リングに立った八人の聖闘士たちが掴み取った流星。
そこに記されたAからKまでのアルファベットが彼らの運命を決める事となる。
「トーナメントボードを御覧なさい。そこに記されたアルファベットに応じて自分の対戦相手が決まります」
「オレはCだな。順番通りなら第二試合か」
沙織の言葉に従って星矢が手に取った玉を見る。
トーナメントボードを見れば確かにCの場所にPEGASUSの文字が表示されていた。
「ぼくはFだね」
亜麻色の髪の美しい少女のような面立ちをした少年――二対の鎖に繋がれた聖衣を纏った聖闘士アンドロメダ瞬が。
「Eだ。ふむ、二回戦のシード枠か」
腰まで伸びた長い黒髪と落ち着いた雰囲気をもった少年――星座のイメージに違わぬ重厚な聖衣を身に纏った聖闘士ドラゴン紫龍が。
「Hか。どうやらお互い決勝まで行かないと決着がつけられないみたいだぜ星矢」
幼き頃より沙織に従い、反抗的な星矢とは何かにつけて反目し合っていた少年――伝説の一角獣のイメージの通り、ヘッドギアの角が特徴的な軽装型聖衣を身に纏った聖闘士ユニコーン邪武が。
「ククク、Bだ」
「Iか。一回戦の最終試合だな」
「蛮はGでオレはDだな。おいおい、初戦から逃げ腰の星矢が相手とは拍子抜けだぜ」
海ヘビ星座の聖闘士、毒蛇を思わせる不気味さを醸し出す少年――ヒドラ市が。
狼星座の聖闘士、鋭い眼つきをした速度重視の軽装型聖衣を身に纏う少年――ウルフ那智が。
子獅子星座の聖闘士――ライオネット蛮が。
大熊星座の聖闘士、百九十センチに届こうかとういう巨漢の少年――ベアー檄が。
トーナメントボードを見つめる彼らは何を思うのか。
ある者は己の願いのために。
ある者は己の強さの証明のために。
ある者は己の忠誠を示すために。
ある者は己の師に報いるために。
それぞれがそれぞれにしか分らぬ想いを内に秘め戦いに臨もうとしていた。
「ん? 待てよ。トーナメントボードにはまだ空きがあるぞ?」
「ああ。一回戦の市の対戦相手のAに、最終戦の那智の相手になるJ、そしてそのシードのKだな」
那智の言葉に紫龍が答える。
トーナメントボードには三カ所の空白があった。
「おいおい、しっかりしてくれよお嬢さん? 緊張し過ぎてポカでもやらかしたのか?」
「星矢! お前お嬢様を侮辱する気か!!」
「侮辱も何もあるかよ。オレはお前みたいにお嬢さんの番犬になった覚えはないんでね」
「上等だ星矢ァッ! 決勝まで待っていられるか! ここで叩きのめしてやる!!」
「やるか!?」
星矢と邪武。元々反りが合わない二人であったがこうまで険悪になったのには理由があった。
それは星矢が帰国してすぐの事である。
城戸邸で行われたマスコミ向けのギャラクシアンウォーズの説明会において、この二人は拳を交えていたのだ。
そもそも星矢が聖闘士を目指したのは城戸光政によって引き離された姉と再会するためであった。聖闘士となり生きて日本に帰る、それが城戸光政が幼い星矢に示した姉と暮らすための唯一の条件。
その言葉だけを信じて帰国した星矢を待っていたのは姉が行方不明になっていたという信じがたい事実。
姉との再会を約束したはずの城戸光政は既にこの世になく、後を継いだ沙織はそのような約束は知らないと言う。
それどころかショー紛いの戦いに参加しろとの命令をしてくる。
星矢にそれを受け入れられるはずもなく。
――ふざけるなよ。約束を守れないって言うんなら、もうそっちに従う理由なんてないんだよ。
交渉は決裂し、星矢は聖衣を持って城戸邸を後にしようとした。
――うるせえぞ星矢!! なにをごちゃごちゃと泣きごとをぬかしてやがる。
それを止めたのが誰よりも早く聖闘士となり日本に戻った少年、幼き頃より沙織に心酔していた邪武であった。
お互いに様子見程度であったとはいえ、ここでの交戦によって星矢の足が止まった事は沙織にとって有利に働く。
