「駆けえッ、燃やせえッ! うちらのここでの働きが、勝ちに繋がるんやッ! 気張れやッ!」
「応ッ!」
喚声や怒号、そして悲鳴が響き渡る戦場の中、張遼は周囲に付き従っていた騎馬に指示を下しながら、腰に付けていた拳大の壺を炎の中へと投げ入れた。
既に先に伏兵としていた部隊――北郷が雇い入れた忍という部隊が、連合軍を構成する諸侯の大半の兵糧へと火を放っている。
その被害がどれだけのものになるかは分からないし、現状で把握しようとも張遼は思わなかったが、それでも、この炎によって連合軍が大きな被害を被ることだけは理解出来た。
「くそッ!? 相手はたかだか数千ほどの兵なのだ、ここで押しつぶせぇッ!」
「し、しかしっ、炎に巻かれた兵糧を確保しなければ、我々は餓えて戦うことに……」
「ちいッ、ならば半数は兵糧を死守せよッ! 残りの者達は、ここで董卓軍を食い止めるのだッ! そのまま押しつぶしても構わんッ、奮戦せよ!」
だからこそ、自分達の被る被害を出来るだけ少なくしようと動く連合軍の兵達に、張遼は馬を駆けさせて切り込んでいく。
大いに混乱した連合軍であったが、さすがと言うか何というか、その立ち直りは意外の他に早い。
この辺りは各軍からの将が多いという利点である、と事前に賈駆と北郷から伝え聞いていた張遼は、ならばと立ち直りかけた者達から斬りつけていく。
ヒュン、と。
こちらを確認したのか、上段に剣を振りかざして切り込んできた兵の首を、飛竜偃月刀を軽々と振ることによって跳ね飛ばす。
その首を失った骸がどうなったかなど意識するまでもなく、振り切った飛竜偃月刀を即座に切り返して自らが駆る愛馬に向かって突き出されていた槍を弾き飛ばし、それを成そうとしていた者の腕を斬り飛ばす。
瞬間。
自らへと向けて放たれた幾つかの矢を飛竜偃月刀を回転させることによって叩き落とした張遼は、にやりと口端を歪めながら指示を出していた兵の斬撃を弾くと、その顎を石突きで跳ね上げた。
「ぐおッ!? ……ぐっ、くそッ……まだまだぁッ!」
「お? なんや、今のでくたばらんかったんかい。中々に頑張るみたいやけど……これでどやッ!」
顎を石突きで跳ね上げられてなお意識を保っていた兵に素直に感心しつつ、その男が兵としても指揮する者としても優秀だと判断した張遼は、即座に馬へと指示を出してその場で回転させる。
ぐるり、と回転するままを馬に任せた張遼は、その円軌道上にあった兵の顔を上顎と下顎にと飛竜偃月刀で両断した。
「う、うわぁぁぁぁッ?! 隊長がやられたッ!?」
「何だとッ?! くそッ、顔良将軍と文醜将軍は何処に――ぐわぁッ!?」
「火を……火を消すんだッ! このまま兵糧が焼ければ俺達は戦う以前に餓えてしまうぞッ!」
「そのまえに董卓軍を撃退しないとそれすらもままならいんだぞッ! くそっ、俺に従う者は付いてこいッ、董卓軍を迎え撃つぞッ!」
「おいッ、そんなことよりも兵糧を守ることが――」
「飯を守るより、命を守る方が――」
「……ぼちぼち、のようやな」
先ほどの兵の骸が重たい音を響かせながら地に倒れるのを確認した張遼は、隊長格であったらしい兵の死によって再び混乱し始めた連合軍の中でも、袁紹が指揮する軍兵達に視線を巡らせ、ぽつりと呟く。
火計と奇襲による混乱によって、一団となっていた連合軍に亀裂が生じ始めている。
ある軍は火計による兵糧焼失を防ぐために動き、ある軍は奇襲によって命を落とすのを防ぐように動き、ある軍はそれらから逃れるために後退を始めていた。
それらの動きをみれば、連合軍は最早統率の取れた行軍が行えないだろうとの予測が生まれるのだ。
となれば、戦場の主導権は既にこちらに移っているとしても過言では無かった。
「ということは、や……ぼちぼち次の分も来る頃やろうし、うちらもそろそろ動かなあかん言うわけやな。……他の奴らはどないになっとる?」
