「ハァァァァァァァッ!」
裂帛の気迫と共に繰り出された一撃は、防御にと構えた槍に当たることなく俺の横腹へと打ち付けられたかと思うと、勢いそのままに俺の身躯を宙へと放り出してしまう、否、吹っ飛してしまう。
幾度か地面を転がり、痛みにもんどり打ちながら声にならない絶叫を上げるが、俺を吹き飛ばした張本人は、さして気にすることもなく仁王立ちで言い放つ。
「北郷よ、これしきで音を上げられては、月や詠を任せる訳にはいかん! さぁ、続けるぞ、立てっ!」
「まぁまぁ、華雄。ちったぁ手加減ちゅうもんもせな、北郷が死んだら元も子もありゃせんのやで?」
いきり立つ華雄へと、少し落ち着けとばかりに張遼が口を挟むのだが、一つだけ言わさせて貰いたい、お前が言うな。
先日散々に打ちのめして置きながらそんなことを言うのか、と恨みを含んだ視線を張遼へと向けるのだが、気付いているのかいないのか、何処吹く風といった顔で知らぬ存ぜぬを押し通される。
まあ、初めから期待などしてはいないのだが。
不意に、後ろからくいくいと袖を引かれる。
そちらへと顔を向ければ、先日広場で出会った肉まんの君、ではなく、中華最強の将である呂奉先と名乗った少女が、こちらへと視線を向けていた。
「…………次……恋とする。……手加減………………する?」
「うぉい、疑問系ッ?! 手加減してくださいよ、奉先殿!」
張遼の言葉に手加減の必要性に気がついたのだろうが、華雄の言葉に別にいらないと思ったのか。
既に一度手合わせはしているのだが、その時には手加減などしていなかったのだろうか、いや多分してなかったんだろう。
開始、の言葉と共に吹き飛ばされていたのは、恐らくそういう意味なのだろうから。
お願いしますよ、と懇願する俺の願いを聞き届けてくれたのか、一つ頷いた呂布は、俺を引っ張って立たせると、少し距離を取って構えた。
「ほほう、やはり若さはいいですな。呂将軍や華将軍の一撃を受けて、尚立ち上がれるとは」
「稚然よ、やはり北郷殿はこれからの成長が期待出来る中々の御仁。これで先代様夫婦にご報告が出来るな」
そんな喧しい俺たちから距離を取りながら、李確と徐栄はのんびりと茶なぞを啜っていた。
一体何の報告なのか、そもそも先日から合格だのと一体何のことなのか、こちらを見る二人に、俺はとりあえず一言言いたい。
いい加減止めてください、助けてください。
「……余所見……危ない。…………いく」
「えっ!? ちょ、奉先殿、ちょ待ッ! ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
そして、中々構えようとしない俺に業を煮やしたのか、一言断りを入れて、呂布が仕掛けてきた。
断りとは言っても、殆ど言うと同時であったため、あまり意味など無かったが。
さらには、少しの間に忘れてしまったのか、手加減という言葉などどこにも見あたらないその攻撃に、俺は再び吹き飛ばされ、地面を転がっていく。
「ぐぅ……ぁぁぁぁああぁぁ……」
肺に衝撃が伝わったのか、数度咳き込みながら、打たれた箇所を手でさする。
ずきりと痛みはするが、折れている風でも裂傷になっているわけでもない、さすがに全力ではなかったのだろうと、心の中でだけ感謝する。
というか、あの呂奉先が本気で来れば、いくら訓練用に刃を潰した槍とはいっても、簡単に首ぐらいなら刎ねられそうで怖い。
後に、出来ないことはない、と彼女自身の口から聞くことになるのだが、今は、とりあえず胴体が繋がっていることを喜ぶべきなのだろう。
首に当たっていたら折れていたのかと思うと、背筋に冷や汗が流れ、下腹部が縮み上がる。
「大丈夫ですか、北郷殿?」
有り難や有り難や、と一人命の大切さに喜んでいると、吹き飛んだ俺を心配してか、一人の少女が声を掛けてくる。
「あ、ああ。大丈夫……だと思いますよ、公明殿。少なくとも、胴が繋がっていますからね」
