「……これは、不味いことになるぞ」
ざあざあ、と降りしきる雨に打たれながら、牛輔はたまらず空を仰いだ。
開けた――それまで屋根があったであろうその隙間から覗く空は、まるで彼の心を表しているかのようでもあった。
それまで晴天だった空は、つい先まで燃えさかっていた炎の煙を吸い込んだかの如く黒く濁っていた。
ふと、雨粒が眼に入ったことから、牛輔は視線を下――真っ黒に焦げている床だった場所へと戻した。
天井があった場所を支えていたのであろう太い柱の黒こげになったものや、本棚であったと思われる黒こげの板などが視界に入る中、牛輔はどうしてもソレへと視線がいった。
部屋の中央に二つ、そして入口付近に一つ倒れているソレは、周囲の状況と比例して真っ黒に焦げて――いや、真っ黒に焦げた燃え滓だけが残っていた。
一つは、その長い全体を何かを抱えるようにして丸まったもの。
一つは、何かを求めるように五つの先端までも伸ばされた一本の棒を持つもの。
一つは、長い全体から二本の棒を投げ出したもの。
ソレら――三体の黒こげの遺体を目の当たりにして、牛輔は知らず身体を強張らせていた。
「……姿も見えず、連絡をも取れぬと思っていれば、まさか……まさかッ、こんなところで息絶えられているとは……ッ」
そう呟きながら、牛輔は若干の期待を――この三体の遺体が、自らの想像した者達とは違うものだという期待を込めて、今一度それらに視線をやった。
最早、目鼻が何処なのかさえ分からぬ程に燃えてしまっていた一体の遺体の頭部には、炎熱によってその姿形こそ若干の差異はあれど、見覚えのある冠が灰によってくすんでいた。
安定の元太守――くそ太守とも言い換えられる人物を迎えに洛陽に赴いた際に、一度だけその御身を拝見出来たことがある牛輔にとって、それは実に記憶に残っていた。
遺体の各所に残る装飾品の数々も、その遺体が牛輔が危惧していた人物――霊帝だということを知らしめていた。
そうして視線を移せば、これまた実に見覚えのある剣が目に入る。
あの剣は、自分が送ったものだ――事実を言えば、くそ太守に命じられて鍛冶に打たせた宝石を散りばめた剣を送ったに過ぎぬのだが、その送ったときの顔は今でも覚えている。
そういったものを貰い慣れている彼の人物でも驚くほどに装飾されたそれは、その人物の気を引くことになり、その剣を即座に腰へと座らせたのは、牛輔の目の前であったのだ。
だが、その装飾も最早灰にまみれ、その輝きを失っていた。
張譲――まるで自らのものだという風にその剣に伸ばされた腕を見るに、この遺体がそうであるのだろう。
そして、牛輔は最後の遺体へと視線を移す。
その遺体は、霊帝のように冠がある訳でも、張譲のように見覚えのある剣がある訳でも無かったが、一つだけ――その指に嵌められていた指輪が、生前のその人物を表すものであった。
成り上がり。
妹が霊帝の寵愛を受け、そしてその権力を利用して諸侯豪族の頂点となったその人物は、その名に恥じぬぐらいに自らを飾っていた。
それが己を誇示するためか、或いはただ自らの欲を叶えたためなのかは今となっては知れないが、それでも、彼女は己の飾っていた。
当然、それは牛輔もしるとこであり、その指輪を彼女が嵌めていたのを見たこともあった。
何進――どうして大将軍がここにいるのか、と思っても既にどうにもならない現実に、牛輔は再び空を仰いだ。
漢王朝皇帝である霊帝。
漢王朝を実質取り仕切る宦官の中でも一の実力者である張譲。
漢王朝の軍部を纏め、地方の諸侯豪族の頂点でもあった何進。
それらの遺体が何故このような城の一角――それも、人が来ないような角にあったのかは、最早どうなっても知る由もない。
だが、一つだけ言えることがある、とばかりに、牛輔は雨に顔を打たれながらぽつりと呟いた。
「……これは、不味いことになる」
**
「此度のこと、漢王朝霊帝の子女として、また洛陽に住まう者として、真にありがとうございました。貴殿らの働きが無ければ、この城のみならず洛陽の街全てが灰燼へと帰していたでしょう」
「あ、頭を上げてください、劉協様ッ!? わ、私達は困っている人達を助けるという当然のことをしたまでで、そこまで特別なことは――」
「私も、助けられた当然のこととして感謝しているに過ぎません、董卓様。なにとぞ、この感謝を受け入れていただけるよう、お願いいたします」
