「あら、御遣い様じゃないかね。珍しいね、今日は一人なのかい?」
「こんにちは、おば――お姉さん。ちょっと時間が空いたから警邏ついでに昼飯を、ね。とりあえず、肉まんを三つほどちょうだい」
「あいよ。……しかしなんだね、御遣い様はちっとも御遣い様らしくないよねえ。そこら辺にいる、普通の兄さんみたいだよ。はいよ、肉まん三つね」
「ははは、俺もその方が気楽でいいんだけどね。んじゃこれお金ね、ありがとうございました」
「ああ、また来ておくれよ」
仕事の目処が一段落した俺は、目に入った飯屋で包んでもらった肉まんを頬張りながら、街の様子を確認するためにぶらぶらと歩く。
つい先頃――とは言っても既に半月ほど前のことになるのだが、黄巾賊の驚異が目の前に迫っていた、などということは微塵も感じ取ることは出来ないぐらいに活気づいていた。
あの戦いで多くの黄巾賊を討ち取ることは出来たのだが、それと同じように董卓軍の兵士にも多くの犠牲が出たことは、その後処理に奔走していた俺としては身にしみるほど理解しているつもりであった。
俺の策で多くの人が死んだ、などと自惚れることは無い――と言うか、賈駆と陳宮から自惚れるなと言われたことは今も記憶に新しい。
献策したのは俺とはいえ、それが使えると判断し細部を決定したのは自分達だ、とまるで宣言でもするかのように、彼女達は俺へと言ったのだ。
さらには、それに合わせるかのように華雄や張遼からは、精一杯戦って死んでいった者達に感謝こそすれ後悔など不要、あいつらも守れて死んだのだから悔いは無いだろう、とも言われてしまったのである。
「おまけに琴音や翠にも言われたしなあ。……俺って、そんなに顔に出やすいのか?」
徐晃や馬超、さらには王方や姜維に牛輔や李粛にも言われているのだからその通りだと認めてしまえばいいのだろうが、それを認めてしまうと何となく悔しい気もする。
それでも、心配してくれているということは分かるので、それは受け入れなければいけないよな、と肉まんを一つ口にするとふと見知った顔を見つけた。
「……一刀、お昼?」
「ええまあ。奉先殿はもう?」
「うん、食べた」
けぷ、と可愛らしくげっぷする呂布の頭を撫でて、その傍でこちらを睨む陳宮へと視線を移す。
食後の幸せな時間を邪魔するな、と言外に視線で語られれば気圧されそうになるのだが、その視線が一つではないことに気づいた俺は、頭を掲げた。
呂布と陳宮は二人でワンセットと思っていただけに、それを疑問とした俺はその視線の出所を探してみた。
周囲は昼飯へと駆り出す人達やそれを受け入れる店の人達の声で騒がしい。
だが、それらの人達は特にこちらを気にする風でもなく、あったとしても飛将軍と呼ばれる呂布や天の御遣いと呼ばれる俺を気にするぐらいであるのだ。
そうした人達が俺を睨む、というか敵視するような視線を放つとは思えないのだが――ええと、俺何かやらかしたかな。
きょろきょろ、と周囲を見渡して唐突に悩み出した俺をさして気にする風でもなく、呂布は思い出したかのように自身の背中へと視線を移した。
「……一刀、新しい友達」
「ううむ、心当たりは無いと――って、え? 新しい友達?」
「うん……ぎー、って言う」
「れ、恋殿、それは名前ではありませぬぞ」
うんうん、と悩んでいた俺は呂布の声に反応して彼女の背中へと視線を移す。
決して整えられているとは言えない茶色の髪を背中まで流し、その身は動きやすそうな武官の格好をしていながらも些か細い印象を受ける。
微かに膨らむ胸部が、その人物が女性――見た目も合わせれば少女なのだということを、表していた。
そんな俺の視線にあからさまに嫌悪感を滲ませながら、その少女は小さく名乗りを上げた。
「……魏続、と申します」
そう呟いて再び呂布の背中へと隠れる少女――魏続に苦笑しつつ、視線を魏続を嬉しそうに撫でる呂布から陳宮へと移す。
視線で誰、と問いかければ、陳宮は溜息をもって答えてくれた。
「……この間の黄巾賊との戦いの中、囮とした村の娘なのです。黄巾賊が襲う間近、忘れ物を取りに戻り、黄巾賊に見つかって襲われそうになっていたのを助けたのですよ」
