荊州襄陽城。 荊州牧である劉表が統治するこの城市は、戦いと放浪を繰り返してきた劉備の目から見れば、別天地かと思われるほどの平和と繁栄を享受していた。 徐州の州都であった彭城も、陶謙の治下で栄えてはいたが、中原にほど近い徐州では、荊州よりも戦乱の影響が色濃く感じられ、人々もどこか不安そうな面持ちをしている者が多かったように思う。 もちろん荊州とて戦乱の影響から完全に免れているわけではない。現に淮南の袁術とは幾度も矛を交えてきた間柄である。 だが、それはあくまで国境での争いにとどまり、袁術軍や他の軍勢が荊州国内を劫略するような事態には至っていなかった。 そのため、街を歩く人々の顔にも安穏としたものが漂っており、中原や河北、淮南での戦いをどこか遠い国の出来事のように捉えている節があった。 もちろんそれは悪いことではない、と劉備は思う。 むしろ中原の戦乱の影響を極力排除し、これまで平和な治世を維持してきた州牧の劉表やその麾下の人々の苦心に頭が下がる思いである。「玄徳殿にそう言ってもらえるとは光栄ですな」 荊州牧劉表は顎鬚をなでながら、実の娘ほどに年の若い劉備に対し、丁寧に礼を述べる。 かつては艶やかに黒光りしていたであろう髭は、すでに半ば以上白くなっている。それは頭髪も同様だった。くわえて、相貌に刻まれた皺の深さが、長年荊州を維持してきた劉表の心労の深さを物語っていたであろう。「そういえば、最近は娘の琦とも仲良うしてもらっていると聞くが、真かな?」「あ、はい、本当です。お嬢様は博学なので、私が色々と勉強を教えてもらったり、逆に私がこれまで経験してきたことをお話ししたりしています」 劉備の返答に、劉表は何度か頷いた後、ゆっくりと口を開いた。「あれは生まれつき身体が弱く、部屋で本を読んでばかりだったのでな。知識の量に限って言えば、そこらの学士では、琦の足元にも及ぶまいよ。だが、賢明であるがゆえに、というべきか。幼いながらに物事が見えすぎた」 劉表はそう言って、小さくため息を吐く。「荊州が乱れることがないよう、みずから城の奥深くに閉じこもってしまったゆえ、琦の傍らには心許せる者がおらぬ。本来であれば、親としてわしが動くべきなのだが、そうすると世継ぎをかえるつもりなのではないかと邪推する者がおってな。正直、どうしたものかと考えあぐねておったのだよ。玄徳殿があれの支えになってくれれば、わしとしても頼もしく思える」 その劉表の言葉に、劉備は困ったように頬を掻く。「ど、どちらかというと、毎日のように勉強を教えてもらってる私が、お嬢様に支えてもらってるような気がしないでもないんですけど……あ、でも、もちろん何かあった時には、ちゃんとお嬢様をお守りしますので、ご安心くださいッ」「ああ、彼の偽帝すら防ぎとめた劉家軍の長が守ってくれるとあらば、これ以上、心強いことはない。よろしくお願いする」 そう言うと、劉表は頭を下げた。荊州の牧としてではなく、一人の親として。 それゆえに。「――はい、お任せください」 そう答える劉備の顔が、ほんの一瞬、泣きそうにゆがめられたことを、劉表は知ることが出来なかったのである。◆◆「お帰りなさいませ、玄徳様」 襄陽の一画に与えられた劉家軍の宿舎に戻った劉備を出迎えたのは、軍師の鳳統だった。 一見、子供と見紛う幼い容姿の持ち主だが、その頭脳は大陸でも稀有の明晰さを誇り、その視線は天下を見据えて微動だにしない。 師である司馬徽から鳳雛――鳳凰の雛と称えられた少女は、劉家軍に参じて以来、余すところなくその才能を発揮しており、流浪の軍とも言える劉家軍が天下に名を知られるようになった要因の一つは、疑いなくこの小さな軍師にあった。 それは劉備のみならず、麾下の将兵のすべてが等しく考えていることである。 だが、当の本人はそういった評を一顧だにしていなかった。元々、遠慮深く、自ら前に出ることが出来ない慎ましい少女だったが、現在の鳳統が他者の賞賛を気にかけないのは、そういった遠慮から来るものではない。 