解池の政務を総攬する政庁は、城内のほぼ中央に建てられている。 名称こそ政庁であるが、実質的に内城の役目も備えており、屋上を取り囲む壁には、矢を射るための狭間が無数に設けられていた。 楊奉は壁の一画に足を運ぶ。そこは屋上に居ながらにして、城内が一望できるように台座状にしつらえてあり、そこに立てば一目で城内の様子を見て取ることが出来た。逆に、外にいる人間も、ここに立つ者の姿を仰ぎ見ることが出来るため、平時でも訓令を行うときなどに利用されてもいた。 その場所に立つや、楊奉の耳に、凄まじい喊声と剣撃の音が鳴り響く。 その音がまっすぐに自分がいる政庁に向かっていることを、楊奉はわずかの時間で悟った。陣頭に立って兵を指揮したことのない楊奉が、そうと悟れるくらいに白波賊は官軍に押されていたのである。 官軍の猛攻、白波賊の後退を間近で見て奮い立ったのは、盾とされていた民衆だった。彼らはたちまち矛を逆さまにして白波賊へと襲い掛かり、勝敗の秤は瞬く間に官軍の側に傾いていったのである。 こうなれば、数の上でも、勢いの上でも、白波賊に勝ち目はない。武器を捨てて逃げ出す者、あるいは両手を挙げて降参の意を示す者が続出したが、これまで散々踏みにじられてきた解池の人々が、それを許すはずはなかった。 降参を叫ぶ者の口に棒が突き込まれ、歯が砕けた。 一目散に逃げ出した者の頭上からは、付近の住民たちから石や鈍器が雨のように降り注ぐ。怒り狂った一部の住民からは、時に包丁や木の卓までが投げ落とされ、直撃を受けた白波賊は悲鳴をあげることさえ出来ずに路上に倒れ伏した。 ならばと剣を抜いて抵抗する者もいたが、報復に我を忘れた人々は恐れ気も無く次々と賊徒に飛び掛り、拳や小刀をもって、たちまちのうちに賊徒を沈黙させていく。 今、楊奉の周囲には防戦の指示を求め、あるいは不利な戦況に怯えて、白波賊の頭だった者たちが集まっている。 勇戦というより半ば暴走に近い解池の民の反撃を目の当たりにした彼らの間から、怒りとも怯えともとれないうめき声がもれていた。 ただ皮肉なことに、この民の行動は、逆に官軍の道を塞ぐ結果ともなってしまっていた。 まさか官軍が解池の人々を蹴散らして通るわけにもいかない。また、白波賊の抵抗で傷つく民も決して少なくない。 くわえて、白波賊の占拠に協力していた一部の城民に対して、他の者たちが襲い掛かり、住民の同士討ちさえ発生していた。 官軍の指揮官たちは城内の白波賊を掃討しつつ、これらの混乱への対処を余儀なくされ、政庁に立て篭もる白波賊にわずかな猶予を与えることになったのである。 官軍がこの政庁に到るまでは、まだしばしの時間があるだろう。政庁の屋上から眼下の様子を眺めながら、楊奉はそう考えた。 しかし。 その考えを裏切るように、間近から剣撃の音が楊奉の耳に飛び込んで来た。 正確に言えば、城内を見下ろす楊奉のすぐ後方からである。 何が起きているのか、後ろを振り返らずとも楊奉にはわかった。 だから、背後からの剣撃の音が止むまで、楊奉は後ろを振り返ることはしなかった。逃走を呼びかける声にも応じず、悲鳴や絶叫に眉一つ動かさず、剣撃の音が止むのを待つ。 ……遠からず終わるだろうという楊奉の推測ははずれなかった。 そうして。 ゆっくりと後ろを振り向いた楊奉は、そこに予期した者たちの姿を見出す。 その内の一人――楊奉が与えた藍色の衣装を纏い、その服装に似つかわしくない巨大な斧を手に持った少女を見て。「……そう。それがあなたの選んだ答えなの、公明」 少女の名を口にした楊奉の口元が、愉しげに微笑んだように見えた。 ◆◆◆ 王昭君という人物がいる。 古く前漢の時代、時の皇帝の後宮から出て、匈奴の閼氏(あつし 単于の妻)となった女性である。 皇帝の後宮に入るほどの美貌の持ち主が、政略として朔北の草原に送られ、漢土に戻ることなく生涯を終えたのである。たとえ一国の王の正妻であるとはいえ、その苦衷はいかばかりであったろうか。 漢民族と匈奴。農耕民族と遊牧民族。文化、価値観、生活様式、あらゆるものが異なる二つの民族。 