「華麗に、雄雄しく、突き崩すだけですわ!」
汜水関。
洛陽へ至るための最初の関門として、文字通りその道を塞ぐかのように聳え立つかの関をどう攻略するか。
縦へと伸びていた連合軍が一同に再集結し、汜水関に篭る董卓軍を十分に警戒しながら開かれた軍議であったが、その始まりはさも当然とでも言うように放たれた袁紹の言葉からであった。
「……麗羽、聞きたいのだけれど、それが汜水関を攻めるための策なのかしら?」
「当然ですわ、華琳さん! 連合軍の力をもってすれば――いえ、私の軍の力をもってすれば、いかに堅固と言われる汜水関でさえも容易に陥落させることは可能でしょう。もちろん、華琳さんや他の方にも戦功を挙げられる場は設けますわよ」
「いやー……そういうことを言ってるんじゃないと思うんだけどなー。やっぱあれね冥琳、袁術ちゃんの従姉妹だけあって変なところで似てるわね?」
「このような場で言うことではないだろう、伯符殿。……さて、総大将殿の言うとおりに突き進むにしても、最低限の編成は考えねばならぬと思うが、如何か?」
曹操の言葉にふふん、と大きな胸を張りながら答える袁紹に、若干頬をひくつかせた孫策が、こそりと耳打ちしてくる。
その言葉に内心同意しつつも誰かに――袁術にでも聞かれたら困ると思った周喩は孫策を戒めつつ、袁紹の言葉に道をそれかけていた軍議を正すために口を開いた。
策も無しにただ攻めるなどは愚の極み。
そうは思っていても、防備を調えているであろう董卓軍に弄せる策も少なく、それらの策も効果的とは言えない以上、袁紹の言葉もあながち間違ってはいないのだが。
であるからこそ、周喩の言葉に各諸侯は仕方が無いとばかりに軍議へと口を開いた。
「現在の位置で言えば、曹操さんと孫策さんの軍が一番前。それに続いて鮑信さんと張莫さん、陶謙さんの軍が。その後に劉備さん。さらにその後ろに袁術さんを含む他の方々がいて、最後尾に私達袁家の軍がいます」
「むー……わらわ達は大分後ろの方じゃな」
「仕方ありませんよー、美羽様……梁綱さん達が勝手に動いて罠にかかっちゃったせいで、こちらもあんまり派手に動くわけにはいきませんし。足を引っ張って連合の皆さんから目の敵になるのも面倒ですしねー。ここは孫策さん達に頑張ってもらいましょう、美羽様」
「おおっ! もしや、七乃の言うとおりにすれば孫策達の手柄をわらわ達が横取りすることが出来るのかや?」
「そうですよー。いよっ、美羽様お嬢様、人の手柄を横取り前提で考えるだなんて、人の風上にもおけないですよー」
「うわっはっはっはっ! そうじゃろそうじゃろ、もっと褒めてたもー!」
「……ふう」
袁紹の隣、顔良の上げた報告の声に、声高々に笑い声を上げる袁術に周喩が溜息をつくが、実際、今の連合軍においてはそういった袁術の態度こそが正しいものであった。
悪逆董卓を討つための正義の連合軍とは謳っているが、その内実は自らの私利私欲のために参加したという諸侯が大半で、いつ他の諸侯の裏を掻くか、という猜疑で溢れているのだ。
さらには、大した戦果とは言えないまでも、董卓軍が構築していた陣地を立て続けに攻め落としたとされる孫策と曹操の名声は、緒戦において一部隊が壊滅状態にまで追い込まれた袁術とは違い、連合軍内においても高く評価され始めていた。
追撃するときは疾風怒濤、罠が待ち構えているかもしれないと思われる陣内などは慎重に、その全てを将兵を正しく率いる。
知勇に優れていると証明させるその動きは、連合軍内において彼の者達の地位を確かなものへと引き上げていたのだ。
であるからこそ、自らの目的のためにと――それが私利私欲かどうかは別にして、連合軍に参加した諸侯が動いた。
周喩の溜息によって一旦場落ち着いたのを見計らってか、白く染まった髭を豊かにする人物――陶謙が静かに手を上げる。
「ここは一つ、陣を破る功を上げた孫策殿と曹操殿の軍を一度休ませ、他の諸将によって一陣を務めるがよろしいと思うが、如何かな? この老いぼれも功を上げねば、漢王朝や民に対して示しがつかぬしな」
