少し時をさかのぼる。
豊後国 大友館
大友家の統治の中心である府内の大友館。
昨年来、主である宗麟不在の状況が続いているこの館にあって、寝食をけずって施政を司っているのが、吉岡長増(よしおか ながます)、臼杵鑑速(うすき あきはや)、義弘鑑理らの、いわゆる『豊後三老』だった。
もっともこの名称は少し流動的で、長増、鑑速を指して『豊州二老』と称し、道雪、鑑速、鑑理の三人を三老と称する場合もある。
だが、そのいずれにせよ、彼らが豊後大友家の中心人物であることに変わりはなかった。
道雪を除いた三人については、政治は長増、外交は鑑速、軍事は鑑理と、一応の分担は為されているが、彼らはいずれも必要とあらば政、軍、外、いずれの役割もこなせるだけの能力を持っており、他の家臣たちからぬきんでた経験と実績を有している。
年齢を見れば、長増が最年長、以下、鑑速、鑑理と続き、彼らはいずれも道雪より十以上も年長であった。当然のように、大友家に仕えてきた経歴は道雪よりもはるかに優る。
ゆえに、本来であれば、加判衆筆頭に任じられるべきは道雪ではなく、この三人のいずれかであるべきだったろう。
もっとも、鑑速に関しては、京の将軍家をはじめとした他国との交渉で国元を空けることが多いために選からもれたであろうが、長増、鑑理、いずれに決まっていたとしても、他の家臣から不満の声は上がらなかったに違いない。無論、道雪も喜んで彼らを支持しただろう。
しかし、この三人、道雪が戸次家を継いで家運を立て直すや、一致団結して道雪を加判衆筆頭に推し、これに宗麟が諸手をあげて賛同したため、道雪が筆頭職を引き受けることになってしまったのである。
彼らはことさら責任を忌避したわけではない。しかし、二階崩れの変を経て、常に張り詰めた様子を隠せない宗麟を支えることができるのは、自分たちのように先代義鑑の代から仕えている重臣ではなく、幼少時より宗麟と親しみ、気心の知れた道雪の方だろう、と判断したのである。
無論、選任の理由はそれだけではない。道雪本人の能力、そして為人も、大友家の重臣筆頭として相応しい、と認めた上でのことだった。
道雪が若いながらに加判衆筆頭の重職を務めることが出来たのは、道雪本人の力量や主君である宗麟の信頼もさることながら、この三人の信任が得られたことも理由の一つに挙げられるだろう。
当然、道雪としてもこの三人には感謝の念を禁じえない。まあ、そもそも重責を押し付けてきたのが当の三人なのだから、信用、協力するのは当たり前だ、という考えがなかったといえば嘘になってしまうのだが。
『細かいことは気にしてはいかんぞ』という長増の言葉に、加判衆筆頭となって間もなかった頃の道雪は苦笑まじりに頷いたものだった……
◆◆
そして今、道雪は久方ぶりに豊後三老と相対していた。
だが、現在の大友家を取り巻く状況は不穏の一語に尽き、久闊を叙する時間さえ惜しんで、道雪は今回の一連の騒動で自らが知りえた情報を詳らかにする。
それは大友館にあって、四方の情報に接していた三老でさえ、驚きを禁じえないほどに衝撃的な内容だった。
「……なん、じゃと? それはまことか、道雪ッ?!」
「まさか……いや、だが確かに……」
「ぬ……ただでさえ厄介な事態であったというに、輪をかけて面倒なことになったの……」
豊後三老たる長増、鑑速、鑑理が、ここまで驚愕と動揺をあらわにすることは滅多にない。この三名と長い付き合いのある道雪にとっても、それは貴重な光景であると言えた。 だが、今はのんびりと先達の驚いた顔を眺めている場合ではない。道雪にとっても、今は寸刻を争うのである。
「……以上が、高千穂の十時殿が知らせてくださった、かの地における南蛮神教の振る舞いの全てです。その行状を聞くかぎり、飛騨守殿(誾のこと)がムジカで得たという南蛮軍の情報には、ある程度の信憑性があると判断できるのではないでしょうか?」
その道雪の問いかけに、真っ先に反応したのは長増である。
