脳天目掛けて振り下ろされる剣を自身の剣で防いだ俺は、覆い被さるように力を入れていく黄巾を被った男の腹を力の限りに蹴飛ばす。
腕に力を入れていた男にはその蹴りを受け止めることは出来ず、蹴られた勢いのままに地面を転がるのだが。
そんな男から視線を外した俺は、右から斬りかかってきた黄巾を腕に巻いた男の斬撃を剣で弾いた後に、がら空きになった男の腹部へと剣を突き入れる。
ぐじゅり、とまるで腐った果物に刃物を入れたような感触に知らず顔を顰めるが、それを堪えて崩れ落ちそうになる男の顎を殴りつけた。
だが、殴りつけた腕をその男に掴まれて、男が崩れるままに俺の体勢も崩れてしまう。
抜け出そうとしても力一杯――それこそ噛み付かれるのではないかと思えるほどに腕を捉えられれば、それも実に難しい。
そして、それを好機と見た黄巾賊の数人が、一斉に俺へと斬りかかってくる。
だが。
「でぇぇぇぇぇいッ!」
その声と共に繰り出された横からの一撃によって、それらの黄巾賊の男達は一様に、近くにあった家の壁へと叩き付けられることとなった。
それを見た俺は、腕を掴む男の腹から剣を抜き出すとその首元を斬りつけ、拘束が緩んだのを抜け出して、俺を助けた人物――馬岱と背中合わせとなって周囲を警戒する。
「助かりましたよ、伯瞻殿。恩に着ます」
「えへへ、どういたしまして、お兄様。それに、お姉様のお婿さんを死なせる訳にはいかないしね」
「……孟起殿は俺のことをご主人様と呼んでいる筈ですが?」
「あのおば様が、そんなことで諦める筈ないよ。からかいはしても、冗談は言わないんだから」
俺より背も歳も低い女の子に背中を預けるというのは些か悲しい――いや、男の面子とか拘っている訳ではないのだけども、それでも生死が飛び交う戦場の中で軽口を言えるぐらいには、頼りになる。
まあ、錦馬超に隠れがちだけど、蜀漢の成立から諸葛亮の死を経てあの魏延を討ち取る、と並べてみれば中々の武勇を誇る馬岱に対して、頼りになるだなんてどんだけ図々しいんだろうな俺。
そして、そんな馬岱の言葉に、彼女が言うのだからそうなのだろうな、といやに簡単に諦めてしまう。
からかうも冗談も同じ意味な気もするのだが、どうにも馬騰は違うらしい。
うむ、あまり関わらないほうが身のためな気がしてきたよ――それでも巻き込まれる気がするのは、気のせいだと信じたい。
渭水から安定の途上、数里ずつに点在する村々という、時を置けば次代の邑ともなるであろうその一つで、黄巾賊九千と涼州軍五千は激突した。
数だけで見れば黄巾賊は涼州軍の倍近くあり、また勢いということをとっても涼州軍よりも優位であった。
事実、黄巾賊涼州方面軍の趙弘から臨時の指揮官に任じられた将は、その理由から負けるはずがないと考え、涼州軍との戦端を開くに至ったのだが。
その将の決断は非常に理に敵っていた――戦場が、村の中でさえなければ。
いかに臨時の指揮官に任じられる将とはいえ、その一人で九千もの手綱を握れるはずはない。
常の軍であれば、千人百人単位で隊長格がそれらを纏めるのだが、元農民が集い群衆となっただけの黄巾賊ではそれもままならなかった。
故に、涼州軍に対して組織的な攻めをしようとも、村の中という狭い戦場の中で指揮が行き渡らない黄巾賊は討ち取られるままに任せ、それから逃れようと村を抜け出した賊徒もまた、村の周囲を囲う騎馬からの騎射によって、地に倒れ伏す者で溢れたのだった。
騎馬隊を率いて村を囲う馬超に代わって村内部へと攻め寄せるのは、馬岱率いる涼州軍の歩兵三千ほどである――勿論、騎馬隊の指揮など出来るはずもない俺は、そちらの部隊へと組み込まれることとなった。