「あら? 漢王朝の忠臣にして徐州牧、陶恭祖ともあろう方が老いぼれだなんて……その名と下の治政は遠く陳留にまで届いているというのに。それに、先達でもある方にばかり働かせるのも、若輩の身としては心苦しいわ。ここは、私に任せてもらいたいのですけど?」
「ほっほっ、才女と謳われる貴女には敵いませんよ、張太守。そこな袁紹殿と曹操殿の知古であれば、その評も頷けるというもの。そのような貴女にそう言われたとあれば、この老いぼれ、恐悦至極ですな。……しかし、それとこれとは話が別かと。」
「まあ、そう言うわよねえ……とは言っても、このままでは埒があかないわね」
「なら協同で汜水関を攻めればいいんじゃない、紅瞬? 陶州牧も、一軍より二軍のほうがいいんじゃないかしら?」
「ふむ……一理ありますな。……儂はそれで構わんよ」
功を上げる場を。
その陶謙の言葉に待ったをかけた張莫にそのままでは軍議が進まないと思った曹操は、協同で汜水関を攻めてはどうか、と一つの案を出した。
徐州牧たる陶謙の権威は曹操や一太守の張莫の比でない。
その動かせる兵力は強大なものがあり、今回の連合軍においても一万五千という兵力を誇っていた。
勇名轟かす猛将こそ陶謙配下には存在しないが、それでも、指揮統率に優れた優将がいるということもあって、それだけの兵力をもって連合軍の一画を担っているのである。
一万五千の兵力があれば如何に汜水関でも、と諸侯は考えるが、しかして攻めるには相手の三倍は必要であると考えられることもあって、協同で汜水関へと迫るという曹操の言葉に、否を唱える者は存在しなかった。
ゆえに。
その言葉を――場の空気を読んでか、袁紹もまた諾と頷いたのである。
「いいでしょう……陶謙さんと紅瞬さんは、軍を率いて前曲へと移動なさいな。それより後ろは今のままの形でよろしいでしょう。……では、天下無敵の策も決まったことですし、華麗にッ、優雅にッ、雄々しく前進しますわよッ!」
**
「それにしても見事なものだな」
「なあに、冥琳? 何をそんなに感心してるのよ?」
軍議が終わり、自らが率いる軍勢が展開する地へと戻る最中、ぽつりと呟いた言葉に隣を歩いていた孫策は足を止めた。
それにちらりと視線をやった後、周喩は近くにあった蓋のされた甕(かめ)に腰を落ち着けながら、視線を杭によって構築された木枠――董卓軍によって構築されていた陣へと向けていた。
「守り易く攻め難い。そう言うのは簡単だが、いざ実戦しようとなると難しいものだ……この陣地は、その理想だろうな。よく考えられている」
「ふーん……私にはよく分かんないけど、冥琳がそう言うんならそうなんでしょうね」
「ああ……」
外側は攻め込みにくいようにと幾重にも張り巡らされた柵に、部隊が展開しやすいようにと柵によって区分された内側。
構造だけ見れば簡単なように見えるが、それを理想の形にしようと思うのなら思いの外、難しく手こずってしまうものなのだ。
元々、連合軍が追撃していた董卓軍は五千であった。
二十万に対して五千という小勢であったことから董卓軍が取った策といえば、守りを固める汜水関方面に誘い込むようにと動きながら、それでいて追撃する先鋒を罠によって壊滅させたことである。
それによって、連合軍は新たな罠を気にするという必要以上の警戒を強いられることとなり、それに比例して進軍速度も遅くなったのだから、董卓軍の策は完成したと言えよう。
ただ籠城するよりも罠を警戒する分行軍が遅くなり、籠城して時間を稼ぐという意味では効果的。
それが周喩が出した董卓軍の策の評価である。
「でもさあ、冥琳……そんな陣を何で董卓軍は利用しなかったの? わざわざ立てておいて、一度も使わずに逃げるなんて勿体なくない?」
