「うぅ……痛づぅ……」
「……一刀殿、わざわざ痛みをおしてまで休みの日に城を出なくてもいいのではないですか? そもそも、連日華雄様や恋様、霞様の鍛錬を受けておいて、その疲労を見かねた月様から命じられた休みであるのに……それでわざわざ悪化させていては元も子も無いと思うのですが」
「ぐわぁ……い、いや、琴音の言葉も有り難いんだけどさ、のんびりしてる暇も無いって言うか……うぐぅッ!?」
みしりみしり、と悲鳴を上げる身体が、馬が揺れる度に激痛を流すのを我慢している俺へ、同じように馬を歩かせる徐晃が心配した声をかける。
まあ、心配というよりはどちらかと言うと苦言のようでもあるのだが、そう思ってもらえるだけでも嬉しいものである。
だが、整地された地面でもなく、また歩く度に揺れてしまう馬の上にあっては、俺の身体はどうしても上下に動いたり細かい動きを捉えてしまうのだ。
その度に、華雄や呂布、張遼などに――最近では李粛やら趙雲やら馬超までもが参加し始めた鍛錬で打ちのめされている俺は、それによって生じた打ち身やら筋肉痛で情けなくうめき声を発しているのであった。
あの日の翌日――華雄に叩きのめされた次の日に彼女から謝罪されたことはあれど、特に大きな問題も無く洛陽の統治を進めていた董卓から一日休みをもらった俺は、自身の副官たる馬超を連れ添って洛陽の郊外で馬を歩かせていた。
殺しそうになったことと気絶させたことを謝ったきた華雄には絶句したが――あやうく殺されるとこだったのだから当然の反応なのだが、そういった経験も得たいと思っていた俺としては彼女を罰することは出来やしなかった。
まあ、問題無かったのだからそれで解決、とまではいかないまでも、今回のような幸運がいつも転がっている訳ではない、とした華雄によって俺は連日鍛えられることとなったのである。
幸運ではなく己の実力で死を回避してみろ。
そう言われた時には華雄らしい真っ直ぐな言葉だと思ったものだが、いざ本気の彼女を前にしてみればそれも簡単に言えるものではないということが実感出来た。
北郷流タイ捨剣術の極意だとか、あの時どうやって必死の戟を回避したのか――結局の所、華雄が想定していた実際に刃がある部分より根本に近い部分を受けたというだけのことなのだが、そういったことを鍛錬の合間に根掘り葉掘り聞かれてしまえば、次からは同じことは出来ないだろうなと思う。
遠心力だとか体術だとか、そういった様々なことを囓っていたからこそ、という今の現実に、俺は内心祖父に手を合わせたほどであった。
ありがとう爺ちゃん、俺、頑張って生きていくよ。
そんなことを思おうものなら、即座に拳骨とまだ死んでいないという言葉が降りかかってきそうではあるが。
まあそんなこんなで。
初め時間の空いた合間にと頼んでいた鍛錬はいつの間にか食後の運動――運動と呼ぶのに値するかどうかは別にして、そこから毎日の日課となり、そしてそれ専用の時間が出来るまでになってしまったのである。
しかも、それに参加する人数が徐々に増えていくのは如何なものか。
華雄と張遼、或いは呂布と初めこなしていた鍛錬は、いつしかそれに李粛と馬超が混じり、そして趙雲やら徐晃までもが参加するようになってしまえば、それに比して自らが刀を取る回数も増えるというものであった。
しかもである。
一対一に満足出来なくなったのか、ただ単に面白い方が良かっただけなのか、趙雲の戦場では多くの兵と戦うのだ、という言葉によって乱戦をすることになったりするのだから、それも更なる拍車をかけていたりするのだった。
「……それにしても、一体何用があって洛陽郊外――いえ、洛水近辺まで出るのですか? しかも、あの辺には賊が出ると知っていて」
徐晃の言う洛水とは別に洛河と呼ばれる黄河の支流であり、その名の示す通りに洛陽近郊に流れ込むものである。
その大きさは非常に広大なものであり、かつ洛陽の近くを流れることもあってか、重要な河川として董卓軍は見ていたのだが。
