挿話 ティアラの気持ち ~自立のナナリー~
メグロにある孤児院で、ナナリーは本日ラクシャータと言う医療医療サイバネティック技術の第一人者だという彼女の診察を受けていた。
「・・・検査の結果なんだけどね、神経が銃弾でやられているから完全に繋ぐのは無理ってことが解ったわ。
でも神経の代替品を埋め込めば、元通り歩けるようになる可能性は高いと思う」
「そうですか・・・以前は義足をと言われたのだが、そこまでしなくてもいいということですか?」
ルルーシュの問いにラクシャータが頷くと、足を切断しなくても治療が可能ならその方がいいと考え込む。
ラクシャータが来たのはエトランジュの依頼と言う形にしてあるため、彼女はゼロの正体を知らずにここに来た。
他にもシンジュクやサイタマで腕や足を失くした者が数名おり、キョウトや有志の者が治療費を出して新たに義手などをつける者もいる。
「手術時間も義足をつけるよりは短いし、リハビリもまだ若いんだから半年か一年もあれば充分だと思うわあ~。
この子十四歳だし、一番処置に適した年齢だからいいんじゃないかしら」
「足を切り落とされなくても、歩けるようになるんですか?本当に?」
ナナリーは義足を使えば歩けるようになると言われた際、足を切るのが怖いと怯えて尻ごみしていた。
ルルーシュも気持ちは解るので無理じいはせず、七年と言う歳月を車椅子で生活させていたのだが、せめて足だけでも治してやりたいと考えていたのでラクシャータに相談することにしたのである。
「手術は麻酔をかけるし、怖くないのよ~。むしろその後のリハビリが大変だけどね~。
けどこのご時世だし、何が起こるか判んないから日本が今特区で安定している間にやっといたほうが、いいんじゃないかしら?」
ラクシャータの言葉はもっともなもので、ナナリーも歩けるようになりたいという憧れはある。
それに歩けないせいで日本占領時の戦争では兄とスザクにたいそうな負担をかけてしまったという負い目もあった。
「それはそうですけど・・・でも怖い・・・」
「ま、気持ちは解るし・・・ゆっくり考えてからにすればいいわ。
データも取らせて貰ったし、OKが出たらすぐに作ってつけてあげる。今忙しいから、2、3ヶ月かかるけど。
解らないことがあったら、どんどん聞きにおいで」
ラクシャータに微笑みかけられたナナリーははい、と答えると、悩んだ表情で診察室を出て行く。
彼女が出て行った後、ラクシャータは打って変わって少し厳しい声でルルーシュに向かって言った。
「医療に携わる者として患者のプライベートに首を突っ込んじゃいけないんだけどね・・・あの子どうしたの?」
「・・・何か不自然なことでも?」
「あの子の足の傷から見て、どう考えてもわざと足を撃ったとしか思えないのよね。
確かに逃げないように足を撃つってのはある話だけど、その場合あの子が人質か何かだったってことになるし・・・事件に巻き込まれでもしたのかい?」
「・・・ええ。詳しいことは言いたくないので言えませんが」
ルルーシュはかろうじてそう応じたが、ラクシャータの言葉に内心で眉をひそめていた。
(故意に足を撃たれた、だと?ナナリーは母さんに庇われて足を撃たれたと聞いたが・・・)
「わざと撃たれたという根拠はなんです?」
「あの子の足ね、至近距離で撃たれた痕跡があったんだよ。
しかも両足とも同じ膝下位置で撃たれてたから、同一人物があの子の足を使い物にならなくする目的で撃ったとしか考えられないねえ」
「なんだと・・・?」
ラクシャータの言が正しいとするなら、ナナリーはまず足を撃たれてアリエス宮を襲ったテロリストの人質にされ、それを見て抵抗を封じられた母が襲われたということだろう。
だが自分が二人を発見した時、息絶えた母の腕の中で怯えるナナリーがいたわけで、母がナナリーを奪還した前後に撃たれたということになるのだが・・・。
(だが母さんが蜂の巣にされたというのに、ナナリーには足以外まるで怪我がなかった!
第一先にナナリーの方が襲われたなら、それに母さんが気づかないはずがない!)
伊達に元ナイトオブラウンズの地位にいたわけではないし、そもそもアリエス宮には母を慕う警備兵が大勢いたことを憶えている。
ナナリーが襲われたと判断したなら、警備兵を招集して事態に対処しようとするのが普通だろう。
だがそんな騒ぎが起これば、いくら寝ていた自分でも目を覚ます。
(だがあの男や診察した医者、捜査にあたった連中全てが母はマシンガンで撃たれ、それに庇われたナナリーが足を撃たれたと言った!
