「さて、と……そろそろ何があったのか説明してもらってもいいかしら?」
董卓が率いる本隊と合流した俺達は、色々な混乱――助けた少女が後の献帝である劉協ということもあってか、一応の進路を洛陽へと向けた。
本当であれば馬車みたいなものがあれば一番いいのだが、そういったものが用意されている訳もなく、そもそもの段階で作ってすらいないので劉協達は今現在馬に乗って貰っている。
とは言っても、劉協が馬に乗れるのか、という疑問はもう一人の女性――お付きの女性とでも呼んでおこうか――の前に跨る感じで解決済みである。
元々劉協も女性の方も細身であるためか、さしたる問題もなく馬に乗っていた。
そうして洛陽を再び目指すことになった俺達は、張遼が率いる騎馬隊に周囲の警戒を任せながら安全を確認して進んでいった。
偵察隊との戦闘によって洛陽へと逃げ帰った連中が本隊を連れて帰ってくるのではないか、と危惧していたのだが、そういった危険もなく影すら見えないことから酷く不安になる。
気にしすぎ、と笑う馬超を頼もしく思いながらも、俺は確信めいた何かを感じていた。
勘、と言い換えても間違いではないソレが、酷く俺へと警戒を繰り返すのだ。
そうして俺がこれからのことに警戒心を巡らしていると、不意に隣にいた賈駆が声を発する。
その行く先は俺――では無く、明らかに俺を挟んだ反対側にいる劉協達であり、それは彼女達も理解する所であった。
「そう……ですね、ここまで来れば周囲も安全でしょうし、話すにもいい頃合いでしょう」
「時雨……」
「大丈夫ですよ、伯和様。あなたが信じた彼らを、私も信じます。それに彼らが伯和様に何をしようとも、私が命をかけてお守り致しますので」
「何もしないよ。何だったら、天の御遣いという名に誓ってもいい」
「おいおい、そもそもその呼び名をあまり重要視していないご主人様がそれを言っても、あまり意味ないと思うぞ?」
「いや、翠……そこは黙っていて欲しかった」
そんな俺達のやりとりにくすくすと笑みを零す劉協に温かい視線を投げた後、女性はこちらへと視線を改めた。
その色は、劉協を守る色でも、ましてやこちらを警戒する色でもない。
俺が知る中でも形容し難いものであるのだが、あえて例えるならば――闇、というものを知っているものだと思う。
「……まず、私の名を知らぬのも不便でしょうから名乗りを。我が姓は李、名は儒、字は文優。涼州安定が生まれにして、漢王朝に仕えるものでもあります」
そういってチラリとこちらを見る女性――李儒の視線に含まれたものを見るに、安定を勢力下におく董卓軍というものを警戒しているようであった。
確かに、董卓が安定を勢力下とした経緯を知らないでいるのなら、一介の太守としては強大な勢力を誇る董卓が劉協という駒を用いてさらなる飛躍を目指さないとも言えないのである。
李儒が危惧するのはそこであるのだろう、その意を汲んだ董卓が首を横に振ると幾分か安心したようで、少しばかり肩の力を抜いたみたいであった。
劉協が、俺が知る歴史を歩んできたのだとしたら、その道程は茨のものだったのだろう。
あの幼い身躯でどれだけの権謀術数に迷い、流されてきたのかは俺の理解の外であるのだが、劉協が李儒を信じることと、李儒が劉協を守ることはそういったことあってのことだと思う。
何進と宦官の対立に巻き込まれ、幼い劉協を守るということがどれだけ大変なことであるのか。
李儒の瞳の色が、それを物語っていた。
それにしても、と俺は首を傾げた。
安定生まれで李家って何か聞き覚えがあるようなないような。
名門の家柄の筈なのに、何故かそんなことを感じさせない元気印な――それに不似合いなほどに豊満な肉体を持って別の意味で兵士を元気にさせそうな女の子がいた気がするのだが。
と、そこまで考えた俺の思考を汲み取ってか、前方が何やら騒がしくなってきていたようである。
しかも、徐々にその騒がしさがこちらへと近づいてきているような気がするのは気のせいだろうか?
