振り下ろされた剣は相手の脳髄を。
突き上げられた槍の穂先は相手の喉元を。
あと一秒でも声を上げるのが遅れていたのなら、勢いのままに振り切れられてその軌跡を朱に染めていたであろうそれぞれの切っ先は、寸で――まさしく首の皮一枚と言っていいぐらいの所で止められていた。
あのままであればどうなっていたのか、なんて考えたくもないけれども、結局の所は相打ちか、或いは彼女達の武人としての反応によって継続されていたかのどちらかだっただろう。
本当に、間に合って良かったと思えた。
そして、驚いた顔のままにこちらを見る馬超と。
俺とほぼ同じタイミングで部屋を挟んで反対側から現れた水色の髪の女性へと顔を向ける夏侯惇と名乗った女性は、殆ど同じタイミングで呟き、俺と水色の髪の女性を脱力させた。
「……なんで止めるんだよ、ご主人様?」
「な、なんで秋蘭がここに……?」
「なんで、じゃないだろ、翠……」
「なんで、ではないだろう、姉者……」
李粛から洛陽が燃えているとの情報を受けた董卓軍は、その内実が分からないにせよ、民の救出と事態把握のために再び兵を出すことに決めた。
洛陽から逃げてきた劉協や趙雲達に話を聞いても、彼女達が洛陽を脱する前は火災が起こる兆候は無かったと言うのだ。
となれば、自然発火などと生易しいものではない――人為的なものを予測するのは当然であった。
それが劉協達を狙ったものなのか、それとも全く別のものなのかは分からないが、分からないまま現状に巻き込まれるのは実に不味い。
そう判断した賈駆は、先ほどまで偵察隊となっていた騎馬隊を、再び洛陽へと発することと決めたのであった。
再び指揮官として偵察隊を率いることになった俺は、とりあえずはと先に洛陽にて活動していた牛輔と合流することに決めた。
李粛が本隊に洛陽炎上の情報を持ってきた時間から考えても、洛陽に残った彼ならある程度の情報を得ているだろうと考えてのことだった。
だが。
どうにか牛輔と合流した俺達は、そこで意味が理解出来ない情報を耳にすることとなる。
宦官の筆頭である張譲と、大将軍である何進の姿が見えない。
どのような立場にせよ、官軍の長たり得る二人の消息が掴めないとあって、宦官と何進の軍兵――私兵達は動くことが出来なかったのである。
宦官は張譲が実質の最高実力者であったためか、動きを取るための指揮者を取り決めることが出来ず。
何進の勢力も、何進が傍へと仕えさせていた副官格たる男の所在も掴めないとあっては、その軍の手綱を誰も御せることが出来なかったのである。
故に。
民を守るべき存在である官軍は動くことなく。
洛陽に住まう一握りの有志や、何進の呼びかけに応じて洛陽へと集まりつつあった諸侯の一部が、炎に包まれ行く洛陽を救うために行動を行っていたのである。
そんな現状にあって、俺達もそのように動くべき、と声が上がったこともあり、俺はそれぞれに指示を下した。
呂布、張遼は火の燃え広がっていく進行方向にある建物を破壊し、燃える火種を断つことをまず指示した。
元の世界にいた頃、時代劇などで見たことがある程度なのだが、燃えるものを破壊してそれ以上火災が広がるのを防ぐ破壊消火、という手法を取るためである。
燃えている範囲が水を用いて消火するには規模が大きすぎることもあるし、そもそもそれだけの水が確保出来るか怪しい現状であっては、それが一番効果的であると取ってのことであった。
牛輔にその指揮と半数程度の指揮を任せて、俺は次の指示へと移った。
馬超は俺と共に、城内部にて略奪暴行をしているものがいないかどうかの確認と、逃げ遅れた人がいるようならその救助を、ということになった。
火事場泥棒、なんて言葉もあるぐらいだ。
これだけの大火で洛陽の街全体が混乱に陥っている現状であれば、そういった輩が出てきてもおかしくはないし、いざ死ぬともなれば人間どんな行動を取るのか予測が付かない。
そうして城の中へと入っていった俺達であった――その直後に、馬超が夏侯惇へと斬りかかったのである。
「す、すまぬ、てっきり宦官の兵がまだ残っているものと思ってだな……」
