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No.18153の一覧
[0] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 【第二部】[月桂](2010/05/04 15:57)
[1] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第一章 鴻漸之翼(二)[月桂](2010/05/04 15:57)
[2] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第一章 鴻漸之翼(三)[月桂](2010/06/10 02:12)
[3] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第一章 鴻漸之翼(四)[月桂](2010/06/14 22:03)
[4] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第二章 司馬之璧(一)[月桂](2010/07/03 18:34)
[5] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第二章 司馬之璧(二)[月桂](2010/07/03 18:33)
[6] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第二章 司馬之璧(三)[月桂](2010/07/05 18:14)
[7] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第二章 司馬之璧(四)[月桂](2010/07/06 23:24)
[8] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第二章 司馬之璧(五)[月桂](2010/07/08 00:35)
[9] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(一)[月桂](2010/07/12 21:31)
[10] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(二)[月桂](2010/07/14 00:25)
[11] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(三) [月桂](2010/07/19 15:24)
[12] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(四) [月桂](2010/07/19 15:24)
[13] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(五)[月桂](2010/07/19 15:24)
[14] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(六)[月桂](2010/07/20 23:01)
[15] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(七)[月桂](2010/07/23 18:36)
[16] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 幕間[月桂](2010/07/27 20:58)
[17] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(八)[月桂](2010/07/29 22:19)
[18] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(九)[月桂](2010/07/31 00:24)
[19] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(十)[月桂](2010/08/02 18:08)
[20] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(十一)[月桂](2010/08/05 14:28)
[21] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(十二)[月桂](2010/08/07 22:21)
[22] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(十三)[月桂](2010/08/09 17:38)
[23] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(十四)[月桂](2010/12/12 12:50)
[24] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(十五)[月桂](2010/12/12 12:50)
[25] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(十六)[月桂](2010/12/12 12:49)
[26] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第三章 卵翼之檻(十七)[月桂](2010/12/12 12:49)
[27] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 幕間 桃雛淑志(一)[月桂](2010/12/12 12:47)
[28] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 幕間 桃雛淑志(二)[月桂](2010/12/15 21:22)
[29] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 幕間 桃雛淑志(三)[月桂](2011/01/05 23:46)
[30] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 幕間 桃雛淑志(四)[月桂](2011/01/09 01:56)
[31] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 幕間 桃雛淑志(五)[月桂](2011/05/30 01:21)
[32] 三国志外史  第二部に登場するオリジナル登場人物一覧[月桂](2011/07/16 20:48)
[33] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 洛陽起義(一)[月桂](2011/05/30 01:19)
[34] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 洛陽起義(二)[月桂](2011/06/02 23:24)
[35] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 洛陽起義(三)[月桂](2012/01/03 15:33)
[36] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 洛陽起義(四)[月桂](2012/01/08 01:32)
[37] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 洛陽起義(五)[月桂](2012/03/17 16:12)
[38] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 洛陽起義(六)[月桂](2012/01/15 22:30)
[39] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第四章 洛陽起義(七)[月桂](2012/01/19 23:14)
[40] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 狼烟四起(一)[月桂](2012/03/28 23:20)
[41] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 狼烟四起(二)[月桂](2012/03/29 00:57)
[42] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 狼烟四起(三)[月桂](2012/04/06 01:03)
[43] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 狼烟四起(四)[月桂](2012/04/07 19:41)
[44] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 狼烟四起(五)[月桂](2012/04/17 22:29)
[45] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 狼烟四起(六)[月桂](2012/04/22 00:06)
[46] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 狼烟四起(七)[月桂](2012/05/02 00:22)
[47] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 狼烟四起(八)[月桂](2012/05/05 16:50)
[48] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 狼烟四起(九)[月桂](2012/05/18 22:09)
[49] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黒風渡河(一)[月桂](2012/11/18 23:00)
[50] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黒風渡河(二)[月桂](2012/12/05 20:04)
[51] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黒風渡河(三)[月桂](2012/12/08 19:19)
[52] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黒風渡河(四)[月桂](2012/12/12 20:08)
[53] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黒風渡河(五)[月桂](2012/12/26 23:04)
[54] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黒風渡河(六)[月桂](2012/12/26 23:03)
[55] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黒風渡河(七)[月桂](2012/12/29 18:01)
[56] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黒風渡河(八)[月桂](2013/01/01 00:11)
[57] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黒風渡河(九)[月桂](2013/01/05 22:45)
[58] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黒風渡河(十)[月桂](2013/01/21 07:02)
[59] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黒風渡河(十一)[月桂](2013/02/17 16:34)
[60] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黒風渡河(十二)[月桂](2013/02/17 16:32)
[61] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第六章 黒風渡河(十三)[月桂](2013/02/17 16:14)
[62] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 官渡大戦(一)[月桂](2013/04/17 21:33)
[63] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 官渡大戦(二)[月桂](2013/04/30 00:52)
[64] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 官渡大戦(三)[月桂](2013/05/15 22:51)
[65] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 官渡大戦(四)[月桂](2013/05/20 21:15)
[66] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 官渡大戦(五)[月桂](2013/05/26 23:23)
[67] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 官渡大戦(六)[月桂](2013/06/15 10:30)
[68] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 官渡大戦(七)[月桂](2013/06/15 10:30)
[69] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第七章 官渡大戦(八)[月桂](2013/06/15 14:17)
[70] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 飛蝗襲来(一)[月桂](2014/01/31 22:57)
[71] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 飛蝗襲来(二)[月桂](2014/02/08 21:18)
[72] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 飛蝗襲来(三)[月桂](2014/02/18 23:10)
[73] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 飛蝗襲来(四)[月桂](2014/02/20 23:27)
[74] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 飛蝗襲来(五)[月桂](2014/02/20 23:21)
[75] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 飛蝗襲来(六)[月桂](2014/02/23 19:49)
[76] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 飛蝗襲来(七)[月桂](2014/03/01 21:49)
[77] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 飛蝗襲来(八)[月桂](2014/03/01 21:42)
[78] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 飛蝗襲来(九)[月桂](2014/03/06 22:27)
[79] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第八章 飛蝗襲来(十)[月桂](2014/03/06 22:20)
[80] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第九章 青釭之剣(一)[月桂](2014/03/14 23:46)
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[18153] 三国志外史  ~恋姫†無双~ 第五章 狼烟四起(九)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:7a1194b1 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/05/18 22:09

 鍾会、字を士季。
 政治家として、武将として、また書家として名高い父鍾遙と、教育熱心である母の双方からその才を愛され、幼少時より徹底した英才教育を施された。その内容は文武を問わずあらゆる分野に及び、およそ考えられるかぎりの学問を父母から叩き込まれたといえる。
「まさしく神童なり」
 その年齢が十に達するより早く、都の高官にそんな感嘆を発させた鍾家の秘蔵っ子の名は、漢帝国の次代を担う俊英として、心ある人々の間で語られるようになっていく。
 

 ただ、高まる評判とは裏腹に、鍾会本人が神童という呼び名をいたく嫌っていることを知る者は少ない。
 自分には過ぎた呼び名であると考えている――わけではない。むしろ、まったくの逆であった。
 神童とは、才知の極めて優れている『子供』や、非凡な才能をもった『子供』を指す言葉。鍾会にしてみれば、自身の実力が『子供』という枠組みにおさめられてしまうことが腹立たしくて仕方なかったのである。


 緩やかに波打つ髪をかきあげながら、鍾会は言う。
「確かにぼくは人並み外れて頭が良いし、腕は立つし、礼儀作法も完璧で、容姿は優麗、およそ非の付け所なんてない。年齢を鑑みれば、ぼくを神童と呼びたくなるのは理解できないでもない」
 知らず、豊かとは言いがたい胸をそらして自身の才を誇ってしまうのは、自負の為せる業か、自己愛過多の性格ゆえか。
 ともあれ、そう口にした後、鍾会は苦々しげな表情で決まってこう付け加えた。
「ただし、神童なんて言葉は、要するに『子供にしては優れている』程度のものだ。ぼくの才はそんな言葉で推し量れるものじゃない」
 自賛の言葉は決して根拠なき大言壮語ではなかった。
 鍾会の父である鍾遙は東郡の太守であるが、東郡は今回の戦いで河北勢との主戦場になると目されている黄河の二つの渡し――白馬津と延津を領内に持つ。鍾会は父の補佐として、これらの拠点の防備を固めるために奔走し、白馬に到着した曹操から褒詞を授かるほどの働きを見せているのである。