「ふむ……陣を構築した余りの杭を槍とした先手の策を行うためと、守る者がいないながらも攻め込みにくい形状の陣を利用することで逃げる時間を稼いだ、その両方が目的ということではないか? 陣を立てた董卓軍ならその形状も知っているだろうから、こちらがもたつく間に通り抜けることも容易いだろうしな」
「むー……」
事実、先の追撃において、ご丁寧に柵に布をかけた陣を董卓軍は周喩達の目の前でするすると抜けていった。
対するこちらといえば、布がかけられたことによって視界を塞がれる形となっていれば罠を警戒するものであり、結果として罠が無かったにしろ、その警戒によって追撃の手が遅れたことは事実である。
先手の罠で精神的に不安と恐怖を兵に抱かせることによって統率を緩め、将に警戒心を抱かせることによって追撃と汜水関に至る道筋を遅らせる。
人の心理によく長けた者が立てた策か。
ぞくりと背筋を振るわせながら――軍師として知謀を競い合わせるであろう相手の存在に、不謹慎ながらも昂揚した気分を抱いた周喩であったが、不服そうに唇をとがらせる孫策にふと疑問を抱いた。
「勘、か……?」
「んー……まあ、ね。ただ、ちょっとよく分かんないのよねー、何かが引っ掛かってる感じなんだけど……」
「ふむ……まあ、雪蓮がそう言うのなら警戒だけはしておきましょう。……あなたの勘は当たるから」
「ん……お願いね、冥琳」
であるからこそ、不服と思う孫策を信じて――彼女が勘で感じる何かしらがあることを信じて、周喩は思考を働かせる。
先の軍議で張莫と陶謙が先陣を務めて汜水関を攻めるとはいえ、董卓軍がどう動くか分からない以上、警戒しておくのは当然であろう。
それに加えて、孫策が危惧すること――その正体が分からない以上どうしようも無いのだが、し過ぎに越したことはない、とした所で周喩は、そう言えば、とふと思う。
先の話の流れからするに、陣地に関することで危惧しているのではないのか、と。
「お話し中失礼。……ちょっといいかしら?」
しかし。
ふと思いついたことを孫策に伝えようと口を開く寸前、放とうとした言葉は突然に聞こえた声によって飲み込むこととなった。
凜とした声が放たれた方向へと視線を動かせば、先の軍議で発言をし、そしてつい先ほどまで思考の中にいた人物――張莫が、そこにいた。
「あら、先陣を務める張孟卓が一体何のようかしら?」
「ああ、大層な用という訳でもないんだけど……そうね、提案ってとこかしら?」
「提案、だと……?」
自らが志願し、そして陶謙と協同して汜水関を攻める軍を率いる将が一体何用か。
そもそも何故自分達に用があるのか、と怪しむ孫策の視線に、それを向けられた張莫は少しも悪びれた様子もなく肩を竦めた。
「汜水関を攻めるにあたってだけど、私の軍は――いえ、陶州牧にも賛同を得ているから、私達ね、私達の軍は被害甚大による敗走を装って後退するわ。その時に、そちらの軍も一緒に下がって欲しいの」
「ああ……なるほど、そういうことか」
「どゆこと、冥琳?」
「なに、簡単なことだ。意趣返しをする、ということだろう?」
「ご明察、さすが周公瑾ね」
「……なるほどねー」
意趣返し。
その言葉を聞いた孫策も張莫の言葉を理解したのか、にやりと口端を歪ませて笑う。
そんな孫策と同じように口端を歪める張莫に、周喩は彼女が考え出した策に感嘆していた。
ようは、汜水関に連合軍が誘い込まれたように、連合軍もまた董卓軍を誘い込もうというものである。
張莫と陶謙が汜水関を攻める、というのは先の軍議によって決定したことだが、その二軍が撤退を装って後退する。
それに巻き込まれた形で孫呉の軍も――恐らく曹操にも話を通しているのだろうが、それらの軍も後退することになれば、董卓軍からしてみれば混乱していると見えることだろう。
絶好の機とみてもいいその隙を突かんとして出陣した董卓軍を誘い込み、そして反転した各軍によって包囲殲滅する。
それが張莫の掲げた策であった。
先に撤退していった董卓軍は五千ほどであったが、現在汜水関に籠もるであろう董卓軍はそれ以上いることは当然のことであった。
