豊前国松山城。
門司半島の付け根に位置する松山城は、豊前支配に欠かせない要衝の一つである。
小原鑑元率いる叛乱軍と、吉弘鑑理率いる大友軍は、現在、この松山城をめぐって攻防を繰り広げていた。
叛乱軍、大友軍、共に幾度かの戦いを経て、兵数は漸減しているが、それでも双方、一万を越える大軍を抱えており、戦力に大きな差は見られない。
だが、それはあくまで戦場をこの地に限定した上での話であった。
後方に広大な領土を抱える大友軍は糧食、武具などの物資の補給に関して不安はない。一方の叛乱軍には、後方で自軍を支える領土は存在せず、元々蓄えていた物資を使い果たせば、立ち枯れるしかない状況であった。
門司城は、対中国勢力との最前線として多くの物資が蓄えられており、小原鑑元自身も密かに武器や糧食を買い集めていたが、所詮は中央から追いやられた一城主に過ぎない。備蓄といっても限度があり、万の軍勢を縦横に動かすことは無理――とは言わぬまでも、かなりの困難を伴うはずであった。
それが開戦から今日まで、数度の戦いを経てなお叛乱軍の物資が欠乏する様子が見られない。現在、叛乱軍は松山城を背に軍勢を展開しており、大友軍はこれを半包囲する形で、陸路に関しては糧道を断つことに成功している。
にも関わらず、何故叛乱軍は健在なのか。
その理由は至極明快であった。
松山城は毛利水軍による補給を受けていたのである。
松山城に物資を運びこんでいるのは、周防灘に展開した小早川隆景率いる毛利水軍六百隻。
本来、これを防ぐべき大友水軍は、陸戦に先立って毛利水軍と激突。主将である若林越後守の旗艦が撃沈される大敗を被り、退却を余儀なくされていた。
制海権を奪われた大友軍は、毛利水軍を阻む術を持たない。
小原鑑元も海岸から松山城へと続く補給路は厳重に固めてあり、大友軍がそこを衝こうとした場合、敵の主力と正面から戦いつつ、かたや松山城から、かたや海の毛利水軍から、それぞれ行われる側面攻撃を耐え凌がねばならない。
くわえて、制海権が毛利の手中にある以上、上陸場所は敵が自由に選べるという点も厄介であった。仮に現在の補給路を断つことに成功したとしても、毛利軍が上陸場所を変えてしまえば意味がなくなってしまう。
新しい補給路を断ちきったとしても、また別のところから――そんなイタチゴッコが繰り広げられるのは目に見えていた。
常時、陸と海からの奇襲に備えつつ、そんな戦いを繰り返せば、遠からず将兵の負担が限界に達するのは誰の目にも明らかである。
それゆえ、大友軍は松山城へ補給が行われる光景を、黙ってみているしかなかったのであった。
◆◆◆
大友軍本陣。
松山城を望む小高い丘の上で、今、二人の人物が並んで立っていた。
いずれも大友軍中にあっては、その人ありと知られる者たちである。
その中の一人が口を開く。その口調は波立ち、内心の苛立ちを隠しきれていなかった。
「――しかし、叔母さ――いえ、主膳兵衛様。このままではいつまでも松山城が陥ちることはございますまい。毛利とて無限の物資を抱えているわけではなし、補給時を狙い、犠牲を恐れず強攻すれば勝機はあると考えます」
そう口にして、その人物――戸次誾は半ば見上げるように傍らに立つ相手を見やる。
女性の身ながら、誾よりも頭一つ高い上背、全身を包む武骨な甲冑姿、長い髪は頭の後ろで簡素に黒布で結っているだけである。
ただ純粋に、戦に臨むことだけを考えた女武者の姿。しかし、ただの戦装束も、この人物がまとえば、見る者に大河を望むかのごとき清冽な心持を芽生えさせる。
吉弘主膳兵衛紹運。
その紹運は誾の母である吉弘菊の妹、つまり誾にとっては叔母にあたる。
まだ若く、しかも女性の身でありながら、スギサキの誉れも高く、大友家にその人ありと謳われる勇将。