 そんな鍾会にしてみれば、神童という言葉は己を子供扱いするものであり、褒め言葉でもなんでもない。称賛のつもりで度々その言葉を口にする者に対する鍾会の評価は下の下である。
 とはいえ、鍾会はそういった自分の考えを表に出すことはなかった。どれだけ優れた才能を誇ろうと、それを発揮するためには周囲の理解と協力が欠かせない。たとえ打算に基づくものであろうとも、寄せられる好意をむげに扱うのは下策であろう。孤高は、高位に昇るための力にはなりえないのである。
 そのことをわきまえていた鍾会は、神童と称えられれば、蕩けるような微笑を浮かべ、服の裾をつまんで優雅に礼を口にするのが常であった。


 そんな裏表の激しい――猫かぶりともいう――鍾家の神童であるが、一度その才能を認めた相手に対しては、素直に親しみを見せ、内心を吐露する一面を持っている。
 今回、鍾会が父や曹操に対し、虎牢関での戦いに加わりたいと直訴したのもこの気質によるところが大きい。
 それはどういうことかというと――



◆◆◆



 司州河内郡 虎牢関


 はじめてその少女を見たとき、俺の脳裏に浮かんだのは「綺麗な子だな」という何のひねりもない感嘆の言葉だった。
 緩やかに波打つ長い髪、円らな瞳、小さく整った顔立ち等、風貌も仕草もどこぞの良家の姫君にしか見えなかったのだ。
 が、その姫君が口を開いたとたん、俺の抱いた印象はあっさりと一蹴されてしまう。
 少女――鍾会は、自身が虎牢関へやってきた理由を次のように説明したのである。


「つまり、あの仲達が何を血迷ったのか、洛陽の弘農王の下に参じたと聞いて、居ても立ってもいられなかったんだ。洛陽の情勢は混沌として、その先を見通すのは容易ではないが、しかし、弘農王は最終的に始末されるだろう。それだけは断言できる。当然、その下にいる仲達らが無事に済むはずがない」
 曹操が勝てばもちろんのこと、仮に洛陽の側が勝利したとしても、弘農王はどのみち殺される運命にある。実力なき皇帝は権力を握るための道具に過ぎず、用が済めば処分されるもの。それは過去の歴史を見ても明らかだ、と鍾会は断言する。


「弘農王が死ねば、仲達も死ぬ。それは別にどうでもいい。先を見る目のない愚か者がどんな最期を遂げようと、ぼくの知ったことじゃない。でも、片や麒麟児として、片や神童として、ぼくと仲達は何かと比べられていてね。仲達があまりに情けない死に方をすると、結果としてぼくの評判にまで関わってくる恐れがあるんだよ」
 これは無視できない、と鍾会は言う。
 そしてこう続けた。
 だから、司馬懿がどこの誰とも知らない者の手にかかって果てる前に、せめてもの情け、鍾会自身が司馬懿の息の根を止めてやるためにやってきた。ひいてはそれが中原の混乱を静める結果となるだろう……


 鍾会は鋭利と表現できそうな鋭い視線で俺を見据えた。
「北郷一刀、本日ただいまより、ぼく――鍾士季は君の指揮下に入る。ただし、今も言ったように、ぼくの目的は虎牢関を堅守することにあらず。南陽軍を討ち、洛陽を陥とし、謀反人どもをことごとく討ち滅ぼして、もって中原を浄めるにある。このこと、心に銘記しておいてくれたまえよ」
 滔々とまくし立てる鍾会の真意を、俺は嫌でも悟らざるを得なかった。
 もしも俺が虎牢関を守ってそれでよしとする退嬰的な指揮を執れば、鍾会は躊躇なく俺から指揮権を奪う心算だろう。
 鍾会の身長は俺の胸元までくらいしかなく、鍾会が俺の顔に視線を向けると、必然的にこちらを見上げる格好になる。が、そこに上目遣いの可愛らしさなど微塵もなく――それはもう砂一粒たりともなく――その迫力といったら、俺より年下とは到底信じられなかった。
 誰だ、この子を良家の姫君みたいだ、なんて思ったやつは。見る目がないにもほどがあるぞ、まったく。





 そんなことを考えていると、俺の反応を窺っていた鍾会が怪訝そうに口を開いた。
「……君はあの『劉家の驍将』なのだろう? ぼくのような小娘にここまで言われて、何か言い返すことはないのかい?」
「特には何も。間違っていることを言っているわけではなし、俺としてもこのまま虎牢関に篭り続けるつもりはないしな――あ、いや、一つだけ言いたいことがあった」
「聞かせてもらおう」
 そう口にした際、鍾会の両眼に一瞬だが眩めくような知略の光が躍ったように見えた。


 その光を見て、俺はふと思った。
 もしかすると、鍾会はあえて居丈高に出ることで、俺の為人を見定めようとしているのかもしれない。
 あるいはもっと過激なことを考えている可能性もある。衆人環視の場で俺の激昂を誘い、この場でそれをとりおさえ、指揮官たるの資格なしと弾劾して指揮権を奪ってしまう、というような。
 外見はおとなしやかであっても、いま俺が考えたような策略程度は平然と仕掛けてきそうな、ある種の不逞な雰囲気を今の鍾会は醸し出していた。
 やはりこの少女、外観は白鳥でも、内実は猛禽のそれであるようだ。



 ――まあ、それはさておき。
「友人を想って、はるばる虎牢関まで駆けつける篤実さには感動した」
 先ほどの長台詞、意訳すれば『べ、別に仲達が心配で駆けつけたわけじゃないんだからね! か、勘違いしないでよねッ!』という感じだろう。鍾家の神童どのは、他人に対してはかなり手厳しく接する人のようだが、一度認めた相手に対しては親身になるタイプとみた。


 率直に内心を口にすると、鍾会は何故だかぽかんと口をあけて俺を見つめ返し――と、思うまもなく、その顔はみるみるうちに怒りの朱色に染まっていった。
「な……何を言っているんだ、君は?! 人の話はちゃんと聞きたまえ! ぼくと仲達は友などではなく、ただの敵――それも倶(とも)に天を戴かざる敵だッ」
「ああ、もちろんわかっている。古人いわく『強敵と書いて友と読む』というやつだな」
「全然わかっていない! というかその古人って誰だい?! 聞いたことないよ、そんな文言ッ」
「……む?」
「自分から口にしておいて不思議そうに首を傾げるな! そもそも、ぼくは仲達に友情など感じたことはない。文でも武でも、あらゆる面でぼくと同等かそれ以上の結果を出す、目の上のこぶとしかいいようのない相手をどうして友などと思えるものか。おまけにあの背! あの胸! ぼくより一つ年下のくせに成長しすぎだよ! 今では誰が見たってぼくの方が年下だ! 天はいったい仲達に何物与えれば気が済むのか?!」


 天道、是か非か、と往古の儒者のように嘆く鍾会。
 はじめは俺に向かって話していたのだが、途中から完全に独白となっている。たぶん、もう俺など眼中になくなっているのではあるまいか。
 その鍾会の嘆きになんとなしに過去の自分を重ねつつ、俺は隣に立っていた司馬孚に低声で問いかけた。
「叔達、あのさ、士季どのってこういう人なのか?」
「ええと……そう、ですね。こういう方です」
 問われた司馬孚は、ためらいがちに小さく頷いた。なんでも司馬家の面々は鍾会と浅からぬ縁があるそうで、鍾会の到着を知った司馬孚は、挨拶しなければ、と俺と一緒にここまでやってきたのである。


