海斗の手にあるのは一冊の古びた書物。
それは、一人の男の十七年の記憶。
男の喜びと悲しみ、想いと怒りが綴られた物語。
書に刻まれた名はキタルファ。
圧し掛かるような倦怠感に頭をふり、海斗は溜息を吐きながら書を閉じた。
同情も、共感もできた。
男の心情が手に取るように分った。
だからこそ、腹立たしく、どうしようもなく海斗を苛立たせる。
「……細部は違えども、大まかな流れはまるで同じ。いや、俺に関してだけなら……」
状況は――より悪い。
書はその役目を終えたとでも言うように、ボロボロと崩れ去り、灰と化した。
おそらく、もう二度と目にする事は、思い起こす事はできないだろう。それだけは分る。
「……」
握り締められた海斗の拳。
そこから零れ落ちた灰が舞い上がり、瞬く間に周囲へと広がった。
「こんなモンを見せたのは、俺には無理だから、と? だから……諦めろ、って事か?」
白に染まる。
世界は見渡す限りの白に埋め尽くされ、自分の身体すら白に溶け込み認識する事ができない。
上を向いているのか下を向いているのか、そもそも、自分が立っているのか、座っているのか、見ているのか、見ていないのか、それすらも分らなくなる。
「……余計な……お世話だ……」
自分と言う輪郭が、消えていこうとするのが、分る。
「……」
意識が、意思が、海斗を海斗とする要素の全てが、白の中へと消えた。
ポルピュリオンは無言のままエキドナの右腕を掴み上げると、真紅のルビーが填められた腕輪を力任せに引き剥がした。
「う……あっ……」
その痛みで意識が戻ったのか、エキドナの口から苦悶の声が上がったがポルピュリオンは意に介さず、そのままエキドナの身体を投げ捨てる。
「あがっ!」
祭壇に叩き付けられたエキドナは、セラフィナの身体に覆い被さるようにして力無く崩れ落ちた。
「聖闘士の資質を持った者をエキドナの器とし、その者にこのルビーを与えるとはな。ドルバルめ、下らぬ事を考える」
エキドナは――その名を与えられたのは人間の少女であった。
ドルバルによって精神を支配された少女は己をギガスと信じて行動していた。
その綻びはジャミールの地で生じ、そして、この場で少女はアテナの聖闘士として覚醒を果たす。
聖闘士とギガスが対峙して行われる事は一つしかない。
「……無謀にも我に挑んで見せた蛮勇は好ましいが、如何せん実力が伴わぬ。聖衣の無い聖闘士に何が出来るものか」
そこでふと、ポルピュリオンは彼らしからぬ愚にもつかぬ事を考えた。
「神話の時代、我と対峙した聖闘士が言っていたな。聖闘士はその魂に星座の定めを刻み込んでいる、と。
セイカと言ったか。その定めがこうして傀儡と化して果てる事であれば――実に哀れなものよ」
腕輪からルビーを外したポルピュリオンは、それをセラフィナの胸へと押し当てる。
途端にルビーから赤い闇――そうとしか形容の出来ない何かが溢れ出し、セラフィナの周囲を覆い尽くすように広がり始めた。
「ク、クククッ。フハハハハハハハハ」
赤い闇が、哄笑を上げるポルピュリオンに迫る。
「いま暫くの御辛抱を。間もなく全ての準備が整います」
全てが赤い闇に呑み込まれる中、広間にはポルピュリオンの声だけが響き渡る。
「全ては我らが――王のために」
セラフィナの身体に押し当てたルビーを、胸元から下腹部へゆっくりと下げていく。
すうっと、まるで刃物に当てられたかのように、その肌に一条の赤い線が刻まれる。
ルビーから放たれる熱に、その時、ピクリと、セラフィナの身体が動いた。
「……目覚めたのか娘よ」
「……うっ……く、あ、あなたは……」
霞がかった思考、ぼやけた視界は徐々に鮮明になり、セラフィナの瞳に自分を見上げるギガスの姿がはっきりと映る。
そして、同時にここがどこなのか、自分に何があったのかを思い出す。
「――ッ!? あの人は?」
身動きできない事は分っていたが、それでも、と。僅かながらに頭を動かし少女の姿を探す。
それは、自分をこの場所に連れてきた仮面を着けた少女。
そして、仮面を捨て、自分を守るために戦った少女の姿を。
「解せんな、アレはお前の敵であった“物”だ。お前が気にする必要など、どこにもあるまい」
理解できんなと、ポルピュリオンが下腹部に押し当てた手に力を込めた。
「あッ――ぐうッ!」
「だが、お前は違う。王の母となる身だ、無碍にはせん」
ポルピュリオンの手に握られた、セラフィナの身体に押し当てられたルビーが、まるで心臓の鼓動を思わせるように妖しく明滅する。
裸身のまま磔にされた自分、母という言葉。そして押し当てられたルビー。
これから自分の身に何をされるのかは分らなくとも、その果てに何が起こるのかは想像できる。
とてもおぞましい事だという事が。
自分は、きっとその現実に耐える事ができないだろうという事も。
「――ヒッ、あ……くうッ……ッ!!」
泣き叫び許しを請えればどれだけ楽か。
助けてと、叫ぶ事ができたなら。
セラフィナは、口から漏れ出そうになった悲鳴を懸命に堪えた。
それは意地だった。
聖闘士としての意地であり、女としての意地であり、セラフィナという少女の十六年の生に対する意地。
どのような仕組みなのかは分らないが、聖闘士としての力を持ってしても己の身を戒めるこの鎖から逃れる事ができない。
自力で逃れる事は無理。
ならば、どうするのか。
(わたしを母とすると言った。だったら……)
下策も下策。そんな事はセラフィナにも分っていた。
それでも、頼れるモノの何もないこの場所で、おそらく残された時間もないであろうこの時に。
他に何ができるのか。
(……ありがとう)
セラフィナは瞳を閉じ、瞼に浮かぶ親しき人たちへ、届かないとは分っていても、心からの感謝を想った。
(怒るかな?)