しかし、綺麗に両足ともに同じ位置で撃たれるなどあり得ない!)
つまりはその報告自体が虚偽だということになるが、それもまた皇族、それも高位に連なる者が犯人であることを示唆している。
(ナナリーの記憶さえ戻れば、詳しいことが解るんだがな)
実はアルカディアからギアスでそのことを聞けないかという案が出されたのだが、無理やりに聞きだすのも嫌だったし何よりナナリーは目が見えないのでギアスをかけることは出来ない。
(無理にナナリーから聞きだしてトラウマを抉るより、マオに記憶を探って貰うか・・・あの子は忘れただけだが、記憶は消せるものじゃないと本で読んだからな)
本人が忘れたつもりでも、脳ははっきりと記憶している。催眠術などで聞き出せることもあると本で読んだルルーシュは、後で彼に頼んでみようと決意した。
「・・・情報、ありがとうございます。
ナナリーが手術に同意したらすぐにつけられるように、その神経装置を作っておいて貰えませんか?」
「いいわよ~。足が治ればもしかしたら目も治るかもしれないしねえ」
ラクシャータがカルテに何やら書き込みながら言った。
「心因性の視力障害ってのは、ストレスが原因のケースが多いんだけどね。あの子の場合その事件が凄いストレスになってると思うの。
だからその事件を象徴してる足が治れば、トラウマを克服できるきっかけになるかもしれないってこと~」
「なるほど・・・妹にも話しておきます。それでは」
ルルーシュはラクシャータに頭を下げると、自分も診察室を出るのだった。
ナナリーが最近よくいる場所は、リビングルームだった。
みんなでリビングで音楽を聴いたりハンドベルを鳴らしたりして楽しんでいる。
最近では少し型は古いが電子ピアノが置かれ、ルルーシュも暇を見ては弾いてやっていたりする。
「ナナリー」
「お兄様!あの、私その・・・」
「いいんだ、無理はするな。手術は誰しも怖いものだからな」
ルルーシュの優しい言葉にナナリーはほっとしたように笑みを浮かべると、電子ピアノを弾き始めた。
「今、日本の童謡を弾いているんです。とても弾きやすくて」
「ああ、上手だよナナリー。もう一曲聴かせてくれないか?」
「はい、お兄様!」
電子ピアノの少し雑音混じりの音だが、ナナリーが奏でるとこんなにも美しくなるとルルーシュは兄バカ全開の感想を抱いた。
曲が終わるとその場にいた全員から拍手が起こり、ナナリーはお粗末さまでしたと恥ずかしそうにピアノから離れる。
「俺達は子供の頃から習っていたからな・・・ナナリーもペダルなしのピアノなら綺麗に弾けるんだよ」
「ナナリーちゃん上手―。ピアニストになればいいのに」
「そんな、私なんて・・・お兄様の方がよほど」
友人の賞賛にナナリーが謙遜して兄に視線を向けると、ルルーシュは妹の頭を撫でながら笑う。
「自信を持てナナリー。お前のピアノはあの頃とは比べ物にならないほど上達しているよ。
俺の年齢になれば、きっと俺より上手になっているさ」
「お兄様・・・」
ナナリーが嬉しそうに笑みを浮かべると、他の子供達もピアノやハンドベルを手にして曲を奏でたり、中にはそれに合わせて歌っている者もいた。
アッシュフォードとは異なる平穏な日々に、ナナリーは満足していた。
ここは自分で何でもしなければならないけれど、自分で出来ることが少しずつ増えていくことがこれほど楽しいとは思いもしていなかったから。
(以前行っていた病院は治らないと一点張りだったけど、ラクシャータさんは治るって言ってくれた。
歩けるようになればペダル付きのピアノも弾けるし、他の子のお世話のお手伝いだって出来るようになる。
でも・・・やっぱり怖い・・)
自分の足に作為が加えられるということは、嫌でも七年前の事件を連想してどうしても怯えてしまうのだ。
どこへでも行けるようになりたい思いと沸き起こる恐怖とに挟まれて、ナナリーは憂鬱な溜息を吐くのだった。
その夜、ナナリーは仕事に出かけた兄を見送った後リビングで夕食の片づけを行っていた。
と、そこへ誰かが転倒して転ぶ派手な音が響き渡り、近くにいた職員が慌てて駆け寄る。
「大丈夫?私やるから座ってて」
「いいんだ、やらせて。お皿割れてない?」
松葉杖をつく音がしたので、転倒したのは片足が使えない少年のようだった。
最近入所した少年で、親はすでにいないとのことだ。
「駄目よ無理しちゃ!ほら、こっちにおいで」
「いいんだ!これくらい出来ないようじゃ、黒の騎士団に入れないじゃないか!」
