「……月?」
喉の渇きにふと目が覚めて、水を飲んだついでに、主君であり幼なじみでもある月の寝室を覗いてみる。
普段からよく出入りをしているから、様子を見るというだけだったのだが。
覗いたその部屋の中に、探し人は見つからなかった。
一瞬嫌な予感が頭を過ぎるが、ふと城壁の上に月光に光るものを見た気がして。
そこでやっと、探し人がいつもの如く部屋を抜け出して、夜風に当たっているのだと気づく。
「……おじ様とおば様も、よく抜け出していたものね」
初め、若くして石城太守となった月の父は、政務の途中でも息抜きと称してよく抜け出していた。
多くの者がそれを戒め、そのときはそれを聞くのだが、少しすればまた抜け出すのだ。
押し問答のような日々が続くにつれ、周囲も段々とそれを許容して、収束していったのだが、最後までそれを良しとしない武官がいた。
それが月の母。
男にひけを取らない武に、柔軟な発想は石城において無くてはならない将だったのだが、ただ一つ、月の父の脱走癖だけには厳しく当たっていたのだ。
他の者が諦めようとも、そう言いながら雷を落とす月の母と、それから逃れる父は、石城において名物と言っても過言では無かった。
元々、洛陽の官僚として勤めていた月の父だったのだが、優秀過ぎるが故に周囲に疎まれ、若さも相まって僻地である石城へと、名目上は栄転として赴任してきた。
そんなものだから、猜疑と見栄に塗れた生活に嫌気が差した彼は、必要最低限の仕事をするに止まるのだが、そんな中に物事をはっきりと言い、感情さえも真っ直ぐにぶつけてくる月の母が現れたのである。
月の母もまた、女だてらに石城一の武を誇り、文官に負けず劣らずに働くものだから、周囲からは疎んじられていた。
この時代、男より優れた女など、数え切れないほどいる。
そんなものだから、下らない自尊心ばかり尊大な男は優れた女に劣等感を抱き、質が悪いのになるとそれを公然と表すのまでいる。
中には力ずく、という男もいるのだが、そういったのは大抵身を滅ぼすことになった。
月の母もまさにそれで、本心では争いを好まないながらも身を守るためにと強くなっていったらしい。
そんな中、自分という存在を知ってなお態度を変えず、また自分自身をぶつけることが出来、さらには面倒そうながらもそんな将達の関係を改善させようとする、月の父が現れたのである。
後に、配下の将同士が仲違いしてたら仕事が滞ってさぼれないから、と本人から聞くはめになるのだが。
共に聞いた、否聞いてしまった月の母に感じた恐怖は、未だに忘れられるものではない。
そんな二人の仲が零になるのは、さして時がかからなかった。
が、人間恋をすると変わると言いますか、結果として脱走癖を持つ者が一人から二人に増えたのである。
それは、月が生まれてからも変わることはなく、古くからの臣である徐栄や李確が苦言しても変わることは無かった。
ボクも、月と共にその背中を見て育ったのだが。
そんな両親に似てしまったのか、月もたまに抜け出すようになってしまったのである。
月自身は、民の生活を近くでみて実感する、という理由ではあるのだが、こればかりは、月の両親でも恨み言を言いたいかもしれない。
あの男、北郷一刀に助け……を拾った日も、街の外に抜け出ようとしていた子供が黄巾賊に襲われそうになっているのを、抜け出した月を見つけた時に偶々助けたのだ。
脳裏に浮かんだ北郷一刀を頭を振って消し去ると、目指す城壁の上からふと声が聞こえた。
儚げながらもよく聞こえる声は月のものだが、話をしているもう一人は誰のものだったか。
近づくにつれそれが男のものだと気づくのだが、聞き慣れない声に李確でも徐栄でもない男の存在を探して。
先ほどまで浮かんでいた人物像をはたと思いだし――
――あああいつか、とふと気づいた。
**
涼州石城、その城壁の上。
