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No.18194の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~ 【第二部 完結】[月桂](2014/01/18 21:39)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(二)[月桂](2010/04/20 00:49)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(三)[月桂](2010/04/21 04:46)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(四)[月桂](2010/04/22 00:12)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(五)[月桂](2010/04/25 22:48)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 第一章 雷鳴(六)[月桂](2010/05/05 19:02)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/05/04 21:50)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(一)[月桂](2010/05/09 16:50)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(二)[月桂](2010/05/11 22:10)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(三)[月桂](2010/05/16 18:55)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(四)[月桂](2010/08/05 23:55)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(五)[月桂](2010/08/22 11:56)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(六)[月桂](2010/08/23 22:29)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(七)[月桂](2010/09/21 21:43)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(八)[月桂](2010/09/21 21:42)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(九)[月桂](2010/09/22 00:11)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(十)[月桂](2010/10/01 00:27)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 第二章 乱麻(十一)[月桂](2010/10/01 00:27)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/10/01 00:26)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(一)[月桂](2010/10/17 21:15)
[20] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(二)[月桂](2010/10/19 22:32)
[21] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(三)[月桂](2010/10/24 14:48)
[22] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(四)[月桂](2010/11/12 22:44)
[23] 聖将記 ~戦極姫~ 第三章 鬼謀(五)[月桂](2010/11/12 22:44)
[24] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/11/19 22:52)
[25] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(一)[月桂](2010/11/14 22:44)
[26] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(二)[月桂](2010/11/16 20:19)
[27] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(三)[月桂](2010/11/17 22:43)
[28] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(四)[月桂](2010/11/19 22:54)
[29] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(五)[月桂](2010/11/21 23:58)
[30] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(六)[月桂](2010/11/22 22:21)
[31] 聖将記 ~戦極姫~ 第四章 野分(七)[月桂](2010/11/24 00:20)
[32] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(一)[月桂](2010/11/26 23:10)
[33] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(二)[月桂](2010/11/28 21:45)
[34] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(三)[月桂](2010/12/01 21:56)
[35] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(四)[月桂](2010/12/01 21:55)
[36] 聖将記 ~戦極姫~ 第五章 剣聖(五)[月桂](2010/12/03 19:37)
[37] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/12/06 23:11)
[38] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(一)[月桂](2010/12/06 23:13)
[39] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(二)[月桂](2010/12/07 22:20)
[40] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(三)[月桂](2010/12/09 21:42)
[41] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(四)[月桂](2010/12/17 21:02)
[42] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(五)[月桂](2010/12/17 20:53)
[43] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(六)[月桂](2010/12/20 00:39)
[44] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(七)[月桂](2010/12/28 19:51)
[45] 聖将記 ~戦極姫~ 第六章 聖都(八)[月桂](2011/01/03 23:09)
[46] 聖将記 ~戦極姫~ 外伝 とある山師の夢買長者[月桂](2011/01/13 17:56)
[47] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(一)[月桂](2011/01/13 18:00)
[48] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(二)[月桂](2011/01/17 21:36)
[49] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(三)[月桂](2011/01/23 15:15)
[50] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(四)[月桂](2011/01/30 23:49)
[51] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(五)[月桂](2011/02/01 00:24)
[52] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(六)[月桂](2011/02/08 20:54)
[53] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/02/08 20:53)
[54] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(七)[月桂](2011/02/13 01:07)
[55] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(八)[月桂](2011/02/17 21:02)
[56] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(九)[月桂](2011/03/02 15:45)
[57] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(十)[月桂](2011/03/02 15:46)
[58] 聖将記 ~戦極姫~ 第七章 繚乱(十一)[月桂](2011/03/04 23:46)
[59] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/03/02 15:45)
[60] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(一)[月桂](2011/03/03 18:36)
[61] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(二)[月桂](2011/03/04 23:39)
[62] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(三)[月桂](2011/03/06 18:36)
[63] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(四)[月桂](2011/03/14 20:49)
[64] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(五)[月桂](2011/03/16 23:27)
[65] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(六)[月桂](2011/03/18 23:49)
[66] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(七)[月桂](2011/03/21 22:11)
[67] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(八)[月桂](2011/03/25 21:53)
[68] 聖将記 ~戦極姫~ 第八章 火群(九)[月桂](2011/03/27 10:04)
[69] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/05/16 22:03)
[70] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(一)[月桂](2011/06/15 18:56)
[71] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(二)[月桂](2011/07/06 16:51)
[72] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(三)[月桂](2011/07/16 20:42)
[73] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(四)[月桂](2011/08/03 22:53)
[74] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(五)[月桂](2011/08/19 21:53)
[75] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(六)[月桂](2011/08/24 23:48)
[76] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(七)[月桂](2011/08/24 23:51)
[77] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(八)[月桂](2011/08/28 22:23)
[78] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2011/09/13 22:08)
[79] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(九)[月桂](2011/09/26 00:10)
[80] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十)[月桂](2011/10/02 20:06)
[81] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十一)[月桂](2011/10/22 23:24)
[82] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十二) [月桂](2012/02/02 22:29)
[83] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十三)   [月桂](2012/02/02 22:29)
[84] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十四)   [月桂](2012/02/02 22:28)
[85] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十五)[月桂](2012/02/02 22:28)
[86] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十六)[月桂](2012/02/06 21:41)
[87] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十七)[月桂](2012/02/10 20:57)
[88] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十八)[月桂](2012/02/16 21:31)
[89] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2012/02/21 20:13)
[90] 聖将記 ~戦極姫~ 第九章 杏葉(十九)[月桂](2012/02/22 20:48)
[91] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(一)[月桂](2012/09/12 19:56)
[92] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(二)[月桂](2012/09/23 20:01)
[93] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(三)[月桂](2012/09/23 19:47)
[94] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(四)[月桂](2012/10/07 16:25)
[95] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(五)[月桂](2012/10/24 22:59)
[96] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(六)[月桂](2013/08/11 21:30)
[97] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(七)[月桂](2013/08/11 21:31)
[98] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(八)[月桂](2013/08/11 21:35)
[99] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(九)[月桂](2013/09/05 20:51)
[100] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十)[月桂](2013/11/23 00:42)
[101] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十一)[月桂](2013/11/23 00:41)
[102] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十二)[月桂](2013/11/23 00:41)
[103] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十三)[月桂](2013/12/16 23:07)
[104] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十四)[月桂](2013/12/19 21:01)
[105] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十五)[月桂](2013/12/21 21:46)
[106] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十六)[月桂](2013/12/24 23:11)
[107] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十七)[月桂](2013/12/27 20:20)
[108] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十八)[月桂](2014/01/02 23:19)
[109] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(十九)[月桂](2014/01/02 23:31)
[110] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(二十)[月桂](2014/01/18 21:38)
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[18194] 聖将記 ~戦極姫~ 第十章 天昇(四)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:7a1194b1 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/10/07 16:25

 岩屋山南方 竜造寺軍本陣


「――以上が、先刻、高橋鑑種どのの使者が口にした、宝満城陥落の顛末です」
 鍋島直茂が語り終えると、集まった竜造寺家の諸将は一斉に口を引き結んだ。
 厄介な敵城の一つが味方の手で落ちたのだからめでたいこと――などと考える者は、この場にはいない。木下昌直でさえ渋面になっている。
 直茂は高橋鑑種の名前を出したが、城を落としたのが実質的に毛利軍であることは明白である。今回は対大友の一点で協調しているとはいえ、竜造寺家と毛利家が将来的に九国の支配権を巡って対立することは避けられない。
 毛利に先んじられたことで、竜造寺は戦略的に一歩も二歩も出遅れたことになった。ただでさえ、数カ国を支配する毛利と、肥前一国をかろうじて支配している竜造寺とでは国力が違う。その上、戦略でも先んじられてしまえば、最悪、挽回が不可能になる可能性すらあった。


