「姓は楽、名は進、字は文謙。張太守(張莫)の命により、兵一万と共に大将軍の指揮下に入ります。以後、よろしくお願いします」 顔に数条の傷をはしらせた女将軍は、そう言うとかしこまって膝をついた。沈着な態度、丁寧な言葉遣い、細身でありながら力感にあふれる身体つきはいかにも虎体狼腰という言葉がよく似合う。 史実において幾度も一番乗りの武功をあげた曹操軍の斬り込み隊長は、この世界においてもその名に相応しい武勇の持ち主であることがうかがえた。 俺は敬意を込めて楽進に一礼した。「虎牢関を預かる北郷です。頼もしい援軍を得て心強いかぎり、早速軍議を開きたいのですが――そのまえにひとつ」 楽進の言葉の中に聞き逃せない一言があった気がする俺である。「は、なにか?」「私は虎牢関を預かっているとはいえ、正式に朝廷から将軍位を賜ったわけではありません。その私に大将軍という呼び方は適当ではないですね」 俺が指摘すると、楽進は驚いたように目を見開いた。「そ、そうなのですか? 張太守から宇宙大将軍の麾下に入るように、と命令を受けたのですが」「…………それはおそらく、おふざけになられたのでしょう。この場で忘却なさった方がよろしいかと思います」 まだ言っとんのかあの人は。 楽進も楽進である。俺みたいな若造が、武官の最上位である大将軍とかどう考えてもおかしいだろうに。 あるいは楽進自身、おかしいとは思ったのかもしれないが、張莫のいったことだから、と素直に受け入れたのかもしれない。いかにも純朴で、命令に忠実そうな人だし。 ともあれ、許昌からの援軍が参着した虎牢関はおおいに沸き立っていた。楽進に先立ち、汜水関の衛茲も到着しており、兵数は倍以上に膨れ上がっている。さらに指揮官の充実も頼もしいかぎりといえる。 なにより大きいのは、援軍の到着によって官渡の勝利が確定づけられたことだ。許昌からの援軍が来たということは、もはや許昌を落とされる危険はないと軍上層が判断したことを意味する。兵士の中には官渡の勝利を疑う者もいなかったわけではないだろうが、楽進の参戦によってその疑いは完全に晴れたとみていいだろう。 もっとも楽進の部隊は「かなうかぎり早く虎牢関へ」という張莫の命令に従い、かなりの強行軍でここまで来ているので、戦力として計算するためにはまとまった休息が必要な状態だが、幸いというべきか、それに関しては問題ないといえた。虎牢関と洛陽に分かれた曹袁両軍の戦線は、現在、奇妙な膠着状態にあったからである。 高幹率いる袁紹軍は洛陽から動かなかった。 その報告を受けたとき、俺は正直なところ驚きを禁じえなかった。あるいはそうなる可能性もあるか、と予測はしていたものの、まさか本当に高幹が洛陽に立てこもるとは思っていなかったのだ。 今回の洛陽急襲の手並みを見るに、高幹が攻撃的で機動力に長けた用兵家であることは間違いない。それこそ、他に何ひとつ打つ手がない、という戦況でもないかぎり、篭城策は選ばないと読んでいた。篭城したところで援軍が来るはずもなし、兵糧とてありあまっているわけではないだろうに。 もしかしたら俺が何か見過ごしているのかしら、と気になって徐晃や司馬懿、鍾会、戦歴の長い棗祗や衛茲などにも意見を訊いてみたものの、みな首をひねっていた。彼ら彼女らから見ても、高幹の篭城策は不自然に映ったのだ。 ――ちなみに、どうしてまだ徐晃と司馬懿が関内に残っているのか、については後述する。「ならば進んで確かめるのみでしょう。出陣の際はわたしに先鋒をお命じください」 俺の説明を聞いた楽進は、迷うそぶりも見せずにそう言った。聞いているこっちが気持ちよくなるくらいにさっぱりと。 確かに虎牢関の中で頭を悩ませていたところで答えが出る問題ではない。智者ならざる俺は、机上で作戦を組み立てていると、どうしても自分が見たいものを見てしまう。言葉をかえると、都合の悪い事柄から目をそむけがちになる。その点について司馬懿から指摘を受けたばかりの俺は、楽進の意見に素直に賛同した。「道理ですね。この関の兵士は度重なる戦闘で疲弊していますから、いざ戦闘となれば楽どのと麾下の将兵に頼ることになるでしょう。