「はっ。当初の予定通りに、袁紹と袁術の軍を中心に攻め込んでおります。ただ、何分数が多い故にそこまでの戦果は……」
「ああ……ええよ、別に。一刀も倒す必要はあらへん言うてたしな。今大事なんは、連合の奴らを混乱させることと奴らの兵糧に火つけることや。それが大体出来とんなら問題あらへんやろ……よし、張遼隊はこれより汜水関に向けて突っ走るでッ! ここが正念場や、気合い入れッ!」
「応ッ!」
そして、戦場の主導権を火計と奇襲にて握り、連合軍へと打撃を与えるという策には、まだ続きがある。
その続きを脳裏に走らせた張遼は一度汜水関へと視線を向けた後、連合軍の後方へと――先ほど自分が連合軍へと狙いを定めた先へと視線を移す。
程昱と郭嘉の能力は、今回の策で十分とは言わないまでも発揮して見せた。
初めこそ酔狂な奴とも思ったものだが、ここまでの戦果を見せつけられてしまえば嫌でも認めざるを得ない。
さて、ならば。
北郷が認め薦めた二人の智がここまでであったのなら、彼が認め薦めた武の方もまた、認めるに値するものなのかどうかを見極めさせてもらうとしよう。
董卓軍において、北郷の傍に近い武人を自負する自分からすれば、彼に認められている彼の武人に――常山の昇り龍と自らを謳う彼女に少しばかりの嫉妬を抱かないでもないのだが、それを今ここで表す筈もない。
まあ……酒ぐらいは付き合ってもらっても罰は当たらんよな。
八つ当たりも兼ねて酒ぐらいなら、として自らに言い聞かせるように頷いた張遼は、さてどんな酒がいいか、という考えを一旦頭の外へと追い出しつつ声を上げ、北郷に合流するためにと馬の背を蹴った。
「神速の張文遠ッ、連合のごろつき共に止められるもんなら止めてみいッ! 押し通させてもらうでッ!」
**
「な……何を言われているのですか、桃香様ッ?! ほ、本気でこのような奴を仲間にするなどと……そのようなこと、本気でッ!?」
「う、うん……だ、駄目かな、愛紗ちゃん?」
「駄目とか良いなどとか、そのような問題ではありませんッ! こやつは董卓軍なのですよッ、悪逆董卓が率いる軍の将なのですッ! そのような者を、仲間になど出来よう筈がないでしょうッ!?」
劉備が放った言葉――こともあろうに、俺に対して自分達と共に戦ってくれ、などという要求に対し、一番に動いたのは関羽であった。
まあ、この世界ではどうなっているのかは知らないが、俺の知る歴史の中でも劉備と関羽は義兄弟――この場合は義姉妹か――なのだから、関羽が劉備の言葉に思うところがあっても不思議ではないと思うのだが。
つい先ほどまで殺るか殺られるかという関係の立場であったにも関わらずのその言葉に、俺は劉備という人物を図りかねていた。
彼女は一体どういう人物なのか。
どういう考えを持ち、どういう理念で戦い、どういう戦いをするのか。
関羽こそ元々考えていたイメージと俺の知る歴史から考え出したイメージが現実と近かったために、ああもあそこまで挑発して思うとおりの戦いを繰り広げることが出来たが、劉備としてはそもそもの前提が違う――というか、劉備ぐらいは男でいて欲しかったと切に願っていた。
いや、挑発された関羽があそこまで怒るものだから男女の仲とかそういう類の関係が絡んでいるとばかり思っていたのだが、まあこれを直接関羽とかに伝えれば即座に首が転がっていそうなので自重しておくことにする。
ゲームとか創作の中であればそういった主人公らしき人物がいてもおかしくはないものなのだが……いやはや、現実とは上手くいかないものである。
俺? 柄じゃないし。
「あ、あの……?」
「……いや、すみません。少々予想外のことに戸惑りまして……劉備殿、でよろしかったですか?」
「あっ、はい!」