義母である戸次道雪に優るとも劣らないその威風は、いつか両者に追いつきたいと念願する誾に、道程のはるか遠きことを無言のうちに教え諭すようであった。
その紹運は甥の言葉に軽やかに頷いて見せる。
「確かにそれはそのとおりだろう。だが、代償として我が軍も少なからぬ痛手を被ることになる」
「はい。ですが、このままこの地で対峙を続ければ、大友軍恐るるに足らずと考えた裏切り者がさらに現れるのではございますまいか。鑑元に続く謀叛者を出さない意味でも、ここは巧遅より拙速を尊ぶべきと考えます」
無論、と誾は続ける。
「門司城が陥落したとすれば、話は違って参りましょうが――いかに伯耆守様が率いるとはいえ、二千に満たない兵士で門司城を陥とすのは難しいのでは、と」
小原勢の後方を撹乱し、父の部隊と合流した紹運は、その時点で今回の戦における作戦を父に説明している。その場にいた誾も当然そのことを知っていた。
だが、それを聞いてからというもの、誾は内心の腹立ちを抑えきれずにいた。
作戦の骨子は少数の部隊による奇襲と陽動――そういえば聞こえは良いが、要は少数の戸次勢を危険に晒し、勝算の薄い戦いを繰り返すだけではないか、と。
しかも小倉城の奪還だけでも十分に危険が伴ったというのに、さらに門司城にまで奇襲をかけるという。紹運の手勢である七百名が抜けた今、戸次勢は千五百名しかいない。死傷者を数に入れれば、戦える兵力はもっと少ないだろう。そんな戦力を率い、敵の領内を長駆した上で難攻の城と名高い門司城に奇襲をかけるなど正気の沙汰ではない、と誾には思われてならなかった。
諸国には鬼道雪などと恐れられていても、道雪も、配下の将兵も人の身である。矢の一本、あるいは石の一つでも当たり所が悪ければ死んでしまうのだ。
道雪自身が考案した作戦であればともかく、他者が世評のみをもとにして組み上げた今回の作戦に、誾は虚心ではいられなかった。
「率直に申し上げれば、小倉城で得た勝利さえ僥倖ではありませんか。この上、門司城まで奪おうとするは、隴を得て蜀を望むもの。伯耆守様は雲居なる策士の言をそこまで信じておられるのでしょうか?」
誾の声は低く抑えられていたが、端々ににじみ出る反感は隠しようもない。
そんな誾の様子を目の当たりにして、紹運はやや意外の観を拭えなかった。
この甥が、ここまで他者に対して好悪の念をあからさまにするところを見た記憶がなかったからである。
めずらしいこともあるもの、と内心で呟きながら、紹運は誾の問いかけに対し、ゆっくりと頷いてみせる。
「信ずるに足る。それが義姉様の、雲居殿へのご判断だ。それに私から見ても、現在の大友家の窮状を打開する策として、雲居殿の考えがもっとも秀でていると思える」
確かに誾が危惧するとおり、今回の戦において、綱渡りにも似た局面が幾つもある。しかし、現状で安全確実な策などありえない。雲居の策には、大友家の将兵が命を懸けるに足る成算がある、と紹運は考えたし、道雪もまたそう判断した。だからその策を採ったのだ、と紹運は言う。
紹運ほどの人物にそう言われてしまえば、誾としてもそれ以上の不満を口にすることは慎まなければならない。
実際、雲居の策に優る代案が、誾の胸中に眠っているわけではないのである。他人の策の欠点を言い立てるならば、それに代わる策をたてなければならない。それを自覚するゆえに誾は口を噤む。
そして、自問する。そも、それを承知しているのであれば、自分は何に対して腹を立てているのだろうか、と。
自答は得られなかった。何かが咽喉元までせりあがってはきたものの、それは明確な答えとしての形を持っていない。見たこともない人間に内心をかき乱されたようで、誾は不快さをこらえるために奥歯をかみ締める。