 今、司馬孚は帽子をとっているので、短くなった髪があらわになっている。突然始まった鍾会の慨嘆に困惑しつつ、司馬孚は俺に正しい鍾会像を伝えるためにさらに言葉を重ねた。
「あ、でも! 私や妹たちには優しく声をかけてくださるんですよ。ただ、璧姉さまの事となると、何故かむきになってしまうみたいで……」
 司馬家の麒麟児と鍾家の神童。
 聞けば、以前から確執めいたことは何度かあったらしい。もっとも、さして深刻な対立ではなかったようだが。


 俺はわずかに首を傾げた。
「仲達どのなら他人から敵意を向けられても、それに気づかないか、気づいてもあっさりといなしてしまいそうだけどな」
「士季さまが璧姉さまを認めていらっしゃるように、璧姉さまも士季さまのことを認めていらっしゃいましたから。真剣に挑んでくる方には、こちらも真剣に応じるべきだ、と考えていたみたいです」
「なるほど。言われてみれば、それも仲達どのらしいか」
 互いに類を絶した才覚の持ち主であるがゆえに、二人はぶつかりあうことでしか分かり合えない運命だったのかもしれない。古来より、虎と竜は激突する以外の関わり方をしないものだ……などと、柄にもなく詩的(?)な気分に浸ってみたが、どうやったところで似合わないので口にするのはやめておくことにした。
 正直そんなことをしている暇もなかったのである。なにしろ、南陽軍との戦いはまだ続いているのだから。




◆◆




 夜襲の日からすでに五日が経過している。
 敵の混乱につけこんだこと、さらには司馬勢、陳留勢の奮戦もあって、あの夜襲では南陽軍に相応の打撃を与えることに成功した。
 だが、数にして五倍を越える敵軍を、一戦で蹴散らすのはさすがに難しかった。南陽軍は千を越える死傷者を出して虎牢関前から退いたが、全面的な潰走には至らなかったのである。


 現在、南陽軍は荀正の指揮の下、虎牢関からやや離れた地点に陣を敷き直し、これまでと同じように虎牢関攻略の機を窺っている。
 ただ、その勢いは明らかに衰えていた。この五日の間、南陽軍が虎牢関に攻め寄せてきたのはわずかに二度だけ、という事実を見れば、それは誰の目にも明らかであったろう。
 くわえて言えば、二度の攻撃の際も、南陽軍は本格的な戦いになる前に矛を引いてしまった。夜襲以前と比べれば、その動きの鈍さはあまりにも顕著である。


 先の夜襲が、敵の戦意に痛撃を与えたのは間違いない。
 だが、そういった心理的な要因とは別に、南陽軍の動きの鈍さにはもっと直接的な理由が存在する。
 現在、徐晃率いる司馬家の騎兵部隊は虎牢関にはいない。夜襲の後、虎牢関に戻らず、そのまま南陽軍の後背にまわってもらったからである。この騎兵部隊の存在が、南陽軍を激しく悩ませているのだ。


 騎兵によって南陽軍と洛陽を結ぶ街道を扼せば、洛陽から前線に送られる補給部隊を叩くことができるし、戦況報告の使者を捕らえて情報を遮断することもできる。また、後背から一撃離脱を繰り返せば、南陽軍は前方の虎牢関に戦力を集中させることが難しくなる。
 当然、南陽軍は後背で蠢動する騎兵を叩こうとするだろうが、南陽軍の主力は歩兵であり、少数の騎馬兵を捕捉することは難しい。仮に捕捉されたとしても、騎兵の側は容易に逃げることができる。
 まずいのは洛陽からまとまった数の敵騎兵が出てきた場合だが、徐晃率いる司馬勢であれば、多少の兵力差ならば覆すことは難しくないだろう。西涼軍が姿を消した今、洛陽側に徐晃と伍すような武将がいるとも思えない。


 以上のように、騎兵の機動力を活かした後方撹乱は非常に有効な手段である。
 だが、同時に危険も大きい。上に、尋常でなく、と付け加えてもいいほどに。
 騎兵を用いる利は機動力にあるとはいえ、人も馬も生き物である以上、食事は欠かせないし、休息だって必要となる。大軍に追い回され、疲れ果てたところを狙われれば、機動力を活かすこともできずに鏖殺されてしまうだろう。不利を悟って虎牢関に戻ろうにも、南陽軍が布陣している以上はそれも思うようにはいくまい。
 戦術上の有効性と引き換えに、敵の勢力範囲で孤立し、味方と連絡をとることもままならず、補給もできないという状況に置かれる部隊。


『これを専門用語で捨て駒というわけだが』
『……今、さらっとひどいこと言ったよね、一刀ッ?!』


 脳裏に作戦を説明した際の徐晃のあきれ顔がよみがえる。
 もちろん、あくまで一般論を述べたまでであって、俺には徐晃や司馬勢を捨て駒にするつもりなどまったくない。
 俺がこの危険な役割をあえて司馬勢に命じたのは、今の司馬勢であれば敵の捜索の目をかわし、撹乱という任務を完遂させることができる、と判断したからである。


 俺がそう考えるに至った理由は鄧範の存在にあった。
 鄧範が地図の作成を趣味(?)としており、それが司馬懿の目にとまり、司馬家で引き立てられる契機となったことは以前に記したが、鄧範が今まで作成した地図の中には洛陽周辺の物も含まれていたのである。つまり、鄧範はこのあたりの地理に深く通じているのだ。
 徐晃の武力と、鄧範の知識があれば、南陽軍の追撃をかわすことはさして難しくはないだろう。
 むろん補給や疲労の問題は残ったままなので、いつまでも大丈夫というわけではない。だが、当面の間は――具体的に言うと一週間くらいは――南陽軍の後背をかき乱すことは可能だと俺は判断し、徐晃らも俺の判断を是としてくれたのである。




 ちなみに。
 なぜ河内郡の司馬領にいた鄧範が洛陽の地図を作成していたのかというと、司馬懿の亡父であり、鄧範の旧主でもある司馬防どのは、京兆尹(長安統治の要職)となる以前、洛陽の令を務めていた時期があった。司馬防どのに仕えていた鄧範は、この時、洛陽一帯を丹念に歩いてまわり、精細な地図を作り上げたそうである。
 当然のように、鄧範は長安一帯や、司馬家の本領がある河内郡一帯の地図も作成していた。




◆◆




 そんなわけで、俺は今このときも徐晃らに孤立無援での苦闘を強いているわけだが、その間、俺自身は何をしていたのかといえば、南陽軍の攻勢を退けつつ、後方の汜水関にいる衛茲に援軍を求めていた。
 今回、曹操軍は虎牢関に三千、汜水関に二千の兵を配置している。
 虎牢関と異なり、汜水関はこれを直撃できる敵勢力が存在しないため、もっと早い段階で援軍を要請することも可能だったのだが、俺は今日までそれをしなかった。
 虎牢関を守りきることができなかった場合、汜水関の二千は許昌を守る最後の盾になる。ゆえに、安易に汜水関に援軍を求めることは避けてきたのである。
 だが、事ここにいたれば、もはやその配慮は不要だろう。衛茲には作戦の詳細を伝えてあるので、おそらく援軍を拒否されることはない。むろん、汜水関を空にして来てくれ、などとは言っていない。汜水関の兵は今日までたっぷりと英気を養ってきたはず。千、いや、五百でも十分すぎる――




「……と思っていたら、あにはからんや、いきなり四千の大軍がやってこようとは」
 しかも率いるのがあの鍾会とか、予想外にもほどがあるのですよ。
 いや、もちろんめちゃくちゃ助かるのだが、鍾会はどこからこの兵を持ってきたのか。鍾家の私兵とは考えにくい。十や二十ならともかく、百や千の兵を西にまわすだけの余裕が鍾家にあるはずもないし、仮にあったところで袁紹との決戦を控えた曹操が、そんな兵力移動を許すはずもない。