今回赴いているのは、その洛水のほとりにある山林だったりするのだが、ここ最近、その辺りで賊らしき人影が目撃されているということもあって、徐晃は注意しているようであった。
「んー、まあそれが賊と決まった訳ではないし、もしかしたらその地に住む民達だとしたら、どういった人達がそこで暮らしているのかを知るにはいい機会じゃないか。……それに、俺としても少しは気分転換をしたいし……ッ、いたた」
「まあ、一刀殿をそのようにしてしまったことには私としても責がありますから、その護衛というのも甘んじて受けますが……もうちょっとこう、男女がお互い休日二人で出歩くことに対して期待をさせてもらってもいいではありませんか……」
「ん、何か言った? ……って、痛ッ」
「いーえ、何も言ってはおりません。ええ、何も言ってはいませんよ」
ぼそぼそと呟くように言われた徐晃の言葉は、身体の節々が痛む度に奇声を上げる俺の耳に届くことはなく、彼女の突っぱねるような物言いにただただ首を傾げる――ことをするとまた奇声を上げそうなので、疑問に思うばかりであった。
そんな俺を無視するように、それに、と徐晃は続ける。
「一刀殿が言うことが本当であったとしても、洛水のみならずそれだけ広大な河川まで向かえば、それぞれの肥沃な地に根を張る賊や、水上で船を駆って村々を荒らす賊までいる始末ですから、多少なりとも兵を連れてきた方が良かったのではないか、と思います。一刀殿がどのような考えかは知りませんが……」
「んー、まあ大丈夫だと思うんだけどなぁ……。琴音もいるし、そっちの方は安心出来るよね」
「そ、そんなこと言われても、さすがに私とて百や二百の賊が来れば太刀打ちは出来ませんよ? 華雄様や恋様ならそれも可能かも知れませんが……」
「あー、確かにあの二人とかなら十分にいけそうだよね……琴音もいけそうな気もするけど」
「か、からかわないで下さいッ! そのようにからかわれてしまっては、いざという時に動けないかもしれませんよ!?」
「おおぅ、それは困るかな。でも、その時は頼りにさせてもらうよ」
「ふぅ……ですが、一応この地の賊のことをお教えしておきますね。……一刀殿のことですから、知らずそれらに話かけそうで怖いですからね」
ぽんぽんと進んでいく掛け合いに、先ほどまで何故か眉間に皺を入れていた徐晃の顔が徐々にほぐれていくのを、俺は安堵しながら確認していた。
まあ徐晃のような美少女にそういった顔が似合わない、ということを面と向かって本人に言えるほど軟派な男ではないと俺自身は思っているのだが、それを抜きにしてもそう思ったこともその一因である。
では、他の要因は何なのかというと――
「この地には白波賊という賊がいるとの報告がありますので、十分に気をつけて下さいね」
――俺を心配してくれているその徐晃の言葉を無視するということだろうか。
もっと正確に言うのなら。
今回の遠出、その白波賊こそが目的であると彼女が知ったときに、出来うる限りご機嫌を取っておきたいのだと言ったら、どんな顔をするのだろう。
そんなことを思いながら、俺はこれから来る時に思いを馳ながら、少し痛む胃を押さえつつ馬を歩かせた。
**
結論から言おう。
やっぱり怒られました。
「じとー……」
「うっ……あ、あのですね、琴音――殿? 今はそのようなことを言っている場合では……」
「じとー……」
「え、えとですね……なんかいつもと言葉使いが違うような気がしないでもないのですがとりあえず冷たい視線と一緒に殺気を放つのは止めていただければ……」
「じとー……」
「うぅ……ごめんなさい」
呆れやら怒りやらが込められた冷ややかな視線と共に、この間の鍛錬で華雄から感じたような首への殺気に背筋を振るわせる。
初めてみる言葉使いに、徐晃がどれだけ呆れているのか、はたまた怒っているのかは受け取れないが、とりあえずそういったふうにするぐらいには怒っているということは理解出来た。
