第五話 外に望む世界
天子が天帝八十八陵に到着すると、そこには香凛率いる天子の護衛部隊が一斉に天子の前に跪いて出迎えた。
「お待ちしておりました、天子様!我らニ十名、星刻様の命により貴女様をお守りさせて頂きます」
「こんなにたくさん来てくれたのね。ありがとう」
「ありがたきお言葉、恐悦至極に存じます」
「さあ、お疲れでしょう。まずはお部屋でお休みを」
香凛が天子にそう促すと、天子は少し言いづらそうに背後のエトランジュに言った。
「エディ、私・・・安心したら、その・・・」
「はい、みんな疲れておりますから、お食事にしましょう。
ちょうど日本から持ってきた冷凍のうどん麺がありますから、すぐにお作りしてお部屋にお持ちしますね」
婚儀に不安で食欲がなかったことを知っていたエトランジュがそう言うと、うどんという聞き慣れない料理名に瞬きした天子は日本の温かくて胃に優しい料理だとの説明を受けて嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ありがとう、エディ!日本のお料理は私初めて!」
「よろしゅうございましたね天子様。さあ、お部屋に参りましょう」
香凛の言葉に天子が頷いて護衛部隊とともに部屋に歩き去るのと見届けたルルーシュは、調理場に向かおうとするエトランジュに向かって言った。
「あまり時間はありません。
星刻の部隊がこちらに到着する前に天子様に例の話をしておきたいので、軽食が済み次第会議室へとお連れして頂きたい」
「解りました、天子様にそうお伝えいたします」
エトランジュはそう答えると調理場に向かい、元は新聞社の文化部に務めていたという騎士団員からアドバイスを受けてうどんを作り始めた。
関西風のうどんに滋養のある卵を入れて作ったうどんを天子の部屋に運ぶと、天子は目を輝かせた。
「わあ、いい匂い・・・!」
「月見うどんです、天子様。香凛さんもぜひご一緒にどうぞ」
ワゴンを押して三つの椀に入れられたうどんをエトランジュが勧めると怖れ多いと香凛はためらったが、天子から一緒に食べましょうと誘われて了承する。
「恐縮ですが、ご相伴に預からせて頂きます」
「お食事は大勢でした方が美味しいですよ」
シュナイゼル達との会食のような例外もございますが、と内心で付け足してエトランジュがテーブルの上にうどんを置くと、三人で食べ始める。
「あったかいお料理・・・美味しい!」
「喜んで頂けて何よりです」
喉ごしもよく温かな麺を香凛も気に入ったのか、七味唐辛子をかけて美味しそうに食べている。
天子もかけようとしたが辛いですと止められて味見をし、慌てて水を飲みながらエトランジュに尋ねた。
「辛い・・・どうして香凛はそんな辛いのをかけるの?」
「味覚はそれぞれですからね、いろんな調味料をかけて個人で調節するのが一般的なんです」
「そういえば卜部という騎士団の男が、メープルシロップをかけるとか言ってましたね」
それに対して大多数の日本人の顔が引きつっていたのを見ていた香凛は、メープルシロップをうどんにかけるのは少数派のようですがと付け足す。
「大人になったら、味覚は変わってしまうと聞きましたからね。
アル従兄様も辛い物は苦手だったのですが、今は召し上がるようになりましたし」
「そうなんだ・・・私もいつかは辛い香辛料をかけて食べられるようになるのかしら?」
「もちろんです、天子様」
微笑ましい会話を香凛に見守られながら食事を終えると、外にいた護衛の騎士団員に後片付けを依頼してワゴンを外に出すと、エトランジュは打って変わって真剣な表情で天子に言った。
「天子様、到着したばかりで申し訳ないのですが、お時間がありませんのでどうかお話を聞いて頂けませんでしょうか?」
きた、と天子は思った。
