黄巾賊襲来、その報は瞬く間に駆け巡り、石城は騒然の渦へと叩き込まれた。
初めは後漢王朝の圧政から民を救うため、と蜂起した黄巾賊も、いまや略奪暴行殺人なんでも有りの、史上最大規模の賊徒である。
それらの凄惨さを知っている民は、ある者は巻き込まれるのを恐れ逃げ出し、ある者は己の家を守るために兵となり、ある者は全てを諦めた。
その数、およそ五千。
全兵で二十万、信徒も含めれば百万は下らまいと言われる黄巾賊からしてみればその数は遥かに少ないが、それでも石城において即動が可能な兵力が二千ということを鑑みれば、二倍以上となる。
篭城か、出撃か。
どちらの策を取るにしても、勝利以外には安寧を再び得ることは叶わず、民としても己の命を優先として騒然とするのは、至極当然のことと言えた。
「打って出るッ! 賊徒なぞ、我が武にて叩きのめしてくれるわ!」
そして、その対策を練るためにと集った城の広間において、華雄の第一声が軍議の開始を宣誓する。
宣誓と共に槍の石突にて打たれた床は鈍く振るえ、生じた音からよほど力を込めて打ったものと推測された。
陳宮に文字を教わり、呂布に鍛えられ、張遼に警邏に連れられていた俺は、城からの呼び出しに応じ、張遼と共に合議の間へと辿り着き、そこで華雄の声を聞いたのだが。
華雄だけでなく、そこにいる全ての人が俺の知る皆ではなく、武人武将の顔へと変わっており、その空気までもが、引き抜かれた刃のように研ぎ澄まされていた。
「やっと来たわね。早速だけど、軍議を続けるわ。時間が惜しいの」
「すまん、ちょっと荒れとんのがおったんや! 状況はどないな?」
張遼の緊張した声に、つい先ほどまで笑いあっていた彼女の面影はどこにもなく、俺は改めてここが三国志、戦乱渦巻く古代中華なのだと思い知らされる。
そして、彼女たちが作り出す空気は真剣そのもので、状況が予断を許さないものだと、暗に示していた。
俺自身も、黄巾賊が責めてきたという現実と、この広間の緊張感に押しつぶされそうになるのを、丹田に活を入れることでなんとか耐える。
「斥候の報告によれば、黄巾賊の総数は四千から五千。周囲に待機している部隊もないことから、即席に出来上がった部隊、というよりも自然に出来上がった群衆といったところかしら」
「それにしても、ちと数が多いぞ。如何にして対する?」
「決まっております、玄菟殿! 全兵にて出撃し、賊などは蹴散らしてしまえばいいッ!」
徐栄の問いかけに、華雄が勇ましくそれに答える。
とはいっても、少ない日数ながらも華雄がそう言うであろうというのは、浅い仲の俺でも予測出来ていたことだが、ここまで予想通りだというのも凄いものがある。
どことなく、彼女は武、力を信じて疑わない節があるように思う。
どの時代、世界にもこういった人物はいるもので、時には知識、時には金銭、と多種多様に妄信するのだ。
そういった人達はえてして不安定なもので、信じる拠所を失ってしまえば簡単に崩壊してしまうのは、容易に考えれることなのだ。
そんな危険性を感じる華雄を見やりながら、頭痛を抑えるかのように李確が呟いた。
「葉由よ、戦は打って出れば勝てるものではないと、常から言っておろう。敵を知り、己を知って、機に乗じることで、勝利を収めることが出来るのじゃと」
「うぐっ……。し、しかしこのまま篭城すれば、いずれは門を破られ、民にまで被害がッ!」
「じゃからこそ、安易に流れるなと言っておる。幸い、斥候の話ではここに至るにはまだ時間があるとのこと。群衆ゆえに、行軍は統制が取れておらんらしい」
歴戦の将である李確に言い含められ、若干大人しくなる華雄。