先鋒の希望はかなえてさしあげられると思います」「光栄です。それと将軍、この身は許昌の西部尉(西門守備隊長)に過ぎません。わたしのことは文謙とお呼びいただいて結構です」 そんなやりとりを経て、楽進は俺の麾下に収まった。 実を言うと、先の洛陽攻撃に失敗した身としては(結果として高幹を討ち取れず、袁紹軍の攻勢を止められなかったのだから、軍事作戦としては失敗)官渡の勝利で曹操軍に人的余裕がうまれた今、虎牢関の守将を免じられるのではないか、と心配していた。 だが、表現はどうあれ、張莫が楽進を俺の下に配したということは、当面のところその心配はしなくていいだろう。これで、この後もある程度自由にやれる。 とはいっても、楽進への命令は、司馬孚が俺の書簡を張莫に届ける以前に下されたもの。俺の書簡を見た張莫が命令を改める可能性は十二分にあったりするのだが、まあその時はその時である。「しっかし、考えることとやることが多すぎだなあ」 他の将と楽進との顔合わせをかねた軍議を終えた後、城主の部屋に戻った俺はひとつ伸びをして、こった肩をもみほぐした。 援軍としてやってきた兵士たちの宿舎の割り当てや、実戦時における兵力の配分(誰がどれだけの兵を指揮するか)など、早急に決めておかなければならないことは結構ある。顔合わせを兼ねたとはいえ、気楽な軍議ではなかったのだ。 まあ細々としたことは棗祗、衛茲の二将に任せて問題なかったし、楽進も我を張るタイプの指揮官ではなかったので、軍議自体はスムーズに進んだ。ではどうして肩がこったかといえば、義勇兵あがりの楽進の参戦を面白くおもわない人がいたせいだった。ぶっちゃけ鍾会のことだが。 鍾会が有能であるのは額縁つき保証書つきの事実だし、洛陽襲撃においてその有能さに大変に助けられたのも確かなのだが、それらを承知した上でなお俺は言わずにはおれなかった。 実にめんどーな人だな、と。 とはいえ鍾会の場合、好き嫌いが明確で、しかもそれをはっきりと口にする分、陰にこもる印象がない。ゆえに俺にとっては『面倒くさい人』ではなく『めんどーな人』なのだった。そんな意味のことを司馬懿と徐晃にいったら、そろって首を傾げられた。細かいニュアンスが伝わらず残念である。 その二人だが、徐晃は現在城門の守備に就いており、司馬懿は楽進と面談中だった。 司馬懿の姉である司馬朗の許昌での地位は北部尉、つまり西部尉であった楽進とは同僚――というよりも実質的に上役であったらしい。 聞けば、楽進と他ふたりの僚将(李典、于禁)はいずれも義勇兵あがりであり、民間の事情に通じている一方、官吏としての知識や経験が致命的に不足していた。そのあたりを陰に日向にフォローし、さまざまに世話をしてくれたのが司馬朗であったとのこと。そういった日々の中で司馬懿と顔をあわせることもあったのだろう。 楽進たちが司馬朗を慕う気持ちは、司馬朗が洛陽政権にはしった後も薄れていないようで、司馬懿と二人きりで話をしたいと望んだ楽進の目に警戒や憎悪の類は見て取れなかった。司馬朗が三人に事情を話していたとは思えない。むしろ下手に巻き込まないために秘めていただろうが、楽進たちは日々の合間合間で何かしら感じるところがあったのかもしれない。 そんなことを考えながら、俺は窓を開けて外の空気を取り込んだ。 日はまもなく中天に差し掛かる。陽射しはいまだ強いが、雨季は終わりに向かっているのか、ここ数日雨は降っていない。最後に降ったのは、たしか司馬孚が虎牢関を出る直前だったはずである。「そろそろ叔達は許昌に着く頃かな」 百騎あまりの護衛と共に許昌へ向かった司馬孚の姿を思い起こす。 司馬孚は俺から張莫にあてた書簡を持ってこの関を出たのだが、先ほども述べたとおり、そこに司馬懿は同行していない。司馬懿と司馬孚に温に向かってもらい、そこで手勢を募って壷関へ、というのが当初の俺の計画だったわけだが、実はこれ、かなり大幅に改変した。 司馬懿から無視できない指摘があったためである。◆◆ 張恰撤退の報告が届けられた後のこと。 