「こ、こっちこそ済まなかったな……。何進の兵がまた襲ってきたのかと思って……いや、本当に悪い」
そうして。
それまでの経緯を一通り――劉協とその側近である李需を保護している、という部分以外を説明し終えた俺は、内心で安堵していた。
彼女達がこちらと敵対する立場ではない、ということもあるが、何より彼女達と戦わなくていい、ということが一番大きい。
馬超と切り結んだ女性――夏侯惇は、俺が知る限りでは後の曹魏において一の武力を誇る猛将である。
馬超も後の蜀漢において五虎将軍という大役を担うだけの、夏侯惇に劣らぬ武力を持つことは俺も知っているのだが、それでも勝てるか、という話になってくれば分からないものがある。
さらには、夏侯惇のことを姉と呼んだ水色の髪を持つ女性のこともある。
この現場に着いたのは同時であったが、腰に剣をぶら下げている俺と違い、向こうも手にこそ剣を持っていてもその腰には弓がぶら下がっているのだ。
屋内では弓を使うには不便、ということもあるのだろうが、使い込まれていると一目見て分かるその弓を見れば、彼女が剣よりも弓の方が扱えるという理解に至る。
そして、夏侯惇の妹――あるいは縁戚で、かつ弓の扱いが上手い。
そういった人物に、俺は心当たりがあった。
「姉者がいきり立ったようで、どうにも迷惑をかけたようだな。そうだ、名乗っておこう。私は夏侯淵、字は妙才という。あちらの姉者――夏侯惇の妹にあたる。重ね重ね、どうも済まなかったな」
「いや、幸いどちらにも怪我はないみたいだし……それにこういった状況だ、大きな問題にならなくてよかったよ。俺は北郷一刀、それで向こうが――」
「――馬超、だろう? 西涼の馬騰の娘、馬超がなぜ洛陽になどと思ったものだが……。なるほど、お前が北郷だということなら納得出来るな」
そういって、どんな噂を聞いていたのかは知らないが水色の髪の女性――夏侯淵は、じろじろと俺の顔へと視線をやっていた。
顔の右半分はその髪によって隠されているが、笑みによって崩された残された半面からは好意的そうな印象が見て取れた。
だが、その隠された右目かは知らないが、どうにも値踏みというか観察されているというか、そういった視線を少しでも感じてしまえばそれも信じ切れるものではないが。
そして、夏侯淵という名を聞いてしまえば、今という状況がいかに不味いのかを理解してしまう。
いかに馬超が夏侯惇に勝てるとしても、もう一人猛将が――しかも、あの曹操の旗揚げからその名を知らしめる夏侯淵がいるとすれば、それはもはや絶望的であった。
もし馬超が夏侯惇を押さえたとしても、夏侯淵が俺へと矛先を向けてしまえば俺としては速攻で押さえられる自信があるし、そうなってしまえばいかに馬超と言えども逆転は難しいだろう。
どうする、どうやってこの窮地を脱する?
そういった俺の不安やら焦燥やらが顔に出ていたのか、些か不本意だと言わんばかりに夏侯淵は口を開いた。
「お前が危惧することは分かるが、それでもこのような場所で手出しはせんよ。そもそも、そのような命も無いし、お前達を相手にする理由もないのでな」
「……そう言ってもらえると、こちらとしても幾分か安心出来るよ」
「ふふ、まあそういうことにしておこうか。……こちらにも炎と煙が回ってきたようだな、一旦外に出よう。姉者、一旦外に出よう。馬超殿も、それで構わないか?」
「あたしとしては、ご主人様が良いって言うなら……」
確かに、見れば視界の端に黒い煙がちらほらと見かけるようになり、炎が近いのか徐々に熱くなってきていた。
何かが燃える焦げ臭い匂いが鼻にまで辿り着き始め、俺は迷うことなく頷いていた。
**
「……空気が変わってきたな。雨が降るやもしれん」
そうして燃えさかる城から脱した俺達は、街の一角へと出た。
すでに呂布達が廻った後なのか、ぐるりと見渡すだけで周囲の建物が破壊されているのが確認出来た。
これが平時であれば非難が集中するどころか、暴動すら起こっても不思議でもないのだが、最早瓦礫と言ってもおかしくはないそれらの持ち主は、この場には残っていないみたいであった。