ここには墓参りをしに来たわけではない、ゼロが自分をここに連れて来たのはブリタニアの国力を中華によって増強されないためなのだ。
そして今、表だって天子誘拐犯となったゼロが今後のために話をするというのは当たり前のことだった。
「これから洛陽からお集まり頂いた科挙組の官吏の皆様とゼロと、会議を行って頂きます。」
「科挙の人達もいるのね。それで、私は何をすればいいの?」
いつも政治的な事柄に関しては周囲の言うとおりにしてきた天子がそう尋ねると、エトランジュは頷いて言った。
「まずはお話を聞いて頂くことです。でも、少し注意事項がございますので、よろしいでしょうか?」
「なあに?」
「これからゼロや官吏の方々が行うお話は、天子様には難しいと思います。
ですが解らないことがおありでしたら、ご遠慮なくお話しして頂きたいのです」
「でも、いちいち私が質問していたら会議にならないのではないかしら?」
「いいえ、今後の中華の行く末を決める大事な会議です。確かに象徴としての天子であればただ頷くだけで許されますが、子供の時代はいつかは終わるのです。
子供のうちは学び質問することが許されます。遠慮などする必要はございません。
ゼロももちろん構わないとおっしゃっておりました」
「ゼロも?」
いきなり己のこめかみに銃を突き付けてきた仮面の男を思い出して思わず震えた天子に、エトランジュは無理もないと思いつつも安心させるように言った。
「ああいう場面でしたのであのような手段になってしまったことを、ゼロも恐縮しておられたのですが・・・あの方は結果主義なのです。
政治は結果が全て、過程は問わぬというお方なので」
「一理ありますが、もう少し選んで欲しかったものですね」
香凛の溜息にエトランジュはごまかすように天子を諭す。
「ですが、余裕がないとなるとおのずと手段も制限されてしまいますから。
今回は少々手酷い行為でしたが、決して天子様を軽んじてのことではないということはご理解頂ければと思います」
「エディがそう言うなら・・・」
結構ノリノリで花嫁強奪犯をやっていたルルーシュのフォローを終えたエトランジュは、さらに続けた。
自分も解らないことはいつも尋ねてきた、だから天子が許されない道理などないと言うエトランジュに天子は大宦官の言葉を思い出した。
『難しい政は我らにお任せを』
『幼い貴女は何もしなくてよいのですよ』
『玉座にお座りになることこそ貴女の務め・・・』
玉座の人形として扱われてきた天子にとって、自分は天子だからこそ知らなければならない、解らないなら解るまで説明するというエトランジュの言葉は新鮮だった。
さらに香凛もエトランジュの言葉に同調する。
「エトランジュ様のおっしゃるとおりです、天子様。
貴女様はこの中華を統べる皇帝なのですから、いつまでも解らないままでいるわけには参りません」
「解ったわ。解らないことがあったら、ちゃんと尋ねる」
「結構です。それで天子様、これからゼロがお話しになる超合集国構想を解りやすく説明したものをお持ち致しましたので、どうかお読み頂けませんか?」
そう言いながらエトランジュが取り出したのは、“よく解る超合集国構想!”と青いタヌキのような生き物が天子と同じ年頃の眼鏡少年のイラストが描かれた数枚の書類だった。
「これは・・・日本の漫画と呼ばれる読み物ですね」
「そうなの?香凛。可愛い絵・・・」
「ええ、日本で有名な漫画を描いてらした方にお願いして作って貰ったのです。
漫画はとても解りやすいので、概要だけをご理解頂くにはちょうどいいと思って」
天子は文字ばかりと思っていたら絵と台詞で解りやすく説明してくれる青いタヌキと少年の漫画を気に入ったのか、ゆっくりと読んでいく。
「ブリタニアに対抗する国で、みんなで助け合う連合国家・・・」
