虎牢関 軍議の間「……………………なるほど、話はわかった」 深く重い沈黙を破り、鍾会がはじめに口にしたのはそんな言葉だった。 睨むように俺の顔を見据える顔は見るからに不機嫌そうで、こめかみがぴくぴくと震えている。これが漫画なら、鍾会の顔には怒りマークが乱舞し、背後からは「怒怒怒怒……!」とかいう効果音が聞こえてきただろう。「叛臣である仲達を登用し、虎牢関防衛に加える。で、北郷。それを聞いたぼくは君を斬るべきなのか? それとも切るか? あるいは伐る(きる)でもいいんだが、どうされるのが望みなんだい?」「とりあえずKill以外の選択肢がほしいのですが」「あるわけないだろうッ! 何を考えているんだ、君は?!」 憤怒ゲージはあっさりと臨界点に達してしまったらしい。ものすごい勢いで一喝されてしまった。 ただし、激怒しているように見えて、話が他の兵にもれないように声自体は低くおさえているあたり、鍾会は十分に冷静さを保っているのがわかる。 そんなことを思いつつ、俺は先刻、棗祗にした説明を繰り返した。「今の戦況で仲達を許昌に送ったところで刑吏の手をわずらわせるだけで、戦況にはいささかも寄与しません。いえ、実際には護送の兵を割かねばならないのですから、求めて戦いを苦しくするようなものです」 猫の手も借りたい今、そんなことをしている余裕はない。司馬懿の参戦を認めさせる口実ではあるが、同時に本心からの言葉でもあった。 鍾会は険しい目つきで反論してくる。「そんなもの、戦が終わるまで牢獄に放り込んでおけば済む話だろう」「それでも見張りの兵は必要になります。かりそめにも麒麟児と呼ばれた者、その気になれば見張りのひとりふたり、手玉にとるのは容易いことでしょう」「そんな手間をかけるくらいなら、袁紹軍相手に働かせた方がマシ、とでもいうつもりか? コイツは帝位を僭称した輩に付き従った逆臣だぞ。いかに現在の戦況が厳しいものであれ、そんなヤツを用いるなどすれば、叛逆の汚濁がぼくたちにまで降りかかるかもしれない」 コイツ、と言いながら鍾会は厳しい目で司馬懿を睨みつける。 司馬懿は表情をかえず、視線をそらさず、鍾会の弾劾に身を晒し続けている。無視、あるいは聞き流しているわけではなく、何を言われたところで当然のこと、と思い定めている様子だった。 そんな司馬懿の平静さがまた癇に障るのか、鍾会の表情は厳しくなる一方である。とはいえ、鍾会が口にしたとおり、逆臣と肩を並べて戦ってしまえばあらぬ疑いをかけられる恐れも出てくるわけで、鍾家の一門である鍾会が司馬懿の登用に難色を示すのは当然といえば当然のことだった。鍾会の苛立ちの視線が、司馬懿の胸やら背やらに向けられているように見えるのは、たぶん俺の気のせいだと思われる。 なにやら黒々としたオーラを発しはじめた鍾会に若干腰が引けたが、俺はなおも言葉を重ねた。承認が得られるとは最初から思っていないが、黙認くらいはしてもらわないと今後に差し支えるのだ。「汚名は将帥である私がかぶります。士季どのや棗将軍は反対を唱えたが、私が聞く耳をもたなかった、ということにすれば、罪が他に及ぶことはないでしょう」「……逆臣を用いるは、すなわち朝廷への叛心あることの証左。その理由をもって今ここで君を捕縛する、という選択肢もあるんだぞ」「それは士季どのに似合わぬ短慮といえるでしょう。今の戦況でそれを為せば、それこそ袁紹軍に利する行為として罪に問われるのは必定です」「――虎牢関において利敵行為を裁くのは守将の役目。なるほど、ぼくが動けば自分も動くという宣告か、それは」 鍾会が強い眼差しで俺を見据える。俺はその視線を正面から受け止めつつ、小さくかぶりを振った。「虎牢関の防衛は丞相閣下より下された厳命です。