注:数カ所ほど、女性の身体の一部を表す言葉があります。
一五禁というほどのものでもないですが、気にする方、不快に思われる方がおりますれば、戻られるか、気を付けてお読み下さい。
広大な、どこまでも続くとも思われる平野。
遙か地平に険しい山々が霞む中で、そこを駆ける集団の一人が彼方に影を見つけた。
小さく、しかし確かにあったその影は、距離を駆けるにつれ徐々にその全貌を表し出す。
寂れた小さな村。
今にも崩れそうな木造の家々が立ち並び、その周囲には申し訳程度の柵が施されている。
平時であれば、それは夜盗を防ぐ盾となり、獣を近づかせぬ壁となるものであった。
そこに住む村人によって建てられ、用いられ、修繕されてきたそれは、彼らにとってどれだけ頼りになるものであったか。
だが、駆ける集団――黄巾を纏いし者達にとって、それは如何ほどのものがあろうか。
時には柵を、時には隊を、時には軍を、そして城壁を打ち破ってその財貨を求め奪ってきた彼らにとって、村を囲うほどでしかない柵などは、児戯程度でしかなかった。
それを証明するかのように、黄巾を纏った一人が柵へと手を掛ける。
木を削りだし、藁で編まれた縄によってそれを固定しただけのものであったが、さすがに一人の力ではそれを外すことは能わなかった。
しかし、後ろから二人三人とその手が増えていけばそれもさしたる問題ではない。
数は力である。
小型の昆虫である蟻が、大型の昆虫を捕らえられるのがひとえにその数によるように、後ろから後ろから伸び出る手は柵を掴んでいく。
そして、絹を割くかの如く引き剥がされた柵は、徐々にとその姿を残骸へと変えていった。
一箇所だけではなく、その柵に隣接する者達によって行われたその行為によって、村を覆い守る柵はこじ開けられてしまったのである。
**
「えと……この辺に――あ、あった!」
ゴソゴソと、避難勧告を受けてから取るものだけを取って荒れていた家の中を、一人の少女が彷徨っていた。
背中までに伸ばした髪は所々汚れて乾いているものの、その少女らしい精一杯のお洒落である髪型は、年相応のものであった。
着ているものこそ平服ではあったが、汚れを落とし綺麗な服を着てみれば、という少女は、乱雑に散らばった衣類の中から一つの人形を取りだした。
薄汚れたそれは人型のもので、長い髪らしき布と腰巻き、さらには女性特有の胸部を示すそれが、女性を形取ったものだというのが分かる。
少女はそれをどこな懐かしげに見つめていたのだが、ふと遠くから響く乾いた音に意識を取られた。
「今の音は……警鐘?」
村の中央に備えられた警鐘、それは非常時――外敵である夜盗や獣が柵を襲撃した時のみならず、村内で起きた事態を知らせるために、村を囲む柵に何かしらの衝撃を与えた時に、縄を伝って鳴らされるようにしているものである。
それが鳴らされた、しかも誰もいない村であるならばそれが外からのものに鳴らされたとあって、少女は慌てて人形を手に家から出た。
「ひっ!」
だが、その行動は正だったのか、はたまた邪だったのか。
家から飛び出した少女を待っていたのは、極度の緊張がもたらした勘違いでも、村に誰かいないかと確認に来た安定の兵でもなく。
少女を見つけそれを獲物と捉えた幾万もの野獣の眼光と、その喜びを示す幾重にも重なった雄叫びだった。
「あの女はどこへ行ったぁッ?!」
「ちっ! 女もめぼしいものもありゃしねえじゃ無えかっ!? 一体どういうことだッ!?」
「さっきの女を捜せッ! 情報を引き出してから犯してやらぁ!」
震える身体を抱きしめるように押さえつけ、少女は口から悲鳴が飛び出るのをも押さえつけた。
黄巾賊に見つかった時には終わりか、とも思ったが勝手知ったる村とあって、その姿を隠すことについては意外と簡単なものであった。
だが、それも村の外から見る黄巾賊の視界から、ということである。
家と家の間、幅も狭く水を溜める瓶やら何やらが置かれている所にその身を伏せる少女であっても、村中を闊歩する黄巾賊の目を盗んで村外に出ることは難しかった。
これが十数人であれば逃げ切れるやもしれなかったが、それどころの数ではない――それこそ、万に届こうかという程の賊徒が、村のそこかしこに蔓延っているのだ。
村を守る自警の手段こそ学んではいたが、それは村を、身を守るためのものであって、賊徒を討つためのものではない。
そんな自分がこれだけの数を相手に出来る筈がない、と少女は震えることしか出来なかった。