トラウマとも呼べる自身の過去と向き合うと決めたとはいえ、理性では分かっていても本能の部分ではそれまでの感情を鮮明に引き起こす。
人を傷つけるのが怖い、血を見るのが怖い、居場所を失うのが怖い――傷付くのが怖い。
この世界に来るまでにいた現代日本では当たり前とも取れるそれらの感情が、戦乱起こり陰謀渦巻くこの世界では足枷となるなんて、予想だにしていなかった。
まあ、俺の場合はちょっと違う気もするが。
それでも、それらの感情に押しつぶされて後悔するなど――命を失うことなど出来るはずがないのだ。
故に、今また一人、本能を理性で塗りつぶして、俺は黄巾の男の胸へと剣を突き入れた。
一人殺し、一人追い払い、また一人殺め。
俺が四苦八苦する中、馬岱が怒濤の如く黄巾賊を打ち払っていけばさすがに危機を感じたのか、指揮官たる将から退却、本隊との合流の指示が飛んだ。
既に半ば壊走しかかっていた黄巾賊は、その指示の途端に一斉に逃散を始めるのだが、村の周囲を包囲していた馬超率いる騎馬隊が狭めた包囲網によって、黄巾賊はじりじりと村へと押し込まれていく。
そして、その村の中では馬岱率いる歩兵がその黄巾賊を攻めていき、結果として、黄巾賊は内と外から同時に攻められる形となったのである。
「賊徒達に告ぐ! 降伏の意思あるならば、武具を捨てその場に伏せよ! 捨てぬ者は意思無しと見て、八つ裂きにさせてもらうッ! 返答や如何に!?」
その形を好機と見てか、はたまた潮時と見てか、俺と隣り合って武器を振るっていた馬岱が口上を開く。
降伏勧告。
ちょっと小生意気な女の子、しかも悪戯好きという印象を抱いていた馬岱が開いたその口上に、やはり彼女も三国志の武将なのだと改めて知ることになった――後に、彼女にそう話すと悪戯が増えることなど、この時の俺は知る由も無いのだが。
馬岱がそう口上を上げると、村の外からも同じような口上が聞こえ、それが馬超のものだと知る。
村の外からも聞こえた降伏勧告に、それまでその殺気を沈めなかった黄巾賊の中から、一人、また一人と武具を手放していく者が現れ始める。
これ以上の戦いは無意味としてか、はたまた自分の保身のためかは分からないが、その動きは瞬く間に波と化し、黄巾賊へと広がっていった。
そして、唯一武具を手放さなかった指揮官である将が逃げ出していくが、それをわざわざ見逃すはずもない。
村の外に待ち構えていた馬超の一矢によって、その将は額を貫かれて落馬したのだ。
勝敗は、既に決していた。
**
敵軍襲来の報と、先行していた部隊が壊滅したとの報を趙弘が受けたのは、ほぼ同時であった。
董卓・馬騰の連合軍が執った策は、後に考えてみれば至極簡単なものであった。
兵力の大小を問わず、戦に勝つために一番に考え得るその策――各個撃破を執られることを、勿論趙弘は理解していたし、それを危惧して各指揮官へと伝えていた。
既に占領してある村に軍を分けるというのも、それから考えれば愚策ではあったが、董卓軍の拠点である安定まで未だ距離があったこと、即席の連合軍では機敏な行動を起こせず各個撃破など無理であろうとのことであったのだが。
現状を鑑みれば、その考え事態が愚かであったとしか言えないものであった。
「ぐぬぬぅ……何故だ、連合軍にこちらの行動を知られる筈が……」
万全を期し、先に軍を分けた四隊のうち、兵数の少ない二隊を先行させていたのが幸いしたか、軍の被害からすれば六万の内の二万にも及ばない程度であり、戦闘にさして問題は無かった。
趙弘はすぐさまに伝令の兵を発し、無事な部隊を合流させて連合軍へと備えるために動き出していた。
