皇歴2017年6月2日・午前6時。
コンベンションホールホテル内部に複数台の車両が進入。
警備兵の確認の元、彼らがサクラダイト生産国会議の準備車両である事が報告される。車両を通した警備員の元に、不正な金の流れが有った事が発覚するのは、全てが終結した数日後の事であった。
午前11時30分。
『サクラダイト生産国会議』主要参加者約50人が、川口湖畔のコンベンションホールホテルに到着する。参加者は世界経済においては有名な者が多数。
E.U.の最高機関『40人委員会』所属、ジェームズ議長。
神聖ブリタニア帝国所属・帝国宰相直下外交官・第三皇女ユーフェミア・リ・ブリタニア。
その他――中華連邦とインド軍区からの代表、ブリタニア政庁内務省下NAC等。
錚々たる顔ぶれが揃っていた。
午後13時30分。
ホテル18階にて会議が始まる。ジェームズ議長の下、権謀術数が渦巻く主張・交渉・取引が行われる。
会議室への出入りは禁止だったが、同ホテルに滞在する事でテレビによる傍聴は可能になっていた。傍聴者はおよそ100人。アッシュフォード財閥ミレイ・アッシュフォードを始め、幾人もの将来を担う人材が、このホテルに滞在して会議の行く末を見守っていた。
E.U.から会議を傍聴しにやってきた者まで居たという事実が判明するのは、後日の事。
午前14時45分。
会議の前半が終了する。ブリタニアの優勢は変わる事がない。強硬な意見を提示するローマイヤと、少し妥協をして皆を抑えるユーフェミア。二人の組み合わせは意外なほどに相性が良かった。
相手も百戦錬磨の外交官であり、その上を行く条件を提示していた為、難航していたが。
休憩室に戻った各代表は、己の立場を考えながら、護衛達に相談をした。ユーフェミア・リ・ブリタニアの護衛は、モニカ・クルシェフスキーと、アーニャ・アールストレイム。鉄壁の布陣だった。
午後15時30分。
会議の後半が開始。会議は踊る。議論は進んで行く。
午前15時35分。
緊急連絡。従業員入口前で車両事故が発生。人為的な事故と推測される。
車両数両による火災が発生し、運転手は死亡。直ちにブリタニア軍が出動し、対策に当たる。
午前15時40分。
地下搬入口奥通路にて爆発。車両事故の対応に当たっていた近辺のブリタニア軍に被害。即座に会議参加者及び傍聴者に避難命令が出されるが、状況はそれをも上回った。
ほぼ同じタイミングにて、コンペンションホールホテルより多数の銃声が確認される。警備員、ホテルの従業員、合わせて20人程が死傷。
午前15時50分。
屋上にて停泊中だったヘリコプターが爆破。通信障害が発生。内部からの通信は途絶し、これ以降、電子機器による接触が困難になる。公式回線では、ホテル従業員からの通報が最後。
非公式では――最後に届いたモニカ及びアーニャからの連絡は以下の通りだった。
『敵数多し。50以上。日本解放戦線と思われる。後は頼みます』
『全員武装済み。人質多数。――ユフィ様は任せて』
午前16時00。
『日本解放戦線』所属・草壁如水中佐が、犯行声明を布告。
以下、この事件は『河口湖ホテルジャック事件』と呼称されることになる。
コードギアス 円卓のルルーシュ 第一章『エリア11』編 その⑯
湖の上。夜空を飛ぶ機体が有る。光源がない湖上の空を、頭上に星明りだけを携え、空を行く。
エイの様なボディフレームに、数砲の火器兵器を持つ小型の機体。ブリタニア軍のKMF運用に使用される輸送機VTOLだ。通常機体と違う所と言えば、機体が黒くペイントされた夜間飛行用になっているだけ。内部の幽かな灯りすらも漏らさない、隠密飛行様にカスタマイズされた機体だった。
それは眼下の喧騒をどこ吹く風と言うように、徐々に高度を上げてゆく。一か所に静止したままの上下移動ではない。地上に置かれた喧騒の「原因」。コンベンションホールホテルを中心として、虚空でぐるぐると円を描くように徐々に高度を上げていくのだ。
「間もなく、高度450mに到達します。卿」
「結構。仕事を終えたら直ぐ様に帰還。以後はゴッドバルド伯の指示に従え」
運転席からの通信が入る。運転席の男は純血派の一員だ。ジェレミアから貸与された兵員とVTOL。下手に周辺に飛行させていて撃墜でもされたら困る。イエスマイロード、と返ってきた。
「――よし、時間だ」
懐中電灯より小さな、ゆらゆらと揺らぐ電灯の下。魔女は立ちあがって一呼吸、二呼吸。空気を深く吸い込んだ。冷えた空気が肺に流れ込み、意識が鮮明になった。
全身の筋肉を伸ばし、準備を終わらせる。心臓の鼓動は早い。気付けばすっかり興奮していた。こんな方法をとるのは何時以来だろうか? どくりと震える鼓動に、魔女はふと頬が緩んでいる事を自覚した。
昔から無茶は、やってきた。かつては隣に現役時代のマリアンヌがいて、今はラウンズの同僚がいる。魔女が不死身で再生能力を持っていると知って以降、皆皆、彼女にしか出来ない無謀な指令を散々に送りつけてきた。送り付けるだけのみ成らず、時には一緒に作戦に参加したことまである。
――――全く、どいつもこいつも揃って、私に無茶を言う。
だが、その無茶を楽しんでいる自分がいた。無茶を言われる事が、厄介を押しつけられる事が、自分が過去に求めていたモノになっている。だから魔女は、この国の、この地位に居る。
少し前、ルルーシュに言われた言葉を思い返す。
「確認する」
今から、魔女がやる事は単純明快。
夜間無灯火による高速落下。此処は高度450m付近。進む輸送機の中。
「――――狙いはホテル屋上。このまま、あの場所に落下」
階下に微かに見える高層ビル。階下からの光源があるから、影として浮かび上がっている。この距離からは指先ほどの大きさでしかない。その屋上への着地。二度目になるが――魔女自身の灯りは無い。
普通の軍人でも無茶苦茶だと愕然とする作戦を、しかし魔女は全く緊張していなかった。いや、緊張はしている。しているのだが、それが身体を縛るものではない。高揚感に包まれた感覚。神経が高ぶり、魔女の金眼は深みを増している。これは、魔女だから出来る仕事だ。
腕。脚。背中。全ての武装を確認した上で、彼女は指示を出した。
「ルクレティア。ハッチを開けろ」
「はい」
自分に付いてきた少女に指示を出す。彼女の同行も此処までだ。聞いてくれた事に、感謝しよう。
壁にしっかりと身体を固定したルクレティアが、壁面の扉に手を懸けた。彼女の眼には鳥の紋章が浮かんでいる。ギアス《ザ・ランド》――これでホテルまでの距離を計算しているのだ。