徐州撤退戦以降の鳳統は、それ以前の鳳統とは明らかに一線を画していた。 落ち着いた挙措、時に冷たく感じることさえある鋭い眼差しを前にすれば、そのことは誰の目にも明らかであった。 軍議の席で緊張をあらわにすることはなくなり、同輩の諸葛亮と笑いあっている姿も滅多に見せなくなった。徐州での敗戦と、それに続く過酷な敗走が、鳳統の心に深い影を落としていることは、劉備ならずとも察することが出来たであろう。 だが、劉備はあえてその変化に口を挟むことはしなかった。というよりも、挟めなかった。 曹操軍に敗れたことは、軍師のみの責任ではない。その後の敗走も同様。むしろ鳳統が軍師でいたからこそ、全滅しても不思議ではなかった戦況を切り抜けることが出来たとさえ劉備は考えていた。 それゆえ、鳳統に対して、徐州での出来事を気にかける必要はない――そういうことは簡単だった。責任を云々するのであれば、誰よりも先にそれを負うのは劉備自身である。鳳統が一身にそれを背負い込む必要などどこにもない。 実際、劉備は幾度かそのことを口にしようとはしたのである。 だが、その都度、鳳統はそれを察して小さくかぶりを振るのが常であった。円らな瞳に、柔らかい光を称えて、それを言ってくれるなと訴えてくる軍師に、劉備はあえてその先を続けることが出来ない。 劉備が口にする程度のことは、鳳統もわかっている。わかった上で、鳳統はその先に進んでいるのだと劉備が察するまで、長い時間はかからなかった。『もう雛ではいられないし、いたくない。雛里ちゃんは、きっとそう考えているんだと思います』 そう言ったのは、もう一人の軍師である諸葛亮である。 そして、その評は劉備が抱いた考えとほぼ等しい。あの敗戦の責に押し潰されるような、そんな脆い覚悟で戦っているのではない。きっと、鳳統は劉備にそう言いたかったのだろう。 覚悟とは、口で主張するものではなく、行動で示すもの。 鳳士元という人物が、鳳雛という名を越えるのは、そう先の話ではないのかもしれない。「わたしも負けてられないよねッ」「……あ、あの、玄徳様、突然どうされたんですか?」 突然の劉備の行動に、目をぱちくりさせる鳳統は、少しだけ以前の面影を感じさせる。「あ、うん、わたしも頑張らないといけないなって思って」「玄徳様は、十分すぎるほど励んでおられると思います。むしろ、きちんと休んでおられるか、そのことが心配です」 鳳統はかすかに表情を陰らせ、劉備の顔を――より正確には、近頃とみに濃くなっている化粧を見つめる。 戦陣に臨む立場も関係していたであろうが、元々劉備の化粧はごく薄いものだった。それが襄陽に着いてからというもの、明らかに濃く変化している。それが、その下のやつれた表情を隠すためのものであることは、鳳統ならずとも察しはついた。 そんな状態でも、自らではなく家臣を案じる劉備の為人を、心から尊しとしている鳳統だが、同時に危惧も覚えていた。 今の劉家軍は掛人の身とはいえ、数千の軍兵を抱える集団である。そして、その集団の核となっているのは疑いなく将である劉玄徳であった。 ここで劉備が倒れるようなことがあれば、河北、徐州といった遠方の地から、はるばる荊州まで従ってきた者たちは動揺を禁じえないだろう。その隙をついて、劉家軍を危険視する人間が何か仕掛けてこないとは限らないのである。 荊州出身の鳳統は、この地の政治情勢も、重臣たちの人柄もおおよそ把握している。ゆえに、彼ら荊州の重臣にとって、いまや天下に名を知られつつある劉家軍と、それを率いる劉備の存在は、決して好ましいものではないことも理解していたのである。 だからこそ、劉備にはきちんと休みをとって身体を大事にしてほしいのだが、劉備にそれを言ってもなかなか頷いてくれない。いろんな意味で困った方です、と鳳統は劉備に聞こえないように小さく呟いた。 しかる後、意識を切り替える。劉備に休んでもらうためには、休め休めと口やかましく言うよりも、やるべき仕事をささっとこなしてもらってから寝室に押し込める方が早道であることを知っていたからであった。 