――ならば取引をしましょうか星矢。おまえが優勝すればグラード財団の総力を挙げておまえの姉の行方を追ってあげる。
いくら聖闘士となったとはいえ、一人の人間に出来る事には限界がある。
私闘が禁じられている事は百も承知。それでも、例え聖域を、師である魔鈴たちを敵に回すとしても。
星矢には、沙織の言葉を拒む事はできなかったのだ。
第28話
「止さないか邪武! 星矢!」
一色即発、そんな二人を止めたのは瞬である。
幼い頃より兄の影に隠れ、争い事を拒み続けていた心優しき少年。
聖闘士となってもその性質は変わらずと彼を知る誰もが思っていた。その瞬が発した怒声に二人はおろか、静観を決め込んでいた残る五人の聖闘士達も目を見張る。
「チッ、ケリは試合で付けてやる。勝ち上がって見せろよ星矢、お前は俺が倒す!」
「フッ、それはこっちのセリフだぜ邪武。お前こそオレと戦う前に負けるなよ」
「おいおい、何を二人だけで盛り上がっているんだよ。お前の相手はオレだぞ星矢。まさか勝てるとでも思っているのか?」
「ククク」
「そういう事だな。オレたちを忘れてもらっちゃあ困る」
だが、それも一瞬の事。
二人の闘志に当てられたのか、会場の熱気に後押しされてか。
檄たちもまたその瞳に闘志の炎を燃やし始めていた。
「……みんな」
「諦めろ瞬。こういう奴らだ」
肩を落とす瞬に対して仕方あるまいと、紫龍が慰めの言葉をかける。
ありがとうと、慰めの言葉への礼を返そうとした瞬であったが紫龍の目を見てその言葉を飲み込んだ。
「……紫龍、君もか」
代わりに出たのはそんな言葉であった。
リング上の聖闘士たちのやり取りを余所に沙織とアナウンスは観客へと説明を続けていた。
未だこの場に到着していない聖闘士が三人いる事。
コンピューターによりその三名がトーナメントボードに自動的に組み込まれる事を。
「この三名の到着が遅れている事に関してましては皆さまに謝罪を致します。それによりトーナメントの進行に変更が生じる事をご了承下さい」
沙織の言葉にトーナメントボードの空欄が淡く輝き始め、ここにはいない聖闘士の星座を順番に表示する。
一回戦第一試合のAには白鳥星座――CYGNUSが。
一回戦第四試合のJには鳳凰星座――PHOENIXが。
そして――
「な、まさか!?」
その表示を見て星矢が驚愕の声を上げた。
反応を見せたのは星矢だけではない。
紫龍もまた、星矢ほどではないにしろその名前に驚きを見せていた。
「エクレウス……老師が気にされていた聖闘士か。ならば、相手にとって不足は無いな」
「……海斗っ……!」
二回戦第三試合シード枠のKには子馬星座――EQUULEUSの文字が表示されていた。
「……一体どういうつもりだ海斗」
「どうって、何が?」
窓から見える雲海をぼーっと眺めていた海斗の耳に、多分に苛立ちを含んだ声がかけられる。
それは隣のシートに座るブロンドの髪と青い瞳、端正な目鼻立ちの――日本人の父とロシア人の母を持つハーフである――少年、氷河のものだ。
読んでいた本を閉じ、ジロリと睨むような眼で海斗を見る。
「オレは聞いていない。どうして“お前まで”出場する事になっている」
海斗と氷河、二人はグラード財団が用意した専用の旅客機に乗り込み日本へと向かっていた。
元々、氷河はギャラクシアンウォーズに興味は無く、帰国を催促するグラード財団からも距離を置いていた。
そんな事よりも氷河には優先すべき事があったためである。
それは、東シベリア海の氷の海の底に眠る母ナターシャを見守る事であった。
城戸光政に引き取られる前に遭遇した海難事故。ナターシャは氷河を助けた代わりに逃げ遅れてしまい、ただ一人遭難した船とともに東シベリアの海の底に沈んだ。
幼い氷河は海の底から母を救い出す事を誓い、聖闘士であればそれが可能となると聞き――決意した。聖闘士となる事を。
そうして送り出された修行の地が母の眠る東シベリアであった事は、氷河に確かな運命を感じさせたのだ。
