。他人より秀でた優越感を、あの得もいわれぬ風を切る爽快感を二度と味わえなくなる。
この足のおかげで待遇のいいハイスクールへの進学も決まった。走ることは俺のたった一つの取り柄だ。この4年間の生き甲斐はそれだけだったと言ってもいい。走れなくなったら今までの時間は全て無駄になってしまう。
失いたくない、と思ってしまった。例えこの義足が化け物どもを呼び寄せる宝具だったとしても……。

自分の置かれた現実を突きつけられ、しかし受け入れることが出来ずに閉口してしまった俺に、サユは小さく嘆息してゆっくりと椅子を立つ。
「今すぐ渡せとは言わないよ。サルマキスにはかなりのダメージを負わせたから、しばらくは身を潜めているはずだ。すぐに報復に来ることはない。君は“その時”までに覚悟を決めておいて」
「覚悟……?」
聞き返した俺の目をまっすぐに見返して、サユが容赦なく告げる。まるで、かつて自分が言われた言葉をなぞるように。

「これを現実だと認め、未練を断ち切る覚悟だよ」

俺の考えを見透かしてその思いを断ち切るように告げると、サユがおもむろに今まで羽織ってなかったはずの黒い外套の裾を翻した。何事かとそれを目で追って――――次の瞬間、サユの姿はどこにもなかった。後には、まだ熱を持った空のカップがあるだけ。

驚きはしなかった。彼女は異能を有する超常の戦士だ。これくらいの芸当ができても何ら不思議はない。
立ち上がり、ふらふらと自室のベッドの元まで歩むと、そのまま靴も脱がずに倒れこんだ。義足の関節がぎしりと軋みを上げるが、いちいち外す気にもなれなかった。
「これが現実だ、って言われても……」
今この瞬間にも、誰かが紅世の住人に理不尽に殺され、世界の記憶から消されている。自分が平然と暮らしていたこの世界が実はそんなに物騒だったなんて―――その世界に俺も属しているだなんて、信じたくなかった。
でも事実なのだ。サユが言ったように、認めなければならない。認めて、判断を下さなければならない。
苦悩の重さに耐えかねるように、身体をベッドに沈みこませる。くたくたになった頭にどっと疲れが押し寄せて眠りへと誘う。今日はたくさんのことがありすぎた。もう何も考えたくなかった俺は、その誘いに乗って深い眠りについた。


 ‡ ‡ ‡


憔悴しきった顔のフリッツがベッドに倒れこんで動かなくなるのを、サユは隣の教会の窓からそっと覗いていた。
「あれほどの戦いを体験してもまだ現実を認められんとは、人間の心理はよくわからん」
狭い倉庫に地鳴りのように低い声が響いた。そこへサユの声が重なる。その声は幾分か沈んでいた。
「仕方ないよ。ボクもそうだったから」
自分も、フリアグネの燐子に襲われて最初にシャナと会った時、彼女に自分が坂井悠二の代替物(トーチ)だと告げられても信じることはできなかった。自分が世界から零れ落ちたような圧倒的な失調感に打ち据えられ、その絶望から逃れようと現実から目を逸らして必死に仮初の日常にすがり付こうとしていた。きっとそれが、普通の人間の正常な反応なのだ。
「しかし、よりによって俺たちの目当ての宝具があの小僧の義足とはな。何やら思い入れもあるようだし、これは無碍に強奪するわけにもいくまい」
サユの表情が目に見えて曇る。膝を抱えて座り込み、冷たい石の壁に背を預ける。
「でも……宝具を持っていれば不幸になる。彼も、彼の身の回りの人間も……」
テイレシアスは、サユがフリッツと昔の自分を重ねていることに気づいた。零時迷子をその身に宿し、常に紅世の脅威に晒されていた坂井悠二だった頃の自分に。
「彼を戦いに引きずり込んでしまうことは避けたい。きっと不幸になってしまうから」
「だから、あの小僧から宝具を取り上げる。それは正しい判断だ」
テイレシアスは一際“正しい”を強調して言った。それは彼なりに自分のフレイムヘイズを気遣った言葉だったが、言った直後にしまったと口を閉じた。サユが唇を噛んで目を伏せる。努めて平静を装おうとしているようだったが、その瞳は明らかに暗く沈んでいた。
そう、サユが行おうとしていることは“正しいこと”なのだ。危険な宝具を奪うことでリスクを取り除く、現実的な処置だ。――――かつて、ヴィルヘルミナが坂井悠二というミステスを破壊して零時迷子の及ぼす危険を排除しようとしたように。
それに、サルマキスを倒せてフリッツが宝具を手放しても、人間の存在の力を狙う紅世の住人からの危険は変わらずフリッツに付き纏う。フリッツは抜きん出て存在の力を保有する稀な人間だった。悪道に落ちた紅世の徒には絶好の餌だ。フリッツから宝具を奪うということは、紅世の暴挙に抗する手段を奪うことにもなる。