曹操軍の中では、すぐに逃げた張恰を追撃すべき、との声もあがったのだが、張恰の撤退のタイミングに不自然さを感じていた俺は、罠の可能性をおもんぱかって首を縦に振らなかった。 その一方で、自身の作戦計画を進める分には問題ないと判断し、徐晃には函谷関に、司馬懿と司馬孚には温に向かってもらおうとしたのだが、「北郷さま、意見の具申をお許しください」 そう言って司馬懿が待ったをかけてきたのである。 司馬懿の意見を要約すれば、このまま俺の作戦を推し進めるのは危険だ、というものであった。 どういうことかといえば。「過ぎた功績がかえって身を滅ぼす因となることは古今の歴史が証明しています。虎牢関を死守し、洛陽を奪還し、弘農勢を語らって并州勢を討ち、河内郡を解放して壷関を攻め落とす。そのすべてを成し遂げれば、功績は巨大に過ぎるものとなり、これまでと異なる意味で朝廷の疑念を呼び、廷臣からの嫉視を受けることになりましょう。劉家に属する北郷さまを危険視し、後の禍根を断とうと画策する者もあらわれるかもしれません」「む」「そうなれば、北郷さまが円満に許昌を離れることは難しくなります。また、北郷さまと行動をともにした螢や公明さまに対しても、警戒や妬心を向ける者が現れましょう」「それは、確かにそうかもな」 周囲の反感と嫉視。特に自分以外に向けられるそれに関して、俺はほとんど考慮していなかった。より正確にいえば、そこまで気にしている余裕がなかった。まずは助命を確実にすることが先決だ、と考えていたからだ。 しかし、一度功績をたててしまえば、後からそれをなかったことにはできない。である以上、『その後』のことも今の段階から想定しておく必要がある――司馬懿の指摘は実にもっともなものだった。 司馬懿は自分のことに関しては言及しなかったが、曹操が司馬懿を助命するとすれば、それは司馬懿の才能と功績を認めてのこと。となると、必然的に司馬懿は、そしておそらく司馬孚や徐晃も丞相府で取り立てられることになる。もしそうなれば、彼女らに向かう警戒と嫉妬は一段と根深いものとなってしまうかもしれない。 この司馬懿の進言を、考えすぎだ、と否定することはできなかった。 ひとたび罪を犯した者を、再び謀略で陥れることはそう難しいことではない。それは俺でも十分に想像することができた。「どれだけ積み上げても足りない。けれど、積みすぎてはいけない、か」「はい、そのとおりです。愚見を申し上げました」「愚見どころか卓見だ。少なくとも俺にとってはな。しかし、だとすると、どうしたもんか……?」 他者の嫉妬だの警戒だのに対する対処なぞ、俺のもっとも苦手な分野である。 自然、口から出た言葉はぼやきに変じてしまったが、そんな俺に対して、司馬懿の反応は端的で的確だった。「功績を分かつべきです」「分かつ?」「はい。過ぎた功績が危険であるならば、それを複数で分け合えば良い。功の独占を避ければ嫉視も散じましょう」「それは道理だな。しかし、誰と分かち合うんだ?」「曹丞相」「む?」 その名前をまったく予測していなかった俺は、思わず首をかしげた。 そんな俺を見て、司馬懿は淡々と、けれど真剣に言葉を重ねていく。「具体的に申し上げれば、許昌の張太守に壷関奪取の作戦を伝え、協力を仰ぐ――いえ、作戦全体を指揮してもらうのです。官渡で勝ったとはいえ、今の段階で張太守が許昌を離れることは難しいでしょうから、実戦の指揮を執る方も丞相府の中からしかるべき人物を選んでもらいます。そして、その方に螢と共に温に向かっていただく」 先の兌州動乱で妹が曹操に叛いた過去を持つ張莫は、朝廷はもちろん丞相府の中でも難しい立場にあった。曹操個人との強いつながりがあるとはいえ、否、あるからこそ、言動には細心の注意を払わなければならない。張莫が迂闊なことをすれば、反曹操派の人間たちはえたりとばかりに騒ぎ立て、家臣や領民、さらに主君である曹操にも害が及んでしまうからである。 ……まあ、本人を見てると、あまりそういう鬱屈した感じは受けないのだが、それでも張莫が今回の戦いで進んで洛陽方面に出陣したのは、自身を取り巻くそういった状況に一石を投じるためだったのだろうと推測できる。 