今はひとりでも多くの味方が必要な時であり、士季どのにはそのことをご理解いただきたいのです」 すると、それを聞いた鍾会はこちらの心中を推し量ろうとするようにわずかに目を細める。「古昔、越の范蠡(はんれい)は死刑囚を用いて呉の軍を撃ち破ったという。まさかとは思うが、君は自分をあの名臣に重ねているのかい?」「私は逆立ちしたところで范蠡にはなれませんよ。ただ、陛下に斉の桓公のごとき大度を望んでいるのは事実です」 故事に故事で返すと、つまらなそうに鼻で笑われてしまった。「ふん。君の目にはそこの逆臣が管夷吾に見えるのか。字(あざな)が等しいからとて、それは過大評価が過ぎると思うけどね」「さて、それはどうでしょう? 仲達は鍾家の神童と並び称された者なれば、過大評価と切って捨てるのは早計かと思いますよ」「……仲達の才を否定することは、ぼくの才を否定することと同じ、というわけかい。ああ言えばこう言う、というのはまさに君のためにある言葉だな」「いやー、それほどでも」「照れるな! 誰も褒めてないッ。だいたい、以前は知らず、今のぼくは仲達よりも絶対に上だ」 ただし身長と胸囲は除く、と鍾会が心中で続けたかどうかは定かではない。「……今、何か妙なことを考えなかったか、北郷?」「いえ、特には何も。たしかに、士季どのの方が仲達よりも優っているところはあるな、と考えていただけです。へそ曲がりの度合いとか」「誰がへそ曲がりか?!」「それはもちろん士季どのが、です。仲達と再会できて喜んでいるのに、あえて冷たく蔑んでみせるところなど、実に見事なへそ曲がりっぷりではありますまいか。以前にも申し上げましたが、やはり二人は強敵と書いて友と読む間柄――」「誰が誰の友だ?! ああ、もう、ほんとに君は人を苛立たせる天才だなッ!」「重ねがさねの褒詞、ありがたく――」「だから褒めてないって言っているだろうッ?!」 ――結論次第では冗談抜きで血を見ることになる話し合いは、しかし、俺と鍾会が言葉を交わせば交わすほどに真剣みが薄れていってしまう。実に不思議……いや、まあ計算づくでやっている面もあるのだけれど。 と、その時だった。慌しい足音に続いて、軍議の間にひとりの兵士が飛び込んできた。「申し上げます! 西方に多数の敵兵を確認しました。旗印は『袁』と『張』! 洛陽より出撃した袁紹軍と思われますッ」 息せき切ってあらわれた守備兵の報告を受け、俺と鍾会は視線を交錯させる。直前までの雰囲気はすでにない。「さすがは張儁乂、はやいね。で、どうする?」「初撃は私と棗将軍で防ぎます。士季どのは関内を」「承知した」 と、ここで鍾会は意味ありげな眼差しで俺を見た。「かくて、仲達の件は無事うやむやに、というわけだな、北郷」「……さて、なんのことやらわかりかねますが」 視線をあさっての方向に向けてすっとぼけてみる。 が、効果はあまりなかったようで、鍾会は委細構わず追求を続けてきた。「ぼくを起こすまでの間、いったい何を準備していたのか、と訊いている。君が説明を終えるのを待っていたかのようにあらわれた袁紹軍について、君はぼく以上のことを知っているのではないか、と思うのだけれどね?」「さて、不敏なる身には、やはりなんのことやらわかりかねますね。ともあれ、今は袁紹軍の撃退が最優先。私も士季どのも、それ以外の事にかかずらう暇はありますまい」「たしかにここを破られれば許昌が危ういから、今はそちらを優先せざるを得ない。かくして逆臣が参戦したという既成事実は出来上がる――ふん、目的のためには手段を選ばないあたり、存外したたかな男なのだな、君は」 そう言って、鍾会は剃刀のように薄く、鋭い笑みを唇の端にひらめかせた。◆◆ しばし後。