その様は噴火前の火山のようで、静かに怒りと憤りを溜め込んでいるかのようである。
それでも、古参の臣である李確には強く出れないためか、その発散場所を求めて瞳を血走らせていた。
そんな華雄に、溜息をついた李確は、軍師である賈駆へと視線を向ける。
「詠よ、何か良い策はあるか? 籠城にしろ出撃にしろ、策無しでは些か厳しいぞ」
「左様、このままいけば苦戦は必至。ねねも、何ぞ策は無いのか?」
「むむむ、うーむ……。ま、まあ恋殿がいれば、策など不要なのですぞ!」
「………………あるわ」
徐栄の言葉に、呂布の武ならばと言い放つ陳宮だったが、それでは先ほどの華雄と同じである。
案の定、徐栄は頭を抱えるのだが、そんな空気を切り裂くかのように、賈駆がぽつりと零した言葉に、その場の皆が反応する。
「本当、詠ちゃん?!」
「とは言っても、こちらの兵数が少ない以上、総力戦になるけどね。ただ、相手の統制が取れていないのなら勝機はこちらにあるわ」
「……詠、凄い」
「この若輩、如何様な命にでもお応えしましょう。して、その策とは?」
董卓に誉められたからか、若干紅潮した頬を隠そうともせずに、賈駆は地図を指さした。
その地点は、両横を山に挟まれながらも、軍が機動するには十分な広さを有している平原であり、黄巾賊が石城に至るには通らなければならない場所でもある。
そこを覗き込む徐晃の問いに答えるかのように、何故か俺を見やりながら、賈駆は自身満々にと言い放った。
「逆さ魚鱗よ」
**
あと数里で石城の城壁が見えるだろうという地点、皆一様に黄色の布を身につけた集団の中に、一人だけ馬に乗る男がいた。
馬元義。
黄巾賊はその内実、二つに分けられる。
結成初期の頃、教祖である張角を筆頭に、張宝と張梁を含めた三人を慕い敬愛し、そして今まで付いてきた黄巾賊。
その初期の黄巾賊の勢いに便乗し、生きるためや己が欲望を果たすためにと合流した黄巾賊。
今や賊徒暴徒と成り果てた黄巾賊の中で、馬元義は後者に分類される側だった。
とは言っても、生きるため、という訳ではない。
村と見ればこれを襲い、子供老人と見ればこれを殺戮し、女と見ればこれを陵辱する。
先に襲った村でもこれを実践し、黄巾賊の手本とも言うべき男である。
そんな彼だが、今はこの集団の指揮をしていた。
というのも、先日ある女から指示されたものだ。
涼州石城において、その地に住む白き衣を纏った男を殺す、他の者、太守である董卓やその軍師の賈駆などは、思う存分に陵辱して遊べばいい、とのことだった。
白き衣を纏った男、などという曖昧な指示ではあったが、女の顔半分を覆う白い仮面に、馬元義は震えを覚えながら頷くしか無かったのである。
「……まあいい。石城は栄えていると聞くからな、女も金も選り取り見取りだぜ」
石城の董卓の下には、優秀な将が多いと聞くが、先の情報ではこちらの半分以下の兵しかいないと聞く。
いかに将が優れていようとも、戦いは数である、負ける要素など探す気になどならなかった。
唯一警戒すべきは、洛陽か西涼からの援軍だったが、要請の早馬を出したという情報もない。
どちらにしろ、明日には石城を指呼の距離にとらえれるのだから、今更では間に合わないというのもあるが。
石城に踏み込んだ後のことを考え笑いが止まらない、そんな時だった。
前衛から伝令が届いたのは。
「董卓軍、石城を出撃しこの先の地にて、布陣しております!」
「魚鱗の陣か……。なるほど、官軍よりは頭のいいのがいるらしいが……無駄なことを」
奉川から石城に至るまでの道程、その途中に董卓軍はこちらを待ち構えていた。
