警告!!
後半はややオカルトっぽくなっています。
突然ではあるのだが、第五小隊に所属しているシャンテは接客業という物に就いていた。
昨年度までの自分だったならば、間違いなくこんな面倒な仕事はしなかっただろうと断言できるのだが、今年度になってからは話が違う。
グレンダンで変な騒動に巻き込まれてからこちら、色々な変化が立て続けに起こったのだ。
第一に、身長が非常識な速度で伸びた。
第二に、あまりにも子供過ぎた精神が落ち着いた。
小さな変化はほかにもあったが、上二つがもっとも重要である。
そして、二番目の変化が、現在接客業という物に就く事を許しているのだ。
だが、分からない事もある。
この仕事は、シャンテの意中の人であるゴルネオと直接的にも間接的にも色々あった、レイフォンからの紹介なのだ。
シャンテ自身、直接的にレイフォンとは色々あった。
廃都市では殺そうとして襲いかかり、勝てないと分かり、ゴルネオと共に無理心中を図ろうとした。
その後、ゴルネオと和解したらしいレイフォンに色々と教えてもらったりもした。
非常に複雑怪奇な関係を、レイフォンとは築いてしまったのだ。
まあ、それはそれとして、今年になってからは割と友好的な関係を築きつつあると思っていた。
その築かれた関係の中で、この日に喫茶店での接客業などと言う仕事を紹介されたのだ。
始めての体験で、色々と舞い上がり気味ではあるが、これも経験だと楽しむ事にした。
幸いにして、店のスタッフも穏やかで優しげな人達なので一安心だし。
だが、それとは全く関係ないところで一つの問題が有る。
「暇すぎませんか?」
ヴァン・アレン・デイというイベントの日だと言う事は知っている。
約一年前はハトシアの実を巡って、レイフォンやゴルネオ、更に都市警まで巻き込んで暴れ回った記憶もある。
その前後に、意味不明な夢を見たり、訳の分からないお面集団が襲ってきたりしたが、全ては過去の話である。
そう。全ては去年の話であり、今年のシャンテにとっては思い出したくない過去以外の何物でもない。
こう言う時に、店が忙しかったら思い出さずに済んだのだろうが、生憎と何故か暇なのだ。
表の通りはカップルが手を繋いだり腕を組んだりして、大勢歩いているというのにもかかわらず、店の中は完璧に無人なのだ。
これは、商売としても非常に問題ではないかと思うのだが、何故か店長と助手は平然としているのだ。
いや。これこそが正しい状況だと確信している節さえある。
「もうすぐ常連さんが来るから平気だよ」
「シャンテさん、可愛いよ、シャンテさん」
助手の方は、ウェイトレス姿のシャンテを褒める事しかしていないが、言っているだけで実際はこちらの方を見ていない事だし、あまり気にしてはいけないのだろうと思う。
まあ、それはそれで、少し嫌な気分になるが、問題とするほどの事でもない。
「常連さんですか?」
「そう。常連さんが来るから、ここは暇なんだ」
意味不明である。
普通に常連さんが来ると言えば、忙しくなる事を意味するはずなのだが、ここではその常識が通用しないのかも知れない。
はっきり言って疑問である。
だが、そんな些細な疑問など吹き飛んでしまう事態が突如として発生した。
「い、いらっしゃいませ?」
殆ど真上から降り注ぐ日差しを切り裂いて、意中の人ゴルネオが、堂々と有機ガラスの扉を開いて入って来たのだ。
それだけならば何の問題も無い。
今日、シャンテがここで働いていると言う事は知らせているし、様子を見に来たと言う事だってあるだろう。
だが、ゴルネオは一人ではなかったのだ。
「うわぁ! シャンテちゃんが本当にウェイトレスしている」
そのゴルネオの腰付近にあるのは、生徒会長であるサラミヤの顔である。
別段、何かいかがわしい事をしているというわけではない。
身長差の関係で、ゴルネオの腰付近にサラミヤの顔が来てしまうのだ。
なので、顔がある事は問題無い。
そう。問題は二人が一緒に店に来たと言う事である。
これも、もしかしたらシャンテの様子を気にしたゴルネオだったが、なかなか決心が出来なくてサラミヤが一緒に来るという口実を作っただけかも知れない。
だが、その予測は間違いなく外れている。