まあ、燃えている城が目の前にあるのに、のんびりしている訳もないのだが。
そうして、逃げ遅れた人達を探していた牛輔の隊の兵士に、状況の確認と各部隊との連絡を任せた俺の背後で、夏侯淵が空を見上げながらぽつりと呟いた。
「雨が降れば火も消えるけど……そんなもの、分かるものなのか?」
「まあ大体は、だがな。弓を射るのに気象や風などは要だからな、自然と身にも付くさ」
「そうだぞッ、秋蘭は凄いんだッ! 雨が降る前に天幕の準備を手配出来るぐらいに、凄いんだからなッ!」
まるで、自分が偉いとも、妹の手柄は姉である自分のもの――いや、あれは妹がどれだけ凄いのかを自慢する姉馬鹿のようでもあるのだが、えっへん、と言わんばかりに胸を張る夏侯惇に、幾分かほんわかとした気分になる。
何て言うか、こう……馬鹿可愛いとでも言おうか。
見た目俺と同年代か上の筈なのに、そうやって胸を張る彼女が幼い子供に見えてくるようで、何とも不思議な気持ちとなってくる。
ちらりと横を見れば、夏侯淵も同じ気持ちなのか、先ほどまでの引き締まった表情を幾分か緩ませて、姉である夏侯惇へと視線を向けていた。
「……ご主人様ッ、夏侯淵の言葉を信じるなら、雨が降る前に一旦他の奴らと合流した方がよくないか? 降ってきてからだったら、連絡も取りにくくなるし、動くのも大変になるだろうし。とりあえず、あたし達が出来ることは終わったみたいだしな」
「あ、ああ、そうだな……。よし、そういうことだから、夏侯淵殿、夏侯惇殿、俺達は先に戻ることにするよ」
「む、そうか。……我らが主も天の御遣いに興味があるみたいでな、一度、顔を合わせてもらおうとも思ったのだが……そういうことなら仕方がない」
「むむ、良いではないか、北郷とやら。華琳様に会ってからでも、戻るのは遅くはないだろう?」
「いや……二人の言葉は嬉しいけど、俺達も待たせている人達がいるからな。それに、今ここで出会わなくても、出会うべき天命があるとしたら、きっとその時に出会えるさ。それまで楽しみにしておくと伝えておいてくれよ――」
そうして。
何か段々と可愛らしくなってきて、頭を撫でたら失礼に当たるのかな、と若干危ない方向へと傾き始めていた俺に、語尾を強めた馬超が進言をした。
その視線がなんだかじくじくと突き刺すようなものだったので、俺は慌てて背筋を正したのでだが、それでも馬超は許してくれないのか、ますます視線を強めたようであった。
そんな俺達に苦笑しつつ、実に残念そうに主である華琳という人物と出会って欲しかった、という夏侯淵に、それでも引き下がれないのか、夏侯惇は半ば押しつけるように言った。
確かに、俺も彼女達が華琳様と呼ぶ――夏侯惇と夏侯淵の主と言えば一人しか思いつかないのだが、その人物には出会いたいと思う。
だが、その人物に出会いに赴く、それだけの余裕が今の状況にあるのかと問われれば、あるとも断言出来ない現状なのだから、今回ばかりは縁がなかったとして諦めざるを得ないのである。
そうか、と本当に残念そうにする夏侯惇に申し訳ないという気持ちを抱きつつ、俺はその場を離れ――ようとした時に、その声が聞こえた。
「伝える必要は無いわ。あなたの言葉で言うのなら、今が出会うべき天命、なのでしょうし」
華が咲く声、とはこの声のことを言うのであろうか。
そういった感想を抱けるほどの声は、しかして凜としたものを含んでおり――そして、他者を圧倒するかのような覇王とも、英雄とも取れる自身に溢れていた。
初めて出会う、初めて聞く。
確かに、俺が知りうる中では聞き覚えのない初めて耳にするその声は――何故だか不意に懐かしさを運んできて、俺は反射的に声の聞こえた方向へと顔を向けていた。
炎によって生じた風に揺れる二房の金髪。
身に纏う鎧と衣服は、小柄な身躯を包みながらも威圧感を醸し出す漆黒に彩られており、彼女の持つ雰囲気と印象によって、それもさらに引き立てられていた。
こちらへと向けられた、自信と、威圧と、そして覇王という自覚を兼ね備えたその視線を真っ正面から受けた時――不意に、目の奥が痛んだ気がした。