それに伴うデメリットもきちんと説明している漫画に、天子は少々考え込んだ。
「悪いこともあるのね」
「残念ながら、利点ばかりという訳にはいきません。完璧なものなどどこにもないからです。
しかし、政治とはそういったものだとお父様も伯父様もゼロもおっしゃっておりました。利点を伸ばし欠点を補い影響を少なくすることを考えていけば・・・」
やっているうちに欠点とは見えてくるものだからその都度考えていくのだというエトランジュに、天子は頷いて納得する。
「ゼロは幾通りものパターンを瞬時に考えることが出来る方ですし、欠点も織り込み済みのようですから影響はそうないと伺っています」
ただエトランジュもさほど政治や経済に詳しい訳ではないので断言は出来ないと申し訳なさげに告げると、天子は大事そうに漫画を閉じる。
「ゼロに聞いたら、答えてくれるかしら?」
「もちろんですとも天子様。説得力がないかもしれませんが、あの方は子供には非常にお優しい方ですから。
騎士団でも孤児院にいる子供に食事を作ったりして面倒を見ておられるんですよ」
本当に説得力がないと香凛は思ったが、口には出さなかった。
ノリノリ過ぎて天子の信用を落としてしまったルルーシュにエトランジュは内心で溜息をつき、ギアスで天子に対しては気を使った対応をするように頼んでおく。
と、そこへ部屋のドアをノックする音が響き、外から会議を告げる声が聞こえてきた。
「失礼いたします、天子様、エトランジュ様。会議の準備が整いましたので、どうか会議場へお越し下さいませ」
「解りました。すぐに参ります・・・天子様」
「・・・はい」
生まれて初めて自分の言葉を出さなくてはならない会議に臨む天子はびくびくしながら立ち上がると、エトランジュがそっと手を繋いだ。
「大丈夫です、私もいますし科挙組の方々もおられます。
一人ではなく味方がたくさんいるのですから、何を恐れることがありましょう?」
「ひとりじゃ、ない・・・そう、そうね」
「それにこれは会議です。戦争ではないのですから」
重ねて怯える必要はないと告げるエトランジュに天子は心が軽くなった。
ぎゅっとエトランジュの手を握りしめて、天子は部屋を出て会議室へと歩き出した。
会議室にはゼロことルルーシュを中心に同じ制服を着た騎士団員の藤堂を筆頭に朝比奈、千葉、卜部がおり、その反対隣には同じ制服を着てはいるがブリタニア人らしき金髪の男性がいる。
さらに顔こそ知らないが官僚の服をまとった数人の中華の官吏達が見えた。
「あら、ミスターディートハルトではないですか。どうして中華に?」
「私はゼロを撮り続けるために黒の騎士団に入ったのです。
ゼロの新たな伝説の1ページを録り損ねるなどあり得ませんよ」
ディートハルトに目を止めたエトランジュの不思議そうに問いかけに、ディートハルトは当然だと言うように答えた。
「このような素晴らしい歴史の場面に立ち会わずして、何がジャーナリストですか。
特区の方は落ち着いておりますので部下に任せ、有給を取ってやって参りました」
「そうですか。そういえば今回の作戦の要は大宦官の本音を中華中に流すということでしたから、そういったことにお詳しい貴方が来て下さったのは大変助かるのでは?」
「得意分野ですので計画は基本的に私が立てたのですが、アクシデントが起こった場合は必ず現場でお役に立てると存じます」
(相変わらず勝手な行動を・・・!だが確かにこいつは使える。今回は目をつむってやるとしようか)
ルルーシュが鷹揚に頷くと、エトランジュは天子に席を勧めた。
「さあ天子様、どうぞお席へ」
知らない人間が多いことにおどおどしながらも天子が席に着くと背後に香凛が立ち、その隣にエトランジュが座った。
「ブリタニアの人もいるのね」