しかし――「……士元ちゃん、どうしたの?」 鳳統がかすかに示したためらいを、敏感に察した劉備が問いを向けてくる。 鳳統が答えるのにためらったのは、これから口にする報告が、ただでさえ浅い劉備の眠りを、より浅いものにしてしまうことが明らかだったからだ。 しかし、報告の重大さを鑑みれば、黙っていることなど許されぬ。 沈んだ表情のまま、鳳統はゆっくりと口を開いた。◆◆◆ 劉家軍に与えられた宿舎の一室に沈黙が満ちる。 部屋の中にいるのは、劉備に呼ばれて集まった劉家軍の主だった者たちである。彼らすべてが、今、瞑目して一人の人物に弔意を示していた。室内に満ちる沈黙はそれゆえである。 徐州彭城にて、先代の徐州牧 陶謙の葬儀が行われた――それが鳳統が劉備に伝え、劉備が皆に伝えた報告であった。 陶謙は曹家襲撃にはじまる一連の騒乱の責任者として、許昌の漢帝から朝敵とされていたため、本来ならば大々的な葬儀が行われるはずがないのだが、かつての陶謙の部下たちの訴願と、先の偽帝による淮南侵攻などの当時の状況を鑑みた末に、丞相である曹孟徳が決断を下した形となったらしい。 無論、皇帝である劉協の許可の上で、である。曹家襲撃以前にさかのぼる徐州牧としての陶謙の治績は誰の目にも明らかであったし、また許昌から朝敵と擬されながら、あくまで偽帝に与しなかったことを劉協は認めたのだ。 報告はさらに続き、葬儀に参列した者の名が挙げられていった。 そこに陳登ら徐州の旧臣の名と共に陳羣の名があったことに、劉家軍の諸将はほっと安堵の息を吐く。広陵太守である陳羣が水軍を出してくれなければ、劉家軍は淮河を渡ることは出来ず、その後、江都まで逃げ延びることも不可能だったであろう。陶謙と並び、その恩は骨身に染みている。 しかし、その安堵の息も、次の瞬間には驚愕にとってかわられる。 次に挙げられた者の名前は、陳羣よりもさらに彼らが良く知る者であったからだ。 その名を関羽、字を雲長といった…… 驚愕のあまり、皆が声を失う中、真っ先に我に返ったのは黄巾党三姉妹の一人、張宝だった。「……って、なに、何であの女が徐州にいるわけッ?! まさかあたしたちをうら――」 何事かを叫びかけた張宝だったが、次の瞬間、盛大に悲鳴をあげる。 すぐ隣から伸びてきた繊手に、思い切り頬をつねられたからであった。「痛あッ?! ちょ、ちょほっと姉はん、なにふんのよッ?!」「ちーちゃん、証拠もなく人を貶めるようなことを言っちゃだめだよ?」「しょ、証拠って言っはって、現に徐州でのほほんと……って、いたい、痛いってば、ごめんなはいッ、言い過ぎましたはら手を離してー」 張角はにこやかに微笑み、妹を軽くたしなめているように見えたが、張宝の頬の赤みを見る限り、結構本気であるらしい。 末の妹である張梁は我関せずとばかりにお茶をすすっている。 そんな三姉妹の様子を見ているうちに、周囲の者たちも驚愕から立ち直っていった。 彼らの中にも、張宝が口にしようとしていた言葉を意識した者がいなかったわけではないのだが、その疑念はすぐに払われる。 すなわち、鳳統はこう続けたのである。「陳太守がご無事であったということは、曹丞相の軍勢が広陵と高家堰を救ったという情報を肯定するものです。けれど、あの時点で朝敵であった徐州と劉家軍を、渡河の危険をおかしてまで助ける必要が曹丞相にあったとは思えません。けれど、曹丞相は動いた。それはきっと、そうするに足る理由が出来たからだと思います。たとえば――」 関将軍を麾下に招くことが出来る、というような。 鳳統は面差しを伏せながら、そう口にしたのである。 曹操が関羽に執心していたことは、劉家軍の中でも知らない者はいない。 関羽がそのことを厭っていたことを知らない者もいない。 それでも関羽があえてその行動に出た理由……それを察せないような者もまた、劉家軍にはいなかった。 その推測を肯定するかのように、鳳統はさらに言葉を続ける。「許昌の皇帝陛下は、関将軍に対し、淮南における劉家軍の戦いを口をきわめて称されたとのことです。