実際、虎牢関を孤軍で落とすという偉業を成し遂げた張莫は、その功績をもって曹操が出陣した後の許昌をあずかるという大役を任されるに至ったわけだが、陳留勢の立場を確固たるものとするためには、もう一つ二つ功績があってもいい。 その張莫と功績を分かち合え、と司馬懿は言っている。分かち合うというよりは譲ってしまえ、という感じだが。 細かいニュアンスはともかく、壷関攻略を張莫の手柄に帰せしめることができたなら、俺や司馬家に向けられる警戒や嫉視は霧散するに違いない。なにしろ俺たちは張莫麾下の実働部隊として動いただけなのだから。 張莫は曹操の親友にして股肱。張莫に譲った手柄は張莫の立場を強化し、ひいては曹操の力をも強化することにつながる。さらに指揮官として選ばれた「丞相府のしかるべき方」の階梯を引き上げることもできるので、丞相府の力も大きくなる。二重の意味で曹操にとって美味しい話であった。 功績を張莫に譲ることで有形無形の厄介ごとを避け、同時に曹操に対して恩を売る。 俺ひとりでは到底考え付かなかった案である。 だが、俺は即答できなかった。 張莫が俺の提案に同意するか否かについては、たぶん大丈夫だろうと思えたが、問題はその後。仮にすべてが思惑どおりに運んで壷関が落ちたとしても、功績を分かてば、当然のように一人頭の取り分(?)は少なくなる。功績を積みすぎてはいけないが、足らないのは論外だ。司馬懿の助命に届かなくなってしまう。 だが、そんな俺の心配を聞き、司馬懿はそっと微笑んでかぶりを振った。「そのときは私の命数がそれまでであった、ということです。申し上げましたとおり、功の独占は後難を避けられません。避けられる難は避けるべきでしょう。またそれ以前に、私たちを温に差し向ける北郷さまの作戦は、いくつか問題があるのです」「む?」「北郷さまは虎牢関の守将であり、螢はその下で戦うべく派遣された将です。壷関襲撃のために温で募兵をする権限はありません。命令系統の異なる北郷さまの指図では温の官軍は協力してくれないでしょう」「むむッ」「同様に私たちが私兵を集めることを黙認することもしないはずです。古来より主君の許可なき募兵は謀反の前触れ。まして今の司馬家の立場が立場です。曹丞相か、河内郡太守張雅叔(張楊)さまの許可を得てから、という運びになるでしょう。それを無視して兵を集めるようなことをすれば、それこそ官軍が相打つ事態になりかねません。その意味でも、あらかじめ許昌の協力を得ておくことは必要なのです」「むむむ……言われてみればそのとおりだなッ」 俺はおもわず膝を打った。 壷関を落とすことばかりに目を向けていたが、司馬家の私領が温にあるというだけで、温のすべてが司馬家の私領というわけではないのだ。当然、そこには官軍もいるし、周辺には司馬家にあまり好意的ではない領主たちもいるだろう。彼らが司馬懿たちの勝手な募兵を見れば、それこそ反乱を企んでいると判断されかねない。 これは俺の思慮が足りなかった。「さらに申し上げれば」「まだあるのか?!」 澄ました顔でとどめをさしにきた麒麟児に思わず悲鳴をあげてしまいそうになる。いや、もちろん司馬懿にそんなつもりはないのだろうが、俺の意識としてはそうとしか言いようがない。 さきほど、俺が自分の内心を語り終えた後で司馬懿はなにやら考え込んでいるように見えた。あれは俺の考えを知ることができたから、次は気づいた作戦の不備をいかに修正するかについて頭を働かせていたのかもしれない。 しかしまあ、物は考えようである。あの司馬仲達から直接に作戦の不備を指摘されるなど経験したくてもできることではない。今後のこともある、ここは神妙に話を聞くことにしよう。 覚悟を決める俺に対し、そんなこととは知らない司馬懿は淡々と話を進めていった。言い方をかえると、容赦なく作戦の欠陥を指摘していった。「北郷さまは河南から并州勢を追い払った後、部隊の指揮権を士季(鍾会)か棗将軍に任せて黄河を越える、と仰っていました。それはつまり、螢の上官が北郷さまから別の人に移る、ということでもあります。そうなった場合、温で募兵をしていること自体が――」「確実に問題視される、な」「はい。