「うむ、バレるとは思っていたが、やっぱりバレてたな」 防戦の指揮をとるために城門へと急ぐ途中、俺は肩をすくめた。 すると、隣を歩いていた司馬懿がこくりとうなずきながら付け足す。「おそらく、姉様たちのことも勘付いているでしょう。陛下……いえ、殿下と姉様は亡くなり、私ひとりだけが助けられた、という不自然さを疑わない士季ではありません。それを口にしなかったのは――」「士季どのなりの自己防衛、なんだろうな」 実のところ、すでに司馬朗と劉弁は鄧範を護衛として虎牢関を出立していたし、俺は偵騎の報告によって袁紹軍が洛陽から出撃してきたことを掴んでいた。この点、鍾会の洞察は正鵠を射ている。 その間、鍾会の睡眠を妨げずにいたのは、その方が面倒がないと考えた――のではなく、これから始まる激戦に先立ち、少しでも鍾会の疲労が癒えるように、と気を遣った結果である。 あと四半刻もすれば袁紹軍の姿が肉眼で確認できるだろう頃合で鍾会を起こし、司馬懿の件を説明し、なし崩し的に袁紹軍との戦闘になだれ込んで司馬懿参戦の既成事実をつくってしまおう、と企んでいたわけではない。 ……結果としてそうなるだろう、という予測は立てていたけれども。「ところで、仲達は士季どのを呼び捨てにしてるのか」「以前、士季本人にそうしろと言われました。『君に士季さまとか言われると寒気がする』とも」「……やっぱりへそ曲がりだよなあ。もしくはツンデレ」 おもわず呟くと、司馬懿が柳眉をひそめた。「北郷さま、つんでれ、とは何ですか?」 耳慣れない響きの言葉が気になったらしい。俺は説明しようとして、首を傾げた。ツンデレの定義ってなんだろう?「ああ、ええと、いつもツンツンしているけど、いざとなるとデレっと――いや、これだとわけがわからないな。ある特定の人物に対し、本当は好きで親しくなりたいのに、その人の前だとことさら構えてしまう態度をとる人の総称……かな?」 言い直してみたが、やっぱりよくわからない。まあ、どうでもいいといって、これ以上どうでもいいことはないのだが。 と、司馬懿を見ると、わずかに面差しを伏せ、なにやら真剣に考え込んでしまっている。 ややあって顔を上げた司馬懿は、俺に問いを向けてきた。「常は礼儀正しく一線を引いて接してくるけれど、いざという時は命がけで助けてくれる人も『つんでれ』なのでしょうか?」「それは、うーむ、ツンデレといえないこともない、かな?」 少し違うような気もするが、重なるところはあるようにも思う。 俺が迷いながら答えると、司馬懿は得心したように小さくうなずいた。「なるほど。おおよその意味はつかめたように思います」「それはよかった」 間違いなく何の役にも立たない知識だけど、という呟きは心の中だけにとどめておこう。 そうこうしている間に城門に到着した俺たちは、そのまま城壁の上にのぼっていく。そこで俺たちを待っていたのは副将をつとめる棗祗だった。常の温顔も、戦を前にした今は厳しさを漂わせている。 棗祗は俺たちの姿を見つけると、城の外を指差して告げた。「おお、北郷どの。見られい、見たくもない光景が広がっておるわ」「その言葉だけでお腹いっぱいですよ、棗将軍」 そういいながら、俺は棗祗の指先が指し示す方向に視線を向ける。 昨夜の雨のせいで、濛々と砂塵を蹴立てて、という具合にはなっていなかったが、それでも万をはるかに越える軍勢が此方に殺到してくる様は、何度見ても見慣れるということがない。以前との違いは、そういった心の揺れを表情に出さずに飲み下せるようになった、ということか。 敵軍の数はおおよそ二万というところだが、そのすべてが袁紹軍というわけではなく、明らかに甲冑の色が異なる軍勢が加わっていた。ついでにいえば、彼らが着ている甲冑は、昨夜一晩中俺が着ていた甲冑でもある。 