 昌直が盛大に舌打ちする。
「ちッ! 岩屋と宝満はこっちの獲物だろう。これは盟約に反することじゃないんですかい、軍師どの?!」
 それに対し、直茂はゆっくりとかぶりを振った。
「そこまで細かな取り決めはしていません。それをしてしまうと、毛利家の方は『立花山城と博多津はこちらのもの』という条件を出してくることが目に見えていましたから」
 江里口信常が小さく肩をすくめた。
「このあたりも重要な土地ではあるけど、さすがに立花山と博多、この二つと引き換えにできるもんじゃありませんね」
「ええ。それゆえ、大友領は切り取り自由、ということにしていたのですが……」
「おかげで安芸の謀将さまは、遠慮なくこちらにまで手を伸ばせた、ということですわね」
 ころころと円城寺信胤が笑う。


 それを見て、百武賢兼が眉間にしわを寄せた。
「胤どの、笑い事ではないぞ。使者の言ったことが事実なら、毛利は自家の兵を使わずに宝満城を落としたことになる。一方の我らは、四天王がそろいもそろって宝満城の出城ひとつ落とせなかったときている」
「あらあら、それはわたくしやエリちゃん、成松さんの戦ぶりが不甲斐なかったという非難ですの?」
 にこりと微笑む(その実、目はまったく笑っていない)信胤の顔を見て、賢兼は大慌てで首を横に振った。
「い、いや、まさか! ちゃんと『四天王がそろいもそろって』と言ったでしょうが! 俺も木下も、ろくにお役目を果たせなかったのだからして、それを棚に上げて僚将をとがめだてしたりはしませんよ!」
「わかっておりますわ。大きなお顔が団扇の代わりになりそうなくらい、一生懸命かぶりを振らなくても結構でしてよ。冗談です、冗談」
「冗談なら、もうちょっとわかりやすくお願いしたいですな……」
 思わず額の冷や汗を拭う賢兼だった。


 その後、諸将はなんとはなしに口を噤み、本陣に沈黙の帳が降りる。
 各々、宝満城のことで考えるところがあったのは事実だが、それだけではここまで沈黙は続かない。諸将のいぶかしげな視線が集まった先は、本陣の中央に座る主君 竜造寺隆信であった。
 隆信は決して暴虐の性質ではないが、その為人に直情径行な部分があることは何人も否定できない事実である。賢兼の言葉ではないが、竜造寺家の四天王が総力を挙げて攻めたというのに、岩屋城のような出城ひとつ落とせなかったという事実は、当主たる隆信にとって到底座視しえない結果であったはず。常の隆信であれば、家臣の不甲斐ない戦いぶりに激怒し、大声で怒鳴り散らしていてもおかしくはなかった。


 しかし、隆信は諸将が口を開いている間も、目を閉じ、口を閉じ、まったく反応らしい反応を示さない。明らかに不機嫌そうな顔はしているのだが。
「……まるで熊の置物ですわね」
 とは信胤のひとりごとである。
 ともあれ、そんな隆信の様子を家臣たちはいぶかしんだ。ことに、成松、江里口、円城寺の三人は、表面上はどうあれ、昼間の合戦で岩屋城を攻めきれなかったことに責任を感じており、隆信からの叱責を覚悟してこの場に臨んでいたから尚更であった。


「あ、あのー、殿。その、昼の戦、まことに不甲斐ない結果になってしまって、申し訳ございません……」
 沈黙に耐えかねた江里口信常が、意を決しておそるおそる口を開くと、隆信は片目を開けて家臣たちを睥睨した――が、その口から出た言葉は案外穏やかであった。
「かまわん。城が落ちなかったのが、おぬしらの怠慢のせいだというならただではおかんところだが、わしが攻めておっても、おそらく一日では落とせなかったろうよ。敵将の高橋紹運と申したか、なかなかやりおるわい」
 そういって、不機嫌な表情をわずかに崩して口元を緩ませたところを見るに、隆信はよほど敵将の戦ぶりが気に入ったらしい。


 ここで、信常とまったく同じように木下昌直が戦々恐々としながら口を開く。
「で、では、殿はなんでそんなに不機嫌そうなんですかい? やっぱ毛利の奴らに腹が立っていなさるんで?」
「毛利なんぞに腹を立ててどうする。あのようにうねうねした連中が何をしてこようと、今さら驚きも怒りもせんわ。わしが腹を立てておるのはな、昌直、わしの義妹がまたわしを騙しおったことに気づいたからだ」
「へ? 義妹ってーと……軍師どのですかい?」
「他に誰がおる?」
 ふしゅー、と鼻から荒い息を出す竜造寺家当主。
 どうやら、さきほどまでの沈黙は、半ば以上直茂に対するあてつけであったらしい。


 それと悟って(というより最初からわかっていたのかもしれないが)鬼面からのぞく直茂の口元が笑みを形作った。
「殿、騙していたとは人聞きが悪いですよ」
「他に言い様があるか、策士めが。義兄にして主君たるわしを、何度あざむけば気がすむのだ?! 先の戦ではろくに戦わぬうちに退かせよった。ゆえに此度こそは大友を滅ぼし、九国の北半分を我が物にせんと腕を撫しておったというのに、貴様、はなっからその気はなかったのであろうが?!」
「その点についてはご容赦ください。此度もろくに戦えぬ、とあらかじめ告げていれば、殿は佐賀城から動いて下さらなかったでしょう。ですが、わたくしが心から殿と竜造寺家のためを思って謀っておりますこと、これはまことにございます。そのことだけは、どうかご理解いただきたく」
「ふん、しおらしげに言いおる。だが、これでわしがへそを曲げたら、母に泣きつくつもりなのであろうがッ」


 この時、隆信の物言いがどことなく拗ねて聞こえたのは、家臣たちの気のせい――というわけでもなかった。
 隆信が母である慶誾尼(けいぎんに)に頭があがらないことは周知の事実であり、そして、その慶誾尼が、まだ幼かった直茂の器量を見込んで、直茂の父 鍋島清房のもとにおしかけて女房になったことも、これまた周知の事実だったりする。
 この義理の兄妹に感情的なしこりが生じた場合、慶誾尼がいずれに味方するか、その答えは火を見るより明らかだ、と隆信は考えていたのである――当然、隆信は味方されない方だった。


 こちらも当然というべきか、直茂もそのあたりのことは承知している。
 ただし、このできた妹ははっきりそうと口にしたりはしなかった。兄の言葉を「とんでもない」と言わんばかりにいささか大げさに否定する。
「まさか、そのようなことはいたしません! ――ただ、ですね」
「ただ、なんじゃ?!」
「殿の様子に不審をもった継母上から、事の次第を訊ねられたのならば、偽りを申し上げるわけにはいかぬと存じます」
 一瞬、隆信が言葉に詰まったのは、感情を秘すことのできない自分の性情と、何事にも目が行き届く母の眼力、その双方に思いを致したからであった。
 わずかな沈黙の後、隆信は苦々しく吐き捨てた。
「――ふん! まこと、わしは良い義妹を持ったわッ!」
「お褒めにあずかり恐縮です、兄者」
「皮肉じゃたわけ!!」