もっとも、こちらに関しては張太守にあてる書簡の内容を変更することで対処することはできるでしょう。ただ、人と兵を好きなように動かした後で、それを認めるよう求められた張太守がどのように思われるかが気になります」 司馬懿が虎牢関に来たのは、張莫が許昌に召還された後のこと。以前はともかく、今の張莫を司馬懿は知らないのである。 俺としては面白がって認めてくれる気がしないでもないが、事後承諾というやりかた自体が上位者に対して礼を欠いているのは明白だ。作戦上、どうしてもそれしかない、というならともかく、俺の狙いが功績の独占だというのは戦況を見据えれば容易にわかる。 ……うむ、これはさすがに張莫といえど認めないな。というか、物事の良否、事の軽重もわきまえられないやつだったのか、と見捨てられるのがオチだ。仮に俺の命が長らえたとしても、今後は路傍の石のように無視されるに違いない。 預かった兵を返すだけならともかく、それ以上の行動をとるのならば、どうあれ張莫(ないしは曹操)に許可を得なければならず、そして許可を得るならば書簡による事後承諾などではなく、きちんと俺自身か、もしくは俺が信頼し、かつそれに相応しい立場と地位にいる人間を派遣するべきだった。 そして、そこまでするのならば、もう功績の独占は不可能であり、他者の警戒や嫉視を避ける意味でも張莫たちを巻き込んでしまった方が良いに決まっている。 ――改めて自分の作戦を思い浮かべてみると、司馬懿の言うとおり、後方や味方に対する配慮が欠けているのがよくわかる。 これはひどい。 立案時間がほとんどなかったことを差し引いても、これはひどい。こんな作戦は、それこそ俺が曹操本人でもないかぎりたててはいけない。 自分の作戦を実行に移していた場合のことを考え、俺はだらだらと冷や汗を流した。思わず、口から深い溜息がこぼれおちる。「いや、仲達が傍にいてくれて本当に良かった……ありがとう」 心からの感謝をこめて司馬懿に頭を下げると、司馬懿もちょっと慌てた様子で俺に頭を下げてきた。「お、恐れ入ります。ですが、そもそも私が北郷さまに無理を願わなければ、北郷さまが壷関を落とす必要はなかったわけで、その、ですから礼を言われるようなことではありません」「いやいや、それはそれ、これはこれ。いついかなる時でも感謝の心を忘れてはいけない。というわけで、ありがとうございます」「それをいうなら私こそ、北郷さまにはどれだけお礼を申し上げても足りません。ありがとうございます」 なぜか二人してぺこぺこ頭を下げあう俺たち。 そんな俺たちを、司馬孚と徐晃が笑いをこらえながら見守っていた。◆◆◆ 司州河南尹 洛陽「……そうか。官渡の敗戦は事実だったか」 寝台に横たわり、苦しげに表情を歪めながら、高幹は呟くようにそう口にした。 そして、上体を起こそうとして果たせず、慌てた高覧に支えられる。どのような効力の毒なのか、負傷して何日経とうとも高幹の身体からは毒の影響が抜け落ちず、不快な痺れと痛みが断続的に襲ってくるのである。「若さま、ご無理をなさってはいけませんッ」「覧、それこそ無理をいうな。このまま元才が横になったままでは、全軍が河南の地で果ててしまう。兵たちを連れてきた元才には、兵たちを連れ帰る義務があるのだ」「そ、それはそうですけど、もう少しこの地で療養なさってもいいはずです。幸い虎牢関の曹操軍は動いていません」「官渡の勝利が事実である以上、あえて動く必要がないだけだ。文恵(高幹の従弟 高柔の字)の使者は河内郡の戦況についてなんと言っていた?」 高覧はわずかにためらった。これを正直に告げれば、高幹が病身を押して指揮を執ろうとするのが明白だったからだ。しかし、隠しておけることではないし、隠していいことでもない。 高覧は諦めて正直に話した。「并州との連絡は保たれており、補給線も維持できているとのことです。野王の攻囲も継続中で、城内に官渡の件は伝わっていません」 報告の中身を良いものと悪いものに分けるとしたら、ここまでが良い部類である。 ですが、と続ける高覧の声は暗い。「野王と、若さまが落とした河陽をのぞいた西部一帯の官軍には官渡の結果が知れ渡ってしまったようです。