「……なるほどねー、そういう訳、か」
徐晃が暴れた兵士達を城へと連れ戻った後、俺はことの次第を孫策達と共に確認しあった。
俺が駆けつけ、尚かつ制圧したとはいえ、あの状況だけでこちらが全て悪いと言うわけにもいかないだろうと思ってのことだったのだが。
自分達は悪くないと孫策達が気分を害するだろうか、と思っていた俺の不安は、賛同した孫策と周喩の声によって杞憂と消えた。
「いや、本当に申し訳無かった……。特に、そちらの方々には多大な迷惑をかけたみたいで」
「いやなに、大事になる前に孫策様方が来られましたのでな。儂も孫達も、さしたる怪我もありませんのでお気になさるな」
「でも御爺ちゃんは蹴られたんだよッ!? こいつらには謝らせるのが筋ってもんじゃ――」
「小橋や、全てのことは、それが善か悪かなどという二つのことしかないとは決して言えぬ。そこに義が入る者もおれば利が入る者もおろう。元々は此度の件、こちらが粗相をしたことが始まりだったしのう。そういった中で、北郷殿ばかりを責める訳にもいかぬであろう?」
「うぐっ……それは、確かにそうだけど」
「うぅ……私が最初にぶつからなければ」
「そういったことも踏まえれば、北郷殿は儂らに対しても、孫策様達に対しても、そして自分達にとっても手堅く事を纏められたのじゃ。感謝するのは当然のことよ」
まあ、もう少し上手くいく方法もあったじゃろうがの。
そうにこやかに言われた俺は、その通りです、とばかりに頭を下げる他しか無かった。
まあ前回の姜維の時みたいに城から将が来るのを待っても良かったのだし、俺自身の名を使って止めることも出来ただろう。
洛陽の民に反感を抱かせず事を纏めるという策を考えつかなかったことは事実なのだから、まさしく彼の――橋公の言う通りと言えた。
互いの状況を確認し終えた俺達は、往来のど真ん中から端の方へと移っていた。
周囲で状況を見守っていた人々も既に散れており、俺達のそういった動きを気にする者は特にいなかったのである。
そこで聞いた話と言えば、何進の招集に応じてはみたものの軍勢の集結に遅れてしまい、結局のところ洛陽へ迫ったのも既に何進の死はおろか、大火によって失われた諸々が復興を始めたこの時機、と言う周喩の話であった。
洛陽に来たのはいいものの何もすることが出来なかった彼女達は、とりあえずは洛陽の城へと挨拶に行く時に、今回の騒動に巻き込まれたらしい。
それだけ聞けばそれもあり得るのか、と思えるものなのだが、俺としてはその騒動で助けた人達と孫策達との関係性が非常に興味引かれるものであったのだ。
橋公、そしてその孫娘である大橋と小橋の双子の姉妹。
孫策の妻として大橋が、周喩の妻として小橋がそれぞれ有名であることから、全くの無関係では無いのでは、と思っていたのだがよくよく話を聞いてみれば橋公は孫策の母親――孫堅の古い友人であるらしい。
その辺はどうにも俺の知る歴史とは違うのだな、と思うものだが、それでも美女と呼ばれるその姉妹は――まあ見た目どちらかというと美幼女であるのだが、その名の通り二橋と呼べるものであった。
曹操が彼女達を欲したがために赤壁の戦いを起こした、なんて説もあるぐらいである。
先に出会った曹操の人となりを思い出して、ちょっと有り得そうと思ったのは秘密である。
「ふぅ……こちらとしても本当に助かったわ、北郷殿。この馬鹿娘が勝手に動いたままだったら、余計に面倒なことになっていたでしょうし」
「ぶーぶー、私、馬鹿じゃないもん」
「後先考えずに動くあなたが馬鹿でなくて、一体誰が馬鹿だと言うの、雪蓮? ああ、ごめんなさい。猪、と言い直した方がいいかしら?」
「あー、ひっどーい、冥琳! 私、猪みたいに直進ばっかりじゃないのに! むしろ考えを変えない冥琳の方が――」
「――私の方が、なにかしら、雪蓮? 今私のことを猪と、そう呼ぼうとしたのかしら?」