今のサユの頭からは『時の事象に干渉する宝具』を使って元の時間に帰ると考えは消えていた。かつての己のように紅世との戦いに理不尽に巻き込まれてしまった不幸な少年を、最も良い未来に導いてやりたいという願いだけだった。
そのためには、宝具を取り上げるしかないのだろうか?
「うん、きっと正しいことだ。だけど、正しいことは必ずしも“良いこと”と同じじゃないんだ」
静かなその台詞に、テイレシアスは無言を返した。サユも何も言わない。密度を持った沈鬱な空気の中、少女の形をした少年は膝を抱えて身動ぎ一つせず、自分のすべきことは何かをひたすら模索し続けた。

――――その脳裏に、一人の少女が浮かんだ。

紅蓮に燃える炎を身に纏ったその背中は圧倒的な存在感を放ち、まるで巨大な城壁のようにあらゆる脅威から自分を護ってくれていた。少女が漆黒の黒衣を大きく靡かせて振り返る。闘志溢れる赤い双眸を輝かせ、精悍な笑みを浮かべ、神代に向かって宣言するように高らかに言い放つ。
『悠二、お前は私が護る』、と。

気づけば、立ち上がって窓枠に足をかけていた。
ボクはボクにできることをしよう。かつて、シャナがボクを導いてくれたように!
「どうするか決まったようだな、我がフレイムヘイズ」
満足げなテイレシアスの声に強い頷きを返し、その強い決意を現すように純白の炎の翼を大きく羽ばたかせ、サユは夜空へと飛び立った。


 ‡ ‡ ‡


すっかり身体に染み付いた習慣に従って、自動的に半身が持ち上がる。まだはっきりとしない目を細めて枕元の時計を見ると、時刻はまだ6時前だ。朝の部活に遅れないように、いつもこの時間に起きるようにしているのだ。
昨日のことは全部悪い夢だったんじゃないかと都合のいい希望を抱いてベッドから起き上がるが、途端に怪我と疲労で全身の至るところから悲鳴が上がった。痛みに顔を顰めて呻き声を漏らす。その痛みに儚い希望は簡単に突き崩された。
思わず仰け反りそうになるのを堪えて、鉛のように重い身体を引きずるように歩む。眠ったはずなのにちっとも回復できていない。唯一の救いは、あまりに疲れていて夢すら見なかったことだろうか。
毎日やっているように簡単な屈伸運動をして意識を覚醒させつつ、硬直した筋肉を解していく。関節を動かすたびに痛みが走ったせいで、いつもの倍の時間がかかってしまった。軽くシャワーを浴びてから、疲労回復と心臓強化のために毎朝飲んでいるグレープフルーツジュースを一気に呷る。
ふと、テーブルに置かれたままのカップが目に入った。それに注がれていたホットミルクを可愛らしい仕草で飲んでいた少女の姿を思い出す。
サユは今頃何をしているのだろうか。サルマキスを捜しているのか、それともどこかから非力な俺を見守ってくれているのか。
サユは、フレイムヘイズという超常の戦士でありながら、日常に住む普通の人間のような自然さと他者への深い配慮を持っていた。さらに、その仕草一つ一つがどこかぎこちなくて、接する者にまるで小動物のような印象を与える。見ているだけでこちらまでなんだかほんわかとした幸せな気持ちになって―――って、自分の命が危ないってのに何を考えてるんだ俺は?正気に戻れ俺――――
「……何やってんだ、俺は?」
そこまで考えたところで、毎日の習慣に従って通学用のボストンバックを背負おうとしていた自分に気づいて深いため息を吐いた。化け物に命を狙われる身だというのに、何を考えているのか。
「……でも、一箇所に留まっているよりは移動した方がいいよな……」
誰に言うでもなく呟く。いや、これは自分への暗示だ。日常から引き剥がされたくないという足掻きが勝手に口から漏れ出てしまったのだ。ほんの昨日まで、この退屈な日常からの脱出を望んでいたというのに、なんて卑怯な人間なんだ。
(でも、サユは『サルマキスはすぐに襲ってこない』と言っていた。学校に行っても平気なんじゃないか?それに仮に学校で戦いが起きたとしても――――巻き込んで気の毒に思う奴はいない。俺には何の関係もない)
今はただ、無我夢中で走りたかった。誰よりも早く風を切る快感に浸って、全てを一度忘れたかった。そうやって頭の中をリセットすれば、何かが変わるような気がした。それが周りの人間を危険に晒すことだとしても、構わない。
ふっと小さく嘆息して体内を空虚にすれば、自分でも驚くほど冷たい冷笑が浮かんだ。我ながら最低な奴だ。バックを担ぎなおせば、後は毎日の習慣に従って身体が自動的に動いてくれる。
ふと、サユの悲しむ顔が脳裏に浮かんで、胸がぎりりと痛んだ。