 しごく当然の俺の疑問に対し、ようやく落ち着きを取り戻したらしい鍾会が、こほんと咳払いしつつ応じた。
「事が後先になってしまったが、君に張太守からの言伝だ。『まさかこうもすばやく洛陽が動くとは思わなかった。読み違えてすまん』と」
「――ああ、なるほど、汜水関の軍勢に加えて、許昌の部隊の一部を割いてくれたのか」
 聞けば鍾会自身の手勢は三十騎ほどで、五百の騎兵と二千五百の歩兵は許昌の、残りの千の歩兵は汜水関の兵士であるということだった。
 俺は許昌に対しては報告のみで援軍の要請はしていなかった。よって、当然ながら許昌の兵力は計算にいれていなかったのだが、この予期せぬ援軍は正直ありがたい。問題はこちらに兵力を送った分、許昌の防備が手薄になっていることなのだが、そちらは張莫に任せるしかないだろう。
 大体、今の俺に他所の心配をしている暇なんてないのである。


「士季どの、軍議の間に案内しよう」
 俺はそういって鍾会を虎牢関の中にいざなった。
 予期せぬ援軍を得たといっても、作戦の骨子は今さら変えようがないし、変える必要もない。だが、この新たな兵力を活かすために確認しなければならないことがいくつもある。
 俺がそう口にすると、鍾会は腕組みしつつ頷いた。
「それはぼくも望むところだ。まあ、おおよそは汜水関の兵を預かる際、衛将軍(衛茲)からうかがったけどね。噂の驍将とやらは小細工がお好きなようだ、などと思ったものだよ」
「なぜか最近よく言われるなあ、それ」
「……さっきからぼくは君に対してずいぶんと失礼な口をきいているんだが、怒るとかしないのかい?」
「それだけ友達を助けるために必死なんだ、と理解している」
 共感を覚えこそすれ、怒る理由などないのである。



「だから、ぼくと仲達は友などではないと何度いえば……ッ!」
「あ、あの! 士季さま、お久しぶりですッ」
 怒りに震える鍾会をなだめようとしてか、ここで司馬孚がはじめて鍾会に声をかけた。
 はじめ、鍾会は司馬孚の顔を見ても眉根を寄せるばかりだった。明らかに司馬孚が誰だかわかっていない様子である。だが、すぐに目を大きく見開き、思わずという感じで声を高めた。
「き、君、もしかして叔達か? どうしたんだ、その髪?!」
「今回の戦いに加わるに先立って切り落としました」
 司馬孚はその理由を説明しようとはしなかったが、鍾会が司馬孚の考えを察するにはそれだけで十分だったようだ。というより、十分だとわかっていたから、司馬孚はくどくど説明しようとしなかったのだろう。


 鍾会は乱暴に頭を掻く。そんな仕草さえ絵になるのは、美少女の特権であろうか。
「……ああ、そうか。そういうことか。まったく、司馬家は愚兄賢弟ならぬ愚姉賢妹だな。となると、下の妹たちは許昌に?」
「はい、陛下のもとに」
「そうか。それを知っていれば、ぼくも張太守に頼んで顔を見せてきたんだが……まあ、それはこの戦いが終わった後でもいいだろう。心配することはないよ、叔達。伯達どのや仲達はどうにもならないが、君や妹たちには咎が行かないように計らってあげるから」
 それは鍾会が口にするには明らかに過ぎた言葉だった。いかに太守の娘とはいえ、朝廷から正式に官位を授かっているわけでもないのだから。
 だが、何故だか鍾会が口にすると、そんな言葉さえ説得力をともなって響く。それはたぶん、鍾会の中でどうすれば望む結果にたどりつけるのか、そこへと至る道筋がはっきりと見えているからなのだろう。内に宿る確固たる自信が、その言葉に明晰な力を与えているのだ。


 ……なんというか、もう明らかに神童とかいうレベルではない。普通に丞相府で働けるのではあるまいか。もちろん高官として。
 俺はそんなことを考えつつ、鍾会を軍議の間に案内すべく歩を進めた。
 ふと足元を見れば、頭上で輝く陽光がひときわ濃い影を作り出している。どうやら今日も暑くなりそうであった。





◆◆◆






 洛陽の周辺にはいくつかの河川が存在する。もっとも知られているのは北方の黄河であろうが、南方にも大きな河が流れている。この河を洛河といった。
 洛陽という都市の名前の由来ともなったこの河は、黄河ほどではないにせよ豊富な水量を誇り、その一方で水流は黄河よりも緩やかで、洛河を源とする支流の数も多い。
 徐晃率いる司馬軍は、今、そういった支流のほとりで、連日の戦いの疲労を癒しているところであった。


 場所は洛陽の南方。東に目を転じても、南陽軍はおろか虎牢関さえ見て取れないところまで司馬軍は踏み込んでいる。ここが敵地の只中であることを考えれば、無謀と言われても仕方の無い行動であろう。
 しかし、周辺一帯の地理に通じる鄧範にとってはしごく合理的な選択であった。
 ここであれば、荀正の偵知に引っかかる恐れはまずないといってよい。
 注意するべきは南陽軍の他の部隊であるが、南陽軍は洛陽の保持を第一と考えているらしく、周辺地域の宣撫はまったくといっていいほど行われていない。そのことを、鄧範らは近辺の村民から教えられていた。
 

 今日まで偵騎の影ひとつ見かけないところからも、南陽軍の注意が城壁の外ではなく、内に向けられていることは明らかである。
 むろん、南陽軍とていつまでも後手にまわってはいないだろう。荀正の部隊から詳細が伝われば、洛陽の部隊も動き出すに違いない。時が経てば経つほどに司馬勢が追いつめられる危険は高くなる――が、鄧範は先の心配はしていなかった。鄧範たちに与えられた任は、七日の間、敵軍の後背を撹乱する、というものであったからだ。
『前半は武力をもって撹乱し、後半は静黙をもって撹乱すべし。しかる後、呼吸をあわせて南陽軍を撃滅せん』
 それが鄧範ら司馬勢が北郷一刀から受けた命令だった。
 最初の三日間は後方で暴れまわり、後の三日間は敵の目を避けて姿を隠すことで南陽軍の不安を煽る。
 その命令を、司馬勢はほぼ完全な形で成し遂げた。七日目――すなわち決戦は明日である。


 当初、後方撹乱は司馬勢の危険が大きすぎるとして北郷は作戦から除いていた。それを実行に移す契機となったのが、地理に通じた鄧範の存在である。
 鄧範にしてみれば、主家のために、と一兵士として参加したはずの戦いで、いつの間にやら主要な役割を担わされ、いまだに何が何やらという感覚を完全には拭えていない。
 だが、こと軍事において、能力を買われ、信任を与えられた経験がなかった鄧範は、自身の中に確かな充足感があることに気がついていた。
 そして、北郷はそのあたりまで見抜いて鄧範に重任を与えた節がある。どうにも北郷にいいように使われている気がして仕方ない鄧範だった。
「……食えない人だ」
 なんとはなしに左右の髪をいじくりながら、鄧範はついそんなことをこぼしてしまう。
 ふと、脳裏に先日北郷と交わした会話がよみがえった。





 
「驍将どの、一つ問うが」
 ぴしっと右手の人差し指を立てた格好で鄧範が問いを向けると、北郷はわずかに首をかしげ、先を促した。
「驍将どのは北郷が姓で、名は一刀だと聞いた。字は持っていないのか?」
「む?」
 予想外の問いだったのだろう。北郷は一瞬、困惑したように言葉を詰まらせたが、別段隠すことでもないと考えたのか、すぐに答えを返してきた。
「ああ、持っていない。俺の郷里では、用いるのは姓と名だけなんだ」
 その返答は、劉家の驍将にまつわる噂の一つが事実に基づくものであることを鄧範に教えた。