如何に汜水関が堅固といえど、二十万の連合軍に対して五千だけの兵で立ち向かうのは到底無理があるし、ここで簡単に汜水関を抜かれてしまっては先の罠が意味を成さないのだ。
汜水関の上にはためく牙門旗からも、それは見て取れた。
だからこその策であるのだ。
撤退していく董卓軍を指揮していたであろう『十』や『程』、『郭』の旗の将であれば、それらの策を理解し踏み潰すことも可能であろうが、汜水関の上にはためく牙門旗はそれだけではない。
『華』と『牛』が新たに増えている、それだけならまだしも、撤退に見せかけた罠への誘導を行った先の偽装に加わっていなかったところから鑑みるに、恐らく、その二旗はそれほど知謀を振るわせる将のものではないのだろう。
故に、罠と策が成功したと慢心しているであろう彼の将達を誘い出すのだ。
「……まあ、そういうことなら別にいいんじゃない。あなたの策、私達孫呉も一枚噛ませてもらうわ」
「それは重畳。では、悪いけどよろしく頼むわね。私はもう行くわね、時間が惜しいし」
それを理解しているからこその孫策の言葉に、張莫は少し安堵したように、嬉しそうに微笑んだ後に、他に回る所があるからと言ってその場を離れていった。
女の身でも少しばかり胸に来る微笑みと共にその背を見送ると、頭を振って孫策へと口を開いた。
「……私達もすぐに動けるようにしておきましょう、雪蓮。いつ戦況が動くとも限らないし」
「そうね……」
初めから後退するために動いていたのでは知られてしまうし、かと言って、張莫達が後退し始めてから動いては遅れてしまう。
そのために、事前に軍全体に周知しておき、いざという時に即座に行動出来るようにと手を打つために戻ろうとする周喩であったが、動こうともしない孫策にふと疑問を感じて首を傾げる。
「なんだ、まだ気になることでもあるのか?」
「んー……気のせいだと思うんだけどねー。……まあいいわ、早く戻りましょ、冥琳」
そうして。
ひらり、と先ほどまで訝しみ悩んでいたことなど見せるふうでもなく歩いていく孫策の後ろを、周喩もまた歩いていく。
その途中、ふと後背を――先ほどまでいた陣を見る。
孫策が危惧したこと、それが何かは分からない。
だが、この時の周喩もまた、言い知れぬ何かしらを感じて、少しばかりの不安を覚えていた。
「……まさか、な」
周喩がぽつりと漏らした言葉は、動き始めた戦場のざわめきの中へと消えていった。
**
「動き始めましたけど、どうにも一辺倒ですねー」
「……風の言うとおりですね。このような動きの時は、何かしらの策を考えているようなものですが……」
程昱と郭嘉の言葉を耳から脳へと取り入れながら、俺は眼下に広がる戦況を見つめていた。
さしたる被害もなく、俺達は汜水関へと逃げ込むことが出来た。
二十万の連合軍に五千という小勢で相対することこそ無謀と思われていたのだが、賈駆が考案した罠や、郭嘉と程昱が指示して構築した陣が役に立ったらしく、無事に逃げることが出来た俺としては、感謝しても足りないぐらいである。
奇襲、という案を俺が出した後にそれだけの策を思いつき煮詰めたりするのだから、本当に軍師様々というものであった。
そして、郭嘉の言葉に、俺はさてと腕を組んだ。
今現在、汜水関へと取り付き攻め込んできているのは『陶』と『張』の旗の軍勢である。
『陶』というのは恐らく徐州の陶謙の軍だろう――というか、陶姓を持つのが陶謙しか知らないのでそうではないか、というものだが、知識にある三国志においても、確か陶謙も連合軍に参加していた筈だよな、と思う。
『張』という旗は、それこそ思いつかない。
董卓軍に関係するだけでも張遼や張温、少し前では張譲といった人物がいるように、張姓の人物は三国志においてかなりの人数が存在するのだ。
俺が知っている知識で連合軍に参加した張姓といえば、張莫ぐらいしか思いつかなかった。
「……一刀殿の言うとおり、あれは恐らく張莫殿と思います。張莫殿と親しいとされる曹操殿の旗が近いことから、まず間違い無いかと……」