一方では当然とされる行いが、一方では禁忌とされている例も少なくない。 その中の一つ。 匈奴において、夫に先立たれた妻は、その夫の兄弟ないし後を継いだ義理の息子と再婚するのが通例であった。婚姻によって結び付けられた二つの部族間の繋がりを維持すると共に、子を産める女性を寡婦として過ごさせるより、新たに子を成してもらい、部族の数を増やすことの方が重要だからである。 匈奴においては当然とされるこの習慣は、しかし漢民族にとって近親相姦に優るとも劣らない不道徳な行いとみなされる。これを行った者は、禽獣とかわらない扱いを受けるのである。 王昭君は草原で三人の子を産んだとされるが、後に生まれた二人の娘に関しては嫁いだ単于の子ではなく、その後を継いだ義理の息子の子供であった。 本人が自らの生涯をどう感じていたのかは今となっては知りようもない。 だが、多くの人々は、これをもって王昭君を悲劇の女性として捉えた。 そして、その名は百年を経た今なお漢土で語り継がれているのである。 楊奉も当然のように王昭君の事績は承知していた。 だが、楊奉はそれを悲劇とは考えていない。本人の思いがどうであれ、王昭君の存在によって、漢と匈奴の間で争いが絶えたことは事実であり、その名は史書に銘記された。中華の歴史が続く限り、その名は千載後も色あせることはないに違いない。 どうしてそれが悲劇なのか。 自らの半生を振り返る時、楊奉はそう思わずにはいられなかった。 現在、中華帝国において、女性の士大夫はめずらしいものではなくなりつつある。 丞相である曹操、河北の大領主である袁紹、さらには皇帝を僭称した淮南の袁術をはじめ、むしろ歴史の表舞台に立つ者の多くが女性となったといっても過言ではない。 しかし、それは本当に近年になってからのこと。かつて楊奉が朝廷に仕えていた時、女性の士大夫は数えるほどしかおらず、まして太守や州牧の地位にいたっては皆無だったのである。 そんな時代、楊奉は数奇なめぐり合わせを経て、朝廷に仕える身となった。 当然のように、楊奉の前には様々な障害が立ちはだかったが、あらかじめ覚悟していたこともあり、またとある人物の支援もあって、楊奉はそれらを一つ一つ確実に乗り越えていき、宮廷内での地位を確立していく。 あの頃の自分には確かな志があった、と楊奉は思う。 当時、すでに漢王朝の政治は腐臭を発しており、高官たちは宮廷内の権力闘争に明け暮れ、地方の民政を顧みようとはしなかった。頻発する叛乱、高騰する物価、悪化する治安。農民は田畑を耕すことさえ容易ではなく、かろうじて収穫できたものも税として容赦なく取り立てられてしまう。 楊奉の幼少時の記憶は飢えと貧窮、賊徒への恐怖で塗りつぶされている。それは楊奉だけでなく、あの時代を生きた多くの者たちが共有する過去であったろう。 多くの民が政治の乱脈に翻弄されるしかない中で、楊奉をそれを糾すことができる立場に立っていた。 宦官の跳梁、外戚の横暴。それ以外にも宮廷の問題点は枚挙に暇がなかった。それらの問題を片付け、滅亡に瀕した国を立て直す――それが当時の楊奉の志だったのである。◆◆ 元々、楊奉はその日の糧にも事欠くような貧家に生をうけた。 宮廷に務め、世を糾すなどという志を立てようもない環境である。 そんな楊奉が世に出ることが出来たのは、他の者たちが望んでも持ち得ない二つの才能を持っていたからであった。 すなわち、優れた容姿と明晰な頭脳である。 学問をする時間も金もなかった楊奉にとって、後者の才能は現状を変えるだけの力を持たなかった。周囲の認識も、利発な娘だと褒める程度のものでしかなく、環境がかわらなければ、いずれそのまま立ち枯れていたであろう。 だが、前者に関しては。 この時代、容姿の美しさは才能に等しい。活かしようによっては一夜にして貧窮から抜け出せるほどの、得がたい才能である。 そして楊奉は幸か不幸か、その美貌をある富豪に見初められる。その家に妾として入ったのは、楊奉十三歳の時であった。 半ば売られたようなものだったが、この点、楊奉は生家を恨んではいない。