「……成る程、それだけの軽口が言えるのならば、さして問題は有りますまい。では、次は私がお相手をいたしましょう」
「ええぇぇっ!? 徐公明様の武はさすがに私では如何ともし難い……」
「問答無用です」
「ぎゃぁぁぁぁぁ!」
そう言うやいなや、少女、徐晃は大斧の重さを似せた槍を事も無しげに軽く振るう。
たったその一振りの風圧で風が生じるほどの威力に、俺はどうしてこうなった、と現実逃避をするほか無く。
何故今こうして三国志が誇る豪傑達と手合わせをしているのか、と昨夜のことを振りかえることでしか、目の前に迫り来る、主に俺の命と精神の危機をやり過ごす策が浮かばなかったのだ。
**
ええと、何か数日前にも似たような感想を述べていたと思いますが、それでも言わせてもらいたいのです。
大体予想はしていましたが、ここまでの現実は如何かと存じます。
「姓は徐、名は栄、字は玄菟と申す。稚然と共に先代様より董家に仕えておりますゆえ、此度の件、真に有り難く存じます」
賊討伐から帰ってきたばかりだからか、所々傷のついた鎧を着込んだ中年の男性。
俺の知る歴史の中で、反董卓連合軍との戦いの中、多くの戦功を上げた武人が恭しく頭を下げてくる。
穏和そうな笑みだった李確とは違い、鎧以外にも顔や手足にいくつもの傷を持つその人は、歴戦の武人といった風であり、知らずその風貌に威圧される。
「ふむ、まぁ要検討、と言った所か、稚然」
「そうさな。幸い、これから時があればこそ、北郷殿の人となりというものも見えてくるしのぉ」
先日は李確だけだったのが、今日はそれに徐栄までついて上から下まで眺められる。
っていうか何要検討って?
前回の合格点と言い、一体何がしたいんですかあなたたちは。
「姓は徐、名は晃、字は公明と言います。徐玄菟が一子にして、若輩ながらも副将軍職を務めさせて頂いております」
灰色を基調とした鎧を、急所を守るように着込み、それに彩りを添えるかのような腰まである金髪の少女は、後に魏の五大将軍として名を馳せた徐公明と言う。
すらりとした長身に、きめ細やかな金髪がよく映えており、目鼻立ちの整った容姿には見惚れるものがあった。
今まで見てきた女性武将の中でも異質、いやいやこちらが正解なのだろうが、男性と対して変わりない鎧を着込んで尚、その華やかさは見て取れる。
「ねねは陳宮、字は公台なのです! 恋殿の軍師の座は渡さないのですぞ!」
少し大きめの外套と帽子を整え、声高らかに宣言した少女は、その拍子にずれた帽子を慌てて押さえた。
陳公台と言えば、初め曹操に仕えたが後に叛逆、当時曹操と敵対関係にあった呂布に従い、最後まで仕えたとされている。
曹操も、裏切られながらもその知謀を評価しており、彼の死に涙し、その縁戚を厚遇したという。
歴史的にはかなりのズレが生じているのだが、元々、男性武将が女性になっている世界である。
それぐらいの差異もあるものと、一刀はそれに突っ込むことはしなかった。
「…………呂布。…………恋でいい」
そして、つい先ほどに広場で出会った肉まんの君。
彼女と肉まんを頬張っている時に陳宮に見つけられ、そのまま城へと連れてこられたのが今の状況の始まりなのだが、そんな空気もお構いなしに呂布は増量された肉まんを頬張っていた。
相も変わらず、もきゅもきゅとか音をさせて。
否、なんか呂布の周りにそういう字が見える気もするのだが、まぁ気にしないでおこう。
とまあ、名だたる武将の殆どが女性というこの世界の事実に、俺はまたしても打ちのめされることになった。
っていうかこの調子でいくと、ゲームや漫画でよく知る三国志の登場人物は、殆どが女性だと思っていたほうがよさそうだ。
先日、曹操や劉備も女性では、と思ったことが、厭に現実味を帯びてしまったのである。
とは言うものの、今の段階で未だ会ったこともない人物達のことを考えても、埒があかない。
女性であってもおかしくはないと、前回と変わらぬ結論だけを、頭の片隅に残しておくだけにしておこう。
