虎牢関西 南陽軍本陣 ひとたび曹操軍の夜襲を退けた荀正であったが、多事多端な夜はいまだ終わってはいなかった。 曹操軍が虎牢関に退却してから、およそ四半刻後。南陽軍の将兵の耳に、再び銅鑼の音が響き渡る。 虎牢関の防壁の上には、先刻と同じように篝火が赤々と焚かれ、腹の底に響く音と共に開かれた城門から曹操軍が姿を現した。それはまるで、先ほどの襲撃を鏡に映したかのようで、南陽軍にこれ以上ないほど明確に再襲の事実を伝えていた。 これに対し、南陽軍は荀正の指揮の下、すばやく応戦の態勢を整える。先ほどの夜襲からさほど時が経ったわけではなく、荀正は敵軍に対する警戒を解いてはいなかったのだ。 後方に敵がいないことが明らかになったことで、南陽軍はすべての戦力を前方に集中できる状態にある。曹操軍が先ほどの夜襲に味を占めたのならば勿怪の幸い、今度こそ出撃してきた曹操軍を鏖殺してくれよう――そう考えて待ち構える南陽軍の陣列は、先ほどと違ってわずかばかりの乱れもなかった。 そして、それは攻め寄せる曹操軍の側からも見ても明白だったのだろう。城門から突出してきた曹操軍は、早くも勝算なしと見極めたのか、南陽軍と激突するよりも前に矛を引き、慌しく退却してしまう。 南陽軍にしてみれば、夜襲のために打って出た相手が、攻めかかる前に退却するとは予想だにしていなかった。正面から敵の攻撃を受け止めつつ、一部隊を割いて敵の後背を塞ぐつもりだった荀正は、この曹操軍の動きに即応できずに追撃の機を逃してしまう。誘いの隙ではないか、という疑いも拭えなかった。 他方、一般の将兵はそこまで考えが及ばない。ただ敵軍の動きに拍子抜けしたことは事実であり、同時に曹操軍の醜態を目の当たりにしたことで、軽侮の笑いがどこからともなく沸き起こる。その声はたちまち全軍に波及していった。 南陽軍の嘲笑を聞いて意地になったわけでもあるまいが、曹操軍はその後も思い出したように銅鑼を打ち鳴らしたり、鬨の声をあげるなどして出撃の気配を示してみせた。だが、それらはことごとく虚勢であり、実際に曹操軍が出撃してきたのは初めの二度だけで、それ以後は城門を開くことさえしなかった。防壁上の篝火を焚くこともなくなったのは、そのために必要な油を惜しんだからであろう。 曹操軍の悪あがき。 この一連の行動を、南陽軍の将兵はそう受け取った。虎牢関から銅鑼や鬨の声が響く都度、南陽軍の陣営では、ある者は敵軍を嘲り、ある者はあくびをし、またある者は悪あがきを繰り返す敵軍の見苦しさに舌打ちを禁じえなかった。 この時点で、銅鑼の音を聞いて警戒の念を抱く兵は稀になっており、それは兵たちを指揮する武将たちさえ例外ではなかった。 そんな余裕とも油断ともつかぬ有様を危惧したのは、南陽軍を統べる荀正その人である。 荀正にしても、敵が本気で打って出てくることはないだろう、と考えている。だが、それはあくまで南陽軍が警戒を緩めずにいればの話。こちらが油断をすれば、曹操軍はそれに乗じて本気で攻めかかってくるかもしれない。未練げに繰り返される敵軍の行動をただの悪あがきと受け止め、相手を侮る空気が蔓延するのは好ましいことではない。 あるいは、それこそが敵の狙いかもしれないのだから。 そう考えた荀正は、自軍の油断を戒め、敵軍の警戒を厳にするため、度々陣営の各処に伝令を走らせた。 これに対して将兵の間から不満の声があがったのは、何も荀正の命令を臆病者のそれと考えたからではない。 いつ終わるともしれない敵の挑発に応じて厳重な警戒を続ければ、南陽軍はろくに休むことも出来ずに夜明けを迎えることになる。そうなれば、明日の戦闘にも少なからぬ影響が出てしまうだろう。 全軍で夜通し警戒を続け、朝になったら予定どおり総攻撃などという無茶な命令に従っていれば、命がいくつあっても足りるものではない。今日までの戦いで疲労が溜まっているのは曹操軍だけではないのだ。むしろ虎牢関で就寝できる曹操軍よりも、野天での宿営を余儀なくされてきた南陽軍の方が、疲労はより色濃いのである。 南陽軍の幕僚からは、時間を繰り上げて総攻撃を開始するべきではないか、との意見も出された。 