家族を貧窮から救えるのだと思えば、むしろ喜ばしいとさえ思っていた。 実際、その家でもそれなりの扱いは受けられたし、何より先代の趣味であったという蔵書に触れられたのは、心から幸運だったと思う。 先代に仕えていたという老人から字を教わり、竹簡を読み漁る姿は、同じような立場の妾たちからは嘲笑されたが、それでもあの頃は楊奉の人生の中でも、はっきりと幸福だったといえる数少ない時間であった。 これが第一の転機であったとすれば、第二の転機は、あの皇甫嵩との出会いであった。 といっても、別に色事は絡まない。楊奉の知識の吸収が尋常でないことを知った老人が、これまた先代からの縁で知遇を得ていた皇甫嵩に楊奉のことを話し、興味を覚えた皇甫嵩から招かれたのである。 この頃、皇甫嵩はすでに北地太守の地位にあり、その下に赴いた楊奉は皇甫嵩の問いのすべてによどみなく答え、皇甫嵩を感嘆させる。 この才は、一富豪の妾として埋めてしまうのは惜しいと考えた皇甫嵩は、富豪にいくらかの便宜を図った末に楊奉を自邸に引き取り、さらに知識を蓄えさせた。 妾という枷から解き放たれた楊奉はさらに多くの知識を吸収し、若い女性の身ながら、その学識は皇甫家でも指折りのものとなっていく。 やがて、楊奉は皇甫嵩の推挙を得て朝廷に仕えることとなった。 そうして数年。 楊奉は順調に階梯を進めていく。皇甫嵩という庇護者を持ち、累進著しい女官吏。今となっては信じられない迂闊さであるが、あの頃の自分はその立場の危うさに気付いていなかった。そのことを楊奉は時折苦く振り返る。 同じ頃、戦と疫病によって家族があっけなく死んでしまったことが衝撃であったのは間違いない。だが、それを差し引いても無用心なことこの上なかった。 後宮に入り、皇帝の寵愛を受けて地位を高めていくというならまだしも、れっきとした官吏として栄達していく楊奉を見る周囲の目の険しさに、何故気付かなかったのか。 皇甫嵩が、そんな周囲の圧力に抗するような人物でないことくらい、わかっていたはずなのに。 皇甫嵩という人物は、清廉をこころがけ、麾下の将兵の信頼厚い名将であった。太守として治安を改善し、税を引き下げ、民政に心を配ることのできる名相でもあった。 その一方で、皇甫嵩は、討伐にあたった賊徒の死体を集めて京観(死体でつくった山)を築いて敵を威圧したり、あるいは賄賂を受け取った自分の部下に、みずからも賄賂を与え、恥じ入った部下を自害に追い込む一面を持っていた。 みずからの領地には善政を敷いたが、朝廷の乱脈を糾すべく行動することはせず、逆に命令であれば、それが民に不利益なものであろうとも従った。 それらの行いが間違っているわけではない。 敵への威圧は武略であり、部下への訓戒は自省を促す意図があったのだろう。朝廷への服従も、むしろ廷臣として褒められこそすれ、非難されるいわれはあるまい。 事実、多くの者たちは皇甫嵩こそ真の朝臣であると褒め称えてやまなかった。 ただ、そんな人物であれば。 上位者からの命令には、それがたとえ理不尽なものでも従うであろう。そう予測することは難しくなかった。 ……そうして、匈奴との友好の使者として選ばれた皇甫嵩に従い、草原へと旅立った楊奉は、一人、その地に残されることとなる。 ◆◆ 表向き、匈奴の単于に見初められたということになっていたが、事実は漢からの貢物に等しい。 そこまでは王昭君と大きな違いはなかったが、楊奉は漢と匈奴の友好の使者として、国を挙げて送り出されたわけではなく、閼氏(正妻)の座を得られたわけでもない。文字通りの意味で機嫌うかがいの貢物であった。 かつて貧家の一娘として貧窮に喘いでいた頃ならともかく、れっきとした廷臣として志を立てていた楊奉にとって、この屈辱は到底言い表すことが出来なかった。 自身をこの地に追いやった者たちの狙いを、楊奉はようやく察したが、気付くのがあまりにも遅すぎた。 ただ。 あるいはもっと早くに気付いていたとしても、対処は難しかったかもしれない。 皇甫嵩が何一つ口にせずに漢土に帰った以上、指示を下したのは相応の高官であることは推測できる。