その軍勢が掲げる旗は『李』。 南陽軍の参戦は予測していたことではあったが、実際に目の当たりにすると苦いものがわきあがってくる。棗祗が言った「見たくもない光景」という言葉に心底同意できた。 見たかぎり、袁紹軍は一万弱。南陽軍もほぼ同数である。 袁紹軍の総兵力は五万に達する。南陽の全軍を麾下に組み込んだのならば、総兵力は七万を越える計算になる。相次ぐ戦闘で多少は数を減らしているだろうが、それでも六万以下ということはないだろう。 そう考えると、二万という数字はいかにもすくない。まずは小手調べということなのか、あるいは高幹は虎牢関には二万で十分、と判断したのかもしれない。なにしろ眼前の二万だけで、すでにこちらの三倍近い数なのだ。 厳しい戦いになる。 わかりきっていたことではあるが、俺は改めて自分自身にそう言い聞かせて敵軍を待ち受けた。 今回は少数の偵騎をのぞき、徐晃や騎馬部隊も虎牢関の中に待機させているので、奥の手の類は一切存在しない。徐晃を出撃させなかったのは、袁紹軍相手に小細工は通用しないだろう、と考えたことがひとつ。もうひとつは、鄧範が不在の今、退却時において機動防御(の真似事)を行えるのが徐晃だけだった、といういずれも消極的な理由による。 虎牢関の放棄を前提として戦うつもりはないが、逆にそれを考慮しないで戦いに臨むほど傲慢にもなれない。そして、いざ退くとなれば、敵の追撃を阻む手段はどうしても必要になるのである。 かくて始まった戦いは、攻防の激しさにおいて、先の南陽軍との戦いとは比べるべくもないものとなった。 袁紹軍を率いる張恰は、つい先日まで敵対していた二つの軍(袁紹軍と南陽軍)を完璧に統御してのけ、あわよくば南陽軍の不満を煽って混乱を生じさせようと考えていたこちらに対し、まったくといっていいほど付け入る隙を見せなかった。 結論から言ってしまえば、俺たちはこの日、ただの一度も戦の主導権を奪うことができず、最初から最後まで防戦に追い回されて終わる。 ここまで戦力差が開いてしまうと、司馬懿や鍾会の頭脳を活かす術も機会もまったくなく、反撃だの挽回だのを考慮するような余裕は砂一粒たりともなかった。 正直、よくぞ城門を守りきったと思う。先日の南陽軍との戦いから今日まで、堅実に補修につとめてくれた棗祗の努力の賜物であろう。 だが、俺たちが相手にしたのは袁紹軍の先陣であり、いまだ敵の本隊は影すら見えない。彼我の戦力差は圧倒的であり、敵は明日以降も攻勢に攻勢を重ねてくるだろう。 初日こそかろうじて守りきったものの、明日以降も同じことができるか、と問われれば否定的にならざるを得ない。 俺は本格的に退却を考慮して作戦を練り始めた。 ――許昌からの急使が虎牢関に駆け込んできたのは、そんな時であった。◆◆◆ 少し時をさかのぼる。 冀州魏郡 黎陽 黎陽の城頭に袁紹が姿を現した瞬間、城の外を埋め尽くす三十万の軍勢から喊声がわきおこった。大地を揺らし、城壁を震わせる鬨の声は、積もりに積もった将兵の戦意を映して、黎陽の空を覆いつくす。 曹操軍との決戦のために集められながら、今日まで待機を命じられていた河北の精鋭は理解していた。誰に言われたわけでもない。それでも、彼らは今日この時より戦いの火蓋が切られるであろうことを明確に感じ取っていたのである。 そして、将兵の熱烈な視線を一身に集める河北袁家の総大将は、将兵の放つ熱と力を余すことなく受け止めると、行動で将兵の予感を現実のものとする。 腰に佩いた宝剣を抜き放ち、それを高々と天に掲げたのだ。 偶然か否か、刀身が東の方角より差し込む陽光をとらえ、反射した光は三十万の将兵の視界を眩く染め上げる。 わずかにあがった狼狽の声は、しかし、すぐに興奮と激情の坩堝に飲み込まれ、先にもまさる巨大な喊声が黄河北岸の地に満ち満ちる。