鋭く横薙ぎに払われる槍の一撃を、とっさの反応から両手で槍を構えることで、何とか耐え凌ぐ。
がつんと、想像していたよりも重たく鋭い衝撃に、両手が鈍く痛み痺れるが、短く息を吐き、身体に喝を入れることで再び持ち直させる。
「おお、防がれるとは思わんかったわ。中々やるやないけ」
「張文遠に褒めて頂き恐悦至極だけど、少しは手加減ってものを……っ!」
「手加減? やぁっと面白なってきたとこやないか、……少し本気でいかさせてもらうで!」
迫り来る突きを首を捻ってかわしながら、槍で槍を押さえつけて、それを持つ手へと蹴りを放つ。
しかし、読まれていたのか、蹴りを蹴りによって止められ、あまつさえ、その体勢から手刀を繰り出してくる。
「ぬわっ!? くっ、このぉぉ!」
「おおっ! ええで、もっとや、もっと来いィ!」
すんでの所で身体を捻ることで回避に成功し、反撃とばかりに槍から手を離し、繰り出された手刀の手首を掴む。
一瞬だけ拮抗するが、ぴくりと動いた足に急かされるように、一本背負いの要領で投げ飛ばす。
だが、張遼は途中くるりと手を返したかと思うと、その拘束から抜け出し、あまつさえ投げ出された勢いのままに、器用に地面へと降り立つ。
その光景に、猫か獣かっての、と心の中で愚痴り、着地した足のバネから滑るかのように跳ねた張遼を、横っ飛びで何とか躱すことに成功し、偶然手元にあった礫を投げつける。
二度、三度、手元にあった礫と、時には砂だけを投げつけながら、徐々にその位置をずらしながら、槍を落とした地点へと移動していく。
向こうもその思惑に気付いたのか、態とらしく距離を開けられ、余裕を向けられながら槍を拾いなおし、再び構える。
右足を開いた上体から、槍を引いた状態で、石突にも横薙ぎにも移れる体勢へと構え直す。
俺の構えに反応するかのように、張遼は槍の切っ先をこちらへと向け、前方に対しての攻撃範囲を重視した構えとなりながら、じりじりと再び距離を詰め始める。
「まさか、ここまでとは思わんかったわ。そろそろ時間もないし……本気でいかせてもらうでぇ!」
「くっ! おおおぉっ!」
ぶん、と一度槍を鳴らし、その全身に闘気を漲らせながら、張遼は地面を蹴る。
先ほどまでとは段違いの速度、これが張文遠の本気かと、完全に虚を突かれることになりながらも、微かに見えた腕の振りにあわせるようにそちらへと槍を構え――
――その反対からの衝撃に、俺は吹き飛ばされていた。
「おーい、大丈夫かぁ?」
荒く呼吸を繰り返し、痛む身体に問題がないかを確認する。
まぁ、とりあえずは問題だらけだが。
握力は落ちて、節々は痛み、打たれた横腹や顎は折れてるんじゃないかと思えるほど、痛みに響く。
身体は疲労で重く、身じろぎする度にぎしりと揺れる、
「……大丈夫に見えるんですか?」
「うんにゃ」
そんな俺とは対照的に、特に息を乱すでもなく、常時と変わらず軽やかに歩く張遼。
ええと、化け物ですかあんたは。
痛みに悶える俺へなははと特に悪びれた様子もなく笑う張遼を前に、痛みを耐えながら何とか起き上がる。
なんだかんだで、実に六仕合。
最初のうちはすぐに叩きのめされていたのだが、慣れてきたのか、四仕合目ほどからそれなりに動け始め、最後にはなんとか健闘は出来た。
とは言っても、結局は一度たりとも、直撃どころか掠ることさえなく、六仕合とも全敗してしまったのだが。
俺が弱い訳ではないのだと、そう思いたい、男子の面子として。
「あんがとさん、北郷のおかげですっきりしたわ。……さぁて、うちは詠に報告書持ってくかなー」
ひらり、と。
こちらを伺うように顔を覗いていた張遼だったが、身を翻したかと思うと、ひらひらと手を振りながらその場を後にしていった。
その足取りにはまったくもって疲れの色は見えず、確かな実力差を感じさせた。
「俺はずたぼろなんですが……って、気にしてるかどうかも怪しいな」
それでも、久しぶりにくたくたになるまで動いたためか、先ほどまでこれからの見通しについて悩んでいたのも馬鹿らしくなってくる。
とりあえずは、もう少し情報を集めてみようか、賈駆に文字の読み方を教えてもらうのもいいな。
まぁ、今の目的は身体が求めている朝食を取ることだと己を納得させて、痛みに呻きながら廊下を歩き出した。
**
廊下を曲がったところで、竹簡を見ながらぶつぶつと呟いていた詠に出会う。