少年はそう叫ぶと、再び皿を拾い洗い場に持っていこうとする。
他の者達は小さく首を横に振って少年が頑張って足を引きずり片づけを進めようとするのを見守っている。
「あの子・・・黒の騎士団に入りたいんですか?」
ナナリーが先ほど少年を助けた職員の女性に尋ねると、彼女は頷いた。
「そう、あの子シンジュクでブリタニア兵にご両親を殺された上に鉄骨を足に挟まれてね・・・それで仇を取るんだって言ってるわ。
足が治ったら騎士団に入るんだって」
「シンジュクって・・・あの毒ガスの?」
ナナリーはトウキョウ租界で聞いたニュースしか知らず、事実を全く知らなかった。
よってシンジュクで起こった事件が毒ガスを散布した日本人のテロによるものであると認識していたのである。
それを知った職員は慌ててナナリーの口を塞ぐと、周囲を見渡して誰も聞いていないことを確認し、ほっと安堵の息をつく。
「駄目よナナリーちゃん!いくら租界から来たばかりだからって、そんなこと言ったら睨まれちゃうわよ」
「どうしてですか?」
不思議そうに問いかけるナナリーに、職員はそっと彼女を誰もいないベランダへと連れ出した。
「あのね、シンジュクで起こった事件で報道されてるの、あれ全部嘘なの。
日本人が日本人しかいないゲットーでテロなんかすると思う?」
「何かの事故で散布されたっていう報道も聞いたのですが・・・」
「毒ガスが撒かれたところに、総督が来てどうするの・・・いくら装備があったって、危ないでしょ?」
そう指摘を受けたナナリーは、確かに異母兄クロヴィスはシンジュクで暗殺されたと聞いたので、そういえば毒ガスが撒かれた場所にいるのはおかしいとやっと気づいた。
「だからあれはテロリストの殲滅っていう名分で行われた日本人虐殺なのよ。
あの男の子の両親だって、ブリタニア兵に撃たれて死んだんだから」
悲しげな声音の職員に、ナナリーはどちらが正しいのか解らず途方に暮れた。
「ごめんね、同じブリタニア人の悪口を聞かされてるみたいでいい気分じゃないわね。
でも、少なくともここじゃそういう認識だから、うかつに口に出さない方がいいわ」
「はい、解りました。でも、クロヴィス・・・総督が虐殺を・・・」
庶民の母を持つとほとんどの異母兄姉が自分達を忌避する中、頻繁にアリエス宮に訪れてくれた三番目の兄の行為に、まさかという思いが脳裏をよぎる。
「クロヴィスは同じブリタニア人には優しかったのかもしれないけど、私達日本人のことなんてどうでもよかったんでしょうね。
そう言う人は珍しくないけど・・・・」
「え・・・それはどういう意味ですか?」
「うん、ナナリーちゃんにはまだ判んないかもしれないけど・・・人間って相手によって態度が変わっちゃうものなの。
たとえばナナリーちゃん、先生と友達と同じ態度で接したりはしないでしょ?」
「あ、はい。それなら解ります」
非常に解りやすい例題にナナリーが頷くと、職員は困ったように笑う。
「だから、ブリタニア人にとってはいい人でも、私達にしてみたら嫌な総督でしかなかったの。
コーネリア総督だってゲットーを封鎖して人の出入りを制限したせいで物資を少なくしてしまった時は、ここもあわや閉鎖されるところだったわ。
今はある程度緩やかになったし、騎士団や有志の人達がいろいろしてくれたからどうになかったけどね」
「あ・・・テロが起こってるからゲットーと租界の行き来を禁止するって」
聞いた時はそれなら仕方ないとろくに考えもせず肯定していたが、それがこうして今身近にいる人達にとっては死活問題に発展していたことを知って、ナナリーはブリタニア人と日本人との間の認識の差をぼんやりとではあるが感じ取った。
「私、ブリタニアの報道をそのまま信じ込んで、疑いもしませんでした」
「それは仕方ないわ、ナナリーちゃんは目が見えないしまさかゲットーまで来て 真偽の確認なんて出来ないものね。
でも、物事は一つだけの側面ではないってことは忘れないでほしいな」
「はい・・・お兄様はどう思ってらしたのかしら」
ルルーシュはクロヴィスが虐殺をしていたことなど自分には何も言っていなかった。
けれど兄は賢いから、どちらが真実だったのか知っているのかもしれないと、ナナリーは思った。
「ああ、ルルーシュさん賢いもんね。お兄さんがどう思っていたか聞いてみるのもいいと思うわ」
まさかランペルージ兄妹がクロヴィスの異母兄妹だなど想像もしていない職員は、さらっとそう答えた。
「はい、後で聞いてみますね」