そうして。
意を決したかのように口を開いた李儒を遮って、ソレは現れた。
「まずは始めに説明を――」
「大変大変大変だよーッ!? 洛陽が――って、お姉ちゃんッ?! お姉ちゃんが何でこんな所にいるのさッ?!」
「……陽菜、もう少し落ち着きを持ちなさいと以前から言っている筈でしょう? そもそも、私がここにいてあなたが困ることなど無いはず。少しは落ち着きなさい」
「う、うん、ごめんなさい……。あー、それにしてもびっくりした。ここでお姉ちゃんに会うなんて思いもしなかったもん」
あーうん本当にびっくりしたー、なんて呟きながら、騒がしくなってきたその張本人である李粛は大きく肩で息をした。
……というかお姉ちゃん?
以前姉がいると聞いた気がしないでもないが、まさか李粛の姉が李儒であったなどとは思わなかった。
そもそも元いた世界で二人が兄弟姉妹などと、大きくみれば血縁関係であったなどという話はないことから、全く知らない人物がいるのだとばかりに思っていたのだが、どうやら外れていたらしい。
この流れで実は李確が父親だ、とか言わないだろうなと俺はふと思っていた。
や、だって同じ李の姓だし有り得てもおかしくはないのだけども、いきなりそんなこと言われても困るから今の内に心構えだけしておこうかなと思いまして。
まあ、それも結局は無駄の所に終わるのだが。
李儒はそんな騒がしい李粛に慣れているのか、さすが姉だ、と言わんばかりの落ち着きを見せながら李粛を宥める。
太陽のように朗らかな李粛と、月夜に振る雨のようにしっとりとした李儒。
陰陽という言葉を体現するかのような二人に、本当に姉妹なのかと疑いそうであるのだが。
息をして大きく動く肩に連動し、これまた大きく揺れる李粛の胸へと向けられる李儒の視線が、羨ましそうに――どうして妹の李粛だけがこれだけ育っていて自分はこんなのなのか、とばかりに妬ましそうな視線を自身の胸と交互に見やる肉親特有のものを見れば、それも信じられるものであった。
そうして李粛と李儒へ視線を向けていると――段々と李粛のその自己主張の激しい部分へと向かう割合が増えていくと、ぎろり、とばかりに李儒に睨まれてしまう。
それに加えて、何故か背後やら横から周囲から向けられる視線が増えてきたのをひしひしと感じつつ、俺は話を変えるためにと慌てて口を開いた。
「そ、それで、武禪殿? 一体何をそんなに慌てておいででしたのか?」
「……」
「……もしや、お忘れとは言わないでしょうね?」
「えっ、い、いや僕がそんなこと言うわけないじゃん、北郷さんったらもう……ああッ、そうだったッ!?」
自分は忘れてなんかいない、そう言った直後にさも思い出したとばかりに手を打つ李粛に、俺のみならず彼女の姉である李儒の溜息が重なる。
まったくもう、とばかりに復活した李儒に、やはり姉だから慣れているのだな、と感想を抱きつつ、俺は李粛に先を促し――その言葉に驚愕した。
「それで、武禪殿? 一体何が――」
「た、大変なんだッ! ら、洛陽が……洛陽が燃えているんだよッ!」
**
「おーほっほっほっ! 何進さんの姿は見えませんが、この火事は宦官を討つための絶好の好機ですわッ! 猪々子さん、斗詩さん、やっておしまいなさい!」
「あらほらっさっさーッ! ってな訳で、行くぞ、斗詩ッ! うおりゃぁぁぁぁ!」
「あっ、文ちゃん、先に陛下と皇族の人達の保護を――って、聞いてないし……。はぁ、麗羽様ものりのりだし、行くしかないのかぁ」
轟々、と。
洛陽の街、その全てを燃やし尽くさんとするかのように燃え上がる炎を前にして、黄金色の豊かな髪をいくつもの螺旋状に編み込んでいる女性――袁紹の両横に控えていた二人の人物が飛び出した。