「さて……、これで全員と顔を合わせたことになるわね」
やれどこから来たのだの、やれその服が綺麗だの。
先日顔を合わせた李確や張遼、華雄も含めた董卓軍としても中枢である人物達がその場に集っている中で、質問攻めにされていた俺は、賈駆のその一言で解放された。
というか、そもそも俺がこの場にいる理由が思いつかないのだが。
まさか、今更滞在費として使用した金を働いてでも返せ、とは言うまい。
なるべく使わないように、と節約したのだが、商人から情報を得るのに関して、一番手っ取り早いのは品物を買うことである。
どれがどれぐらいの値段、なんてことはこの世界に来て間もない俺には分かるはずも無かったが、それでも肉まん一個の値段を元の世界の肉まんの値段で換算すれば、結構な額を使っていることになる。
それも、対して使いそうにない品物ばっかり。
大体のものは、宛がわれた部屋へと置いているのだが、一回も使ったことのないものばかりなのである。
……うん、返せと言われても、おかしくはないな。
「みんな色々あるでしょうけど、軍議の前に一つだけ。……月」
「……うん」
そんな賈駆と董卓のやばいどうしよう、と今更ながらに慌てる俺だったが、返す当てがあるはずもない。
肉屋のおばちゃんにバイトで雇ってもらおうか、などと本気で悩み出だした俺は、董卓がそれまで座っていた玉座から立ち上がったのを視界の端に見つけ、不意にそちらへと意識を取られる。
そして、勢いよく頭を下げながら董卓が放った言葉は、俺にとって予想外な方向へと事態を動かした。
「北郷一刀様、どうかこの地に留まって、我々にお力をお貸し頂けませんか?」
「…………………………は? ええぇぇぇぇぇぇぇっ!? ちょ、えっ何でっ?!」
「うるさいわね、いいから少し落ち着けってのよ」
「ほれ、北郷、深呼吸や。吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー」
ええ何がどうなってんの、と慌てふためく俺。
つい先日にこの世界にわけも分からず放り込まれ、その世界が三国志、しかも武将の殆どが女性で、この世界に来た途端死にそうになったり、助けた女の子が董卓でイメージとは全く違って。
そして今また、その董卓が自分達の仲間にならないかと誘ってくる。
流れに流されっぱなしの急展開に、思考と理解が追いつくわけもなく、とりあえずは落ち着くためにもと、そんな俺を見かねた張遼の指示通り、深く呼吸をする。
「すー、はー。すー、はー。すー、はー」
「ひっ、ひっ、ふー。ひっ、ひっ、ふー」
「ひっ、ひっ、ふー。ひっ、ひっ……って、これ深呼吸じゃねえっ!? ちょっと文遠殿、何をさせるんですか!?」
「はっはっはっは! 北郷、自分おもろいやっちゃなぁ! くくくく」
張遼の後を追うように始めた深呼吸だったが、釣られてした呼吸に、騙された、と思ったときにはすでに遅く。
深呼吸から何故かラマーズ法へと移行していた俺を笑うかのように、腹を押さえ爆笑していた張遼を睨む。
だが、その場にいたのは張遼だけではなく、当たり前ではあるが、その場にいた全員にそれを見られることとなってしまった。
陳宮は何がそこまでおもしろいのか、地面を転げ回り、徐晃は必死で笑わないように顔を背けて。
李確と徐栄は大声を上げないこそ、その肩は震えており。
唯一、呂布と華雄が笑わずにいたが、華雄は何がおもしろいんだと頭をひねっていたし、呂布に至ってはただひたすらに肉まんを頬張っていて、話自体を聞いていたのかも怪しいものだった。
端に控える武官や文官、侍女達にも笑われてしまい、もはや俺に残された手は、元凶となった張遼を睨む他しかなかったのである。
それはともかくとして、董卓の提案は、現状を打破しえるものかもしれない。
今みたいに自由に動くわけにはいかなくなるだろうが、組織の中にいなければ見えないことも出てくるだろう。