 そんな義兄妹のやりとりを、家臣一堂はわけもわからず眺めていたが、ただひとり、先刻から黙して考えに沈んでいた成松信勝が、得心したように二度うなずいた。
「……なるほど。いかに安芸の謀将が相手であれ、鍋島どのが何ひとつ気づかなかったというのは奇妙だと思っていたのだが」
 それを横で聞いていた百武賢兼が首を傾げる。
「んん、ということは、軍師どのはあえて宝満城を毛利に渡したってことか? 何のためにだ?」
「あえて渡した、ということはあるまい。だが、別に取られたところで大した問題ではない、と考えておられたのではないかな」
「それこそ何でだ? あの城を落とすのは、いくら俺たちでも骨だぞ。実際、その出城さえまだ落とせないでいる体たらくなんだからな」
「百武、オレに鍋島どのの軍略のすべてを推し量るなぞできるわけなかろうが。そこは直接本人にお訊きすればよい」


 その信勝の言葉を合図として、その場にいた者たちの視線が一斉に直茂に向けられる。
 彼らの視界の中で、直茂は佩刀の柄頭を軽く撫ぜながら、ゆっくりと口を開いた。
「皆、あまり私を買いかぶらないでください。此度の毛利の動き、あらかじめすべて承知していた、などということはありません」
 それを聞いた信胤は小首をかしげる。
「けれど、まったく予想外というわけでもなかった。そう拝察いたしましたけれど」
 今度は直茂も否定しなかった。
 直茂は淡々と言葉を続ける。
「反乱の首魁となった人物が、事やぶれた後で追求の手をかわして逃げ続けるのは容易なことではありません。敵の追っ手はもちろん、それまで味方であった家臣や民までがいつ敵になるかわからないのですからね。しかし、先の筑前の乱を起こした一方の首謀者である高橋鑑種どのはついに捕まらなかった。そこに他者の介入があったと考えるのは、そう見当はずれなことではないでしょう」
 そして、竜造寺が手を差し伸べていない以上、それをするに足る理由と実力を持っている家は片手の指で数えられる。いや、いっそ一つしかないというべきか。
「立花、高橋両家の謀反の裏に、毛利の使嗾があったのは周知の事実。であれば、当然のこと鑑種どのとの手づるは常に用意してあったでしょう。毛利が鑑種どのをかくまったとすれば、それを用いるにもっとも相応しい時と場所はどこなのか――いえ。どこで使うために、毛利は鑑種どのをかくまったのか」
 そこまで考えれば、おのずと答えは出てくる、と直茂は言う。


「……はあ、なるほどねえ」
 信常があきれたような、感心したような声を出す。その隣では、信胤が口元に手をあてて上品に微笑んでいた。
「『あらかじめすべて承知していた、などということはありません』ですか? あらあら、ここまで先を読んでいた方にそういわれてしまっては、木下さんの立つ瀬がありませんわね」
「ちょ?! 胤さん、なんでそこで俺の名前を出すんだよッ?!」
「モノを比べる場合、極端な方がわかりやすいんですのよ」
「なるほど、そういうことなら納得だぜッ。たしかに俺と軍師どのは竜造寺家の武と文の象徴、正反対だしな!」
 おう、とばかりにうなずく昌直を見て、信常は気の毒そうに首を横に振った。
「……いや、木下。その解釈は間違ってる。お前さん、かなり露骨にバカにされてるんだぞ?」
 だが、幸いにもその呟きは昌直に耳には入らなかったようだった。





「しかし、鍋島どの。毛利が宝満城を狙っていることがわかっていたのならば、いっそあちらも包囲しておいた方が良かったのでは? 我らの兵力をもってすれば、それも可能であったと思うが」
 成松信勝の疑問に、百武はじめ他の四天王もうんうんと頷く。
 竜造寺家の軍勢は二万。その半分以上は徴兵したての兵士だが、城を囲み、陣をかためて警戒するだけならば、錬度の不足を気にすることもない。確かに信勝のいうとおり、岩屋城と宝満城を二つながら包囲することは可能であっただろう。


 だが、その意見に対し、直茂はゆっくりとかぶりを振ってみせた。
「二兎を追う者は一兎をも獲ず、ですよ。宝満城の兵力は岩屋城の倍以上。地形の険阻さも、宝満山の方がまさります。そこに立てこもる高橋勢は精鋭であり、これを攻める気もなく包囲すれば、たちまち見抜かれて城兵から逆撃をくらってしまうでしょう。あるいはこちらを挑発して山中に引きずりこむことも考えられますね。そうなれば、戦に慣れない兵士たちが、それに引っかかってしまう恐れは十分にあります。そういったことに備えるために、四天王の誰ぞを宝満城の陣に配置すれば、今度は岩屋城に対する攻撃がおろそかになってしまう。おそらくはそれこそが敵将 高橋紹運どのの思惑なのです」


 強大な敵軍の攻撃を、岩屋城、宝満城という二つの堅城に拠って退け続け、敵軍の焦りと苛立ちを誘って勝機を見出す。
 高橋勢が、現在の追い詰められた戦況の中で活路を探るにはこれくらいしか手はない。高橋家の当主である紹運が、本城である宝満城を離れ、あえて岩屋城という出城に立てこもったのもこの作戦の一環であろう、と直茂は推測していた。
 だからこそ、直茂は竜造寺家の全力を投入して、出城に過ぎない岩屋城に襲い掛かったのである。宝満城を毛利に奪われることを半ば以上予期していた直茂であったが、紹運の意図を挫く意味でも、また竜造寺家の戦略目標を達成するためにも、それ以外の選択肢は存在しなかった。




 それを聞き、納得したようにうなずく一同の中で、ただひとり木下昌直だけがはてと首をひねっている。
 それを見た円城寺信胤が、不意に昌直に向けて問いを発した。
「ここで木下さんに問題ですわ。今、軍師どのが仰ったわたくしたち竜造寺家の戦略目標とはなんでしょうか?」
「うぇッ?! な、なんで俺ばっか?!」
「それはもちろん、この中で一番理解できていなさそうなのが木下さんだからですわ。ちなみに『大友家を滅ぼすこと』は不正解ですからね」
 まさしくそう言うつもりだった昌直は、口をぱくぱくと開閉させることしかできない。
 加速度的に顔色を悪くさせていく昌直を見かねたのか、直茂が口元に苦笑をうかべて助け舟を出した。


「木下、あなたも普段から口にしているではありませんか。筑前を制すること、ひいては九国すべてを竜造寺の旗で埋め尽くすこと。それが我が家の目的です。そのために私たちは大友家と矛を交えているわけですが――」
 大友家を滅ぼした後、竜造寺家の前に立ちはだかるのが毛利家であることは論を俟たない。
 ならば、今の時点で毛利家と袂を分かっても問題はないのか。
 むろん、そんなことはない。
 現在、両家の力の差は、それこそ先ごろまでの大友、竜造寺の関係と同じように大きく開いている。ここで竜造寺が毛利と戦端を開いても、待っているのは惨憺たる敗北だけであろう。


 直茂は言う。
「事実は事実として認めなければなりません。今はまだ、我らの力は毛利の驥尾に付す程度のものでしかないのです」
 国力の差からいって、大友家追討の主導権を毛利に握られるのは仕方ない。筑前の大半が、毛利の手におさまることを、直茂はとうに覚悟していた。
 ここで大切なことは、毛利と競って筑前に一寸でも領土を増やそうと奮闘することではない。そんなことをしてもたかが知れているし、最悪の場合、大友家を滅ぼすより早く、毛利と衝突する事態になりかねぬ。
 そうではなく、ここで竜造寺の君臣が意を用いるべきは、竜造寺はあくまで独立した大名家であり、秋月をはじめとした他の国人衆のように毛利の傘下にあるわけではないということを、諸国に強く印象づけることであった。