その男とは思えない小柄な躯と、ひらひらとした腰布、そして自らの性別を強調するかのように膨らんでいる胸元から、その人物らが女性だということを知らしめていた。
身の丈ほどもある大剣を振り回す猪々子と呼ばれた少女――文醜は、走り出した勢いを利用して、およそ少女が振るに似つかわしくない大剣『斬山刀』を、軽々と横へと振るった。
狭い通路で振るうには些か不釣り合いなそれは、如何に名将名人と言えども大きく振るうのは難しい。
洛陽の街中、城へと至る通路を閉じるかのように待ち構えていた兵士達はそう考え、その切っ先が壁なり家なりに止められたときに襲えばいいだろう、そう考えていた。
だが、彼らの予想は大きく外れることとなる。
飛び込んだ勢いそのままに斬山刀を振るった文醜は、あろうことか剣の切っ先が壁へと触れると力のままに振り切ったのである。
ガリガリ、と壁を削り、剣筋を残すように迫っていた斬山刀に、振れないだろうと考えていた兵士達が反応できる筈もなく、その驚愕のままに彼らは身体を分断された。
だが、その一振りで仕留め損ねた二人の兵士が、斬山刀を振り切って体勢を崩していた文醜の頭上へと剣を振りかざす。
刀身に炎が揺らめき、その揺らめきが文醜の頭蓋へと振り落とされようとするが、それも横から飛び込んできた影によって未遂へと終わる。
蒼とも黒ともいえる髪をはためかせて、もう一人の少女――顔良は、文醜と同じく少女が振るに似つかわしくない大槌『金光鉄槌』を、その重さを感じさせる訳でもなく振るった。
音もなく、と表現するのが正解とでも言うように振るわれた大槌は、しかして確かに兵士を――二人とも巻き込みながら振るわれる。
まるで弾力があるかのようにはじき飛ばされた二人の兵士は、通路の壁に打ち付けられたまま、動くことは無かった。
「へへっ、助かったぜ、斗詩」
「もう、文ちゃんったら……ちゃんと気をつけないと駄目でしょ。もう少しで危ない所だったんだから」
薄い緑の髪を揺らしながら、照れたように鼻をこする文醜に、顔良も口では厳しく言いつつもその顔はどこか安心したような色が混ざっていた。
軽口を言いつつも周囲を警戒することは忘れない二人に、主たる袁紹は満足気に頷いた。
「おーほっほっほっ! 三国一の名家であるこのわたくしが、宦官如きに負けるはずがございませんッ! 全軍、突撃しなさい!」
そして。
まるで前方の障害が除かれるのを待ち構えていたかのような袁紹の指示に、彼女の後背に控えていた大量の兵士達が一斉に動き始める。
皆一様にある目的――洛陽にて権力を占める宦官の排除を目的として動く兵士達は、袁紹、文醜、顔良と同じ黄金色の鎧を纏い、怒濤の如く押し進んでいった。
その先頭に翻るのは、黄金色の中にあって一際目立つ蒼銀の一房であったが、その髪を持つ人物――少女は気負った風でもなく、ただただ真っ直ぐに目的地を目指した。
多くの人の視界を炎という赤が占めるのに対し、その一区画だけは黄金色が占めていたのである。
そんな黄金色の集団へと、一人の少女が視線を向けていた。
炎によって生じた風になびく髪は視界を埋める色と同じ金の色で、頭部の両横にて螺旋で纏められた髪がふわふわと揺れていた。
その髪の色に反するかのように、身に纏う衣服と鎧は黒を基調としたものでまとめられており、髪の合間から覗く眼光と合わさって酷く冷徹に――強靱に映った。
「か、華琳様ッ! 皇帝陛下はおろか、皇族の方々の姿、どこにも確認出来ませんッ!?」
「加えて申し上げますなら、袁家の軍が宦官のみならず、その疑い有りとする者達まで手にかけはじめており、宮城の中は阿鼻叫喚の絵図となっております。続けて皇帝の捜索をすることは可能ですが、火の周り具合からしてこの辺が頃合いかと……」
そうして袁紹の軍を――炎に包まれていく城と街並みを眺めていた少女の背後で、二人の人物が臣下の礼を取って声を発した。