十万を越える大軍と相対し、一歩も退くことなく淮南の地と民を守らんとした劉家の将兵こそ朝臣の鑑である、と。これは、劉家軍はもはや朝敵にあらず、と天下に知らしめる御言葉です」 その言葉に対し、痛そうに頬をさすっていた張宝が、思わず、という感じで不平を口にする。「徐州で散々あたしたちを痛めつけておいて、よく言うわ」 その言葉に反応したのは、張宝の妹である。「ちい姉さんの言うこともわかるけど、それでも朝敵という看板が外れたのは、正直助かるわ。荊州の人たちの私たちを見る目も、少しは和らぐんじゃない?」 張梁の言葉に、諸葛亮も頷いた。「はい。実は、すでに内々に誼を通じたいと申し出てきている人たちもいらっしゃいます。劉州牧が受け入れてくださったとはいえ、やっぱり朝敵にされた相手とは関わりたくなかった、というのがほとんどの人の本音だったんじゃないでしょうか」「朝敵じゃなくなったから、これからよろしくお願いしますってわけ? そんな相手、信用できんの?」 ぶーぶーと不平を口にする張宝に、鳳統は少し困ったように首を傾げつつ口を開く。「それでも、孤立無援でいるよりは動きやすくなりますよ。中には荊州でもそれと知られた方々もいらっしゃいますから。もちろん、これで万事解決というわけではありませんけど……」 その鳳統の言葉に、さらに張宝が言い返そうとした時。 不意にそれまで黙っていた人物が口を開いた。「あ、あのッ」 細身の身体に、陰を感じさせる表情、見る者にどこか透き通るような印象を与えるその少年の名を田豫、字を国譲といった。 田豫は元々公孫賛に仕えていたのだが、軍馬に関する知識を買われた縁で劉家軍に加わった。 当初は馬術の訓練や、軍馬の養成などを主な任としていたのだが、徐州以来の戦乱に放り込まれた末、今では将軍である陳到の下で騎馬隊を預かるまでになっていた。 病で家族を失ったため、悲しい記憶が残る故郷から離れたかったという理由があったとはいえ、北平から荊州にいたる自身の境遇の変遷を振り返るとき、田豫はそのあまりの変わりように呆然としてしまう。 とはいえ、それを悔いたことは一度もない。 劉家軍に加わっている自身を誇る気持ちは、田豫の中にしっかりと根ざしていた。 それゆえ、ここで田豫が声をあげたのは不満を述べるためではない。確認したいことがあったのである。「関将軍と陳太守がご無事であったのは大変うれしいのですが、ほかの方々は……?」 それは田豫にとって、当然発されるべき問いかけであった。 しかし、それを口にした途端、田豫は自身が失敗したことを悟った。 鳳統や諸葛亮はもちろん、劉備や張角、さらには張宝までが表情を曇らせたからである。 淮北に残されたのは、関羽だけではない。張飛、趙雲をはじめ多くの将兵が友軍を逃がすために淮河を渡らなかった。 淮南で偽帝と戦ったのは陳羣だけではない。広陵の陳羣を援護するため、また劉備たち本隊を無事に江都へ逃がすため、高家堰砦に立てこもった太史慈と北郷らの将兵がいるのである。 その彼らの安否を気にしない者がいるはずはない。 知っていて、口を緘している理由もない。 諸葛亮と鳳統がそれを口にしなかったのは、今回の報告でその無事を確認することができなかったからであり、ほかの者たちは、それを悟ってあえて口に出さなかったのである。「あ……こ、これは申し訳……」 自身の失態を悟り、顔を青ざめさせる田豫。 劉備はそんな田豫を見て、慌てて口を開きかけたのだが。「ふむ、別にそなたが詫びる必要はなかろう、国譲」 それに先んじて声を発した者がいた。 室内に響いた声は、劉家軍の諸将にとって聞きなれたものであり、同時にこの場で聞けるはずがないものでもあった。 何故といって、その声の主は遠く淮北に――「そなたの知りたいことは残らず語って聞かせよう。この身の不甲斐なさを主に詫びた後で、になるがな」 そう言って姿を現した者を見て、劉備は思わず声を高めた。 その人物は、徐州で離れ離れになってしまった同志の一人であったから。 その名を、常山の趙子竜といった……