 すなわち――
「すると、驍将どのが中華の外から来られた人だというのは事実なのか。その境遇でここまで上り詰めるとは……むう」
「……質問なんだが、なんで俺は士則どのに睨まれているんだろう?」
「心に期するものがある身としては、驍将どのはなかなかに興味深い。率直に言うと、ねたましい」
 見る者が見れば拗ねていると取られかねないふくれっ面で、鄧範はそんなことを口走る。
 北郷は頬をかきつつ、口を開いた。
「ほんとに率直だな。いや、しかし、俺をねたむ必要はないと思うぞ。士則どのはいずれ――」
「オレがいずれ?」
「いずれ……うん、いずれ一国の軍勢を預けられるほどの高位に昇るからな」
「……その根拠を教えてもらいたいものだがな」
「ふ、根拠があればとっくに示しているさ」
 何やら髪をかきあげる仕草をする北郷(雨で髪が濡れていたので何の意味もなかった)を、鄧範は当惑したように見やり――その目がじとっとしたものに変じるまで、さして時間はかからなかった。


「……要するに、先日からやたらとオレを買っているのは、ただの勘ということか?」
 それは確認というよりも、無責任な褒詞に対する糾弾という色合いが強かったが、北郷はいささかも怯んだ様子を見せず、むしろ胸を張って応じた。
「いかにも勘だ。しかし、この手の俺の勘は外れない。例をあげると、無名時代の玄徳さまや雲長どの、張将軍、それに諸葛亮、鳳統、陳到、太史慈といった人たちが、いずれこの乱世で頭角をあらわすであろうことを、俺はその名を知った瞬間から見抜いていたぞ」
 断言する北郷。
 そんなことを言われても、その中の誰とも面識を持っていない鄧範には確認のしようもないのだが、大真面目な北郷の顔を見れば、少なくとも悪意をもって甘言を弄したわけではないことは理解できる。
 大体、北郷には鄧範に媚を売る必要など微塵もないわけで、それらを考え合わせれば、北郷が口にした『いずれこの乱世で頭角をあらわす』人物の中に鄧範が含まれているというのは、北郷にとっては疑いない事実なのだろう。


 かつて、ここまではっきりと鄧範の才能を認めてくれた人は司馬懿以外にいない。
 嬉しくないといえば嘘になってしまう。しかし、素直に礼を言うのも、なんとはなしに腹立たしい。ゆえに、鄧範はぼそりと呟くことしかできなかった。
 食えない人だ、と。




◆◆◆




 虎牢関西 南陽軍本陣


 軍中の動揺、静まらず。
 その報告を受けた荀正は渋面を浮かべた。その内心の懊悩を示すように、眉間には、ここ数日でひときわ深くなった観のあるシワがはっきりと刻まれている。
 だが、それも当然といえば当然のこと。
 後背で蠢動する敵騎兵を捕捉しえず、虎牢関には新たに援軍が到着した気配がある。虎牢関に入ったとおぼしき援軍が、具体的にどれだけの数なのかは定かではないが、曹操軍の士気が目に見えて高まっているのは離れた南陽軍の陣地から見ても瞭然としており、反対に南陽軍の戦意は目だって衰えていくばかり。
 一日ごと、一刻ごとに不利になっていく戦況への不安。その戦況を打開できない指揮官への不満。
 これまでは兵数の上では勝っているという勝算があったが、今となってはそれすら疑わしい。神出鬼没の騎兵部隊に補給路を脅かされ、いつ敵が後背から襲ってくるとも知れない状況が、昼夜を問わずに将兵の心身に負担を強いている。もし今、虎牢関の曹操軍が、新たに到着した援軍を先鋒にして突出してきたら、果たしてこれに勝利しえるのか。南陽軍の各処では、兵士たちが不安げに囁きあっていた。


 荀正は凡将である。
 ゆえに、致命的な失策を犯したわけでもないのに、圧倒的なまでに優位であったはずの戦況がいつの間にここまで崩れてしまったのか、その原因が理解できなかった。
 荀正は凡将である。
 ゆえに、もはや勝算なしと決断するまで要した時間はごく短かった。南陽軍には――否、荀正には、この苦境を覆し、虎牢関を陥とすだけの力量はない。兵たちに勝利を信じさせるほどの信望もない。軍中の動揺が静まらない現状こそが、その証左であった。


「……このまま洛陽に帰還すれば、間違いなく敗戦の責を負わされて太守に首をはねられる。それを避けるために滞陣を続ければ、曹操軍に敗れて首をはねられる。どちらにせよ死が避けられぬのであれば、兵士たちが犠牲にならない方を選ぶべきであろう」
 そう呟く荀正の声は苦く、その顔は青い。死をおそれて取り乱すような無様を晒すつもりはなかったが、粛然と死を受け容れられるほど肝が据わっているわけでもないのである。
 だが、一軍をあずかった者として、最低限の責務は果たさなければならない。兵を捨てて逃げ出す、という選択肢だけは荀正の脳裏に存在しなかった。


 ともあれ、荀正は決断を下した。
 が、すぐに行動に移ろうとはしなかった。曹操軍に退却を気取られれば、全軍をあげて猛追してくるだろう。現在の戦況で追撃を受ければ、軍の秩序を維持することは困難を極める。ゆえに、本格的に動くのは夜になってから、と荀正が考えたのは当然のことであった。
 幸いというべきか、後方で蠢動する敵の騎兵部隊はここ数日いたって大人しい。偵知の網にまったく引っかからないところを見るに、おそらく南の山脈を踏破して東まわりで虎牢関に戻るつもりなのだろう。


 考えをまとめた荀正は、まず主だった武将だけを本陣に集め、夜になり次第、闇にまぎれて洛陽に帰還する、と命令した。荀正は帰還という言葉を用いたが、それが敗北の末の退却であることは明らかであり、武将たちの中には反対を唱える者もいた。
 しかし、責任はすべて自分が負う、という荀正の言葉により、その声はすぐに勢いを失う。反対を唱えた者も、今の南陽軍に虎牢関を陥とす力がないことは承知していたのである。


 こうして、荀正らは極秘裏に退却にとりかかった。
 しかし、密やかはずのその動きを、じっと注視する者たちがいた。兵たちに退却の命令は伝わっていなかったが、指揮官たちが慌しく動いていれば、自然と目はそちらに向けられる。彼らはそんな兵士たちの中に混ざっていたのである。
 そのことに荀正は気づけなかった。まして、彼らが連日のように他の将兵に不安を訴えていた事実など知る由もなく――





 
 曹操軍の夜襲が行われてから、数えて七日目の夜。
 南陽軍は密かに退却を開始する。その陣地には常と同じように篝火が焚かれ、各処に立てた軍旗も残したままで、南陽軍は夜闇にまぎれて退いていく。
 荀正はみずから三千の兵を率いて殿軍を務め、虎牢関の動きに注意を払っていた。今宵は月が出ているので、彼方にそびえたつ虎牢関の偉容を確認することができる。月明かりの下、虎牢関は静まり返っており、曹操軍が追撃に出てくる気配はつゆ感じられなかった。


 どうやら上手くいきそうだ。
 そう考えた荀正が小さく安堵の息を吐こうとした時だった。
 不意に、後方で喊声が湧き上がる。
 荀正の周囲にいる将兵の顔に狼狽が浮かんだ。騒ぎを起こせば、曹操軍に気づかれてしまうと案じたのである。だが、そんなことはただの兵卒であっても承知していること、この状況で南陽軍が喊声をあげるはずはない。


 しばし後、慌しい馬蹄の音と共に、荀正の耳に急報が届けられる。
「申し上げます、敵騎兵部隊の襲撃ですッ! 戦斧の女将軍を先頭に、その数、およそ三百! 先頭部隊は反撃を開始しておりますが、敵騎の勢いすさまじく、侵入を許すのも時間の問題かと!」
 ここ三日あまり、鳴りを潜めていた敵騎兵の襲撃。
 敵がまだ洛陽方面に潜んでいたことも驚きだったが、それ以上に荀正が気になったのは、敵がこちらの陣列に突入してこようとしている事実である。
 これまでのように外周部に打撃を与えては退いていく一撃離脱の戦法ではなく、先ごろの夜襲と同様、こちらの腸に喰らいつくその動きは、明らかに他の部隊との連動を計算にいれている――