河北軍の士気の高さは、今や万人の目に明らかであった。 この時、袁紹のやや後方に控えていた軍師の田豊は、感慨深げな面持ちで主君の後ろ姿を見つめていた。 今回の戦いにおいて、今日まで袁紹自身がしたことといえば『待つ』ことだけである。袁紹はそれを不甲斐ないと感じているようだが、田豊の意見はおおいに異なる。はっきり言ってしまえば、今日まで待ちを貫いた――貫けたことこそが何にも優る勲、この一事で袁家は天下に手が届いたと断言してもよい、と田豊は考えていた。 元々、今回の作戦計画は田豊と沮授が勘案したものであり、作戦そのものに対して不安はなかった。河北軍の人材、兵力、蓄積した物資をもってすれば、勝ち得ぬ相手など中華広しといえどどこにもおらぬ。 案ずるはただひとつ、総帥たる袁紹が己に克てる(かてる)か否か、ただそれのみ。 そして、袁紹は立派にそれを為してみせた。ときどき癇癪を起こしては田豊と激しく口論したりしたが、それは田豊も折込済みである。 東は朱霊と路招が押さえ、西は高幹と張恰、高覧が制し、北の脅威は沮授と麹義、淳于瓊によって駆逐された。田豊の目をもってしても、もはや決戦をためらう理由はどこにも見当たらなかった。 三十万の本隊を統べるのは言うまでもなく袁紹その人である。 その左右には顔良、文醜の二大将軍が並び、郭援、辛評、呂曠、呂翔、孟岱といった武将がこれに続く。これに軍師の田豊が加わり、辛批、荀諶、許攸といった文官が後方を支える。 東と西、そして北の三方面に主力級の将帥を配してなお、その陣容は偉容と称するに足りるであろう。 この布陣をもって、河北軍はいよいよ黄河を渡るべく動き出そうとしていた。 だが、それに先立って、ひとつやっておかねばならないことがある。 民に向けて、兵に向けて、そして各地の諸侯に向けて、この戦いが正当にして不可避であることを謳いあげるのである。 古来より、正義は勝者のものであるが、勝者となるために正義を唱えるのは決して無意味なことではない。どれほど汚濁に満ちた世に生きようとも、人はどこかで清廉を望むもの。みずからが正しいと信じたその時こそ、将兵は全力を尽くせるのだ。 ひとりの人物がゆっくりと進み出る。 その人物の姿を見た時、河北軍の陣列から戸惑いの声があがった。あれは誰だ、と立ち騒ぐ兵士たちの視線の先に立っているのは陳琳、字を孔璋という人物である。文書を起草する書記官である陳琳は、文の世界ならばともかく、一般の兵たちにとっては馴染みの薄い存在であり、彼の顔を知る者はごくわずかしかいないかった。 かろうじて陳琳の顔を見知っている者も、今このとき、陳琳が悠然と進み出てくることの意味をはかりかねた。袁紹や田豊らが制止しないところを見るに、なにがしかの役目を申し渡されたことは確かだが、剣も握れず、策も練れず、ただ筆をもって働くことしかできない者が、戦場に出てきて何をしようというのか。 そんな反感をともなった将兵の疑念の眼差しに対し、陳琳は行動で応じた。「諸子に問う。曹操とは何者か!!」 その声を聞いた瞬間、多くの将兵が思わず耳を塞いだ。 陳琳はさしたる特徴もない凡庸な外見の持ち主であったが、声量にかぎって言えば凡庸をはるかに通り越して非凡の域に達しており、その声はまるで大鐘を打ち鳴らしたがごとく将兵の鼓膜を乱打する。「曹操とは宦官の余った肉から生まれた醜き者。徳なく、礼なく、節度なく、詐術をもって世を乱し、奸知をもって禍を招く。混乱と災いを好んでやまぬ彼の者こそ乱人よ! 鷹か犬程度の才を鼻にかけ、軽はずみな出兵を繰り返し、民を苦しめ、兵を虐げ、己が財にものをいわせて残酷無道なこともやりたい放題だ」 陳琳の声には深みがあった。