「・・・ブリタニア人のナナリーちゃんには辛いかもしれないけど、ブリタニア人は日本人にとても酷いことをしているの。
日本人を殴る蹴るの暴行を加える目的でゲットーにくるブリタニア人なんて珍しくなかったくらい」
「そんな・・・反撃出来ないんですか?」
「ほんの少しでも日本人がブリタニア人を傷つけたら、それだけで懲役刑よ。正当防衛なんて認められた例はないわ」
女性職員から告げられた祖国の人間の仕打ちに、ナナリーは青ざめた。
「だからね、ナナリーちゃん。ブリタニア人は基本的に日本人からすごく恨まれてるの。
まあ日本人も関係のないブリタニア人を巻き込むテロなんかしてる人もいるけど、根源はいきなり攻めてきたブリタニアのせいだし。
ここの人達は全てのブリタニア人が悪いなんて思ってないけど、でもシンジュクやサイタマの件はみんな恨みに思ってるわ。
だから、うかつに口にしてはダメよ?」
「はい・・・気をつけます」
顔色の悪いナナリーを見た職員は、彼女を軽く抱きしめて言った。
「でも、私はナナリーちゃんが大好きよ。リハビリもしてるしいろんな曲を弾いてみんなを楽しませてくれたりして、たくさん頑張ってるものね。
それに、そんな貴女を一生懸命に守ってるお兄さんもね」
穏やかに微笑みそう語る職員に、もしかしたら内心ではみんなブリタニア人である自分を嫌っていたのだろうかと怯えていたナナリーは、安堵の笑みを浮かべた。
翌朝、ルルーシュは朝食を作ってナナリー達に食べさせた後、片付けは子供達に任せて自室で仕事をするべく部屋に向かおうとすると、ナナリーが真剣な口調で呼び止めた。
「お疲れのご様子ですのに、ごめんなさい。
少しお尋ねしたいことがあるんです・・・大事なことなんです」
「大事なこと?もちろんいいとも」
愛しい妹の大事な話と聞いては、たとえ締切が一時間後にある仕事があろうとも後回しである。
幸いそこまで差し迫ったものではないので、ルルーシュは心おきなく妹を自室に招き入れた。
「大事な話ってなんだい?もしかして手術のことなら・・・」
「いえ、それではないんです。実は昨日・・・ここの先生から伺ったのですけど・・・」
ナナリーが昨夜の出来事をかいつまんで話すと、ルルーシュは眉をひそめた。
ナナリーも兄にとって愉快な話ではないと悟り、意を決して尋ねる。
「お兄様、あの日確かリヴァルさんとシンジュクを通りかかったっておっしゃってましたよね?
本当にテロがあったのですか?クロヴィス兄様が虐殺をしたなんて・・・その・・・」
ルルーシュは妹があの優しかった三番目の異母兄がまさかという思いと、日本人がシンジュクでされたことを恨みに思う施設の子供の言い分も嘘だとは思えず板挟みになっていることを知った。
真実を口に出せば、心優しいナナリーは家族の所業に心を痛めるだろう。そしてそれを負い目に感じてしまい、施設の子供達と距離を置くかもしれない。
かと言って事実を隠せば日本人が流す情報を嘘だと信じ、それがまた日本人との間に溝を作ることになる可能性がある。
どちらに転んでも最善とはいいかねる事態にルルーシュは頭を抱えたが、自分が思い当たらなかった全く正しい注意を職員はナナリーにしてくれたのだ。
ならばもう下手に隠すことはやめて、クロヴィスのフォローをした上で事実を話すことにした。
「・・・解った、ナナリー。全て話そう。
だが、お前には本当に辛いことだ。心して聞いてほしい」
「はい、お兄様」
ナナリーはこくりと喉を鳴らすと、兄の言葉に耳を傾けた。
「結論から言うと、クロヴィス兄さんがやったことは本当だ。兄さんが人体実験にかけていた少女が、日本人レジスタンスに連れ去られてな。
まあ本当に毒ガスと思いこんで持ち去ったのがたまたまその少女だったらしいんだが、毒ガスなんかじゃない」
「じ、人体実験・・・・?!クロヴィスお兄様はそんな恐ろしいことを?!」
「ああ・・・どうもそうらしい。C.Cを知ってるだろう?彼女がそうだ」
身近にいる兄の部屋に時折やって来ては泊まり込む女性を思い出したナナリーは、いきなり想像もしていなかった話に身体を震わせた。
「俺はたまたま巻き込まれて、彼女を見つけた。
そして毒ガスが奪取されたことにしてクロヴィス兄さんは軍を出動させたわけなんだが、その中にスザクがいたんだよ」
「スザクさんとはそこで既に再会なさっていたのですね。それで・・・」
「あいつはテロリストと勘違いされた俺を庇って、何とか俺を逃がしてくれたんだ・・・C.Cも一緒にな。
・・・その時のシンジュクの様子は酷いものだった。