なぜならば、軽くシャンテの方を見た二人は、迷うことなく窓際の席へと着いてしまったからだ。
これこそが正しいと言わんばかりに、淀みなく流れるような動作だった。
「ご、ご注文をどうぞ」
内心の動揺を、細心の注意を払って表に出さないように、接客のマニュアル通りに話を進める。
それでもどもってしまったのは、仕方のないところだ。
「スーパージャンボチョコレートパフェ」
「最強なりしチョコレートパフェ特大」
「・・・・・・? は?」
そのマニュアルに乗っ取って注文を聞いたのだが、意味不明な単語が返ってきただけだった。
いや。ジャンボとか特大という単語だけを理解する事が出来た。
そして、二人の顔を交互にしっかりと確認する。
何かの間違いではないかと思ったのだ。
この店にそんな食べ物があるという話は聞いていないし、サラミヤなら兎も角、ゴルネオが特大という名の付いた食べ物を注文するとは、全くもって思わなかったのだ。
いや。ゴルネオが注文する事はあるかも知れない。
武芸者という生き物は、そもそもが大食らいなのだ。
それに、ゴルネオの体格を維持するためにも、それなり以上の食べ物が必要なのは間違いない。
以上の事から、ゴルネオが特大な食べ物を注文する事は何ら不思議ではない。
ではサラミヤは?
こちらは少し問題だ。
何しろ身体が小さいのだ。
その身体を維持するためには、それ程多くのエネルギーは必要ないだろう。
去年のシャンテならば話は違ってくるだろうが、武芸者でもないサラミヤならば特大とかスーパージャンボとか、そんな恐ろしげな名が付いた食べ物を注文する事は、あまり考えられない。
「え、えっと」
なので、もう一度ゆっくりと発音して貰い、今度こそきちんと注文を取ろうと決意して声をかけた。
それを理解したのか、ゴルネオがメニュー表を手に取り、サラミヤが指で指し示した。
それは、表の隅っこに書かれた、極々小さな欄だった。
そして、期間限定メニューと書かれていた。
「スーパージャンボチョコレートパフェ」
「最強なりしチョコレートパフェ特大」
指さしつつそう言われた。
これで理解しないなどと言う事は、殆どあり得ない。
だが、実は理解できない。
何で二人が食べに来たのかと言う事と、シャンテが先ほど確認した一覧には特大などと付いた名前は載っていなかったと言う事だ。
「先代の生徒会長と武芸長からな、代々の習わしだとそう伝えられたのだ」
「そうなのよ。私達の所で途絶えさせるのは忍びないじゃない? だからゴルネオさんに付き合って貰っているの」
「は、はあ」
分かったような分からないような。
兎に角、代々続いてきた習わしならば、シャンテに出来る事と言えば、そつなく実行に移す事だけだ。
と言う事で、動揺し続ける心を落ち着けるように深呼吸して、注文を厨房へと伝えた。
そして、正確に二分十五秒後、恐るべき物を目撃した。
「・・・・・・・・・・・・・」
目の前に鎮座しているのは、直径三十センチはあろうかという、透明な樹脂製のバケツに似た容器は、その全高も五十センチに達しているだろう。
さらに、その容器では物足りないとばかりに、山盛りに何か色々な物が乗っているような気がする。
サラミヤの注文したスーパージャンボチョコレートパフェは、白いスポンジの上に大量のカスタードクリームが重ねられ、その上にこれでもかとチョコレートクリームが上乗せされている。
そのチョコレートクリームが上から見えないほどに、色取り取りの果物が飾られ、頂上にサクランボが恥ずかしげに自己主張をしている。
対するゴルネオの最強なりしチョコレートパフェ特大は、茶色のスポンジの上にチョコレートクリームと生クリームが層をなして重ねられ、その上にココアパウダーを振りかけたカスタードクリームで飾り付けがなされている。
そして頂上に鎮座するのが、ココアバターをふんだんに使ったと思われるチョコレートの固まり。
一瞬目眩に襲われた。
とても食べきる事が出来るとは思えない、それ程に恐ろしい物に見えた。
いや。むしろツェルニを乱す物の怪に思えてならない。
だが、ウェイトレスという仕事に就いてしまっている以上、この恐るべき物の怪を運んで行かなければならない。