「我ら黒の騎士団は、人種や国を問わぬことを信条にしております。
ブリタニア人全てがあのような弱肉強食の国是を認めているわけではありませんからね」
出来るだけ優しくとエトランジュから釘を刺されたルルーシュは確かにもっともだと思ったので、穏やかに言った。
「そう、みんな仲良くしているのね」
シュナイゼルらと攻防を繰り広げたエトランジュが普通にディートハルトと話しているのを見て、天子はブリタニア人にもいい人がいるのかと思った。
「はい、いつまでもブリタニア人だからと嫌い争っていては平和には至りません。
争いの根源たる皇族だけを排除し、他のブリタニアの方々とは末長く暮らしていければいくことこそが肝要であると考えております」
「そのための超合集国なのですか、ゼロ?」
「そのとおりです、天子様。概要はすでにお読み頂いたようですが」
「私はいいことだと思いました。
少しは喧嘩することもあるかもしれないけれど、他の国が止めてくれるのなら・・・話し合いで解決するのが一番だと、太師父も言っていたもの」
「まったく私も同感です。
そのために超合集国を創り、我ら黒の騎士団が各国の者達で一つの軍隊となって守っていければと」
「みんなでお互いを守るということ?」
「そういうことです。軍隊というのはそもそも、出来れば使わない方がいい道具のようなものですからね。
ただ安心するためにだけあるというのが一番理想なのです」
軍人を馬鹿にしたかのように聞こえるが、実際はそのとおりだなと藤堂は内心で呟いた。
もしも七年前にブリタニアの侵攻がなく平和であったなら、藤堂は軍を退役して道場でも出来ればいいと考えていた。
必要だけれども出来る限り使わない方がいい・・・それが軍隊なのだ。
「一つしか軍隊がなければ、人は話し合いで解決しようとするでしょう。
今は話し合いという単語が辞書にないブリタニアがいますが、かの国を倒して言葉で解決を図る道を模索して歩いていきたいと思います。
いずれゼロが不要となるその時まで」
「ゼロが不要って・・・貴方は黒の騎士団をまとめる人なのですから、ずっと必要ではないのですか?」
目を丸くして問いかける天子に、ルルーシュは仮面の下で自嘲の笑みを浮かべて答えた。
「ゼロとは悪を倒し世界を平和に導くただの記号ですよ、天子様。
狡兎死して走狗煮られ、高鳥尽きて良弓蔵ぜられ、敵国破れて謀臣滅ぶという中華のことわざの通りだということです。
今はゼロをもてはやしていても、平和になれば仮面をつけた男がそのまま統治することは自然に厭われます。
かといって仮面を外せばたとえ私がどれほど平等に国々を扱おうとも特定の国に有利になると思われたり、不満を抱くことにもなる。
だから私はことが終われば黒の騎士団の総帥を降りることになるでしょう」
さらりとそう告げたルルーシュに、周囲はざわめく。
それは確かに彼の言うとおりだが、ならば彼は何がしたくてゼロになったのだろう。
そんな周囲の心の声はギアスなどなくても聞こえてきたルルーシュは、はっきりと告げた。
「私は優しい世界を望みます、天子様。弱者が強者に虐げられることのない、平和な時代を。
恒久的な平和は望めなくとも、せめて私や私の家族だけでも平和で豊かな時を過ごせる時代を創ることは出来るでしょう。
それが過ぎればまた人々は争いだすかもしれない。だからこそ私は超合集国を構想し、黒の騎士団を創り上げたのです。
強者が弱者を虐げないという矜持を持つ国を、それを誇りとする者達が作る明日を私は見たい」
「あした・・・」
毎日が同じことの繰り返しだった天子にとって、ゼロの語る明日という言葉に胸を高鳴らせた。
みんなで仲良くいつまでも。
最初にエトランジュが寄越した手紙に書いてあった一文が、天子の心に響き渡る。