文恵さまによれば、これまで并州兵を恐れて城内に閉じこもっていた各地の県城の動きが活発になっており、特に沁水や温といった城は、官軍が打って出る気配さえあるとのこと。また河東郡にも不穏の気配があるとか。このままでは遠からず戦況は抜き差しならないものとなる、州牧閣下の早急の帰還を請う、と報告は結ばれておりました」 それを聞いた高幹は、唇をまげるようにして皮肉っぽく笑った。「……ふん。あの口うるさい小僧のことだ、益なき遠征はとっととやめて戻ってくるのです、とでも言っているのだろうな」「あはは……ええ、たぶん」 病床にあってもなお男ぶりの良さを保つ高幹とは異なり、従弟の高柔はいかにも子供然とした容姿をしていた。何かと口うるさく、たびたび高幹を諌める為人も手伝って、高幹は高柔のことを「小僧」と呼んで軽んじる素振りを見せることがある。 その高柔が今回の河南遠征に反対であったことは高覧も良く知っていた。もっとも、高柔は反対を唱えつつも、いざ従兄から後方を任されれば、補給から情報から、一切の疎漏なく務め上げたし、高幹もそんな従弟を信任して後方の全権を委ねたわけで、なにげにこの従兄弟たちは息があっているのだが、それはさておき、官渡の敗戦を知った高柔が何を口走ったかについては大体予測できる高覧だった。 高幹の口から仕方ないと言いたげな溜息がこぼれた。「……文恵の説教を聞かねばならないのは業腹だが、致し方ない。ただちに兵を退くぞ、覧」 高柔は軍事にも適正を示すが、官渡の勝利で勢いに乗った官軍をひとりで食い止めることは不可能だ。そして高柔が敗れれば、洛陽の并州勢は完全に孤立する。退却以外の選択肢は残されていなかった。 だが、ただで退却してやるつもりは高幹にはなかった。特に、自身に毒刃を用いた相手に対する高幹の恨みは根深い。雄敵と競って戦場に屍を晒すならまだしも、あのような下劣な手段で傷つけられたことは、高幹の自尊心を深く深く傷つけていた。 もっとも、と高幹は内心で自嘲する。(あの程度の襲撃をしのげなかった元才の間抜けさが招いた災禍であるし、そもこの様ではろくに動けない。できることは限りがあるが、それでも易々と陰謀を成就させてなるものか。嫌がらせくらいはさせてもらうぞ、李文優) 暗殺に動いたのは南陽の兵。犯人として利用されたのは降伏した南陽の将。流言で不穏の気配を示しているのは南陽の軍。 その裏に潜む人物が誰であるのか、高幹にとって考えるまでもないことであった。◆◆ 高幹の内心を知れば、李儒は鼻で笑って嘲ったであろう。力で敗れた上は策で失地を回復するのは当然のことだ、と。 洛陽の大火にも意義を見出していたように、李儒は目的のためには手段を選ばない性向があり、それゆえに董君雅(董卓の父)や賈駆にも疎まれたのだが、本人にその自覚はない。 そして、この時、実際に李儒が耳にしたのは高幹の内心ではなく、高幹がとった策であった。「南陽兵が帰郷している、だと?!」 李儒の怒声には激怒と等量の動揺が含まれていたが、ひざまずいた宦官はそこまで察することはできなかった。 ここは広大な洛陽後宮の一角。并州兵の捕縛の手を免れた李儒は、ごく一部の宦官と共に後宮の深部に隠れ潜んでいたのである。 報告を行った宦官は、ひざまずいたまま震える声で先を続けた。「は、はい。高幹めは南陽の兵士に対し、このまま袁紹軍に付き従うか、あるいは南陽に帰郷するかの二択を迫ったらしゅうございます。前者を選んだ者には武具と給金を、後者を選んだ者には南陽までの旅費と食料を渡すと宣告し、それを受けた兵たちがこぞって帰郷を願いでたとか。すでに二千を越える兵が南陽への帰路についたとのことで、宣告が袁家の罠でないと確信した南陽兵は大挙して南門に詰め掛けているそうでございます」「なんたることかッ! おのれ高幹め、余計なマネをしおってッ」 李儒の叫びは後宮の厚い壁に遮られ、外には届かない。 それは陰謀の露見を妨げる防壁であると同時に、南陽軍における李儒の影響力を失わしめる障壁でもあった。どれだけ怒声を発しようと、声をからして命令しようと、兵に届かなければ何の意味もないのである。 