走る。迷いや悩みを吹っ切るように、身体中の激痛も周囲の視線も気にせずにただがむしゃらに疾駆する。
重力など物ともせず、遠心力を振り解き、空気抵抗を引き裂いて、トラックをひたすら高速で駆け続ける。この爽快感に浸って悩みやしがらみを振り切りたいのに、一度存在の力というものを認識してしまった身体は嫌でも義足から流れてくる“力”を感じ取ってしまう。
昨日まではまったくわからなかったが、今では感覚で明確に理解(わか)る。この宝具は、“俺の時間を速めている”のだ。俺の肉体や精神を世界の時間から切り離して加速させている。テイレシアスはこれを時の流れに干渉する宝具と言っていたが、それも頷ける。

なぜ、父さんはこんな宝具を俺に託したのだろう。サルマキスから逃れたいのなら破壊するべきだったはずだ。記憶の住人となって久しいが、むざむざ自分の子供を危険に晒すような真似をする人ではなかった。サユたちもこの宝具がいったい何を目的として造られたのかは知らなかった。
この宝具には、まだ何か謎があるのか―――?

「フリッツ!フリッツ・Y・ルヒトハイム、終わりだ、止まれ!」

唐突に耳に滑りこんできた叫び声に、思考を中止して身体に急制動をかける。踵のスパイクが地面をえぐって部員待機所前に長い爪痕を残した。ペース配分を無視していたため若干肩を上下させながら声のした方を見ると、いけ好かない部長が目を丸くしてこちらを凝視していた。丸くした目をそのままに、しばし逡巡し、躊躇いがちに口を開く。
「その……今日はどうしたんだ?いつもと様子が違うみたいだが」
「―――は?」
今度は俺が驚く番だった。こいつが俺を心配することなんて今まで一度もなかったのに。見れば、周りの部員も気遣わしげな目付きで俺を注視している。自分の目と耳を疑う俺に、部長は気まずそうな顔をする。いつもの苦々しい面持ちの端に配慮の色が覗いている。
「お前の独尊的な態度には部長として不満を持ってるが、ハンデを抱えながらも誰よりも速く走るお前のことは認めてるつもりだ。だから、お前が普段の調子でないのはやっぱり気になる。何かあったのか?」
認めてる、だって?こいつが俺を?いつも鋭い視線を送ってくるだけで、そんな素振りは一度も見せたことなかったじゃないか。
(いや、俺が見ようとしていなかったのか?)
唐突に脳裏に浮かんだ直感めいた考えに息を呑む俺の背中に、誰かが柔らかく触れた。
「あの、大丈夫ですか?」
振り返れば、新しく入部した小柄なマネージャーが心底心配そうな表情を浮かべてこちらを見上げていた。なんなんだ、いったい。お前だって昨日はあんなに怯えていたじゃないか。どうしてそんな優しそうな顔をして俺を見るんだ。俺は、お前らを巻き込もうとしてるんだぞ。
「だ、大丈夫だ。少しコンディションが悪いだけだ、気にしないでくれ」
急に居心地が悪くなった俺は、突き放すように言い放つと荷物を掴んで校舎へと走った。怪訝そうな視線が背中に突き刺さる。調子が狂う。いつものように俺を睨んでくれた方がよっぽどマシだ。
(俺は、お前たちのことなんて何とも思っていないんだ。お前たちも、俺のことなんて何とも思ってないんじゃなかったのか?それとも……何とも思っていなかったのは俺だけなのか?)
自分が取り返しのつかないことをしているような後ろめたさが背筋を冷やす。じくじくと疼き始めた罪悪感から意識的に目を逸らし、逃げるように急ぎ足で教室へ向かう。このまま考え続けていると気が滅入りそうだった。
慌しく登校してくる生徒たちを掻き分けながら馴れた動きでスパイクシューズをスニーカーに履き替え、一限目の授業が行われる教室に入ろうと扉に手をかけ、


「Dies ist Ein Stil!(仕様です!)」


カタコトのドイツ語だったが、たしかにそう聴こえた。一度聞いたら忘れられない、透き通るように凛として、だけど幼さを多分に残した少女の声。その声は間違えようもなく、俺の日常の破壊者の声だった。
「おい、マジかよ?」
呟いてドアを乱暴に開け放つ。円陣を組んで何かに群がっていたクラスメイトたちの視線が一斉に俺に集中する。
その中心に、中学生すら怪しい背丈の少女がいた。
濡烏のような長髪と濃紺の給仕服の裾を翻し、他の者たちより遅れて少女がこちらを振り返る。俺を見つけると、なぜか当惑していたその表情が花が咲いたような可憐な笑顔に変わった。

「おはよう、フリッツ君」

『なんで』とか『どうやって』とかいろいろ言いたいことがあったはずなのに、その笑顔で全て吹き飛んでしまった。気負いも苦悩も晴らして癒すタンポポのような微笑みに、頬が火照り、胸が締め付けられ、心臓が高鳴り、全身が沸騰したようにカッと熱くなる。認めたくないが、俺には本当に特殊な嗜好があるようだ。そんな確信と諦めを覚えながら、クラスメイトが注視する中、俺は愛くるしい少女にただただ見蕩れていた。

どうやら俺は――――この人外の戦士のことを、好きになってしまったらしい。


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