重いスライド音と共に、分厚いハッチが開く。
途端に暴風が入りこむ。冷たい空気が顔に吹き付け、魔女の髪を激しくはためかせる。だが、不遜な笑みのまま、魔女は静かに前に足を踏み出した。風は身体の全面を押す。その風を裂きながら、機体の壁を掴んだ。開かれたハッチの先、平時ならばKMFが牽引されているスペースには、ただ空間だけがある。
「あと10秒で飛び下りれば、ホテル屋上に着地できます。――お気をつけて!」
「誰に物を言っているんだ、お前も心配症だな。……いってらっしゃい、お義母さん、でも良いんだぞ?」
「そういう冗談は終わってからでお願いします!」
大声だったのは、暴風に声が掻き消される事を恐れたからでは、ないだろう。
「――――カウント、4、3」
照れているのだろう。頬を若干だけ紅潮させた養女に、肩をすくめて。
――――さて、行こうか。
2、1と、と数字をシンクロさせて。
次の瞬間、魔女は夜空に飛び出していた。
浮遊感は一瞬だけだった。重力の上では、刹那に魔女の全身を掴み、地上へと引き寄せる。頭上を覆っていた影。VTOLは見る間に小さくなっていく。上下左右全てに風しかない、完璧な自由落下。
――――8、7。
数字を冷静に数えていた。
高度450m。着陸地点のホテル屋上は大凡の高さは130m。二点間の距離は約230m。魔女の体重は装備を含めて60キロ。空気抵抗を約2として考えれば、自由落下時間は、約10秒だ。体感速度は180キロを軽く超えるが、魔女はそんな事を全く気にしなかった。
速度を気にしていて、あの『エレイン』に搭乗できる筈もない。そもそも空挺部隊なら基本だ。この程度は。だから魔女は静かに、ただ平然と数を数えていた。
――――6。
静かに、冷静に。銃を取り出す。こういう道具を、魔女は好きでは無かった。なら何が好きかと言われても困るのだが。嘗て自分の身を切り裂いた中世拷問道具の次に、魔女は銃が嫌いだ。
だが、有用性は認めていた。そこで使用しない程、強情でも無かった。先端にサイレンサーを付けた銃を取り出し、静かに体勢を整える。
――――5。
ブリタニアのラウンズ。第二席の魔女C.C.。偽名セラ・コーツ。不老不死と言われる彼女は、無茶をしょっちゅうする。だから今回もそうだった。魔女の無茶は、その辺りの常識では測れない。
仮に、この場に兵士がいれば常識外れを超えて、唯の狂人だと指摘しただろう。正しい。魔女が行う無茶とは、つまりそう言うレベルだ。空軍では最低一年に一回は行われている降下訓練。空挺部隊なぞ歯牙にもかけない、その行為。つまり――
――――4。
身を小さく、細く。空気抵抗を減らす。鋭く落下する身体は、風を切り裂き一直線に落下していく。横殴りの東風が、体勢を崩そうと魔女の身体を弄ぶ。だが、巧みな重心バランスでそれを乗り切っていった。髪が上に棚引き、仕込んだ武器が微かに金の音を響かせる。
――――3。
背中が軽い。普段のマントの重さは、やはり結構な物だったな、と思考する。
魔女は、背中に何も背負って居なかった。ラウンズのマントもない。それ以前に、パラシュートすらもない。本当に完全な自由落下。速度を軽減できる道具を何一つ持たない、まさに自殺行為そのものだった。
それでもC.C.の余裕は崩れない。いや、そもそも。
――――どうして、その程度で余裕が崩れるのだ。私は魔女だぞ?
眼下。真下にはホテルの屋上が見える。それは見る間に拡大されて行く。地上からの軍用ランプは、光源が何一つない屋上を、くっきりと浮かび上がらせている。
風を裂いて落下する身体に、屋上を巡回する兵士は気付かない。当たり前だ。パラシュートも使わず、屋上に、上空から自由落下して降り立つ人外がいる事を、誰が想像できると言うのだ。
冷静に、サイレンサーを付けた銃口を向けた。この距離ならば外さない。絶対に。
――――2。
落下するより早く射出された弾丸は、一番身近に居た兵士を頭上から貫いた。恐らく相手は、流星が頭に直撃したような衝撃を受けて、理由も分からずに息絶えただろう。そして、その異常を他の兵士に悟られるより早く。
――――1。
「――――《ザ・スピード》」
呟いた魔女の姿は、加速する。周囲の時間から隔離される。その言葉は、まるで獲物を見つけた獣のような熱を含んでいた。まさに人を食らう、人間に害をなす魔女そのものの口調で。
――――あの養女。帝国でナナリーと一緒に元気なら良いがな……!
《ザ・スピード》。それは己の時間を周囲よりも加速させるギアス。周囲から切り離す異能。同時に加速エネルギーを有る程度まで操作するギアスでもある。落下のエネルギーでも、だ。
魔女の視界には、兵士たちの動きが一瞬にして緩慢になる光景が見えていた。風が粘性を持つ。落下速度は緩慢になる。魔女の認識ではそうだ。傍から見ていたら何も変わらない。実際は頭部を損傷した兵士が倒れるよりも早い時間だった。物理法則を無視した、しかしギアスが有るからこそ可能な現象だ。
既に銃は仕舞っている。頑丈に固定しておいた。この加速で地面に落としたら、質量だけで凶器に成るし、壊れて以後の使用が出来なくなる。モニカに怒られてしまう。いやいや、今はそんな事を考えている場合では無かった。
爪先が付く。爪先から踵を付ける。そのまま膝を曲げ、身体が壊れない限界ギリギリを見極め衝撃を殺す。膝を曲げたら次は腰だ。勢いのまま背後に転がる。尻を付け、腰を付け、背中を付け、肩を付ける。丸めると背骨を歪める可能性があるのだが、まあ良い。歪んでも直に治る。
それでもまだ衝撃は消しきれない。魔女はそのまま、後頭部も地面に付けた。極限まで慎重に。肩からの回転で衝撃を殺すように。
ゴッ! という鈍い音が。ゴリッと頭蓋骨が削れる音が。ブチブチと長い髪が引き抜かれる音が。連続していたが、気にしなかった。頭骨は割れてはいない。罅はあるかもしれないが――こちらもどうせ直ぐに治るのだ。頭部の様な、行動に支障が出る部位は特にそう。直前まで輸送機の中でピザを食べてきたから、エネルギーも補充済み。回復も早い。そもそもこの《ザ・スピード》を展開している限り、此方が多少の修復に時間を有する時間はある。何ら支障は無かった。
支障がないからと言ってパラシュートなしの降下を行い、五点着地を決め、頭まで地面に落とす。それを二回繰り返す。それが出来る不死身であり、実行するから化け物であり、同時にこの立場に居る。
――――痛い事に代わりは無いがな!!