見れば、董卓軍の両横には山が聳えており、側面からの攻撃に弱い魚鱗の陣であるからして、そこには兵が伏してあるに違いない。
かといって、後方に回り込もうにも、層の厚い魚鱗の陣からならば、如何様にも部隊を出すことが出来、それは困難を極めるだろう。
となれば正面攻撃しか手は残っておらず、それならば兵力の差はそれほど関係は無くなる。
地の理を活かした見事な陣形に、馬元義は感嘆すると共に、しかしそこに勝機を見つける。
前方に布陣する董卓軍は、見ればおおよそ千五百ほどか、山に潜む兵を加えても二千には届かまい。
この地においてこちらを待ち構えていたのは、こちらの半分以下の戦力で最大限の戦果を上げる、つまりは勝つために、ここしか無かったのだと推測される。
ならば、策を構えるこの道を外れ、他方から攻め寄せるも良策ではあったのだが、策を逃れれば策に捕まるということを、馬元義は理解していた。
そして、このような策に頼る以上、どちらに向かってもそれが防衛線であり、拒むものはなにもないだろうとも。
「ならば、そのような愚策に付き合う理由もあるまい……。聞けぃ皆の者、これより我らは前方の董卓軍へと攻撃を仕掛けるッ! 数はこちらの方が上だ、恐れることは何もないッ! 強奪殺戮陵辱何でも有りだ、己が欲望を果たせ! 温まりながら享受するしかない軟弱者共に、地獄を見せてやれい! 全軍突撃!」
ならば、全軍をもってそれを食い破ればいい。
見れば、前衛たる部隊には真紅の呂と、黒淵の華の旗があるが、その総数は五百にも満たないだろう。
それを全軍にて一呑みにし、そして後衛をも食い破れば、最早止めるものは誰もいないだろう。
石城へと襲いかかり、そのまま石城太守として天下一統を目指してもいい。
そのついでとして、白き衣を纏った男を殺し、報告のついでに白い仮面の女も襲ってしまえばいい。
女などに使われる自分ではない、逆に自分が女を欲望の捌け口に使えばいい。
最早、負ける要素などどこにもなく、ただただ勝利の二文字を待ち望むだけである。
「ふん、董卓軍恐るるに足らず! このまま石城まで突っ切ってくれるわッ!」
**
「……とか何とか言ってそうね。簡単に想像出来るわ」
「へぅ……。詠ちゃん、いくら何でもそこまでは……」
「いいえ、仲頴殿。俺も文和殿に賛成です」
視界の向こう、ほんの少し行けばそのただ中に身を置ける距離に黄巾賊を捉えたかと思うと、その全軍がこちらへと前進してきた。
結構な余裕を持って布陣をしてるため、あり得ないことではあるのだが、その咆哮がここまで聞こえてきそうである。
一里、日本では四キロメートルであるが、古代中国は五百メートルほどだったらしい。
それだけの距離を、後衛に就く徐栄の部隊から離れ、俺の属する董卓の部隊はあった。
とは言っても、総勢百ほどしかいないこの部隊は非常事態の護衛にしか過ぎず、軍としての兵力はほぼ全てが対黄巾賊へと当てられている。
ほんの少しだけ高地になっているそこからは、その様がよく見えた。
「予想通り、全軍で恋と華雄の部隊に当たってくれたわね……。伝令、全軍に指示を。予定通り、少しずつ後退していってと伝えて」
「はっ!」
賈駆が呼ぶやいなや、近くにいた兵が頭を垂れ、その指示を仰ぐ。
かと思うと、すぐさまに近くに留めてあった馬へと乗り込み、前衛へと駆けていった。
うぅむ、そのうち俺がこういったのを纏めるのか……まずは馬に乗れるようにしなければ。
乗れなければ話にならないと言われ練習しているのだが、連敗続きの乗馬訓練を思い出し、心なしか尻と背中が痛んでくる。