しかし、これには荀正が首を横に振る。南陽軍は夜間に本格的な城攻めを行う準備はしていないし、作戦も考えていない。曹操軍が城門を開けた隙に乗じられれば問題ないのだが、三度目以降、曹操軍は城門を開けることなく、ただ銅鑼だけを打ち鳴らしているため、それも不可能だった。 今、こちらから攻め寄せても、敵の矢石の好餌となるばかりであろう。 いっそ一度虎牢関から大きく距離をとり、明朝、改めて押し寄せるべきではないか。それが荀正の考えだったが、それはそれで敵の小細工にしてやられた観は否めない。 現在、南陽軍の将兵は曹操軍に対して心理上の優越に浸っている。この状況で軍を退けば、それが退却ではなく、ただの後退だとしても、将兵の士気に悪い影響が出るのは避けられないだろう。 ただでさえ、将兵の間には先刻の荀正の指揮に対する不満がある。ここで更なる不満を抱かせてしまえば、明日以降の戦闘にも支障が出てきてしまう。それを李儒直属の軍監が見逃すはずはなく、荀正に待っているのは更迭か、粛清か、いずれにせよろくでもない未来だけであろう。 そんな事態を避けるためにも、ここで後退することはできない。荀正は自らの考えを捨てざるをえなかった。 攻めることはできず、退くこともできず、かといってこのまま何の手も打たなければ、それはそれで将兵の不満は膨れ上がるばかり。「さて、どうしたものか」 荀正の声には迷いがある。 迷いは戸惑いと言い換えることもできた。戦いそのものに関してはかわらず優位を保っているというのに、時間を追うごとに採れる選択肢が少なくなっていくことに対する戸惑いである。 その齟齬をもたらすものが何なのか、それがはっきりとわからないゆえに戸惑いは消えず、迷いは深まり、ただ時間だけが流れていく。 夜明けまで、あと二刻もない。おそらく曹操軍は夜が明けるまで、この行動を続けるつもりだろう。それに対して南陽軍はどう動くべきか。考えを定めかねた荀正の耳に、数えれば十度目となる銅鑼の音が、どこか虚ろに響き渡るのだった。 ◆◆◆ 虎牢関内部 間もなく東の空が白み始める時刻、打ち鳴らされた銅鑼の回数はすでに十二に達している。 俺はこめかみを揉み解しながら、しみじみと嘆息した。「むう、何事もやってみなければわからないものだな。まさかこの作戦にこんな落とし穴があろうとは」 すると、傍らにいた亜麻色の髪の少女――徐晃が小さく首をかしげた。「……落とし穴、かな? 遠くの敵陣に届くように何度も何度も銅鑼を鳴らしていたら、その近くにいる自分たちが、相手以上にその音に悩まされるのは当たり前だと思うんだけど……」「返す言葉もない。生兵法は怪我の元だな」 その声に応じたのは、徐晃ではなく、別の人物だった。「違う。こういうのは生兵法ではなく、ただの小細工というんだ」 そちらをみれば、こちらは灰褐色の髪の少女が苛立つ馬をなだめつつ、俺に半眼を向けている。鄧範、字を士則。今回の作戦において、非常に重要な役割を担う少女である。どのくらい重要かというと、鄧範なくして今回の作戦の成功はありえないだろう、というくらいに重要だった。 鄧範の一言は説得力に富み、語気も鋭かったが、しかし、表情自体はさして険悪なものではない。その証拠というべきか、鄧範はこう続けた。「まあ、数に勝る相手に何の策もなしに突っ込むよりはずっとマシだが」 すると徐晃が、同感だ、というようにうなずいた。「うん、それはそのとおりだと思う」 だが、徐晃の言葉はそれだけでは終わらなかった。 でも、と恨みがましい目で俺を見やりつつ、なおも続ける。その声にそこはかとない棘を感じたのは、たぶん俺の気のせいではないだろう。「一刀が直接、敵と戦う必要があったかどうかは疑わしいと思うんだ」 その疑問に対し、俺は胸を張って言い返す。「必要か否かを言えば必要だった。虎牢関の奥でふんぞり返って指揮を執れるような実績はないからな。どこかで示さなければいけなかったんだ、将としての実を」 自信をもって口にした言葉に、鄧範がぼそりと応じる。「一軍の将が自ら剣をとって敵に挑みかかる。