「へ、へぅ…………は、はい」
「ほぅ……良かったぁ」
ざあざあ、と。
夏候淵の言葉の通りに降り出した雨は、恵みの雨とも言えた。
それ以上燃える範囲が広がらないようにと破壊消火を試みてはみたものの、城を壊すわけにもいかず、壊すにしても範囲が広すぎた。
そんなこともあって、街がそれ以上燃えないようには出来たが、城の全焼は免れないかもしれないと思っていた時に降り出した雨は、どうにもならない消火活動を手助けするかのように炎を小さくしていった。
そうなってしまえば――さらには雨が降ったことによって少ないながらも水の確保も出来たとあってか、城の中で燻っていた炎をその全てが消されることになり、ここに至ってようやく洛陽を包まんとしていた炎は消火出来たのであった。
ただ、消えたからそれで終わり、という訳にもいかない。
董卓軍軍師である賈駆は、牛輔に城の中での被害状況の確認と霊帝などの再捜索を、李粛に街の被害状況と仮設天幕を立てるための場所の確保を命じた。
彼ら二人には散々動いて貰っていたのに休めないではないか、という声も上がったのだが――主に俺から――現状こんな事態になると思っていなかったこともあって将が足りず、また董卓軍に参入して日の浅い彼らに信頼度の高い仕事を任せては、不満に思う将兵がいるかもしれないと言われてしまえば、俺としては強く反対と言える訳はなかった。
なおかつ、牛輔と李粛本人にそれでいい、と言われればどうにも言えなかった。
こうして、彼らの状況の確認を任せた俺達は、李需の案内によって通らされた一室にて劉協から頭を下げられたのである。
しかし、なんとも花のように笑う少女であろうか。
董卓もまた花のように可憐で、という言葉が似合う美を付けても間違いではない少女であるのだが、そんな彼女を前にしても些か衰えることのないその可憐さは如何なるものなのか。
その豊かな金色の髪に映えるかのように微笑んだ少女は、しかしてすぐさまにその笑みを引き締めた。
「趙雲様、程立様、郭嘉様の三人も、その武と智によって救って頂き、誠にありがとうございました。いかような恩賞をも与えます故、何かご希望のものがあれば――」
「――いや、せっかくですがご遠慮しておこう。我々もそこな董卓殿と同じく困っている者を助けただけのこと。感謝こそ受け入れど、恩賞などとても受け入れませんな」
「星ちゃんの言うとおりですかねー。ちょっともったいない気もしますが、ここは遠慮しておきます」
「……それに、我々に恩賞を与えるような余裕があるのなら、街の復興と城の再建へそれを向けるべきでしょう。民は家々を失い、商人は命にも等しき品物や財産を失い、そして洛陽は明日を失う……、それだけは避けねばならないでしょう」
初め趙雲と程立の言葉に、董卓にしたように言葉を発そうとした劉協ではあったが、それも郭嘉の言葉にしゅんと項垂れてしまう。
その言葉が過ちであれば劉協も抵抗したであろうが、郭嘉の言葉は当然のことであり、これからの劉協にとっての課題でもあるのだ。
それを知っているからこそ彼女も項垂れるのであろうし、だからといって感謝の念だけでは不足と思ったのだろう。
何か恩賞の代わりになるようなものは無かったか、とわたわたと慌て考える劉協から視線を移せば、何故か趙雲と視線がぶつかった。
さらに別の視線を感じてしまえば、程立と郭嘉までもがこちらへと――俺へと視線を飛ばしていた。
そして。
そのことを確認した趙雲は、にやりと口端を歪めたかと思うと、そのままに言葉を発した。
「――では、代わりと言ってはなんですが、一つだけご提案がございます」
**
「……はぁ」
そうして俺は、つい二日前ほどのことを思い出して溜息を漏らした。
ふと顔を上げればあの大火の時から降り続いていた雨はようやく止んだようで、空の端々に濁った雲の切れ端を見つけてはみるが久方ぶりに見た気もする陽光が実に眩しかった。
これが何事にも巻き込まれていない状況であれば大変喜ばしいものではあるのだが、俺を取り巻く現状で言えば諸手を挙げて喜べる状態でも無いので実に難しいものである。
とは言っても、洛陽を灰燼へと帰そうとしていた炎は雨によって消火され、それも晴れたことによってようやく復興作業が本格化するのは目出度いことであるのだが。
結局の所、董卓軍は洛陽での混乱を収めた後に、そのまま洛陽へ駐屯することとなった。
