紅に染まる大地。そこで、その時何が起こったのか。
瞬も、星矢も、沙織も氷河も。その場にいた誰もが、ジャガーですら即座には理解が出来なかった。
それを理解出来たのは、文字通り“高見から一部始終を眺めていた”エリスと――もう一人。
「む……むぅう~~……っ!!」
自らを彗星と化したジャガーの一撃を両手で受け止めた男。紅蓮の炎を、不死鳥のオーラを背負った聖闘士――フェニックス一輝。
「に、兄さん!?」
「――一輝かっ?」
「……一輝? お前、何で!?」
「一輝……」
自分達を護る様に立つ、事実として護っている一輝の背中へと次々と声がかけられる。
歓喜や疑問といった様々な感情の込められた声が。
「……邪魔だ、下がっていろ」
一輝はそれらを無視する様にただ一言だけを告げる。
「兄さん!」
なおも言葉を続けようとする瞬であったが、それは黒い影によって遮られる。
「一輝様は邪魔だと言われた」
ブラックペガサスが。
「……情だと言う事が理解出来んか」
ブラックアンドロメダが。
「……フッ」
ブラックスワンが。
一輝に従う暗黒聖闘士、ブラックドラゴンを除く三名が姿を現し星矢達をこの場から下がらせた。
「な!? 何だと!」
ジャガー自身予想だにしなかった突然の乱入者。
それが誰であるのか、そして今何が起こっているのか。それを理解し――
「う――ぉおおぁああああーーッ!!」
メガトンメテオクラッシュを受け止めただけではなく、更には押し返そうと力を込める一輝へとジャガーは反撃を試みる。
「どりゃーーーーっ!!」
丸めていた身体を伸ばし、先の勢いを乗せて蹴りを放つ。狙いは一輝の眉間。
吸い込まれる様に一輝の眉間へと到達した一撃が、フェニックスのマスクを砕く。
しかし、その一撃は致命には至らない。
砕けた破片が、鮮血が宙に散る。
その向こうから覗く一輝の瞳には一切の曇りも陰りも無い。
紙一重の見切りであった。
「せあーーっ!!」
気合いの声と共に放たれる一輝の正拳。それはカウンターとなってジャガーの胸元を穿つ。
「ぐアぁあッ!」
吹き飛ばされるジャガー。身に纏うオリオンの聖衣の胸元に亀裂が奔る。
「でやーーっ!」
「小癪なッ!!」
好機と見た一輝は追撃を仕掛けるが、即座に体勢を立て直したジャガーの一撃によって阻止された。
「ハハハ!!」
「おぉおおおッ!」
拳を受け、蹴りを避け、相手を掴み、いなし、払い、投げ。
「まさかとは言わん! やはり――生きていたかっ! フェニックス!!」
一輝とジャガーの身体が交差する度に、周囲には空気の爆ぜる音と衝撃波が撒き散らされる。
互いの聖衣に無数の亀裂が、傷が刻まれる。
「あの時、デスクィーン島で言ったはずだぞジャガーよ、不死鳥は何度でも蘇ると!! そして――」
「ふははははっ! よかろう、ならばオレは倒すのみよ!」
「貴様らを打ち砕く! この鳳凰の羽ばたきで!!」
一輝が構える。
両の拳は自身の守護星座である鳳凰星座の軌跡を描き、燃え上がる小宇宙はフェニックスのオーラとなって立ち昇る。
「キサマが蘇る度に、何度でもだ!」
ジャガーが構える。
両の拳は自身の守護星座であるオリオン星座の軌跡を描き、燃え上がる小宇宙は巨人オリオンのオーラとなって立ち昇る。
両者の激突は必至。最早誰にも止められぬ。
それは戦いを眺めていた星矢達やブラック聖闘士三人の共通した認識であり、対峙する二人もそうであったであろう。
『やはり……惜しいな』
それを――女の、少女の声が止めた。
その声に導かれる様に、その場にいた皆の視線が宙に、一点に集まる。
宙に浮かぶ黄金の輝きを放つ林檎へと。
『あの時とは見違える程に力を増している。今のお前なら、このエリスの使徒となる資格は十分だ』
言葉が紡がれる度に黄金の林檎の周囲に歪みが生じる。
歪みは波紋の様に広がりを見せ、やがてその中心に一人の少女の姿を浮かび上がらせた。
純白のドレスに身を包み、右手に漆黒の三叉の槍を持ち、左手に黄金の林檎を携えた少女であった。
「……え?」
その少女――エリスの姿を見て呆けた様な声を上げたのは星矢。
「……瞬……? いや、髪の色が、違う。違うけど……」
宙に浮かぶエリスを見て、隣に立つ瞬を見る。
星矢だけではない。声にこそ出さなかったが沙織も、氷河も同様に瞬を見た。
「女性である、その点を除けば……まるで瓜二つだ」
瞬を見て――一輝へと視線を移す。
「――ッ!?」
ゾクリと、一輝へと視線を向けた星矢達の背に冷たいモノが流れる。
エリスを見つめる一輝。その顔から一切の表情が消えていた。
『一輝、私に刃向った事は不問にしてやろう。お前とて“この器”の娘と共にある事を望んでいたのであろう?』
穏やかな声であった。
エリスはまるで幼子をその胸の内であやす母親の様な、穏やかな、優しい微笑みを一輝へと向けていた。
「……黙れ……」
『フフフ。この娘の命の炎は今や陽炎よりも儚きもの。このエリスの器となった事で、かろうじてその命を繋いでいるに過ぎない。それは分っていよう?』
「黙れ、と言っている」
『ならばお前の取るべき道は一つしかあるまい? このエリスの元へ来い一輝よ。いや、ならば、こう言おうか』
“わたしを助けて――イッキ”
「その顔で、その声で、オレの名を呼ぶな。いいだろう。ならばオレも、もう一度だけ言ってやる」
一輝の小宇宙が業火となってその身を包む。業火はフェニックスへと姿を変え、破損した聖衣は瞬く間に傷一つ無い姿へと。ジャガーの一撃によって破砕されたはずのマスクも再生される。
そこにいたのは憤怒の炎に身を包んだ“鬼”であった。
デスクィーン島で一輝を鍛えた仮面の聖闘士ギルティー。彼は憎悪こそが強さの根源であると一輝に教え、最強の聖闘士とする為にその身へと文字通り叩き込んでいた。
一輝の心にこの世全てへの憎しみを植え付けようとしていた。それは、一輝の出生の秘密を暴露した事により完成するかに思われた。
それをギリギリのところで食い止めていたものこそが弟、瞬との思い出であり、地獄の様なデスクィーン島にあって愛を、優しさを、思いやりの心を失わなかった少女――エスメラルダの存在。
ギルティーはそれを無用と、無駄な、邪魔なものだと一笑に付した。取り合おうともしなかった。
「エスメラルダは返してもらう」
その無用と断じたモノが今、大きな火種となって一輝に力を与えていた。
聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION海龍戦記~