ブリタニア兵が武器を持たない日本人を平気な顔して殺戮する、まさに地獄絵図だったよ。
ゼロがクロヴィスを殺して止めていなければ、シンジュクだけで被害が済んだかどうか・・・」
「そんな・・・クロヴィスお兄様、どうして・・・」
この世で一番信頼する兄が肯定したことで、ナナリーはようやくシンジュク事件がブリタニアによる虐殺であったことを信じた。
「おそらく、怖かったんだろうな・・・皇族としての地位を奪われるのが。
弱肉強食が掟のブリタニア皇族だ、常に成果を上げなければその地位は廃嫡される。クロヴィス兄さんは七年もこの日本を統治していたのに、衛星エリアに昇格させるどころかレジスタンスによる抵抗を治めることも出来なかった。
たぶんだけどこれ以上現状のままなら総督を解任するというような最後通牒でもあって、焦って非人道的な行為に手を伸ばしてしまったんだろう」
ルルーシュはクロヴィスを悪人だとは思っていない。
ただ皇族としては頭があまり良くなかったばかりに、人間として当たり前の自己保身に走った結果、安易な手段に手を出してしまっただけの凡人だった。
普通の貴族の二男三男辺りとして生まれていれば、その芸才を発揮して有名になり、彼としても本望の人生を歩めていたであろう。
まだ自分がブリタニアにいた頃、私は皇帝の器ではないと言っていたからある程度己の才能の分を理解していただけに、それに合わぬ競争を強いられた犠牲者だ。
「クロヴィス兄様・・・お可哀そう」
「ああ、確かに気の毒な人だよ兄さんは。だけど、だからと言って虐殺が許されていいわけがない。
そんな身勝手な都合で殺された人達の方が、もっと気の毒だ」
「そ、そうですねお兄様。
では、先生がおっしゃっていたゲットー封鎖や日本人に酷いことする人達がいるっていうのも・・・」
「事実だよ。最近はユフィの政策のお陰でとんと見なくなったけど、租界でも珍しい話じゃなかった。
ゲットー封鎖時には食料の盗難事件が頻発して、黒の騎士団が出動する騒ぎになった地域さえあると聞いたくらいだ」
盗んだ方も生きるためとは言え盗みを許すわけにはいかず、騎士団は数度に渡ってゲットー周辺を巡回したり食料を配布したりしていたが、充分なものではなかったためにかなり苦労していた。
「そうですか・・・それではサイタマの件は何ですか?先生からは名前だけしか聞いてなくて・・・」
「・・・・」
クロヴィスに次いで仲の良いコーネリアの所業を説明しなければならないのかと、ルルーシュは鬱になった。
全く仲の悪かった他の異母兄やギネウィアなどの所業だったなら、ためらうことなく話せたものを。
「・・・俺としては言いたくないほどなんだがな。
コーネリア姉上はゼロを誘き出すためにサイタマを封鎖して同じく虐殺をしたそうだ。
あのあたりは確かにレジスタンスが多くいたが、それでも大部分が活動らしい活動をしていない住民が大半だったと聞いているよ」
「あの武人のコーネリアお姉様がですか?!何もしてない方々を殺すなんて、そんな方ではありませんでした!」
驚きを隠せず叫ぶ妹に、ルルーシュはそうだな、と何とも言えない表情で応じた。
「ゼロを誘き出すのは仕事だからいいとしても、日本人をなんだと思っているのかが解る所業だな。
エトランジュ様もその時の生き残りの人と知り合いのようで、話を聞いた」
「エトランジュ様が・・・」
自分と兄との間に立っていろいろ相談に乗ってくれた少女の言葉ならそうだろうと、ナナリーは思った。
自分がゼロであることは話さなかったが、それ以外についてはおおむね事実を話したことに、非常に複雑な気分だった。
いっそ全て話すべきかと悩んだが、それは今回は見送ることにして妹に語りかける。
「姉上やクロヴィス兄さんにも事情があるのだろうが、それでもやっていいことと悪いことがある。
クロヴィス兄さんとは無理だが、コーネリア姉上とはいずれ出来れば話をと考えている。
ユフィも協力してくれるだろうし、特区に病院を作ったらお前を招待したいと言っていたそうだ。
日本人を大事にしてくれるユフィなら俺も信じられるから、俺もそのためならいろいろ手助けしてやりたいんだよ」
「ユフィ姉様・・・!私も特区に行ってみたいと思っておりました。よろしいのですか?」
「うまくごまかせるよう、カレンも協力してくれるそうだよ。だからナナリー、お前も協力してほしいんだ。
日本人とブリタニア人が仲良く暮らせる、優しい世界を造るために」
「もちろん、私に出来ることでしたら・・・でも、何が出来るのでしょうか?」