 だからこそ、竜造寺家は二万という、毛利家に次ぐ大兵を率いて筑前に侵攻した。毛利との締盟においても、あくまで対大友のための盟約であることを強調しており、従属をにおわせる一切を排除している。
 直茂が岩屋城を欲するのも、この一環であった。
 岩屋城はただの出城に過ぎないが、そこに立てこもる高橋紹運は凡百の将ではない。
 大友宗麟が筑前の支配をゆだねた、立花道雪と並ぶ大友家の要のひとり。その首級をあげたとなれば、大友家を滅ぼすにおいて、竜造寺家が決して毛利の尻馬に乗ったわけではなく、明確な決意と確かな戦力で事を為したことが万人の目に明らかとなるだろう。


 そして、その武功は竜造寺家を取り巻く虚名を、真の盛名へとかえる契機となる。


「虚名、ですか?」
「ええ」
 信胤の静かな問いかけに、直茂はためらう様子も見せずにうなずいた。
「繰り返しますが、今の我らの力は大したものではありません。毛利が中国地方に尼子という強敵を残しながら、五万近い兵力を動員したのに比べ、我らは二万足らず。大友家の混乱で筑後の蒲池どのが身動きできないという幸運に乗じてなお、毛利の半分以下なのです。しかし、今、衆目が一致するところ、九国北部の勢力争いは毛利、大友、そして竜造寺の三つ巴となっています。毛利や大友という複数の国を支配する大国と、肥前一国の竜造寺が同列に扱われているのですよ」
 これが虚名でなくてなんであろう。直茂はそう言った。


 居並ぶ将たちの中には、それに対して何事か口にしかけた者もいたが、今の直茂には異論や反論を許さない迫力があり、その迫力は四天王らをして圧伏せしめるに足るものであった。
 静まり返った陣幕の中を、直茂の声だけがゆっくりと流れていく。


 実戦力と世評の乖離はさしてめずらしいことではない。だが、そういったこととは別に、世評は時に万の兵に優る力を持つ場合がある。
 大友家の迷走は今さら語るまでもないが、昨今の毛利家にしても、九国で叛乱を使嗾しては失敗して敗れ去る、ということを繰り返している。この両家に一族郎党の運命を託するのに躊躇する者がいても不思議ではない。
 そして、そんな者たちが今頼ろうとしているのが、この両家と並び称される竜造寺家なのである。
「これはまさに千載一遇の好機なのです。竜造寺家が、今の大友家はともかく、毛利家に伍すなど戯言に過ぎませんが、世評がそう見ている以上、世評を信じる者にとってそれはまぎれもない『事実』になります。彼らの中で、大友にも毛利にも従いたくないという者たちは、私たちに頼るしかありません。実なき『事実』の流布が、まことの実をもたらすのです」
 その流れを加速させ、本当の意味で竜造寺が強国の一角に名を連ねるための重要な一歩。鍋島直茂は今回の大友家追討をそのように捉えていた。


 騎虎の勢いという言葉がある。
 虎に乗って走る者が途中で降りることができないように、物事の勢いが盛んになり、行きがかり上、途中でやめられないことのたとえである。
 今、竜造寺家はまさしく世評という名の虎の背に乗った状態であった。直茂の策は、すべてこの虎になんとかしがみつくべく考え抜かれたもの。もし、ひとたび虎の背から放り出されれば、竜造寺家は九国の地に割拠する他の国人衆たちと同様、毛利ないし他の大名の膝下に屈するしかなくなろう。
 それはそれで、戦国の世における一つの生き方であろうと直茂は考えているが、直茂の義兄はそんな生き方をよしとできる人物ではない。否、直茂とて、できればそんな生き方は御免被りたいのである。



 ――だからこそ、鍋島直茂は多くの人と、財と、時を投じてきた
 ――世評という名の虎を育てる、そのために



 そんな内心の思いを、直茂は髪一筋たりともおもてには示さない。
 やがて、その語る内容は、岩屋城を落とした後におとずれる毛利との戦いに及んでいた。
「どうやって国力に優る毛利家を打倒するのか。これはさして難しい話ではありません。九国を制覇するにおいて、竜造寺家が毛利家に優る最大の利点は、距離です。毛利家はたしかに動員力にぬきんでていますが、その巨大に過ぎる兵力を戦場で用いるためには、絶えず中国地方から長躯して九国にやってこなければなりません。また、戦の区切りがつくごとに兵を帰す必要がある。一方の私たちは、筑前まで国境ひとつ跨ぐのみ。兵を集めるも、帰すもきわめて容易です。当然、軍を維持する金も兵糧も、毛利とは比較にならないほど少なくて済む。この利は、数万の兵士に優るのですよ」


 今回の戦いで毛利が筑前の大半を奪ったとしても、毛利の本隊が去った後にその領土を切り取ることは難しいことではない。
 むろん、そうなれば毛利は再び大軍を動員して攻め寄せてくるであろうが、家中が崩壊寸前であった大友家と異なり、今の竜造寺家に内紛の隙はない。勝つことは難しくても、負けない戦をすることは可能であろう。
 九国の国人衆にしたところで、毛利元就に心酔している者など数えるほど。大半はその力に頼って家を存続させようとしている者たちばかりであり、彼らは竜造寺家が巨大になれば強い方になびく。なびかぬ者は滅ぼしていけば良い。
 そうして勢力を固め、竜造寺家を毛利家に匹敵する大家としたその時こそ、世評と実態の乖離は解消され、竜造寺の名は本当の意味で天下に鳴り響く。
 竜造寺家の君臣は、天下を争う舞台へ躍り出ることができるのである。




◆◆




 直茂の口からよどみなく、豊かに湧き出る言の葉は滔々と流れる大河にも似て、聞く者の心を覆っていく。そのせいだろうか、直茂が語り終わった後も、口を開こうとする者は誰もいなかった。
 しかし、その静黙も長くは続かない。
 天下を争う。
 将として名を馳せる者たちに、その言葉を聞いて感奮せぬ者がいようはずもないのだから。


 真っ先に口を開いたのは木下昌直である。過度の興奮のためだろうか、その顔は酒でも飲んだかのように赤く染まっていた。
「すげえ! 天下、天下かッ! おお、なんかすげえ燃えてきたぜッ!」
 その傍らで、江里口信常が眉をしかめつつ、笑みを浮かべるという器用なことをやってのける。
「うるさいよ、木下。でもまあ、気持ちはわかる。いいねえ、天下ってのは! うん、どうせ目指すなら、やっぱり頂点だよな」
「同感だ。肥前の山奥から出て天下を掴めば、殿と、その下で戦った俺たちの名前は日の本の歴史に永遠に残るなッ」
「天下を見据えていたからこそ、宝満城を奪われたとて鍋島どのは動じなかったのだな。その気概、視野の広さ、オレも見習わねばならん」
「がっはっは。わしが天下人か、身震いするわ! 武者震いなどいつ以来のことか。やはり、わしは良い義妹を持ったッ!」
 百武賢兼や成松信勝、さらにはあっさりと機嫌を直したらしい竜造寺隆信らが語り合う中、沸き立つ空気に染まらない者が二人いた。
 鍋島直茂本人と、円城寺信胤である。




「あらあら、殿も、皆さんも先走りがすぎますわ。天下のことを口にするのは、少なくとも岩屋城を落として、高橋さんの首級をあげてからにしませんと」
 信胤はそういったものの、主君や僚将のやる気に水を差すこともないと考えたのだろう、その言葉を聞いたのは直茂だけであった。
「胤どのの申されるとおり、今、私が申し上げたことは、すべて岩屋城を落としてから始まること。岩屋城を落としえぬ今の我らでは、天下のことは夢のまた夢です。ですが……」
「今の殿たちの耳には入りそうもありませんわね。軍師どのの名演説を聞いてしまえば、それも仕方ないことでしょうけれど」
「演説をしたつもりはなかったのですが」
 そういって、困ったように首を傾げる直茂を見て、信胤はくすりと微笑んだ。