きっとここで隠れていれば助けがくる、賊達を追い払って村を守ってくれる――そう信じて。
だが、数とは力であると同時に、情報でもある。
一人が下を見なくても別の一人がそこを見て、一人が横を見なくても別の人間がそれを確認する。
二つの目で見えなければ、別の目がそこを見ればいい――それが幾万にも及べば、一体どうなることか。
その問いは、少女の視界を影が覆うことによって解となる。
家と家の間、水を溜める瓶の影に潜んでいるとはいえそれまで視界にあった影が急に暗くなったことを、少女は不思議に――そして心の片隅で希望を抱きながら、賊が動き回る方へと視線を向ける。
助けが来て、それで自分を探してくれているのだと。
だが、そんな少女の希望は淡く、あまりにも儚いものであった。
「けけけ……見ーつけた」
黄色の頭巾を巻いた男が、ニヤリ、と厭らしく獣のように笑んだ。
**
「……見えた」
小高い丘を駆け下りる馬蹄の音、その一つである馬に乗る呂布がぽつりと呟いた。
大地を蹴り、砂煙を上げ、興奮やら緊張やらで溢れる咆哮の最中でありながら、その声は酷く静かに響いた。
その声に促されてみれば、確かに村を覆いつくさんとする黄巾賊を華雄は確認した。
「見たところ七、八千ちゅうとこか? 大体一刀と詠の読み通りやな」
「あいつらは万程度と言っていたがな……。だが群衆というのは当たりのようだ、どうにも指揮が執れている様子ではない」
「……一刀と詠、凄い」
横を走る張遼も確認したのか、彼女のおおよその予想に、その通りだと思うと同時に当初の予定より少々少ないことを華雄は危惧した。
だが、今それを言ってどうなる、と意識を切り替えて己の獲物である大斧――金剛爆斧を握り直した。
「それにしても、中々に際どい策を取るもんやで――分断しての各個撃破やて。こっちが撃破されたらどうにもならんやろうに」
「ふん、そうならんようにすればいいのだろう? それに、我らは武人。軍師の策に従い、武を競って功を成せばいいだけだろうに。いらんことを考えれば穂先が鈍るぞ、文遠?」
「恋、詠と一刀が言うとおりに戦うだけ。……考えるの、苦手」
「……そうやな、恋と華雄の言うとおりや。……なんや、けったいに動き始めよったで」
華雄はともかく恋にまで言われてもうた、と頭を掻いていた張遼だったが、不意に進行方向の村を睨んだかと思えば、緊張した声色で言葉を零す。
それが警戒の色が濃いことを察した華雄は、己も村へと視線を移し、そこに黄巾賊の不思議な動きを見た。
村を中と外から覆い尽くさんとしていた黄巾賊が、その拡大を止めて徐々に中央へと集中していくのだ。
当初の予定では村の中央に董卓軍から財貨を残すという案が、北郷から掲げられた。
これは、黄巾賊に潜む密偵からの案を確実にするためのもの、ということだったのだが、しかして安定に入って未だ収穫のない董卓軍では、それだけの物資がないということでお流れとなった。
その案が成されていれば、現状目の前で起こっている不思議な動きも認めることが出来るのだが、それが成されていない以上どうにも不可解なものではあった。
しかし、その疑問は呂布の一言によって氷解する。
女の子がいる、と。
**
「おぅら、こっちに出てきて一緒に遊ぼうぜ!」
「そうさ、何にも怖いことなどありゃしないからなぁ」
「へへっ、女なんて久しぶりだぜ」
隠れていたのを見つけられた少女は、それを成した男によって村の中央――祭事や集会を行う広場へと連れ出された。
この地で生まれ育ってきた少女にとって、そこは様々な思い出がある場所でもあった。
隣の家に住んでいた女の子の生誕。
村長の娘と商人の息子の結婚式。
豊作を祝っての祭り。
今は亡き両親の魂を送る祭り。
それこそ殆どの祝い事や祭事を覚えている少女ではあったが、現在自分を取り巻くその光景は、そのどれもでも見たことはなかった。
幾数もの視線、そのどれもが獣性の色を宿しており下卑たものを求めているのだ。
それらの視線の行き先が自分の胸や腰、下腹部に向かっているのを、気づきたくもないのに気づいてしまう。
ぶるり、と身体を震えてしまうのを、両手で抱きしめた。
「ふへへ……生まれたての馬みたいに震えてやがるぜ。可愛いなぁ、犯しがいがありそうだ」
「けけ、生まれたての馬は服なんか着てやしねーよぅ。さっさとひん剥いちまおうぜ」
だが、それでも震えは止まらない。