「おおっ詠、ええところにおった! ほい、陣形についての報告書や」
「あら、霞じゃない。報告書……結構早かったわね。……其れで、どうだった?」
手渡した報告書に軽く目を通し、再びそれを巻いて持ち運んでいた竹簡の束にうずめた詠は、声を潜めて先日に頼まれていた案件の結果を聞いてきた。
北郷一刀について、情報を得ること。
月によって北郷が城に寝泊りするようになった翌日、霞は詠からそのことについて頼まれていたのだ。
本当を言えば李確か、賊討伐にて遠征している徐栄あたりが適任なのだが、二人は先代石城太守である月の両親からの家臣であり、その立場は非常に重要な位置にいる。
本人達は、後進である恋や霞、華雄に跡を託し、援護に回ろうとしているのだが。
ともかく、そのような立場にある徐栄が留守にしている以上、残された李確の負担は大きいものであり、今また無理をさせるわけにはいかない。
北郷の力量が測れていない以上、どんな可能性も考慮しておかなければいけないからだ。
ゆえに、武と智を兼ね備える霞に、その役目が廻ってきたのだ。
詠にそう問われ、先ほどまでのやりとりを思い出す。
陣形について相談したのも、息抜きと称して仕合をしたのも、全てはそのため。
霞自身、賊を追い払うほどの武を持ち、そして見たことのない外套を着る北郷に、興味を引かれていたのだから、その力量を測ることにも、興味があった。
「智の方は報告書の陣形が即座に出てくるくらいや、それなりの書物を読んで、それを力にしとるんやろ。文字が読めんのはちときついが、それも教えてやれば十分使えるくらいにはなるはずや」
「……そう。行き先が決まらないのであれば、文字を教えることと、なにかしらの条件を付けて引き込むことも検討しとかなきゃね。……それで、武の方は? 使いものになりそう?」
「そうやな、兵より少し上ちゅうとこやけど、下地は十分に出来とる。なんか鍛錬しとったんやろな、結構ええ動きしとった。ただ……少し違和感があんねん」
「違和感……?」
「なんちゅうか、よう言葉には出来んのやけどな……」
そう言いながら、霞は自身の手を見つめる。
顔と態度に出すことは無かったが、北郷との仕合で感じた違和感。
言葉では上手く表現することは出来ず、実際に対峙した者こそ感じるそれ。
恋にこそ及ばぬものの、己の武において自信を持つ霞でさえ、この時にはその違和感の正体には気づくことはなかったのである。
「……ふぅん、まぁとりあえずその件は保留にしておきましょう。そうそう、早朝に、賊討伐が成功したって早馬が来たから、ぼちぼち徐栄殿たちが帰ってくる頃ね」
石城周辺地域において、掠奪強奪行為を繰り返す賊の討伐。
黄巾賊の行動が活発になるにつれ、山賊盗賊の類の行動も、目立つようになってきており、石城や周辺での治安は悪化してきていた。
常に警邏をさせられるだけの兵がいればいいのだが、内実ではその殆どが農民兵であり、通常時は田畑を切り盛りしなければならない。
常備兵がいないこともないが、その数はごく少数であり、街の全てに目を光らせることは不可能に近いのだ。
北郷は街が賑わっていると言っていたが、それも減税政策と、ある程度の保証を認めた効果であり、財政面ではそれなりに厳しい状態が続いている。
今回の討伐でも、街の運営に支障のないギリギリの範囲で募兵したのだが、その数は集められる最大の三割程度である。
李確と同じ古参である百戦錬磨の徐栄と、武勇に優れた彼の娘、中華最強と名乗ってもおかしくはない飛将軍にその軍師が、討伐に赴いていた。
騎馬隊を指揮する霞では、馬の補充や休息などの維持費が。
董卓軍最強の部隊を指揮する華雄では、その装備の費用や戦死者への慰謝料などが、それぞれ財政を圧迫することを見れば、最小の犠牲で最大の利益を得ようとする軍師としては、出来うる限りの編成だったのだ。
それでも、早馬からの報告によれば、被害は決して軽いものではなかった。
山賊や盗賊などが合流して膨れあがった賊軍三千に対し、討伐軍は一千は兵を二部隊に分けた。
陣形を取らず、有象無象の衆としてただ突撃してきた賊軍に対し、討伐軍は五百ずつの部隊で、散々にかき回したとのことだった。
当然賊軍にそれを迎撃するほどの力はなく、策だけを聞けば討伐軍の圧勝だった筈だ。
しかし、殺すことを慣れている賊軍に対し、農民兵は慣れているはずはない。