 その信胤が、ふと小首をかしげて直茂に問いかけた。
「軍師どのの識見にはわたくしも感服つかまつりました。しかし、安芸の謀将さまは、どうご覧になっているのでしょう? 軍師どのがあちらの謀略に気づかぬはずがないように、あちらも軍師どのの思惑を見過ごすことはない、とわたくしには思えますわ」
「そうですね、はっきり言ってしまえば、おおよそのところは見抜かれていると思います。それは、近年の毛利の動きを見ても明らかでしょう」
 直茂の言葉に、信胤はわずかに眉をひそめる。
「と、おっしゃいますと?」
「ここ数年、毛利軍は幾度も九国に兵を派遣しています。そして、そこには共通する一事があるのです。名高き毛利の三姉妹、必ずそのいずれかが総大将となっているのですよ」
 そう言ってから、直茂は次のように付け加えた。


「あるいは、こう言い換えた方がわかりやすいかもしれません。元就公ご本人が出陣していない。それが、ここ数年、毛利家が九国で軍を動かすに際して共通していることなのです」


 信胤は目をぱちくりとさせる。
「それは、安芸本国の安定をおもんぱかってのことではありませんの? 毛利には後背に尼子という難敵がおりますし」
「むろん、それもあるでしょう。しかし、たとえば此度のように、かりそめにも九国探題に任じられた家を滅ぼそうという大戦に際し、一国の主が本国から動かない、というのは不自然だとは思いませんか? 将兵の士気や、国人衆の動向にも少なくない影響を及ぼすのは確実です。それを元就公がわかっておられないとは考えにくい」
 たしかに、と信胤はうなずいた。
「兵力にばかり目がいっていましたけれど……今回の戦は娘たちに経験を積ませる類の戦ではありませんわね。中国地方の家はともかく、九国の国人衆にとって謀将さまが実際に九国にいるといないとでは、ずいぶんと心証も異なりましょう」


 しかし、それと直茂の戦略と何の関係があるのか。
 そんな疑問を口にする信胤に、直茂は言う。まさにそれが答えなのです、と。
「元就公が大軍を率いて九国に来襲すれば、多くの国人衆は毛利に従うでしょう。しかし、元就公は安芸の国主であり、遅かれ早かれ安芸本国に戻らなければなりません。有情の謀将 毛利元就。その名声と影響力が巨大であるがゆえに、元就公が去られた後の毛利軍は否応なく弱体化します。実際の戦力はもちろんのこと、勢いの上でも」
 信胤は得心したようにうなずいた。
「謀将さまの不在に敵は勢いづき、味方は不安になる、ということですわね。戦において勢いは大切ですわ。ひとたびその状況に陥ってしまえば、あとはもう取った取られたの繰り返しですが、そうなると遠く安芸から軍を出さなければならない毛利の負担は尋常なものではありませんわね。繰り返せば繰り返すほどに、毛利の国力は損なわれていく」
 それは要するに、さきほど直茂が口にした対毛利戦の戦略そのものであった。


 おとがいに手をあてながら、信胤は考える。
 衆にぬきんでた国力を有する毛利とはいえ、そんな泥沼の消耗戦に踏み込むのは避けたいに決まっている。
 これを避けて九国に毛利の支配を浸透させるためには「巨大であるがゆえに不在時の影響が大きく、しかも国主であるゆえに必ず安芸に戻る必要がある」毛利元就という存在は、かえって邪魔にしかならない。
 では、必要な存在とはどういう者か。
 信胤の内心を読み取ったように、直茂が口を開く。
「元就公のように戦が終わるごとに安芸に帰る必要がなく、それでいて元就公と同じように九国の諸家に恐れられる人物。そんな将がいれば、毛利にとっていうことはありません」
「有情の謀将に匹敵する名声を持つ人物など、そうそういるはずがありませんわね。逆に、家臣の中でそんな将がいれば、それはそれで毛利にとっては頭痛の種になっているはずですわ」
「そのとおりです。だから、元就公は三人の娘たちにその役を擬したのです。九国の戦役で彼女らに大将の役割を委ね、その武威を九国中にしらしめる。吉川、小早川、いずれも毛利の一族ですし、毛利隆元どのにいたってはれっきとした毛利宗家の跡継ぎです。その名声が元就公に匹敵するほどになったとて何の問題もありません。その上で彼女らを恒久的に九国の地にとどめおくことが出来れば、本国と前線との距離は事実上ゼロになります。我らが付け込む隙はなくなってしまうでしょう」




 そこまで語り終えると、直茂は考えを整えるように、ほぅっと小さく息を吐いた。
「胤どのはさきほど、元就公が私の思惑に気づかないはずはないと申されましたが、元就公は私個人ではなく私と同じ考え、同じ野心を抱く者が必ず現れるだろうことを予測しておられたのでしょう。そして、それに備えるべく手を打った。おそらく、私がこの考えに至るよりもずっと早く。元就公ご本人が、いまだ一度も九国の地を踏んでいない事実から見ても間違いはないでしょう」
「……なんだか、お話を聞いていると、空恐ろしくなってきますわ。毛利元就。有情の謀将という異称は伊達ではなさそうですわね」


 しみじみと言って、信胤は吐息する。
 一方、直茂はそんな信胤を見て小さく笑った。
「と申されながら、顔色ひとつ変わっていないようですが」
「あら、戦いを好むわけではありませんけれど、どうせ戦うならば敵は大きな方がよろしいでしょう? その方が戦い甲斐がありますもの。それに、軍師どののおっしゃることをうかがえば、まだわたくしたちにも付け込む隙はあるとわかりますわ」
「はい。元就公はともかく、その娘たちの存在は、九国の諸家にとっていまだそこまでの影響力を持っていません。立花道雪どのを相手にしては仕方なかったとはいえ、豊前と筑前での立て続けの失策も少なからず影響しています。もちろん、それを考慮しても、吉川元春どのの武勇や小早川隆景どのの謀略は恐るべきものがありますが、それでも元就公には及ばない」
 毛利軍が九国に進出してきた。それを統べるのはあの三姉妹。さあ大変だ――大変だ、けれども。
 少なくとも、元就本人を相手にするよりは勝算はある。毛利に敵対する家々はそう考える。そう考え、兵士や民にそう信じさせることができる。
 今ならば、まだ。


 直茂は虚空に視線を向ける。
「あの姉妹は傑物だと私は見ています。いずれ母を越える日も来るかもしれません。しかし、そこに至るまでにはどうしても時が必要となります。十年とは言いません。あと五年、毛利の動きが早ければ、あるいは彼女らの実力が九国を風靡するに至ったかもしれませんが、当家にとっては幸いなことに、そうなるより早く、我らは肥前の外に踏み出す実力を得るにいたりました」
「そして、これまではどうしても肥前に据えざるを得なかった軍師どのの視線は、竜造寺の躍進にともなってはるか天下を望めるようになった。こうなれば、軍師どのの識見はおさおさ謀将さまに劣るものではありませんもの。なるほど、たしかに当家にとっては幸いでしたわ」
 ころころと笑いながら信胤がそう言うと、直茂はその過大とも思える評価に苦笑した。