獣の耳のような装飾のついた頭巾を被る少女――荀彧は、先ほど自らが命じられた指示に対する報告を矢継ぎ早に発した。
炎によって蹂躙される城において、自分達が朝廷に叛するわけではなく皇帝とその一族の身の安否を願って兵を出した、とするためにそれらを探していたのだが、城のどこを探しても見つかることは無かったのである。
これだけの大火であるならば必ず皇后やその子息である劉協や劉弁は側近に守られて安全な位置へ脱している、と荀彧は考えていたのだが、いざそう出来る場所へと兵を発しても帰ってくる解は全て不発であったのである。
洛陽の城門付近で逃げ回る民へ話を聞いてもそれらしき人物は見たことがない、と返ってくれば、いよいよをもってその所在は掴めなかった。
荀彧と同じように皇帝とその親族の捜索を命じられた蒼髪を持つ女性――夏侯淵も、荀彧と同じような意見を発した。
火が回りきる前にこれだけ探したにも関わらず、姿形はおろかその所在さえ掴めぬとあっては、これ以上炎の中にいれば少なからずの損害が出る、と夏侯淵は遠巻きに主へと伝えたのであった。
無論、そういった夏侯淵の思惑をくみ取れないほど、少女は無能では無かった。
「そう……桂花と秋蘭がそう言うのであれば、これ以上の捜索も無意味と終わるでしょうね。ふむ……では、桂花は民の避難を誘導している季衣の、秋蘭は抵抗する宦官を攻めている春蘭の補佐へと回って頂戴。桂花は飛び火しない位置へときちんと誘導、秋蘭はあまり奥まで行かずに頃合いを見て春蘭を連れて帰ってきて。頃合いを見て、一旦洛陽から出るわ」
「はッ!」
「承知いたしました」
そう応えて自らの主の命を成すためにその場を離れていった荀彧と夏侯淵の背中を見送って、少女はその視線を再び燃えさかる城へと向けた。
古くから王都、帝都として多くの人が集まり栄えてきた洛陽にとって、そこにある城とはその時代とも言うべき存在であった。
古代の王らがここを目指し、ここで政務をし、ここで息絶えていったということを考えても、その少女の考えはあながち間違ってはいないだろう。
それがどうだ。
それだけの時代を築いてきた洛陽でさえ、今こうして炎に巻かれて消えゆく運命にあるというのだ。
その事実に、少女――後の世に覇王とも呼ばれる曹操は、口端を歪めていた。
「時代が変わる、か……。おもしろい、そのうねりがどこを中心とするのかは分からないけど、きっとそれも大きなものとなる。多くの将が、英雄が、諸侯が、徳を求め、願いを求め、権力を求め、富を求め、力を求め――覇を求める。その時こそ――」
そう呟いた曹操は、炎の揺らめきが反射する金の髪を翻しながら、声たかだかと宣言――天に対する宣戦布告かのように声を高めた。
「ふふ……。我は天道を歩む者、曹孟徳ッ! 天命は我に有り。――さあ、英雄諸侯よ。これから訪れるであろう戦乱の世で、共に舞おうではないか!」
**
「でぇぇぇりゃああぁぁぁッ!」
高く振り上げられた剣は、彼女の怒声とも取れる気合いの声によって加速したかの如くの剣速で振り落とされた。
女性が扱うには少々大きいと言わざるを得ないソレは、前方に構えられた剣を断ち切り、そのままの勢いで鉄を――そしてその中身である宦官側の兵士をも両断した。
斬鉄、とも呼べるそれはしかして全くの別物のようであり、彼女が振るう太刀筋自体が凶器でもあった。
「この七星餓狼に切れぬものなど無いわァァッ! 命が惜しくない者は、夏侯元譲の前にその首をさらすがいいッ、残らず叩き斬ってくれるわッ! ……む?」
そうして、『七星餓狼』と呼ぶ幅広の剣の刃についた血を一振りして除いた彼女は、ふと何かに気付いたかのように周囲をきょろきょろと見渡した。
そうして周囲を確認し終えたのか、顎に手を寄せて彼女はぽつりと呟いた。