戦勝の名残は、そこかしこで未だ続けられる宴に見られ、石城の街全体がそれを祝っているかのように、街は活気の中だった。
肉を食べ、酒を呑み、皆で笑い、生を実感する。
そうすることで、民達は明日を生きる希望とし、明日を望む欲にするのだと、俺は後々に聞くことになるのだが。
そんな喧噪が、夜が帳を下ろしても尚続けられるのを、俺と董卓は見下ろしていた。
普段のベールをかけた服装ではなく、至ってシンプルな、それこそ民の女の子が着ているような服に上衣を羽織っただけの董卓は、いつもとは違う雰囲気を纏っていた。
いつもは豪華な服に隠れる形で、どちらかと言えば儚げな印象だったが。
今の彼女は、どこか芯が通っているような、そんな印象を受けた。
「……騒がしかったですか?」
そんな風に考えて、はっきり言えば見とれていたのだが、不意にかけられた言葉に邪念を追い払って答える。
申し訳なさそうに話す董卓は、ここで知り得た董卓ではあったが、それでも街を眺めるその横顔は普段とは違うように見えた。
「いいえ。みんなと違って俺は働いていないから、疲れていないんですよ、眠ろうにも眠れないんです」
「くす、私もです。眠られないから、こっそり抜け出して来ちゃいました」
苦笑する俺に、頬笑みで返す董卓。
女性の、というよりも悪戯が見つかった子供みたいなそれは、彼女の新たな一面を俺に見せてくれて。
ついつい、俺の口調も悪戯小僧のようになってしまう。
「それはそれは、文和殿に露見すればさぞご立腹のことでしょうね」
「そうなんです。ですから、北郷さんには、口止めをお願いしたいんですけど」
「ふむ、あの文和殿を誤魔化す……。勝算はおありで?」
「ふふ、そこは北郷さんの手腕に頼る、ということで」
「これは大変、仲頴殿の期待を裏切るわけにはいきませんな」
「ええ、期待していますよ」
そこまで言って、お互いにくすくすと笑い始める。
それは段々と大きくなっていき、そしてどちらからともなく声を上げたものになっていた。
ここ最近、こちらの世界に来る前も含めてだが、声を上げて笑うことなど無かったかもしれない。
苦笑ばかりだったかな、と久方ぶりの笑いを堪能しながら思考して、不足してきた酸素を深呼吸で取り入れる。
見れば、董卓は未だに笑いから帰ってきてはなく、そんな彼女に石城の人々はよく笑うのか、と考えてしまう。
……賈駆にいたっては、初対面で爆笑されたしなぁ。
眼下の街から聞こえる笑い声に混ざるかのように上げられたそれだったが、ふと呟かれた董卓によって遮られる。
「…………黄巾賊の人達とは、本当に戦わなくてはいけなかったのか? もしかしたら、共に笑いあえる方法があったかもしれない。……そう悩んでいたら、眠れなかったんです」
先ほどとは違う、苦笑混じりに言う董卓に、俺は何も言えなかった。
この時代において、民を含め多くの人はいつ死ぬとも知れない生活を送っている。
運が良ければ、争いに関わることもなく、安寧平穏に過ごして寿命を全うすることも出来るかもしれない。
だが、いつ争いに巻き込まれるか分からない情勢の中、やはり己の命を守るためには戦うしかない。
たとえそれが、食う生きるに困窮している人々が相手でも、である。
元々は同じ民であったのに、今を生きる人々は互いに殺し合う。
それを救える方法があったかもしれない、戦わずに分かり合える方法があったかもしれない。
そう董卓は、涙を流すことなく慟哭していた。
「私にもう少し力があれば……黄巾賊の人達も救えたかもしれない。もっと頑張っていれば、涙を流す人もいなかったかもしれない……。そう思うと、本当に私が太守をしててもいいのかって、どうしても悩むんです」
詠ちゃんには心配しすぎってよく怒られるんですけど。
そう言ってはにかむ董卓だが、その笑顔もどこかぎこちない。
太守、その仕事がどういったものかは、俺は理解出来ていないのだが、それでも、混迷するこの時代の中で、どれだけの太守が董卓と同じ悩みを抱えているのか。