 まるで荀正がそれに思い至るのを待っていたかのように、河南の夜空に銅鑼の音が鳴り響く。腹の底まで響き渡るようなその音は、もはや南陽軍にとって葬送の音楽に等しい。
 報告をしていた使者も、銅鑼の音を耳にしてぎょっとした表情を浮かべている。
 銅鑼の音に動揺したのは使者だけではない。本陣周辺もたちまち騒擾に包まれていった。


「曹操軍だ! 出てくるぞッ!」
「槍隊、前へ! 我らは殿軍だ、我らが抜かれれば後方の友軍は全滅するぞ。なんとしてもここで防ぎとめるのだ! 昨日の汚名を返上するは今この時をおいて他になしと知れィッ!」
「で、でも、後ろの騒ぎはなんだよッ?! 後ろからも敵が来てるんじゃねえのか、だとしたら挟み撃ちだ、どのみち全滅しちまうよッ!!」
「わめいてどうする? それこそ敵に殺されるのを待つばかりではないかッ」
「おうよ。死にたくないのなら武器をとれ。案ずるな、敵の数はいまだ我らより少ない。命令どおりに動けば必ずや生き残れる、繰り返す、命令どおりに動けば必ずや生き残れるのだ! 武器をとり、指揮官の声に耳を傾けよッ!!」 
 動揺と混乱が渦を巻き、それを静めるべく指揮官たちが声を張り上げる。聞く限り、将兵は混乱しているようだが、指揮官の制止の声が届かないほど乱れ立っている、というわけではない。


 そのことを確認した荀正は、困惑した様子の使者に声をかけ、正気づかせた。
「そなたは急ぎ先頭の軍に戻り、指揮官に伝えよ。虎牢関の部隊は必ず我らが食い止める。落ち着いて敵騎兵を鏖殺せよ、とな。不意を突かれたとはいえ、敵の騎兵が寡兵であることにかわりはない。周囲を取り囲み、逃げ道を塞いだ上で馬を狙え。機動力の源を奪ってしまえば、騎兵などどうとでも料理できよう」
「は、はい、承知いたしました!」
「復唱せよ」
「『虎牢関の部隊は必ず我らが食い止める。落ち着いて敵騎兵を鏖殺せよ。不意を突かれたとはいえ、敵の騎兵が寡兵であることにかわりはない。周囲を取り囲み、逃げ道を塞いだ上で馬を狙え。機動力の源を奪ってしまえば、騎兵などどうとでも料理できよう』」
 荀正の言葉を繰り返すうちに、使者の目に光が戻ってくる。混乱の渦中にあって見失いかけていた自らの任務を思い出したのだろう。
 それを確認した荀正は、頷いて言った。 
「よし、ゆけ」
「はッ!」




 使者を送り出した荀正は、すぐに手勢をまとめ、間もなく襲来するであろう曹操軍を迎撃すべく馬を進める。
 陣頭に姿を晒しながら、荀正は内心で不思議に思っていた。時を同じくして前後から襲い掛かってきたところを見るに、曹操軍はほぼ完璧にこちらの動きを掴んでいたのだろう。それはわかる。わかるが、一体どうやってこちらの動きを知りえたのか。
 考えられるとすれば、裏切り、内通、そのあたりなのだが……そこまで考え、荀正は苦笑しつつかぶりを振った。
「この期に及んで己が無能を棚に上げ、部下を疑うなど惨めに過ぎるな。勝とうと負けようと、この首と胴が離れるのは避けられぬ。ならばせめて、自ら誇れる死に方をしたいものだ」
 それは荀正なりの覚悟の表明であった。
 誰に語る必要もなく、知ってもらう必要もない、自分自身に向けた言葉。


 虎牢関から突出してきた曹操軍は、大地と夜気を震わせて南陽軍へと殺到してくる。耳朶を打つ敵の喊声や、視界に映る灯火の数を見るに、その数は五千以下ということはない。逆に、一万以上ということもあるまい。
 おそらくは五千から六千、荀正はそう見切った。
「すると、援軍の数は三千から四千、というあたりか」
 この情報は洛陽に知らせる必要があるだろう。だれぞ兵を選んで――と荀正が考えたときだった。


 突如として後方から驚愕の声が沸き起こった。ついさきほどの喊声よりもさらに近い。
 このとき、荀正が落ち着きを保っていたのは、冷静さの賜物というよりは、もう驚きを感じるだけの感受性が残っていなかったからかもしれない。
 はや敵の騎兵がここまで踏み込んできたのか、などと考えつつ、荀正は後方を振り返る。
 そこに騎兵の姿はなかった。あったのは、南陽軍の中軍に置かれていた軍需物資――武具や兵糧が次々に炎に包まれていく光景だった。兵士たちの中には火を消そうと試みる者もいたが、その勇気と献身はほとんど報いられなかった。火は一箇所ではなく、複数の場所で同時に発生した。すぐに水を用意することはできず、土や砂をかけても効果はほとんどない。そうこうしている間にも、火は次々に燃え広がっていく。右往左往する兵士たちに混じって、運搬のための牛馬が炎に追われて逃げ惑い、悲痛な声をあげている。遠からず火は放置されていた幕舎におよび、火勢はいよいよ勢いを増すであろう。


 失火とは考えられない。何者かが、この時を見計らって火をつけてまわったのである。しかも各処で一斉に火が放たれたということは、動いている人員は一人二人ではありえない。
 敵襲。伏兵。裏切り。
 そんな単語が、混乱の渦中から荀正の耳に飛び込んでくる。だが、その真偽を確かめている暇はなかった。
 なぜなら、虎牢関から出撃してきた曹操軍は、すでに互いの顔が確認できる距離まで接近していたからである。


 南陽軍の混乱と狼狽が頂点に達する、その寸前。


「うろたえるなあッ!!」
 荀正の口から、自分自身、驚くほど大音量の叱咤がほとばしった。
 敵の策にしてやられたことは疑いない。だが、呆然としたまま敵に討たれてやる義理はない。
 窮地に追い込まれたことで、かえって荀正は吹っ切れた。討たれるにしても、せめて最後まであがいてやろう、と。
「罠に落ちたのならば、力でこれを食い破るまでのこと。座して敵に首級を授けてなんとする! 剣を抜け、槍を持て! 我らこれより曹操軍に対し、突撃を敢行する! 皆、我に続けィッ!!」


 その突進は、一言でいえば無謀であった。
 あらかじめ何の説明もなく、さらには混乱の渦中にある兵士たちの耳に命令が届いたかも定かではない。仮に届いたとしても、無謀としかいいようのない突撃に従おうとする兵士がどれだけいるのか。
 それは荀正にもわからなかった。あるいは、気がふれたとさえ思われたかもしれない。
 だが、荀正は配下の反応が返ってくるのを待たず、馬の腹を蹴り、槍を扱き、殺到してくる曹操軍に対し、正面から突っ込んでいく。
 その目には、もはや眼前の敵しか映っていなかった。


 そして。
 この主将の勢いに殿軍を務めていた南陽軍は引きずられた。あえて理由を求めるならば「このまま立ち尽くしていては敵に討たれるのを待つばかり」という荀正の言葉に理を認めた、ということになろう。
 だが、相次ぐ凶報と混乱に挟撃されていた南陽兵の中で、そこまで冷静に物事を判断できた兵が何人いただろうか。それを考えれば、無謀であれなんであれ、やはり荀正の怒号と勢いが将兵のためらいを押し流したのだろう。