女である楊奉を疎む高官がいる以上、いずれは楊奉は宮廷から排斥されていたであろうから。 それらのことに思い至った楊奉は、屈辱に身を焼きながらも自暴自棄になることはなかった。 ここで楊奉が死を選び、あるいは逃げ出すなどすれば、楊奉の美貌を気に入ったと思われる単于は間違いなく怒り狂うだろう。その怒りが、ひいては漢土に及び、民衆への凶刃となることは容易に予測できた。 民を守ることこそ士大夫の役目。 この期に及んで朝廷に忠誠を尽くそうとは考えなかったが、それでもこれまでの自分を否定するつもりはなかった。 みずからがここにいる限り、漢と匈奴の間に一定の繋がりが出来ることは間違いない。匈奴が漢土に欲目を見せた時、それを逸らすべく立ち回ることも出来るだろう。 誰に認められることもない働きである。史書に載ることもないだろう。それでも、楊奉がここに居ることで民を救うことが出来るなら、それは決して無意味なことではない。そう自身に言い聞かせる。 売られるのもはじめてというわけではない。だから、耐えられないわけがない。そう考えることで、楊奉はかろうじて自分を保ったのである。 しかし、やはり漢民族と匈奴、異なる民族の差は大きかった。 慢性的な不快と屈辱に耐えながら、異国の地で虜囚のごとく過ごす日々。士大夫としての意識にしがみついてはいたが、それも数年続けば限界が見えてくる。 そんな時、単于が死んだ。強壮な男であったが、全身に針鼠のように矢を受けては死の顎から逃れようもなかったらしい。 騎馬民族は末子相続が基本であり、親の財産は末子に受け継がれる。この場合、妻妾も財産の一つとして扱われるが、楊奉はすでに二十代の半ばに達しており、これから先、多くの子を望めないこともあって、単于の弟の一人に分け与えられることになったのである。 思えば、あれが決定的だったのだろう。振り返って、楊奉はそう思う。 楊奉を得た青年は、単于の一族の中ではめずらしく穏やかな人物であり、楊奉もその顔と名を知っていた。言葉をかわしたことも幾度となくあった。 そんな人物であったが、兄の妻を弟が抱くという行為に対して、楊奉――というよりも漢族が抱く激甚なまでの不快感を理解することはかなわなかった。 穏やかとはいっても、日頃、馬と弓で鍛えた身体は楊奉が跳ね返せるものではなく、抵抗も無駄に終わる。青年としては、むしろこれまで子がない楊奉が子を成せば、一族内でもしかるべき扱いを受けることになると考えたのだろう。拒絶する楊奉を、あやすようにその身体に手を伸ばし――やがて、楊奉は草原の地で、一人の女の子を産むことになるのである…… その後のことは、正直、思い返すことさえ煩わしい。 娘の父は、妻と娘を戦乱から遠ざけ、自身はあっけなく死んだ。 戦乱に関わりのない遊牧民に混じって娘を育てながら、その娘を見る度に襲ってくる不快感に耐える日々。おぞましいという言葉さえ遠い蛮行に身を染めた自分と、その証である娘。 それを強いた匈奴への憎しみと、そもそもの原因となった朝廷への恨み。もう、民のために、などという名分すら楊奉は見つけ出すことが出来なかった。憎悪の焔は鎮まることなく、楊奉の身心を灼いていく。 そしてあの日。 決定的な何かが起こったわけではない。 その日、積みかさなったのは藁の一本。しかし、ほんの些細なその一本の重みが、これまで積み重ねた何もかもと共に、楊奉の心をへし折った。 いつ来るかはわからなかった――けれどいずれ必ず来たであろう、そんな日。 ――草原の彼方。地平線の果てへ落ちて行く夕陽を眺めながら、楊奉は思ったのだ。 ――誰そ彼……今、ここに立っている女は、誰なのだろう、と。◆◆◆ 「……我が身は喰らい尽くされ、我が心はしゃぶり尽くされた。ふふ、自分が誰であったのか、何であったのかさえ、もはや私には遠い」 そう口にする楊奉の目には、先刻とかわらぬ静かな狂気がたゆたう。 俺も、徐晃も、何一つ口を挟めなかった。 そんな俺たちを前に、楊奉はうっすらと口元に淡い笑みを浮かべる。「――滅べばよい。否、滅ぼさずにはおかない。そのためならば、この身を賊に与えることも厭わぬ。