よりにもよって、ゴルネオの元へとだ。
「お、お待たせしました」
活剄を動員しなければ運べないほどの、凄まじい質量をもった物の怪を二人の前へと置く。
注文と違う物が来たと、文句を言われる事を願いつつ。
これほどの食べ物を粗末にする事は心が痛むが、それでも、ゴルネオがこれを食べるところを見るよりはましだ。
だが。
「わぁい。いっただっきまぁぁすぅぅ!」
「頂きます」
元気いっぱいのサラミヤがスプーンを片手に、満面の笑みと共に挑みかかり、やはりスプーンをもったゴルネオが落ち着いた動作で挑戦してしまった。
それが当然の事であるかのように。
これこそが自分が注文した、食べたい物だというように。
呆然とその光景を眺める事しか、シャンテには出来ない。
いや。事態は更に驚くべき方向へと突き進む。
「ねえねえシャンテちゃん?」
「な、なんでしょうか?」
瞬きをした記憶はある。
いや。瞬きをしたとしても、それは間違いなく数分の一秒という短い時間だったはずだ。
「一緒に食べない?」
「そうだな。シャンテも一緒に食おう」
「わ、わたし?」
だと言うのに、二人の目の前にある物の怪は、その体積を三分の一ほど失っているように見える。
そして、それよりも問題はシャンテがその物の怪との戦いに招待されていると言う事である。
しかも、二人の顔を見る限りにおいて、全くの善意である事は疑いようもない。
断るべきだと本能が告げている。
理性も知性もそれを後押ししている。
だが、物の怪の恐ろしさはそんな物ではとうてい抗う事が出来なかった。
「え?」
気が付けば、シャンテの両脇にサラミヤとゴルネオが座っている。
当然シャンテ本人も座っていて、更に目の前にはツェルニを乱す物の怪が鎮座していた。
三つ目と四つ目の物の怪である。
「あ、あの?」
動揺した。
これでもし、ゴルネオが何かの技を使ったというのならば、まだ話は分かるのだが、そんな気配は全く感じられなかった。
となればやはり、シャンテの目の前に鎮座している物の怪の仕業だとしか考えられない。
そして、更に事態は奈落へと突き進む。
「はい。あぁぁん」
「あ、え、う、い、お?」
何を思ったのか、サラミヤがその手に持ったスプーンで物の怪の一部を切り取り、シャンテに向かって突きつけてきている。
しかも満面の笑顔と共に。
これを口にすれば幸せになれると、そう確信しているとしか思えない、これ以上ないくらいに満面の笑顔と共に。
「シャンテ」
「ゴル」
この状況で聞こえてきた、力強く優しい声に希望を見いだして、そして最愛の人をその視界に納めて、そして絶望した。
今まで使っていたスプーンをもったゴルネオが、やはり物の怪の一部を切り取りシャンテへ向かって突きつけてきているのだ。
僅かな照れと共に、これ以上ないくらいに幸せそうな笑顔と共に。
この行動を終了させれば、食べた人間も、食べさせた人間も幸せになれると、そう確信している笑顔と共に。
涙で視界がにじんだ。
誰もシャンテの事を理解してくれないのだと、そう分かってしまったから。
「泣くなシャンテ」
「そうよシャンテちゃん。これを食べればきっと幸せになれるから」
盛大な勘違いをした二人の、暖かな言葉がシャンテを更なる絶望の淵へと叩き落とす。
もはや、何かを感じる事が苦痛でたまらない。
そして理解した。
目の前の物の怪に取り殺されれば、きっと幸せになれる。
ならば、もう食べるしかないではないか。
ゴルネオもサラミヤもそれを知っているからこそ、涙を飲んで無理に笑って勧めているのだ。
きっとそうに違いない。
だからシャンテは絶望の果てに表れた希望に縋り付くべく、小さく口を開けてそれを体内へと導いた。
もちろん、ゴルネオの持つスプーンからだ。
次の瞬間、脳髄を直撃した甘さに、目眩を覚えた。
そして、苦くて堅くてごつごつした物に口の中を蹂躙される感覚に、思わず嘔吐感が込み上げてきた。
一口目にして、早々に限界である。
「うっ!!」
思わずゴルネオを押しのけ、込み上げてくる吐き気と戦いつつトイレへと駆け込む。
サラミヤを押しのけなかったのは、まだ理性が残っていたからかも知れない。