これでは洛陽を袁紹軍の手から取り返しても兵が足らなくなる、と李儒は歯噛みした。 元々、南陽の軍勢は曹袁との争いに直接のかかわりを持っていない。彼らが洛陽で戦ってきたのは李儒にしたがってのことであり、それですら兵たちの本意ではなかった。 袁紹軍が帰郷の機会を与え、それが罠ではないと判明したのならば、多くの兵が飛びつくだろう。そして、その数が千や二千にとどまらないことは想像に難くない。 兵が足らない、どころではない。このまま手をこまねいていては、すべての南陽兵が洛陽を去ってしまう。それは李儒の固有の武力が完全に喪失することを意味した。「……いや、というより、そのためにこんな布告を発したのか、高幹。これでは袁紹軍が逃げ出しても洛陽を取り戻せぬ。私に渡すよりは曹操めに渡した方がマシだ、とでもいうつもりかッ?! そして、曹操に金や食料をタダで渡すくらいなら、今のうちに南陽兵にくれてやった方がまだマシだというわけか、おのれ、おのれェッ!!」 静まり返った室内に、李儒の咆哮が木霊する。それはどこか亡者の慟哭にも似て、聞く者の心に冷たい霜を降らせた。 劉弁の死と洛陽の失陥により、この地における権勢のほとんどを失った李儒は、このごろとみに自制に欠ける言動が増していた。これまで李儒の背を支えていたのは、洛陽の主権を握っているのは己である、という強い自負だった。それが失われたことで、急激に精神の安定が失われつつあるのだろう。 周囲の宦官たちはおびえた、それでいて計算高さを感じさせる視線を交わしあう。彼らにしても、確固たる忠誠心で李儒に仕えているわけではない。互いに利用し、利用される関係であるに過ぎない彼らは、他に助かる道があるのなら、躊躇なく李儒を見捨てるだろう。 李儒にはそれがわかる。なぜなら、李儒もまたそう考えているからだった。「くそ、宛の連中はいつになったら洛陽に着くのだ?! 洛陽に来るようにと命令を出してから何日経つと思っている。彼奴らがもっと早くに着いていれば、こんな事にはならなかったものを。あやつらも裏切ったのか?! おのれ、許さぬ、許さぬぞ、どいつもこいつもッ!」 それが繰言とわかっていながら、それでも李儒は叫ばずにはいられなかった。 ――不意に。「それは誤解というものだ、洛陽王」 その声は、まるで壁の隙間から這い出してきたかのように唐突に室内に響き渡った。「な、誰だ?!」 李儒は驚いて部屋の中を見渡し、そして部屋の隅に立つ人影に気づく。 この場にいるはずのない、けれど見覚えのあるその姿。思えば、いましがたの呼びかけを口にしたのもあの男だった。「貴様、于吉…………いや、違う。于吉ではないな。何者だ?」「名乗る名などない。どこにでもいる名無しの方士だ」「貴様らのような輩がどこにでもいてたまるものか!」 李儒は吐き捨てると、忌々しそうに方士をにらみつけた。「で、何をしにきた、名無し。仲を裏切った私の無様な姿を笑いに来たのか」 その李儒の言葉を、しかし方士はまるまる無視した。「宛の者たちは律儀に貴様の命令を守っていたぞ。泣き叫ぶ住民を連れ出し、街に火を放ち、逆らう者は斬り倒して洛陽を目指した。それが事実だ」「ならば、何故今になっても来ないのだ?!」「邪魔する者たちが現れたからに決まっておろう。新野の劉玄徳が動いたのよ」 その名を聞き、李儒は眉をひそめた。「劉備だと。ばかな。彼奴らの手勢は万に満たぬはず」「さよう、新野を空にしてもせいぜいが五千というところかな。が、それでも動いた。少数の精鋭のみを率い、宛の民を救うためにな。関羽が欠けているとはいえ、余の将は健在だ。まがりなりにも曹操や袁術と渡り合った者たちを相手にしては、貴様の配下ではいかにも荷が重い。ただ、さすがに数が数だ、一戦で蹴散らすというわけにはいかず、劉備軍もそれなりに苦戦していたようだが、それもほどなく解決した」 それまでどこをどうさまよっていたのか、虎牢で曹操軍に敗れた西涼軍が劉備側に加勢したのである。「馬鹿な?! 西涼軍がどうして――」「西涼軍は劉弁の下に馳せ参じたのであって、貴様に降ったわけではあるまい。