「あ……あははー……やだなー、冥琳。笑顔が逆に怖いわよー?」
「ちょ、ちょっと孫策殿ッ!? 何故に俺の背中に隠れられるのでしょうかッ!? 周喩殿もそう怒らないで――ヒィッ!?」
そうしてギロリと睨まれた孫策は、キョロキョロと逃げ道――もとい、隠れられる場所を探したと思えば、ここだと顔を煌めかせたとばかりに俺の背中へと逃げた。
そのままひょっこりと俺の右肩から顔を覗かせて周喩へ視線を投げかけるものだから、孫策の髪やら肌から香る甘そうな匂いに包まれながら、俺は孫策と共に周喩の氷点下とも呼べる視線を浴びることになったのである。
俺を巻き込まないで下さいと一言言いたい――そう思いながも時々背中に当たる柔らかい感触に、知らず意識を寄せてしまう俺であった。
まあそれはともかく。
ぶーぶー、と俺の背中から離れていく孫策に若干の惜しさを感じつつ、そんな俺達を見て笑っていた橋公に、俺は視線を向けた。
「それで、橋公殿や皆様方はこれから如何なされますか? あの兵達はこちらが責任持って処罰をするにしても、今回の一件で目立ってしまってはこれから暮らしていくのにも不自由があるやもしれませんし……。もしよろしければ、城へ住まうのも――」
「そのことなのですがな、北郷殿。儂らは、孫策殿のところへお世話になろうと考えておりましてな」
「うん。元々母様の古い友人を誘おうって目的で私達は洛陽に来たんだしー、どうせなら私達が帰るついでに一緒に行っちゃえばいいんじゃないか、ってね。ああ、あなたも一緒にどうかしら? 今なら――」
「――ご遠慮しておきますよ。……その目的の先に何を目指しているのか、ここでは聞かないことにしておきましょうので、それで勘弁して下さい」
「そうしてくれると助かるわ。……何でそんなにぺらぺらと話すの、雪蓮? 北郷でなければ何を言われてもおかしくはないのよ? 少しは自重して頂戴」
「ぶー……はいはい、冥琳に従えばいいんでしょ? まあ、北郷なら大丈夫かなっと思ったんだし、結果そうなったんだから別にいいじゃない」
結果がよければ課程は気にしなくてもいい訳じゃないのよ。
こめかみに手をやりながらそう呟く周喩に苦笑を漏らす。
それは橋公も同じようで、ちらっと視線が合うと同じ感情を抱いていたことに共に笑いあった。
「こほん……それでは、孫伯符殿。橋公殿およびその御息女方の護衛、そしてそちらの領地への受け入れ、お任せしてもよろしいかな?」
「……ふふ。不肖、孫伯符、その任、命に代えましても必ずや遂げることをお約束いたしましょう。……さて、と。そうと決まれば早く動くに限るわね」
「そのようですな。……大橋、小橋や。先に帰り、越す準備をしておいてくれないかね?」
「はい、御爺ちゃん」
「うん、行こうお姉ちゃん」
「では私は、その受け入れの準備を行うとしようか。祭殿にその旨も伝えねばならんしな」
態とらしすぎるぐらいに仰々しくしてみれば、予想以上にノリのいい返事が孫策から返ってきたことに、自然と笑みが溢れる。
そうして二人して笑った後、顔を引き締めた孫策は即座に行動を指示した。
そんな様子に、彼女もまた英雄の名に恥じぬ人物なのだ、と俺は理解する。
そうして。
小橋と大橋が引っ越すための準備に、周喩がその受け入れのための準備に消えた後、その場には俺と孫策、橋公が残るのみとなった。
ただ、周喩が去る直前にちらりと孫策と橋公に視線を投げかけていたのは何だったのか。
その理由を聞こうにも周喩は既にその身を雑踏に紛れ込ませており、孫策達も先のそれを感じさせぬほどに飄々としていた。
先ほどのは俺の気のせいだったのか、と首を傾げるばかりである。
そして。
そんな俺の反応を待っていたのか、不意に橋公が口を開く。
「……さて、北郷殿にお聞きしたいことがあります」
「は、はあ、一体何でしょう?」