「シャンテちゃん?」
「どうしたのだシャンテ?」
驚いた二人が追ってくるが、それどころではないのだ。
開け放った扉をそのままに、胃の中身が空になっても吐き続ける。
呼吸が苦しく、喉がひりひりして、涙が出てきたが、それでも全てを吐き出し少しだけ気分が落ち着いた。
「まさかシャンテちゃん! 妊娠なの? ご懐妊なの? そ、それともお目出度なの!!」
「な、なにぃぃ!! だ、誰の子供を身籠もったのだシャンテェェェ!!」
何をどう勘違いしたのか、追ってきた二人が恐ろしく的外れな事を言っているが、それに付き合うほどにはシャンテは回復していない。
そもそも、そんな暇はなかったし。
「何を言っているのゴルネオさん!! ゴルネオさん以外にいないでしょう!!」
「そんな事はない!! 俺は何もしていないぞ!! ならば他の、誰かの子供のはずだ!!」
「いいえ!! これは明らかにゴルネオさんの仕業です!! さあ責任を取って下さい!! 武芸長として、武芸者として人として、そして男としてゴルネオさんとして、しっかりと責任を取って下さい!!」
「だから、俺は何もしていないと言っているのだ!! 人の言う事をきちんと聞け!!」
「まだそんな戯れ言を言っているんですか!! シャンテちゃんがまだちっちゃい頃から手を出していたに違い有りません!! 自分の行動の責任も取れないなんて、この人でなし!!」
回復を始めたばかりだというのに、すぐ側でこんな大声の会話をされては、溜まったものでは無い。
いや。既に会話ではなくサラミヤの弾劾裁判所となっている。
そして、そうでなくても体調を悪くしたシャンテに、耐えられるはずはなかったのだ。
「う、うるさい。っうぅぅ」
小さな声で抗議するが、当然サラミヤには届かない。
更にゴルネオも大声で反論し始めてしまったために、再び吐き気が戻ってきた。
全て吐いた後なので何もないけれど、それでも緑色の苦い液体を吐き出した。
「しっかりシャンテちゃん! 今すぐ産婦人科に連れて行ってあげるから、気をしっかり持つのよ」
「そうだシャンテ! もうしばらくの辛抱だ。すぐに医者に連れて行ってやるぞ!! 産婦人科以外のな!!」
あまりの事態に、弾劾裁判はお開きとなったようだが、もはやそれにかまっていられる余裕など無い。
そもそもの原因を作ったのは、サラミヤとゴルネオなのだ。
「さあ。つわりなら吐いた方が楽になるから」
「兎に角横になって楽な姿勢を作ってだな」
更に二人の声が重ねられる。
何故二人は分かってくれないのだろうかという憤りと、自分の境遇の不条理さを感じた。
そしてシャンテの理性は切れてしまった。
「五月蠅い!! お前達のせいで苦しんでいるんだ!!」
「ぐわお!」
「きゃぁ!」
叫びと共に、活剄を使う事は出来なかったが、渾身の力で二人を殴り飛ばした。
正確に言うならば、渾身の力でゴルネオを殴り飛ばし、その巨体に吹き飛ばされてサラミヤの小柄な身体が転がった。
厨房から聞こえてきた拍手に殺意の視線を向けたシャンテは、更衣室へと直行。
即座に着替えて喫茶店を後にしてしまった。
あんな恐ろしい客が来る店で働く事など、出来はしないのだ。
そして決意する。
レイフォンを見つけたら、やはり一発殴ってやろうと。
昨年の経験から、ヴァン・アレン・デイは隠れて過ごしたレイフォンは、引っ越してまだあまり時間が経っていない我が家へと帰ってきていた。
あの恐ろしい喫茶店から、今年も働きに来てくれと頼まれたのだが、カリアンとヴァンゼが居ないからと言って受ける事は出来なかった。
そこで思いついたのが、最近急に人間らしくなったシャンテの存在だ。
彼女に社会勉強をしてもらおう。
カリアンもヴァンゼも居ないのならば、あの喫茶店はそれ程恐ろしい場所ではないはずだ。
と言う事で、言葉巧みに仕事を押しつけてしまったのだ。
では、一日何をやっていたのかと問われたのならば、それは殺剄の訓練だと答える事が出来る。
カナリス以上の殺剄の名手となれれば、あの恐るべき体験から永遠に逃げる事が出来ると信じて、ここ最近必死に訓練をしているのだ。
そして、その訓練を終えて我が家へと帰り着く。