*
『もう……俺の役目はこれでお終いだろうから』
それは、暗い森の中。
遙か高い夜空には、こちらを包むような淡い光を放つ満月があった。
彼方から聞こえる喧噪は/賑やかな声は一体何によるものだったか。
覚えにないその光景は/脳裏に走るその映像は、何だか酷く悲しくて。
『……お終いにしなければ良いじゃない』
目の前の少女が紡ぐ声も、酷く悲しそうに震えていた。
その細く、暗闇で腕の中に抱いた柔らかい肩は、彼女一人で支えているものには儚く、弱々しいもので。
共に支えることが出来ればと、俺は確かに願った気がする。
『それは無理だよ。――の夢が叶ったことで、――の物語は終焉を迎えたんだ……。その物語を見ていた俺も、終焉を迎えなくちゃいけない……』
身を削り。
心を削り。
時間を削り。
己自身の存在をも削り、俺はその願いを叶えた。
けどそれは、全ての終わりでもあって。
『……逝かないで』
『ごめんよ……、――』
未練が無い、と言えば嘘になるけど。
それでも、俺がそう思えるだけ幸せであって、――が、みんなが幸せであってくれるなら未練なんて無いと思えたんだ。
『さよなら……誇り高き王……』
全てを任せる、なんて言葉は――ならただの逃げだ、なんて言うだろうけど。
みんながいて、――がいて、そして多くの英雄がいるのだから、きっと大丈夫。
だからこそ、俺は時代を生きることが出来たんだ。
『さよなら……寂しがり屋の女の子』
きっと。
その先の時代に、多くの笑顔があることを信じて。
――、君が本当の笑顔で過ごせる日々があると信じて。
『さよなら……』
そうして。
――の夢を叶えるという願いが叶って、願いという枠が空いたこともあって。
薄れ行く意識と存在の中、最後に言葉を紡ぎながら俺は一体何を願ったのだろうか。
『……愛していたよ、華琳――――』
ただ、朧気で確かなことは言えないけども。
もう一度、彼女と共に。
そう、願っていた気がする。
*
「華琳様ッ、どうしてここに?」
「ッ……」
深く深く、意識の底にまでたどり着いていた俺の思考は、夏侯惇の声によって急速に表面へと引っ張り上げられた。
今の感覚――脳裏に流れ出た映像は何だったのか。
その場所も、目の前にいたであろう少女も見たことは無いはずなのに、どうして彼女を愛おしいと言ったのか。
その答えがこの場で見つかる筈もなく、俺は頭を振ってその考えを思考の外へと追い出していた。
頭を振ったことによって眩暈にも似た倦怠感が身体を包むが、意識を表面へと――前方の人物へと向けてしまえば、それも彼女の持つ雰囲気によって霧散してしまう。
それだけの存在を――覇王としての存在を、彼女は持っていた。
「どうして、というのはこちらの台詞なのだけど、春蘭? 秋蘭を向かわせたのにいつまで経っても帰ってこないから、何処で迷子になっているのかと思えば……城中の制圧を任せたのに、何で反対側から出てきているのかしら?」
「そ、それはですねッ、……うぅ、秋蘭」
「姉者可愛――いや、華琳様、これには少々訳がございまして……」
「別に説明は不要よ、秋蘭。大体のことは理解しているつもり」
そう言ってニヤリ、というのが正しい表現である笑顔を夏侯惇へ向けた少女を見る限り、どうにもわざと夏侯惇を責めたのだということが分かる。
ふふ、なんて言いながら涙目になっている夏侯惇をうっとりとしながら見ている辺り、そういう性格――性癖なのだろう。
同じようにうっとりとしそうになった顔を引き締めた夏侯淵を見る限り、彼女もそういった人種なんだと理解した。
そうして。
夏侯惇を虐められたことで満足したのか、先ほどよりも幾分か生気が満ちているような表情のまま、少女はこちらへと視線を向け直した。
「我が名は曹孟徳。私の部下が世話になったようね」
「いや……こちらも世話になったみたいだからな、お互い様さ。……俺の名前は北郷、北郷一刀。お会い出来て光栄だよ、曹操殿」
「あら……私の名前を知っているのね?」