また、このさき生きて行くにしても金銭は必要であり、さすがに全てを出してもらうわけにはいかない。
となると、継続的に給金が与えられる職に就き、それを足場として情報を集めた方がいいのではないか。
そもすれば、やはり董卓の提案は、首を縦に振るに値するものがあるのかもしれない。
さらには、ここ数日見て分かったことだが、ここ石城には文官が足りない。
今この広間にいる面々にしたって、軍師にしても賈駆と陳宮しかおらず、文官自体の数も武官の半分ほどしかいない。
文字は読むことは出来なかったが、ようは古い漢文である、勉強すればどうにかなるかもしれない。
「どう、結論は出た?」
張遼達と同じように笑っていた賈駆だったが、幾分落ち着いたのか、まだ少し口端をひくひくと震わせながら、問いかけてくる。
それでも、そのまなざしは真剣さを含んでおり、その心中では俺が断った時に次の一手、或いは承諾した後の策略が、目まぐるしく構築されているのだろう。
傍らに座る董卓も同様であり、こちらを伺う眼差しは至極真剣なものであり、俺の言葉を今かと待ち続けていた。
「……俺は、異国から来て、いつかは帰らないといけません」
そんな董卓の視線に押されるかのように、自然と言葉が口から零れ落ちる。
自分から発さなかったのは、おそらく、心のどこかで恐れてるのだろう。
俺の知る歴史と違えど、今ここに時間が流れている以上、この瞬間も後に歴史として紡がれていくのかもしれない。
この世界にとって異端である俺が歴史に登場する、それが如何に危うく、この時代にどんな流れを生み出すのかは、計り知れないのだ。
歴史の特異点としてはじき出されるかもしれない、形を保てなくなった世界が崩壊するかもしれない。
だが、俺という存在がこの世界に在る以上、もはやなるようにしかならないのも事実。
異端である俺が死んでしまえば、それだけでこの世界にとって矛盾となるのだから。
それに――
「故に、それまでの期間で宜しければ、若輩ながらもこの身、存分にお使い下さい」
――差し伸べられた手を払いのけるほど、俺は人間として腐っていないつもりである。
そこ、腐男子とか言うな、それは違うぞ意味合い的に、俺は断じてそんなものではない。
**
その後、護衛兼伝令兼使いっ走り兼奴隷、とかいう訳の分からない、というよりは聞きたくはなかった役職を董卓と賈駆から任じられ、その翌朝に華雄に呼び出されたのが運の尽きだったのか。
華雄曰く、護衛役の人間の武を計らないことには将軍として前線に行くのは不安である、との理由から開催されてしまった俺対豪傑との手合わせではあったが、悉く惨敗、むしろ生きているのが不思議なくらいである。
呂布と三、華雄と四、張遼は先日のこともあって二、徐晃に三、李確と徐栄が一ずつと手合わせを行ったのだが、呂布と華雄に至っては手加減という文字を知っているのかどうかさえ怪しく、その全てが一撃で吹き飛ばされるという敗北だった。
李確と数合打ち合えたのが最大で、張遼と徐晃は多くて三合、酷いときには初撃で破れ、徐栄に至っては明らかに手加減されながらも、その老練な技術に翻弄されたのだ。
もはや獲物を持てない程に打ちのめされ、大の字に身躯を投げ出した俺はへとへとで、未だ動き足りないのか、華雄は呂布と戟を打ち合っていた。
なんていうかあれだな、自分に向けられないのだったら見えるかと思ったけど、無理。
視認する速度と体感速度には、その見方によって若干の違いが確認できる、なんて何かで読んだ気もするが、あそこまで行くと全くもって意味がない。
打ち付け合う甲高い音だけが聞こえ、その動きには目が追いついていかない。
突き、なぎ払い、打ち付け、突き上げ、と意識している間に、どんどんと展開は進んでいくのだ。
「ありえない……。何なんだ、アレ……?」
「そうかぁ? ウチからしてみりゃ、こんだけ喰らってまだ意識のある北郷の方が信じれんけどなぁ」
「そうですぞ、北郷殿。儂らなど、もはや手合わせをしようなどとも思わんのですからな」