食事は外で済ませてきているし、後はもう、シャワーを浴びて寝るだけである。
数週間前までだったならば、メイシェンの作ってくれたご飯を食べるという栄誉に預かる事が出来ていたのだが、ニーナとクラリーベルとの試合直後に告白され、そして経過はどう有れ振ってしまったのだ。
まだ、心の整理が付けられずに、会う事が非常に苦痛なのだ。
と言う事で、訓練を終えたにもかかわらず殺剄をして、こっそりと自分の部屋の扉へと鍵を差し込む。
「?」
そして、突如として、何かが首に巻き付いている事に気が付いた。
そして、人のようでいて人でないような、そんな恐るべき気配をすぐ後ろに感じた。
「え?」
殺剄を解除して、瞬時に戦闘態勢を作り上げて振り向き、そして硬直してしまった。
そこにいたのは、ツェルニ一般教養科の制服を着た、機械的な無表情をした少女だった。
変人と評価が高いが、メイシェン達とは仲が良いヴァティ・レンである。
「こんばんは。アルセイフ先輩」
「や、やあヴァティ」
挨拶をされたので返した。
いや。それ以外のどんな反応をすればいいのだろうかと、非常に困ってしまう展開である。
そして、振り向いたままだった姿勢を直し、ヴァティへと向き直ろうとして、そして途中で硬直してしまった。
何か黒くて細い物が、視界の隅に引っかかった。
よくよく見てみれば、それは紐である。
黒くて艶やかでいて、非常に滑らかな紐が、ヴァティの手から伸びていてレイフォンの首へとつながっている。
別段、首輪というわけではない。
ただ単に紐が、レイフォンの首に巻き付いているのだ。
「あ、あのヴァティ?」
「貴男には選択の権利があります」
「はあ」
選択の権利があると言いつつ、紐がかるく引かれた。
同時に、レイフォンの首が軽く絞まる。
ふと、ここで疑問に思う。
レイフォンは、ヴァティに何かしただろうかと。
首を絞められるような酷い事をしただろうかと、そう考える。
「え、えっと? 僕何かしたかな?」
「ええ。貴男は今日を生きて終える事が出来ない罪を犯しました」
「ど、どんな?」
今日を生きる権利がないと言われたのではない。
今日を生きて終える権利がないと言われたのだ。
それ程の大罪を犯しただろうかと、そう考える。
「心当たりがないんだけれど?」
そう言いつつ、剄を練り上げて防御を固める。
相手はただの紐である。
金剛剄を張るまでもなく、首回りの剛性を高めるだけで十分に防ぐ事が出来る。
そして、一般人であり、女の子であるヴァティに攻撃するなどと言う事は出来ない。
と言う事で、基本戦術は防御なのだが。
「ぐえぇぇ!!」
黒い紐は、その防御をあっさりと突き破った。
ヴァティの手が軽く引かれただけであり、見た目の紐の強度的にも、大したことはないはずだったが、それでも、レイフォンの防御をあっさりと突き破ったのだ。
「無駄です。貴男の能力は既に解析済み。そして、どれほど足掻こうとこの紐は貴男に死を届けるでしょう」
能力を解析とか言われてしまった。
そして、それはある意味武芸者にとって死を意味しかねない重要な出来事である。
いや。実際に死を意味しつつある。
なぜならば、基本的な戦い方や剄の使い方、何よりも弱点を明確に把握していると言う事であり、そこを突けばたいがいの武芸者は殺す事が出来る。
とは言え、それは普通の武芸者での話だ。
天剣授受者になるほどの武芸者の弱点を突いたところで、それは現実問題として些細な問題である。
そうでなければ、グレンダンでは天剣授受者が、ああも恐れられていないはずである。
はずであるのだが。
「ぐぇぇぇぇ!」
実際問題として、レイフォンの首は今なお締め付けられ続けていて、息が苦しいのは全く変わりがない。
何しろ、防御の最終手段である金剛剄が全く通用しないのだ。
「髪は、剄や念威にとって優秀な伝導体だそうですね?」
「ぐええ!」
「これはその髪で作られた紐です。剄は全て通り抜けてしまうだけで効力を発揮しません」
「ぐえ?」
言っている意味が分からない。
確かに髪は優秀な伝導体ではあるから、衝剄だけだったら分かる気がするのだが、活剄で剛性を高めているのに、それを貫通する事が信じられない。