「みんなで仲良く暮らせる世界になりますか?」
「そのために努力し続けさえすれば、必ず。そのためにも、この戦いを終わらせなくてはなりません。
世界各地で起こっている戦争はブリタニアが嵐の目となっている面が一番大きいですが、決してそればかりではない。
もちろん貴女のせいではありませんし理不尽にも感じるでしょうが、貴女が中華連邦の皇帝である以上中華が関わった争いを収束させる義務がおありになるのです」
「・・・国でたくさん飢えている人や病気になってもお薬が貰えない人がいることも、私がなんとかしないといけないのですね」
「そのとおりです。ですが、一人でやれなどと言うつもりはありません。
このとおり、貴女の力になる者達、貴女の味方が大勢おります」
天子が途方もない責任に顔を俯かせると、ルルーシュは科挙組の官吏達を天子の前に来るように促す。
「お初にお目にかかります、天子様。
私どもは科挙に合格して官吏となりました者達にございます」
天子の前に跪いた官吏達に天子は戸惑うが、彼らは大量の書類を脇に置いて天子に向かって言った。
「本日は天子様に奏上したき儀がありまして、勝手ながら拝謁を賜らせて頂きました。
私どもは御吏の任を賜っている者です」
「御吏ってなんです?」
朝比奈が小声でエトランジュに問いかけると、太師から聞いて知っている彼女が教えてやる。
「御吏というのは官吏の中に不正や悪事を働いた者がいないかを調べる官吏だそうです。
官吏限定ではありますが強制捜査権や直接皇帝に弾劾奏上出来る権限をお持ちだとか」
「ようするに官吏専門の警察ということかー」
朝比奈は納得したが、その御吏達がこの作戦にどうして関わっているのだろうと首を傾げる。
「私どもは官吏になって以後幾度にも渡って大宦官やその他の汚職官吏の弾劾を行って参りましたが、御吏の長が大宦官の幹部であるためにもみ消されておりました。
中には暗殺された我らの同朋もおりまする。どうか天子様、我らの訴えをお聞き届け下さいますようお願い申し上げます」
そういうことか、と周囲の者は納得したが、同時に天子とはいえ幼い彼女に言っても解決しないのではないのかとも思った。
「大宦官達は、何をしているの?」
「はい、奴らは元来ならば民に還元すべき血税を横領し、自分達だけ膨大な俸給を受け取り生活しております。
それのみならず自らの縁戚に予算で工事などを請け負わせ、水増し請求をするなどは日常茶飯事。それによる被害は目を覆いたくなるほどです」
その他の悪事と同時に被害総額を告げると天子やエトランジュはいまいちピンと来なかったようだが、他の面々は顔を引きつらせた。
既に予想していたルルーシュは呆れることすらせず、淡々と言った。
「それだけの額なら省の一つや二つ、住民を飢えや病から救うことが可能ですね」
「そんなにたくさんの人達が助かるお金を、大宦官は持って行ったの?!」
世界最大の人口を誇る中華連邦の省人口ともなれば、数千万を数える省も存在する。それらを飢えから救うだけの額となると、いったいどれほどのものなのか。
「私、そんなこと全然知らなかった・・・」
「前皇帝陛下がご存命の折には連中も隠れてやっていたのですが、ご逝去されてからは隠すことすらせずやりたい放題。
そうして積もり積もった被害がこれほどになってしまいました」
「今は政治の要職は全て大宦官どもが占めております。
御吏の長ですらもそうであるがために、我らの権限で連中を糾弾することもままならず・・・」
それも我らの不甲斐無さゆえ、と科挙組達は頭を下げたが、詳しいことはまだ理解出来ない天子は戸惑った。
「で、でも私にはどうしたらいいか・・・」
「確かに大宦官どもが政治を司っているとはいえ、貴女様は我が中華連邦の長にございまする。