最近は多少の自信が出てきたようだが、それでもまだまだ出来ないことの方が多い自分にコンプレックスのあるナナリーがしゅんとなると、ルルーシュは彼女の細い体を抱きしめながら言った。
「これからも日本人と仲良くして欲しい。
俺達の家族は確かに日本人に対して多大な迷惑をかけてきたが、だからといって距離を置いたりすればいつまでもこのままだからな。
ユフィもそんな事情を知っていて、どちらとも手を取って前に進むために特区を作ったんだ、お前にもそうして欲しいんだよ」
「お兄様・・・!」
自分にも出来ることがあるから頑張って欲しいという兄の言葉に、ナナリーは涙を浮かべて喜んだ。
信頼していた家族の恐ろしい所業を聞かされ、ここにいる日本人達の前にどんな顔をして出ればいいのかと怯えていたナナリーの心に希望の光が灯る。
「私、頑張ります。いつかみんなで仲良く暮らせるようになるために・・・!」
「ああ、お前になら出来るよ。兄さん達の件については、これはもう終わったことだしお前には罪のないことだ・・・気にするのは解るがな」
自分でさえ半分血の繋がった兄姉の行為に眉をひそめたのだ。
心優しいナナリーがどれほど心を痛めるのかと思うと、とても口に出せずにずるずると隠してきた。
けれどもう隠しておくことは出来ない。いつかは自分がゼロであることを話さなくてはならなくなる時も、そう遠くはないだろう。
「ナナリー、一つだけお前に謝らなくてはならないことがある」
「何ですか、お兄様」
兄の心からすまないと感じている声音を感じ取ったナナリーが不安そうに尋ねると、ルルーシュは言った。
「お前にだけは嘘は言わないと約束したが、実はそうではないんだ。
お前に傷ついてほしくなくて、嘘をついたことがあるし言っていないこともたくさんある」
「お兄様・・・」
ナナリーは嘘をついていたことがスザクと再会したのが本当は学園ではないこと、シンジュクで起こった事件などのことだと思ったが、それだけではないことを言葉から知った。
「そんなこと・・・七年前スザクさんのお家に預けられた時から存じておりましたわ。
あの日、スザクさんの土蔵を綺麗なお家だって言って、それをスザクさんが嘘だってあっさり教えちゃって台無しになりました」
「・・・・・」
「お兄様は私を愛して下さっているから、クロヴィス兄様やコーネリア姉様のことを黙っていたことくらいは、私にだって解ります。
他にも、あるんですね・・・私には言えないこと」
ナナリーは車椅子の手すりを指で撫で、動かせない足を動かそうとしてやはり動かない足に首を横に振る。
「エトランジュ様がおっしゃってました。自分を一番大事にしてくれる人が何も言わない場合は、例外なく自分のためだって」
「エトランジュ様が?」
「ええ・・・あの方もご家族からいろいろ隠し事をされてるみたいなんです。
私、以前からお兄様のお仕事とか知りたくてお尋ねしたら、秘密だから言えないって答えて頂けなかったんです。
家族にも言えないことってなんだろうって言ったら、そう言われました」
どうして追及しないのかとナナリーが尋ねると、答えは単純だった。
「『家族を信頼しているから』だそうです。言わないのはきっと自分が傷ついたり不利益になることだろうから、ならば聞かない方がいいと思ったそうです。
いつかお話ししてくれることも信じているから、自分に話せる価値・・・というのもおかしいけれど、そうなれる自分になるために頑張るのだと」
「・・・あの方らしいな」
マグヌスファミリアの一族の絆は頑強だ。
何しろお互いに心で会話をし、言いたい放題している彼らの中でも、秘密というものは存在する。
秘密を持たれて愉快な人間はいないだろうが、それでもそれを探らないことに疑問を持たないということがその強さを示している。
「今回も、話して貰うのを待とうかなって思いましたけど、これは一時しのぎにしかならないと思って・・・聞いてよかったです」
「そうか・・・強くなったなナナリー」
「そう言う人はこの施設の中にもいらしたんです。お子様の治療費を稼ぐために、人には言えない仕事をしている方もいるって・・・・。
私全然知らなかったんです。お金を手に入れるって言うことが大変だったなんて」
母親が身体を売っていることを知った子供が親を問い詰めた時、エトランジュはしたくてしている仕事ではないしこの状況下ではやむを得ないことだと懇々と説いていた。