だが、意識に支障は出なかった。視界が揺れる中、魔女の体は後頭部を視点に回る。腰が上がり、両足が、たった今落ちてきた夜空を向いた。その一瞬を経て、身体は再度背後に転がって行く。
両脚は、再び地面に送られた。後方に側転する格好になった魔女が、背筋を曲げ、両足を先に地面に着地させたのだ。ブリッジのような格好になったのも刹那の事。そのまま、今度は上半身を跳ね上げ、ぐるりと――立ちあがった。立ち上がる序に膝を曲げ、運動エネルギーを上下から左右に移行させる。
そしてそのまま、突っ走った。
相手の目には自分が見えていない。目で追える速度を超えている。やっと。そこまで来てやっと。一人目の兵士が倒れる音が、魔女の耳に届いた。重く低い音。相手にすればただ倒れるだけの音。だが、その音に相手が気付くよりも早く、C.C.は次の標的と接触していた。――――膝から。
速度は威力に成る。圧倒的な加速力からの飛び膝蹴りは、武装した兵士を昇天させるのに十分すぎた。その一撃で、恐らく致命傷だったのだろう。頑丈なプロテクターも意味をなさない。ただ骨が砕け、肉を打たれる音だけを残し、悲鳴もなく倒れた。これで二人。
《ザ・スピード》の前で反応なぞ意味を為さない。流石に、そろそろギアスの時間切れだったが……。
――――残り、二人だ……!
相手が反応し、振り向き始めていた。だが、この夜間だ。認識するまで数秒は必須になる。その数秒で十分だ。
魔女は再度、銃を抜く。サイレンサー付き。命中精度が優れている逸品。以前モニカに選んで貰ったその性能は折り紙付きだった。自分から遠く。より距離が有る相手に狙いを定める。走りながら。膝蹴りを決めた相手が倒れた時には、既に魔女の体は別の方向を向いていた。
屋上は正方形。一つの頂点に兵士が一人と考えれば良い。自分の対角線にいる相手に向けて、引き金を引く。狙いは寸分違わず相手に命中した。恐らくは顔か喉か。頭を押さえ、小さな悲鳴を上げながら前に倒れた兵士を、もう見ない。
その時には、最後の一人が目の前に居た。
相手は何を見たのだろう。数秒。反応も出来ない早さで、屋上に居た味方が倒れたと言う驚愕か。目の前の状況を理解できないと言う混乱か。それとも自分への恐怖か。だが、何れにせよ全ては遅かった。
「すまないな」
腕の一振りで、相手は頭部を破壊されていた。何も言わず、小さく口が動き、それで目から光が消える。どさり、と装備の重い音を立てて、彼は冷たいコンクリートの屋上に倒れ伏した。
殺す事が悪だと理解はしている。目の前の兵士達にも意思が有り目的が有り、背負う者が有っただろう。だが、だからと言って手は抜かないし、止めようとも思わない。この仕事は、そういう仕事だ。
一風、強く吹きすさぶ。
屋上で動く者は、魔女一人だと確かに把握して、彼女は個別端末を持った。
「此方、C.Cだ.……」
『――――聞こえます。どうぞ』
恐らく地上に向かい始めただろう。ルクレティアの声が小さく返ってきた。
「屋上には無事到達が完了。兵士たちは皆始末した。相手に発見はされていない。これより、ホテル内部に侵入。アーニャもしくはモニカとの合流を果たす。……では、また余裕が出来たら報告する」
報告をしている間に、頭の傷も修復し終わっていた。若干胃も軽い。
――――さてと。此処からが本番だな。
これは所詮前座に過ぎない。これから始まるのだ。ホテルを不当に占拠した『日本解放戦線』への対抗作戦を。人質は大量。武装した兵士がかなり多い。前途多難だが、それでも魔女は気にしない。
静かに屋上の扉を開け、しなやかな猫の様な足取りで、ホテルの中に潜り込んで行った。
VTOLから飛び出して、約20秒後の出来事だった。
●
暁にライトアップされたホテルがある。22階建てのビルディングは、大型ライトで地上から照らされている。だが、ライトの光は未だ弱々しく、上層階まで照らす事は叶わない。上空を飛ぶ飛行艇も一定の距離以内には近寄れず、KMFや戦闘車両も、橋を渡ってホテルの周囲に展開するだけだ。
そこから離れた湖の岸辺。橋へと至る道、およそ数百メートルの場所。
ホテルを望める道路沿いに、大量の人間が詰めかけていた。ホテルが丁度視界に入るその位置には、駆けつけたブリタニア軍と、騒動に押し寄せた報道陣、僅かな野次馬が雑多に集まっている。ブリタニア軍が離れてと命令を出し、報道陣と押し合いになる。
カメラの前で、テレビレポーターは慌ただしく情報を伝えていた。
エリア11に広がるこの騒乱は、やがて次なる戦火の炎を生み出す事になる……。
「状況を報告してくれ、ランペルージ卿」
そんな場所から、程近い、封鎖された橋の手前。
川口湖畔。コンペンションホールホテルを対岸に挟んだG-1ベースの中で、キャスタール・ルィ・ブリタニアが不快感も露わに告げた。若さを隠す事もない。一段上の椅子に座り、苛立たしげだ。
金髪碧眼の美男子だが、その顔は傲岸不遜がよく似合う。
「何処の馬鹿がテロやったって?」
「実行犯は『日本解放戦線』所属、草壁如水。階級は中佐。詳しい資料は後でお渡しします」
淡々と報告をするルルーシュだが、その言葉の端々には剣呑な雰囲気が見える。
その目の光を見て、キャスタールはふん、と鼻を鳴らす。
「機嫌が悪そうだね、ランペルージ卿。親しい仲のユーフェミア姉上に加え、仲間のラウンズ。序に、傍聴席にアレか。元婚約者のアッシュフォード公爵家の娘も居るんだっけ? 不安?」
「……人質のリストは確認されたようですね」
「やったさ。来る途中でね。……ったくさー。政務も一段落して、さあいざ休憩って時に面倒事起こしてくれちゃって」
キャスタールは、残虐な性格だが、あれで執務能力は高い。副総督の座も、ただコネでゲットした訳ではなかった。数々の権力争いの結果である事は間違いなかろうが、「まあ、キャスタール殿下なら」と妥協が有った事も、同じくらいには間違いない。