幾度か矛を交じわすごとに、一人また一人と、殺し殺される恐怖に負け、陣形を脱していく。
そうすれば、賊軍の餌食となるにもかかわらず、だ。
結果、討伐軍は賊軍を散々に打ち払い、その半数を切り捨てることが出来たが、討伐軍自体の被害も甚大で、約三割の兵が討ち死、あるいは戦闘不能ということだった。
月を軍師として補佐し進言する役務、全軍の状況を把握し必要な指示を行う役務、石城周囲又は周辺の街においての情報収集、そして戦の後の戦功論賞と戦死者への慰謝料の算出など、様々な役務を抱える詠にとって、少しでも役に立ちそうな人間は、何としても手放したくない存在なのだ。
見たこともない外套を羽織り、それなりの智と、霞にそれなりと言わせる程の武を持つ北郷一刀は、まさしくそれである。
加えて、異国の知識を持ち得るだろう彼は、董卓軍が飛翔するには欠かせない存在なのである。
霞もまた、北郷一刀の武と、彼自身の行く末に興味があった。
矛を交えた同士でしか理解しえないこの感情は、感じたことはなかったが、不思議と悪い気はしない。
そしてなにより、あの未完の武が、一体どれほどのものになるのか。
強い武人と戦いたい、武人なら誰もが抱くものを、霞も持っているのである。
詠から、そして主君でもある月からの指示でもある、北郷一刀の引き留めは、霞にとって無関係ではないのだ。
だからこそ。
「ほう……、なら徐英のおっちゃんやら恋達が帰ってきたら、北郷と顔合わせをさせて」
「ええ、その時にでも話をしましょう。……私たちに協力してくれるかどうかを」
知らず、口端がつり上がるのは、楽しみからか、それとも――
**
「はーくっしゅんっ! ううぅ、ぶるぶる」
「ちょ、ちょっと北郷の兄さんよ!? 風邪は移さんでおくれよ!」
不意に感じた寒気、というか悪寒に、くしゃみが出てしまう。
俺が風邪を引いたのかと思ったのか、先ほどまで話し込んでいた肉屋のおばちゃんが、慌てて俺との距離を取る。
肉屋を営みながら、余った肉を用いて肉まんを作るこの店は、石城の大通りより一本外れた所にあるが、その品揃えとおばちゃんの人柄からか、多くの客で賑わっていた。
かくいう俺もその客の一人で、張遼との仕合を始めたのが朝だったにも関わらず、いつの間にか昼前にまでなっていたので、朝昼兼用の飯を兼ねて街へと出てきたのだ。
「それで何だったっけ? ああそう、道術とか仙術の話だったね! まぁ、とは言っても役に立てる訳でもないんだけどねぇ」
「別に構いませんよ。俺自身、そう簡単に分かるとは思ってませんし。そもそも、それが求めているものなのかどうかさえ、分かってはいないんですから」
申し訳なさそうにする肉屋のおばちゃんに、俺は苦笑混じりで答えた。
元々、この時代の情報伝達と言えば、口頭か文書によるぐらいしか手段はないと言ってもいい。
どちらの手段で情報を得るにしても、それを運び伝えるのは人であるため、どうしてもその内容と信頼度には不安が生じる。
朝廷や権力者の文書であれば、その信頼度は高まるのだろうが、それも絶対ではない。
良くてそれなのだから、一般の人々が取り扱う情報が、どれだけ内容が変化し、その信頼度を落としているのか、全く持って予想出来ずともおかしくはないのだ。
その情報自体がない、という事実も、決してあり得ない話ではないのかもしれない。
であるから、俺としてはこの情報収集はこの世界の情報を集めるついでと、顔を知り人脈を広めるためのものと割り切ることにした。
そもそも冷静になって考えてみれば、あの名軍師として名高い賈駆がどんな些細な情報であれ耳に入れていないということは、この石城の街や周辺の村々では、そういった情報は流れていないということなのだろう。
まぁ、余裕が無くて気づかなかったんですよ、うん。
「それじゃ、また何か情報があれば教えて下さい。その時は、たくさん肉まんを買わせてもらいますから」
「はははははっ! そりゃ楽しみにしてるよ」
昼食にと肉まんを三つほど購入し、感謝を述べて肉屋を後にする。
すぐさま次のお客が入ったのか、おばちゃんのいらっしゃいませの言葉を背に受けながら、俺はぶらりと周囲を巡ってみることにした。
とりあえずは、そうだな、子供達が遊んでいそうな広場にでも行ってみるか。
と、簡単に決めつけた俺に、後々の俺は一言言ってやりたい。