これは劉協たっての願いであり、何進と宦官の勢力の大半が何進の副官でもあった袁紹と西園八校尉の曹操に掃討されてしまったとあっては、頼れる勢力が助けてもらった董卓軍ぐらいしかないのである。
無論、そんな風に願い出た劉協――洛陽の民からも街を救った英雄として駐屯を請われてしまえば、董卓としては首を横に振るわけもいかなかった。
結果として、状況は俺が危惧していたほうへと流れてしまったと言えよう。
「……はぁ」
だが、それでも見方を変えてみれば、この時期に洛陽を事実上制圧下に置くことがメリットになることもある。
この時代、いかに名家である袁紹や後に魏の礎となる曹操でさえ確固たる勢力を築くには未だ遠いものであった。
俺が集められた情報からでも、曹操は陳留の張莫の協力を得て兵を維持しているようなものだし、袁紹にしても各地の豪族を束ねるといった首魁的な存在であったのだ。
そういった確固たる基盤を持たない各諸侯豪族を差し置いて、人と富と情報とが集まる漢王朝の都たる洛陽を得たのは、これから待ち受ける未来において、一筋の光明であったのかもしれない。
「……はぁ」
だが、それでも俺の心は晴れなかった――もっと言えば、何でこんな面倒なことに、という思いで一杯だった。
それはと言うもの、ある三人が理由でもあるのだが。
「……先ほどからそんなに溜息をつかれてどうなされた、北郷殿? 何か気にかかることでもあるのかな?」
「気になることがあるにしても、風達を前にして溜息三連発では、何やら風達がその原因みたいですよねー。そんなこと、あるはずもないんですけども」
「まあ、風の言うことはあれですけど、それでも目の前で溜息をつかれては気になりますね。我々でよければですが、話していただければ少しは心も軽くなるやも知れませんよ?」
「……あなた方がそれを言いますか」
その三人――趙雲、程立、郭嘉は口端をにやりとしながらそう言い切った。
言い切ってくれやがったのである。
「おやおや、北郷殿は我々に他意があるとおっしゃるのか? この戦乱の世、我らが智勇を振るうにふさわしい主を得るために旅をする我らが、路銀を稼ぎたいがために貴殿の客将となるのがそんなに疑わしいと?」
「そこまでは言っていませんが、それでも路銀を稼ぐだけならば、わざわざ俺の客将とならんでもよろしいでしょうに……。そもそも、路銀が欲しいだけならば、あの時劉協様からの恩賞を断ることなく受けていれば問題無かったでしょうに」
「そうは言ってもですねー、あそこで劉協ちゃんから恩賞を受け取っていれば、後々何か面倒が起きた時が面倒ですしねー。それを恩として無理難題を言われて困りますしねー」
「……まあ、主とした勢力が漢王朝の権力を背景にしていたとしたら、そういった面倒が起こる可能性もあるかもしれませんが、それでもそこまで気にするものではないと思いますけどね」
「まあ本音を言わせてもらえば、貴殿――天の御遣い殿のことを知りたかった、というのが大きいのですがね」
「あー、まあ……好きにしてください」
どうにもこの三人には口で勝てるような気がしない、と思った俺は、再び溜息をついた。
結局の所、趙雲が劉協に押した提案といえば、恩賞をもらう代わりとして董卓軍へ客将として雇いあげるようにと口添えすることであったのだ。
劉協側からすればただでさえ必要な国庫を開くことなく、董卓軍からすれば少しでも人手が必要であり、趙雲達からすれば路銀を稼ぐことが出来る――これは建前で、本音で言えば天の御遣いである俺を知るためであると、後に郭嘉に聞いて知ったのだが。
そんなこともあって、董卓と賈駆が洛陽の実力者や朝廷の有力者との会談を続けている現状、趙雲達は暫定的にではあるが俺の配下ということになったのである。
これは様々な要素も絡んでくるのだが、大きなものとしては彼女達の目的が天の御遣いである俺ということもあって、なら近くにいさせれば面倒なことを気にしなくていい、という賈駆の判断なのだが――俺としては実に面倒くさいことこの上なかった。
彼女達が一応俺預かりの客将になったことで、馬超は俺の副官から董卓軍の客将ということになったのだ。
それだけならばそれほど困ることは無いのだが、何事にも真面目に動いてくれた馬超と違って、この三人――郭嘉以外の趙雲と程立は実に扱いにくい。