先の映像によってズキンズキンと痛む頭を抑えながら、俺は馬から落ちなくて良かったと思う。
腕の中では華雄が――顔を赤くして――じっとしているし、何よりここは戦場である、落馬でもしようものなら命取りになりかねなかった。
それと同時に、ふと思う。
推測でしかないが、曹操や孫策の時と違い、これほどまでに痛みが長引くのは先に見た映像に何かしらの原因があるのだろうか。
今いちその内容こそ覚えきれてはいないが、それでも、曹操や孫策の時と違って二つの映像を垣間見た気がするのは確かである。
頭が痛むことこそ曹操や孫策の時にも感じたものであったが、何故彼女達と出会うとそういった映像が脳裏に流れるかは分かるものではないが、俺がこの世界に来たことと何かしらの関係でもあるのだろうか、とふと思った。
……まあ、遙か前世とか祖先などが三国志に関係している、という可能性も無きにしもあらずだが、とりあえず、現状においてはそれも特に関係が無い。
ふと――本当に何故だかは分からないが、貂蝉なら何か知っているのかも、と自らも不思議に思いながらも、無事に帰ることが出来たのであれば聞いてみるかなと思った。
「俺の名は北郷一刀。劉備殿のおっしゃるとおり、世間では天の御遣いと呼ばれています」
お会いできて光栄です、と続けた俺は、さて、と心の中で一段落を置いて、目の前の少女から視線を外すことなく思考を働かせる。
目の前といってもこちらは馬上からなので見下ろす形となるが、そこにいる少女は先ほど自らを劉備と名乗った。
劉備と言えば、俺の知る歴史の中では蜀漢を建国し、魏の曹操や呉の孫権などと戦いを繰り広げていく人物であり、三国志の中でも最も重要な人物の一人とも言える。
蜀漢を建国する以前は根拠地と呼べるものを確保するに至らず、各地を流浪する形で戦ってきた人物でもあるが、その徳と義、情をもって多くの豪傑英傑を麾下としてきた。
現状では――俺の知る歴史でもそうであったが、恐らく公孫賛辺りの客将という扱いなのだろう。
こちらを迎え撃つためにと布陣し、董卓軍に飲まれかかっていた劉備の軍を救うためにか、包囲を崩そうと動く『公孫』の旗を見るに、それも間違いではないと思える。
その『公孫』の旗の動きが慌ただしいのを鑑みるに、恐らくではあるが、連合軍内は相当な混乱となっていることだろう。
ちらちらと昇る火の粉に交じる形で届く喧噪に、そろそろか、と俺は策を再び思い起こしていた。
「……さて。先ほどの件――まあ、共に戦ってくれないかというものですが……お断りとさせていただきましょう」
「ええェッ?!」
「な……何だと、貴様ッ!? 桃香様の好意を、貴様ッ、踏みにじるつもりかッ?!」
「控えろ、関雲長。今は貴殿と話しているのでは無いぞ」
「ぐっ……」
「そ、その……御遣い様、その理由を聞かせてもらっても構いませんか?」
となってくると、策の遂行こそが現状で一番に考えなければならないことであるのだが。
かといって、このまま劉備を無視して馬を汜水関へと走らせてしまえば、散々に関羽を罵倒し挑発したことも含めて、連合軍に対していらぬ弱みを握られかねない。
火計と奇襲によって混乱している連合軍にとってそれだけの余裕があるかどうかは分からないが、それでも警戒するにこしたことはないと俺は口を開いていた。
「では、その前に一つだけお聞きしたい。……劉備殿は、何のために戦っているのですか?」
「わ、私は……この世の中をみんなが笑って暮らせる、戦いの無い平和な世にしたいんです。そのために、私は――」
「……なるほど」
戦うのだ、という劉備の言葉を遮る形で俺は納得する。
やはり、目の前の彼女は劉玄徳なのだろう。
徳、義、情、そしてそれら全ては民のためにと直結するその想いと戦う理由は、遙かに尊いものであって。