 曹操軍にしてみれば慮外のことである。
 ほぼ完璧に罠に落としたはずの相手が、向こうから喊声と共に突っ込んできたのだから。
 はじめて。
 虎牢関をめぐる一連の攻防において、はじめて南陽軍は曹操軍の虚を突いた。
 この時、荀正が率いていた殿軍はおよそ三千。対する曹操軍は倍の六千。しかもその主力は鍾会が率いてきた無傷の精鋭である。南陽軍が予期せぬ逆襲を仕掛けてきたとしても、押し包んで討ち取ってしまえば問題はない――はずだった。


 だが、この時、南陽軍は勢いにおいて曹操軍を凌駕する。南陽軍の逆撃で曹操軍の先陣は乱れ、これを立て直そうとするも、南陽軍はその暇を曹操軍に与えない。やぶれかぶれ、自暴自棄、そんな言葉があてはまりそうな猛襲は、曹操軍をして怯ませるほどの迫力を持っていた。
 泥土がはね、怒号がはじけ、敵意が奔騰する。ほとんど一瞬で、戦場は殺意と狂気に覆い尽くされた。
 穂先が剣先が絡み合い、無数とも思える金属音が耳を乱打する。喊声と絶叫、咆哮と悲鳴が交錯し、両軍の兵士は闇夜の中で激しい殺し合いを繰り広げた。


 その先頭を駆ける荀正は、馬上で槍を手にしながら果敢に敵兵と渡り合う。
 行き交った騎兵の肩をすれ違いざまに貫いて落馬させ、槍で突きかかってくる歩兵を叩き伏せて地に這わせ、周囲の将兵を鼓舞するべく声を張り上げながら、前へ前へと突き進む。
 荀正には飛将軍のように他を圧倒する武力はない。だが、荀正もまた一軍をあずかる武人である。まして今の荀正はここが死処と思い定めた、いわば死兵。その武威は凡百の兵士の及ぶところではなく、たとえ陳留の精鋭軍といえど、その突進を阻むのは容易なことではなかった。


 なおも槍を振るい、馬腹を蹴って、曹操軍の奥深くへ切り込んでいく荀正。
 眼前の曹操軍がなだれをうって後退する。それを見た南陽軍から新たな喊声があがった。彼らの将の勇猛が敵を怯ませたのだ、と考えたのだ。その認識は活力を生み、活力は勢いへと変じた。
 将兵一丸となった南陽軍が、さらに曹操軍を追い立てるべく前進しようとする――が、その前進は中途で遮られた。
 横合いから新たな兵馬の一団があらわれ、荀正らの側面を突いたのである。


「がッ?!」
「ぐッ!」
 荀正の周囲にいた兵士が地に倒れ、あるいは膝をつく。
 新たに現れた敵兵の強剛は、明らかにこれまでの相手よりも抜きん出ていた。おそらくは曹操軍の中でも屈指の精鋭部隊なのだろう。それこそ、主将直属であってもおかしくないほどの――


「ぬッ?!」
 夜闇を裂くように突き込まれて来た穂先を、荀正は鞍上で身をのけぞるようにして避ける。
 危ういところで槍を避けた荀正は反射的に反撃を繰り出すが、力無い一撃はあっさりと敵に弾き返されてしまった。
 敵――槍を抱え持った青年は眼光鋭く此方を見据えている。その顔に、荀正はどことなく見覚えがある気がした。
 その名に思い至ったのは、青年の軍装に目を向けた時である。
 夜襲に合わせてのことか、青年は戦袍も甲冑も斗蓬(マント)もすべて黒を基調としていた。だが、地味だの粗末だのといった表現はまったくあてはまらない。地味どころか、篝火を反射して輝くのはおそらく白銀。白銀をふんだんにあしらった装備など、そこらの兵卒がまとえるものではない。
 

 北郷一刀。
 その顔に見覚えがあるのは道理。虎牢関を巡る攻防において、その姿を目にしたのは一度や二度ではない。むろん、こうして至近で顔をあわせ、刃を交えるのは初めてであるが。
 相手の正体に気づいた荀正は、しかし、逸ることも怖じることもなかった
(誰であれ、かまわぬわッ)
 荀正にはここで退くという選択肢は存在しない。
 ゆえに、相手が誰であろうと、実力をもって押し通るのみである。


「殺ッ!」
 馬をあおり、渾身の力を込めて突きかかっていく。
 夜気を裂いた穂先は、まっすぐに北郷の喉元へと伸びていった。




◆◆◆



 右の頬が裂け、血が弾けた。
 繰り出された敵将の槍をかわしそこねたのである。
 お返しとばかりに槍を突き出す。
 狙いは槍を持つ右腕だ。穂先は狙いたがわず相手の右肩を突いたが、甲冑に弾かれてわずかに皮膚を切り裂くにとどまった。
 一瞬、体勢を崩しかけた敵将は、しかし巧みに馬を操って俺に追撃を許さない。
 俺は槍を手元に引き戻し、荒れた呼吸を整えつつ次なる激突に備えた。


 しくじった――そんな言葉が胸中に漂っている。たった今の一連の攻防について、ではない。騎兵として出撃した、その決断を俺は悔いていた。
 徐晃と訓練を重ねていたとはいえ、それは互いに折を見てのこと。一日中訓練ばかりしていたわけではない。そんな状況で一月やそこら過ごしたところで、実戦に耐えうる技量が身につくはずもない。
 だから、出撃するにしても、先日のように歩兵として出た方が戦力になれただろう。
 それを承知しながら、それでも俺が騎兵として出撃したのは、はっきり言ってしまえば騎兵戦闘に慣れるためだった。すべての策が成功すれば、南陽軍はまず間違いなく総崩れになる。おそらくは最初から追撃戦になるだろう。逃げる南陽軍を追うだけの戦いならば、追う俺たちが圧倒的に有利であり、危険も少ない。いずれ騎兵として戦場に出る時は必ず来るのだから、今日の戦でそれを経験しておこう――俺はそんな風に考えたのである。
 一言でいってしまえば、南陽軍を甘くみてしまったのだ。


 ただ、わずかに弁護させてもらえば、実際に南陽軍の後方には徐晃が襲い掛かり、中軍からは火の手があがった。むろん、これは先日来、敵軍に潜伏していた棗祗らの仕業であるが、ともかく俺の策が成功したのは事実である。
 あとは退却する南陽軍を追い討つだけ――となるはずだったのだ。この戦況で、乱れたった南陽軍が敢然と反撃してくるなど、一体誰に予測できようか。それもその場にとどまってこちらの攻撃を受け止めるというのではなく、逆にこちらに向かって突っ込んでこようとは。
 結果、周囲はたちまち敵味方が入り乱れて戦う乱戦の様相を呈し、俺はその真っ只中で慣れぬ騎兵戦闘を強いられることになってしまったのである。


 さっさと馬から下りてしまうという手もあったのだが、最初から歩兵として出撃したならともかく、仮にも主将たる身が、敵と激突したとたん、さっさと下馬してしまえば、それはそれで味方の士気を挫いてしまう。俺の姿が馬上から消えれば、俺が討たれた、あるいは負傷したと思ってしまう兵もいるだろう。
 こうなれば、張莫からもらった甲冑――黒甲に白銀をあしらった一品――を信じ、敵を押し返すしかあるまい。
 そう決意した俺の目に、南陽軍の先頭に立って突っ込んでくる敵将の姿が映し出された。
 鬼気迫る突進、味方の兵士が次々と槍先にかけられていく光景を目の当たりにして、俺は真っ先にこう考えた。
 あれが敵の勢いの源だ、と。
 そして、その考えは必然的に次の結論を導いた。
 すなわち――
 あれを討てば勝てる、と。 