「なに、そんなに身構えないでもよろしい。先ほど、孫策殿が断られたみたいなので、儂の方からもお伺いしようかと思いましてな」
ふぉっふぉっふぉ、とまさしく好々爺の如く笑みを浮かべる橋公に、疑問に首を傾げていた俺は不意を突かれたこともあって知らず身構えていたらしい。
それを指摘されて幾分か力を抜いた所を見計らってか、橋公は幾分か姿勢を正して続けた。
「あなた方董卓軍が洛陽に来てそれほど時間も経っておりませんが、北郷殿の才、人柄、どれを取っても後々の孫呉にとって有益なものであると判断いたしました。そして、重ねて申し上げれば天の御遣いというあなた様の血と骨を、孫呉の地に埋めて貰いたいのです」
「……俺に孫呉に降れと?」
「御意。加えて、北郷殿の血――ようするに胤ですな、それを孫呉の将、そして民に広めてもらいたいのです」
「……ようするに、民を治めるのに天の血を使って、孫呉の将兵は天の一族――または天の軍という渾名が欲しいのよ」
無理矢理じゃなくて両者同意の上ならどの娘とも契っていいわよ、何なら一号は私でもいいんだし。
そう言った――むしろ隠すことなく堂々と言い切りやがった孫策は、ニヤニヤと笑いながら俺の腕へと自らの腕を絡ませた。
んふふー、何て耳元で笑うものだから、腕を圧迫する温かく柔らかい感触に混じりながら、どことなく甘ったるい匂いが鼻腔をくすぐる――微かに酒の匂いがするのは気のせいだろうか、というか酔ってるんじゃないだろうな、この人?
そんな若干楽しそうな孫策とは対照的に、橋公の視線には真面目なものが入っており、今しがた自らが放った言葉が本気であると暗に示そうとしているようであった。
まあ孫策の態度は、はたから参考になりそうもないので切り捨てておく。
そんな橋公の視線に耐えきれなくなった俺は――腕に感じる柔らかい感触は出来るだけ無視して、空いている手で頭を掻いた。
「男としては非常に魅力的なお話しではありますね」
「で、では――」
「――ですが、申し訳ありませんがお断りさせてもらいます」
「えー、何でよー? 冥琳もその案には賛成してるんだから、公認で女の子とイチャイチャ出来るのよ、男なら受けるしかないでしょう?」
何で何で、と腕への絡みを一層強くする孫策を出来るだけ無視しつつ――それによって訪れる魅惑の感触も出来うる限り無視して思考の外に弾きつつ、俺は橋公へと視線を向けた。
「あー、まあ曹操殿にも同じようにお断りはさせてもらったんですが、この地にきて俺を拾ってくれたのが董卓だったんです。俺はその恩を返したいと思っていますし、橋公殿だってそういった恩を返そうともしない俺を孫呉に迎えたって面白くないでしょう? ですから、お誘いは嬉しく思いますけどお断りとさせて下さい」
それに、と俺は言葉を続けた。
「いくら同意の上ならと言っても、俺にそこまでの甲斐性があるとは思えませんし、そうやって、その……契る、と言うのは自ら身を預けるに値すると信じた方とお願いします。いくら孫策殿と橋公殿が言ったとしても、そんなに簡単に信じてもらえるとは俺も思っていませんしね。ですから、申し訳ありませんけど」
「ぶー……じゃあ、もし私達があなたを拾っていたら、そのまま孫呉にいたかもしれないってこと?」
「……まあ、俺の話からいけばそうなりますね」
「そのまま孫呉にいたら、天の血が孫呉に入っていた可能性もあるっていうこと?」
「……まあ、可能性はあったかもしれませんね。そこまで信じてもらえるかどうかは別にして」
「ふーん……よしっ、じゃあ初めからやり直してッ! そこを私が拾ってあげるから」
「無茶言わないで下さいッ!?」
ねーねーいいじゃん、とか何とか言いながら俺へと迫ってくる孫策を押し止め――いやマジそろそろ勘弁して下さらないと困る感触を押し止める俺を、橋公はじっと見つめていた。