すると、そんな誾の内心の煩悶を断ち切るかのように、第三者の声が響いた。
「ここにおったか、二人とも」
姿をあらわした甲冑姿の偉丈夫は、紹運にとっては父、誾にとっては祖父――すなわち、この方面の大友軍を統べる吉弘鑑理、その人であった。
「父上」
「左近太夫様」
誾と紹運は同時に頭を下げる。
が、鑑理は軽く手を振って、この場では儀礼は不要だと告げる。そして、さらりと重大な報告を口にした。
「今しがた、戸次殿から使者が参った――門司城が陥ちた、とのことだ」
な、と低く呻いたのが誾。
紹運は無言で小さく頷いたのみであった。
それは紛れも無く吉報であったが、喜び勇んでばかりはいられない。大友軍にとって、ここからが正念場であった。
「問題はこの後だ。当初の予定では、門司を奪われたことを知った毛利軍が退いてから、小原殿の下へ使者を出す予定であったが――」
「は、仰るとおりですが、なにか差し障りがございましたか?」
「うむ。使者殿によれば、あるいは毛利水軍は松山城から引き上げぬかも知れぬ、とのことでな」
「それは……」
鑑理の言を聞いた紹運の顔がわずかに強張った。
関門海峡を押さえる門司城を失えば、小原鑑元の影響力は激減する。各地の他紋衆は蜂起をためらうであろうし、そうなれば毛利家も手を引く可能性が高い、と大友軍は予測していた。
何故なら、毛利が欲するのはあくまでも海峡の支配権であると考えられるからである。それが望めないのであれば、毛利は速やかに兵を退くだろう。制海権を握っているとはいえ、松山城への継続的な援助が毛利家にとって少なからぬ負担になっていることは誰の目にも明らかであった。
門司城を失い、毛利の後詰を失えば、いかに小原鑑元が歴戦の武将とはいえ、それ以上の抗戦は不可能になる。仮に鑑元やその側近がなお戦いを続けようとしても、兵士たちが戦意を保てるとは思えない。
門司城が陥ち、毛利水軍が姿を消した段階で降伏勧告の使者を送ることは、当然の行動といえる。
そして今、門司城は陥落した。
しかるに、道雪は毛利水軍が松山城から退かないかも知れないという。
それはつまり――と、紹運は今回の作戦が披露されたときのことを脳裏に思い浮かべた。
◆◆◆
今回の戦に先立ち、雲居筑前は角隈邸で道雪や紹運に対してみずからの策を披露した。その際、門司城を陥とした後に起こるであろう状況について、雲居は次のように予測していた。
『大友軍が門司城を奪った後、毛利軍がそのまま安芸に戻ってくれれば問題はないのですが、毛利家とて今回の戦でかなりの大軍を動かしており、成果のないまま引き上げることをよしとはしないでしょう。であれば、最も可能性が高いのは門司城を強襲することです』
毛利軍が門司城に攻撃してくること、それ自体は構わない。問題は毛利の水軍がどう動くかであった。
作戦通りに戦況が推移した場合、この時点で毛利の水軍は周防灘で松山城を援護しているはず。
その彼らが船首を返して門司城攻撃に加わればよし。しかし、あるいは大友本隊を松山城に釘付けにするために、あえてそのまま海上からの援護を続ける可能性もあった。
叛乱軍にしてみれば、たとえ門司城を失ったとしても、毛利の援護があるかぎり戦を続けることは可能であり、素直に降伏を肯うとは考えにくい。
それゆえ、毛利水軍を釣るための餌が必要であった。その餌となるのが小倉城であった。
門司城ほどではないにしても、小倉城も重要な拠点である。否、博多津の支配という観点から見れば、必須とも言える位置に小倉城はある。その城がほぼ無傷で手に入れられるとあらば、間違いなく毛利は動くだろう。
そのために、あえて小倉城が空であることを毛利軍に知らせる。