それから恋殿にべったりなのです、と若干うっとうしそうに言う陳宮に思わず苦笑してしまう。
本当は魏続から呂布を取り返してべったりしたいのに、彼女の心理を考えてそれを遠慮してしまうほどに陳宮が優しいことは、よく理解しているつもりだった。
それと同時に、黄巾賊に襲われそうになったということは男――つまり俺に対して嫌悪感を抱くことも当然のことだと気づく。
男に襲われることなど無い俺にとっては――そんな機会など欲しくもないのだが――襲われそうになった女性の心理を理解することなど出来るはずもない。
結局の所、魏続の視線に含まれている敵意をどうすることも出来ずに、俺は彼女達からある程度の距離をとった状態で話しかけた。
「魏続殿は――あー、何をするわけでもないのでそんなに身構えないでください」
「……ぎー、一刀は大丈夫」
「……恋さんがそう言うなら」
話しかけた途端、魏続は身体をビクリと震えさせたかと思うと、敵意を通り越した殺気混じりの視線と唸り声を俺へと向けてきた。
戦場で向けられるものや、張遼や華雄から半ば本気で向けられるそれらよりは比較的軽いものではあるのだが、かと言って向けられているという事実が変わるわけでもなく、率直に言えば非常に心苦しいものであった。
これが恋、などと言えるほどボケられる空気でもないのでそれは自重して、それでも敵意の混じった視線を向けてくる魏続に苦笑しつつ口を開いた。
「魏続殿は……えと、その、俺を恨んでますか?」
「…………え?」
「いや、俺が魏続殿の村を囮とする策を献策したから、魏続殿がつらい目に遭いそうになった訳でして……俺を恨んでも仕方のないことだなあ、と」
「……もし、恨んでいるとしたらどうだと言うのですか? その首、頂くことになっても構わないと言われるの――」
「ええ、構いません」
「――ですか……って、ええッ!?」
まさか俺がそう言うとは思わなかったのか、意表つかれたかのように驚きを顔に貼り付けた魏続に、どんな形であれ俺は初めて彼女の感情を見た気がした。
まあ、敵意だけはずっと向けられていたので初めて、という訳でも無かったりするのだがその辺は置いておこう。
そもそも俺のこれまでの経緯を考えれば、自分でも驚くほどにそういった出来事を嫌うというのは自身理解しているのだ。
ただ自分を受け入れてくれた人達が穢され犯される、という理由ではなくとも一人の人間として、また男としては当然受け入れられるものではなかった。
だからこそ、魏続をそういう目に遭わせそうにしてしまったという負い目はあるし、元々そういった関係の上で人を殺したことのある俺であるから、その代償として自分の首をかけるぐらいは当然のことだと思っていた。
「ただ、この身は卑しくも将軍となりました。今は多忙、故に天下が泰平となって、私がいなくても天下に問題が無くなった後になりますが。その後ならば、この首なり腹なり、お好きな所へ刃を突き立てて――」
「――駄目。一刀は死なせない」
未だ驚愕に瞳を開いている魏続の表情に苦笑しながら、俺は言葉を発していく。
死にたい、とは特別思うものではないが、かといって用済みになってしまえばどんな目に遭うかは現状では分からないのだ。
天の御遣い、天将、それらの名が民にもてはやされるのも、今の世が戦乱であり、そこに不安があるからなのだ。
不安の中に救いを求めた結果が天の御遣いであり、それさえ拭われてしまえば俺という存在が不要になるのは目に見えていた。
それこそ、漢王朝と対立してしまうことだってあり得る。
だからこそ、不要とされて死んでしまうよりも、俺に恨みを抱く人の捌け口となって死ぬのも有りかも、とも思ったのだが。
そんな俺の心中を知ってか知らずか、幾分か鋭い視線で呂布は俺の言葉を遮った。
「で、ですが奉先殿? わだかまりを持ったままに天下が泰平となっても、そこには必ず綻びが生じるもので……」
「恋でいい」
「え、ええっと、そういう訳にもいかないんじゃないかと……それに今は呼び方の話では……」
「恋」
