本大会に出場する聖闘士達は、その戦いの中で命を落とす事も了承済みである。
ギャラクシアンウォーズ開催の際に言われた言葉である。
超常の力を持った聖闘士同士の戦いにはそれ程の危険性がある。その事を知らしめるには十分な言葉であったのだろう。
星矢と紫龍、二人の戦いはまさにそれを体現したのだから。
とは言え、財団側も何の対策も講じなかったわけではない。彼らも本当に死者を出すつもりなどは無いのだ。
財団側は現状で考え得る最高のスタッフと医療設備をコロッセオ内に用意しており、万が一の事態に対して備えていた。
二人の戦いが異常であったのだ。誰もがあそこまでやるとは思ってもいなかったのだから。
控室からリングへと向かう通路、その途中に医務室がある。そこでは試合に敗れた市や負傷した星矢達が治療を受けていた。
「そのハズだったんだが……どういう事だ?」
辰巳を連れて医務室へと訪れた那智は首を傾げる。
医務室にはスタッフが誰もいない。
「誰もいないのか? 部屋を間違えたのか?」
そう思いもしたが、誰かが居た、という形跡はある。三つ並んだベッド、その内二つのシーツは乱れ、点滴らしきものが無造作に放置されていた。
ベッドの脇に設置された医療機器らしき物には電源が入っており、椅子は机から若干引かれた位置にある。
「間違ってはいないな。市はいるんだからな」
並んだベッドの一番奥では包帯に巻かれたミイラ男状態の市が眠っている。
「まさか!? いや、いくらなんでもそれは……」
那智の脳裏にあり得ない回答が浮かび上がる。頭を振って否定しようとするが、目の前の現状はそれこそが答えだと、正解だと訴える。
「あ、あの!」
「セイントの人ですよね!」
掛けられた声に那智が振り向けば、そこには息を切らせた二人の少女の姿があった。
一人の少女には見覚えがある。紫龍に付き添っていた春麗と呼ばれた少女だ。
もう一人は、黒髪を首の後ろで二つにまとめた純朴そうな少女であった。
ここに居るという事は彼女もまた誰かの関係者なのだろうかと、そんな事をぼんやりと那智が考えている間に今度は医療スタッフと思われる男性から声を掛けられる。
「君、ここに来るまでに彼らを見なかったかね!?」
彼ら、その言葉で那智はあり得ない答えが正解となった事を確信した。
「紫龍の姿がどこにも無いんです!」
「星矢ちゃんが、私達が目を離した間にいなくなっちゃって! あんなに酷い怪我をしているのに……」
那智は眉間を指で押さ、そして天を仰いだ。
視界には蛍光灯で白く照らされた無機質な天井しか映らない。
そうしていても分る。二人の少女の切迫した様子が。相手をどれ程心配しているのか、が。
「……分った、探して来よう。代りにこいつを、辰巳を頼む」
言いつつも那智は内心で自問する。自分はここに戦いに来たはずだった。しかし、さっきからやっている事は何なのだ、と。
「オレは何をしに日本に戻って来たんだ?」
その小さな呟きは誰の耳にも聞こえない。
別室から出てきた檄が腹を押さえながら「オレも行くぞ」と言いかけたのを拳で黙らせ、那智は二人を探すために走り出した。
当ては無かったが、星矢達がどこに向かおうとしているのかは見当が付いている。
「聖闘士としての在り方で言えば正しいんだろうが……無茶だぜ」
後は自分がその場所を嗅ぎ付けられるのかどうか、だ。
第33話
――あんな女に尻尾を振って
――馬鹿じゃないのか
――それでも男か
城戸邸に集められた百人の孤児達の中にあって、邪武は異質な存在として皆から距離を取られていた。
理由はただ一つ。「お嬢様の飼い犬」と、そう揶揄される程に城戸沙織に心酔し、その側にあろうとしていたためである。
殆どの孤児達は望んで城戸邸に来たわけではない。強引とも言える様な手段を持って集められた者たちが大半を占めていた。
そんな彼らにとって、城戸光政やそれに類する者達に良い感情など持てるはずがない。