驍将どの、それは勇は勇でも匹夫の勇だと思うぞ。将としての実を示すどころか、逆効果だろう」「……」 こほん、と咳払いを一つしてから、俺は改めてこれからの作戦について思うところを述べることにした。「さて、いよいよ待機から行動に移るときがやってきた。ここからの行動は、その一つが一つが作戦の成否に直結する。皆の者、心してかかるように」 あさっての方角を向き、誰にともなく話しかける俺を尻目に、何やらひそひそと語り合う少女ふたり。「……いっそ清々しいくらい露骨に話をそらしたね、一刀」「驍将どのも自覚はあるのだろう。ないよりはマシ、と言いたいところだが、自覚がある分、余計に始末が悪いとも言える」「こっそり私たちについてきたりはしないよね?」「さすがにそこまで愚かではないだろう。というより、それが出来ない我が身の不甲斐なさに耐えかねて、先の出撃を行ったのではないか?」「ああ、それはありそうだね。というより、きっとそうだ。気にすることないのに」「驍将どのは気にしてしまうのだろうさ。それが良いことか悪いことかはさておき、採るべき方法は明らかに間違えているな」「こういう人が指揮権を握っちゃうと、その下にいる部下は大変だよね。今の私たちみたいに」「全面的に同意する。あまり叔達さまに心配をかけないでほしいものだ」「……そこのふたり。聞こえよがしにひそひそ話するのをやめなさい。というか君ら、いつの間にそんなに親しくなったんだ?」「共通の話題があると話が弾むんだよ」「厄介な上役について、とかな」「……さいですか」 俺は深々とため息を吐く。いや、徐晃も鄧範もこの作戦の要だからして、この二人が意気投合してくれたのなら、それは俺にとっても喜ばしいこと――なのだが、素直に喜べないのは俺の心が狭いからだろうか。 と、そんなことを考えていると、不意に横合いから声がかけられた。 今度のそれは少女たちのものではなく壮年の男性のものである。「北郷どの、こちらは準備は整ったぞ。いつでもいけるゆえ、指示を頼む――む? どうした、これから大一番という時に覇気のない顔をして。腹が空いたのならば餅(ビン)を食べるのだ。陳留の麦でつくった餅は旨いぞ」 そういって近づいてきた男性の名を棗祗(そうし)という。陳留太守張莫の配下であり、俺が虎牢関の主将に任じられてからは、陣地の設営、防戦の指揮等、様々な面で働いてもらっている。陳留では賊徒の討伐や、民屯(流民に田地を与えて耕作させること)の実施など、政軍両面において実績を挙げており、汜水関の衛茲と並んで張莫の左右の将といってよい。 虎牢関では実質的に俺の副将扱いなのだが、ここまでの説明でもわかるように、本来であれば、俺ではなくこの人が虎牢関の指揮を執るべきなのである。それがどういう経緯だか知らないが、いきなり俺が指揮権を握ることになってしまったわけで、棗祗としてはさぞ面白くないことだろう――と俺は思っていたのだが、棗祗はたいして気にかける様子もなく、俺の指示に忠実に従ってくれた。『たしかに北郷どのが指揮官になったことには驚いたが、丞相閣下や張太守が戯れで人事を定めるはずもなし、それ相応の理由があるのだろう。まして敵が攻め寄せてきた今、味方同士で諍いを起こすなど百害あって一利なしというもの。その程度のことがわからぬほど、わしは愚かではないぞ』 棗祗が笑いながらそう言ったのは、虎牢関をめぐる攻防が始まって間もなくのことだった。 棗祗は美男というわけではないのだが、温顔というか、他者に信頼の念を抱かせる穏やかな顔つきをしている。涼しげな目元、というやつである。為人は快活で、よく笑い、また他者の話を聞く時は、それが目下の者であっても真剣に耳を傾けてくれるため、配下や領民の信望も厚いという。その評を聞いたときは、俺もなるほどと頷いたものだった。 甲冑をまとって戦場に立てば凛然と威を示し、官服をまとって内務を司れば粛然と事を処す。俺は棗祗をそんな人物だと考えているし、それは事実でもある。 だが、今の棗祗を見て、俺と同じ印象を抱く人は少ないだろう。 