どうか貴女様の御名をもって、我らに命を賜りたいのです。大宦官どもの不正を暴き、持って法を正し民を救えと」
「私、が・・・?」
いきなり自分の力が必要だと言われた天子は震えた。自分はいつも周囲に言われるがまま何もせずにいたから、自分の力がどんなものかなど考えたこともなかったからだ。
「大宦官どもを罷免し不当に搾取した財産を没収すれば、国庫は一時的に落ち着きまする。
それを民に還元し、田畑を耕し国を潤すために使えば中華は立て直しが可能です」
「今がその機会なのです、天子様。大宦官どもはブリタニア貴族の地位を得ればあの弱肉強食の国是を掲げて更なる搾取を行うと聞いた者もおります。
幼き天子様にこのような重責を負わせるのは恥と重々承知しておりまする。
ですが我らにはもはやこの手しか残されておらぬのです」
天子といえど十二歳の少女に政治に関われと要求するのは官吏として以前に人間として恥だと思い、これまで自分達で何とかしようと頑張ってはいた。
だが既に根底から腐りきっている祖国を救うためには、もう時間がない。幸いにして天子は穏やかな性格で、後見人たる太師は経験豊かな政治家である。
ならば太師が健在なうちに大宦官達を一掃し、可及的速やかに立て直しを図るしか道はなかったのだ。
「・・・太師父も星刻も、賛成しているの?」
「はい、天子様。天子様をブリタニアに売り払うなどという暴挙をしでかした以上、もはや一刻の猶予もならぬと」
香凛が答えると、天子はそれならばそれがいい道なのだろうと短絡的に考えた。 だがそれによってどんな出来事がこの先起こるのか、知っておきたかった。
「もし私がその命令を出したら、どうなるの?」
「貴女様のお言葉は何者にも掣肘されぬ勅命となりまする。
我らはその詔を持って大宦官どもの家宅捜査を行い、またここにまとめました不正の証拠を持って逮捕拘束し裁判にかけることが可能になります。
そのうえで財産没収などの刑罰を下し、あとは戸部(財務を司る部署)が民にそれらを還元すべく取り計らうこととなりましょう」
「我らは民のために官吏となりました。どうか天子様も国民を思われるのでしたら我らに命を!」
一斉に頭を垂れて懇願された天子は、自分の言葉にそれだけの力があるのだろうかと逆に不安に駆られ、エトランジュを見た。
同じように幼くして王位についたエトランジュもこうだったのだろうかとふと思う。
太師は言った。王は民のために在り、官吏は王に仕えて民を守るものなのだと。
そしてみんなが飢えずに楽しく暮らせる国がいいと言ったら、それこそが元来国のあるべき姿なのだとも。
「私、まだまだお勉強ばかりで何も知らないの。
外に住む国の人達がどんな暮らしをしてどんな思いで過ごしているのかも、何も知らないの」
「天子様・・・」
「でも、私もゼロの言うように飢える人達がいなくなって争いがない世界を見てみたい。みんなはどう思う?」
「それは中華に住む者達とて同じ望みにございます!否定する理由などどこにありましょう!」
「我らも同じ思いにございます、天子様!」
口々に同意する官吏達に向かって、天子はまだ怯えながらも言った。
「私はまだ何も出来ない。でも、そのために力になるというのなら頑張ってみる。
だから・・・私に力を貸してくれますか?」
あまり語彙のない天子は、ただ心に浮かんだ言葉のまま官吏達にそう願った。
まだ何も知らない世間知らずの少女の掲げる絵空事と断じるのは容易い。
だがその純粋さこそこの腐りきった祖国を変えるには必要なものなのではないだろうか。
黒い現実を諦め受け入れるより苦しい選択であろうとも、黒を白に塗り変え新たな色彩で美しい絵を描く。
官吏達はいっせいに臣下の礼を取ると、天子に向かって忠誠を宣誓した。
「我ら一同、貴女様に恒久の忠誠をお誓いいたします!」