まして眼前で泣き叫ぶ民たちを無理やり故郷から連れ去ろうとしている軍勢を見てはな。連中が何を思い、何を決断したかは語るまでもあるまいよ。実際には、西涼軍は山越えの疲労と空腹で、一部の連中をのぞいてはほとんど使い物にならなかったようだが、西涼軍の参戦は南陽軍を絶望せしめるには十分であった。結果、南陽勢は屈服、貴様のもとに向けられた使者は劉家の軍師がはりめぐらした網でことごとく阻まれた。かくて貴様は来るはずもない援軍を心待ちにしながら戦機を逸し続けた、というわけだ。どうだ、得心したか、洛陽王」 いつか方士は嘲りの色をあらわにして、李儒をなぶるように言葉を紡いでいた。 あえて劉備軍を称えるような語り口で話していたのは、その方が李儒の精神を痛めつける意味で得策だと考えたからだろう。 その目的がどこにあるのかは当の方士以外には知る由もない。 だが、それがなんであれ、この時の李儒は方士の思惑には乗らなかった。「……で、それをことごとしく私に伝える理由は何なのだ? 何をしにきた、という私の問いに、貴様はまだ答えていない」「……ほう。まだ冷静さを保つか。今までの貴様なら、あっさり狂乱したと思うが。なるほど、于吉さまがおっしゃったとおり、それなりの覚悟をもって仲から離反したのだな」 その方士の呟きが終わるか終わらないかのうちに、室内を風が切り裂いた。李儒が抜く手も見せずに方士に斬り付けたのである。 それを見て、今後はともかく、今この場で力ある者は誰なのかを宦官たちも察したらしい。彼らは奇声をあげて方士を取り囲んだ。宦官のひとりが鞭を使って方士を打ち据えようとするが、方士は嘲笑と共にそれを避ける。「良いのか、洛陽王。ここで我を遠ざければ、再び手を差し伸べることはないぞ?」「ほざけ、左道の輩。大方、劉備と西涼勢を引き合わせたのも貴様の差し金だろう。口で何と言おうとも、離反した私を許さぬ貴様らの意思は明瞭だ」「くかか! まさか毒を用いて敵将を殺めようとした者に左道とののしられるとはな! わが身をかえりみて物をいえ、といってやりたいところじゃが、貴様にそれは通じぬよなあ。なにせ貴様はおのが歪みから目をそむけ、ついには真実忘れ去るに至るほどの迷妄の塊ゆえ。嗚呼、惜しいかな、惜しいかな! 我らに従っておれば、貴様はやがて外史すべてをむしばむ壺毒となりえたろうに!」「……何を言っているのだ、貴様は?」「くかかかッ、わかるまい、わかるまい! だが気に入ったぞ、洛陽王。土産にひとつ助言をくれてやろう。于吉さまの命令ではない、わしの意思でな」 いつか、李儒の眼前で方士は形をかえつつあった。取り澄ました格好も言葉遣いも消えうせて、後に残ったのは、目に滴り落ちるほどの悪意を詰め込んだひとりの老翁。 老人の乾いた唇が上下に動き、黄色くよごれた前歯がのぞく。そこから吐き出された言葉は、李儒にとって無視できないものだった。「――北郷一刀」「ッ?!」「貴様が恨み、憎み、嫉むあの若造を苦しめる一手を指南してやろう。なに、難しいことではないぞ。貴様はまもなくあの若造に追い詰められる。貴様を助ける者はなく、貴様が逃げる場所はなく、貴様が抗う術はない。なればせめて呪いを残せ。貴様が知るすべてを彼奴に話してやるがよい」「私のすべて、だと……?」「そうじゃよ。洛陽での邂逅を語ってやるがよい。彼奴が貴様を見逃したことを思い出させてやるがよい。生き延びた貴様が于吉さまに拾われた事実を伝えてやるがよい。貴様がこれまで罠にかけた者たちのことを言うてやれ。貴様が手にかけてきた者たちのことを教えてやれ。それは北郷一刀が貴様を殺しておけば生まれなかったはずの悲劇なのじゃ」 老人はそういうと、ぬめりとした舌で乾いた唇をなめた。唇を覆う光沢が奇妙な若々しさを老人の醜貌に与えている。李儒は魅入られたようにその顔を見つめ続けた。「そして、于吉さまが狙っていたのもまた彼奴であった。彼奴がいたゆえに劉家軍は追い詰められた。彼奴がいたゆえに高家堰は仲軍に囲まれた。すべては彼奴の責なのじゃよ。それを伝えたら、最後にこう云うてやるがよい――」 ――北郷一刀、劉玄徳の夢を散らしたのは他の誰でもなく貴様自身なのだ、とな……