いつも澄ました表情で、滅多な事でもない限り感情を乱す事のないムウ。
(泣いちゃうのかな)
お姉ちゃん、と。小さなころから自分を慕ってくれた可愛い弟。
そして、
(……あ……)
伸ばされた手と手が触れ合った瞬間を、セラフィナは覚えている。
つい先程の事だったのだ。
忘れるはずが、忘れられるはずがない。
自分を助けるために戦った海斗の事を。
無事であれば良いなと思う。
話したい事も聞きたい事もたくさんあった。
それでも――
「――ごめんなさい」
思考を打ち切り、言葉を口に出す。
これ以上は決心が鈍りそうだったから。
泣いてしまいそうだったから。
命を断つ。
自分にできる事はもう――これしかないのだから
第20話
「さあ、ここに力があるぞ! 手を伸ばせばいいさァ!! 助けるんだろう? 助けたいんだろう? 間に合わなくなるぞ?
今のお前さんじゃ無理なんだ、でもこれがあれば助けられる!! 勝てる!! 何者にも負けやしないさァ!!」
ピクリと、これまで何を語っても反応しなかった海斗の身体が、指が動いた。
それを見て、メフィストフェレスは――嗤った。
「我々は君の選択を歓迎しよう。そして、ようこそ冥王軍へエクレウス。いや――新たなる天雄星ガルーダよ」
ゆっくりと伸ばされていく海斗の手。
その動きに呼応するかのように、ガルーダの冥衣が胎動を始めた。
二百数十年の時を経て、再び依り代を得る事への歓喜によって。
冥衣は聖衣とも鱗衣とも、その在り方が根本的に違う。
冥衣を得るのではない。
冥衣が得るのだ。
冥衣――ガルーダの瞳が妖しく輝く。
さあ、早く手にしろと。
その身を委ねろ、と。
そして、ついに海斗の手が冥衣に触れる。
ガルーダの冥衣が大きく震えた。
魔鳥の姿から、人の身に纏わせるための鎧へとその姿を変化させ、海斗の身体を覆い尽くす。
「お一人様ご案内~ってね」
ここから先は、冥衣が済ましてくれる事。
ぼ~っと見ていても仕方がない。
「ほい、お仕事終了」
海斗に背を向け、そう呟いたメフィストフェレスであったが――
「!? な、何ぃッ!?」
その瞳が驚愕によって大きく見開かれる。
「おいおいおいおいおいおいおいぃっ!? 冗談じゃないっての!」
メフィストフェレスの足下から、眼前から、背後から。
次々と撃ち込まれる光弾が“留まった空間”に無数の亀裂を奔らせる。
『――こそこそと見ているだけなら見逃したものを!』
空間に響き渡る第三者の意思。
巨大な攻撃的小宇宙が空間を満たし、メフィストフェレスの生み出した世界を内側から破壊した。
「うおっとお!? バレてたとは思わなかったよ、さっすが神族! コワイコワイ」
「私とエクレウスの戦いに介入したその罪! その命で償え!!」
メフィストフェレスの眼前に現れたのは攻撃的小宇宙を燃やしたトアス。
トアスの眼前に現れたのは、この期に及んでなお笑みを浮かべたメフィストフェレス。
「“アヴェンジャー・ショット”!」
迫り来る無数の光線。
触れる物全てを破壊するその光を目前にして、メフィストフェレスの笑みが深まった。
「んはっ!」
「何!? まさか!」
あり得ない、と。その事実に驚愕するトアス。
目の前の敵は、ただ右手を振り上げただけだった。
「アヴェンジャー・ショットが“止まった”だと!?」
放たれた無数の光弾。
その全てが、メフィストフェレスの身体に触れる事なく目の前で、その横で止まっていた。
そして、トアスの驚愕はそれだけに止まらない。
「ほ~ら、お返しだ。受け取りな」
「ぐおおおっ!?」
メフィストフェレスの手から放たれのはアヴェンジャー・ショット。
しかも自分の放ったものよりも速く、重い。
「がはあっ!!」
トアスは背後にあった青銅の扉へとその身を叩き付けられ、洞窟内にドゴンと、大きく重い音が響いた。
「……流星拳、なんちゃってな」
シルクハットのつばを抑えながら、メフィストフェレスは何でもない事のように笑う。
「き、貴様ッ……」