「お前と一緒にするな、稚然。とは言うものの若い頃ならともかく、歳をくった今では、恋殿や華雄殿、張遼殿には敵いもしませんがな」
「……すると父上、私には勝てるとでもお言いになると?」
「うっ! むぅ……琴音にも勝てんのか……」
華雄と呂布の剣戟音を聞きながら、娘に頭の上がらない徐栄に、笑い声が上がる。
申し訳ないと思いつつも、俺も久方ぶりに笑ってしまい、じろりと徐栄に睨まれ慌てて抑えた。
「……朝から騒がしいと思ったら、あんた達だったのね」
「ああ、文和殿。おはようございます。それに公台殿も」
「おはようなのです……ふわぁぁぁぁ」
顔を洗ってきたのだろう、眼鏡の位置を直しながら現れた賈駆に、眠たげな眼をこすりながら現れた陳宮だったが、その欠伸でずり落ちそうになった大きな帽子を支え、頭に乗せてやる。
うぬ、とか未だ寝ぼけているために、何が起こったのかは分かっていないだろう。
俺は苦笑しながら、賈駆へと視線を向ける。
「それにしても、二人とも眠たそうですね」
「……あんたが参加するに至って、文官や軍の編成について、いろいろと考慮しなければいけなかったのよ。指揮系統や伝令班のこともしないといけないし、頭が痛いわ」
「それは、まぁ……実に申し訳ない」
そんな苦笑も、暗に俺のせいだ、と言外に責められ、引っ込めざるを得ない。
昨夜、承諾の意を示した俺は、護衛兼伝令兼使いっ走り兼奴隷などという役を頂いた訳だが、その内容には様々なものがあった。
一つ。
戦場においては、本隊である董卓と賈駆の護衛を任とし、指示があるまではそれを遂行する。
二つ。
伝令班の統括、ようするに班長としてこれを指示し、前線の各隊へと軍師の指示を送る。
三つ。
多忙で身を空けることの出来ない董卓と賈駆に代わり、その欲するものを買い求める。
四つ。
平時において、指示が無ければ街の警邏を任とし、指示が入りしだいこれを優先とする。
五つ。
賈駆の奴隷として、彼女の指示に従い、これを崇める。
まぁ他にも細かいものがたくさんあるが、概ねこんな感じである、一部意味不明なものもあったが。
伝令班の班長と言うのも、何の実績も持たない俺が董卓や賈駆、他の将軍達と共にいるのはおかしいだろうということで、臨時に創設した役職である。
ただ、伝令と言えば将の周囲にいる軍兵が偶々その任に就くのが一般的ということもあり、現時点では特にすることはないのだが。
現時点で、というのはこれから勢力が大きくなっていき、戦の規模も大きくなるに伴って、伝令を専門とした部隊を作ることは賈駆や陳宮が元々考えていたことらしく、この世界に慣れたら部隊創設を手伝うということになっている。
将来的には、偵察にもこの伝令部隊を用い、ある程度の戦闘も可能な部隊を作りたいとのことらしい。
そんなこともあって、俺がいてもおかしく状況が作られた訳なのだが、こう叩きのめされてしまうと、それで本当に良かったのかと疑問に思えてくる。
「みなさん、おはようございます」
「おはようございます、仲頴殿、ではなかった仲頴様」
「…………」
「……あの、仲頴様?」
そんなことを考えていると、不意に背後から声がかかる。
とは言っても、春夜の月光が如く柔らかいその声の持ち主は、俺の知る限りでは董仲頴しかいないのだが。
麾下になったということもあって、殿ではなく様呼びになったのに不服なのか、見上げられる形で睨まれてしまった。
図らずも、美少女から、である。
その破壊力は凄まじいものがあり、睨む、というよりは拗ねると言ったほうが近いその有様に、俺は押されてしまう。
「……仲頴様?」
「…………」
「……仲頴様…………はぁ、仲頴殿」
「はい、おはようございます。北郷さん」
最早どうにもならん、と仕方なく、本当に仕方なく董卓の無言の圧力に屈してしまったのは。
抵抗出来るか、いや出来るはずはなかろう、段々とまなじりに涙を溜め、その頬に紅が差していくのである。