「まどろこしいことを言うでないわ、道雪。『ある程度』どころではない。十時や兵を質にとり、年端もいかぬ女子を攫うなどという行いをなす者どもであれば、どんな卑怯未練な策でも用いるであろうよ。まず南蛮神教をもって民を篭絡し、しかる後に艦隊を派遣して武力で占領する……ふん、いかにも南蛮神教の輩が好みそうな策じゃて」
あまりのことに顔を真っ赤にして憤激する長増に対し、鑑速は両の眼を閉ざし、道雪がもたらした情報を冷静に吟味しているようであった。
ほどなく、鑑速の口から思慮深さを感じさせる落ち着いた声が発された。
「……此度の高千穂での件、これまではあくまで宗麟様を立ててきたカブラエル殿らのやり方とは、明らかに一線を画しています。この変化が、海の外からの援軍を得て、もはや大友家は不要だとカブラエル殿らが判断したゆえであるとすれば、一応の筋は通りますね……しかし、これは非常にまずいことになりました」
その鑑速の言に、鑑理は顔中を苦渋に染めつつ頷いた。
「ただでさえ、ムジカを南蛮神教に献じた件で、家臣の不満と諸国の不審を免れぬところだというに。そこに、こちらは知らぬこととはいえ、異国の軍勢がさも大友家を援護するように島津の後背を衝いたとすれば、これを知った者は皆、大友家が南蛮国に与したと判断するに決まっておる。この誤解を解くは容易なことではないぞ」
「……そも、本当に誤解なのか、という疑問は残るがな」
長増の言葉に、鑑理は息をのみ、鑑速は顔を伏せた。
すべては宗麟を利用した南蛮側の仕業であるとは思う。
異国の軍勢を頼みに島津を討とうとするほど宗麟は愚かではない、と。
だが、今回のムジカの一件は三老たちにとってもまったく予想だにしないものであり、ゆえに今、宗麟が何を思い、何を考えて行動しているのかが三人にはわからなかった。
鑑速などはムジカの件が事実と知るや、早々に宗麟の真意を質すためにムジカに発とうとしたのである。しかし、鑑速と同様、伝え聞くムジカの噂が事実と知った大友家の家臣たちの間では動揺と混乱が瞬く間に広がっていき、三老はこれを抑えるために文字通り寝食を削って駆け回らなければならなかった。ムジカに赴く暇など、どこを捜しても見つからなかった。
宗麟は日向から戻らず、道雪が筑前に去った豊後が、まがりなりにも平和を保てたのは、ひとえに彼ら三老の功績であるといってよい。
だが、このまま状況が推移すれば、三老をもってしても国内の動揺を抑えられなくなってしまうのは確実であった。
否、それを言えば、とうに抑えられなくなっている。
豊前における毛利軍の慌しい動きを見れば、田原家、奈多家を中心にした反宗麟の動きが他国の知るところとなっているのは、ほぼ間違いないのだ。
このままではまずい、とは誰もが考えるところであった。吉岡家、臼杵家、吉弘家の力をもってすれば不穏分子を制圧することは可能だが、ここで武力を用いてしまえば、ますます他国に付け入る隙を与えることになってしまうだろう。
どうしたものか、と頭を悩ませていたところに、道雪のこの話である。三老の顔がひきつったのは致し方ないことであったろう。
しばし後、長増がゆっくりと口を開いた。その顔からはすでに先刻の怒気は去っている。
「道雪。書状ではなく、みずから府内に来た以上、なんぞ考えがあるのだろう? どうするつもりじゃ?」
それに対し、道雪はゆっくりと、そしてはっきりと応じた。
「わたくしはこれより日向に入り、宗麟様にお目にかかる所存です。お三方には、今しばらくの間、国内の混乱を静めて頂きたく思い、こうして参った次第なのです」
「……直接に、説くか。確かにこれまでとは状況が異なるゆえ、宗麟様も耳を傾けてくださろうが、筑前の守りはいかがするつもりか?」
「宝満城の主膳正殿(紹運のこと)には、すでに事の次第を伝えてあります。立花山城の守りは飛騨守殿に委ね、我が家の小野、由布の両将を補佐としてつけておりますゆえ、滅多なことにはならぬかと存じます」
それを聞いた鑑理が口を開いた。
「なるほど、誾……ごほん、戸次殿であれば、立花家の御家来衆のほとんどとは馴染みが深い。齟齬が生じる恐れは少ないですな」
「ふむ、それはそのとおりだが、立花山城は筑前の要。毛利、竜造寺はもちろん、秋月らの国人衆も動きはじめておろう。こう言うてはなんだが、この事態に対処するには、少々若すぎはせぬか?」