否、抱えている者が少ないからこそ、今の現状があるのかもしれない。
賈駆や街の人々から聞いた話だけでも、それは容易に想像出来ることである。
これから先、俺の知る歴史では多くの群雄がしのぎを削り、大陸の覇権を争っていくのだが、そんな中で董卓が悩むことがない世が出来ればいいと、この時の俺は思い始めていた。
それは即ち、董卓が力を持ちそれを大陸中に行き渡らせる、大陸統一ということ。
争いを好まない董卓ではあるが、そんな彼女だからこそ、この時代には必要なのかもしれない。
とまあ考えた所で、不意に強く風が吹いた。
聞いた話では、今は初夏にかかろうかという春ではあるのだが、やはり夜はそれなりに冷え込む。
冷たい風に身を縮まらせて震える董卓に、小動物みたいと決して言えないであろう感想を抱きながら、俺は着ていた上衣、といか聖フランチェスカの制服を手渡す。
そこ、なんで制服着てるのとか言うな。
寝間着以外にこれしか羽織るものが無かったんだよ。
「……えっと、北郷さん?」
「夏は目前とはいえ、やはり夜は冷え込むでしょう? それに、ここで風邪を引かれては、事がばれたときに文和殿からの叱責が怖いですからね」
「くす、あんまり悪口を言っていると、詠ちゃんに言っちゃいますよ? ……でも、ありがとうございます」
そう言って、おずおずと聖フランチェスカの制服に袖を通した董卓だったが、うんズドンと何かが打ち込まれたね。
やはり体格差からどうしても大きいのだが、股までになる裾に、手の甲を覆い隠すほどの袖と何かを連想してしまう。
ああそう言えばワイシャツをはだ……ゲフンッゲフンッ、何故だか殺気やら何やらを感じたので、慌てて妄想を頭から追い出す。
自分で渡しておいて何だが、ちょっと直視出来そうにないので、少し視線をずらすのだが、分かっているのかいないのか、小首をかしげるように董卓が不思議そうにする。
……汚れていてごめんなさい。
「……その、悩んでもいいんじゃないでしょうか?」
「えっ……?」
お願いですから、暖かいです、なんて言いながら頬を染めないで頂きたい頼みます董仲頴様。
いろいろと、主に精神的に大変ダメージがでかいんです。
そんな己を誤魔化すか如く、視線を外したまま熱くなった頬をかきながら言葉を放つ。
そんな俺の言葉が意外だったのか、不思議そうに董卓が答えた。
「人も時代も、時と共に流れ落ちる水のように、その形は変化に富んだものです。安寧に満ちれば穏やかに形取り、戦乱が満ちれば荒んだ形となるでしょう。ならばこそ、その理想とするものに正解などはありません。型など意味を成しはしないでしょう。であるからこそ、悩み藻掻くことによってその理想に近づける、そう俺は思います」
「………………えと、その……あ、ありがとうございます」
平和な世界でたかだか十数年しか生きていない俺だが、それでも人としての在り方や考えを間違えることは無いと思う。
自慢出来るものではないが、これでも色々な出来事を経験してきたのだから、そこまで間違えてしまうと、亡き父母にどやされてしまうのが目に見えていた。
何故だか俯いてしまった董卓から視線を逸らすと、至るところで行われていた宴も、ぼちぼち終了みていで、その喧噪が少しばかり小さくなっていた。
月が大分傾いているのを見ると、結構な時間話し込んでいたのだろう。
冷え込み始めた風に身を震わせながら、そろそろ寝所に戻る旨を伝えようとしたのだが。
「仲頴殿……仲頴殿?」
「……」
「もしもーし、仲頴殿? ……姫君様?」
「へぅっ! な、なんでせうかっ?!」
呼びかけても反応のない董卓に、李確や徐栄が言っていた姫君という単語で呼びかける。
すると、まるで電流を流したかのようにビクリと反応した董卓は、驚きを隠すことも出来ずにわたわたと手を振りながら、舌を噛まないだろうかと心配になるほどの口調で答える。