「あとは、敵が一人前になる前にとっとと叩き潰すだけ、ですわね」
「身も蓋もない言い方ですが、そのとおりです」
 端的な信胤の言葉に、直茂は思わず苦笑を深める。
 ともあれ、それらはすべて岩屋城を落としてからの話である。
 毛利の三姉妹は元就に及ばないと直茂は言った。だからこそ、付け込む隙は存在する、と。
 だが、今の竜造寺家は、その三姉妹にすら及ばない。世間的に三大勢力の一角と目されていようとも、実質はその程度のもの。竜造寺もまた「これから」なのである。
 そのことを自覚している直茂が、改めて諸将に向けて口を開こうとした、その時だった。
 不意に、竜造寺軍の一画から、時ならぬ騒擾の声がわきおこったのは。






◆◆◆



   


 少し時をさかのぼる。




 岩屋城、軍議の間。
 今、そこには高橋紹運麾下の有力な武将たちが居並んでいた。
 二条の砦を預かる萩尾麟可は昼間の戦で左の肩を射抜かれ、その顔色は蝋のように青白い。ただ、その眼光はいまだ力を失ってはいなかった。
 その麟可の傍らに付き添っている若武者は、麟可の息子の萩尾大学である。若年ながら、高橋家屈指と称えられる武勇は昼の戦でも存分に発揮されていた。
 この二人の他にも虚空蔵台砦を守る福田民部少輔の沈着な顔があり、百貫島砦をあずかる入道姿の武将三原紹心がおり、いずれも高橋家の武の中心となる者たちばかりであった。


 竜造寺軍の猛攻を凌ぎきり、岩屋城を守り抜いた彼らの表情は、しかし一様に優れなかった。
 だが、それは仕方のないことであったろう。
 昼間の合戦では敵の攻撃を大手門と二条の砦に拠ってかろうじて撃退することができたものの、竜造寺四天王 成松信勝や江里口信常らの苛烈をきわめる攻勢により、城兵には多数の死傷者が出てしまっている。
 ことに二条の砦は、守将である萩尾麟可が負傷し、その混乱をつかれて一時は砦を奪われる寸前まで押し込まれた。その結果、砦を守っていた百名余の兵士のうち半数以上が討たれ、生き残った兵士もほとんどが深手を負うという痛烈な打撃を被り、事実上の壊滅状態であった。
 すでに紹運は、直属の三百名の手勢の中から百名を割いて麟可の指揮下に編入することを決定しているが、紹運の部隊とて大手門を巡る攻防で浅からぬ被害を受けている。そこからさらに百名が離脱するとなれば、大手門の戦力に不足をきたすのは明らかであった。明日、竜造寺軍が今日と同じ規模で大手門に攻め寄せれば、おそらく守りきることはできないだろう。


 もっとも、岩屋城を防衛するにおいて、大手門の放棄はあらかじめ予定されていたことでもある。
 大手門で出来るかぎり時を稼ぎ、それが果たせなくなったら次は虚空蔵台砦。虚空蔵台砦を守りきれなくなったら、次は百貫島砦――といったように、紹運は本丸に至るまでに数箇所の拠点を設けている。
 大手門が三日ともたずに落とされてしまうことは予想外といわねばならないが、それでもまだ作戦そのものが破綻したわけではない。
 高橋家の誰もがそう考えていた。
 つい先刻までは。



「すまない。皆、待たせた」
 軍議の間に立ち込める沈黙を破ったのは、高橋家当主の涼やかな声だった。
 居並んだ重臣一同は、そろって頭を垂れる。
 そして、顔を上げた彼らは、入ってきたのが主ひとりではないことを知る。
 紹運の隣には、山頂にある水の手上砦を任せられた村上刑部少輔の、緊張に強張った顔があった。
 紹運の表情も常になく厳しい。戦の最中であってみれば、それは当然のことであるともいえるが、それこそいつ敵の夜襲が行われるかもしれぬ戦の最中に、紹運が重臣たちをひとり残らず本丸に呼び集めること、それ自体がすでに事態の尋常ならざるを告げていた。


 そして、紹運の口から出た言葉は、この場に座す者たちにとって等しく最悪の報告だった。
「すでに皆も耳にしていようが、先刻、宝満城が落ちた」
 軍議の間に、複数のうめき声が交錯する。
 今回の戦、もとより苦戦は覚悟の上だったとはいえ、宝満城の陥落は余の事とはわけが違う。
 高橋家は本拠地を失い、有力な武将であった尾山種速を喪い、戦略の根幹を突き崩されたことになる。将兵の家族も、そのほとんどは宝満城に移っていたため、城内の動揺はいや増すであろう。


 だが、本当に宝満城は落ちたのか。宝満城と岩屋城の防備は、紹運が高橋家を継いで以来、精魂を込めて築き上げてきたものである。それが一朝一夕で崩されるとは信じられぬ。
 そんな思いが、重臣たちの視線を村上刑部に向けさせた。
 岩屋城は岩屋山の南の中腹に築かれている。ほとんどの砦からは、北に位置する宝満城を望むことはできない。それが出来る砦の一つが、山頂にある水の手上砦であり、そこの守将が村上なのである。
 再び紹運が口を開いた。
「刑部によれば、宝満城を包む炎は、兵の失火や敵軍烽火の見間違いではありえぬとのことだ。何故、どうやって、誰が。そういった疑問は残る。しかし、ここでいくら論じても答えは得られぬ」
 なにより、今、一番の悪手はこの報せに動揺して無為に時を費やすことである。それを避けるためにも、城が落ちたことは事実とて受け入れ、次にとるべき手段を考えなければならなかった。


 紹運の言わんとするところを重臣たちはただちに理解した。
 理解したが、愚者など一人もいないはずの彼らでさえ「次にとるべき手段」を考え付くことは出来なかった。
 それもそのはず。
 宝満城、岩屋城を拠点とした防戦の計画は、現在の大友家を取り巻く状況にあって、高橋家の君臣が取りえる唯一の策だったからである。
 宝満城が落ち、その策が潰えた今、他にとるべき手段など、岩屋山の苔の一つ一つまでしらみつぶしに探しても見つかりそうになかった。
 暗く、重くるしい雰囲気が軍議の間にたちこめてくる。この場にいる者の多くが、期せずして同じ疑問を胸に抱いていた。
 宝満城の陥落と共に、ただでさえ少なかった勝算は、今度こそ完全に失われてしまったのではないか、と。


 自然、彼らの視線は主たる紹運へと向かう。
 そして、彼らは自分たちの視界のうちに、深い決意を宿した主の姿を認めた。
 紹運がゆっくりと口を開く。
「皆をこうして呼び集めたのは、宝満城のことを報せるためであるが、もう一つ、命じることがあるからだ。明日――いや、今宵のうちに、城内の将兵すべてに宝満城が落ちたことを知らせよ。すでに噂という形で聞き知っている者は多いだろうが、事実として改めて皆の口から兵たちに伝えてくれ。そして、各自、配下の中で城から出ることを望む者を束ね、報告してほしい。私は、今日までの尽力に感謝しつつ、彼らを城から送り出すこととする」
 それを聞き、家臣たちは一様に唖然とした。
 筑後三原家の武人、三原紹心が吼えるように問いただす。
「お、おまちくだされッ! ただでさえ少ない兵を、さらに逃がすとおっしゃるのか?!」
「うむ。と、そうだ、城内にはまだ幾ばくかの銀が残っていたはずだな。今日までの給金がわりにそれも持っていってもらおう」
「ざ、財貨までくれてやるおつもりですかッ?! それはあまりに……」
「後生大事にとっておいたところで、敵に囲まれている状況では使い途がないだろう。さすがに兵糧を配るわけにはいかないからな」