お前の安易で簡単で愚直な思いつきで、今後俺は多大なダメージと精神的疲労を受けるのだと、主に財布への面で。
**
一つ目の肉まんをのんびりと食べ終え、二つ目を囓ろうかと口に運ぶ寸前、俺はそれを発見した、否、見つけられた。
当初の目的通り、子供達が遊び、母親達が井戸端で会議と言う名の情報交換を行っている広場。
そこにたどり着いた俺は近くの木に寄りかかりながら、先に肉まんを食べきろうかと思ったのだが、そんな俺の目の前に、一人の少女が現れたのだ。
炎のように紅く染まる髪は短く揃えられており、浅黒く日に焼けた肌と相まって、健康的なイメージを受ける。
短めのスカートから覗く太股もまた健康的で、そこから上に視線を移せば、胸元を隠した服から覗く腰に至るくびれが、対照的に酷く艶やかに見えた。
華雄の服とよく似た印象を受けるそれらは、見る者に爽やかな色気を感じさせるものだが、それを着る本人と言えば、そんな感想を抱く俺の視線も気にすることは無く、ただある一点に集中していた。
すなわち、俺の持つ肉まんへと。
チラ見ではなく、視線を向けるでもなく、それに合う言葉はただ一言、ガン見。
隠す気のなさそうな食欲の視線と、そうした訳でもないのに餌を目の前し許可を待つ犬のような視線、そしてそれに一石を投じるかのような、ぐるるると獣の鳴き声のような音。
おそらく空腹からの腹の音なのだろうが、聞こえたその音は視線と相まって、完全に肉食獣の唸り声のようである。
放っておけば手に持つ肉まんだけでなく、言葉通りの意味で骨まで食べられてしまいそうなその空気に、俺は恐怖を感じ、思わず口を開いていた。
「えと………………その、食うか?」
もぎゅもぎゅ、もきゅもきゅ。
広場の木に寄り添いながら、そんな擬音が聞こえてくるかのように肉まんを頬張る少女は、酷く幸せそうな顔で、その味を楽しんでいる。
滑らかな肌が、肉まんを一口ずつ咀嚼する度に、蠢く様はどうしてか色気を醸し出すのだが。
その肌を持つ彼女の、無垢に幸せそうな顔がどうしてもそれを霧散させてしまう。
子供達の笑い声が響く広場、その片隅にある木の陰において、女の子と二人で食事を取る。
デートと言っても間違いではない、元の世界の俺なら全くと言っていいほど無縁だった行為を、今俺は行っている……のだろうか?
食べているのは肉まんで、女の子の名前は知らず、そんな空気は欠片もない。
加えて。
手に持った肉まんを食べ終えた彼女が、俺が囓ろうとしていた肉まんへと再び視線を向ける、ガン見しているのを見て、知らず苦笑が零れてしまう。
「………………?」
「ああ、別に君のことを笑った訳じゃないよ。……ほら、これもどうぞ」
笑う俺を不思議に思ったのか、身体全体と雰囲気で疑問を表現する彼女。
それでも尚、視線が肉まんに向いているのに苦笑しつつ、二個目の肉まんを彼女へと手渡す。
初め、俺と肉まんを交互に見比べていたのだが、それを自分が食べていいのだと気付くと、一つ頭を下げてそれを受け取った。
そして再び。
もきゅもきゅ、もぎゅもぎゅ、と肉まんを頬張りだす彼女に、なんか小動物に餌をあげているみたいだ、といった感想を受けてしまう。
昨今、元の世界では精神的疲労、ストレスが社会的要因として大々的に取り上げられていた。
人々はそんな世界の中に癒しを求め、やれ癒し系だの、やれマイナスイオンだの、様々な解決策という名の商売が蔓延っていた。
だが、今の俺ならば一つだけ言いたいことがある。
癒しを求めるのならば、彼女に肉まんを与えればいいんじゃないか、と。
ほわー、と一人癒されていると、不意に彼女が肉まんを半分にし、その片方をこちらへと差し出してきた。
えっ分捕っておいて半分にするの、とか疑問に思っていたのだが。
「……半分。…………ご飯、一緒に食べた方が……おいしい」
ん、と俺の手に肉まんの片割れを置いて彼女のその言葉に、まぁいいか、と何となく納得してしまう。
可愛い女の子に、肉まんだけど、ご飯を手渡されて一緒に食べようと言われているのだ、男としてこれを断ってしまっては義に反するだろう。
そう誰に対してもなく誤魔化して、肉まんを有り難く頂戴する。
「ありがとな」
「…………」
素直に感謝の言葉を掛けるのだが、言われ慣れていないのか、少し俯きながらふるふると頭を振る彼女。
そんな様子に親近感を抱きながら、昼下がりの木陰で、俺と彼女は半分にした肉まんを共に頬張りだしたのだ。