匈奴に嬲られることさえ快楽に変ずるわ。漢、匈奴。そこに生きる何もかも、絶え間なき戦乱に足掻き、もがき、苦しみぬいて死んでいくがいい。文字、歴史、文化……中華を中華たらしめるすべてを焼き尽くす。それを見届けた後、最後にこの穢れた身を葬り去ろう」 それは、未来など微塵もない虚ろな言葉。 あまりに虚ろで、あまりに空っぽで――だからこそ、悪寒を禁じ得ない、そんな言葉。 それは、去卑との戦いを前に俺が感じた奇妙な悪寒と根を同じくするものだった。 あの時は、隣にいた司馬懿のお陰で悪寒を忘れられたのだが…… 徐晃がこの場ではじめて口を開く。「母様……母さん。それが、母さんの望みなんですか? 母さんを苦しめた人たちだけなら、私は止めるつもりはありません。そこに私自身が入っていても。でも、何もかもを――母さんとは関わりのない人たちも、母さん自身さえ滅ぼしてしまうことが、本当に母さんの望みなんですか?」「繰り返すつもりはないわ。なにより公明――あなた自身がもう理解しているのでしょう。それをここで私に問うてどうするの? 私が違うと言ったら、あなたは血で染まったその戦斧を下ろすのかしら?」 楊奉の問いに、徐晃は唇を噛む。しかし、その視線は楊奉から逸らさなかった。 そんな徐晃の視線を受け、楊奉はそれとわからないくらい、かすかに目を細めた。そのまま、静かに続ける。「責めているわけではないの。私はこれまで多くのものを踏みにじってきた。あなたや、あなたの弟妹たちのように。今度は私が踏みにじられる番が来た、ただそれだけのこと。なんら異とするに足らないわ。だから公明、早くその斧で私を斬りなさい。これ以上、あなたの大切なものを失いたくないのなら」 そう言って、楊奉は両腕を左右に開く。 その姿はまるで徐晃を迎え入れるかのようだった。先刻、狂おしい光を湛えていた両の眼は凪いだように穏やかで、静かに娘を見つめている。 狂気の狭間に浮かび上がる、一片の心。もう自分で自分を止められないから、だからせめてあなたが止めて、とそう訴えかけるように。 徐晃が一歩、足を踏み出したのは、その声なき声が通じたからか。 徐晃の後ろに立っていた俺の耳が、戦斧の柄が発する異音を捉える。あまりに強く握り締めているためだろう、柄が軋んでいるのだ。 それが徐晃の内心の苦悩をあらわしているようで、俺は奥歯をかみ締めた。この場面で、俺が口を出すべき場所などない。その程度のことはわかっていた。 徐晃の歩みを止めることは出来ないし、俺が代わりに楊奉を斬るなどさらに出来ない。どんな結末が訪れるのであれ、ここは母と娘の二人で幕を下ろすべき場所であった。 だからこそ、楊奉も――と、そう思って視線を転じた俺は、背筋に氷塊を感じた。 楊奉は相変わらず穏やかな表情を浮かべて、近づいてくる娘を見つめている。 ――そこに、違和感を感じる。(……穏やかな、表情?) おかしい。 先刻、感じたはずだ。言葉も思いも通じない。楊奉の奥底にあるのは、そんな狂気だと。 今、楊奉は追い詰められている。 周囲を見渡しても、立っている白波賊の姿はない。倒れているのは七名。五人は徐晃によって討たれ、二人は俺が斬り捨てた。命がある者もいるが、立ち上がって剣を振るうことが不可能であることは一目瞭然であった。近くに身を潜めていられる場所も存在しない。 もし、ここで徐晃に危害を加えられる者がいるとすれば、それは楊奉以外にはありえない。だが、楊奉が武芸の心得がないことは俺程度でも看破できる。仮に斬りかかったところで、あっさり徐晃に取り押さえられるだろう。 援軍はなく、伏兵もなく、自身の力で挽回することもかなわない。 すなわち、楊奉は間違いなく追い詰められているというのが結論であった。 にも関わらず。 俺の胸中に巣食う悪寒は、いや増す一方であった。 おかしい――どうして楊奉がこうもたやすく変心した? おかしい――どうして徐晃の姿が、まるで剣刃の上で綱渡りをしているように見えるのか? おかしい――楊奉と徐晃、二人の間に割って入ってはいけないとわかっているのに。 何故、俺は駆け出しているのだろう?