三分の一の被害は壊滅的とも言えるものだが、渭水周辺で集まった一部であり、荊州から従う本隊には微塵の被害もないのだから、その趙弘の決断も間違ってはいなかった。
ただそれも、指揮官たる趙弘が在れば、の話ではあったが。
「……そもそも、村を制圧しているとの貴様の言が真であれば、このような事態にはならなかったのだ。この責任、どう取るつもりだ、旺景よッ!?」
それでもなお、責任の所在は明確にしておかねばならない。
軍において、指揮官の失態は軍の全滅に繋がる。
兵一人一人から見れば、それは己の命の損失であり、何にもまして防がねばならない事態であるのだ。
訓練された兵でさえそれなのだから、命を繋ぐため欲を満たすために黄巾賊に参加している元農民にあって、それはさらに顕著になる。
そして、軍の命運を、ひいては自分達の命を預けるに値しない指揮官であると判断した場合、彼らがどういった行動に移るのかというのも、趙弘は理解していた。
古来より、無能な指揮官の末路は――死、である。
故に、趙弘やその配下の将がどう思うにせよ、兵の憤りの行き先を定めておかねば、軍としての機能を失うばかりか、自分の命まで危ないのだ。
如何に強者としてでも、数で攻め寄せられれば一溜まりもないとして、趙弘はその責任の所在を旺景へと定めることにしたのだ。
なまじ優秀そうなだけに、その才をこんな所で潰すのも勿体ないものではあるが、現状からいけば仕方のないことなのだと自分に言い聞かせて。
だが、そんな旺景から返ってきた言葉は、趙弘の思惑とは全く別のものであった。
「……旺景でござる」
「……? 貴様、何を言って――」
「旺景、追系――おうけい、でござったか? ううむ、旦那様の国の言葉は些か発音にしにくいでござるな……」
自分の名を呟いたと思ったら、幾度か自分の名らしき音を呟いた旺景に違和感を覚えて問いかけようと口を開きかけるが、静かにこちらへと視線を移した旺景に慌てて閉じる。
何故か、口を開けば自分は終わりのような気がしたのだ。
「旦那様の国では、おうけいとは了承の意を示す言葉らしいでござるよ。なに、趙弘殿が訝しげに思い、知らぬのも無理はござらん。拙者も初めて聞いた時には不思議に思ったでござるからな」
見た目幼い少年ながら、その発する言葉の節々には落ち着いた雰囲気があった――むしろ、貫禄と言ってもいいものが。
言葉遣いこそ聞き慣れぬものであったが、その意味を受けるのに難しいということはないのだが。
旺景の――少年の雰囲気も相まって、いやに不明瞭に聞こえてくる。
「ですが、不思議と耳に馴染むでござる。おうけい、それを名として呼ばれればどんな思いをするかと思えば……拙者の慧眼は間違いでは無かったということでござる。実に心躍る一時を過ごせ、趙弘殿には感謝するでござる」
気がつけば、少年の両手にはそれぞれ鉄棒が握られていた――腕に沿うように。
少年の背中にで斜め十字に背負われていたものということに気づくが、その持ち方に少々の疑問を趙弘は覚えた。
初め、それはただ鉄の棒を簡素な武具に見立てて、それこそ鞭のように用いるものばかりと思っていたのだが。
鉄棒から出っ張る取っ手を握り、肘よりも若干長めのその武具に、趙弘は見覚えが無かった。
「拙者は拐(かい、旋棍の一種)と呼んでいるでござるよ。旦那様にはとんふぁあ、とも呼ばれ申したが……やはり、これが一番使いやすい」
そう言いながら器用に取っ手の部分を回してみれば、手から伸びる角のようにも、腕を守る装具へともその姿を変えていく。
さらには、その握る部分を変えてしまえば、獣の爪の如く刈り取るように取っ手が形取り、言葉の通りに変幻自在にとその用途を変えていった。