何かの間違いではないかと、苦しい息の中精神力を総動員して紐を観察する。
艶やかな黒い髪の毛で出来た、しなやかな紐であることを確認。
そこでふと、これとよく似た髪質を見た事があることに気が付いた。
いや。一年以上にわたって、割と頻繁に見てきた。
「気が付いたようですね。そうです。これはトリンデン先輩の髪の毛で作りました」
「ぐえぇぇぇ!!」
ヴァティの力が更に強くなり、レイフォンの首に掛かる力が増す。
もはや剄を練ることが困難な状況である。
「トリンデン先輩を悲しませた貴男は、ヴァン・アレン・デイという今日を生きて終えることは許されないのです」
クイクイと、強弱を付けて死んだり意識がなくなったりしないように、細心の注意を払いつつ首が絞められる。
これほどのテクニックを何処で会得したのか、平和な状況だったら是非とも聞いてみたい物である。
「トリンデン先輩の、不の感情が凝集されたこの紐ならば、貴男を殺すことなど容易いこと。さあ選びなさい」
「な、なにをでじょうか?」
殺すと宣言しているにもかかわらず、選べと言っているヴァティの真意が理解できない。
いや。確かにメイシェンと仲が良かったし、ケーキ屋でアルバイトをしているから怒る気持ちは分かるのだが、何故こうも積極的に殺しに来ているのかが分からない。
「死んでから食べるか、食べながら死ぬか、食べてから死ぬか。貴男には選択の権利があります」
「な、なにをたべるのでじょうか?」
何よりも分からないのがそれである。
ヴァティは、レイフォンの死以外に何を望んでいるのだろうかと。
「扉を開けて下さい」
「?」
紐が弛んで、何とか息が出来るようになったので、差し込んだままだった鍵を捻り、そして扉を開けた。
中は少し暗かったが、何か箱が大量に積み上げられていることは分かった。
そして、この箱の中身を食べろと、ヴァティは命じているのだ。
「中身はチョコレートです」
「ぐえぇぇぇぇぇぇ!!」
中身を聞いて、一気に逃走しようとした瞬間、瞬時にして紐が締まり息が出来なくなった。
本当に、解析は終了しているようだ。
「全部で、五トーンほど有ります。貴男がどれほどの力を秘めていようと、食べきることは不可能でしょう」
「や、やめてぇぇぇぇ!!」
よりにもよって、チョコレートである。
一年前に酷い目に合った、チョコレートである。
そして、今年そのチョコレートがレイフォンの命を奪おうと襲ってきたのだ。
抗う術は、無い。
「何故トリンデン先輩では駄目だったのですか?」
「だ、だめというわけでは」
「見ていて微笑ましい小動物のような振る舞い。垂れ目ですが可愛らしい顔。そして従順で一途な強さを秘めているはずの思い。何よりも鳥が入ると言われている大きな胸。何が不満だというのですか?」
「ぐええええ!!」
言っていて興奮してきたのか、紐を引く力が強くなっているのだが、ヴァティ本人は全く気が付いていないようだ。
鳥が絞め殺されるような悲鳴を上げつつ考える。
駄目と言う訳でも、不満だと言う訳でもない。
嫌っているなどと言う事は、断じてない。
あえて言うならば、レイフォン本人さえ理解できていない何かが、メイシェンの思いに応えることを良しとしなかったのだ。
「人形のように整った顔立ちと、冷徹に見える無表情がチャームポイントではあっても、胸の小さな年上の女性が好みだと言うのですか?」
「だ、だれのことでじょうか?」
いや。誰のことだかは分かる。
分かるのだが、分かりたくない。
「と言う訳で」
「どんな訳ですか!!」
「私も鬼ではありません。自分の死に方を貴男に選ばせて差し上げます」
「ちょ、ちょっと待って」
「待ちません」
問答無用で選択を迫る後輩に首を絞められつつ、今日ここで死ねることはもしかしたら幸福なことではないかと、そんな埒もない事を考えてしまった。
現実逃避以外の何物でもない。
なぜならば、レイフォンの視界は急速に暗く狭くなっていったからである。
選択をする前に、死ぬことになるかも知れないが、その方がまだましかも知れないと思いつつ、意識を手放した。
「うふふふふ。安心して下さい。楽には殺しません。自らの死に方を選んでからでなければ殺しませんから、安心して気を失って下さい」