それに耐えきれなくなって謝罪してみれば、やれやれといった雰囲気を徐晃から――ではなく、俺と横に座る徐晃の正面にいる男から感じることとなる。
「お前ら、少しは緊張感ってものを持たねえのか? いや、持たれても面倒臭えけどよ」
「持ちません。そもそも、賊と話すことなど何も――」
「――少しは黙ってろよ、小娘? ぐだぐだ抜かしてると、餓えてる男共の中に放り込むぞ? お前はべっぴんだからな、さぞかし喜ぶだろうよ」
「なッ!? ぶ、無礼者がッ、やはり賊は賊のようだ――」
「――黙ってろ、って言うのが聞こえねえのか? やれやれ、漢の将軍方は皆おつむが弱いと見える」
「言ったな、貴様ァッ!」
そう怒気を張らせながら横に置いてある大斧を手に取って立ち上がろうとする徐晃に、待ってましたとばかりににやりと笑う正面の男。
そうして互いに即動出来るように少し腰を動かした所で、俺は努めて冷静に声を発した。
「……落ち着いて、琴音。ここで怒りに身を任せてしまえば、それは向こうの思うつぼだ。少しだけ辛抱して欲しい」
「し、しかし、一刀殿ッ!? こやつは――」
「――ごめん」
「ッ……あなたに謝られては、従わぬ訳にはいかないではありませんか……命拾いしたな」
「……ちっ、それはこっちの台詞だ。ったく、なんだお前、このひょろっちい奴の言うことなんか聞いて、こいつに惚れてるのか?」
「なッ!? そ、そそそそんなこと、き、貴様には到底関係の無いことだろうッ!? 何を根拠にそんな――」
「――それで? そこの兄ちゃんが本題を話してくれるのかい? さっさとしてくれよ、こう見えても暇じゃないんでね」
唐突に徐晃の言葉を遮った男に対して、徐晃はその怒気を膨らませていった。
散々に振り回されて、挙句の果てに俺との関係に対してあらぬ誤解をされたから当然のことであるのだが、俺としては顔を真っ赤にするほどに嫌がられるのも微妙に悲しかったりする。
実は嫌われているのだったりするのだろうか、と心配になって落ち込みそうになる気分を必死に留めて、俺は男の視線を正面から受け止めた。
この時代ではあまり珍しくも無い服装を大いに着崩したその隙間から、実に引き締まった筋肉やら腹筋が覗く。
剣や槍を振るうだけでなく、かといってただ鍛えただけとは違う、戦うために鍛え上げられた筋肉を見れば、その男がただの賊ではないことが窺い知れた。
そんな俺の視線に気づいたのか、俺の視線を受けた男はにやりと笑った。
「そういえば自己紹介がまだだったな。俺の名は韓暹(かんせん)。この白波賊の副頭目をしているが、今日は一体何のようでここへ来た、天の御遣い殿? 見たところ矛を交えにきた訳でもなさそうだし……ああ、やっぱりそこの女を売りに――」
「率直に言えば、これかな」
「――って、ああん、なんだこれは?」
そうして。
自ら自己紹介をすることによって俺との会話の主導権を取ろうとした男――韓暹の言葉を遮る形で、俺は懐から取り出した一握りの袋を目の前に置いた。
それなりに頑丈に作られたその袋はずしりと重く、それは俺の動きを見ていた徐晃も感じたのだろう、俺へと疑問を投げかける視線を向けてきた。
俺が懐へ手を差し入れたことに反応していた韓暹もまた、同様の視線を向けてくる。
飛び道具でも出てくると思っていたのか、投げかけられる視線には戸惑いの色が混ざっており、いざという時に即動出来るようにと腰を浮かせた体勢のまま固まっていた。
その袋の中身を見ようとしているのか。
それとも、それに隠された俺の意図を探ろうとしているのか。
およそ賊徒の副頭目とは思えない視線を袋と俺の間で往復している韓暹の視線に、俺はやはりと安堵していた。
これなら。
そう確信めいた思いを抱きながら、俺は袋の中身をその場へとひっくり返した。
「これであなた方を――白波賊を雇い入れたい」
その場に散らばるは琥珀やら翡翠の色に輝く鮮やかな宝玉宝石の数々。