なにせ髪は乱れ、顔は汚れ、身にまとう甲冑は血と泥で染まっているという有様だから。向こうから声をかけてくれなければ、おそらく棗祗だとは気づけなかったことだろう。 これは先刻の戦いとはかかわり無い。先ほどの出撃時、棗祗は俺にかわって虎牢関内の指揮を執っていたから、ここまで汚れる理由がない。なにより、今棗祗が来ている甲冑は、過日、城外で南陽軍とぶつかった際に討ち取った南陽兵から剥ぎ取ってきたものだったりする。 そういった諸々のことに思いを及ばせつつ、俺は棗祗に応じる。「食事はきちんととっているので大丈夫ですよ、棗将軍。将軍たちこそ、しっかりと腹に物をいれておいてくださいね。しばらく戻って来られないのですから」「うむ、任せてくれい。役目、しっかと果たしてみせよう」「正直、棗将軍が務めるような任ではないので、申し訳なく思いますが……」「はっはっは、気にするな。わしが出なければ、北郷どのが出るつもりであったろう? すると必然的に虎牢関に残るのはわし一人。『後は任せた』などと言って面倒事を丸投げされかねんからな」 そのつもりだったのだろう、と言いたげに棗祗はにやりと笑う。なんとはなしに張莫を思い起こさせる笑い方だった。妙なところで君臣のつながりの深さを垣間見た気がする。 内容の正否についてはノーコメントとさせていただこう――「しっかり見抜かれてるね、一刀」「見透かされているな、驍将どの」「そこの二人、うるさい」 その後、最後の確認を終えた俺たちは、互いの幸運を祈り、それぞれの部署に就く。 防壁の上の兵士たちに合図を送ると、ほぼ同時に十三度目の――最後の銅鑼の音が虎牢関に轟いた。◆◆◆ 虎牢関西 南陽軍陣地 銅鑼の音が響いてきたとき、それが何度目のことなのかを正確に覚えている南陽兵はほとんどいなかった。 彼らは、またか、と言いたげに虎牢関の方角を見据えるが、案の定というべきか、敵軍が打って出てくる気配はない。「よくやるな、連中も」「まったくだ。これで十三回目だぞ」「……数えてたのか、お前」「他にすることもなかったからな」 歩哨の兵士たちが低声でそんなことを語り合っていると、後方から叱責の声が飛んで来た。「そこ、無駄口を叩くな! 警戒を厳にせよとの命令を忘れたか!」『は、申し訳ありませんッ』 指揮官の叱声に兵士たちは肩を縮める。彼ら以外にも、同様の仕草をする者がそこかしこで見て取れたのは、緊張感を欠いている兵が一人二人ではないことの証左であったろう。 だから、というべきだろうか。 異変のさきがけたる『その音』に気づいたのは、ごく一握りの兵のみであった。 雨音を裂いて耳朶を震わせるその音は、四つの脚が地面を蹴りつける音。ただし、人のそれではない。その音は人の足が地面を蹴るよりも、はるかに強く、激しく、猛々しく――なにより、人の足では、雨でぬかるんだ地面を飛ぶように駆けることなど出来はしない。「――行くよ、飛雪」「……え?」 歩哨の一人が呆けたような声をあげる。 今の今まで、その歩哨の前には夜闇がわだかまるばかりで、目に映る物といえば、雨滴と、雨滴を弾く地面だけであったというのに。 今、彼の前には自身の倍ほどもある人影が、巨大な戦斧を振り上げていた。 むろん、『自身の倍ほどもある』と感じたのは歩哨の錯覚。その人影は馬に跨り、戦斧を振り上げていたに過ぎない。だが、馬蹄の音を知覚していなかった兵士にとって、目の前の存在は夜闇の中からあらわれた悪鬼に等しかった。「ひ――?!」 かすれるような悲鳴は、わずかに空気を震わせただけで宙に溶ける。 熟れた果実を叩き割るにも似た音と共に、歩哨の頭部は撃砕された。血と脳漿を撒き散らして兵士が地面に倒れ込んだ時、それをなした少女は、すでに南陽軍の陣列の只中に躍りこんでいた。「殺(シャア)!」 戦意を奮い立たせる裂帛の気合と共に、縦横無尽に振るわれる巨大な戦斧。 常であれば耳に快く響くであろう少女の声も、闇と殺意にまみれれば怖気をふるう凶声へと変じてしまう。暗夜に少女の声が響きわたる都度、南陽軍の将兵は確実にその数を減らしていった。 戦斧は刃の部分はもちろんのこと、重さそのものが武器になる。