自分の大切な人達と場所を守るためとかいう独りよがりな俺の戦う理由と比べてみれば、雲泥の差があるのではと思うほどであった。
だが――否、だからこそ。
「……戦いのない世を作るために戦う。そんな辻褄が合わない理由で、劉備殿は戦うのですか――兵達に死ね、とおっしゃるのですか?」
「そ、そんなこと、したことはありませんッ!」
「ですが、同じことでしょう? 戦いの無い世のために戦い、後に待っているのはみんなが笑って暮らせる世だと貴方は言いますが、では、その戦いによって命を散らせた者達の遺族は如何なさるおつもりですか。まさか、親や子、愛する者なりを失ってなお笑って過ごせと? 悲しみにも苦しみにも、後悔も復讐の念にも駆られることなく笑えと、貴方は言われるのですか?」
「そ、それは……」
「……では、聞き方を変えましょうか」
そう溜息をついて、俺は腰から剣を引き抜いた。
馬に跨った状態ではあったが、腕の中にいる華雄は大人しいものなのでそれほど苦になるほどではなかったが、それでも動きやすいものではない。
ともすれば、このまま斬りかかられればどうにもならないかもしれない、と思うものだが、まあその時は剣を投げつけた後に馬を飛ばして逃げればいい。
連合軍が混乱の渦中にあって、目の前にいる劉備一行も飛び道具らしきものを持っていないことから、それも十分に可能であると判断してのことであった。
剣先を劉備に突きつけて、俺は続きを口にした。
だが。
「関羽殿か、或いは……まあ名を知らぬのであれですが、そこにいる方のどなたかの首を今ここで俺が刎ねたとしても、劉備殿は笑っていられると言われるのですか? そも、もしそのような方であるのならば、どちらにしてもお断りで――」
「黙るのだッ!」
「――うおっとッ?!」
ひゅん、と。
ですが、と続けようとした俺の口上を遮る形で煌めいた穂先に、僅かに動き出していた白の赴くままに、俺は寸でのところで身体を反らして回避することに成功する。
腕の中に収めてみれば案外に華奢で小柄な華雄こそ大事無かったが、あと少し動くのが遅ければ手遅れだったかもしれない、と俺は危なかったと安堵すると同時に、白に感謝した。
「黙って聞いてても何言ってるのかよく分かんないけど、お姉ちゃんと愛沙を虐める奴はこの張翼徳が許さないのだッ! 鈴々が、お前の首を刎ねてやるのだッ!」
それと同時に、内心で舌打ちする。
関羽が劉備に従っているから何処かにいるものとは思っていたが、まさか劉備の前で関羽らを守らんと矛を向けていた少女こそが張飛であったとは。
その武は関羽に勝るとも言われ、一騎打ちの達人として勇猛を知られている人物である。
酒飲みで乱暴粗暴な虎髭の男、といった印象とは全くの反対だったがために、そこに思い至らなかったことを俺は悔やんだ。
そして。
げえ張飛、などと驚く暇もないままに振られた矛は、その軌道上にあった俺の首を――
「一刀の首刎ねるとか、させる訳ないやろがぁッ!」
――刎ねる直前、突如として駆け込んできた騎馬の戟によって止められることとなる。
やばい、と思っていた俺の思考も、ギンッ、といった固い鉄の音によって定まるところになり、俺は張飛の一撃を防いでくれた人物の名を――外套をはためかせながらニヤリと笑う張遼の名を叫んでいた。
「霞ッ!?」
「へへっ、何かええとこに来たんちゃうか、うち?」
「ああ、助かったよ――ってちょっと待てよ、霞がここまで来たってことは……」
「一刀の考えとる通りや。ぼちぼち動かな間に合わんなるで。あー、うちも関羽と偃月刀で打ち合いたかったけど、ここは我慢やな」
なるほど、龍をあしらった偃月刀を用いていたことは知っていたのだが、それは関羽の青龍偃月刀を模してのものだったのか。