 その紹運の言葉を聞き、家臣の中からひとりの初老の男性が進み出た。
 この人物、名を福田民部少輔という。元々は高橋鑑種に仕えていた人物であり、鑑種が行方知れずになって後は紹運の麾下に加わった。常に落ち着いた物腰を崩さず、戦の最中であっても取り乱すことはもちろん声を荒げることさえ滅多にない。その沈着な為人を紹運に見込まれ、岩屋城の要のひとつである虚空蔵台砦の守備を任されている。
 紹運の前に出ると、福田民部は長年の戦働きで枯れた声で静かに問いかけた。
「……殿。こたびの戦、もはやお諦めになられたか?」


 この問いに対し、紹運は即座にかぶりを振った。
「己以外の命を預かって戦う以上、諦めるなどあろうはずもない」
「では、どうなさるおつもりでしょうや? この期に及んで城から出ることを望む者は、とうに当家から去っていると存ずるが、それは措きまする。宝満城の陥落を知り、それでもなお城に残った者たちを束ね、殿は何をなさろうとしているのか、それをうかがいたく存ずる。率直に申し上げますが、それがしの目には、もはやとれる手段はないように思えてなりませぬ」
 紹運はうなずいた。福田のいうとおり、紹運はこの戦況をひっくり返す奇策も秘策も持っていない。
 だから、紹運は正直にそれを口にした。
「もとより、私は智略縦横とはほど遠い武辺者。事ここにいたって、とれる手段はただひとつだ。この岩屋城に立てこもり、援軍が来るのを待つ。義姉様と宗麟さまが来てくださるまで、粘って粘って粘り抜くさ」




 当然のことながら、高橋家の君臣は立花道雪がムジカに赴いたことを承知している。ムジカにおける諸事情を鑑みれば、道雪や宗麟が筑前に馳せ戻ることが限りなく難しいこともよくわかっていた。
 防備の要であった宝満城が高橋家の手からすべり落ちてしまった今この状況で、岩屋城に立てこもって援軍を待つという策は、万に一つの僥倖にすがるようなもの。高橋紹運は勝算を度外視し、大友家に殉じる覚悟を決めた、と諸人の目には映るだろう。城から落ちたい者は落ちさせる、という先の言葉もその推論を肯定する。
 事実、次に福田の枯れた声が呟いた言葉は、そのことを示していた。
「瓦となりて生をまっとうされるよりも、玉となりて砕けるまで戦うことを選ばれるか」
 それを聞いた高橋家の家臣たちの顔が一様に引き締まる。
 動揺した顔はない。もとより、今回の戦がそういう結末に終わる可能性が高いことは、誰もが承知していたからである。今さら慌てるような者は、高橋家の重臣の中にはいなかった。




 だが、ここで彼らの決意に否を唱えた者がいた。
 他でもない、高橋紹運その人である。
「民部。皆も聞け」
 そう切り出した紹運の声には張りがあり、玉砕を覚悟した者の密やかな諦観など、どこを探しても見つかりそうにない。
「この戦を諦めるなどあろうはずもない。そういったはずだ。玉となりて戦うは望むところだが、砕けるつもりはさらにない。なるほど、今の大友家にとって、勝利とは鏡に映った花であり、水に映った月だと、そう考える者は多いだろう」


 見ることはできる。語ることもできよう。しかし、決して掴み得ぬモノ。
 紹運は、大友家の勝利をそのように表現した。


「宝満城を失った今、我らに出来るのは、この城を取り囲む敵を一日でも長くこの地にひきつけ、押し寄せる敵兵をひとりでも多く討ち取ることしかない。そして援軍が来る可能性低きことを思えば、我らに待つのは玉砕となんら変わらない結末かもしれぬ。だが、たとえそうであっても、城に立てこもる我らは玉砕を念頭に置いてはならないのだ。死を決した兵は強いが、その強さはこの戦には不要」
 紹運は眼差しに力を込め、一語一語を丁寧につむいでいく。
「私が求めるのは、皆が一日でも長く生きのびることだ。敵一人を殺すより、味方一人を助けよ。死して名を残すことを考えるな。生き残り、浴びるほどの恩賞を授かることを考えよ。城が落ちたなら、次は野山に伏し、草木を食んで敵に挑めばいい。城に残った者たちに私はこう命じることになろう――死んでも生きのびよ。生きのびて、そして戦え、とな」


「……簡にして要を得ておりますな。殿らしゅうござる」
 福田民部はそう言って、唇をわずかに笑みの形に動かした。
「安易に死を求めるなどもっての他。見苦しいほどに生きあがいて、はじめて我らの死に価値が生ずるわけですな。本城を失った出城など、敵にとって『いずれ落ちる城』に過ぎませぬ。我らが死兵となってどれだけ多数の敵兵を道連れにしようとも、城が落ちてしまえばそれまでのこと」
 敵は高橋勢の勇戦を称え、自らの損害を飾り立て、何事もなかったかのように立花山城へと向かうだろう。仮に高橋勢が自軍に倍する損害を敵に与えようとも、大軍を擁する敵には、その損害を許容できるだけの余裕があるのだ。
 高橋勢の戦いは、敵に大きな打撃を与え――ただ、それだけで終わる。敵の戦略を突き崩すことはかなわず、大友家を救う一助となることもできない。
 残るのは、主家のために命を賭して戦いぬいたという美名か、それとも暗愚の主君に尽くして無用の血を流したという醜名か。
 そのいずれにせよ、紹運にはさしたる関心はない。
 前者に関しては望まぬでもないが、それはあくまで自身の行動の結果としてその評価を得られたのならば幸いだ、というにとどまる。その評価を得るために戦うつもりなどまったくなかった。


 福田のあとを引き取ったのは三原紹心だった。その頭は灯火の明かりを受けて、きらりと輝いている。
「本城を失った出城が十日も落ちねば、彼奴らは戸惑いましょうな。それが半月続けば苛立ちもしましょうし、一月ともなれば、はじめに描いた戦絵図そのものをかえる必要も出てくるでござろう。まあ、それで連中の優勢がそう大きく変わるわけではござらんが、彼奴らはしょせん一時の利を求めて集まった寄せ集めの大軍。わずかな遅滞が大きな隙をうむことは十分にありえましょう。さすれば、我らが反撃に出ることも可能ッ」
 三原の言葉に、福田がわずかに苦笑する。
「……さて、そこまでうまく行くとはなかなか思えませぬが、しかし、そうした動きを重ねていく以外、勝利へ至る道はあらわれませぬな。なにより殿もおっしゃられたように、岩屋城に押し込められた今の我らにできることは、それしかござらん」
 紹運が深く頷いた。
「そうだ。それに、生じた隙を突くのは、別に私たちでなくともかまわないのだ」


 それを聞いた三原が、入道頭を揺らしつつ呵呵大笑する。
「くはは、援軍が来るまで耐え抜けば大手柄。最悪でも、皆で城を枕に討ち死にするだけのこと。どちらに転んだとて、悪くはないですな」
「いや、それはどちらも気が早い。殿もおっしゃったではないか。まずは粘って粘って粘り抜こうぞ。我ら高橋家の武を、大友武士の意地を、岩屋山の木と土に刻み込む覚悟でな。結果は、そのあとにおのずとついてこよう」
 そう言うと、福田民部は床に額がつくほど深く頭を下げ、元の場所に戻る。