「恋さんと華雄さん、大丈夫かな? 怪我とかしてなければ……」
「大丈夫でしょ、あいつらなら。ねねも付いてるんだし、指示通り動けているみたいだしね」
言われてみれば、伝令が届いたのか徐々にと後退していくのが見える。
呂布はともかくとして、猪突猛進を描いたかのような華雄が、よく指示を理解出来たなと思ったりもしたのだが、決して面と向かっては言えまい。
冗談無く、首が宙を舞いそうで怖い。
ともかく。
魚鱗の形のままに後退していく様に、董卓軍がよく調練されているのが分かり、その将の指示も的確なことは理解出来た。
いやそれにしても、今度陳宮に華雄の御し方を聞いておこう、仕合と言う名の虐待を止めてもらえるように、うんそうしよう。
そんな董卓軍の動きとは対照的に、逃げていく餌を追いかける魚の如くの黄巾賊は、段々とその体勢をを細く長くと変形させていく。
統制が取れていない故のその変化は、必然的に呂布と華雄が当たる黄巾賊の兵数が減ることを意味していた。
統制が取れていないとは、何も軍としてのものだけでない。
ここで、黄巾賊の成り立ちが関わってくるのだが、彼らは大まかに生きるためにという人々と、欲のためにという人々に分けられる。
どちらにしても賊徒ということに変わりはないが、目の前にいるのは中華最強の武である呂奉先と、董卓軍最強の部隊を率いる華葉由である。
生きるためにという人々はその命を惜しむために後退する董卓軍を追う速度を緩め、欲のためという人々は、将であっても美女美少女である呂布と華雄を得ようと、その速度を速める。
結果、先ほどまで密集して呂布と華雄に当たっていた黄巾賊はその体勢を崩すこととなり、欲のためという人々が前衛、生きるためという人々と本体が後衛という形に分割された。
そう、五千の兵が半分、二千五百ずつへと。
それを待ち望んでいた賈駆は、その変化を見逃すはずもなく、すぐさまに伝令を呼び出す。
「両翼の張遼、徐晃へ伝令! 件の如し、とな!」
「ははっ!」
「月、時は今しかないわ、命令を!」
「うん……。全軍、反撃!」
賈駆の指示と、董卓の反撃の声。
それを待ち望んでいた董卓軍は、すぐさま行動を開始する。
初め、こちらを飲み付くさんとした黄巾賊を、今度はこちらが飲み尽くすように動き始めたのだ。
後曲両翼に位置していた張遼と徐晃の部隊は前進し、呂布と華雄の部隊を追い越す。
そしてそのまま黄巾賊の両側へと出るやいなや、すぐさまにその側面へと攻撃を開始した。
呂布と華雄は間を空け、その隙間には損傷していない徐栄の部隊が埋まり、そこを基点に反撃を開始する。
空いた隙間から攻め寄せようとした黄巾賊は徐栄の部隊に蹴散らされることとなり、群衆から離れ出て突出した者達は、張遼と徐晃から横撃を喰らいて撃破されていった。
魚鱗の陣を逆さにすることによって、瞬く間に鶴翼の陣へと変化させる。
賈駆の指示によって、張遼が俺を試した際に答えた逆さ魚鱗の陣、それをさらに改良させた今回の策、逆さ魚鱗の計。
鬼謀神算、賈文和が編み出したそれは、今まさに黄巾賊を食らいつくさんとしていた。
**
「馬鹿な……っ! あり得ん、認められるかこんなことがァッ!?」
先陣壊滅。
董卓軍二千を覆い尽くすためにと突出していた黄巾賊二千五百は、魚鱗の陣から鶴翼の陣へとその姿を変えた董卓軍によって包囲され、その多くを討ち取られることとなった。
賢明に奮戦した者もいるらしいが、生き残った多くは投降し、初め五千あったこちらの兵力も、いまや半数以下へと数を減らしてしまっていた。