そういえば、黄巾賊討伐の折に関羽の話を聞いていた張遼が何かしら興味を引いていたような覚えを思い出しつつ、俺は仕方ないとばかりに劉備へと視線を向けた。
「話の途中でしたが、今日のところはこれで帰らせていただきます、劉備殿。それとですが……あなたが目指す世と掲げる大儀は確かに尊いものではありますが、同時に酷くあやふやで危険なものでもあります。もし、そのままで戦い続けるつもりであるのなら――」
――理想を抱いたままに現実に溺れてしまいますよ。
そう言葉を吐いた俺は、劉備や関羽、張飛の反応を確かめぬままに馬の背を蹴り戦場を駆け出していく。
見れば、既に汜水関からの軍はかなり近くまで迫っており、張遼の言うとおりにさほど時間が無かったことを表していた。
色々考えてても仕方がないな、とばかりに首を振った俺は、汜水関からの軍を率いているであろう郭嘉と程昱と合流するべく――そして、火計と奇襲によって混乱する連合軍に投ずる次なる策のためにと馬を駆けさせた。
**
「はー……やれやれだよ、まったく」
「そうぼやくなよ。あれだけ攻め込まれたにも関わらずに、命があっただけでもめっけもんってこった。ほらよ、お前んとこの隊はこれぐらいで構わんよな?」
「ちょッ、これじゃいくらなんでも少なすぎるってッ!? これだけじゃ俺が上に殺されっちまうッ!」
「仕方無いだろ。どこもかしこも飯を寄越せってうるせんだ……お前んとこばかり偏るわけにも如何だろが」
「うぐ……」
「さらには他んとこの軍までもが飯を寄越せってくるもんだから、袁紹様も名家の意地を見せたいのかしらんが大盤振る舞いをしろ、との達しでな。顔良将軍がどうにか押しとどめてるらしいが、今のうちからその準備をしろとのことなんだよ」
だから無理だ。
そう放たれた言葉によって背を向けて去っていく兵を、男は見送った。
やれやれ、と溜息一つを吐くと、兵が手配した兵糧の分だけを総数の一覧から減らしていく。
董卓軍による火計と奇襲によって、連合軍は多大な被害を被った――否、未だ戦いはそこかしこで続けられているので、被っていると言ったほうが正しい。
しかし、董卓軍の反撃とも呼べる攻勢の初期に被害を被った袁紹軍では、顔良将軍の的確な指示と文醜将軍の鼓舞によって他の軍に先駆けて体勢を持ち直していた。
袁紹軍の根拠地は古来より必争の地でもあった河北にあるが、その原因とも呼べる肥沃な地によって袁紹軍は大軍を動かすことが可能なのである。
今回の反董卓連合軍において、大軍を動かすためにと用意された兵糧は実に数万の兵を月単位で動かせるほどであったのだが、董卓軍の火計と奇襲によってそれも大多数が焼失してしまった。
「……実に半分近くが燃えちまったかぁ……半分が燃えたことを嘆くべきか、半分残ったことを喜ぶべきなのか、難しいとこだなぁ」
ただ、その半数という数も袁紹軍本隊だけで表したものだ。
先ほどの兵のように、袁紹軍に付き従う豪族の軍などは、その限りではない。
下手をすれば全焼というところもあるようで、彼らを取り纏める立場である袁紹軍からしてみればその補填は必須であった。
しかし、現状において確保出来る兵糧には限りがある。
補填する量が少なければ不満が噴出して支障をきたす場合もあるし、かといって多くすれば本隊の兵糧が足りなくなる。
さらには、各豪族ごとに量が違えでもすればさらなる不満が出てくるのは目に見えていた。
何故自分がこんなに悩まなくてはならないのか。
元々兵糧担当では無かった自分が何故、と思わないでもないのだが、前任者が先の奇襲でそこら辺に真っ二つになって転がっていることと、簡単ながらもある程度の計算が出来るのが自分しかいなかったため、と直々に顔良将軍から命じられてしまえばそれも仕方のないことなのだが。
凄く申し訳なさそうに頼み込んでくる顔良将軍が、いやに記憶に新しい。