見上げるトアス、見下すメフィストフェレス。
膝を抑えながら立ち上がるトアスを前にしながら、追撃のそぶりも見せてはいない。
「全く、こっちはそちらさんには関わる気はなかったってのに」
やれやれと、大げさに肩を竦め、わざとらしく溜息をつく。
演技であった。
関わる気がなかった事は事実であったが、こうして関わってしまった以上は楽しまなければとメフィストフェレスは考えていた。
先の戦いから、トアスの性質は把握している。
目の前でこのような態度を取られればどう動くか、も。
(さあ、どう動く?)
純粋な好奇心であった。
果たして、目の前のギガスは自分の思い通りに動くのか。それとも、と。
「……おんや?」
しかし、待っていてもトアスは動かない。
「いや、動こうとしていない、のか?」
よく見れば、その視線は明らかに自分を見ていない。
もっと遠くの何かを見ている。
何を、と。
メフィストフェレスがその視線を追うように振り向いたその瞬間だった。
ガシャンと、洞窟内に甲高い音が響き渡る。
一度だけではない。
二度三度と、続けてである。
「――ッ!?」
漠然とであったが、確かに感じた不安にメフィストフェレスはその場から飛び退いた。
トアスに背を向ける形となるが気にしてはいられない。
そんな事よりも、もっと重大な事が目の前で起きていたのだから。
もしかしたら、とは考えていた。
音の正体は、海斗の身体から弾き飛ばされた冥衣が周囲にぶつかる音であった。
それは、海斗の“意思”が“冥衣の意思”を拒絶した、凌駕した証。
五感を失い、血を失い、肉体は生命の危機に陥った。
あの少女を使い、そこからさらに精神を追い詰めた。
素養はあったのだ。
幾度となく黄金化を果たした聖衣がそれを証明している。
想定通り、海斗は五感を超えた第六感、そのさらに先にある超感覚である第七感――すなわちセブンセンシズ、小宇宙の真髄に辿り着いたのであろう。
それは良い。
それは良いのだ。
メフィストフェレスにとって、新たなる天雄星の誕生などどうでも良い事であったのだから。
受け入れればそれで良し。
この先の聖戦で、再び聖闘士同士の戦いが見られるのだから。
拒むのならそれも良し。
エクレウスという役者が繰り広げるであろう舞台を、こうして特等席で見続けられるという事なのだから。
しかし、これは違う。
こんな事は想定すらしていなかった。
「……アドリブにだって限度ってものがあるでしょうが」
メフィストフェレスの目の前で、海斗が変わっていく。
黒かったはずの髪はブロンドに染まり、色彩を失っていた瞳は本来の濃褐色から澄んだ青色へと。
額に、腕に、胸に、足に。
破損したエクレウスの聖衣から発せられる純白の輝きは、まるで光を纏わせるかのように海斗の身体を覆っていく。
ムウの手によって新生された聖衣が防御性能を重視した“鎧”であったとするならば。
曲線を多用し、身体に密着するように纏われたそれは、速度を求めたまさしく“聖なる衣”。
ゆらりと立ち昇った白と青の小宇宙は、僅かの間を置いて、螺旋を描いた巨大な柱へとその姿を変える。
交じり合い、混じり合う。
二つの色が一つになる。
それは空の青。スカイブルーのようであり。
それは海の青。アクアブルーのようでもある。
血を奪われ、五感を奪われ。
碌に身動きも取れなかったはずの海斗が、迸る自身の小宇宙が生み出した光の中、ゆっくりと立ち上がった。
「ふ、ふふふ、ふは、ふははははははははっ!! やはり、やはり運命だったのだ!!」
メフィストフェレスの背後から、狂ったかのような笑い声が聞こえる。
ちらりと視線を向ければ、そこには“狂喜”としか形容できない表情を浮かべたトアスがゆらりと立ち上がっていた。
「覚えているぞ、その聖衣! 何故も、どうしても、そんな言葉は必要ではない! 君が目の前にいる、それが全てだ!! 逢いたかったぞ――キタルファアッ!」
そう言うが早いか、トアスはメフィストフェレスの存在など知らぬとばかりに飛び出していた。