長増の歯に衣着せない評に、道雪はかすかに面差しを伏せた後、こくりと頷いた。
「それは仰るとおりです。わたくしが筑前に残り、飛騨守殿にムジカに赴いてもらうということも考えたのですが……」
道雪の憂いを察した鑑速が、気遣わしげな眼差しを向けつつ口を開いた。
「宗麟様も戸次殿には深い情誼を抱いておられます。その言葉に耳を傾けてくださるのは間違いありませんが、しかし、若年の戸次殿に今の宗麟様の心情を察しろというのは酷な話です」
「……いずこに行こうと、未だ若し、か……誰よりも歯がゆいのは当人であろうな」
長増の言葉を受け、その場に沈黙が満ちる。
まだ少年と言っても良い戸次誾の背にのしかかる重荷。その多くは、大友家の先達たる自分たちの不甲斐なさがもたらしたものであることを自覚するゆえの沈黙であった。
しかし、ここで自分たちの不甲斐なさを責めても、事態は何一つ解決しない。
至らなさを自覚するのなら、それを補うべく動くだけのことだ。これまでと同じように。
そう考えつつ、道雪は三老に注意を促した。
「……どうか周辺諸国、ことに毛利家の動きにはくれぐれもお気をつけ下さい。あるいは筑前ではなく、豊後の混乱に乗じて一気に府内を衝いてくるやも知れません」
「任せておけ。たとえ安芸の謀将が相手といえど、毛利の軍勢、一兵たりとも府内に入れたりはせぬ。また、彼奴らが豊後ではなく筑前を襲うようならば、後詰にはわし自ら赴こう」
胸を叩いて頷く長増を見て、ようやく道雪の表情がわずかにほころんだ。
ここで、鑑理がふと気づいたように問いを向ける。
「ところで、ムジカにはどれほどの兵を連れて行かれるおつもりか? 立花家の手勢はほとんど連れて来られなかったと聞いたが」
その言葉どおり、道雪はわずか百名弱の手勢をもって、立花山から府内までの道のりを走破したのである。万一にも大友家に敵対する勢力に気取られていたら、間違いなく襲撃を受けていたであろう。
幸い、今回は無事に府内まで着いたとはいえ、それと同じことを、ムジカまでの道程でやることは自殺行為であった。
日向北部は一応大友領になっているとはいえ、先の報復戦によって、住民の大友軍への反感は凄まじいものになっている。その上、ムジカにいる兵の大半は南蛮神教の信徒である。高千穂で戸次勢に刃を向けた者たちが、ムジカで道雪に刃を向けたとしても何の不思議もない。
当然、ムジカに赴くに際しては相応の兵士を連れて行かねばなるまい、とは鑑理ならずとも考えるところであった。
鑑理は、道雪にどれだけの手勢を与えられるか、と内心で計算しながら問いを向けたのだが、しかし、当の道雪はあっさりと首を横に振った。
「一兵も惜しい状況であるのは、筑前も府内も同じこと。新たに兵を貸し与えていただく必要はございません」
これを聞き、鑑理と鑑速の顔が驚きに染まる。
「では、百の手勢でムジカまで行かれるおつもりか?! いや、それはあまりに危険でござろうッ」
「いかさま、鑑理殿の仰るとおりです。道雪殿は大友家の屋台骨、それは加判衆を辞された今でもなんら変わってはおりません。かなう限り多くの兵をお連れいただきたい。それに、相応の数の兵がおらねば、カブラエル殿らを掣肘するにも支障が生じましょう」
鑑速の言葉には、最悪の場合、ムジカのすべての信徒が敵にまわる可能性が内包されていた。
鑑速はそれを声には出さなかったが、その言わんとするところを、この場にいた者たちは瞬時に悟る。
無論、道雪もそのことは承知していた。宗麟と話し合うにしても、まずはカブラエルらの妨害を排除しなければならないのだから、鑑速の言うとおり相応の兵を連れていくべきであろう。
しかし、豊後の兵を動かすことに関しては、あくまで道雪は首を横に振り続けた。
この時、道雪は毛利軍の動きのすべてを把握していたわけではなく、毛利隆元を中心として、毛利軍が空前の規模で大動員を命じたことを未だ知らずにいた。
それでも、今回の宗麟の行動を知った場合、毛利や竜造寺らがこれまでの領土争い、権益争いとは一線を画した覚悟で兵を動かすであろうことは予測していたのである。