それぞれ仕事は早いのだが、それに取り掛かるまでに時間がかかったり、かといってそれが全てではなく時たまさっさと仕事を片付けたりするものだから、こちらとしてもその対応が実に難しいのであった。
まあそれでもこちらが忙しいということは理解しているようで、仕事が滞らないようにしてくれているのだから、多くは言うまい。
郭嘉を秘書、趙雲と程立がそれぞれ武官と文官を繋ぐ連絡係り兼実働部隊という役割でようやっと回り始めた頃、洛陽の街はようやく落ち着きを取り戻し始めたのであった。
**
「……はぁ」
とは言っても、それだけで仕事が楽になるなど到底有り得ない訳で。
知らず知らずのうちに溜息が零れていた。
「……お疲れのところ悪いのだけれど、溜息で見送られるこちらの身にもなってくれるかしら?」
「そうだぞッ北郷ッ、華琳様の顔を見ながら溜息などと、失礼なことをするではないぞッ! まあ、溜息が出るほど可憐なのは認めるがなッ!」
「あ、ああ、これはすみません、曹操殿、夏侯惇殿。まいったな、そんなつもりじゃないんですけど……」
そうして何度目かは分からない溜息をつくと、それを見咎めたかのように――若干苛立ちが混じったような声で、隣で馬に跨る曹操が声を上げた。
じと、と目を細める彼女の向こうで夏侯惇が声を荒げると、俺は慌てて頭を下げた。
「……まあ、忙しいのは分かるから、今回だけは目を瞑りましょう。ただ……次は無いわよ?」
覇王としての威圧を醸し出しながら凄む曹操に、俺はコクコクと頷くほか無かったのである。
董卓軍が洛陽に駐屯することに決まった後、洛陽の街と民を守ったとして郊外に陣地を構築して野営していた曹操にも、劉協から同じ要望があったと曹操は言っていた。
だが、彼女自身、董卓と違い確固たる根拠地を持たない――あえて言えば陳留がそうとも言えるが、実質的にそこを収めるのは曹操の親友でもある張莫であるためか、長期的に軍を維持することは大きな負担となるのだ。
そういったこともあって、曹操は家々を失った洛陽の民に炊き出しを行い、陣地を構築するために用いていた資材などは街の復興のために惜しげもなく放出したのである。
それら一連の行動は、洛陽という街において曹操の名を大いに上げることとなり、初め一千ほどであった彼女の軍勢も、いざ陳留へ帰還するというころになれば曹操を慕い付き従おうとする民で膨れるほどであった。
その多くは家々を失った難民であったが、そういった人々を受け入れたという噂は、洛陽という街の特色上、瞬く間に各地へと広がることだろう。
そして、その噂を聞いた難民たる民達が救いを求めて曹操の下へ――そういった好循環が生み出されるこということを、曹操は狙っていたのだろうか。
不敵に。
覇王のように笑う彼女からは、それを掴むことは出来なかった。
「それにしても、天の人々というのは皆お前のように勤勉なのか? 幾度か朝廷の文官と話すことがあったが、お前が一番仕事をしていると心配していたぞ」
「えー、まあ夏侯淵殿の言うとおりですかね。俺が特別というわけではないですが、それでも勤勉だったと思いますよ」
「ん? いまいち曖昧な物言いだな、知らないわけではなかろうに」
「ああ……俺は父と母を幼い頃に亡くしていますので、そういった働く人というのを身近では見たことがないのですよ」
爺ちゃんは勤勉という感じでは無かったしなぁ。
むしろ働いているのを見たこともない――いや、俺がここに来る原因ともなった倉庫にある骨董品やらを売ったり、また別の骨董品を買ったりして生計を立てていたらしいのだが、そういったことをしているのを見たことがないので、何とも言えないのであった。
そんな俺の言葉に負い目を感じたのか、言葉に詰まる夏侯惇と夏侯淵に苦笑を返す。
この時代では決して珍しいことでもないのだろうが、自分達がそういったことに踏む込むのは躊躇われたのか、バツの悪そうな顔をしていた。
ただ一人、曹孟徳を除いては。
「そう……ならば、私に仕える気は無いか、本郷一刀よ? 天の御遣いという名が広まった時期を考えれば、董卓の下にいるのは父祖代々の臣であるという訳でもないのでしょう? ともすれば、董卓にそこまで忠を立てる必要もない。さらには、あなたの能力があれば私達が今より飛躍することは間違いないでしょう。……私は、優秀な人材が好きなのよ」
そう言って、こちらへと堂々と手を伸ばす曹操にしばし呆然とする――見惚れてしまう。