その時、毛利軍は具体的にどのように軍を動かすか。
大友軍が門司を押さえている以上、陸伝いで小倉城に向かえば、その後背を衝かれる危険がある。であれば、水軍を用いるしかない。すると、必然的に松山城から毛利水軍の姿は消え、叛乱側は孤立し、将兵の士気は阻喪する。小原鑑元は降伏勧告を受け入れざるを得なくなるだろう。
――叛乱軍をして、降伏もやむなしと判断せざるを得ない状況に追い込むこと。それが雲居筑前の策の全貌であった。
雲居はさらに言葉を続けた。
『元は旗を同じくする両軍です。流れる血の量は少なければ少ないほど良いでしょう。大友軍が相討ったところで、喜ぶのは他家ばかりです』
小倉城の奪取も、門司の強襲も、すべては他紋衆を追い込むための作戦行動の一つ。
吉弘鑑理率いる大友本隊にあえて松山城を放棄させ、香春岳城まで敵を誘き寄せたのは、小倉城と門司城から敵の主力を引き剥がす意味もあるが、それ以上に両軍がぶつかるのを出来るかぎり避けるためでもあった。
紹運が小原勢の後背を衝いて退却させた後、鑑理に追撃を控えさせたのも同様。
すべては、最小限の被害で、敵を追い込む為の布石であった。
それを聞き、紹運は思う。
大友家が置かれた戦況を考えれば、小原鑑元率いる叛乱軍を撃ち破ることさえ困難であるはずだった。にも関わらず、雲居が考えていたのは彼らを敵として撃ち破る方策ではなく、これから先――この戦よりもさらに先のことを踏まえ、敵味方の損害を少なくした上で、いかに相手を降伏まで追い込むか、というものであった。
そして、雲居は事も無げにその方策を編み出した。机上の空論ではなく、確固とした実現性を備えた方策を。
――あの時、自らの背筋に走ったものが何であったのか。今なお紹運は適切な言葉を見つけ出すことが出来ずにいる。
ただ、その際、雲居は一つの危惧を漏らしていた。
小原鑑元らの叛乱軍と、毛利軍の紐帯を崩すためには、互いの急所を衝く必要がある。雲居が今回の作戦において、随所で毛利元就の謀将という評判を計算に入れ、叛乱軍の疑心を煽ろうとするのはその一環であった。
同時に、毛利軍の動きを予測するに際し、雲居はその指標に『利』を置いていた。
――叛乱軍に与しても利がないことを示せば、毛利軍の戦意は失せる。
――陥落させた小倉城をあえて空城にして放置すれば、利を求める毛利軍はそちらに誘導できる。
毛利軍は利をもってすれば動かせる。そう考えて雲居は作戦を組み立てたのである。
そんな毛利軍を目の当たりにすれば、叛乱軍もまた、毛利軍が信用するに足らない相手であると認識するだろう。毛利という後ろ盾がなくなれば――より正確に言えば、そう叛乱軍側に思い込ませることが出来れば、この戦は終結するのである。
『逆に言えば』
雲居はかぶりを振りつつ、口を開いた。
『毛利家が目先の利を捨てて行動した場合、それに対応するだけの余地が、私の作戦にはありません。毛利家が叛乱軍へ本腰を入れて援助を続ければ、戦いは長引かざるを得ないのです』
毛利軍が小倉城に目もくれず、あくまで門司の奪取と松山城の救援に主眼を置いて軍を動かした場合、大友軍は苦戦を余儀なくされる。
そうなれば、他の他紋衆や、大友家に従うことをよしとしない筑前、筑後をはじめとした各国の国人衆たちが一斉に動き出してしまうだろう。
それはこの戦の敗北を意味すると同時に、九国探題たる大友家の威信に深い傷跡を残すものとなってしまうことは確実であった。
◆◆◆
紹運がそのことを口にすると、鑑理は腕組みしつつ、考えを纏めるように口を開いた。
「門司城を陥とした後も、毛利水軍が退かない。それはつまり毛利が小倉城に水軍を動かさないということ。毛利は利ではなく、信を以って此度の戦に臨むつもりと見て良いか」