「なるほど、確かに奉孝殿の言うとおり『曹』の旗が近くにありますね。……けど、それだけで判断するのは早いのでは?」
「お兄さんの心配ももっともですが、その辺は大丈夫かと思いますよ。張姓で前曲を務めようとする人物となると、風も張莫さんぐらいしか思いつかないですしー」
他の張の人達は周囲に流されるまま連合軍に参加してて、そこまで本気では無いでしょうしねー。
そうのんびりと放つ程昱の言葉に、俺はなるほどと頷く。
「……風が買うような人が前に出るということは、何かしらの策を持ってってことかな?」
「それは分かりませんよ、一刀殿。防戦の指揮をしている牛輔殿にも聞いてみなければなりませんが、あの攻め様は本気のようでもあります。……策に頼ろうとするのなら、もう少し緩くなってもおかしくはないでしょうが……」
「稟ちゃんや風、お兄さんがそういうふうに考えるように誘導するのが目的かもしれないですけどねー。こればかりは、実際に動いてみないと分からないと思いますよ」
「……かといって、確かめようと先に動こうとするのも、数的劣勢のこちらとしては状況が許さない、か」
「そうですね。先の罠こそこちらが主導権を握る形であったから成功したようなものですが、現在の状況で動けば主導権は連合軍側にあります。主導権を握られ、流れを握られ、戦況をも握られる……それだけは、なんとしても避けたい」
「うーむ、どうしたものか……」
郭嘉の言葉に、俺は眉を歪ませながら腕を組む。
連合軍の有利の一つに将の多さが上げられるが、それはまた、不利にも繋がることである。
将が多いということはそれだけ指揮を執れる者が多いということであり、戦場の流れを知る者が状況に応じて動きやすいということでもあるのだが、反面、統率が行き渡りにくいということでもあるのだ。
先の罠は、そうした連合軍特有の弱点を攻める――すなわち、圧倒的劣勢の董卓軍が先に動き出すことによって警戒する者とそうでない者を分け、主導権を握る形で追撃してきた警戒していない者達を誘い出すことによって成功したものなのだ。
だが、現状は主導権を握れる形ではない。
汜水関の城壁に取り付き攻められている、という形で先手を取られているし、何より今出撃してしまえば、連合軍二十万のただ中に文字通り身を投げ出すことになるのだ。
汜水関に籠もる董卓軍は、総勢四万ほど。
董卓軍七万からすれば半数以上が汜水関にいることになるが、それでも、二十万には遠く及ばないのだ。
「連合軍が一度退いてくれれば、とも思いますが……」
「この状況でそれだと、明らかに罠でしょうしねー」
「仕方ない、か……風、奉孝殿、守勢の子夫殿と一度相談して――」
「――北郷ッ!」
一度防戦の指揮をしている牛輔と相談し、こちらの策をどうするかを――いつ用いるかを決めよう。
そう空気を振るわそうとした俺の言葉は、しかして、さらに大きな空気の振るえによって掻き消されることとなった。
そして、それを成した人物――華雄は、彼女の獲物である金剛爆斧を手にずんずんとこちらへと歩み寄ってきたのだ。
「北郷、いつになったら出撃するのだッ?! 連合軍は攻めに攻め続けておるが、成果も出せずに疲労困憊……今打って出れば、必ずや奴らを討ち果たすことが出来るのだぞッ。今こそ打って出る時ではないのか!?」
「……出陣の下知は下せません、葉由殿。少なくとも、連合軍が一度退き、何も無いと確認出来るまでは」
「それでは手遅れではないか! 撤退する敵を追撃してこそ痛手を与えることが出来るのだぞッ、そのような時にいちいち無事を確認していては、好機などあったものでは――」
「――お願いします、葉由殿。しばし……今しばし、お待ち下さい。連合軍が退き確認が出来た後こそ、功を上げる戦場となるでしょう。……その時までは、どうか」
「う、うむ……」
今こそ打って出る好機だと言う華雄の言葉は、よく理解出来る。