隠していたなんて酷いと言う少女に、貴女に心配させたくなかったし引け目を感じて欲しくなかっただけ、お母様が貴女を愛していることが解らないはずはないでしょうと諭すと、少女は頷いていた。
「賭けチェスのことも、それくらいしないと私の治療費なんて無理だろうと教えてくれました。それなのに危ないからやめて下さいだなんて、私は何と愚かだったのでしょう。
今だってお兄様は事務員のお仕事をなさっているそうですけれど、二人で食べるくらいが精いっぱいだなんて・・・」
実際のところ給料など出てすらいないのだが、キョウトからの援助金から二人分の生活費を貰っているのでそれを給料だと偽って施設に送っていたりする。
あまりに多大な額だと怪しまれるので、そういうことにしてあるのだ。
「ナナリーが気にすることじゃない。お前は妹なんだから、兄の俺が働くのは当然だ」
「でも、いつかは私も十七歳になるんですよね?お兄様と同じ・・・」
ナナリーは施設にいる人達を見て、また働きに出る兄を見ていかに自分が兄に依存しているかを否が応にも悟った。
今はそれでもいいとみんな言うけれど、今はいつか終わってしまう。どんなに楽しい時も、いつかは必ず。
「私・・・手術を受けます。私も歩けるようになりたいです」
少しまだ手術に怯えがないわけではないが、足を切断して義足をつけるよりよほどいい。
それに、苦労に苦労を重ねた兄が貯めたお金を出して治って欲しいと願ったのだ。
ほんのちょっとの苦労くらい耐えなくては、自分はあの日のままいつまでもお荷物だ。
七年前の戦争時、歩けぬ自分をおぶってくれたスザクに、荷物を抱えて歩くルルーシュ。
せめて足だけでも無事だったなら、自分の足で逃げることが出来たのだ。
「楽しい時はいつかは終わるけれど、辛い時もいつかは終わるものだって聞きました。
今は日本は落ち着いているようですし、足を治して私も働きたいんです」
リハビリの方が手術の時よりも辛いと聞いた。半年から一年もかかると知った時、ナナリーはそれにも尻込みしたのは確かだった。
光陰の矢の如しということわざが示すとおり、二十歳を過ぎれば短くすら感じる時間の流れだが、若い時の半年、一年というのは長い。大人が感じるそれよりも、はるかに。
けれどいつかは終わる。
どれほど辛くても、歩けるようになってしまえばそれが遠い過去のように感じられるほどに。
ピアノの練習をしていた時、あんな難しい曲なんて弾けないと何度も感じたことだろう。
だけど一度たどたどしくでも弾けてしまえば、後は上達に上達を重ね、弾けなかったのが嘘のように感じたことを覚えている。
自転車でも乗馬でも、出来るまでが辛いだけだ。だからそれまで頑張ればいい。
「その意気だ、ナナリー。エトランジュ様もリハビリのために療法士やアドバイザーを呼んでくれるとおっしゃっていたよ。
みんなが助けてくれるんだ、それを無駄にしてはいけないよ」
自分で見つけてきた療法士とアドバイザーだが、話としてはそう通してある。
エトランジュは信用があるので、目立てぬ自分の隠れ蓑をこうして引き受けてくれるのだ。
「はい、お兄様」
「すまないナナリー。お前が考えているとおり、俺はお前に隠し事がある。
だが、いつか必ず話すから、もう少し・・・もう少し待っていてくれないか?」
自分もクロヴィスやコーネリアほどではないが、人を殺すという非道な行為をして来ているのだ。
今はまだその勇気はないし、何よりどこから秘密がバレるか分からない以上、せめて日本解放を成し遂げるまでは話せないのだ。
(今回だって職員の何気ない言葉からナナリーにシンジュクの件がバレたからな・・・秘密を知る人間は出来るだけ少なくというのは鉄則だ)
「解りました、お兄様。私、待ちます・・・お兄様が全てを話して下さるのを」
「ありがとう、ナナリー」
「お兄様が私のために頑張って下さっているんですもの、これくらいは私も我慢しなくてはいけません。
お兄様も、もうすぐ出張にお出かけになるそうですし」
ナナリーの少し寂しそうな声音にルルーシュはうっと声を詰まらせたが、不可欠なことなのでそれを振り払って言った。
「ああ、エトランジュ様にどうしてもと頼まれては断れないよ。
一か月はかかるが、時間があればこちらに戻る時間をくれると言ってくれたし」
都合のいい言い訳に打ってつけのエトランジュに、ルルーシュは心の底から感謝した。
ナナリーの信用もある意味自分より高いし施設の人間からの好感度もあるので、彼女の名前を出せばさほど不自然に思われずに済むのである。