何故なら、仮に道雪が他家に仕えていたとすれば、間違いなくそうしたであろうから。
ゆえに、今は豊後の兵を動かすべきではない、との道雪の考えは揺らがなかった。
そして、代わりとなる兵については、筑前にいる頃にすでに手を打っていた。
戸次誾が立花家の将兵と馴染みが深いのならば、その逆もまた然り。立花山城を発つ以前から、高千穂の十時連貞には撤退の命令が伝えられていたのである。
加判衆筆頭を辞した道雪に、勝手に高千穂から兵を退かせる権限はない。三老たちにしても、立場は道雪と異ならない。
――しかし、大友宗麟から高千穂方面別働隊の主将に任じられた戸次誾には、その権限が与えられているのである。
それを聞いた鑑速は目を瞠った。
「なるほど。確かにこの戦況では高千穂を保持する意味は薄い。南蛮勢の横暴が明らかになった今となってはなおのことです」
次いで、長増が呵呵と笑う。
「まあ事ここに至れば、当初の宗麟様の命令をばか正直に守る必要はないとはいえ、れっきとした名分があるかなしかでは、将兵の動きもずいぶんと違ってこよう。こうなると、偶然とはいえ誾が立花山城に赴いたは妙手であったな」
その言葉に道雪はかすかに首をかしげる。だが、長増はそれには気づかず、なおも言葉を続けた。
「しかし、信徒たちがその、トリスタンと申したか、南蛮の騎士と共に去ったというなら、今、かの地にいるのは戸次、田北らの二千のみ。三田井家の追撃は何とかなるとしても、これだけの兵でムジカに向かうのは、やはり危険ではないか? 日向を攻めた時点で信徒の数は三万を越えていたのだ。相次ぐ戦で消耗はしていようが、それでも千や二千で何とかなる数ではあるまいて」
「それもまた仰るとおりです。しかし、何事も心の持ちよう一つで異なる側面を見せるもの。少なくとも、徒手空拳で敵国の懐に飛び込み、これを説き伏せた上で、数すら知れない未知の軍勢を相手にすることと比べれば、今のわたくしの立場で千人『しか』兵がいない、などとは口が裂けても申せません。千人『も』いる、と考えるべきなのです。まして一応はお味方の城に赴くのですから、この程度で怯んでいては鬼道雪の名がすたるというものでしょう」
この道雪の言葉を聞き、長増は大きな目をぱちくりとさせた。
「……その心意気は見事、と言いたいところだが、比較の対象がようわからんぞ? 敵国云々というのは誰を指して言っているのだ?」
目を瞬かせているのは長増だけでなく、鑑速も同様である。
しかし、道雪はその疑問に答えようとはせず、ただたおやかに微笑むにとどめた。
道雪は誾を通じて雲居の考えを聞いてはいたが、それを詳しく説明することはしなかった。説明したのは島津軍の後背を異国の軍勢が襲撃する可能性についてのみ。
雲居が宗麟らに命じられて薩摩に赴いたことも、そこで何をしようとしているかについても道雪が口にしなかったのは、単純に説明の時間が惜しかったということもあるが、それ以前に、どう説明すれば良いのかわからなかったのだ。
なにしろ――
(率直に言って、わたくし自身、筑前殿の思い描く策の全貌を把握しているわけではありませんし)
当面の敵国である島津家に赴き、その協力を得て、来るかどうかもわからない南蛮艦隊に備え、これを撃ち破る――言うは易く、行うは難し、という言葉がこれほど見事にあてはまる例もなかなかあるまい、と道雪は思う。
どうすればそれが可能になるのか、一応道雪も考えてはみたものの、そもそも大友家の家臣たる身が、どうすれば島津家の信頼を得られるというのか。南蛮艦隊をどうこうする以前に、その時点で躓かざるを得なかった。
ゆえに、道雪は怪訝そうな長増の問いに微笑を浮かべることしか出来なかったのである。
当然のように、長増と鑑速の顔から怪訝な表情が消えることはなかった。
しかし、一時的にではあるが、雲居と戦場を共にしたことのある吉弘鑑理は、道雪が誰のことを指して言っているのか、なんとはなしに察したようであった。
助け舟を出すつもりでもあるまいが、鑑理は話題を転じる。
といっても、すでに語るべき事柄は語り終えているため、鑑理が口にしたのは最後の確認とも言うべきことだった。