俺だって、隣に程昱と郭嘉がいない状況であれば同じ判断をしていたかもしれないのだ。
もし彼女達がいなければ。
俺の取る一手が董卓軍全将兵の身命を左右していたとすれば、そう思うと、俺は心臓が握りつぶされる思いであった。
であるからこそ。
賈駆と陳宮、そして程昱と郭嘉が考案し煮詰めた策を潰す訳にはいかないのだ。
いくら華雄が猛将とはいえ、四万の軍勢ほどで二十万の連合軍を倒せるほど戦というのは簡単ではないだろうし俺自身もそう思う。
故に、俺は華雄に対して頭を下げた。
「……よかろう」
「葉由殿……ありがとうございます!」
「仕方あるまい……お前がそこまで言うのであれば、な。ただし、連合軍が後退し始めた時は攻める。その時は私が先鋒でよいな?」
「……はい」
願いを聞き入れてもらうため――ではなく、謝罪のために。
俺はこの汜水関の戦いにおいて、華雄を出撃させるつもりなど毛頭無いのであった。
猛将として、又、董卓軍最強と名高い部隊を率いる将として、華雄の存在は実に有り難いものである。
彼女がいるだけで将兵の士気は向上するし、その武があれば如何様にでも策を弄することが出来るだろう。
何より、華雄自身の武勇は俺自らが身を以て知っているだけに、彼女がいてくれるだけでも十分に心強いものであった。
汜水関にて華雄が打って出る。
彼女の武勇をもってすれば、如何に多勢である連合軍といえど生半可な損害では済まないことになるだろう。
数的不利な側からすれば、それがもたらす損害は実に求めるものであり、普通に考えればそれを軸にして策を弄するのだろうが。
しかし、普通ではない俺が――その先に待つであろう彼女の最後を知っている者からすれば、それは断じて認めることの出来ない策であるのだ。
華雄にもしものことがあれば、恐らくは将兵の士気は激減し汜水関は容易く陥落することだろう。
であるからこそ。
諸説あるにせよ、その出撃が彼女の最後を決めてしまうのならば、如何に不利な状況において喉から手が出るほどに求める武勇であっても認める訳にはいかないのである。
俺が頭を下げたことでどれだけ心動いたのかは俺の知る由も無いが、その姿に何かを感じたのか、華雄は少しばかり息をついたかと思うとくるりと背を向けて城壁の中へと戻っていった。
その背を申し訳無く――彼女が求める行動を取らせられないことに申し訳なさと若干の罪悪感を胸に抱きながら見送った俺は、一つ息をついて顔を上げた。
「さて、と……とりあえず、子夫殿と状況を整理するために相談しようか」
「そうですね……策の機も話し合わないといけないでしょうし」
「ではではー、行くとしましょうかねー」
そうして。
ちらり、と眼下で繰り広げられる攻防戦に少しだけ視線を投げていた俺は、先に歩き出していた郭嘉と程昱の背を追う形で脚を進めた。
いくら二十万の大軍といえど、ずっと気を張り詰めさせている訳にはいかない。
攻める部隊の交代、食事、休息のための夜営など、どう工夫しても気は緩むものである。
それらの中で、策を実行に移すために一番効果的な機は何時になるか。
そんなことを考えながら、それらのことを話すためにと俺は城壁の中へと消えていった――
――だからこそ。
俺は忘れていたのかもしれない……気付いていなかったのかもしれない。
この目で歴史は繰り返そうとしている、ということを見たというのに。
**
届けられたその一報――二報は、策を実行するための機をある程度定め、これからどう動くかという話し合いを始めようとしてた俺達のもとへと届けられることとなった。
そしてそれは、こちらの思惑を尽く打ち砕くには十分なものであったのだ。
「も、も、申し上げますッ! 連合軍先鋒が被害甚大のためか本陣へと撤退していきますッ、それに加えて、その動きに巻き込まれた後曲の部隊と共に混乱している模様ッ! 打って出るなら今かと!」
「く、加えて申し上げますッ! 連合軍混乱のためか……華雄将軍が打って出られましたッ!?」