その視線には気づいていたのだが、何分腕に感じる柔らかい感触やら孫策の髪から香る甘い匂いやらに堪えるのに一生懸命で、そこまで気を回す余裕が無かったりもするのだが。
それでも幾分か俺を見つめていた橋公は、溜息をついたかと思うと仕方がないとばかりに苦笑した。
「やれやれ、振られてしまいましたかな。老いぼれとしては文台様の孫らの顔を見なければいけないと思っておりましたが……いやはや、ままならぬものですなあ」
「えー、橋公そんなこと思ってたの? 別に私、子供なんていらないんだけどなあ」
一号は自分でもいい、なんて言っていた人の言葉とは思えないんだけど。
そう口から出かかるのを必至で堪えた俺は、危ない危ないと心の中で安堵した。
こんなことを言おうものなら、再び俺への攻めを孫策が行うに決まっているのだ。
ちょっと惜しい気も――いや、ここは心を鬼にしてでも堪えるべきであろう。
そんなことを考えている俺を知って知らずか、くすりと笑った孫策は俺の腕から離れていった。
柔らかい確かな感触と人肌の温もりが失われ、腕にひんやりとした感覚を覚える。
若干名残惜しい気もするが、孫策はそんなこと知らないとばかりに橋公の元へと戻った。
「さーて……大橋ちゃん達も冥琳も準備が済んでることだろうし、そろそろ行きましょうか、橋公」
「ふむ……そうですな。北郷殿、今日のところはここまでとさせてもらいましょうが、儂も文台様にしごかれた身。これしきのことでは諦めませんぞ? カッカッカッカ」
「じゃあね、北郷。また会えることを期待しておくわ」
笑いながら足取りも確かに歩いていく橋公の後ろを、ひらりと身を翻した孫策がついていくのを、俺は半ば呆然としながら見送っていた。
何というか、曹操達とはまた違った凄みのある人達であったのだが、あれが小覇王とまで呼ばれるようになる孫策であるとなると、それも理解出来るものであった。
それにしても。
孫策と周喩が女性であるということは、その妻となるべきの大橋や小橋は一体どうなるのかなんて思ってたりもしていたものだが……その相手がどちらも幼気な少女達であっても孫策と周喩の関係を見ていると何でもありな気もしてくるのだから、今いちこの世界のことは理解出来ないものである。
見るからに女の子という彼女達が実は『男の娘』と書いて『おとこのこ』と読むような人物であったら何も問題はないのかもしれないが。
まあ今となっては詮無きことか、と俺は思考を切り替えるために頭を振った。
とりあえずは、戻って新たに来ているであろう事務仕事を片付けて、徐晃や警邏に出るであろう将達と警備関係の改善草案を練り上げて。
その後は模擬戦と軍備の拡充についての報告書を纏め上げて、と。
考え出したらきりがないこれからの予定を頭の中に浮かべながら、それよりもまずは飯だな、と先ほどから自己主張の激しい腹を押さえながら、俺は目当ての店の戸をくぐるのであった。
**
それから数日後。
洛陽の街を警邏する専門の部隊――警備隊を発足させようという話になったり、模擬戦が物足りないからどうにかしろと言われたり、洛陽に駐屯するに当たって長安のことも考えないといけなかったり、と。
それこそ一日が二十四時間では足りないほどに感じる日々を過ごしていた俺は、さて今日は何をするかなとばかりに考えていた――ところまでは覚えているのだが。
現在の状況と言えば、何故だか視界一杯に青空が映し出されているのである。
「ふぐぅっ!?」
そして唐突に訪れた――襲われた衝撃によって、自分が先ほどまで空を舞っていたことを思い出す。
思い出すというか、ただ客観的に自らの状況を冷静になって考えてみれば気づいたのであるが。
それを成した人物へ視線を向けてみれば、俺をぶっ飛ばしたことなど気にすることなく堂々と言い放ってくれた。
「ほら北郷ッ、さっさと起きろッ! 鍛錬はまだ終わっていないぞッ!」