悪寒か、嫌悪か、恐怖か、はたまた絶望か。
知らず涙が零れるが、それを気にする場合もなく後方へと後ずさる。
それは、目前に迫り来る絶望の先から逃れるためか。
その怯えた様子に、少女へと近づいていく黄巾賊の男達は一様に笑みを深める――獣の如く、本能を剥き出しにした、その笑みを。
それを受けて、少女はますます後ろへと行くのだが、ふと後ろからの声に顔を向ければ、その方向にも黄巾賊がいて、少女は慌てて方向を変える。
だが、そちらにも黄巾賊はいて――と、少女はいよいよ何処へも動けなくなった。
徐々に狭まる包囲、いよいよ迫る絶望の時に、少女はぼろぼろと涙を流し始めた。
だがそれも、賊徒を興奮させるものでしかなかった。
目の前の男が手を伸ばしてくる直前、少女は知らず抱きしめていた人形に意識を取られる。
それを作り出した経緯を思い出して、また、その姿形を思い出して、少女は儚い、本当に微かな希望を乗せてその名を浮かべた。
助けてお母さん、と。
「へへ、ほうら脱ぎ脱ぎしましょうね」
だが、その願いも悲しく少女は四肢を捕まれる。
後ろから、横から、前から。
そして、眼前に迫った男は、少女の服に手をかけたと思いきや、一息のままに一気に引き裂いた。
「きゃあぁぁぁぁ! や、止めて、許してッ! 弟が、弟が待ってるんですッ!」
ここにきて初めて抵抗らしい抵抗として暴れる少女であったが、ある程度自警を学び力があるとはいえ、大の男の拘束から逃れるほどではなかった。
引き裂かれた服の合間から覗く白く滑らかな肌と、少女から成熟していく途上の乳房に、黄巾賊の中から歓声――狂声が沸き上がる。
羞恥からか、或いは恐怖からか――賊徒は興奮からと受け取ったようだが、少女の肌に紅がさすと、男達は一斉に舌なめずりをした。
その様が異様で、異質で、恐怖であった少女は、いよいよ全てに絶望するしか無かったのである。
そして、それは賊徒達にも知れたのか、或いは受け入れると思ったのか。
いよいよ観念したと思った少女の目前の男は、その小降りな乳房へと手を伸ばして――
――その意識は首と共に宙を舞うこととなった。
恐らくは、何が起こったのかも分からぬまま。
**
もし。
黄巾賊が少女だけに気を取られていなかったら、遠く響く馬蹄の音に気づいたかもしれない。
もし。
少女がこの場におらず、黄巾賊が当初の予定通りに動いていれば、これだけ容易にはいかなかったかもしれない。
もし。
北郷一刀が考え掲げた策でなかったのならば、黄巾賊はこの村に来ることはなく、少女は穏やかに健やかに生きていたのかもしれない――それが正史と違うとしても。
もし。
この地に来たのが彼女達で無ければ、きっと少女の精神は狂態と恥辱の宴で壊れていたことだろう。
**
「……え?」
初めに零したのは少女だったか、黄巾賊の一人だったか。
少女を押さえつけていた左右の男、そして少女に手を伸ばしていた男の首が宙を舞った時、零された言葉を意に介さぬままに、その三人は降り立った。
「……やれやれ、何とか間に合ったちゅう所か」
「ふん、覚悟は出来ているのだろうな、匪賊共よ? 民に危害を加えんとした罪、償ってもらうぞ」
一人は、風になびく外套を肩に羽織り、その豊かな胸をサラシにて巻き付けた女性。
一人は、最低限の部位だけを守るものを付け、巨大な斧らしきものを高く掲げる女性。
そして最後の一人は、少女の前に降り立った赤い髪と所々解れた腰布を風にながれるままにした女性――そして、その手に持つ戟とその髪の色を持つ武将の名に、少女は心当たりがあった。
以前、石城から洛陽に行く途上で村に立ち寄った商人の口から聞いたその人物の名に、商人が酷く興奮していたのを覚えていた。
戟を振るえば十の首が宙を舞い、馬を駆れば放たれた矢の如し、その武、天下無双。
自警のために武芸を学んだとはいえ、それほど才があった訳でもない少女であったが、それを聞いた時にはさすがに誇張しすぎだろうと思っていたのだが。
いざその人物を目前にしてみれば、それも間違いでは無かったことに気づいた――間違いなどではなく、そう評するのが彼女を一番に表す言葉なのだと。
そして、少女はぽつりとその名を発した。
商人に聞き、遠い噂で天下の飛将軍とも呼ばれたその名を。
「……呂、奉先」
そして、その少女の言葉に気づいたのか、首だけ向けたその人物――呂布は、その体勢で器用にも首を掲げた。
「……大丈夫?」