すなわち、もしこの状況でも、宗麟がこれまでと何一つ変わらなかったならば、その時はどうするのか、ということである。
――それは事実上、大友家が南蛮神教、ひいては南蛮国に屈し、その走狗に堕すことを、当主たる宗麟がそうと知った上で……カブラエルらの欺瞞に因らずして認めたということであり、この決定を受けいれれば、大友家の君臣の名は、売国奴として日の本の歴史に永世に消えぬ汚名を刻みこまれることになるだろう。
それを避けるために採りえる手段は、もう……
この鑑理の問いに対し、道雪はもう一度、ただ静かに微笑むことで応じた。
それは先の笑みとは全く異なる色合いのもの。決して他者を威圧するものではないが、それでも、その笑みを見た誰もが何も言えなくなってしまうような……そんな微笑であった。
◆◆◆
日向国 ムジカ
ムジカをめぐる攻防において立花道雪と島津義弘が相対した事実は、当時よりもむしろ後世において、より大きく取り上げられた。
くしくも同じ異名を戴く、九国を代表する名将同士が『もしも』この時に激突していたら、はたしてどうなっていたのだろうか――そんな『空想』に胸を躍らせる者は後を絶たなかったのである。
――そう。それは『もしも』であり『空想』の範疇に属する出来事。
すなわち、この時、ムジカを巡る攻防において、この両者が直接矛を交えることはなかった。
島津義弘にしてみれば、眼前の大聖堂を放置して、道雪の部隊と対峙するなど自殺行為である。道雪が川を渡りきる前に大聖堂を陥とし、しかる後に道雪と対峙することは不可能ではなかっただろうが、たとえ短時間で大聖堂を陥とすことが出来たとしても、それでムジカの信徒たちが一斉に島津軍に降伏するわけではない。結局、後背に不安を抱えながら戦うことに違いはないのである。
鬼道雪といえば九国最高の名将。互角の条件でさえ勝利を期し難い相手に対し、そんな不利な条件で挑むほど義弘は無謀ではなかった。
くわえて言えば。
仮に、ムジカを蹂躙した勢いに乗じて道雪の部隊に挑んだとしよう。松明の数を見れば、道雪率いる部隊は多くても二千を越えることはないと判断できる。兵力差で押し切ることは可能かもしれない。
だが、鬼道雪率いる精鋭を相手とすれば、たとえ勝てたとしても、そこに至るまでには相応の時間と出血を強いられる。
今でこそ夜の闇と、大友軍の混乱にまぎれて島津軍の総数は把握されていなかったが、夜が明ければ島津軍がわずか三千の小勢であることはたちまち明らかになってしまう。そうなれば、ひとたび敗れたムジカの大友軍とて黙ってはいまい。それこそ敗れた道雪の下に集まり、一斉に反撃に転じてくるかもしれない。
とつおいつ考えれば、ここで道雪の増援とぶつかるという選択肢を、義弘は早々に放棄せざるを得なかった。
これが、島津家の存亡のかかった戦であるというならともかく、そうではないのだから、ここで無理押しする必要はない――そう考えて兵を返した義弘だが、しかし、その胸裏にまったく迷いがないというわけでもなかった。
ムジカの腑抜けた大友軍も、道雪の直接指揮を仰げば、たちまち九国一の大家である大友家、その軍勢に相応しい精鋭軍へと変じてしまうだろう。
ここで道雪を討ち取らなかったことに対し、深刻に後悔の臍をかむ日が来るかもしれない。
翻って考えるに、今の道雪の部隊は多くても二千。ムジカの大友軍は大混乱の真っ只中。
あるいは、今こそ鬼道雪を討ち取る千載一遇の好機なのではあるまいか。そんな思いも、義弘は確かに持っていたのである。
だが、最終的には義弘はその思いをねじ伏せて退却した。
そもそも川向こうの道雪の部隊が二千程度であるという保障はどこにもない。夜の闇で相手の兵力が把握できないのは、島津軍とて同様なのである。
ムジカの大友軍の士気を挫くという当初の目的は十分に達成した。ここで欲をかいて配下の将兵を要らぬ危険に晒し、挙句、もしも義弘が討たれでもしたら、大瀬川の南にいる姉の義久が、残る島津軍を率いて鬼道雪と対峙することになってしまう。
「……うん。言ったらなんだけど、絶対勝ち目ないよね。ま、私だって似たようなものだけど」