それがさも当然であるかのように突き出された手を見つめ――俺は首を振った。
「……曹操殿に優秀と認められることは大変嬉しいのですが、お誘いは受けることは出来ません」
「何故、と聞いても?」
「初めこの地で途方に暮れていた俺を拾ってくれたのが、月――董卓だからです」
「……」
「……」
「……それだけ?」
「はい、それだけです。夏侯惇殿と夏侯淵殿が曹操殿に仕えられるのも、曹操殿が曹操殿だから、でしょう? 人とは意外と単純なものなのですよ、曹操殿」
俺の言葉に、うむそうだな、と頷く夏侯惇に視線を移さぬままに、俺は曹操の視線を真っ向から受け止めた。
視線に含まれる意図が、俺の言葉がどこまで本気で事実なのかを探っているようであったためだ。
しばしの間見詰め合った後、曹操はふっと口端を緩めた。
「そう……ならば仕方ないでしょう。でも覚えておきなさい。私は諦めが悪いわよ?」
「委細承知、心得ておきましょう」
「ふふ」
華の咲くような笑い声とは裏腹に、獲物を狙い済ませた獣のように細められた瞳から視線を外さずに、俺も笑うかのように口端を歪める。
とはいっても、曹操という覇王の気に押されて実際に笑えているかどうかなどは自分では分からず、心中なんとも情けない気持ちではあるのだが。
そんな俺の心中を知ってか知らずか――なんとなくばれているような気もするが、笑みを収めた曹操はくるりと馬首を翻した。
それにつられて視線を移せば、いつの間にか俺達は城門まで来ていたらしい。
帰還の挨拶に城まで来た彼女達を送っていたのだから、結構な距離を歩いていたみたいだった。
「では、北郷……また会いましょう。願わくば、その時こそ私の下に膝をついてくれればいいのだけど」
「それは確約出来ませんけどね。願わくば、次にお会いするのが戦場では無いことを祈っておきます」
「ふふ……その時に振るわれるであろう天の采配、楽しみにしているわ」
俺の受け答えが気に入ったのか、実に上機嫌に曹操は諦めの悪い言葉を吐いた。
諦めの悪い――というか、獲物を狙う笑みのまま笑った曹操は、すぐさまにその笑みを収めて凜とした表情とした。
「春蘭、秋蘭、帰還するわ」
「はっ! 北郷、次に会うときを楽しみにしているぞッ!」
「はっ……ではな、北郷。次に会うときは共に戦えることを楽しみにしている」
そうして馬を歩かせ始めた曹操の脇を、夏侯惇と夏侯淵の姉妹が固めて馬を駆る。
二人ともに会うことを楽しみと言われた俺は、そこにどんな意図があるにせよ嬉しいと感じることとなり、それを隠さぬままに微笑んだ。
「はい、お二人とも、次にお会いできるのを楽しみにしておきましょう。帰路の安全を」
そして俺の言葉を受けて頷いた二人は、先に進んでいた曹操に追いつくために馬を駆けさせていった。
「ふぅ……何というか、凄い人達だったな」
そうして曹操一行を見送った俺は、馬を厩舎へと預けて遅めの昼食を取るために街を歩いていた。
覇王たる曹操と、その片腕――二人いるのなら両腕ともなる夏侯惇と夏侯淵という人物達は、俺が知る歴史において名を馳せた人物達と同じ存在なのだということがいやでも理解出来た。
董卓と賈駆も君主たる風格を備えているが、彼女達はそういったものを脱しているようにも見えたのである。
董卓達が劣っているとは言わないが、やはりあれが後の世にも名を残す人物たる由縁か、と思わずにはいられなかった。
そんな空腹には些か堪える思考をしつつ、俺は何を食べようかなどとも考えていた。
いつまで洛陽にいることになるのかは未だ分からないが、いざ何かしらがあった時に対応できるようにと時間があれば――殆ど皆無に等しいのだが、街を歩くようにしていることもあって、何件か食事を取れる店には目星を付けている。
昨日は肉まんを食べたし、一昨日は青椒牛肉絲を食べたし。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと視界の端で上手そうにラーメンを食べている人達を見た。
スープを喉を鳴らしながら飲む男性、麺があるままに一気に啜る男性、肉厚チャーシューにかぶりつく子供達。
その光景に自然とつばを飲み込んでいた俺は、記憶の中にあるラーメンを出してくれる行きつけの店への道筋を、脳裏に思い描いて道を歩いていた――
「控えなさいッ!」
――そんな俺の耳に、怒声が入り込んだ。