「~~ッ!? ええい、小賢しい!!」
「行かせねえって言ってんだよ! うおらぁあああ!!」
瞬を狙って距離を詰めたブラックユニコーン。
その眼前に空を切り裂く聖闘士の――邪武の拳が突き出される。
「むぅっ!?」
最早死に体、と。敵として、いや障害としてすら見ていなかった相手からの正しく虚を突いた一撃。
身に染みついた技能がブラックユニコーンの意思に反してその身体を後退させる。
「この……死に損ないが!」
向かい合う白と黒のユニコーン。
その両者の間に甲高い音を立てて黒光りする何かが落ちた。ブラックユニコーンのマスクだ。
「……行くぞ」
「氷河!?」
「瞬、問答をしている時間は無い」
「オレはどうでもいいけどな。相手をする、そう言ったのは邪武だぜ」
「紫龍!? 星矢まで!」
「へっ、余計な心配してんじゃねえよ瞬。今のを見たろ? 野郎のマスクを飛ばしてやったぜ」
ここからがオレの本番なんだよ。邪武はそう言って不敵に笑ってみせる。
「うん。……気を付けて」
明らかに無理をしている。強がりだ。それが分っていても瞬には邪武を止める術が無い。
自分よりも沙織を優先する邪武が“他者に沙織の事を託した”のだ。その意味は重い。
「わかりゃあいいんだよ」
邪武を残して四人は駆け出して行く。
彼らの前には額から流れる血と、怒りによって顔を紅潮させたブラックユニコーンが立ち塞がっている。
ブラックユニコーンが動いた。
四人の足は止まらない。むしろ、その速度を増している。
ブラックユニコーンが迫る。
「このまま行かせると――」
駆け抜ける四人は止まらない。止まる必要が無い。
「――行かせるんだよ!!」
四人の影から飛び出す白い影。
再び白と黒のユニコーンがぶつかり合う。
「いいか、星矢ぁっ! お嬢様の身に何かあってみろ! オレがテメエをぶちのめすぞ!!」
「そんなに心配ならさっさと追って来い!」
「貴様らッ」
「おっと、行かせねえって言っただろうが!」
「ユニコーン!!」
聖闘士にとって足止めというものは僅か数秒で事足りる。
ブラックユニコーンが邪武の攻撃を回避した、その僅かな瞬間に星矢達四人は間合いの外へと駆け抜けて行った。
訪れた静寂の中で、ギシリと、奥歯を噛み締める音が漏れた。
「……やってくれたな、死に損ないの分際で」
ブラックユニコーンの身体が小刻みに震えている。
それは一輝と対峙した時とは明らかに違うモノ。怒りが全身を駆け巡っていた。
「相手をする、そう言ったな。いいだろう、相手をしてもらうぞ。ここまでコケにしてくれた礼をせねばな」
「……ペッ、調子に乗るなよこの野郎。お嬢様の事をアイツらに任せたからには、これで心おきなくテメエの相手だけに専念できるってモンだ」
覚悟しやがれ。口元の血を拭い、邪武がそう言い捨てる。
ダメージは有る。熱を伴った痛みが全身を襲い、少しでも気を抜けばたちまちの内に意識を失ってしまいそうだった。自分が立っているのかどうかすら分らなくなる時がある。
それでも。
それでもやれると。戦えるのだと自分に言い聞かせる。
聖闘士を目指す者ならば誰もが教えられる言葉がある。
小宇宙――それは命の力、意思の力、想いの力でもあると。
くじけぬ限り、心折れぬ限り、前へと進む意思がある限り、どこまでもどこまでも高みへ、と。
「楽に死ねると思うなよユニコーン」
「勝てると思うなよ、ブラックセイント」
第34話
「結局、聖闘士だの何だのと言ったところで人間である事には変わりはないんだよな」
「何です?」
「こうやって空は飛べない」
首都上空を飛ぶ一機の機体。両翼にプロペラを備えたVTOL(垂直離着陸機)機である。
側面にグラード財団の文字が記されたその機内に、聖衣を纏った海斗はいた。
旅客機とは比べるまでもない無骨な機内は窓が無く薄暗い。備え付けの簡素なシートは頼りなく、お互いに膝を突き合わせる形となる狭さがより一層息苦しさを増している。
「でも水の上は走れるでしょう? こう、片足が沈みきる前にこう……」
「さすがにやった事はないな。……出来そうな気もするが」
そんな狭苦しい機内には海斗の他に二人の少年と一人の壮年の男性がいた。