「あ、あのですね……」
「恋」
「ううっ……」
「……」
「……分かった分かった、分かりましたよッ――じゃなくて、分かったよッ! これでいいんだろ、恋」
おかしいな、さっきまで首が欲しいかそらやるぞ的にシリアスな場面だと思っていたのに、いつのまにこんなことになってしまったのだろうか、とついつい首を掲げる。
じい、と無表情に見えながらもその実、無垢と言い表せるほどに澄んだ呂布の瞳をむけられ――睨まれているとも言えるが、ついには折れた俺に呂布は嬉しそうに笑った。
そんな嬉しそうに笑う呂布の頭をついつい撫でている俺に、魏続は訝しげに口を開いた。
「……本気、ですか? 本気で首をやるなどと――」
「ありえないことなのですが、この男の言うことは常に本気だったりするのです。ぎー――ではなく魏続殿も、早めに慣れた方がいいのですぞ」
本当に馬鹿な男なのです、とやれやれと言わんばかりに首を振る陳宮だったが、ふと思い立ったように俺へと視線を向けてきた。
もしかして呂布の真名を呼ぶことになったことへの報復か、と身構えそうになる俺であったが、陳宮の視線の中にそういった感情が含まれていないことに疑問を抱いて首を捻った。
「恋殿が真名を許した以上、ねねもお前のことを少しは認めてやることにするのです。今度からはねねのことも真名で呼ぶがよいのですぞ」
そもそもお前に字で呼ばれるのは気色悪いのです、と忘れずに呟くあたり嫌々なら別にいいのにとも思うのだが、陳宮の纏う雰囲気はそんな負の感情を含んではおらず、むしろ新たな決意なり目標を抱いた者が纏うものであった。
どんな心境の変化があったのかは分からないが、俺としては蹴られないのなら何でもいい。
俺に真名を預けたことが新たな決意を抱くことに繋がるのか、と意味を全く理解出来ない陳宮の行動に頭を悩ましていると、ドタバタと走る音が近づいてくる。
何事か、とそちらへと視線を向ければ、そこには見覚えのある兵士がいた。
「北郷様、呂布様に陳宮様も、こちらにおいででしたかッ!?」
「そんなに慌てて、何かあったのか?」
「は、はいッ! 賈駆様から、将軍の方々をすぐに呼び戻せとの命令を受けまして。北郷様達も、城へとお戻り下さい!」
他の将軍を捜さねばならぬので、そう言って再び走り出した兵士の背中を見送った俺は、呂布と陳宮へと視線を移す。
その意味を受け取ってくれたのか、コクリと頷いた彼女達と共に城への帰路を急ぐために俺達は走り出した。
**
城に戻って四半刻。
城外で部隊の調練をしていた華雄と徐晃が帰ってきて、その一室には董卓軍の主要たる面々が集うこととなった。
さすがに魏続をそんな中に連れてはいる訳にもいかず、客間にて呂布の愛犬であるセキトと留守番してもらっていたりする。
そして、集った面々をぐるりと見渡して、賈駆は口を開いた。
「黄巾の匪賊ここに壊滅し、その祝いを洛陽にて行うものとする。ついては、その後に黄巾の残党をも殲滅させるために、各々軍を率いて洛陽に来られたし」
静かに、そして確かに発せられた賈駆の言葉は、その部屋に集う者達を途端に騒がせた。
賈駆が言葉にしたにせよ、その内容はどう考えたって彼女のものではない。
となると誰のものかということになるのだが、その最後にあった覚えのある地名にふと思い立つことがあった。
「……なるほど、洛陽――漢王朝からの命か」
「はい、牛輔さんの言うとおり、何大将軍からの文書にそう書かれていました。恐らくではありますが、各地にある諸侯へも送られているものと思われます」
そんな董卓の言葉を受け、賈駆は一同が集う中心にある机に地図を広げる。
地図とはいっても、大まかな中華大陸の図の中に、これまた大まかに各諸侯の勢力図やら主要な都市の名前やらを書いただけのものであるが、今はこれで十分である。
何もやることが無くなれば地図を作るために各地を巡ってもいいなあ、なんて思いもするものだが、現状を考えればそれも無理かもと諦めざるをえなかった。
暇になるとか絶対にあり得ないし。