時は既に夕刻を過ぎている。夕焼けに輝く河口湖は幻想的だ。ロマンチックな雰囲気が、現状に対して無駄に鬱陶しい。愚痴を言いながら、それでもキャスタールは指示を出す。
「人質は助けて。最優先の救出目標は、第三皇女ユーフェミア殿下」
「……イエス、ユアハイネス」
その一瞬の躊躇は、ユーフェミアを助けることへ、ではない。
命令を、ブリタニア貴族でもかなり外道の道に入るこの皇子が出した事への驚きだ。
顔に出したつもりはなかったが、目敏く発見された。意外とやりおる。
「腑に落ちない? ランペルージ卿」
「…………」
無言のまま肯定を返す。どうせG-1ベースには誰も居ないのだ。膝を追って最低限の礼儀は守っている。ちょっとくらい睨んでも問題はなかった。
ルルーシュとユフィの関係か。何を今更の事を言う。こちらの性格も知っているくせに。
キャスタールも心得た物で、鋭い視線を気にする事はなかった。ただ淡々と言った。
「僕はね。君らみたいにブリタニア皇族と仲良くする気はないし、友人に成る気も無い。でも、兄弟姉妹が欠ける事の辛さは知ってるさ。その点だけは、君とも意識を共有できるだろう」
ふん、と見下した姿勢のまま、僅かに口調が変わる。
「……これで人質になってるのが、シュナイゼル宰相閣下だったりクロヴィス殿下だったりカリーヌ皇女だったりしたら、喜んで見捨ててるよ僕は。むしろ食い破る良い機会だものね。ところが」
ところが、と強調して、彼は言った。
「ユーフェミアが欠けると、姉のコーネリアが悲しむ。そして僕は、そういう悲しみは本当に好きじゃない。マリーベルの件もあるしね。……OK?」
「……分かりました」
意外と真っ当な、それでいて取り繕った訳ではない返事を聞いて、了承した。
そう言えば、キャスタールにも兄弟が居たのだったな、と思い出す。パラックス・ルィ・ブリタニアと言う名の双子の兄弟は、今は既に居ない。彼もまた、ブリタニアの闇に飲み込まれている。
双子の片方が消えて以来、この男も変化した。限定的にだが、欠ける事の痛ましさを知っている。血の繋がった兄弟姉妹の絆に関して“だけ”は、この男は信用できる。
そう思いながら、話を続けた。
「彼らの要求ですが」
「あー良いよ。どーせ気合入った要求をゴテゴテ飾り建てて言ってるんでしょ? 要求は却下だ。ブリタニアはテロには断じて屈しない。人質には悪いけど」
交渉してる間にも人は死ぬしね、と平然と言う。この点に関してはルルーシュも同意見だった。打ち切られた事も気に障らない。
「だから。人質を全員……は無理でも、なるべく多く無事に救出して、愚かなテロリストを倒す。そんな作戦をお願いしよう、ランペルージ卿」
視線が交錯する。キャスタールの瞳に有ったのは、間違っても信用や好感情ではない。ラウンズのルルーシュならば、その行動は取れるし、成功すると確信しているのだ。
そして行動する以上、最大限の利益を手に入れられる場所に身を置いておく。
相当に歪んでいるが、信頼であり、客観的な意見だった。流石、狡猾な男だ。
「カラレス総督閣下は僕が抑えておく。――じゃ、後は君達に任せた。ジェレミア卿や特派やらもお好きにどうぞ。全部終わった後、万事解決した結果だけ持ってこい。以上」
「――――全力で事に当たります」
だから、ルルーシュも無難な中に、少しだけの意志を込めた。
その信頼には、答えて差し上げますよ。だから、お前はそこでふんぞり返っているが良いさ。
「そっちこそ想定外に出くわして情けない悲鳴を上げないようにするんだね」
憎まれ口を背中に受けて、ルルーシュは執務室を後にする。
しっしっと背中に掌の動きがあったのは、無視した。
そして、その脚のままラウンズのベースに入りこんだ。
カツカツという足音は、ルルーシュが苛立っている証拠だ。キャスタールに負けず劣らず、彼もまた内心に激情を抱えていた。すれ違った警備員が息を飲む程、ルルーシュの視線は厳しい。威厳と覇気が一体となったその態度は、騎士よりも王座に相応しい風格だったかもしれない。
総督のベースよりも前に置かれたG-1ベースの中には、既に資料と情報が集められている。謁見していた時の殊勝な表向きの態度を捨て去り、ルルーシュは厳しい態度で指令室に入るなり、一言。
「全員、居るな?」
確認の為の言葉に、揃って声が返った。
「私とルクレティアは居るぞ」
目の前のモニターを眺めながら、魔女が答える。傍らに金髪美少女の部下を侍らせ、椅子に深く寄りかかった姿勢と態度は悪い。だが目付きは鋭いままだ。金色の瞳は、油断なくモニターに移るホテルを観察している。
「ジェレミア・ゴッドバルド。此処に」
勤勉に控えていた辺境伯は、簡潔に答えた。冷静を装っているが、態度は固い。声の中には、普段とは違う風格があった。通信機の向こうには、純血派が控えているだろう。
「あっはっはー。特派はこうして参上しましたよー? 御命令の通りに」
壁際で平然と、白衣のままふやけた笑顔を浮かべるロイド・アスプルンド。その態度にジェレミアが声を上げようとするが、ルルーシュは先んじて止めた。今は兎に角、時間が惜しい。
中央に置かれた川口湖畔のデータマップ。その前に陣取った。
地図中央に描かれたホテル。この中に、人質がいる。ユーフェミアが。アーニャが。モニカが。サクラダイト生産国会議の参列者が。傍聴者である一般市民が。それを考えただけで、思考が焦れそうになった。
ラウンズという立場上、生きる死ぬは常に命の傍らに置いてある。覚悟はある。だがルルーシュは同時に知っている。傍らに居た人間が消える苦しみを、辛さを知っている。だからこそ。
「救うぞ。分かっているな?」
「ああ」
魔女が気遣った一言に、即座に頷いた。立場や騎士は表向きでしかない。この立場に居た時から、ルルーシュが望む理想は変わっていない。熱を噛み殺すように、ルルーシュは声を張り上げた。