「はい。義姉様がそう伝えてきた以上、おそらく門司の毛利軍が相応の動きをしているのでしょう。毛利軍が小倉城という餌に飛びつかず、さらに損得を度外視して鑑元殿らに助力するとなると、厄介なことになります」
毛利軍にとって、今回の戦いは家運を懸けた一大決戦というわけではない。紹運もまた、雲居と同じように、毛利軍は小倉城に攻め寄せるか、あるいは戦況が不利になったことを鑑みて、傷が浅いうちに兵を収めると考えていた。
あにはからんや、本拠地を失った小原鑑元らに対し、毛利家が本腰を入れて援助をしようとは。
ことによっては、此度の戦は大友家の衰運を招くものとなりかねない。
自然、紹運の顔が厳しく引き締まった。
ここではじめて、誾が口を開いた。
「敵の水軍はこれまで補給に専念しておりましたが、こちらと矛を交えるつもりになったとすると……どこからでも上陸できる彼らへの対処は困難を極めます」
それだけではない。
松山城の小原鑑元。周防灘の小早川隆景。それにくわえて、門司方面からも毛利軍が来襲した場合、この地の大友軍だけでは凌ぎきれないだろう。かといって、鑑理らが退却してしまえば、門司城の戸次勢が完全に孤立してしまう。
今回の奇策の種ともいえる叛乱軍と毛利軍、両軍が抱える疑心。
その疑心を巧みに突くことで、大友軍は門司城を得て。
ひとたび逸らされたことで、たちまち危地に陥った。
だからこそ、奇策は用いるべきではない、と誾は思う。それを用いるべきは、本当にそこにしか活路を見出せない時であるべきではないか。
今回の戦で言えば、大友軍は叛乱軍に優る兵力を有していたのだから、はじめから道雪と鑑理の軍を合流させ、正攻法で押していけばそれで良かったのである。たしかに長期戦は望ましくなかったし、毛利勢を併せれば数の優位は覆されるが、道雪、鑑理、紹運ら大友の誇る名将たちが揃い踏みなのだから、いかようにも手をうつことは出来たはずだった。少なくとも、正攻法を用いていれば、道雪らが敵地のど真ん中で孤立するような戦況に陥ることはなかったはずだった。
とはいえ、今それを口にしたところで、繰言にしかならないことは誾も承知していた。
今、求められるのは現状の打開である。
しかし、それが困難を極めることは瞭然としていた。
時が経てば経つほどに大友軍は不利になっていく。逆に言えば、門司城を陥とし、そのことを叛乱軍が知らない今この時が、大友軍が主導権をとることができる唯一の機会であろう。
それを活かす方策は――と、誾が考えを進めようとした時だった。
「――ここにおられましたか」
そんな声と共に、見覚えのない人物が姿を見せた。
戦場のただ中にあって、微笑めいた表情を浮かべる青年。誾に見覚えがないということは、少なくとも大友軍の士分の者ではないはずだった。
何者か、と誾は無意識に腰の刀に手を伸ばしながら警戒の視線を向ける。周囲に兵の姿がないとはいえ、ここは大友軍の本営である。曲者が容易に侵入できるはずはないが、万一ということもある。
そう考えた誾が、詰問のために口を開きかけた途端、それに先んじて口を開いた者がいた。紹運が驚きの声をあげたのだ。
「雲居殿、何故ここに……義姉様と共に門司城にいたのではなかったのか?」
「戸次様からの使者としてまかりこしました。毛利軍が厄介な動きを見せていることの報告と、その対策のため、といったところです」
その言葉で、誾は目の前にいる人物が誰であるかを知る。
しかし、警戒の念は緩むことなく、むしろさらに増したといってよい。
――雲居筑前。
誾が胸中で青年の名を呟いた途端、まるでその声が聞こえたかのように青年の眼差しが誾に向けられ――そして雲居は、誾の勁烈な眼光に気付き、戸惑ったように目を瞬かせるのだった。