「いや……そろそろ俺は寝所に戻りますが、仲頴殿は如何されますか?」
「えっ、ああ……私は、もう少ししてから戻ります」
「そうですか……護衛は――」
「大丈夫ですよ、すぐそこに警備の者もいますし。それに、こう見えてそれなりに強いんですよ、私」
そう言われ、城壁の下を覗いてみれば、確かに城門前に四人ほどの兵士がいるのが見えた。
それに、城門の端にも見張り台みたいなものがあることから、そこにも数人の兵士がいるのだろう。
加えて、若干胸を張りながら答える董卓に、心配も杞憂だったかと安心する。
「それでしたら、俺はここで。明日寝坊しないように、早く寝てくださいよ」
「わ、分かってますっ! もう、北郷さんは意地悪なんですね」
「ええ、そうなんです。では、意地悪な俺はこれで。……おやすみなさい、仲頴殿」
服は明日で構いませんので、とだけ告げて、城壁を下る階段を下りてゆく。
途中、怨嗟というか恨みというか呪いというか、なんだかよく分からないものの気配がしたが、董卓も気付いたのか、大丈夫です、と言われたのでそのまま下った。
階段を下りきった後に、一度だけ城壁を仰ぎ見るが、そんな俺に気付いた董卓に、一度だけ頭を下げて城へと戻る道を行く。
階段の上り下りをしたからか、身体が睡眠を求め始めたので、ぐっすり眠れることだろう。
さて、明日は何をしようか。
などと考えている俺の後方、城壁の上。
そこにいる董卓の、ぽつりと、それでいて恥ずかしそうに紡がれた言葉が俺の耳に入るはずもなく。
風に舞いながら、闇夜の街中へと消えていった。
「おやすみなさい…………一刀さん」
**
明くる朝、賈駆からの呼び出しに広間へ赴くと、何故だか顔合わせ一番に賈駆に睨まれた。
昨夜のことがばれたのか、それとも董卓が言ってしまったのか。
それともあるいは、と考えそうになるが、ひとまずは呼び出された用件を聞かなければ成り立たない。
「文和殿、お呼びとのことでしたが、一体いかなるご用で?」
「……はぁ、文字の方は大体覚えられた?」
「? ええ、まあ。俺の知っている文字と元々似ているので、大まかなものは大体」
睨まれ、挙げ句には顔を見られながら溜息をつかれたのだが、昨夜のこと以外には思い当たりのない俺は、首をかしげるしかない。
いや、昨夜のことを知られれば、これぐらいでは済まない、それこそ罵詈雑言を並べられても文句は言えないからと思っているのだから、本当に謎である。
そんな俺の言葉に、一つ頷いた賈駆は、何故だか張遼と華雄の方を向くと、これまた一つ頷く。
それに答えるように二人も頷くのだが、華雄はいざ知らず、張遼の顔は歪んでいた。
こう、どうやって弄ってやろう、ってな具合に。
そんな俺の不安に答えるかのように、半ば予想通りの言葉が、賈駆の口から飛び出した。
「それならば、今日一日は霞と華雄の仕事を手伝うこと。二人も、出来そうな範囲で仕事を割り振って頂戴。警邏や調練の方は、こちらから通達しておくから」
それでまあ、特に断る理由もないので承諾したまでは良かったのだが。
「……この目の前に聳え立つ竹簡の山は、一体何なんでしょうか?」
「んなもん決まっとるやんか」
「うむ、今日の北郷の仕事だ」
「……えぇー、何でこんなに量が……」
とも愚痴りたくなるほどの量。
学校の教室の半分ほどの政務室に、会議を行うような机が三つほどあり、その上に山盛りの竹簡という、ある意味蔵書室にも見える部屋に案内された俺は、目眩を押さえながらその山を見やる。
一つ手に取ってみれば、中にはずらりと漢字が書かれており、いくら勉強したからといっても、殆ど読めそうにない。
一体どうすれば、と泣きそうになる俺に、あっけらかんと張遼が言い放つ。
「とは言うても、背表紙の題目の上に書いてある種類別に分けるだけやけどな。農とか練とか。さすがに中身の確認はうちらでせなあかんから、出来る範囲でええで?」