とても楽しそうな、そんな声が聞こえてきたが、きっと何かの間違いである。
機械的な無表情で変人として有名だが、これが切っ掛けで少しだけ人間らしい表情が出来るかも知れないが、それも、もうどうでも良いことである。
とても楽しそうにレイフォンの首を絞めるヴァティ、いや。レヴァンティンを見詰めつつ、ニーナはとても困った状況に放り込まれていた。
こっそりと階段の陰から覗いているのだが、これからの行動について判断に困っているのだ。
「助けるべきだと思うのだが」
少しだけ視線を横にずらして、確認する。
視線の先にはクラリーベルが居る。
ついこの間、二人掛かりだったがレイフォンを倒すことが出来た、まさにツェルニ最強戦力である。
ツェルニ最強戦力を揃えているのではあるのだが、何しろ相手はレヴァンティンである。
戦いを挑んでも勝てるとはとても思えないし、最悪の場合、そのままツェルニ崩壊につながってしまうかも知れないのだ。
犠牲になるのがニーナ一人だけだったら、何の問題も無く突撃しているところではあるのだが、今回は相手が悪すぎるのだ。
「そうですわね。わたくしの髪を編んだら、レイフォンさんを縛り付けておけるでしょうか?」
「・・・・・・・・・・・・。何の話をしているんだ?」
「メイシェンさんの髪で作った紐の話ですわ」
「・・・・・・・・・・・・・」
どうやらクラリーベルは、ニーナとは全く違った方向で困っているようだ。
これでは戦力として計算できない。
だが、事態は更に色々と複雑怪奇になって来ている。
そう。レヴァンティンが非常に楽しそうな笑みを浮かべつつ、意識を完全に無くしたレイフォンを介抱しているのだ。
さっき言った通り、楽には死なせないつもりのようだというのは良いとしよう。
メイシェンを悲しませたというのにも、何とか目を瞑ることが出来るだろう。
だが、何故、ナノセルロイドであるはずのレヴァンティンが、非常に楽しそうにしているのかが分からない。
「もしかしたら」
「な、なんだ?」
突如、何かに気が付いたようにクラリーベルが軽く手を叩く。
当然、こちらの居場所など知っているはずだが、それでも咄嗟にレヴァンティンを注視してしまった。
「レヴァンティンはサディストなのではないでしょうか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「そして、虐め甲斐のあるレイフォンさんを手中に収めて、本性をやっと現しているのかも知れませんわ」
「・・・・・・・・・・・。違うと思いたいが」
断じて違うと断言することは出来ない。
何しろ相手は、あのナノセルロイドなのだ。
どんな事が起こったとしても、何ら不思議ではない。
「さあアルセイフ先輩。貴男の死に方を選んで下さい。さもないと永遠に私に締め上げられ続けることとなりますよ」
「た、たしゅけてくだしゃい」
「駄目です」
気が付いたらしいレイフォンを更に責めるレヴァンティンは、やはりとても楽しそうだった。
後書きに代えて。
はい。一日早いですがヴァレンタイン企画です。
はい。去年の続きです。辻褄が合わないところがありますが、お気になさらないように。
と言う事で、モテる男なんか、レヴァンティンにくびり殺されてしまえという企画でした。
この企画事態は、実は去年の二月にはほとんど完成していました。とはいえ、前半のシャンテ編だけでしたが。(十六巻を読んでいたので)
どうやっても半分くらいの容量にしかならないので、お蔵入りかと思っていたのですが、第十七巻であんな事となったので、こんな話となりました。
当然ではありますが、メイシェンの髪の毛はレヴァンティンのナノマシンによって、謎の超物質へと変貌しています。
その気になればレギオスを拘束する事さえ出来るという、非常識な謎物質となっているかも知れません。
まあ、それは置いておいて。
来年については全く持って何も考えていません。よほどの事がなければ、ヴァン・アレン・デイはこれにて終了となります。
では、もてる人ももてない人も、明日を無事に生きて終えられますように。うへへへへへ。