「もし、そこな方。ここは袁紹殿の陣で相違無かろうか?」
先のことを思って乾いた笑顔で指示を受け取る自分とぺこぺこと頭を下げていた顔良将軍のことを思い出していた男であったが、不意に後背から受けた声に反応していた。
「ほお……」
顔を見ずともに、その凜とした声から美丈夫ではなかろかと予想していたのだが、いざ後背にいる彼の人物を見ると、自然と声が出る。
空の色をそのまま映し出したのではないかと思えるほどに美しい短めの髪は、その身に纏う白の装束と実に映え合っていて。
装束から覗く白い肌と女性特有の膨らみやら曲線に、その人物が女であることを男は知った。
女が戦場に立つことが珍しくない時代において、顔良や袁紹、文醜のように可愛らしいとも言える人物を男はよく見てきた。
最近では張恰なる人物もまたその一人であるほどの美貌を持ってはいるのだが、目の前の女はそれとは別と感じ入るほどにまた美しかった。
男としての性か、自然とその露わになりそうな胸元に視線がいくのを自重しつつ、男は口を開く。
「いかにも。貴殿の言うとおり、ここは袁本初様の陣である」
「ふむ、そうか……」
だと言うのに。
女は自らが問うたことに対しての解に、何かを考えるように顎に手をかけたまま呟く。
美しい女というのはそれだけで見ていて楽しいものだが、試案するその顔もまた同じであるのか。
そんな取り留めのないことを男は考えていたのだが、ふと女の口元が歪んだことに気付く。
「いやはや……まさか、ここまで予想の通りとなろうとはな。眉唾ものとは思っていたのだが、本当に天から遣わされた者なのかもしれぬな」
「……? 一体何を……」
実に面白いといったふうに喉を鳴らす女に、男はふと疑問を抱く。
今、目の前の女は何と言った、と。
初めは先の兵と同じように兵糧を都合してもらうためにと訪れた他の軍の者とも思っていたのだが、女の口から漏れ出た言葉に――天から遣わされた者という言葉に、男はある言葉を脳裏にかすめていた。
「ふふ……信じているから寄せる機会は任せるなどと、どうしてあの御仁はそのようなことが言えるのか。武人として、また殿方から願われた女子としては応えぬわけにもいかないであろうに。ふむ……中々に手練れなのか、それともただの虚勢なのか、はたまたあれが素なのか……まあよい、今はそのようなことを考えている場合ではないからな……」
「貴様ッ……天の御遣いのッ!?」
「いかにも。貴殿の言うとおり、この身は御遣い殿の――董仲頴が臣、北郷一刀殿の麾下である」
「くそっ、敵しゅ――」
「させぬ」
そして。
その脳裏をかすめた言葉の意味が正解であるとの女の言葉に、男は咄嗟に敵襲であると声高々に放とうとする。
火計に続いての奇襲。
それらによって連合軍は打撃を受けたことになるが、それが通り過ぎ去ってしまえば後は自らが知る由ではないとする諸侯は多くいる。
それは即ち、それまで緊張という張り詰められていた糸が緩むことを意味し。
そしてそれは同時に、警戒が緩むということでもあった。
やられた。
まさか――まさか、警戒と緊張が緩んだ状態で、誰が愚策と言われる二度に分けての奇襲が来ると思うのか。
このままでは不味い。
そうした男が放とうとした言葉ではあったが、しかして、それも女が突き出した槍によって遮られることとなる。
肉を裂く音と液体か何かに空気が混じる音を間近で聞いた男は、それが自分の喉に突き立てられた女の槍によるものだと気づき。
槍を引き抜かれた勢いのままに地に――そして闇に落ちていく意識の中で、男は女の言葉を聞いた。
「我が名は常山の昇り龍、趙子龍ッ、董仲頴が臣である北郷一刀の麾下の者なりッ! 自らの欲のために悪逆を宣い造り上げ、洛陽の街と民を戦火に巻き込まんとする連合軍よッ、すべからく……押し通させて貰うぞッ!」