たとえたくみに刃を避けたとしても、勢いに乗った斧頭で身体を殴打されれば甲冑越しであっても無傷ではすまぬ。まして頭蓋や肩腕に直接打撃を受ければ、骨など簡単に砕けてしまう。 その重量を自在に操るためには人並み外れた膂力を必要とするし、戦斧の扱いには相応の熟練を要するが、南陽軍にとっては不幸なことに、この少女――徐公明はそれらを二つながら備えていた。それも、容易に他者の追随を許さぬレベルで。 奇妙な話だが、このとき、徐晃の周囲にいた南陽兵の多くは、眼前の脅威と曹操軍を結びつけてはいなかった。敵襲の声がすぐにあがらなかったのはこのためである。 その理由を挙げれば、油断していたからであり、自失していたからであろう。それは咎められるべきことである。 だが、闇夜の中から躍り出て、縦横無尽に戦斧を振るい、一撃ごと、一打ごとに南陽兵を屠っていく徐晃の姿はそれこそ悪鬼としか見えず、時に複数の兵士を一閃で宙空に弾き飛ばす姿を見て、一般の兵が茫然自失してしまうのは、ある意味で仕方のないことであったろう。 むろん、南陽軍とて黙ってやられるばかりではない。ある程度の時間があれば平静を取り戻し、この敵を押し包んで討ち取ることも出来たかもしれない。否、きっと出来ただろう。 しかし、徐晃は南陽軍が立ち直る時間など与えなかった。 地面を揺るがすよう疾駆する馬蹄の音に、今度は南陽軍も気がついた。気がついたが、しかし、徐晃によって切り散らされた陣列をすぐに立て直すことは不可能であり、虎牢関から出撃した三百の騎兵の突入を許してしまう。「押し通るッ、続け!」 徐晃の命令に従い、騎兵部隊は敵陣の奥へ奥へと突き進む。 混乱はたちまちのうちに本陣にまで波及していった。 南陽軍本陣。 報告を受けた荀正は、思わず声を高めてしまう。「騎兵、だと?!」「はッ! 『司馬』の軍旗を掲げた騎兵の一団が前衛を強襲! 前衛の将兵は奮戦するも、敵将の驍勇おそるべきものがあり、果たせず突破を許したとのことです。敵騎兵部隊はそのまま直進、すでに後方の第二陣と激突したものと思われますッ! 二陣が破られれば、この本陣まで寄せてくるやも知れませぬ。ただちに対策を!」「なんだと……?!」 荀正が驚いたのには理由がある。 曹操軍に司馬家の軍が加わっていることは荀正も承知していた。これは樊稠ら弘農勢がもたらした情報である。しかし、それは虎牢関の主将がかわる以前の情報であり、敵の指揮官が北郷一刀になってから、曹操軍がどのように兵を分けたのかは判然としていなかった。 荀正が虎牢関に攻撃を開始してから今日まで、敵が騎兵を用いたことはなく、『司馬』の軍旗を見かけたこともない。おそらくは張莫と共に許昌に帰ったのであろう、と荀正は考えていた。 ところが、今この時、この戦況で司馬軍が姿を現した。この事実は荀正にとって背筋に寒気を覚えるほどの衝撃を与えたのである。 荀正の驚きは騎兵それ自体にはなく、北郷が騎兵を温存していた――その一事に集約される。攻城ないし守城の戦において、騎兵は有用とは言いがたいが、それでも城外で矛を交えた際に司馬軍を用いることは出来たはずだし、そもそも馬から下りれば騎兵は歩兵として動かせる。つまり、北郷は司馬軍を用いることができなかったわけではなく、あえて用いなかったのは明らかだ。 敵より劣る兵力で虎牢関を守ることを強いられながら、なおも司馬軍を温存していたという事実から、北郷がかなり初期の段階で明確に今日の戦況を予測していたことが窺える。 そのことが何を意味するのか。 荀正はそれに考えを及ばせながら、配下に命じた。「すぐに全部隊に警戒を指示せよ。騎兵の数は三百ほどだと言ったな?」「はッ!」「どれほどの精鋭であろうとも、その程度の数ならば防備を固めれば十分に対処できる。敵は遠からず息切れしよう。さすれば、これを討つはたやすいことだ。伝令は、この事実をあわせて各部隊に伝えるのだ。そなたは前線に戻り、陣形を崩すなと伝え――」 荀正が命令を下す寸前、前方、虎牢関の方角から一際高い喊声が聞こえてきた。 