その動きを見て、趙弘は気づいた。
自分では、叶う力量ではないのだと。
まるで水のようにくるくるとその姿を変えていく拐という武具と、それを自在に操る力量の少年に、自分では少年に叶うことはないのだ、と。
親子、下手をすれば祖父と孫ほどの歳が離れているであろう少年の武の片鱗を垣間見た趙弘は、知らず震えていた手を握りしめて周囲に存在する筈の兵を呼ぼうとするのだが。
そんな趙弘の動きに、少年は唇を歪めた。
「周囲に兵はいないでござるよ。少しばかり眠ってもらっていてござる。伝令の兵も、そこら辺にいるでござろう」
そう言うやいなや、少年はその歩を趙弘へと向かって進め始める。
そのあまりにも自然な動きに、趙弘は一瞬反応することが出来ずにいたが、ハッと我に返り腰の剣を抜き放った。
だが、それでも少年はその歩を緩めない。
それどころか、剣を抜き、殺気を放つ趙弘へとその手に持つ拐ごと、少年は構えた。
「なお立ち向かう姿勢は見事でござる、感服いたした。趙弘殿に降伏の言葉をかけるには、些か失礼でござるな」
それまで強者と戦ってきたことは多々あれど、そのどれもに勝って今を築いた趙弘にとって、その少年はあまりにも異質であった。
武才に溢れる若者はさして珍しくもない、黄巾賊として襲ってきた村々にもそういった者はいた。
だが、そのどれもが経験不足であり、人を斬ったことなど皆無のような者達ばかりであった。
実戦経験が伴わなければ、どれだけの才があろうとも無価値なものであった。
だが、目の前の少年は違う、と趙弘は感じていた。
その視線、その雰囲気、その言葉遣い、その立ち振る舞い。
それらの全てを見た上で、本能が警告しているのだ――少年の才は、無価値なものではないのだと。
「我が姓は庖、名は徳、字は令明と言うでござる。趙弘殿の姿勢に応じて、全身全霊をかけてお相手仕るでござるよ」
名を明かすのはその証と思って頂きたいでござる、と言い放って、少年――庖徳は一気に駆け出した。
その速度は矢の如しではあったが、目で追いきれぬほどではないし、対処出来ぬほどでもないことに、趙弘は内心安堵した。
そして、そうと分かればいつまでも臆している訳にもいかないと、趙弘は手に持つ剣を高々と掲げた。
どれだけ雰囲気があっても、結局は経験が足りていないのだと。
少年の才を価値あるものと判断した本能を、勝てるという理性にて無理矢理に押さえつけた趙弘は、近づく庖徳の脳天を叩き斬るために、一気呵成に剣を振り下ろした。
それまでの相手であれば、その趙弘の一撃を避けきることは能わず、脳天でなくともその身体を引き裂かれて死んでいった。
だが、今回もそうなるであろうとした趙弘の予想は、外れることとなる。
「安心するでござる。人は死ねばめいど、という所にたどり着くと旦那様は言ってござった。そこは薄く暗い、冷たい水の底のようであり、着飾った女子のように華やかで楽しげなものとも。一息に、送ってしんぜよう」
両手に持つ拐を十字にして趙弘の剣戟を受けた庖徳は、一気のそれを押し返した。
それに押される形で体勢を崩された趙弘は、次撃に移ろうと剣を振りかぶって――衝撃と痛覚を感じた途端に、その意識を闇へと沈めていった。
こすぷれ、だの、もえ、だの旦那様はよく分からん。
意識が完全に墜ちる前、そう聞こえた庖徳の言葉と共に。
*ホウ徳ですが、正式に[广龍]徳としますと、PCは大丈夫ですがケータイでは認証されずに徳だけとなることが分かりました。
ケータイでも読めるように、庖徳といたしましたので、そんなのホウ徳じゃねえ、という方もご了承をお願いいたします。