 ……後日、身の程をわきまえなさいと各方面から説教をくらうことになるのだが、この時の俺はごく自然に敵将に対して馬を進めていた。





「シャアッ!!」
「らァッ!」
 雄たけびをあげ、力任せに槍をぶつけ合う。
 互いに馬を御しながらの必死の攻防は、力強くはあっても、美しくはなかっただろう。まして、見る者の魂を奪う華麗な武の競演、などとは口が裂けても言えないに違いない。そういった他者に語り継がれる戦いを披露するには、二人とも明らかに器量が不足していた。
 それでも、どれだけ無様であろうとも、俺と敵将が互いに命を懸けて戦っているのは疑いのない事実。耳朶を焼く槍撃の音は、その一つが一つが相手の命を奪う必殺の意思が込められたものだった。


 少しでも気を抜けば、相手の槍に喉元を貫かれる。
 そんな慣れない馬上戦闘で、俺がまがりなりにも敵将と渡り合っていられるのは、やはり徐晃との訓練のおかげだった。いかに敵が強剛であろうとも、徐晃には及ばない。脳裏に刻まれた鋭鋒を思えば、敵将の猛攻とて十分に対処しうるものだった。
 むろん、だからといって、俺に余裕があるわけではない。なにしろ、敵将は徐晃と違って明確な殺意をもって攻撃を繰り出してきており、その迫力は訓練で味わうことができない類のものだ。おまけに、篝火や、松明の明かりがあるとはいえ、夜闇の影響は確実に攻防に及んでいる。さらには、俺たちは別に一騎打ちをしているわけではなく、周囲で戦う将兵の動きにも注意を払わねばならなかった。いつ、他の南陽兵が俺に斬りかかって来るか知れたものではないのである。


 もっとも、条件は敵も同じ――というより、周囲の戦況は敵将よりも俺に利していた。
 南陽軍の勢いは激しいが、俺の周囲にいるのは陳留勢の中でも特に腕の立つ者たちであり、俺が戦っている間も着実に敵の兵力をそぎ落としている。敵将の槍が俺に届かない理由の一つは、そういった周囲の戦況にもあるだろう。
 もっといえば、南陽軍が逆襲に転じたといっても、それはあくまで殿軍のみ。大半の南陽軍は徐晃の奇襲と、陣中の放火に混乱しており、その混乱は時が経てば経つほどに拡がっていく。
 極端なことをいってしまえば、ここで守勢に徹して敵軍の崩壊を待つという手段も俺たちはとれるのである。


 逆に、南陽軍は現在の戦況を覆すために――あるいは、一人でも多くの兵を安全に退却させるために、ここで少しでも俺たちを叩いておく必要がある。
 南陽軍の激しい逆撃は、それを承知してのことであろう。であれば、これをいなして相手の焦りを誘うという手段もとれるのだが――
 と、その時だった。
 不意に俺の馬が悲痛ないななきをあげて横転した。


「なッ?!」
 驚愕の声をあげる暇もあらばこそ、俺はたちまち馬上から転がり落ちてしまう。この状況で、咄嗟に鞍上から身体を投げ出し、馬体の下敷きになることを避けたのは我ながら上出来であった。
 地面に落ちた衝撃で一瞬息が詰まったが、そんなことは気にしていられない。すばやく立ち上がった俺の視界に映ったのは、首筋に一本の矢が突きささった馬の姿。狙って放たれた矢とも思えないから、おそらくは混戦の流れ矢であろう。
 しかし、のんきにそんな考察をしている場合ではなかった。ここが勝機と見定めた敵将が、馬をあおって猛然と突きかかってきたのである。


「死ねッ!」
 続けざまに繰り出された槍撃の回数は三。
 すでに槍は手元から失われている。腰の剣を抜いている暇はない。
 初撃はかろうじて避けた。しかし、続く次撃は避けきれず、右肘から血が吹き出す。咄嗟に右手を握り締めると、指は問題なく動いたので、神経は無事のようだ。
 三度目に繰り出された敵の槍は、まるで引き寄せられるようにまっすぐに俺の胸――心臓めがけて伸びてきた。敵の穂先が胸甲に届く。
 敵将の目に勝利を確信する光が浮かび上がるのを、俺ははっきりと目にしたように思った。


 ――しかし。
「咄ッ」
 敵将の口から、思わず、という感じで舌打ちがこぼれる。敵将の槍は甲冑を貫くには至らなかったのだ。攻撃が浅かったわけではない。その証拠に、俺は息が詰まるほどの衝撃を受けている。それでも、俺が着ている黒甲は敵将の穂先を完璧に防ぎとめていた。


『黒と銀は夜天をあらわす。武運を祈るぞ、北郷』


 そんな言葉と装備一式を残して虎牢関を去った人物の顔が脳裏に思い浮かぶ。
 なんだかまた一つ借りが出来てしまった気がするが、このさい感謝は後回し。
 必殺を期した一撃を防がれた敵将が体勢を立て直す前に、俺はすばやく腰の剣を抜き放った。
 そうして俺が斬りつけたのは、馬上の敵将ではなく、地上を駆ける馬の方。馬を狙うのは正直嫌だったが、あいにく今の俺にはその綺麗ごとを貫くだけの力量がない。


 右の前脚を半ば叩き折られた馬は、悲痛な叫びと共に地面に崩れ落ちる。当然、鞍上の敵将も、つい先ほどの俺と同様に地面へと転がり落ちた。
 その瞬間、俺の耳に表現しがたい異音が響く。
 俺はそれが何の音かわからず、また音の正体を探っている暇もなかった。敵将が体勢を整えるまえにとどめを刺さねば。そう考え、俺は倒れた敵将に向かって剣を突きおろそうとしたのだが――
 寸前。敵将の首がごろりと傾き、白目をむいた顔があらわになる。一瞬の間をおいて、その鼻と口から赤い色の液体がこぼれおちていく。
 絶命していた。おそらく、地面に転落した際に頸骨が砕けたのだろう。


 呆気ない幕切れは、喜びよりも困惑を俺にもたらした。耳に轟く自軍の喊声も、敵軍の悲痛な声もどこか遠い。
 俺は半ば呆然としながら、互いに名乗りもせずにぶつかり合った敵将の死屍を見つめていた。






◆◆◆





 同時刻


 司州河内郡 孟津


 洛陽の北を流れる黄河、孟津はその北岸に位置する砦である。『津』とは渡船場を意味する言葉であり、白馬津や延津と同様、孟津もまた勢いの激しいことで知られる黄河の渡河点の一つである。
 かつては河北と都を結ぶ中継地として賑わっていた孟津であるが、洛陽が都市としての機能を喪失したことに伴い、その賑わいも過去のものとなった。
 砦そのものは廃棄されなかったものの、守備兵は往時の十分の一にも届かない。弘農王が洛陽で蜂起したことで、多少の兵の補充は為されたが、洛陽勢が黄河を渡る可能性は皆無に等しい。よって、対岸を見張る守備兵の目に緊張の色はなく、今日も今日とて彼らの目に映るのは奔騰する黄河の流ればかりであった。


「……水かさがどんどん増えてるな。いつ黄河が氾濫するのか、洛陽の敵兵よりもそっちの方がよっぽど恐ろしいや」
「そうだな。この季節、いつ氾濫が起きても不思議じゃない。堤防の方は大丈夫か?」
「当番の連中が泥まみれになって文句言っていたぞ。どうせ一度氾濫が起こったら、こんなちんけな堤防、何の役にも立たねえのにってな。見張りは楽でいいなあ、なんて嫌味まで言われちまったよ」
「楽であるのは否定できないな」
「賭けで見張り役を勝ち取った俺たちは、まさに勝ち組」
「違いない」
 そういって見張りの兵士たちは笑みを交し合った。


 洛陽の反乱軍が黄河まで押し寄せてくるはずはなく、万に一つ押し寄せてきたとしても、巨石すら押し流してしまいそうな今の黄河の流れを越えられるはずもない――その彼らの考えは間違ってはいなかった。事実、この時、対岸に敵の姿はなかったのだから。
 ただし、敵はいた。
 対岸――南ではなく、北の方角に。
 刻一刻と孟津に向けて接近する『袁』の軍旗の存在に、この場の見張りはもちろん、孟津の守備兵は誰ひとりとして気づいていなかった……




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