六年間の修業を経て成長した氷河は、東シベリアの地で母の眠りを見守りながら静かに暮らしていくつもりであったのだ。
機内に備え付けられたモニターには、日本で行われているギャラクシアンウォーズの録画映像が流れている。
会場では第一試合に出場するはずの氷河の到着が遅れた事により、先に第二試合である檄対星矢の試合が行われていた。
「ん? ああ……成り行きで」
真面目に答える気が無いのか。海斗は変わらず窓の外をぼーっと眺め続けている。
氷河は師であるカミュの教えに従い、務めて感情を表に出さない様にしている。が、さすがにこうもぞんざいに扱われては腹に据えかねるものがあったのだろう。
「……オレが出場する。その意味を分っているはずだが?」
苛立ちを超え、明確な敵意の込められた氷河の問いかけにようやく海斗は首を動かし向き直った。
「怒るなよ。私闘を繰り広げるアイツらへの制裁、だろう? 俺としても想定外だったんだ。まさか聖域の連中が大会開催中に動くなんて」
聖域上層部の意思決定力低下の問題を海斗は教皇より聞かされた事があった。
なまじ教皇自身が優れていたために、そのカリスマが大き過ぎたために起きた弊害。彼らは教皇という偉大な指導者に依存してしまったのだ。
「教皇が瞑想に入った事でな、今の上層部の連中の中には代わりとなって舵取りを出来る奴がいないんだよ。失敗して責任を負いたくないんだろうな。俺だって嫌だ。
だから連中は積極的な指針は出せないし、出さない。教皇が戻るまで、戻らなくとも大会が終わるまでは静観すると思ってたんだよ。
まあ、それでだ。俺はこの二年間教皇の指示を受けて探し物をしていてな、所在の不明だったサジタリアスの黄金聖衣だったんだが……」
そこまで言うと、海斗はドリンクに手を伸ばしてモニターへと目をやる。
ペガサスの翼の意匠を施された特徴的なヘッドギアに速度重視の軽装型の聖衣を纏った星矢が、檄にその細い首を両手で締め上げられ吊り上げられていた。
戦っている二人の内心はともかく、観客達の悲鳴とそれを煽るかのようなアナウンスと演出が、否応にもこの戦いがショーでしかないと感じさせる。
「裏から手を回して、とか、力技で、とも思わなくもなかったけど……それをやると表の世界で窃盗犯扱いされそうだったんでな」
「与えると公に明言されている以上、優勝してしまえば問題は無い、か。なるほどな、確かに成り行きだ」
モニターの映像は、星矢が檄の両手を聖衣ごと破壊し蹴りによって勝負を決めたところであった。
ルール上は三本勝負との事だったが、檄の受けたダメージが大き過ぎたために試合続行不可能と判断され星矢の勝利がアナウンスされている。
「都合良く俺とお前はトーナメントの端同士、決勝までは当たらない。それまではお互いの目的のために頑張るとしましょうかね」
「……決勝はどうする?」
「お前と戦う理由は無いから棄権するさ。ああ、聖衣はヨロシク。興味無いだろ?」
「……いい加減な奴だな」
呆れたように呟いた氷河は、閉じていた本を開き再び読書へと戻る。
海斗はちらと氷河の読んでいる本に視線を向け、ロシア語を見た時点で興味を失くす。
空になったドリンクをサイドに置きシートを倒して横になった。
「目的――か」
口にして、海斗は思う。
数少ない知人には公言している事であるが、サジタリアスの黄金聖衣の捜索と確保を教皇から指示されている事は嘘ではない。
氷河に語った穏便に入手するために大会に参加を決めた事も嘘ではない。
誰にも言っていない事があるだけだ。
隣を見れば自分と同じ様に氷河もシートを倒して眠っている。
それを一瞥すると、シートを起こした海斗は思い出すように自分の眉間に手を伸ばし、そこに刻まれた傷跡に触れた。
それは二年前、教皇――サガによってつけられた傷。
精神を支配する伝説の魔拳“幻朧魔皇拳”の傷跡だ。