「うぐぐ……葉由殿、少しは手加減ってものを……」
「何を言う? 本気で取り組まねば鍛錬になどなるものではないし、そもそも本気で来いと言ったのはお前ではないか?」
「……はい、その通りです」
そう言われてしまっては、痛む身体をおして起き上がるしか他に道はない。
何とか持ち堪えていた剣を杖のようにして起き上がりながら、俺は何故こんなことをし始めたのかを思い出していた。
洛陽の街中にて孫策達と別れた翌日。
橋公や大橋、小橋の準備が終わった後、孫策と周喩と共に洛陽を発した彼女達を見送った。
その別れ際まで付いてこいだの天の血を入れろだの言ってくる孫策をあしらいながら、ようやっと洛陽を発してくれた彼女達に俺は少しばかり安堵していた。
短い間の付き合いであるがあの孫策の性格だ、いつ董卓に直談判しに行かないかが心配でならなかったのだが、それも杞憂であったらしい。
とは言っても、発する前に周喩から聞いた話に大分引き留めたのだと聞けば、彼女に頭を下げるしかなかったのであるが。
董卓のみならず、これが賈駆などに聞かれていれば俺の今は亡かったかもしれなかったのだ。
本当に、周喩には感謝してもしきれぬ。
ちなみに、それを――天の血を入れるという名目で女の子といちゃいちゃするという孫策の言を知った小橋から凄まじく冷徹な視線を受けたことは、俺の精神を存分に斬りつけてくれるものであった。
そんなこんなで孫策達を見送った俺は、その足で華雄に――張遼や呂布も含めた武人達に頼み込んだのである――
――俺を鍛えて欲しい、と。
孫策達に会って思い出したことだが、俺が心配していること――反董卓連合が組まれるのはそう遠くはないことであろう。
その時に軍を指揮するのが誰になるのかは分からないが、全将兵をもってこれを防ぐのは間違いないと言える。
となると、一番の要所となるのは汜水関と虎牢関での戦いである。
三国志演義のみに出てくる汜水関ではあるが、どうやらこの世界にも存在しているみたいで、虎牢関と双璧を成す洛陽防護の防壁として機能している。
詳しくは知らないので割愛しておくが、反董卓連合が組まれれば初めの戦いはそこで行われることだろう。
そうなってくると、いよいよをもってそれに対しての対策を練らなければならなくなってくるのだが。
一番の問題となってくるのが華雄のことであった。
董卓軍に所属する将の中で、彼女だけがこの時点で――洛陽に迫る前に討死してしまうのである。
俺の知る歴史では、関羽か孫策――孫堅は既に没しているらしいので、恐らくはその娘の孫策になるのであろうが、それらの手によって。
そして、それが直接的な原因かは分からぬが、華雄の死によって汜水関が陥落するのであれば、これに注意するのは当然のことであった。
もっとも、俺としても汜水関が陥落するから、という理由だけでこんなことを考えている訳ではないのだが。
まあ、それはともかく。
そうして俺が考え出した答えが先の一言であったのだ。
「でえぇりゃぁぁッ!」
「ははっ、中々に良い剣戟だが……如何せん甘いわぁッ!」
「ぐおぅ……ッ、まだまだまだぁぁッ!」
「ふふんッ、かかってくるがいいッ!」
たとえ知略をめぐらし敵を防ごうとも、いざそれでどうにもならない場面に陥ってしまえば、必要となってくるのはその場を凌げるだけの武である。
董卓軍最強の部隊を率い、天下無双と豪語する華雄ならばそれも可能であろうが、それでも俺の知る歴史から考えれば負ける可能性があるのだ。
となると、前線の将でもある華雄を守るという話になるのだが、それを成そうと思うには自らも前線へと出なければならないのである。
なおかつ、華雄に勝つであろう将に勝とうと思うには華雄よりも強くてはいけない。
だからこそ俺は、どれだけ無謀でも彼女に勝たなければいけない……のだが。
「脇が甘いッ!」
「ぐぅッ!?」