だからこそ、邪武がなぜそんな行動に出るのかが理解できない。おべっかを使い、絶対的権力者である城戸の人間にすり寄っているようにしか見えない。
星矢との反発の根っこはこの時にできたと言っても過言ではないだろう。姉と引き離された星矢にとって城戸光政は憎い敵でしかなかったのだから。
邪武にしてみれば、孤児達のその認識は誤解であった。
皆と同じ様に、城戸光政には怒りや憎しみを抱いていたしそれに類する者達にも良い感情など持ち合せてはいなかった。
ただ一人、城戸沙織を例外として。
沙織だけが特別であったのだ。
それは憧憬であったのかもしれないし、初恋であったのかもしれない。男は女を守る者、そんな意識があったのかもしれない。沙織を妹と見立て、自分は兄となりたかったのかもしれない。
どれもが正く思え、しかし、しかし何かが違う。その何かが分らない。その答えを知るためにも沙織の側にいなければならない。なぜそう思ったのかが分らない。
それでも、その行動は正しいのだと、邪武にはその確信だけがあった。
あの時から六年が経った今でも邪武の思いは変わらない。むしろ、より強固になってすらいた。
自分は城戸沙織の側に居なければならないのだ、と。護らねばならないのだ、と。
「げぇほ……ッ!?」
腹部に突き立てられた拳によって、邪武の口から吐しゃ物が撒き散らされた。
血の色の混じったそれが地面に広がるより早く、今度は背中に激痛が走る。
「さっきの威勢はどこに行った? この程度か、ブロンズのユニコーンは」
ブラックのユニコーンの蹴りだ。
邪武が身を屈めた時には既に背後へと移動しており、無防備を晒した背中を踏み抜いたのだ。
「所詮貴様等ブロンズ如きが我ら暗黒聖闘士に挑もうとする事自体が間違いなのだ。そうやって反吐に塗れているのがお似合いよ」
「があッ!!」
倒れた邪武の後頭部を踏み付け、ブラックユニコーンがそうなじる。
傷一つ負っていないブラックユニコーンに対し、邪武は既に満身創痍であり、身に纏った聖衣は大破と言っても差し支えない程に破壊されていた。
「フフフ、馬鹿な奴め。我らの後など追わずに大人しく丸まっていれば良かったのだ。小娘など放っておけばこの様な目に遭わずとも済んだものを」
「……や、やかましい、ぜ……」
「ほう、まだそんな口が利けるか。その頑丈さだけは褒めてやる」
コロッセオを飛び出した邪武は、一度はその視界に沙織の姿を捉える所まで暗黒聖闘士達に追い迫っていた。
しかし、それも森林公園に足を踏み入れるまでであった。
「ユニコーンか。まさかここまで来るとはな。しかし、一人で来たのは過ちだ。コロッセオでの事を忘れたか?」
「ブラックのユニコーンか!! そこをどきやがれッ!」
邪武の行く手をブラックユニコーンが遮り、その間に沙織の姿は森の奥へと消えしまう。
先へ進もうとする邪武と、それを食い止めようとするブラックユニコーン。両者の戦いが始まった。
どちらも脚力を、瞬発力を生かした戦闘スタイルであったが、ブラックユニコーンと邪武の速度には実際はそこまで大きな差は無かった。
むしろ、出掛りの一瞬に関しては邪武の方が上であった。
しかし、勝負を焦る邪武はブラックユニコーンにその隙を突かれ、悉く翻弄されてしまう。
そうして、邪武が最初の一撃を受けてスピードを鈍らせてしまった事で戦闘力の天秤はブラックユニコーンへと大きく傾いてしまったのだ。
「このままいたぶってやっても良いが、あまり時間も無いのでな。せめてもの慈悲だ、このまま一息に頭蓋を踏み砕いてやる」
邪武の後頭部にあった圧力が消えた。宣言の通りであれば、足を上げたのだろう。
「ぐっ、うう……!」
先の一撃のためか、逃れようとする邪武の意思に反して身体が動こうとしない。それでも諦めるという選択肢はあり得ない。
(オレは! お嬢様も助ける事が出来ずにオレはッ……!! こんな所で寝ている暇はッ!!)