 今や、紹運の意図は誰の目にも明らかであった。
 紹運が部下に対して求めているのは、ただの玉砕よりもよほど厄介で苦渋に満ちたものであったが、それでも主の意思を知った高橋家の諸将の顔には覇気が戻りつつある。
 それはついさきほど、玉砕を覚悟しかけた時には現れなかったものであった。
 そのことを確認した紹運は、一つ大きく頷いた。その唇の端には、配下にそれと悟られないくらい小さな――誇らしげな笑みがひらめいている。
「よし、では皆、配下の者たちへの確認を頼む。言うまでもないが、強いて城にとどめるようなマネはするな」
「承知。しかし、民部どのが申されておったように、無駄手間になるような気がいたしますなあ」
 三原が笑うと、名を出された福田が軽く肩をすくめるような仕草をする。
 それを見て、三原はさらに言葉を重ねた。
「命令とあらばいたしかたなし。されど殿、もし誰も残らなんだらいかがなさるおつもりか?」
 その問いかけに、さして深い意図はなかった。あえていえば「たった一人でも立派に戦ってみせよう」というような勇ましい主君の言葉を聞きたかったのかもしれない。


 ところが、この問いを受けた紹運は、それまでの凛とした表情を一変させ、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべた。今しがたの凛々しい武者ぶりとはうってかわって、滴るような愛嬌を漂わせはじめた今の紹運の姿は、常日頃接している家臣たちであっても滅多に見ないものだった。すくなくとも、戦の最中に紹運がこんな表情をしたのははじめてである。
 驚きの視線が集まる中、紹運は微笑みながら口を開く。
「なに、誰も残らないということはないだろう。少なくとも、ここにいる皆は共に戦ってくれるだろうからな」
 頼りにしているぞ、と紹運は重臣たちに微笑みかける。
 自らの命令の過酷さを誰よりも承知しているであろう紹運は、それでもなお目の前の重臣たちはついてきてくれる、と信じていた。無垢な信頼を宿した、その蕩けるような笑顔は、どこか彼女の『義姉様』を彷彿とさせたかもしれない。


 しばし、ぽかんとして紹運の笑みを見つめていた無骨な男どもの顔が、一斉に――それはもうはかったように一斉にボンと音を立てて赤くなる。
 ……ひそひそとした囁き声が、そこかしこでわきあがった。
「むう。今、なぜか殿のお顔と立花さまのお顔が重なって見えたのだが」
「わしもじゃ。朱に近づけば必ず赤し、とはよくいったものよな」
「スギサキの武に、義姉君ゆずりの人たらしの術まで身につけられたか。頼もしいような、末恐ろしいような……」
「い、いや、しかし、まさか殿が、あのような、その……こ、媚びるような笑みを浮かべられるとは……それがしなどが口を出すことではござらぬが、あまりよろしくないと存ずる! やはり殿は常に凛としておられるべきであり、あのような可愛らしいお顔を易々と他者に向けるのは、もったいないというか、その、なにかもやっとするというか……」
「…………大学」
「ち、父上、なぜそのようにあきれ果てた顔でそれがしをごらんになるのかッ?!」


 いつまでもざわめき止まぬ軍議の間で、当の紹運は、急に落ち着きを失った家臣たちを見て、不思議そうに首を傾げている。
 どうやら、先の仕草はことさら意識して行ったことではないようであった。






 しばし後。
 城主の間から、眼下の岩屋山の光景を見下ろしていた紹運の背後から声がかけられた。
「紹運さま」
「麟可か」
「は。百貫島砦の紹心より使者が参りました。百貫島砦を守る二百余名のうち、落ちることを望む者は皆無とのことです。落ちたいと望むどころか、これは自分たちに対する侮辱なのかと大荒れであったそうで、使者は『鎮めるのに難儀いたした』という紹心の言葉をたずさえてござった」
「そうか、ありがたいことだな…………本当に、ありがたいことだ」
 これですべての将から報告が届けられたことになる。
 反応は、どこも似たようなものであった。岩屋城全体で、城から落ちることを望んだ兵はおよそ五十名。そのほとんどは昼間の戦で深い傷を負った者たちであった。


 それきり口を閉ざした主の背に向け、萩尾麟可は低い声で問いかけた。
「紹運さま――出られるおつもりか?」
「ああ」
 返答には瞬き一つほどのためらいもなく。
 ただそれだけで、紹運の決意のほどが知れた。
「竜造寺の当主は苛烈な気性の持ち主であると聞く。降伏するならともかく、逃げる兵を見逃すほどの情けはあるまい。皆を無事に落ちのびさせるには、細工が必要だ」
 紹運の凛とした眼差しは、岩屋山を包む冬の夜気を貫き、ふもとの竜造寺軍の姿を捉えているのだろう。麟可は不意にそんなことを考えた。


「くわえていえば、宝満城陥落で落ち込んだ兵の士気を高めるためには、やはり勝利に拠るのが最も確実だ。それがどれほど小さなものでも、一度の勝利は味方の兵に確かな気力を与え、同時に敵兵の意気を挫く。そのためには、城で耐えるばかりではなく、こちらから打って出る必要がある」
 不幸中の幸いというべきか、宝満城の陥落は竜造寺にとっても予想外のことであったらしい。もし竜造寺軍が宝満城の陥落を事前に予測しうる情報を得ていたのならば、こちらの動揺に乗じて夜を徹して攻め続けただろう。
 だが、竜造寺軍は兵を退いた。それは、竜造寺にとっても宝満城の陥落が予想外のことであったことを示している。おそらくは今頃、竜造寺の本陣は情報の収集に躍起になっていよう。


 紹運が言わんとするところを察した萩尾麟可は、怪我の影響など微塵も感じさせない落ち着いた口ぶりで紹運の言葉を引きとった。
「……今ならば、竜造寺の将兵は状況をつかめずにおります。くわえて、昼間あれだけ叩いた城兵が、即座に夜襲にうって出るとはなかなか予測できることではございますまい」
「そのとおりだ。むろん、まったく警戒していないということはないだろうが、それでも切り込める機会があるとしたら、それは今宵しかあるまい――萩尾麟可」
 ここで、紹運ははじめて麟可に向き直った。
「は」
「これより、岩屋城の指揮をそなたにゆだねる。できるな?」
「御意。将として立ち働けぬのならば、軍議の席に出てきたりはいたしませなんだ。安んじてお任せあれ。しかしながら――」
 麟可はそこで言葉を切って、主君の顔を見据える。
「夜襲には、ぜひとも愚息をお連れくださいますよう」


 城主みずからの夜襲などとんでもない、とは口にしない。紹運の目を見れば、それが無益であることは明らかである。だから、麟可は無益な反対で時を浪費することを避け、かわりに自分がもっとも信頼する者を連れて行ってくれるよう願い出たのである
 その麟可の意思を、紹運は正確に汲み取った。
「――わかった。では、二条の砦の指揮は三原に、大手門の指揮は民部に任せよう」
「は。両名にはただちに使者を出します」


 すべての配置を指示し終えた紹運は、最後にもう一度、城の外の景色に目を向けた。
 夜はとうに更けているが、岩屋城の各処からは様々な物音が発生している。それは昼間の合戦で損壊した建物を修理する音であったり、敵襲を警戒する兵士たちのやり取りであったりした。
 本丸からそれらを眺め渡す紹運の胸に去来していた感情、それを知る術を萩尾麟可は持っていない。
 麟可に出来たのは、今やこの小さな山城のみが領地となった高橋家の当主が、静かに、それでいて何者にも犯し得ぬ決意を湛えて口にした言葉に、まっすぐに応じることだけであった。


「大友の勝利は鏡花水月にあらず。この戦を注視するすべての者たちに、そのことを知らしめる――ゆくぞ」
「ははッ」




 九国の――否、日の本の戦史上、屈指となる熾烈な攻防が繰り広げられた『岩屋城の合戦』
 その戦いが本当の意味で始まったのは、あるいは宝満城が陥落した、この夜からであったのかもしれない。 




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