「董卓軍、反撃と共に前進しておりますッ!」
「分かっておるわ、そんなことッ! 後退だ、後退せいッ!」
嵌められた、そう嘆く前に馬元義は後退の指示を出す。
その数を大きく減らしても、それでも董卓軍よりは多いのだ。
その中からある程度を壁にすれば、この地を脱することも叶うだろう。
しかる後に、再び兵を集め他方より攻め寄せるもよし、別の土地にて同胞に合流するのもいいだろう。
そんな未来予想図は、しかして後方からの悲鳴に破られることとなる。
「ば、馬元義様! こ、後方に……」
「今度は何だっ!? 後方に何が……」
混乱の最中、慌てるように駆けつけた伝令の言葉に、これから撤退するであろう後方を見やる馬元義。
その視界の先、既に対陣した地点から大きく離れた見えたそこには、両横の山から下る軍勢が見られた。
戦の初めに、兵を伏しているだろうとした山からである。
その予想は的中したことになるのだが、失念していたことも含めて、この時ばかりはそれを恨んでしまう。
飾ることのない、白地に李の文字。
董卓軍最古参の将として徐玄菟と対を為す、李稚然の旗印。
己を飾ることなく、主を支える忠を示すための白地の旗は、しかして黄巾賊にとっては黄泉送りのための使者にしか見えることはなく。
ここに、黄巾賊は全方位を囲まれることとなったのである。
「ぐぬぬぬぅ。 全軍反転し、一気に駆け抜けるぞッ! 者ども、続――」
「させない」
「けぇぇ……ぇ?」
そして、反転し後退しようと馬を返した馬元義は、そのままに駆けようとし。
不意に後ろから聞こえた声に、違和感を感じてしまう、否、感じてしまった。
動かそうとする体の感覚が消え、もどかしさを感じてしまう。
気怠いような、それでいて睡魔に襲われたか如く朦朧とする意識の中で、視界に先ほどまで自分の身躯だったものが映り込み。
まるで滑るかの如く、己が何をされたのかさえ理解出来ぬまま、馬元義の首は地へと転がり落ちることとなった。
「……敵将、討ち取った」
それをなした赤毛の少女、呂奉先は再び無造作に戟を振るう。
力でもなく、技でもなく、ただそれが当然かのように振るわれた戟は、その軌道上にあった悉くを切り伏せることとなり、周囲には首と鮮血が舞った。
そして事ここに至って、黄巾賊は自分達が最早攻めることも退くことも出来ないのだと気づくに至り、逃散する者、投降する者、反撃する者とそれぞれが動くこととなった。
そうなってしまえば、先ほどまで群衆だった黄巾賊は最早烏合の衆と成り下がる。
そんな黄巾賊が組織的な行動を行える筈もなく、董卓軍の徹底した攻撃によって、実に二千余名が討ち取られ、千五百名ほどが投降することとなった。
こうして、石城周辺における黄巾賊との戦いは、董卓軍の電撃的な勝利という形で幕を閉じ、董卓軍は周辺地域においてその武名を知られることとなる。
それは都である洛陽を始めとして、西涼、荊州、揚州、幽州、豫州と各地において広められ、各地にて割拠する数多の群雄にも知られることとなる。
そしてその情報には、ある一つの噂が付き従うことになる。
北郷一刀が、そして董卓軍の面々がそれを知るのは、黄巾賊との決戦を目前に控えた時だったりするのだが、この時の彼らには想像だに出来る筈もなかったのだ。
**
そんなこんなで、倍以上の黄巾賊を打ち破った董卓軍は、石城の民の熱狂にて迎えられることとなる。
十倍以上もの黄巾賊を押しとどめた呂布に華雄、その部隊を巧みに操った陳宮。
神速を以て黄巾賊に痛撃を与えた張遼に徐晃、そして徐栄。
そして最後の止めとばかりの李確の軍勢。