「みんな・・・ありがとう」
ぽろぽろと涙をこぼした天子は、ハンカチを差し出して涙をぬぐってくれたエトランジュを見上げた。
「エディ、私頑張ってみる。
まだよく解らないけれど、太師や星刻やここにいる人達を信じて、やれることを精一杯やってみるわ」
「私もそこから始めました、天子様。私に出来て貴女に出来ない道理はありません。
一緒に頑張りましょう・・・みんなで」
「エディ・・・はい!」
その言葉に勇気づけられた天子は、科挙組達に尋ねた。
「あの、命令を出すってどうやるの?ただ大宦官達の不正を暴けって言えばいいのかしら?」
「正式な命令となりますと、まず命令書をしたためて後見人である太師様の印があれば形式的にはそれでいいのですが、大宦官どもが偽の詔だと言い出せば難しいのですよ」
「そこで今回の作戦ですよ、天子様」
外野が口を出せば内政干渉と取られかねないので黙っていたルルーシュが、そこで口を挟んだ。
「今回の作戦の目的は、大宦官どもに己の本音を暴露させて国中に流すというものです。
その後で天子様にテレビに出て頂き、その勅旨を出して頂ければ誰もが従うでしょう」
簡単に要約した作戦内容に天子は理解はしたが、自分の言葉を国内に流すと聞いてびくりと震えた。
(でも、これが私のお仕事なんだもの。エディだって戦場にお見舞いに行ったことがあるって言うし、それに比べたらこれくらい・・・)
親友だって頑張っているのだから自分もと己を奮い立たせた天子は、官吏達に向かって言った。
「私、テレビに出るわ。みんなにちゃんと勅旨を出す」
「ありがとうございます、天子様!」
この作戦が成れば、長年の夢だった国を食い潰す寄生虫である大宦官の排除が叶う。
官吏達の中には大宦官達に濡れ衣を着せられ処刑投獄された者もいるのだ、恨んでも恨みきれるものではなかった。
「では、我らは急ぎ洛陽に戻り準備を整えます。
既に星刻殿が手配して下さった兵が大宦官捕縛のためにおりますので」
「解ったわ。頑張ってね」
「御意!」
科挙組達が黒の騎士団が手配した車に乗り込むべく部屋を出ていくと、リーダー格の官吏が香凛とルルーシュに向かって言った。
「くれぐれも天子様をお頼み申し上げる。あの方が我らの希望なのだから」
「もちろんだ。星刻様にもそうお伝えしてくれ」
「我ら黒の騎士団は、平和を望みそのために粉骨砕身する者の味方である。
必ずや天子様をお守りすることを約束しよう」
二人に頷かれて官吏が今度こそ部屋を出ようとすると、慌てて天子が呼び止めた。
「星刻に会いに行くなら、手紙を渡してほしいの。きっと心配してると思うから」
「おお、そういえば貴女様を誘拐を装って連れ出す際にも大いに慌てたそうですな
何でもとうてい演技とは思えぬほどだったとか」
「そうなの、だからお願いしてもいい?」
「もちろんですとも」
官吏達が快諾するとエトランジュが阿吽の呼吸で準備した便箋にさっそく短くはあったが手紙を書いた。
それに丁寧に封をしてすると、エトランジュが小さく折り鶴の絵を描く。
「こうしておけば万が一ブリタニアや大宦官の手の者に見られても中を見られない限り天子様からのものだとは解りませんよ」
「そうか、そういうことも考えないと駄目なのね。ありがとう」
官吏が手紙を受け取り大事そうに文箱に入れると、一礼して今度こそ部屋を出た。
こうして黒の騎士団とエトランジュとアルフォンス、そして天子と香凛だけになると、ルルーシュが優しく天子に言った。
「夜明け頃に星刻の部隊が来ます、天子様。タイミングを見計らって大宦官どもと話し、会話を誘導して連中の本音を聞き出しそれを中華に放送します。
その後は貴女が洛陽にいる官吏達に向かって勅令をお出し頂きたい」
「解ったわ、やってみる」