苦笑をこぼしつつ、義弘はみずから殿軍を務めて島津軍をムジカから撤退させる。
混乱する大友軍とは対照的に、整然と陣列を整えて退却していく島津軍。その光景は、数字よりもはるかに雄弁に、この戦における勝敗の帰結を明らかにしていた。
◆◆
島津軍、退却。
その報はほどなく川向こうの道雪の陣にももたらされた。
すでに道雪の部隊は渡河に取り掛かっており、将兵は島津軍の襲来に備えて緊張を余儀なくされていたのだが、この報告によって陣内には明らかな安堵が満ちた。
夜間の渡河、敵前での渡河、いずれか一方でも十分すぎるほど危険かつ困難だというのに、二つをあわせて実行しなければならなかったのだ。道雪率いる戸次勢といえど、無心で事を行うというわけにはいかなかったのである。
しかし、わずかであるが弛緩した空気は、すぐに道雪の命令によって引き締められた。
「これが策でないと決まったわけではありません。また、島津が兵を退いたのが事実だとしても、ムジカの民が混乱しているのもまた事実。何事が起きても不思議はないのです。ムジカの混乱が静まるまで、決して油断せぬように」
そう命じながら、道雪はすでに次の手を打っていた。
混乱した信徒らが、道雪の部隊を島津軍と間違えることのないよう盛んに篝火をたかせ、杏葉紋を前面に押したてながら、立花道雪の到着を叫ばせたのである。
当然といえば当然ながら、武将としての道雪の令名を知らぬ大友家の民などいるはずがない。また、道雪は南蛮神教の一般の信徒たちに対しては寛厚であり、その信教の自由を侵そうとしたことはなかったため、信徒たちの中でも道雪の名を慕う者は少なくなかった。
無論、宗麟を巡る道雪とカブラエルとの相克を知る者たちは道雪を敵視すること甚だしかったが、それらはあくまで南蛮神教の上層部と、それに関わる一部の者たちだけである。
一般の信徒たちにとって、大友館での争いは雲の上の出来事であり、それを理由に大友家の誇る名将を敵視するはずもない。まして島津軍の猛攻に晒され、逃げ惑うしかなかった戦況にあって、突如として救援にあらわれた道雪を忌避する理由などあろうはずがなかった。
彼らは鬼道雪の到着を知り、はじめ呆然とし、次いでその情報の真偽を疑い、間違いないと知るや歓喜の声をあげた。
筑前の守りについていたはずの道雪がどうしてムジカにいるのか、という疑問を持つ者もいたが、彼らも道雪が輿にのって川向こうから姿を現したところを見れば、感激のあまり涙を禁じえず、胸中の疑問はたちまち彼方に押し流された。
道雪はそんな信徒たちを安心させるために、あえて未だ混乱しずまらぬムジカの町中に輿を進ませた。
その最中にも、道雪の口からは矢継ぎ早に指示が発される。これ以上火災を拡大させないために建物の取り壊しを命じ、あるいはいまだに混乱して暴れている信徒たちを取り押さえるよう指示するなど、命令の内容は多岐に渡った。
その都度、戸次家の兵が陣から離れていき、必然的に道雪の傍をかためる護衛の兵は少なくならざるを得なかったが、道雪はいささかも気にかけない。
みずからの安全よりも、ムジカを包む混乱の方がよほど気にかかって仕方ない様子であった。
「この様子では、夜が明けるまで持ちこたえることは叶わなかったでしょう。そうなればどれほどの犠牲が出ていたことか」
そう言って、道雪は傍らの人物に視線を向ける。
周囲が鎧兜で身を固めている中、着物姿で道雪に付き従うその姿は明らかに異彩を放っていたが、当の本人はまったく気にする素振りを見せない。
その姿が道雪の傍で見られるようになってから、まだほんの数日しか経っていなかった。
「長恵殿にはどれだけ礼を言っても足りませんね。よく知らせてくれました」
道雪の呼びかけに、丸目長恵は小さく首を横に振った。
「私は師兄の命に従ったまでのことです。それに、姫様の行方がわからぬ今、姫様がいるかもしれぬムジカを陥とされるわけにはいきませんでしたから」
ゆえに礼を言うべきは自分である。そう言って、長恵は道雪に向かって頭を下げる。
その顔には、純粋な感謝と、そして感嘆の念が浮かんでいた。