その所々から覗くは豪華絢爛に飾りを施された装飾品の数々。
それらを前にして驚愕で表情をひっくり返した韓暹の表情に、俺はにやりと口端を歪ませた。
「……おいおいおいおい。正気か天の御遣い殿よ、頭に蛆でも湧いてるんじゃねえのか?」
「残念だけど至極真面目に話しているよ。そうだな……これで不足ならこの三倍持ってこようか? 持ち運びできる量がそれぐらいだったんだけど、まだいるのであれば――」
「――その宝石なんかのこともあるが、それよりも俺達を雇い入れたいという話の方こそ信じられねえな。漢の――お前らの立場からすれば俺達はお尋ね者だ、厄介者と言ってもいい。それを討伐する訳でもなく、逆に雇いたいなどと言われればその裏を勘ぐるのは当然のことだろう。最悪、洛陽に引き寄せておいて一網打尽の可能性さえある」
みすみす死にに行けとでも言うのか。
徐晃よりも早く驚きから回復した韓暹との言葉の応酬、その端々に言外な韓暹の意志が露わになる。
確かに、韓暹の言いたいことも分かるし、俺だって同じ立場になればそう勘ぐることだろう。
それを踏まえると、今回、白波賊を訪れたことはほぼ正解であったと言っていい。
「……一発目から当たりを引くとは、中々に運が良いのか?」
「ああん、何をぶつぶつ言っている?」
「いや、何でも」
「けっ、まあいい。それで? あんたを信じられない俺達に、お前は一体何をするっていうんだ? 金を出すだけじゃ、俺達はあんたを信用することは出来ねえな」
そう言って腕を組む韓暹に、俺は再びにやりと口端を歪める。
これが頑なに無理だと言われてしまえば交渉するにもやりにくくなるのだが、韓暹の言い方からすれば条件次第ではあるが、話を聞くだけ聞いてくれるみたいなのだ。
しかもである。
ちらりと僅かながらに視線が動いた韓暹に、俺はさらに笑みを深める。
彼の視線は後ろを――まるで自らの背後に隠す何かを気にするように向けられていたのだ。
ともすれば、その背後に隠す何か、が俺の予想通りであって欲しいと願いながら、俺は口を開いた。
「では……あなた達が必要としている物資を優先的に届けるようするよ。衣、食、それらに関する全てのことに対して。ああ、これは賄賂なんかじゃなく正当な報酬となるから勘違いはしないでくれよ」
「……勘違いではないことは分かったが、そこまでして俺達を雇うことに何か意味があるのか? こう言っちゃなんだが、俺達は賊だぞ? そこまであんたがする意味が――」
「それと、最後の住に関してだけど」
「――ッ!? ま、まだあるのかッ?」
膨大過ぎる報酬――というよりは、賊という団体を雇うにはあまりにも破格な報酬に、いよいよをもって韓暹の表情がその形を崩し始める。
驚きとも戸惑いともに崩れたその表情に止めを刺すように、俺はにやりと口を歪めながら最後の報酬を口にした。
「――望まれるのであれば、洛陽への転居も受け入れるよ。これで俺が挙げれる報酬の全てだけど……それでどうかな、韓暹殿? いや、この場合は頭目たる楊奉殿に聞いた方がよろしいかな?」
**
「くく……くくく、あーはっはっはっ!」
俺の言葉を受けて静まり返っていたその場に、唐突として笑い声が起き上がる。
それは、それまで驚きと呆然が混じった表情の韓暹でも、俺の隣に座る徐晃のものでもない。
女性特有の柔らかい声でありながら豪快に笑うその声が止んだかと思うと、韓暹の後ろ――垂れ幕で隠されていた空間から一人の女性が現れた。
ふわり、と。
足下まであるであろう柔らかく豊かな銀に輝くその髪は、雑に紐で纏められながらもその輝きを損なうことはなく。
胸元を覆う衣服は胸下から腰骨にかけてまでが大きく取り払われ、その陶磁のように白く艶めかしい肌によって造り出される腰のくびれを、これでもかと強調しているようであった。
腰は大きめの布を斜めにかけただけのようであり、布と布の間から覗く太腿もまた、白く澄んだ肌であった。
そしてその顔は何処か中華の大陸の風ではなく、どちらかというと北欧とかそちらの印象を俺に抱かせた。