「いろいろお気を使って下さって、優しい方ですねエトランジュ様」
「ああ、いずれお礼をしないといけないな」
ルルーシュが日本に戻っている間、代わりにアルカディアがゼロとして中華で動かなくてはならない。
そのフォローに回るエトランジュも活動するアルカディアにも大層な負担だが、妹大事なのがルルーシュという人物であると既に理解しているので何も言わなかった。
彼女達もまた家族大事の人間なので、彼の思いを理解しているというのもある。
「解りました、お仕事ですものね。お兄様もあまりご無理をなさらないで下さいね」
「ああ、解ったよナナリー」
妹を抱きしめて、ルルーシュは一つまた心が軽くなるのを感じた。
自分がブリタニアを壊すゼロだということを、いつか話すことになるかもしれない。
だが、隠し続けるには重いものであることも確かだった。その覚悟はあったし、今でも隠し続られるならそれでもいいと考えている。
クロヴィスやコーネリアの所業のほうをこそむしろ言いたくなかったくらいだ。
日本解放が成った暁にはその情報だけをナナリーからシャットアウトするつもりだったが、考えてみればこのゲットー内でシンジュク事変だけでも彼女の耳に入る可能性は高かったのだ。
「ナナリー、クロヴィス兄さんやコーネリア姉上にだって大事なものがあってそれを守るために戦うこと自体は間違っていない。
それはここの日本でレジスタンス活動を行っている日本人だって同じことだ。
その手段によってそれぞれの視点は異なっている。自分の価値観だけが正しくて他人の価値観などみな間違っていると信じこめば、虐殺という行為に走ってもそれが当然のように感じてしまうものなんだ」
「お兄様のお考えでは、お二方にとってその虐殺は正義だと?」
「でなければやれるものか、あんな非道な行為・・・!黒の騎士団だってそうさ、自分達が正義だと思わなければ殺人という行為など耐えられるはずがない。
カワグチのテロリストだって、無関係のブリタニア人を巻き込むやり方は間違っていたが憤るのには間違っていないと、俺は思う・・・ナナリーにはまだ難しいだろうから、少しずつ解っていけばいいことだけどね」
ナナリーは確かに難しすぎてまだよく解らない話だった。
けれど人それぞれの価値観がある、自分だけの価値観だけが正義ではないということくらいは理解出来た。
「今はまだ、自分のことだけを考えていてもいい。
いずれお前の足が治り目が見えるようになったなら、改めて世の中を見てお前の価値観を作っていけばいいんだよ」
「はい、お兄様」
ナナリーは笑みを浮かべると、ラクシャータに神経装置が出来たらすぐにつけて欲しいと頼みに行くべく、部屋を出るのだった。
それから五日後、ルルーシュが中華へ出立する日がやって来た。
「じゃ、行ってくるよ」
「はい、くれぐれもお気をつけて・・・」
既にエトランジュ達は先に行っているがナナリーがいるのでぎりぎりまで彼の出立を遅らせたとクラウスから聞いたナナリーは、兄に向って言った。
「どうかお仕事に専念なさって下さいな。私は皆さんがいるから大丈夫ですから」
「ありがとう、ナナリー。電話は難しいが、時期を見てかけるから」
ルルーシュの方が名残惜しげだったが、ナナリーはにこやかに兄の背中を押した。
「行ってらっしゃいませ、お兄様」
「ナナリー・・・行ってくるよ」
ルルーシュはそう笑いかけてナナリーの頬にキスを送ると、スーツケースを抱えて施設を出た。
そこにはC.Cとマオが同じくスーツケースを持って待っていた。
「行くぞ、ルルーシュ。空港に行く前にスーパーに連れて行け」
C.Cのいきなりの要求にルルーシュが眉をひそめると、マオが答えた。
「ついさっきエディから連絡が来てさ、中華にピザないって・・・タバスコも売ってないからピザを作るなら持ってきた方がいいって言うからさ」
「というわけだ、お前は中華に着いたらピザを作れ」
身勝手な要求にルルーシュは呆れたが、彼女には苦情は無駄だと知っているので溜息で了承する。
ルルーシュは見違えるほど大人になった妹がいる施設を再度見つめ、今度こそ後ろを向かず歩き去った。
妹達が望む優しい世界。
そのために立ち塞がる高い壁であるブリタニアを壊すためには、多くの味方が必要だ。
(これ以上ブリタニアに力をつけさせるわけにはいかない。天子との政略結婚は必ず阻止する!!)
ルルーシュはそう決意すると、用意していた車に乗り込んだ。
彼の持っている携帯には、ナナリーが折った折り鶴がストラップになって小さく揺れていた。