「恐らく、四世三公を輩出した冀州の袁紹はもとより、東郡太守の橋瑁、済北国の相である鮑信、騎都尉の丁原や名ばかりの西園八校尉の典軍校尉である曹操など、様々な諸侯が集められることになるわね」
「……勢力だけで見るならば、大陸のほぼ全ての勢力、といっても過言ではないな」
「にゃはは、総数だけで見るなら一番の勢力だよね。ただ――」
「――そう、それに各諸侯が応えればの話、だけどね。漢王朝、大将軍の名を用いているとはいえ、対立する宦官を相手するのに本気を出しましょうってことだけで、わざわざその話に乗る必要はないの。いくら命令とは言っても、断り文句なんかいくらでもあるんだし」
それこそ黄巾賊被害の復興のために手が離せない、なんてのも有りかもね。
地図を見ながらうむむ、と唸る牛輔と李粛にそう言って、賈駆は地図を覗き込む面々へと視線を回す。
「とは言っても、これは好機であることに変わりはないわ。黄巾賊の残党を討つにはいい機会だし、洛陽で名が広がれば石城と安定の政もしやすくなるし流民が噂を聞きつけて多くの民を助けることが出来る。ボク達が飛躍するためにも、今回の洛陽への出征は必要なことだと思う」
「なるほど……霊帝に名を売ることが出来れば、いずれ何進に替わることも出来るやもしれませんね。出来ないにしても、これから勢力を拡大するしないにしろ有利に事を進めることが出来る可能性も出てくる。確かに、好機ではありますね」
「はわはわ……な、何だか事が大きくなっていってますけど、現状保持のためにも何かしらを一手打つのは必要かと思います。それが洛陽に赴くことなのか、それとも別のことなのかは未だ分かりませんけど……」
ふむ、と顎に手を当てて考えだした王方の後に続いた姜維の言葉に、俺はざっと地図を見渡してみる。
黄巾賊の残党は青州を主として、未だ華北で激しい抵抗を続けているという。
これが俺の知る歴史の通りに進んでいくのならば、劉備やら曹操がこれらの残党をも片付けながら勢力を拡大していくのだ。
とりわけ、残党の中でも一際強大である青州黄巾賊は曹操と激戦を繰り広げ、その尽くを勢力下においたことは曹操――曹魏において飛躍する原動力であるとも言えた。
董卓軍が勢力を拡大していく上で、それは出来うる限りなら阻止したいことではあるし、それを考えると洛陽からの文書に応じる必要も出てくるだろう。
または徐州をもって飛躍する劉備、揚州に地盤を築いて勢力を拡大する孫家、あるいは益州の劉焉や荊州の劉表など、後に一大勢力を築き上げていくそれらの勢力の先手を取るのも悪くはない手である。
だが。
だが、である。
もし、俺の知る歴史においても同じような話がされ、そして同じような考えに至り行動していたとしたら。
もし、全く同じ道筋を辿る訳ではないにしろ、その行く先が同じ結末――反董卓連合の結成へと至るのだとしたら。
もし、その先に待ち受けるのが、董卓軍の瓦解――董卓の死、だとしたら。
「……そんなの、受け入れられる訳ないじゃないか」
だからこそ――
故に――
「私としても、未だ黄巾賊の脅威に怯える人達を救いたいんです。都での権力争いなんかも絡んでいると思いますが、それでも、私は民を救いたい。皆さん、どうかお力を貸してはもらえないでしょうかッ!?」
意を決したように頭を下げる董卓。
「ボクは月に従うよ。大丈夫、月は民を助けることだけを考えて。都での権力争いの方はボクが何とかしてみせるから」
どう手玉に取ってやろう、と笑う賈駆。
「ふふ、諸侯達が率いる軍がどれほどのものか、我が武にとって不足無しか、実に楽しみだ」
いずれ出会う豪傑を楽しみにする華雄。
「洛陽には強い奴も上手い酒もごろごろあるんやろうなぁ。華雄の奴やないけど、うちもめっちゃ楽しみやで」
強者を望み、嗜好の酒を求める張遼。
「……美味しいご飯、ある?」
未だ見ぬ大都市とその食事などを楽しみにする呂布。
「きっとあるのですぞ、恋殿。食べ歩きの際は、このねねも誘って下さいのです!」
主との都を楽しみとする陳宮。
その他にも、様々な形で洛陽へと出征することを楽しみだと話すみんなの前で。
「俺は反対だ」
――俺はきっぱりと断言した。