曹純字を子和。曹仁の実弟。幼い頃から曹操の父である曹嵩から目をかけられ、曹徳(曹操の弟)の腹心となるべく教育を受けてきた。徐州の乱において曹嵩らが討たれて後は曹操に仕え、曹操軍の最精鋭である虎豹騎を任される。曹嵩、曹徳らが亡くなったため、現在の曹一族の中では唯一の男性である――のだが、兵たちから『戦姫』と(密かに)呼ばれていることからもわかるように、男としては秀麗に過ぎる容姿のせいで、度々女性と間違えられる。本人、ひそかにこのことを気にしており、男らしく見えるように振る舞いや言葉遣いを粗野にしたりと四苦八苦しているのだが、総じて効果は出ていない。それどころか、そうした行動はふとした拍子に出てくる生来の優しげな仕草をより引き立ててしまっている観がある。「その落差がたまらない」とは虎豹騎一同の弁である。徐州の乱において北郷と出会い、北郷が許昌に来てからは貴重な同性の友人として互いに親交を深めている。張紘字を子綱。真名を花冠。女性、しかもわずか十五で県令に任じられた英才。しかして外見はといえば、ほぼ確実に実年齢より三つは下に見られる幼顔であり、本人も結構気にしている。当人に官界で栄達する意思はなかったが、張紘の噂を聞きつけた陶謙みずからの招請を断りきれずに東城県に赴任する。その施政は、若年の県令に不安を抱いていた人々の危惧を一掃するもので、袁術軍の淮南侵攻においても魯粛と共に果敢に抵抗し、見事に仲の軍勢から東城県を守りぬいた。高家堰砦の戦いの後、民衆を広陵に逃がすと、淮南を仲の支配から解き放つために活動を開始する。将来の夢は素敵なお嫁さんになること。魯粛字を子敬。真名を長恭。女性。名家に生まれながら、その破天荒な思考と行動で人々に忌まれた魯家の狂児。しかし、ひとたび仲の侵略に遭うや、張紘と共に東城県を守りきり、さらに高家堰砦の戦いにおいて仲を退ける一翼をも担った智勇兼備の人である。高家堰砦の戦いが終わったその日から仲の淮南支配を覆すために策動を始めており、密かに太史慈や廖化を匿うなど幾つもの手を打っている。武勇に優れ、智略に秀で、戦闘時に鉄の面で顔を覆う。その真名からもわかるように、元になった人物はまんま蘭陵王高長恭である――ただし性格は除く。廖化字を元険。男性。言動は粗野だが、磊落な為人で、人情にも厚い。劉家軍の一員として高家堰砦における一連の戦いに参加。それまでは英傑がずらりと居並ぶ武将たちの陰に隠れる形となっていたが、高家堰において北郷の副将として力量を発揮、堅実な判断力と統率力で劉家軍の抗戦を支える要因となる。戦の終盤、重傷を負った太史慈を逃がすため、北郷に命じられて単騎仲軍を突破。血路をひらいて逃げ延びた。特技『血路』習得。楊奉白波賊の副頭目。元は朝廷に仕える文官であったが、その美貌から匈奴の単于に望まれ、彼の地にとり残される。匈奴が内乱によって分裂した後、漢土に舞い戻り、韓暹に近づいて白波賊の実権を奪取。白波賊、塩賊、さらに匈奴との繋がりをもって并州における動乱を主導し、最後は解池にて炎の中に消えた。徐晃字を公明。真名を鵠(こく)。楊奉の娘。亜麻色の髪と琥珀色の双眸は騎馬民族であった父の血によるもの。大の男でも持つのが難しい大斧を自在に操る。并州動乱においては母の命に従って皇甫嵩を討ち、さらに虎豹騎を率いる曹純と戦おうとするが、あらかじめ北郷から忠告を受けていた曹純によって策略を見破られ、捕虜となる。以後、義理の弟妹たちを助けるため、また母の行動の真意を知るために官軍と行動を共にする。もう一人の運命(?)。史渙字を公劉。徐晃の義理の弟。不在の徐晃に代わり、韓浩と共に弟妹たちの面倒を見ている。まだ少年の身ながら胆力にすぐれ、危急の際にも努めて冷静に行動しようとする勇気と思慮深さを併せ持つ。徐晃からの信頼も厚い。徐晃を心底尊敬しており、いずれは義姉のような人物になるのが目標。暇をみては徐晃に頼んで武芸の稽古をつけてもらっている。韓浩字を元嗣。真名を繋(けい)。徐晃の義理の妹。史渙と共に弟妹たちの面倒を見ているしっかり者。笑顔を絶やさない穏やかな人柄ながら、怒ると怖い。どれくらい怖いかというと、徐晃が怯み、史渙が竦み、北郷が逃げ出すほど。先の并州動乱を経て、今のままではいかんと一念発起。史渙と共に徐晃に稽古をつけてもらっている。韓暹白波賊頭目。やられ役その一。去卑南匈奴右賢王。やられ役その二。於夫羅南匈奴単于。色々な意味で相手が悪かった人その一。