「まだ足掻くか。見苦しい、無様を晒すな」
――死ね、ユニコーン
「う……うおおおおおおおおおお!!」
振り下ろされるブラックユニコーンの一撃。
バァンという破砕音が鳴り響き、砕かれた聖衣が鮮血と共に舞い散った。
ブラックユニコーンの身体から。
「ぐおぉおッ!?」
その場から飛び退くブラックユニコーン。暗黒聖衣は左肩が砕け、咄嗟に押さえられた肩口からは血が流れ出ている。
「だ、誰だ!?」
苦痛に顔を歪めながら、自分の左肩を吹き飛ばした一撃の主を睨みつける。
「くっ、こ、この強大な……攻撃的な小宇宙は……!? 知っている、知っているぞ!! 馬鹿な、死んだハスの貴様がなぜここにいる!」
――何やら騒がしいと思い来てみれば。フッ、どいつもこいつも似たような事を言う。不死鳥は死なん。例え灰と化しても蘇るのだ、何度でもな
暗がりから姿を現した人影に向けて、その正体を知ってブラックユニコーンは叫んだ・
「フェニックス一輝! そして裏切者の暗黒四天王!!」
驚愕するブラックユニコーンの前に現れたのは彼らの神によって殺されたはずの一輝と暗黒四天王達であった。
「フン、オレ達を裏切り者などと、どの口が言うか!」
「我らは一輝様に忠誠を誓ったのだ。貴様らの言う神などに従った覚えは無い!!」
「止せ、二人とも。今更何を言ったところで意味は無い」
激昂しかけたブラックペガサスとブラックスワンを制して一輝が一歩前に進む。
「む、むうぅうう……」
対峙している。ただそれだけであるはずなのに、ブラックユニコーンは全身が冷たいもので濡れていく事を感じ取っていた。
一輝が一歩前へ進む。気圧されて一歩下がる。
二人の距離は縮まらない。
「フェ、フェニックス……一輝……だと?」
対して一輝と邪武の距離は自然と縮む事となり、見上げる邪武と倒れ伏した邪武を見下す一輝という構図が出来上がる。
「フッ、邪武か。六年経っても相変わらずお嬢さんに振り回されている様だな」
それだけを言うと、一輝は視線をブラックユニコーンへと向ける。倒れた邪武に手を差し出す様な事はしない。
「さて、ブラックユニコーンよ。質問に答えろ。貴様はゴールドクロスのパーツを持っているのか? 持っているならば大人しく差し出せ。ならば命は助けてやろう。
持っていないのであれば消えろ。お前如きを相手していられる程ヒマではないのでな」
「く、ぐむぅ……、な、舐めるな……ッ!!」
自分など歯牙にもかけないと、そう言うのかと。
一輝の放つ小宇宙に完全に呑まれていたブラックユニコーンであったが、その怒りが再び闘志に火を着けた。
「……一輝様……」
一輝の側にブラックアンドロメダが並ぶ。片付けましょうか、と。何も言わずとも一輝にはブラックアンドロメダがそう考えている事が分った。
ブラックアンドロメダだけではない。背後では残る四天王が構えを取っているであろう事も分る。
その事に苦笑しつつ一輝は言う。
「いや、その必要は無い」
ちらと一輝が背後へと視線を動かす。
「邪武! 大丈夫!?」
「待て、瞬」
「でも氷河!」
邪武を追ってきた瞬と氷河であった。
邪武の元へ駆け寄ろうとする瞬を氷河が静止している。
「状況が分らん、迂闊に動くな」
そう言って氷河が瞬の前に出る。
無理もないであろう。氷河の目の前では暗黒聖闘士同士が対立をしていたのだから。