「河口湖攻略戦の作戦会議を始める」
●
――――雰囲気が違う。
その場に居る中で、最も若い彼女。ルクレティア・コーツは純粋に感嘆していた。
機密情報局の《イレギュラーズ》として活躍してきた彼女には分かる。
違う。明らかに違う。今まで自分が持っていた認識と明らかに違う。態度や口調は普段と同じ癖に、纏っている雰囲気が何処までも歴戦の猛者だ。軍人であり騎士であり戦う者だった。はっきりと今、自覚をしていた。自分がずっと関わっていた彼らは、やはり帝国の重鎮なのだ。
空気が熱い。気温はむしろ低いのに、熱い。
自分の義母である魔女C.C,や、ラウンズ第5席のルルーシュ・ランペルージや、歴戦の軍事であるジェレミア・ゴッドバルドや、特派の責任者ロイド・アスプルンドや……。その肩書が決して伊達では無い事を、普段の姿は日常の姿でしかない事を、ルクレティアは今その身を持って知っていた。
「まず現在の情報です」
その彼らに向かって報告をする。それが今の自分の仕事だ。内心の緊張は読まれているかもしれない。だが、今はそれどころではないのだ。集めた資料を片手に、ルクレティアは読みあげる。
この場に居る中で、情報士官は彼女の仕事だ。一番相応しいと言われる事が、誇りでもある。
「現在、川口湖畔のコンベンションホールホテルを『日本解放戦線』が占拠しています。実行犯は草壁如水。階級は中佐。人質を取って籠城中です」
次に、内部に居るだろう人間の数が書かれた資料を読み上げる。
「人質の数は約150人。サクラダイト生産国会議の参列者が50人。ホテル内で会議を傍聴していた者達が100人弱。残りはホテルの従業員です。この中には、ユーフェミア・リ・ブリタニア皇女殿下が含まれており、またラウンズの」
「それは良い。次だ」
「……了解」
内部に居る権力者は読まないで良い、と魔女の指示を受け、ルクレティアは次の資料を読み上げる。
これは、同僚を信じているのだろう。
「『日本解放戦線』の数は約50人と報告が上がってきています。何れも銃を装備していると思われます。これらの情報は、先ほど私のKMFで確認しました。サンチア・コーツほど、精密ではありませんが」
「私の《ジ・オド》で補ってある。有っている筈だ」
「結構。……続けろ」
静かに頷くルルーシュは、先を促す。否、今はランペルージ卿と呼ぶべきか。
このベースに居るのは4人だけなのだが、それでも「確認をした」部分で言葉を濁したルクレティアに追求は入らなかった。ルクレティア・コーツが持つギアス《ザ・ランド》の応用だが、表に出して良い技では無いし、今は関係がない事だ。言わなくても伝わっている。
「『日本解放戦線』は出入り口と屋上、地下搬入口を封鎖。裏口は車両事故の為通過が出来ません。食料水道電力は不足無し。ホテル内部の設備を考えても、長時間の籠城が可能と予想が出来ます。――――最後になりますが、現在『日本解放戦線』は、神聖ブリタニア帝国に対する布告と、エリア11における武装蜂起の扇動を行っています。これに対する政庁、本国からの返信はありません」
「最後は当然だな。……御苦労。また補足情報を頼むと思う。そこに控えていろルクレティア」
「イエス。マイロード」
こうした母親の顔を見るのは何時以来だろうか、と魔女を見てルクレティアは思う。母親という良い方は非常に違和感があるが、仲間共々自分を孤児院に引き取り、此処まで育ててくれた人間である事は間違いない。感謝しているし、尊敬もしている。だが、それでも本当に――。
――――何時以来か、と思うほどに、珍しいですね。
アラビアの地下で『教団』の施設探索をしていた時も、こうでは無かった。
報告が終わった所で、素早くルルーシュは目的を統率する。
「目的をはっきりさせるぞ。最優先事項は、ユーフェミア・リ・ブリタニアの保護。次がサクラダイト生産国会議に出席していたメンバー50人の保護。特にジェームズ議長や中華連邦・インド軍区からの外交官は重要だな。……その次が、傍聴者100人とホテル従業員だ」
「ジェームズ議長ね、――――『40人委員会』の一員だったな」
E.U.――ユーロピアン連合の最高意思決定機関。それが『40人委員会』だったか。四十人という名前とは裏腹に構成員は二百人を超過。現在では「議論の為の議論」に終始するばかり、と聞いている。
「ああ。E.U.としては一人欠けたくらいでは痛くも痒くもない。だが立場は立場だ。仮に此処で死亡でもしたらブリタニアに有利な交渉をする為の道具の一つくらいには成る。それは他の外交官も同じだ。国交問題は話が拗れるからな」
「なるほど。案外、あちらさんとしては――私達が議長を救出せずに、見殺しにしてくれると助かる、とか願っているかもしれないな?」
「恐らくな。だから会議参列者は、ユーフェミア皇女に次いで優先救助者だ。他の人間には悪いが、国家の不利益を出す訳にはいかない。その辺は多分、傍聴者も分かっている筈だ。……ミレイとかな」
「名前出てくる辺り、元婚約者様への未練はたらたらか?」
「茶化すな。ミレイは純粋に大事な友人だ」
「知っているさ。冗談だ。私にとっても見捨てるには惜しい女だしな」
軽口を叩き合った後、魔女が自分を振り返って問うた。
「人質は何処に隔離されている?」
「あ、熱源探知による報告が上がってきています」
ジェレミアから渡された資料を手早く捲り、ルクレティアは答える。
「ホテル16階。高度約60mほどの場所に、多数の人間を確認しています。三つの部屋に分割されて隔離している物と思われます。……他の熱源反応が何れも単数であることから、此処が人質である可能性は高いかと」
会議自体はホテル18階で行われていた筈だ。資料によれば18階は大会議室。窓が多く、一部屋が広く、壁も薄い。装飾品も豪華で、人質を隔離しておくのに不都合な空間だ。2階下がれば、そこは高級客室になっている。占拠の観点からすれば明らかに適しているのだ。