理由としては、僅かにかかるほどに染まったその紅瞳であろうか。
透き通るような――まるで一つの宝石ではないかと思える瞳に、俺は見つめられていた。
「……一つ聞きたい。いつから気付いていたんだい?」
「……それは楊奉殿がそこに隠れていたこと? それとも、白波賊が決して賊徒の集まりではないということだろうか?」
「ははっ、そこまで気付いていたのかい? となると、あたし達を雇い入れるという話、どうやら本気のようだねぇ」
「か、一刀殿ッ、一体どういうことなのですか……ッ!?」
やれやれ、と頭を押さえるような仕草の韓暹の背を叩く楊奉に、徐晃だけがその場の空気を理解出来ずに頭の上に疑問を飛ばす。
いつも真面目な顔をして真面目に過ごす彼女の意外な一面を今日一日で随分見たなあ、と思いつつ、俺は彼女の疑問に答えるべく口を開いた。
「まず一つ。琴音の言うとおり、この地域には賊が蔓延っているとの噂と情報があったし、それは俺も耳にしていた。だけど考えてみてくれ。この地を基盤とした賊の勢力がいる筈なら、俺達がそこに足を踏み入れたことに対する動きが全く無かったことはあまりにもおかしい。もし動かないという判断をしたにしろ、それだけの判断を下す人物がいるのならそれだけ名が通っているのもおかしいんだ」
「それは……私達は二人だけでしたから襲うに能わずと思ったのではないでしょうか? それに、それが罠だとも思っていたのではないですか?」
「うん、琴音のその意見はもっともだと思う。ただ、そこに二つ目がある。ならばなぜ、彼らは――この場合は白波賊の副頭目である韓暹殿の指示になるけど、俺達を即座に襲うことはせずにここまで通したのか、ということなんだけど。俺はまだしも琴音ぐらいに可愛い女の子がいれば、賊のことを考えるのならそちらの方が説明が付かない。それこそ、ここに連れてこられる前に襲われている筈だと思うんだ」
「そ、そんな……可愛いだなんて……。で、でも、それもこちらを危険な人物だと恐れていたからでは? 休日の遠出とはいえ、私としても鎧は着込んでいますし武器も持っています。それこそ、恐れていて何も出来なかったと考えることも……」
「そこで最後なんだけど。俺達を恐れているのなら、余計におかしいことが出てくるんだ」
その俺の言葉に首を傾げる徐晃に苦笑しつつ、俺は視線を韓暹と女性――楊奉へと向けた。
「俺達を本当に恐れているのなら少なくとも護衛は付けるだろうし、付けないにしても一人では会わないだろう。それに、賊の中で頭目の決め方を知る訳はないけど、副頭目より頭目の方がそういった場の心得を知っている筈なのに、俺達に顔を通したのは副頭目の方だった。ここまで来れば自ずと答えは決まってくる――」
――すなわち、白波賊はただの賊では無い、ということが。
答えは如何に。
その意味も込めて向けた視線に、楊奉は手を打って応えてきた。
それが正解なのか間違いなのかはすぐさまに理解出来るものであり、彼女の笑みもあって、俺はようやく事が進んだことを理解するのであった。
「いやはや、流石は天の御遣い殿。そこまでこちらの意図を見抜かれてしまっては、こちらも立つ瀬が無いと言うものだが……ふふ、実に面白いお人だね」
「……何でそんなことを、と聞いても?」
「ん、別に構やしないよ。白波賊がそうやってこの地域に名を馳せていれば、この地には民が近づかない。そうなれば民が襲われることも無く、その被害を受けた民から賊討伐の要請がいくこともない。ともすれば、あたし達は平穏無事に暮らせるっていう訳さ」
白波賊っていうのはそういう面倒が嫌いな奴の集まりでねえ、あたしも興建もそういう奴なのさ。
そう徐晃の疑問に応えた楊奉はひとしきりからからと笑った後、韓暹の横へと座り、表情を引き締めた。
「白波賊、楊猛志以下五十三名、本日この時をもちまして天の御遣い殿の指揮下へと収まりましょう」