「うむむ、兵達とはぐれてしまったか……。全くあいつらめ、周囲を見ずに進むからだ」
少し考えるそぶりを見せた彼女――曹操から春蘭とも呼ばれる夏侯惇は、納得がいったかのようにうむうむと頷いた。
なお、その言に反して夏候惇の配下である兵達が一人突っ走った彼女を捜している、ということなど夏侯惇は知る由も無い。
そうして再び思考するようにうむむ、と呟いた夏侯惇は、何かに閃いたかのように顔を輝かせた。
「そろそろ秋蘭達も、皇帝陛下達を見つけ出したころだろう。宦官の兵達の姿も見えなくなったことだし、一度戻るのもいいのかもしれぬな」
うんうんそうだそうしよう、とばかりに頷いた夏侯惇は、主である曹操の元に戻ろうと先ほど来た道とは反対の方向――城の奥へと向かってその脚を動かしていった。
戻るのであれば来た道を戻るのが一番である筈なのに、夏侯惇はそれに気付くこともなく、またそれを指摘する人物もいないために、奥へ奥へとその歩みを進めていった――
――その先で不意に感じた気配に、夏侯惇は反射的に剣を構えていた。
「ぐうぅッ!?」
己の脳天をたたき割るかのように振り落とされたソレを、なんとか眼前で防いだ夏侯惇は、それを振るう人物の腹へと向けて足蹴りを行う。
体勢的に不利だったためかそれも結局は当たることは無かったのだが、それでもこちらの体勢を整えることが出来たのは僥倖であった。
すぐさまに体勢を立て直した夏候惇は、後方へと跳躍して蹴りを避けた人物へと一足の間に飛びかかり、その剣を振るった。
鉄と鉄がぶつかり合う鈍く固い音が周囲に響き、夏侯惇の剣は振るわれたソレ――十文字の槍によって防がれてしまう。
だが、互いに押しつけ合うように武器を重ね合わせた結果、夏侯惇は十文字の槍を振るう人物を間近で見ることとなった。
「なッ!? 女、だと……ッ?!」
「なぁッ!? お、女だって……ッ?!」
そしてそれは相手も同じであるのだが。
顔を突き合わせた結果、言葉は違えど同じ意味を発する相手に、夏侯惇は無理矢理に剣を押しのけることでその場を後退した。
緑を基調とした上衣に、ひらひらとした白の腰布。
それらの衣服に包まれた身体は、実に女性らしさを含んだものであり、女である夏侯惇からみても中々に魅力溢れるものであった。
一つに纏められた栗色の長い髪の奥から除く瞳には、確固とした意志が覗くようであった。
「中々やるな、貴様ッ! 宦官の賊徒如きに、これだけの武人がいるとは思わなかったぞ!」
「へん、あんたこそ、あれを止められるとは思ってもみなかったぜ。何進の兵って言うからどれだけかと思えば、結構やるもんじゃないか」
そう言いながら、二人は再びそれぞれの獲物を構える。
夏侯惇は、剣の切っ先を相手に向けるようにして顔の横まで持ち上げた。
突くにしても、振り下ろすにしても、横へ薙ぐにしても、両手で持たれたそれは並大抵の武人に止められるものでは無い、と夏侯惇は確信していた。
事実、止められたのも曹操や許緒の己が知る中でも最上位の武人ぐらいなのだが、目の前の人物はその中に含まれるほどであることも、また夏侯惇は確信していた。
穂先を下へ向けて構える目の前の相手に、ぞくりと背筋が震える。
その切っ先、そして視線が自分の胸や喉元などの急所へと迫るのをひしひしと感じながら、夏侯惇は知らず口端を釣り上げていた。
「我が身、我が剣は曹武の大剣なりッ! 姓は夏侯、名は惇、字は元譲、押して参るッ!」
「西涼の錦、馬孟起ッ! 悪をも貫くこの銀閃、止められるものなら止めてみやがれッ!」
そして。
今まさに互いが互いを食いちぎらんとする獣のように跳躍しようとした二人の他に、別の人物達がその場へと現れたのである。
「止めろ、翠ッ!」
「止めるんだ、姉者」