氷河や紫龍に雰囲気の似た落ち着いた感じのする少年――翔と、どこか幼さの抜けきっていない小柄な少年――大地。そして、グラード科学研究所の科学者である麻森博士である。
博士はコロッセオを出ようとした海斗を呼び止め、“万一の事態に備えて”用意されていたと言うこの機体へと案内したのだ。
目的地は港湾区。
先日、ギリシアの海商王と呼ばれるソロ家ゆかりの大型船舶が予定されていた航路を外れ一時消息を絶つという事態があった。
数時間後、機器の故障であったと連絡が取れた事で大した騒ぎにはならなかったのだが、現在は機器のメンテナンスを理由に日本に寄港している。
それだけであれば特におかしな所はない。それだけであれば、だ。
問題は、その外れた航路の近くにデスクィーン島があった事である。
「団体さんでどうやって日本まで来たのかと思ったら、シージャックしてたわけね。と言うよりもだ、俺としては短時間でそこまで調べた財団の方が怖いわ」
海斗としては暗黒聖闘士が現れてから僅かな時間の間に、ここまで調べ尽くした財団の力に感心するやら呆れるやらだったわけだが。
そのような説明を受けながら今に至る。
「出来るのかね!?」
「まあ、一部には例外がいるが基本的には無理だな」
「例外って……出来る人はいるんですね」
「あれは人間やめてるからな」
「人間である事は変わりない、って言いませんでした?」
「例外だからな」
「それって無茶苦茶だぁ!」
操縦性の方から悲鳴にも似た声が上がる。右頬に十字の傷のある少年――潮の上げた声だ。
「良い事を教えよう。聖闘士に常識を求めてはいけない」
軽く語る海斗であったが、それを聞く四人の心中は穏やかではない。
なぜならば、彼らは聖闘士の存在を知った城戸光政によって“科学技術による聖闘士の誕生”を目指して作られたチームであったからだ。
鋼鉄(スチール)聖闘士計画。それが計画の名称である。
麻森博士に与えられた使命は科学技術による聖衣の作成であり、幾度も失敗を重ねながらも寝食を忘れる程に今日まで没頭し続けた。
翔、大地、潮達三人は、海斗達百人の孤児が城戸邸から去った後に極秘裏に集められた孤児であり、完成した鋼鉄聖衣を身に纏うにふさわしい肉体を作るため、今日まで訓練に明け暮れていたのだ。
沙織にすら隠され進められていたこの計画は、いよいよ鋼鉄聖衣の最終チェック段階にまで漕ぎ付けていたのだが……。
彼らの、城戸光政の真意はその目的は“来たるべき日”に備えて沙織を助ける事。
暗黒聖闘士の乱入に伴う黄金聖衣の強奪はおろか、沙織の誘拐という一連の想定外の事態により秘匿だの何だのと言っていられる状況では無くなってしまったのだ。
「さて、博士? 鋼鉄聖衣ってのがどれ程の性能なのかは分らないが、まだ完成していないんだろう? 相手は暗黒とは言え仮にも聖闘士を名乗る奴らだ」
「ああ、分っているよ。私達はサポートに徹する。 ……君達もいいな?」
海斗の言葉は言外に“出て来るな”と匂わせるもの。博士たちの十数年を無下にしかねないもの。
麻森博士が翔達三人に声をかける際に間が空いたのはそれを理解したためか。
「まぁしょうがないよね。訓練中だし聖衣も無いし」
いち早く答えたのは大地であった。頭の後ろで手を組みながらヘヘッと笑う。
「ペガサスとドラゴンの試合を見ていましたからね。データ以上でした。アレを見てしまっては、今の自分ではまだまだ足りていないと思わされますよ」
「出来る事をやるだけですよオレ達は」
続いて翔と潮が答えを返す。
明るくハッキリと。そこには博士の抱いた不安も悲壮感も無かった。
(ジャンゴ、か。この前向きさがアイツに欠片でもあればこんな事は起こらなかったのかね)
「ま、たらればを言い出したらきりが無いか」
翔達を眺めながら海斗が独りごちる。
「海斗君?」
呟きが聞こえたのだろう。隣に座っていた博士が海斗へと顔を向ける。
「いや、潮君は良い事を言ったな、と。出来る事をやる、ってね」
「海斗さん、もうすぐ目的地の上空に着きますよ。そろそろ降下の準備を!」
「後部ハッチね。了ー解」
潮の指示に従い海斗が席を立つ。
「か、軽いね。君、ひょっとしてスカイダイビングの経験が有るのかね?」
海斗の口調からは、これから初ダイブを行う緊張感は欠片も感じられない。