「そこからの連鎖で良い。熱源反応では、相手がどの様な布陣でホテル内部に展開しているか、教えてくれ」
ルルーシュは整った顎に手を添えて考え込み始めていた。彼が情報を多重処理出来る事は承知の上だ。
「はい。まず16階に、人質が多数。その部屋から近い場所に、複数人の人間が確認されています。部屋から動いている様子はありません。少数で固められている所を見るに、恐らく『日本解放戦線』にとって重要な人物であると予想できます」
「ふむ。……草壁中佐と、その取り巻きでしょうか?」
余り動かず、ルルーシュの元に部隊の状況を逐一報告し続けていたジェレミアが、顔を上げる。
「分からん。断定は出来ない。な?」
「ああ。NAC辺りの重要人物を説得しているかもしれないしな。覚えておこう……続きを」
「イエスマイロード。……人質/重要人物らと同じ階には、やはり相応の人数が配置されていると思われます。その分、他の階層に見張りは少数です。各階の階段と巡回兵。残りは屋上と地下です」
「なるほど」
スクリーンに投影されたままのホテルを静かに眺めていたルルーシュは。
ならば次に、と指示を出した。
「ホテルへの侵入経路は?」
「……四ヶ所です」
一瞬だけ資料を取り出すのに手間取ったが、そこで情けない姿は取れない。素早く立て直す。
「正面玄関。従業員用の裏口。機材や物資を搬入する地下連絡口。屋上です」
実質使用できるのは二カ所だろうか、と推測する。
正面玄関は、今現在封鎖されている、あの真ん前の入口だ。あそこから突入しては敵を刺激するだけ。確かに事件は解決するだろうし、犯人達も全員倒せるだろう。だが、人質は全滅だ。とてもでは無いが選択肢には入らない。
従業員用の入り口は、この場所からは見えない。ホテルを挟んで、正面玄関の百八十度反対側だ。だがそこには事故車両が転がっている。ハイジャック事件の前章として発生した車両事故。火災こそ消し止められたが、車両は通路を封鎖している。個人でこっそり入りこむだけならば辛うじて出来るだろうが……。
「となると、屋上か地下通路だな」
ルクレティアの思考は、強ちこの場に居る面々と違ってはいなかったようだ。
ホテルの地図を指でなぞり、魔女が静かに呟いた。
「――――屋上と地下通路の様子を、それぞれ教えろ」
「はい。まずは地下から――――あ、表示お願いします。アスプルンド伯」
「はいよー」
ロイド伯爵は、素早く目の前のキーボードを叩いた。特派のトラックからの情報だろう。素早くG-1ベースに送られてくる。先んじて地下の搬入口から偵察を送っておいたらしい。
「えーとですねえ。地下搬入口は、湖の地下を通り、およそ800m。直線距離ですが、高低差は考えてなので、まあもうちょっとあるでしょう。1キロ弱って所ですね。一直線ですし、湖の下なので通路は頑丈です。KMFも走れます。軍用の専門爆薬を使用してもそう簡単には壊れません。無茶すれば危ないですけどね」
つまり、暴れても湖の下に沈む心配は無い、と言う事だろう。……大丈夫だよね?
そこはかとなく不安になったルクレティアだった。
「問題は、搬入口の出口付近。ホテル真下に設置された向こうの兵器です」
「ふむ」
スクリーンが拡大され、大型兵器が表示される。巨大な拳銃の様なシルエットだ。ホテルの真下に陣取り、脚で全体を支えている。恐らく通路の横幅を一杯に使用しているだろう。銃口を入口、つまり“私達が潜入する方向”に向けていた。
「大型のリニアカノンを搭載した遠距離砲ですねえ。巨大な射出機能を中心に、制御する数人乗りの操縦席を乗せてます。で、これを四機のグラスゴーで支えていると考えて下さい。ブリタニア側から鹵獲したり横流したりした旧式を、割と上手に使っていると思いますよ」
「……厄介か?」
「それはもう。口径から考えるに、弾丸は榴弾ですし、銃身から見ても飛距離は800m以上あります。そんじょそこらのKMFでは、200m近寄った所で装甲ごと破壊されて終わりですね。連射性能も結構ありそうです。地下通路という閉鎖空間なので回避も困難ですねえ、……ま、出来る機体はあるでしょうけど」
「分かった。そっちはお前に任せる。後で意見を寄こせ」
ちらり、とルルーシュを見たロイドは、返事だけで意味を悟ったのだろう。にんまりと笑みを深くして頷いた。そして特派へと連絡をし始める。―何と言ったか。枢木スザク? とかいうKMFにも出動が下されるのだろう。
「続いて、屋上です……。現在は『日本解放戦線』の兵士によって常に哨戒されています。これさえ何とかすれば、決して潜入は難しくありません。――何とかする、その方法が問題ですが」
ふとジェレミアが通信機を取る。何か情報が来たのだろう。
「報道局のヘリ、軍事ヘリ問わず接近する事は出来ませ」
「なんだと……? っ画面を変えろ!」
ルクレティアの言葉を遮って、慌てて説明するジェレミアは、直ぐ様に命じる。
スクリーンの画像を、屋上を監視していたカメラ映像に切り替えるよう、指示したのだ。
「――――申し訳ありません。今、キューエルから報告がりました。その屋上に、動きが有った模様です」
「屋上に? それは」
ルルーシュとC.C.。二人の綺麗な眉が同時に細まる。
「映りました」
言い終わらない内に、画像が切り替わった。
周囲に遮蔽物がない平地。あるのは四角い設備だけ。背景が星空だったから直に分かった。屋上だ。
地上からの光は届いておらず、人の動きは黒子のようにしか見えない。黒子の数は複数。良く見れば、銃を保持している影と――――そうでは無い影が有る。そうではない影は、両手を降参するようで……。
「ま、さか」
嫌な予感。つい頭に過った悪い予想を、口に出したルクレティアを、誰が責められようか。ホテルの屋上で、兵士に追い立てられる、手を挙げた者など――――即ち人質に他ならない。