結果として女性陣の引き立て役になってしまった――この作品の男性陣では別にめずらしくもないことだが。筆者的に、この人と楊奉のシーンは書くのが楽でした。皇甫嵩後漢帝国の名将。色々な意味で相手が悪かった人その二。台詞の一つもなく退場させてしまったが、その功績や為人を見れば、もっとキャラとして活かせたような気がする。もったいないことをしてしまったか。今思えば、初期の頃に皇甫嵩VS張三姉妹(+北郷)とか書いても面白かったかもしれない。司馬朗字を伯達。許昌四尉の一、北部尉の職を務める。他の三尉は李典、楽進、于禁。北部尉はかつて曹操自身が勤めていた職であり、四尉の筆頭格として扱われている。つまり司馬朗は許都の治安の実質的な総責任者であった。父司馬望は先帝崩御の混乱の折、劉弁をかくまい、政争の中で命を落としている。その父の後を継いで司馬家の家長となった司馬朗は、人柄はいたって穏やかで、いっそ暢気と称しても良いほど。料理に熟達しているが、これは妹たちに美味しいものを食べさせたいという姉心の精華である。その一方、ひとたび官吏として立った時は都の塩賊を潰滅させる策をたて、これを完璧に実行してみせるなど、父譲りの有能かつ厳格な面を見せる。司馬懿字を仲達。真名を璧(へき)。都でも麒麟児として名高い司馬家の珠玉。弱冠十三歳ながら文武双全の偉器であり、并州動乱では北郷と共に行動、白波賊討滅、解池奪還に少なからぬ貢献を果たす。司馬家は代々大柄な者が多く、司馬懿も年に見合わない大人びた容姿の持ち主である。本人はそのことをほとんど気にかけていないが、近頃は多少まわりの目が煩わしいと感じて始めており、もう少し年相応でもいいかなと思うこともある。この件については、いずれ終生の好敵手たち(?)から猛抗議を受けるかもしれない。思慮分別に富み、洛陽における挙兵の意義や末路についてはおおよそ察しているものの、父の遺志、弁皇子への情、姉司馬朗への思いから洛陽側に従った。司馬孚字を叔達。司馬朗、司馬懿の妹。許昌で働く姉たちになりかわり弱冠十二歳で司馬家本領を差配していた優れた才識の持ち主。その一方で危地に立った際の決断力と行動力にも優れる。性格は素直で真面目、かつ健気。姉を敬い、妹を慈しみ、他者には常に誠意をもって当たる司馬家の良心。司馬八達の評に偽りなし、とは司馬孚の真価を知った後の北郷の評である。余談だが、司馬孚は姉妹の中ではめずらしく身体つきは年相応(司馬家は基本的に大柄な者が多い)で、時折下の妹の司馬馗より年下に見られることがある。それはまあ仕方ないとしても、さらに下の司馬恂よりも年下に見られるのはさすがにまずいんじゃないか、と自身の成長を少しだけ心配している今日この頃である。姜維字を伯約。真名を鞘(さや)。幼少時、父姜冏が羌族との戦で戦死したため、馬家で養育された。そのため、馬超、馬岱とは真名で呼び合う仲である。母親は不明だが、姜維の淡黄色の髪や琥珀色の瞳は、北方騎馬民族の特徴と酷似していることから、母親はそちらの人間だったのではないかと思われる。馬騰に引き立てられ、若くして軍師を任された才略の持ち主。一方で武芸や馬術にも並々ならぬ才能をみせ、机上で作戦をたてるだけでなく、自らその一翼を担って戦場を駆ける。為人は清廉にして潔白。戦においては正面から敵を撃ち破ることを第一義としているが、必要とあらば計略も策略も用い、馬騰軍の勢力拡大に尽力してきた。いつも使っている黒絹の髪留めは馬騰からもらった宝物。馬頭琴(遊牧民の楽器)の名手でもあり、よく子供たちに聞かせている。鳳徳字を令明。男性。間もなく四十代にさしかかろうとしているが、その武勇は衰えるどころか、ますます円熟の深みを加える西涼軍屈指の勇将。こと騎射の腕前に関しては西涼軍随一であろうと言われている。無駄口を好まず、年若い少女たちが中核を担う馬騰軍を縁の下で支えることこそ己の役割と考えている。馬騰曰く「西涼軍に人多しといえど、猪突しがちな翠(馬超)をおさえ、脱線しがちな蒲公英(馬岱)をたしなめ、経験の浅い鞘(姜維)を補佐できるのは令明ただ一人じゃろう」謹厳実直を絵に書いたような鳳徳だが、実は若い頃は今とは正反対の猪武者で、戦のたびに棺桶を用意し、白馬に跨って暴れまわり、あまりに命知らずな戦いぶりに、敵はおろか味方からも怖れられていた。また女性関係も非常に派手で、幾度も問題を起こしては馬騰を呆れさせていた。本人曰く『あの頃は若かった』