もはや、直視出来たものではない、しかし、視線をずらせば何故か負けた気もする。
そんな俺に打てる策は既に無く、不承不承と呼び方を変えるしかなかったのである。
呼び方を変えたところで、ぱぁぁっと変貌した董卓の笑顔である。
反射的に俺は視線をずらしてしまっていた、だがこの場合は仕方がなことだろうと、声高らかに主張したい。
とりあえず色々やばい、俺の精神状態が。
そんな俺に気がついたのか、それとも呼び方を戻したのが気に入らなかったのか。
ふと視線に気づくと、今度は賈駆が睨んでいた、否、蔑んでいた。
明らかに両者であろうが、賈文和なら気づいて欲しい、あのような董仲頴には決して敵わないでしょうと。
あっ、目を逸らした。
「………………恋、お腹すいた。…………ねね、一刀も」
「あっ、えっ……!? ちょっと、奉先殿?!」
「恋殿早く行こうなのですよ! 奴隷、仕方がないから貴様も来るのです!」
何時の間に近寄っていたのか、不意に腕を拘束されて、半ば引きずられる形で食堂へと連れて行かれる。
見れば、先ほどまで呂布と手合わせをしていた華雄は倒れており、その肩は大きく動いていながらも悪態をつく元気があるので、意識はあるらしい。
とはいっても、あの呂奉先にぼこぼこにされたのなら、しばらくは動けないかもしれないなと思い、後でまた覗いてみることにした。
それはさておき、奉先殿、腕を抱えて引っ張るせいで当たっています、。
何が? それは言わぬが仏かと。
そして、呂布を先頭に、みんな揃ってぞろぞろと食堂を目指すころには、朝食の香ばしい匂いが、俺の鼻腔へと届いていた。
**
涼州石城において、北郷一刀が叩きのめされる数刻前。
その地より遠く離れた緑茂る山中において、暗闇の中に人がいた。
色こそ闇夜に紛れて判別が難しいものの、そのゆったりとした服は動きを阻害しないように作られているのか、その佇まいにも隙がなく、周囲と同化するようであって一つの刃物のように張り詰めていた。
「ただいま戻りました」
不意に、背後から声がかかる。
凛としながらも透き通り、どこか甘さを漂わせるその声は年若き女子のものであり。
その声を発したであろう女子は、頭垂れるかのよう片膝をついていた。
それは、従者の主に対して礼のようであり、それ自体は間違っていないのだろう、その女子の言葉に、それは満足気に頷いた。
「ご苦労だった……。して、奴らはこちらの言うことを聞いたか?」
そして、そう答えた声は力強くも耳に響く男のものであり、その雰囲気と相まって一層刃物らしくあった。
「はっ、ご指示の通りにしましたところ、思うところはあったのでしょうが、承知したとのことでした」
「そうか……。概ね、こちらの予定通りというところ、か」
「…………しかし、あのような者達などに頼らなくとも」
しかし、男の言葉に不満を隠すことなく答える女へと、男は苦笑混じりに答える。
「仕方が無いだろう。少なくとも、俺が手を出すわけにはいかん」
「それは……承知しておりますが」
徐々に小さくなっていく女の声。
それを置き、男は闇に染まる前を見据え、そこにある何かを掴むかのように手を伸ばす。
「どちらにしろ、全ては動き始めた……。最早、止めることなど出来ん」
そして。
男はその両手を広げたかと思うと。
衆に告する王のように。
物語の開幕を、宣言した。
「全ての時は動き出したッ! 北郷一刀よ、この新たな外史で、貴様はもがき苦しみ、そして消えるのだッ!」
全てが闇夜に染まる空間の中にその声は消えていき、後に残ったのは、虫も鳴かぬ静寂と、それを表現するかのように妖しく煌く、男の顔半分を覆う白い仮面であった。
**
俺が董卓配下となって、数日後。
文字を学び、護衛として動けるようにと連日の如く叩きのめされていた俺は、何かに急かされるように駆け込んできた伝令によって、騒然の渦に巻き込まれることとなる。
黄巾賊襲来、賊目指すは涼州が石城。