「はあ……そう言えば、文遠殿と葉由殿はどちらに?」
種類別にするだけでも、かなりの量なんですが、とはさすがに言えなかったが、これほどの仕事を俺に任せて二人は何をするのかとふと疑問に思った。
これで、うちら食い倒れに行ってくるわ、とか言われたら本気でどうしようかと思ったのだが。
「ああ、うちらは街の周辺の探索や」
「うむ、小規模ながらでも黄巾賊が確認された以上、周辺を警戒するに越したことはない。それに、他方においても黄巾賊は劣勢らしい、敗残兵がこちらに来ないとも限らんしな」
そう言って、己が武器を確認する二人、そこに三国志の英傑たる姿を見て、俺は自然と微笑んでいた。
「分かりました。こちらのことは心配せずに、どうか石城のこと、お願いいたします」
古代中華での敬礼といったものが分からない俺は、文官や武官がしているのを見よう見まねでしてみる。
片膝ついて、とかじゃないだろうから、両手を合わせて前に出す、みたいな形で。
「では頼んだ。張遼、行くぞ」
「あっ、ちょっと待ちーな華雄。ほな北郷、行ってくるで!」
「はい、行ってらっしゃいませ」
俺の言葉に満足げに頷いて、華雄が張遼を急かすように扉を開ける。
それにつられていく張遼と華雄を見送るために、扉の外まで出て言葉を掛ける。
何故だか満面の笑みで手を振っていく張遼を送り出して、俺は再び政務室へと入る、、足を踏み入れてしまう。
まあなんだ、やれるだけやってみるか、と俺は一つ目の竹簡を手に取った。
**
「それで、お前はいつまでニヤニヤしている?」
「んー、ちょっと嬉しいんやから、別にええやんか」
石城を出発した二百の騎馬隊にて構成された偵察隊の先頭、巧みに馬を操りながら華雄は張遼へと問いかけた。
議題としては、北郷一刀に見送られてからの変にニヤニヤする張遼について。
とりあえずうっとしいことこの上ないのだが、それも聞くのも何だか嫌な予感がしたのだが、それでもこのままでいい分けもないので、意を決したのだ。
「なんつーか、今まで見送られることってあんま無かったから、新鮮でな。……家族みたいで、嬉しかったんよ」
元々、自分は幼い頃に先代である月の両親に拾われ、そのまま世話になっている身である。
産みの親こそ覚えていないが、拾われてからの記憶には、見送られたことはそれなりにある。
しかし、張遼は元は馬賊の出と聞いたことがある。
記憶の始まりの頃には一人で馬に乗っていたのだと酒の席で聞いたことも踏まえて、彼女は家族というものを知らないらしい。
それから様々な経歴を得て、董卓軍に拾われる形となったのだが、どこか心の奥底でそういったものを求めているのかもしれないと思った。
「そー言う華雄こそ、悪い気はしてないんちゃう?」
「…………むぅ」
そしてそう言われ、張遼の言う通り悪い気はしていなかったのだと、自分自身でも驚いてしまう。
考えてみれば、先代が生きていたころは当たり前だったものが、亡くなった後はあまりの忙しさにすっかり忘れていたのだ。
先ほどの北郷の一言で思い出したと言ってもいい。
家族。
久しぶりに感じることとなったその感情に、知らず口端がつり上がってしまう。
「ほらな、結局華雄かて笑っとるやんか」
「ふん、否定はせん。……さっさと行くぞ」
にしし、と笑う張遼から顔を隠すように、馬の速度を上げる。
後ろから何か言われる声が聞こえるが、それを無視してさらにその速度を上げる。
だが、奴かて神速の名を得た将である、自分が追いつかれるのも時間の問題ではあるのだが。
若干熱を持った身体に、風が心地よかった。
昼食を抜き、殆ど缶詰になって何とか分別を終わらせることが出来た俺は、帰ってきた張遼と華雄を出迎えた。
特に収穫は無かったとのことだったのだが、何故だか機嫌のいい張遼と、それを戒めながらもこちらの機嫌のよさそうな華雄に、俺は首を傾げるしかなかったのである。