雲居の指示で薩摩を発った長恵は、ムジカにいる(と思われる)道雪に会うために、日向の地を南から北に向かって騎行したわけだが、道々で現在の日向の情勢を調べることも怠らなかった。
これもまた雲居の指示の一つであったわけだが、その結果、佐土原城の陥落と、大友、島津両軍がぶつかりあったことを知ったのである。
高城を巡る攻防と、その後の大友軍の敗勢を遠望した長恵は、最後まで結果を見ることなく馬首を北へ向けた。
今度は道々で情報を拾うことなく、昼夜兼行してムジカへ向かったのは、島津軍の凄まじい勢いはムジカに達するまで続くだろうと判断したからである。相良家に仕えていた長恵は、島津四姫の能力について、大友軍や南蛮神教とは比較にならないほど精確に把握していた。
この長恵の判断が正しかったことは耳川の敗戦で証明されるのだが、ムジカに着いた長恵はそれどころではなかった。道雪が未だムジカにいないことがわかったからである。
このままムジカで吉継の行方を捜しつつ、道雪の到着を待つという手もあったが、遠からず島津軍がムジカに押し寄せてくるのが確実である以上、そんな悠長なことはしていられない。そもそも、吉継が必ずムジカにいるという保障はなく、道雪がムジカに向かっているという確証もないのだ。
雲居の配下として宗麟に直訴するか、いっそカブラエルの部屋にでも忍び込んで、直接吉継の居場所を吐かせようか、とも考えたが、どちらも確実性に欠ける上に、失敗したら目も当てられない。かかっているのがわが身の安全だけであれば長恵は躊躇などしなかっただろうが、今、長恵が背負っているモノはそう軽々に放り投げて良いものではない。
考え込んだ末に、長恵はムジカを出て、さらに北へ向かうことにした。
内城で聞いた雲居の言葉――『道雪殿はムジカにいるか、少なくとも府内までは下ってきている』という言葉を思い出したからである。
仮に道雪が府内にいるとすれば、もうムジカの救援は間に合わぬ。だが、今まさに向かっている最中であれば、あるいは間に合うかもしれない。
どのみち、長恵がムジカに留まったとしても、戦況に影響を与えることは出来ないのだ。ゆえに長恵としては一縷の望みに賭けたわけだが、結果として、この判断が奏功した。
府内への途次、まさにムジカに向かう最中であった道雪の部隊を発見できたのは幸運であった。
長恵にとっても、また道雪にとっても。
今回、道雪が率いてきたのは戸次勢一千のみ。ムジカにおいて、夜闇をすかして戸次勢を遠望した義弘は、戸次勢の総数を二千近いと誤認した。
これは、長恵から予想を上回る島津軍の侵攻速度を聞いた道雪が、通常は兵一人に一つ持たせる松明を、あらかじめ二つ分用意していた為である。
もし、戸次勢がわずか一千であると知っていれば、あるいは義弘は異なる決断を下していたかもしれない……
ムジカの街路を進むことしばらく。道雪と長恵の視界に大聖堂の偉容が大きく映し出される。
長恵の目には、闇夜の中、ムジカの町を燃やす炎に照らされた大聖堂は、あたかも逃げ惑う信徒たちを睥睨しているかのように映り、とてものこと好意的に見ることは出来そうになかった――多分、それは先入観による錯覚に過ぎないのだろうけれど。
そんなことを考えつつ、長恵は道雪に視線を向ける。道雪が何を感じているのかが気になったのだが、当の道雪は表情こそ厳しく引き締めていたが、そこには嫌悪や忌避は感じられない。
大聖堂を見据える道雪の視線はいささかも揺らがず、それを見れば、これから直面するであろう事態に対して、道雪がすでに気組みを整えているのは明らかだった。
その姿は、長恵をして思わず息をのんでしまうほどに凄烈であり、同時に清冽でもあった。矛盾する言葉が、何の違和感もなくあてはまるその様を見れば、これからこの道雪と相対しなければならない人物に対して、長恵は同情すら感じてしまう。
(もし師兄がその立場に立つことになったら、きっと裸足で逃げ出すしかないですね。まあ、意味のない仮定ですけれど)
長恵はふとそんなことを思って、周囲に悟られないように小さく微笑んだ。
道雪の右手は今もそっと胸元に添えられている。そこには、長恵が雲居から託され、そして道雪へと渡した書状が収められているはずであった……