「え、と……うん、よろしく頼むよ。ついては敬語なんかは止めてくれれば嬉しいんだけど……俺としても面倒なのは――」
「さて……だったら話は手早くいこうか。興建、みんなに知らせて明後日には洛陽に発てるように準備をさせておいておくれ」
「了解した」
「――なのは……全く気にしてなさそうだから別にいいか」
「……一刀殿、少しは気にしましょうよ」
真面目になったと思えばいきなり元に戻ったりとする楊奉に、それ以上突っ込むのも面倒くさいとばかりに諦めた俺へ徐晃は呆れる言葉をかけてきた。
いやだって面倒なのが嫌いなんならそういうのは手間じゃないか、と思ってのことなんだけど。
そんなことも関係無しに韓暹や呼んだ人に次々と指示を出していく楊奉に、本当に面倒なのが嫌いなのかと思わないでもない。
そんな彼女を見ていた俺へ、楊奉はくるりと振り向いた。
「そう言えば天の御遣い殿――ああもう、面倒臭いから大将でいいや。それで大将、あたし達を雇って、一体何をさせるつもりだい?」
ああ、あんた専属の情婦でもいいよ。
そんなことをくすりと笑いながら言われ頭に血が昇る感覚を覚えるが、横からじと目で見てくる徐晃に気付いて慌てて頭を振ってそれを誤魔化す。
その様が面白かったのか、くすくすと笑う楊奉にどうにか視線を戻しつつ、俺は口を開いた。
「諜報機関――ようするに、細作の部隊を作ろうかと思いまして」
「ほう……細作の部隊、か。小規模で使うそれらの規模を大きくして、一個の部隊として使う、か。……いやはや、ほんに面白いことを考えるお人だねえ」
「確かに、これからの戦いでは情報を敵に先んじて手に入れることが重要になってくるでしょうが……まさかそれを成すために部隊を丸ごと作るなどとは……この徐公明、まだまだ足りません」
「うん。それらの指揮官として楊奉殿と韓暹殿を。そこから俺との中継ぎとして琴音に間に入って欲しいんだ」
「それは構いませんが……何故私に?」
「……俺が全部面倒を見る訳にはいかないし。詠やねねには子飼いの細作がいるだろう、かといって武官の面々で面倒見切れるかと聞かれれば――」
「――ああ、無理かもしれませんね」
「だろ? その点、琴音なら安心して任せられるから適任だと思うんだ。それも踏まえて連れてきたんだし」
だからね、よろしく頼むよ。
そう微笑みながら――ここで強引にでも決めさせておかないと初めの頃の怒りが再沸するかもしれないと思った俺は、無言の圧力が出るようにと笑顔で徐晃へと迫る。
そんな俺から視線をきょろきょろと彷徨わせて俯いていく徐晃に、笑顔で迫るのは失敗だったかとふと不安になる。
笑顔で有無を言わさずに押し切る……実に不気味な画であった。
そして。
こくり、と小さく頷いた徐晃に安堵を覚えつつ、俺は再び楊奉へと視線を戻した。
「それじゃ大将、あたし達の新しい呼び名でも考えておいておくれよ」
「……へ?」
「へ、じゃないよ。いつまでも白波賊のままだと、話になんないじゃないかい。将兵に話をするのに、賊です、と名乗る訳にもいかないしねえ」
「……それでそうだなあ」
うむ、実にごもっともである……ごもっともであるのだが、そこまで頭を回していなかった俺としてはどうしようかと頭を捻り――後日、改めて決めることにした。
白波賊を白波賊として雇った気である俺としてはそう言われるとは思ってもいなかったのだが、まあ楊奉がそう言うのなら考えねばならないだろうととりあえずは頭の片隅にそれを置いておいた。
そうして。
この日をもって、董卓軍に新たな部隊が生まれることとなる。
天の御遣いである北郷一刀の直属として出来たそれは、一時は元が賊であったという噂が流れることもあったのだが、その噂に負けることなく任を全うした彼らによって董卓軍は大きく飛躍を遂げることとなる。
他国の情報を探し、そして自国を探る他国の細作を排除する彼らは、こう呼ばれた。
北郷一刀直属の諜報機関『忍』。
そしてそこに所属する者は、忍ぶ者と書いて『忍者』と。