その時にはもう、この場の誰もが次の光景を予想できていた。どくりと耳元の心臓の音が拡大する。嫌な音だ。全身を縛るような、粘っこい空気。思わず生唾を飲み込んだ。
そして予想は、何も変わらずに現実になった。
何かを訴えるように頭を振った黒子は、兵士に追い立てられ、銃を向けられ、そして。
屋上から、落ちて行った。
「――――っ!」
咄嗟に、口を抑える。悲鳴は上げなかった。だが顔色が悪くなったのが自分でも分かった。
室内に沈黙が落ちた。反応できなかった訳ではない。全員が。ルクレティアを含めた全員が、その事実を知って、頭を冷やしたと言うだけの話だ。衝撃と、――――その衝撃を超える静かな怒りを抱かせるのに、その光景は十分すぎた。
立ちこめる冷え切った空気の中、聞こえるのはベースの稼働音。そして。
「……そうか。わかった。お伝えしておく」
厳しい顔は崩さずに、部下からの連絡を受けたジェレミアの声だけだった。
「落下した人物は、ホテル従業員と確認が取れました……。再三、総督当てに犯行声明と要求が届けられています。遺体の収容は、出来ておりません」
想像しないでも分かる。あの高さから落ちたら、多分……グシャグシャだ。
「……次は人質をやるぞ、という事だな。これで時間的猶予は愈々無くなった」
魔女の目に怒りは無い。ただ不快感はしっかりと持っている。
他者がどうでも良いと感じることと、
「どうするんだルルーシュ。良い案は浮かんだか?」
「…………ああ」
静かに、彼は頷いた。
「今ので作戦は固まった」
そして魔女は、屋上からの侵入を行う事になった。
C.C.は静かに階段を降りていた。屋上と最上階22階を結ぶ、コンクリートの殺風景な階段だ。下手に歩くと靴音が反響して、一発で誰かが居る事に気付かれる。だが、魔女の足音は欠片もしない。体術もしっかりと習得済みである。
――――今頃は、他も忙しいな。
ちらりと時計の針を見る。自分は此処からが本番だ。並行して地下からの侵入作戦も展開しているし、それ以外にも密かに動いている。向こうの目は完全に外に向いている。
魔女の仕事は大きく三つ。一つは密かに潜入し、相手を屠って数を減らす事。もう一つは人質達の現状を確認し、脱出ルートを構築する事。最後は……。
「……さて、どちらが逃れて居るかな?」
アーニャかモニカ。恐らくは人質に成らずに、何処かに身を潜めている友人と、合流する事だ。
ユーフェミア皇女の護衛とはいえ、同じ場所で騎士二人が一緒に付いて回っている可能性は低い。片方が護衛に付き、もう片方がホテル内部での警備の助力だと推測が出来る。という事は、恐らく警備に回っていた方は――ホテル内部で、こっそり動いているに違いない。
三つ目の仕事は、彼女らのどちらかと合流する事だ。
足を止める。階段の踊り場を曲がる前に、慎重に階下を手摺の上から覗き込むと……。
そこには、やはり兵士が居た。
「数は……3人か」
この階は22階。最上階だ。確か最高級レストランが店舗として入っていた。全体的に窓が多く、壁が少ない。つまり相手に発見されやすい。だが、幸いにも兵士の数は少なかった。油断――――いや、妥当な判断だ。屋上に兵士がいて、人質は階下に居る。本拠地も階下。ならば中間のこの部屋は、少人数でも問題がない。むしろ連絡や遊撃役で、素早く数人で動かすには視合っている。
――――さて、隠れながらやるかな。
50人という戦力で如何にホテルを占領するのか。よく考えられている。だからこそ。
だからこそ、この階の兵士達もまた、常識外れの魔女の前に全滅する事になった。
○
「予想以上に治安が悪かったですね……」
同時刻。ホテルのダクト内部を、這って動く一人の少女がいた。音を立てず、静かに密かに。両腕を使用しての匍匐前進は、着ていた上質な服を汚して行くが、命を失うよりはマシだ。
ダクトの中は狭い。少女は決して大柄では無かったが、胸や腰。そして長い髪が、移動を邪魔している。呼吸の邪魔には成っていないが、狭っ苦しいし、臭いもする。愚痴や不平不満の一つも出ると言う物だ。
「安全だと思っていましたが。ホテルを占拠する程、苛烈な敵がいるなんて。やはり自分の目で見なければ、分からない事は多い」
このエリアの治安が、如何に悪いのか。実体験出来た事に感謝をするべきなのだろうか。
ふう、と息を整えて、再度、彼女は這い進む。
自分が置かれた環境の周りには、日本人が居た。彼らは皆、差別され、悲惨な扱いを受けていた。こうしてエリア11、嘗て日本と呼ばれた国家に来れば、きっと何かを見る事が出来ると思ったのだが。
「なるほど。ブリタニアが躍起になる訳です……」
ここまで熾烈な争いを、繰り返しているならば、それは向こうも弾圧を強めるに違いない。
ホテルの概要は大体、頭の中に入っていた。彼女が今いる階は、15階。人質達が閉じ込められている16階の、一つ下の階だ。元々彼女は、このホテルに部屋を取っていた。だから大凡の部屋割も分かるし、エレベータの位置や階段の場所、非常口も分かっている。
「だからと言って、私一人で何かが出来る訳ではありませんけど」
一対一ならば交渉で引けを取らない自信がある。が、流石に武装した兵士を相手には出来ない。
この場に逃げられたのは、別に特別な事が有った訳ではなかった。
会議を傍聴している最中の、唐突な発砲音。そして銃を持った男達の乱入。それに戸惑ったが、彼女は素早く対処した、それだけの話だ。廊下から顔を出さず状況を判断した彼女は、悲鳴を上げず、気付かれるよりも早く、バスルームから天井のダクトに潜り込んだのだ。
だから、彼女は今拘束をされていない。
――――しかし打つ手は無い、と。
一応、自分の部屋の中に色々と道具はあるが、アレを取ってくるには彼女一人ではリスクが大きかった。発見されて銃殺は勘弁して欲しい。かと言って素直に投降するのも、屋上からダイブの可能性がある。