「注意が偏っているぞッ! それでは即座に首を落とされるッ!」
「がぁッ!?」
「ええい、小手先だけで凌ごうとするなッ! 身体全体を使わねば、一撃必殺の豪撃を防ぐことなど出来はせんぞッ!」
「づぅッ!?」
結果としては散々である。
斬りかかろうと振り上げた腕をすりぬけた石突きは脇腹へと叩き込まれ。
フェイントを入れて隙を作ろうとしても、そんなもの関係無いとばかりに振られた模造戟は腕ごと身体を吹き飛ばし。
繰り出される怒濤の撃を何とか凌いだと思えば、体重を乗せた一撃によって砕けた模造刀と共に、俺の身体は投げ飛ばされていた。
本気で守るために強くなろうとしたからこそ痛感した力の差。
元々、それなりに鍛錬してきたとはいえ戦乱の無い時代の剣術を学んできた俺にとって、戦場によって培われてきた武力を超えようとすることは、あまりにも無謀に近いのだ。
しかも、俺はこの華雄を討つほどの将に勝とうしているのだから、無謀どころかそれが実現出来るのかどうかも怪しいものである。
だが。
だからと言って、それが諦める原因になる筈もないのだが。
「……そろそろ立ち上がることも出来まい、北郷? 今日はよく頑張ったな、ここで終わりと――」
「――まだ、ま、だ……ですよ、葉由殿ォッ!」
「ッ!?」
そうして、よろよろと立ち上がった俺は、腰に差してあったもう一本の模造刀を手に取って力の限りに駆け出す。
呂布や華雄ら武官のように、俺は専用の武器というものを持っていない。
彼女達のそれは、彼女達が扱いやすいようにと独自に作られたものであって、俺が扱う一般の兵が使うような剣ではどうにも太刀打ちがしにくいものであった。
そんなことで考えたのが、折れたときように予備を持っておくことである。
とは言っても、それまで折られてしまえばそこまでなのだが。
そのことは華雄も知っていた。
だが、俺が起き上がるとは思っていなかったことと、それまでにぼこぼこにされた俺がそれだけの速さで駆けることが出来るとは思っていなかったのか、あまりにもその反応は遅い。
殺った。
手加減など――寸止め、模擬刀だからという安心、それらを抱えたまま剣を振るっては到底適いはしない華雄に勝つためには、それがその気でなくても殺す気でいかねば太刀打ち出来ない。
そう思った俺は、身体が動く限りの速度と威力を持って、その首を刎ねるつもりでその剣を振るった。
そして俺が感じたものは。
剣が肉を打つ感触でも。
鉄を打ち付け、鈍く痛む感触でもなく。
ただただこちらを見つめる――戦場と同じ視線を発する華雄から放たれた殺気であり。
その殺気が首の辺りを包んだと感じた途端、俺の意識は闇の中へと叩き込まれていたのである。
**
「あー……お疲れさんやけど……」
「言うな。……私も、悪いことをしたとは思っている」
頭を掻きながら近づいてくる張遼に、華雄はどこか申し訳なく俯く。
その視線の先には先ほどまで自分へ挑みかかってきていた少年が倒れており、張遼の視線がそこに向かっているのを華雄は感じていた。
唐突に言われた願い――自分を鍛えて欲しいと言ってきた少年は、その意識を手放したままに倒れている。
それが自分が振るった一撃が原因であることは華雄とて理解していることであるが、それでも少年が――北郷一刀が何故あれだけ叩きのめされても挑んできたのかまでは理解出来ないでいた。
それまでの彼で考えるならば、さしたる無茶をすることなく一歩ずつ目標を決め、それに向かって精進するようだと思っていたのだ。
事実、彼はこれまでの鍛錬でそういった動きを見せており、昨日出来なかったことは今日、今日出来なかったことは明日、といった風に徐々にではあるが成長していたと言える。
なのに、である。
今日の鍛錬ではがむしゃらに――まるで本当に自分を殺したいのではないかと思えるほど、彼が持ちうるあらゆる技術を用いて斬りかかってきたのだから華雄の疑問はその深みを増すばかりであった。