それを率いている者が自分達と同じ聖闘士であればなおさらだ。
「その聖衣は……そうか、お前がフェニックスなのか一輝」
「氷河に……瞬か」
瞬を見る一輝の瞳は穏やかで、瞬の目標であり憧れであった思い出の中の兄と変わらず。
「……え? に、にい……さん? 兄さんなの!?」
六年間、渇望し続けた兄との再会である。知らず、瞬の頬は涙に濡れていた。
「やっぱり、生きていたんだね兄さん!」
「待て瞬!」
氷河の制止を振り切って駆け出す瞬。
「……瞬、お前は……」
瞬が一輝に手を伸ばし、一輝もまたそれに応える。
「六年経っても治らんか。あいも変わらずのその涙……」
固く握られた拳によって。
「……え?」
「瞬!」
冷静に状況を窺っていた氷河だからこそ反応ができた。
咄嗟に瞬の肩を掴み自分の方へと引き寄せたのだ。
何が起こったのかを理解できず、呆然としている瞬の右肩からポタリ、ポタリと赤い雫が流れ落ちる。
一輝の振るった拳によって、アンドロメダの聖衣の右肩が砕かれていた。
「……に、兄さん? どうして?」
力無く呟く瞬。その目に映る一輝の姿からは先程感じた温かみは欠片も無く。
ただ、燃え盛る烈火の如き熱さだけがあった。
「戦いの場にあって涙を見せるなど……惰弱な。その甘さがいつかお前の命取りになると知れ」
そう言うと、一輝は控えていた四天王に「行くぞ」と声を掛けて歩き出す。
「六年経っても変わらないのはお前もじゃないのか一輝よ。……お優しい事だ」
その行く手を阻むかの様に、一輝の前に氷河が立つ。
両者の視線が、熱波と冷気がぶつかり合う。
「……お前達が何をしようと知った事ではない。ただ、これだけは言っておく。オレの邪魔はするな」
あの二人にも伝えておけ。そう続けた一輝の視線を氷河が追えば、破損した聖衣を纏った星矢と紫龍の姿に気付く。
「に、逃げる気か一輝!」
その時、ブラックユニコーンの怒声が響いた。
氷河の意識が逸れた僅かな瞬間であった。
――お前はゴールドクロスのパーツを持っていないようなのでな。ならば言ったはずだ、相手にしている暇は無い、と
「一輝!?」
「待って! 兄さん!!」
一輝と四天王達が忽然とその場から姿を消していた。
「お、おのれ~~ッ!!」
敵とすら見なされない。その事実にブラックユニコーンの矜持は完全に砕かれた。
行き場の無い怒りが全身を駆け巡り、血走った眼が、狂気を孕んだ眼差しが暴力の捌け口を求める。
ブラックユニコーンの前には合流した星矢と紫龍を合わせて四人の獲物の姿がある。
「ならば、ならば貴様から血祭りに上げてくれるわ!!」
叫び、駆け出す。
狙ったのは瞬。
一輝を兄と呼んだ、それが理由であった。一輝の目の前に身内の死体を突き付ける、そのために。
だが、しかし――
「……待てよ、お前の相手はこのオレだ」
ブラックユニコーンの前に立ち塞がる者がいた。
邪武だ。
「貴様ッ!」
「邪武!? そんな傷で無茶だ!」
瞬の言葉の通り、立ち上がった邪武は誰が見ても戦える様な状態ではない。
「う、うるせえ。オレの事なんかどうでもいい! こ、この先にお嬢様が居るはずなんだ。連中は船がどうだとか言ってやがった……急がねえと拙いんだよ!! ここは……」
ふらつく自身に喝を入れるように、掌に拳を打ち付けて邪武が叫んだ。
「――オレに任せて早く行きやがれ!!」