「多少は練習をする時間があると思います。
その後はどうか今宵は明日に備えてお休み頂ください」
ふと時計を見ると、既に夜の七時になっている。どっと疲れが押し寄せてきた天子が頷くと、エトランジュに促されて退出していく。
それを見送ったルルーシュは、藤堂に向かって言った。
「これで条件はクリアされた。後はラウンズ達を始末し星刻と戦い劣勢を装い、作戦を開始する」
ここから先は大人特有の汚い会話だ。いくら天子が知りたいと望んでも、まだ彼女には理解出来ないことだろう。
理想と現実との違いを知るには、十二歳の彼女ではまだ早過ぎるのだ。
同じように理想と現実の違いを知り小さな一歩を踏み出した天子に、最愛の妹の姿が重なり合った。
天子と別れた官吏達が途中の街に立ち寄ると、そこにはちょうど星刻の軍がいた。
ゼロは狙って天帝八十八陵に立てこもった、罠を仕掛けるのが得意だと聞いているのでどこで罠を仕掛けてくるか解らないという名目の元、進軍の速度は怪しまれない程度に遅くしてあるからだ。
「黎軍門大人、科挙の官吏達が洛陽に向けて出発したとのことです。
ただ一人、面会を望んでいる方がいるとのことですが」
天帝八十八陵に向かう星刻に同行したルチアの報告に、星刻は即刻通せと命じると顔見知りの官吏が明るい表情で入室してきた。
「黎軍門大人、天子様は全てを了承して下さった。
これで公然と大宦官どもを粛清し法の裁きを受けさせられる」
「そうか、さすが太師様だな。これで天子様が中華を統べる皇帝だと民に印象付けることが出来る」
この天子による勅旨を出すという案は、出来るだけ天子に国を治める者としての実績をと言う太師からのものだった。
決起した民衆と軍との間で衝突することにでもなれば、民衆にも害が及ぶ。
だが天子が軍に命令して多少でも牽制になれば被害を減らすことが可能という一石二鳥の策である。
「して、私に用とは?」
「うむ、天子様から貴殿にとお預かりしたものがある」
官吏が風呂敷に包まれた文箱を差し出すと、星刻は逸る気持ちを抑えきれずに文箱を開けて中の手紙を大事そうに手に取った。
「これは、鶴・・・天子様」
『折り鶴を千羽作ると、願いが叶うんですって』
星刻は手紙を取り出し食い入るように読むと、そこには紛れもない天子の文字が並んでいる。
『星刻、大丈夫ですか?私は元気です。
ゼロは少し怖いと思いましたけど、きちんとお話をさせて貰ったら優しい人でした。あんなやり方になってしまったのもあれ以外に方法がなかったんですって。
ここには香凛や他の人達もいるので、私は怖くありません。
私ね、飢えることや争いがない世界を見たいの。官吏の人達もそれがみんなの望みだと言ってくれました。
私はまだまだ何も知らないしみんなに迷惑をかけてしまうけれど、星刻も助けて欲しいの。
私も出来るだけ頑張るし勉強も一生懸命するわ。だからいつか交わした約束通り朱禁城の外の人達の生活を見せて欲しいの。
そしてみんなで平和に暮らせる国にするために星刻の力を貸してほしいの。
私は貴方を信じています。 蒋 麗華」
「天子様・・・」
自分を信じているというその言葉だけで、星刻は何もかもが報われる思いだった。
あの日天子から救われた時に交わした永続調和の契りを支えに、ここまで来た。
「我が心に、迷いなし!」
歓喜に身体を燃え盛らせた星刻の叫びに、官吏も頷く。
「我らもあの方に忠誠をお誓い申し上げた。この作戦、必ず成功させてご覧にいれよう」
まだ何も知らぬがゆえに未来のある天子に、中華の未来を見た。
これからは何でも知っていきたいと望む主に、外の世界を。
そして誰も飢えることなく平和に暮らせる世界を、共に創造していこう。
二人はそう決意すると、己の役目を果たすためにそれぞれの戦場へと足を進めるのだった。