それもパラシュート無しで、だ。さすがに心配になったのか麻森博士が確認を込めて問いかける。
こめかみに手を当てて、何かを思い出す様な仕草をした海斗はドアをくぐりながら言った。
「子供抱えて一回」
「あらかじめ言っておく。お前達、この先で暗黒聖闘士と出会っても、お嬢さんと黄金聖衣を見付けても手を出すな。行く先が分ればそれで良い。分ったな」
「何だと? そりゃあ一体どういう事だ氷河!」
「どうもこうも、言葉の通りだ」
「なッ!?」
駆けていた三人の足が止まる。
氷河に対して星矢と瞬が向かい合う、そんな位置だ。
氷の如き冷たさと鋭さを備えた氷河の視線が、炎の様な激しさと熱さを持った星矢の視線とぶつかり合う。
「氷河!」
二人の間に瞬が入り、何故かと、問い質す様な視線を氷河へ向ける。
「星矢だけじゃない。お前もだ瞬。自らの鎖の動きにも気が付けない。一輝との再会で精彩さを欠いたお前を戦力として見なすわけにはいかない。半死半生の星矢、お前は論外だ」
星矢自身、己のダメージは理解している。左腕の骨折に頭部の裂傷、そして多量の失血。こうして動けているが異常なのだ。
紫龍との試合で限界を越えて高められた小宇宙は同時に星矢の命の炎も熱く燃え上がらせた。いまはその身に残った熱によって動けているに過ぎない。
「ろ、論外だと!?」
幼き頃、抵抗むなしく姉と引き離された。大切な姉の手を掴むことすら出来なかった無力な自分。それが今の星矢の起点となっていた。
氷河の言葉は正しい。正しいからこそ星矢はその言葉に反目する。反目しなければならない。
自分は戦えるのだと。立ち向かえるのだと証明するためにも。
知らず、攫われた沙織に星矢は自分を、姉の姿を重ねていた。
「暗黒聖闘士の一人や二人――」
星矢は己の最大の拳“ペガサス流星拳”のモーションに入る。氷河に当てるつもりはない。ただ、戦える事を証明するために。
しかし、現実は非情。
「この程度の拳も躱せない今のお前では……死ぬだけだと言っている」
先に突き出されたのは氷河の拳。
星矢の眉間に凍気を纏った氷河の右拳が触れていた。
「う、ううう……」
「分ったな。理解したのならば――」
――行け、星矢
ドン、と目に見えぬ壁がぶつかった。
その瞬間を星矢と瞬はそう感じ取っていた。
「うわぁっ」
「クッ、氷河!」
吹き飛ばされた星矢が慌てて立ち上がろうとするが、片膝をついたまま即座に動けない。
くそっ、と毒付きながらも氷河へと視線を向ける。
「我らは」
「デスクィーン」
「暗黒スリー!」
そこには星矢の視界を遮る様に三つの黒い人影があった。
星矢達の知らない意匠を施された聖衣を纏った暗黒聖闘士の姿が。
「あ、暗黒スリーだと?」
「……くっ、氷河の言う通りだった。チェーンが敵の接近を教えていてくれたのに気付けなかったなんて」
よろめく星矢に肩を貸しながら瞬が悔しげに呟く。
「フンッ、ブラックユニコーンの戻りが遅いので出向いてみれば」
「軟弱なツラをした小僧と破損した聖衣を纏った半死人の小僧」
「楽しめそうなのは一人だけか」
ニヤリと口元を歪めて笑う敵を前に、星矢達が身構えようとしてその動きを止めた。
星矢達だけではない。暗黒スリーと名乗った者達もであった。
「楽しむ、か。お前達にそんな余裕があればいいのだがな」
氷河を中心として銀色の風が吹いた。
光を反射してキラキラと輝くそれはダイヤモンドダスト。吹き荒ぶ凍気の風。
“カリツォー”
暗黒スリーへと右手を向けて氷河が呟く。
「な、何だこれは!?」
「氷の結晶か?」
「か、身体が動かん!」
ロシア語で『輪』を意味するその言葉の通り、光輝く氷の結晶が輪となって暗黒スリーの身体を拘束する。
「行けよ星矢、瞬。こいつらはここでオレが片付ける」
そう言うと、氷河は視線を星矢達から暗黒スリーへと向けた。
これ以上言う事はない、そうなのだと理解した星矢と瞬は、身動きを封じられた暗黒スリーを、氷河の側を駆け抜ける。
「無茶はするな」
ただ一言。そう呟かれた言葉を二人はしっかりと聞いていた。
ブラックユニコーンが地を蹴った。
対峙する邪武もまた大地を蹴る。
交差する白と黒の塊。
「ぐあっ!」
「ぐぬぅうっ!」