敵騎兵の前衛突破にともない、すでに南陽軍の各処では指揮官の命令や、それに応じる兵士たちの声、さらには移動の際に武具が立てる音などが交じり合って、周囲は喧騒に満ちていたが、そういった騒音をまとめて蹴り飛ばすような力強い喊声だった。「何事か?!」 その荀正の問いに応じることができる兵は本陣には存在しなかった。 しかし、実のところ、荀正は問うまでもなく答えがわかっていた。 今日まで温存してきた司馬軍をここで出してきたということは、敵将にとって今が勝負の際である、ということ。 荀正はさきほど配下にこう言った。三百程度の騎兵では南陽軍は崩れない。遠からず敵は息切れするので、その後これを討ち取ればよい、と。 だが、そんなことは敵将とて承知していよう。 思えば、先ごろからの曹操軍の行動は、そのことごとくがこちらに油断ないし慢心を強いるためのものだった。 敵軍に油断を強い、温存してきた精鋭でもって敵の前衛を食い破り、腸に喰らいつく。ここまで戦況が進めば、次の一手など考えるまでもない――!「申し上げますッ、虎牢関の曹操軍が出撃してまいりました! その数、およそ二千五百、陣頭には敵将北郷一刀の姿があります!!」 それは事実上、現在の曹操軍の全力出撃。 南陽軍はいまだ敵軍の五倍以上の兵力を有しているが、敵騎兵が前衛と主力の間で暴れている今、荀正は十全な指揮が執れない。そして、指揮官の命令がなければ、数の利も意味をなさない。 南陽軍としては一刻も早く浸透してきた敵騎兵を殲滅しなければならないのだが、この騎兵は剛強であり、疲労の色もない。殲滅するどころか、逆に南陽軍の方が後陣を食い破られかねない有様である。また、南陽軍の中にはいまだ戦況が掴めず、先刻来の弛緩した空気に浸っている部隊さえあった。 明確な報告があったわけではなかったが、後陣の混乱は前衛の将兵にも伝わっていた。こんな状況では正面の敵に専心していられない。いつ、敵騎兵が後背から襲い掛かってくるか知れたものではないのだ。前衛、後方を問わず、南陽軍の混乱は留まるところを知らなかった。 一方の曹操軍はどうであったか。 虎牢関を守るのはわずかな兵と傷病兵のみ。今、虎牢関を直撃されれば苦戦は免れないだろう。しかし、南陽軍にそんな余裕がないことは火を見るより明らかであり、ゆえに後顧の憂いは存在しなかった。 陣頭に立つ北郷一刀は、先刻とは異なり、はっきりと主将たるにふさわしい絢爛な甲冑(陳留製、張莫贈与品)を身に着けている。今日まで防戦の指揮を執る際に身に着けていた物と同じ代物であり、周囲にはこれを取り囲むように松明を持った兵士が並んでいた。むろん、それは否応なくその姿を際立たせ、北郷ここにありと敵味方に知らしめるためである。 この時、北郷はことさら将兵に声をかけることはなかった。 今が勝負の際。 ここが勝敗の分水嶺。 そんなことは、すでに一兵卒にいたるまで承知している。ゆえに北郷が行ったのは、その右手を高々と振り上げ、振り下ろす――ただそれだけであった。 そして、それだけで十分であった。◆◆◆ 同時刻 許昌 丞相府 本来の主が袁紹軍と対峙するために黄河河畔に出向いた丞相府では、留守居として残った張莫が主に公務を執り行っていた。 その公務の中には急使の対応も含まれる。 未だ陽も昇らない時刻。馬を駆って城門を潜った人物と相対した張莫は、興味深く相手に観察の視線を走らせる。眠気があったとしても、それはこの人物と向き合った時点で消滅していた。「張太守にはお初にお目にかかります。東郡太守鍾遙が末子、姓は鍾、名は会、字は士季と申します」「陳留太守、張孟卓だ。おぬしの名は常々耳にしていた。今は危急の時ではあるが、こうして相会えたことを嬉しく思うぞ、鍾士季」 張莫が口にしたのは世辞ではない。 齢十四にして、上は天文に通じ、下は地理民情をよくさとり、六韜をそらんじ、三略を胸にたたみ、その才は神算に至り、その智は鬼謀に達す――との世評を得た人物こそが、この鍾会なのである。 剣、弓、馬、書写、兵書、およそ文武に通ぜざるものはない、とまで言われたこの少女を、世人はこう呼んだ。 すなわち、鍾家の神童、と。