「困りました。兎に角今は、何とかして対策を……」
そこまで言った時だ。
彼女は、ふと気配を感じた。
「――――?」
何と言うのだろう。嫌な予感だ。殺意では無い。敵意でもない。ただ自分を伺う気配を察した。
目の前のダクトは、十字路に成っている。狭いし暗いし、当然ながら曲がった角の様子は分からない。先程までと、その角は何も変哲がなく見える。見えるが……。逡巡する。
――――居る気がする。
息を潜めて、人間がいる気が。頭の中の勘が囁いている。それ以上先に進むのは暫し待てと。
ゴウンゴウンとダクトの中に音が響く。送風機能は万全。こんな環境で、自分が通り掛かるのを待つ者が居るなんて、考え難い。だが絶対ではない。進むべきか。下がるべきか。
だが、下がるのは――この狭い通路だ。方向転換は不可能に近い。腕だけで下がっても体力は続かない。結局、選択肢は一つだけだ。即ち、居るかもしれない相手に声を懸けると言う……。
――――誰も居なくて想い過ごしだったら恥ずかしい……。
誰が見ている訳でもないが。でも恥ずかしい。自分に悶絶する。
「ねえ、そこに居るんでしょ?」
そうそう。そんな風に――――って。
しまった。迷っている間に。小さく、声を懸けられた。
「…………」
声は角の向こうからだ。小さな、少女の声。何処かぼんやりとした可憐な声だ。向こうも自分に気付いていたのだ。そして、此方が迷っている間に、声を送ってきた。
頭の中で考える。この声を信じて良いのだろうか。知らず緊張感が増す。
角の向こうの声は、続けた。
「迷いは、敵では無い証明……。テロリストなら、問答無用で声を荒げる。貴方は考えている。だから、少なくとも『日本解放戦線』ではない。違う?」
「…………ええ。そうね」
結局、返すことを決めた。角の向こうに居る少女(少女だろう。肉声だったし)の言葉に同意する。
向こうに居る相手は敵では無い、と思う。果たしてどの立場かは不明だが。それでも、階下を巡回している兵士よりはマシだ。敵の敵は味方。そんな言葉を思い浮かべる。
何処かで信じて賭けなければ、この状況は打破できない。
「じゃ、互いに挨拶」
彼女の言葉を聞いて、相手はゆっくりと角から顔を出した。静かに十字路に頭を出して、彼女の方向に顔を向ける。狭いダクトの中だが、小柄なのだろう。ゆっくりと首を此方に向けた。此方が悩んでいるにも関わらず、あっさりと。相当に肝が太い。
相手がその手に握っていたらしい、小型のペンライトが点けられる。カチリという音と共に、数時間ぶりの明るい光が目に入った。ちょっと眩しい。
「私はアーニャ。アーニャ・アールストレイム」
桃色の髪に、眠そうな瞳。矮躯を持った美少女……アーニャ。
その名前には聞き覚えが有った。凄くあった。E.U.出身の彼女にしてみれば、紛れもなく敵の立場に居る少女。外見からは想像が出来ない。だが、名前が示している。
「……ラウンズの、第六席?」
「そう。貴方は?」
静かに、自分に光が向けられた。照らす光は、相手に顔を記憶させる。しかも問いかけも素直に肯定されてしまった。相手の目は、眠そうだが、自分が偽りを言う事を許していない。油断なく見ていた。
考えてみれば。相手がラウンズならば、この状態で彼女が勝てる筈もない。銃火器すら手元にないのだ。
素直に白状をしよう。きっと彼女と組めば、この窮地も脱出出来るに違いないし。
「私は――――」
アーニャの目の前。
薄い青紫の瞳を持った、金髪の美少女は、口を開いた。
「――――レイラ。レイラ・マルカルよ」
登場人物紹介 その21
レイラ・マルカル
映画『コードギアス 亡国のアキト』に登場の少女。今は16歳。瞳の色は青(紫ではないようだが……)。
E.U.の大コンツェルンを経営するマルカル家の養子だが、元々はブリタニア貴族。幼い頃に両親とE.U.に亡命。両親の死後、引き取られる。コンツェルンに貴族の血を入れる為に養女にされた為、既に三男との婚約が設定されている。
レイラの父や、その友人スマイラスらと仲が良かった『40人委員会』の一人ジェームズ議長。彼に同行してエリア11に来訪。サクラダイト生産国会議の傍聴者としてホテルに留まっていた。
後に、E.U.軍が設立する「wZWRO特別攻撃隊」を発案し、紆余曲折を経てその指揮権を得ることになる。つまり将来のライバル……。何れ、ルルーシュ達と戦う事に成るかもしれない。
用語解説 その21
『40人委員会』
E.U.――ユーロピア共和国連合(Europia Republic Union)の政治的意思決定機関。
民主革命後に設立された機関を基礎としている為、名前が「40人」と付いているが、実質のメンバーは200人以上。要するにE.U.の国民議会なのだが、人数故に意思決定が非常に遅い。議論の為の議論に終始するばかりである。
サクラダイト生産国会議の議長・ジェームズ氏は、この『40人委員会』の一員。ブリタニアから議長を出すと、色々と反発が大きく、また不満を持つ者が必ず出る。平等性は“全く気にしない”ブリタニアだが、議論が硬直する要素は減らしておいて損は無い。実利を取る為に、所詮は名誉職に過ぎない議長の仕事を、シュナイゼル辺りがE.U.に任せた、という設定である。
お久しぶりです。更新です。今回は最初からアクション。ラウンズのチートさをお楽しみくださいませ。ラウンズとは、外見は人間ですが、中身は揃って怪物ばかりです。C.C.然りモニカ然り。
本文をご覧になった方はお分かりの通り。ギアス新シリーズ「亡国のアキト」「双眸のオズ」への伏線もしっかりと捲いて有ります。
「グリンダ騎士団」VS「ワイバーン」とか想像しただけで燃える。
さて、次回もホテル攻略戦の続き!
燃える河口湖! スザクの活躍も待て!(ナイトメア・オブ・ナナリー風に)
(投下:10月28日)