それらを束ねた董卓に、策を投じた賈駆もまた熱狂の渦に巻き込まれる形となり、彼女達に従う俺もまた、済し崩し的にそれを余儀なくされた。
いや、凄いね人の波って、乗車率四百パーセントの電車に乗るインド人の気持ち、よく分かった気がします。
人の波に飲み込まれた兵を置いて、首脳陣だけでなんとかこうにか城にまで辿り付くことが出来た俺たちは、早速広間へと集まり軍議を起こす。
「此度の勝利、皆さんの頑張りのおかげです。本当に、お疲れ様でした」
「いやいや、月様だからこそ皆従い戦ったのです」
「父上の言う通りです、月様。この徐公明、月様と石城が民のため、これからも励みたいと存じます」
その場にいる全員の気持ちを代弁した徐親子の言葉に、董卓はもう一度頭を下げて慰労の言葉を残す。
その言葉に、人それぞれに応えているのだが、俺としては特に何かを成した訳でもないため、それに応えることはなかった。
「それで、捕らえた黄巾賊は如何なさいますか? ちと、数が多いですが」
「それについては、軍役を望むものは兵に、それ以外は希望を聞いて必要な物資を配給することにするわ。特に何も無ければ畑を耕してもらおうかしら」
「なるほどな、軍備増強と働き手の確保、両方やろうちゅーわけか。新兵の訓練は華雄か?」
「ええそう。ここもそれほど裕福という訳ではないし、いつまた黄巾賊が襲ってくるかは分からないからね。頼める、華雄?」
「任されたッ! 早速草案を練ってくるゆえ、先に失礼する!」
本当に今日一戦してきたのだろうか、そんな疑問を有するほどの勢いで広間を出て行った華雄の背中を見送って、再び広間へと視線を向ける。
戦場では鬼神の如くな呂布が舟を漕ぎ始めた以外は通常であり、そんな彼女にしょうがないといった顔をしながらも賈駆は続けた。
「明日からは各部隊の被害状況を纏めて、必要な物資や兵があれば早めに申告すること。霞は周辺地域に偵察を派遣するのも忘れないで。……他に何かある? 無ければ、今日の所は解散ということで」
賈駆も疲れているのだろうか、よくよく見てみれば疲労の色が見て取れる。
まぁ、確かに出撃が決まって不眠不休で働いていたのは知っているのだが、元が元気そうなだけにすっかり失念していた。
急かすように周囲を見渡す賈駆から視線を外せば、皆同じように疲労を感じさせていた。
……なぜ、華雄だけがあれほどまでに元気なのか、謎なところではあるが。
そして、誰からともなく頷いたかと思うと、いつの間にか暮れていた日に従うが如く、その場は解散となったのだ。
「だからと言って、眠れるわけでは無いんだよなぁ……」
と呟きながら、城壁に至る階段を上っていく。
俺がしたことと言えば、逆さ魚鱗の計の元案となった陣形の提案と、戦の最中に周囲に気を配っていたことぐらいだ。
戦闘に関わったわけでもないし、かといって走り回ったわけでもない。
何にもしていない、それこそ口を出しただけである。
「うーむ、酒でも飲めればいい感じなんだけど……」
敢えて言おう、俺は下戸です、一杯呑めればいい方です。
祖父は根っからの酒飲みで、それこそ水の如く飲んでいたのだが、俺は母親に似たのか殆ど呑めない。
父親はそれなりに呑めたらしいのだが、今更言っても始まらない。
仕方なく、夜の海に沈む街並みでも眺めるか、とらしくなく詩人のように考えた俺だったが、城壁の上に見知った顔を見つける。
向こうも俺に気づいたみたいで、こちらに近づいてくるのだが、その髪と雰囲気が薄く輝く月に映えて、一つの芸術のようであった。
「どうされたんですか、北郷さん?」
董仲頴、董卓軍の長たる少女が、そこにいた。