しかし、本来であればその魔拳は肉体に傷を負わせる事はない。
そう、放たれた魔拳は不完全なものであった。
悪心たるサガの放った魔拳を善心たるサガが歪めていたのだ。
魔拳が見せる幻影の中で、海斗は知った。
教皇が何者であるのかを。
一つの身体に二つの精神を宿すサガという人物を。
善心たるサガは地上の平和を願い、悪心たるサガは地上の支配を望む事を。
聖域にアテナが存在しない事を。
それを誰にも、ムウにも師であるアルデバランにすら語る事なく今も自身の胸の奥に秘め続けている。
それが魔拳の及ぼす影響の一端である事は海斗自身自覚しているが、それだけが理由でもない。
「何にせよ、全てはお嬢様に会ってからだ」
サジタリアスの黄金聖衣を追うという事。それはアイオロスを追うという事であり、彼が“救い出した”アテナの行方を追う、という事と同意。
悪心たるサガは知らない。善心たるサガが海斗に伝えた意思を。
「……ッ!?」
ズキリ、と眉間の傷が疼く。
魔拳の支配に抵抗しようとすると、必ず発生する痛みだった。
だが、それがいいと海斗は思う。
この痛みこそが、自身の意思が善心たるサガの意思に、その願いに反する事を証明しているのだから。
「……借りは必ず返す。貴方を悪い魔法使いのままでは終わらせない」
間近で接する機会が多かったためか、多くの者達がそうであったように、いつしか海斗もサガという人物に好感を持っていたし、尊敬の念を抱いていた。
アテナを護れと願うのなら護ってやる。
力を貸せと願うのなら応えよう。
だがそれでも。
それでも――聞けない願いがある。
「思い通りにはさせない」
“サガ”は罪を犯した。
悪心は日々その存在を大きくし、善心たるサガは己に裁きを求め続けている。
故に、願った。
来たるべきその日が訪れた時には、アテナとともに――悪心に染まった己を討てと。
「貴方は貴方が思う以上に必要とされているんだ。死ぬ事で終わりになんてさせやしない」
「……とは言え、な。そもそも貴方に勝たなくちゃならない、っていう時点で詰みなんだけどな。それに……」
窓の外を流れる雲を眺めながら海斗はハァと重く息を吐いた。
正直、この問題の前には何もかもが小さい事のように思えてしまうから困る。
「全ては沙織お嬢さん次第だ。……まさか、あの沙織お嬢さんが“女神アテナ”とはねぇ。冗談にしても笑えやしない。今でもあの女王様な性格のままだったら……師匠は泣く。アイオリアも泣くよな」
それはそれで面白そうではある。堪ったものではないが。
「セラフィナも……理想のアテナ像に心酔していたか。まあ、アテナの聖闘士としてはそれが正しい姿なんだろうが」
変な影響を受けて女王様然とした姿を――自分を馬にしてその背に乗り、広場を駆けまわらせる姿を――想像する。
「いやいやいやいや、ないないない。それはない、俺じゃあない」
頭を振って妄想を四散させる。
馬の役は俺ではない。邪武の役だと。
幼い頃の我が儘三昧の城戸沙織が見せた奇行の一つであったが、幼心にそれだけ衝撃的だったという事か。
シードラゴンとして目覚めた以前の記憶はかなり曖昧となってしまっており殆ど思い出す事はできないが、それでもこの時期の事だけはハッキリと覚えている。
「ッ、くく。ははっ」
浮かぶ笑みを押さえられずに声に出してしまった。
「……ん、着いたのか?」
そのせいで、どうやら氷河を起こしてしまったようだが勘弁してもらおう。
「ああ、いや、まだだ。それよりも覚えているか氷河? 邪武のアレ」
日本に到着するまではもう少し時間がかかる。
今の状況では、日本で星矢達孤児仲間に会ったとしても再会を喜び合うなどできはしないだろう。
ならば、それまでは昔話に花を咲かせるのもいいかと思い、海斗は氷河に話しかける事にした。
彼の師であるカミュに倣い、常にクールでいようとしている氷河を笑わせるか、動揺させれば勝ちだ、と。妙なルールを自分の中で設定して。