特に最後の一撃は――折れたときの予備用と聞いていた剣を持って斬りかかってきた時などは、本当にこの首を狙っていたようでもある。
模擬刀であるため首に当たったところで斬れることもないのだが。
だが、華雄はひんやりとした感触を自らの首に感じていた。
「首狙ってきた一刀もあれやけど、それに本気で応えるんもあれやで、華雄。いくら模擬戟と言うても、当たり所悪かったら首の骨折れるとこや」
「ああ……そうだな。次は気をつける……」
まあ折れてなさそうやし、気失なっとるだけみたいやし大丈夫やろうけど。
そう言いながら偃月刀を肩に担ぐ張遼であるが、華雄としてはあまり喜べるものではない。
董卓軍でも李確や徐栄に次ぐ地位を確立しつつある北郷を殺すことがなかったことは、本当に喜ばしいことである。
最近の仕事ぶりから彼が本気で董卓軍のために働いていることは華雄も分かっているつもりであるし、自分達の要望を出来るだけ受けようとする姿勢も好感がもてるものである。
では何が喜べないのかと言うと。
本気で殺す気で――首の骨が折れるであろうとも振るった戟であったのに、予測していた結果とは全く違った結果となったことである。
あの最後の一撃、時間が経って冷静になってみれば、確かに北郷はこの首を狙っていたと思う。
それは、実力差がある相手に勝とうとする時に覚える『殺す気で』という感情からくるものであろうが、それでも確かに華雄はあの一瞬に本気の殺気を感じた。
自分だけに――自分の首に向けられた確かなる殺気に、本能によって反射的に繰り出された一撃は確かに北郷の命を奪うつもりであったと思う。
だと言うのに、彼の首が――命が無事な理由が理解出来ないでいた。
確か、北郷が使う武術は北郷流タイ捨剣術と言っていたか。
自らの武術を戦場にて培ってきた華雄にとって、指南されてきた剣術といったものはどうにも馴染みが薄いものである。
そんな彼女に北郷は何と言って、その説明をしていたか。
「……なんでもあり、か」
「ん-? 何かゆーたか、華雄?」
「いや……何でもない。そろそろこいつを運ぶぞ、文遠。いくら夏が近くなってきたとはいえ、未だ夜は冷える。風邪でもひかせて、こいつの仕事がこちらに回ってくるのは勘弁願いたいからな」
「うへぇ、それもそやな。……どないする、うちが運ぼか?」
「そうだな……頼めるか?」
「任しときー」
そう言いながら――にへにへと頬を緩ませながら背に北郷を担ぐ張遼から、華雄は偃月刀を預かる。
何がそんなに楽しいのか。
そんなことを疑問に思いながら、華雄は張遼の背に負われた北郷へと視線を移す。
所々に擦り傷やがある顔は思いの外穏やかで、気を失っているよりはどちらかと言うと眠っているほうが近い気もする。
董卓と賈駆が洛陽での地盤を築くのに奔走しているためか、洛陽で華雄達がこなしている仕事の殆どの採決を北郷がしていることは知っていた。
事前に賈駆から言われていたから、というものもあるが、彼が忙しそうに机に向かう様を見たのも一度や二度ではないのだ。
忙しく――それこそ寝る間さえ削って仕事をこなす合間に身体を動かして、かつ気絶してしまえばそのまま寝てしまうことはしょうがないとさえ思えた。
そんな顔を見ていれば、本当にこの男があれほどの殺気を放ったのか、と思わないでもないのだが。
ともかく、と。
この様子では明日まで目を覚ましそうもない北郷が目を覚ましたら、一度謝っておこうかと華雄は決めた。
それは自分が本気を出したこともあるし、あやうくその命を刈り取りそうになったこともある。
とにかく謝った後にでも、防がれた理由とタイ捨剣術なるものがどういったものだったかを再び聞いてみるのも悪くはないか、と華雄は先ほどまで北郷が振るっていた剣をも手にして、張遼の背を――そこに背負われた北郷の背を追った。