繰り返されるその行為の度に大地は抉れ、周囲には鮮血と聖衣の破片が舞う。
お互いに得意とする戦法は瞬発力を生かしてのヒットアンドウェイ。
どちらが先に相手の急所を捉えるか、致命的なダメージを与えるか。戦いは体力と精神の壮絶な削り合いと化していた。
先のダメージを鑑みれば互角にまで持ち込んだ邪武が優勢ともとれるが、そこに至るまでの経緯に差があり過ぎた。
消えかけの蝋燭が見せる最後の炎の瞬き。それが今の邪武であった。
時間が無いのだ。
だからこそ、邪武が最も恐れたのは相手が時間を稼ごうとした場合だ。距離を離される事だ。
「ま、まだまだあっ!!」
邪武は食いしばり喰らい付く。何度も何度も。
ブラックユニコーンは当然の如くそれを分っていた。分っていて対処が出来ない。
距離を取ろうとすればそれだけの隙を与える事となり、その僅かな隙でさえ現状では致命傷になり得る。攻め手を緩める事が出来ない。
故に削り合う。
「こ、の、餓鬼がぁあッ!!」
その果てで。
根を上げたのはブラックユニコーンであった。優勢であったが故に、ここまで追い詰められた事実に恐怖したのだ。
限界を迎えたのは邪武であった。その足が止まったのだ。
「“マヴロスピラ”ーーッ!!」
好機とばかりに放たれるブラックユニコーンの必殺拳。『黒い螺旋』の意の通り、突き出された拳には黒い小宇宙が螺旋を描き纏わり付いていた。
それは、この場所で邪武を一度打ち倒した技だった。
「聖衣もろとも砕けて死ねいッ!!」
振り抜かれた拳が轟音を上げて貫いていた。
大地に映る邪武の影を。
「ヘッ、焦って引っ掛かりやがったな。隙を見せればやって来るんじゃねえかと思っていたよ!」
「ば、馬鹿な……」
「……良いアドバイスをくれたよ、テメエは」
邪武が聖闘士として会得した必殺技は“ユニコーンギャロップ”と言う。
上空から秒間100発以上の蹴りを放つ技であり、大会ではこの技によってライオネット蛮を退けた。
しかし、ブラックユニコーンには通じなかった技だ。
「即席だがな、オレの新しい必殺技だ! 喰らいやがれ!!」
上空を見上げたブラックユニコーンの視界を螺旋状の渦が覆い尽くす。
それは天高く跳び上がった邪武の身体を覆う小宇宙の渦であった。
「“ユニコーンドリル”ッ!!」
蹴りの体勢のまま全身を高速回転させたその姿は、その名が示す通り正しく螺旋を描いた“一角獣の角”そのもの。
「おらぁああああああ!!」
「馬鹿な、ありえん、オレが負け――がぁあああああああ!!」
迫り来る純白のユニコーン。
邪武の小宇宙が映し出したそのビジョンを視界に焼き付けてブラックユニコーンは崩れ落ちた。
「は、ははは……ざ、ザマア見やがれ……」
ピクリとも動かないブラックユニコーンの姿を前に、張り詰めていた邪武の中の何かがとうとう切れた。
「……星……やぁ……。ヘマすんじゃ……ねぇ……ぞ……」
全身から熱が抜け落ち、視界が暗転する。
「お嬢さ……ま……」
そう言って、意識を失った邪武の身体が糸の切れた人形のように崩れ落ち――
「見事だ、邪武」
紫龍の手によって抱き止められた。
「――許せ」
それが何に対してなのか。
スウッと息を一つ吐くと、紫龍は意識を失った邪武の身体目掛けて拳を振り下ろした。
「ふむ、破壊する事しか知らぬ聖闘士が真央点を知っていたとは。いささか驚いたな」
邪武の胸に紫龍の拳は突き立てられてはいなかった。
ただ紫龍の人差し指が邪武の心臓の上に立てられていただけである。
「ユニコーンが心配になって戻って来た、と言う訳では……」
「……元より、邪武の戦いを汚すつもりなど無い」
「だろうな。どうやら最初から私の存在に気が付いていたようだ。隠行には多少の自信があったのだが」
驚くべき事に、それだけの事で邪武の身体から流れていた血がピタリと止まっていた。
「それはこちらとて同じ事。よもや暗黒聖闘士がこの血止めの急所を知っていたとはな」
邪武の身体を横たえ立ち上がった紫龍がゆっくりと背後へと振り返る。声の主に向けて。
「ブラックドラゴンよ」
「フフフッ」
一輝に付き従っていた四人の暗黒聖闘士。
その一人、ブラックドラゴンが薄らと笑みを浮かべながらその歩みを進め始めた。