ただ声が大きいだけではない、その語る言葉を他者の心に響かせる妙なる抑揚をもって、陳琳は丞相たる曹操を難詰していく。「中原に兵火を起こして無数の民を故郷から逐い、ひるがえってみずからの都に招き入れて聖人君子を気取る。なんたる欺瞞。悪逆にして強大なる董仲穎(董卓)を討ち果たしたは袁大将軍、しかるにその功績を盗みし彼の者は幼帝を抱えて都を私(わたくし)す。なんたる瞞着。諸子よ、想起されよ。彼の者が起こした戦火でいったい幾人の賢人、善人が殺されたかを。朝廷に天下の権を担う顕職あり、これを三公という。討たれるべきは太尉 董仲穎ただひとりであったに、彼奴は朝廷を意のままにせんと、司徒 王子師(王允)、司空 張伯慎(張温)をも葬った。偽功をもって外に君子を気取り、暴虐をもって内に朝廷を壟断する者のどこに忠があろう、義があろう。あまつさえ、それを為した当人は幼帝を無視して天下の権をもっぱらにし、丞相なる称号を墓の下から引きずり出すありさま。天下すべてが己が兵威と権能にひれ伏すと信じてやまぬ傲慢が、どうして天の意にかなおうか」 将兵はもちろんのこと、顔良、文醜、はては総大将である袁紹まで、いつか陳琳の言葉に引き込まれつつあった。もとより曹操を敵として集まった者たちである。曹操の悪逆を謳いあげ、曹操憎しを訴える声に共鳴するのは不思議なことではなく、陳琳の言葉は否応なく彼らの感情を掻き立てていく。「谷あいの道まで覆いつくした刑罰、落とし穴のごとく張り巡らされた禁令。手をあげれば法網に触れ、足を動かせば陥穽に転げ落ちる。河南の民は四肢を縛られて怨嗟にまみれ、帝都許昌では嘆きの声が街路に響き渡っているという。断言しよう! どれだけ古今の書をむさぼり読もうとも、曹操ほど貪欲で残虐で苛烈で無道な臣下はひとりもいない。漢室を覆さんと謀略を巡らせ、国家の柱石たる重臣を次々に葬り、賢臣を排除し、善人を殺しながら、我こそ無二の忠臣、我こそ無双の英雄と任じる無恥が行き着く先はただひとつ、簒奪あるのみである!」 漢室に逆らうにあらず。君側の奸を討つ、と陳琳は言う。 河北軍は、あらためて自分たちが敵とする者の猛悪を思い、それは必然的に必勝の意気を高めていった。古今に類を見ない悪徳の者が相手であればこそ、この戦い、決して負けられぬ、と。「諸子はすでに知る、曹操とは何者なのかを。諸子はすでに知る、みずからが正しき旗の下にあることを。諸子はすでに知る! 我らがこれから歩まんとする道こそ、すなわち天道にほかならぬということをッ! 諸子よ、河北の覇者にして漢室の柱石たる諸子よ。今こそ我らが決意を皇天后土に謳いあげ、天下万民に大義の在処(ありか)を示そうぞ!」 言って、陳琳は一度口を閉ざし、目を伏せる。が、それも一瞬。次の瞬間、カッと目を見開いた陳琳の口から発された大喝が、黎陽の天地を震わせた。「曹操討つべし!!」 大逆、奸雄、佞臣。陳琳はそういった言葉を何一つ使わず、ただ曹操討つべしと唱えた。 あらゆる悪徳、これすべてその名が示していると言うように。「曹操討つべし!!」 軍勢の最後列にいる者の耳さえ震わす大声は、誰もが理解しうる単純にして明確な目的をただ繰り返す。 その一事こそ天下の公理であると告げるように。「曹操討つべし!!」 繰り返される断固とした言葉。 河北の天地に轟き渡る大音声に、最初に続いたのは袁紹の隣に控えていた文醜だった。そして、ひとりが続けば、その後に続く者は引きも切らず、黎陽に集結した三十万の将兵は、いつか総大将も一兵卒も関わりなく、皆でただひとつの言葉を繰り返していた。『曹操討つべし!!』 ……後に『官渡の戦』と呼ばれることになる中原の覇権争い。その最後の幕はかくして開かれたのである。