「黄巾の乱平定に功を上げ、名を上げた西園八校尉の一人、曹孟徳殿、だろ? 情報を集めていれば自然と聞く名前だし、黄巾の乱のことはこっちも関係あるしね。……そっちとしても、俺の名前を聞いて驚かない所を見ると、同じなんだろう?」
そう言う俺に対して、少女――曹操は、幾分か驚いた顔を一瞬だけ表面へと出し、すぐにそれを引っ込めた。
代わりに出てきたのは、先ほど夏侯惇へと向けたのは別質のにやりとした笑いであり、その瞳は獲物を探るかのように細められていた。
ぴりぴりとした空気が――辺りの空気を圧縮したかのように息苦しくなっていく感じが、目の前のそれほど大きくない少女から発せられているかと思うと、背筋が冷たくなる。
今俺の目の前にいるのはあの曹孟徳なのだと、いやでも実感出来た。
「……ふふ、まあいいわ。今日は顔合わせだけということにしておきましょうか、そちらも急ぎの用件があるみたいだしね。……春蘭、秋蘭、急ぎ戻り兵を纏め、洛陽から出るわよ」
「はッ!」
「はっ! ……では北郷、それに馬超、また機会があれば、な」
そして。
一通り俺を見て満足したのか――俺なんかを見て満足というのもおかしなものだが、不意に笑みを含めた曹操は、こちらの言葉を待つ間もなく身を翻した。
短く答えた夏侯惇はその背を追って歩き出し、夏侯淵もその横へと並び――曹操の後ろへと控えるように歩いていった。
「……なんだか、凄い奴だったな。覇気、っていうのかよく分かんないけど、そういったもんが滲み出ているようだったよ」
「ああ……あれが、曹操、か……」
曹操の雰囲気に当てられてか、半ば呆然とした馬超の呟きに、俺も呆然としながら答える。
ただその内実は決して同じものではなく、俺としては自分の知識からのものであったが。
曹操、字は孟徳。
後に曹魏の礎、その主ともなる人物ではあるが、この時代では彼――いや、この世界では彼女であるが、未だ大きな勢力を築くには至っていないらしい。
それは、洛陽の騒乱が落ち着きつつある現状にも関わらず洛陽を脱する、ということをする辺りから窺い知れた。
洛陽は、きっと混乱と戦乱と動乱の中心地となる。
それは、俺が知る歴史の上から見ても当然の帰結であり、きっと董卓がその中心となるのだろうけど。
それを知らない曹操からすれば、そのような未来が待ち構えている洛陽という中で、信頼も出来ない他軍の将と馴れ合うことも判断しただけなんだろう。
だが、それを即座にはじき出した彼女の思考と、すぐに実行へと移す力。
それらと共に、確かな戦略眼、そして権謀を知り得ているということに、俺は彼女へ対して畏怖を抱かずにはいられなかった。
きっと。
曹孟徳は、俺の――董卓軍の前へと立ちはだかるであろう、その確信と共に。
**
そうして。
曹操達と別れた俺と馬超は、洛陽の民の避難誘導をしていた牛輔達と合流し、そのまま民を率いて洛陽郊外へと陣を張っていた董卓軍本隊と合流した。
既に情報を聞きつけていたのか、そこには多くの民達がおり、それらの多くがその状況に絶望していた。
洛陽が。
漢王朝の皇帝が住まう城が燃えている。
火事によって何かを失った、等という話ではない。
その火事から民を救い、洛陽を救い、そして洛陽を復興させるであろうのが、漢王朝ではないことが問題なのだ。
今回の火事によって、漢王朝に最早力など無いことは証明された。
大将軍たる何進、朝廷を取り仕切る宦官の兵、どちらをとっても火に追われ煙に巻かれる民の心配などせず、己達が欲を果たすために動いていたのは洛陽の民ならば誰でも目にしていると言ってもいい。
そういった民達を救い、守ったのは漢王朝では無く、その臣下とも言える諸侯達なのだ。
中央の力が弱まり、地方において諸侯の力が強まる。
今回の事態は、それを明確にするには十分なものであった。
故に。
何進も宦官もその勢力を弱めた今、地方における諸侯達の狙いはただ一つとなる。
すなわち――その権力を引き継ぐ、ただそれのみである。
そして。
それにもっとも近い人物は一体誰になるのか、と言うと――
――霊帝の次代の皇帝候補でもあった劉協を保護した董仲頴、その人であった。