「今こそ! 千年の決着だキタルファ!!」
「速えっ!」
その速度は、メフィストフェレスの目をして速いと呼ばせるほど。
「そして、私が勝つぞ! “アヴェンジャー・ショット”!!」
再び放たれる必殺拳。
その勢いは、これまでとは比べ物にならないほどに凄まじく。
トアスの千年の執念、妄執とも言えるその全てがそこに込められていたのだ。
しかし――
閃光は、海斗の身体を――すり抜けていた。
「な!?」
「マジか!?」
トアスの驚きとメフィストフェレスの驚きは異なる。
全体を見渡せたメフィストフェレスだから分った事。
海斗の姿は既にそこにはなく、
「トアスッ! お前の妄執に付き合っている暇はない!!」
「――妄執などとッ!?」
トアスとメフィストフェレス、二人を直線に並べる位置にあった。
「ッ!? あの構えは!!」
両手を左右に大きく広げて円を描く。
これまで一度たりとも海斗が見せた事のない構え。
それを見て、メフィストフェレスの表情から、その目から笑みが消えた。
「千年だの、運命だの、キタルファだのと。そんな事は知った事か! 俺は俺だ!!」
果たしてそれは幻であったのか。
二人を見据える海斗の瞳は濃褐色に、ブロンドに染まっていた髪の色は黒に戻り。
五体を覆っていたはずの純白の聖衣は、マスクを失い亀裂と破損にまみれた聖衣へとその姿を変えていた。
ただ一つ。
それが幻でなかった事の証があった。
「テメエもだ、いいかオッサン! 切欠を作ったのがテメエでも、セラフィナを助けると決めたのは俺の意思だ! 人が、何でもテメエの思い通りに動くと――思うな!」
海斗から立ち昇る、混じり合い一つの色となった強大な小宇宙である。
「俺の道は俺が決める!」
エクレウスの聖衣が黄金の輝きを放つ。
まるでこれが最期の輝きだとでも言わんばかりに。
「チイッ! なんてモンを隠し玉にしてやがったんだ!!」
メフィストフェレスは思わぬ因縁に舌打ちした。
ブラフかとも思ったが、海斗がどこを見ているのかを悟り確信する。使えるのだ、と。
「そうだったよなぁ! 千年前のエクレウスの師はジェミニのカストル。あの大甘な兄ちゃんなら、己の奥義を可愛い弟子に伝えないワケがない!!」
“魂の記憶”。
あり得ない話ではない。
事実、二百数十年前の聖戦に於いて、メフィストフェレスは“魂の記憶”が引き起こした奇蹟を目の当たりにしていたのだから。
「んははっ。……少~しばかり、追い詰め過ぎったって事か」
海斗の視線の先にあるのは青銅の扉。
自分とギガス、そしてあの扉をまとめて吹き飛ばす気なのだ、と。
なるほど、確かにアレならば可能だろう。
ジェミニの黄金聖闘士に伝えられる最大の拳。銀河を砕くと言われたあの技ならば。
「立ち塞がるならば打ち砕く!!」
海斗の両手に膨大な小宇宙が集束する。
それは、まるで銀河に浮かぶ星々のように光り輝いていた。
腰だめに構えた両の拳を丹田から正中線を沿う様に胸元へ。
右手は天を、左手は地を指し示すかのように大きく広げ、そこから互いの天地を入れ替えるように回された軌跡は円を描く。
意識して行っている訳ではなかった。
ただ、身体が動くままに任せているだけ。
それでも、海斗自身にはこれから何が起こるのか、その結果だけははっきりと分っていた。
なぜなら、自分はその技の威力を身をもって知っている。
なぜなら、自分はその技を誰よりも間近で見続けてきた。
なぜなら、自分はその技を――己の師へと向けて……
(ッ!? ――違う、記憶に引きずり込まれるな! お前が俺であろうとも、俺はお前じゃないんだよッ!!)
――そんな“余計な事”は考えるな。
聖域での生活は、なかなか胃に来るモノが多くはあったが――悪くはなかった。
この数日、ジャミールでの生活は退屈ではあったが――悪くはなかった。
セラフィナがいなくなればあの生活は失われる。
貴鬼は寂しがるだろう。
責められるのは構わないが、泣かれるのは面倒だ。
ああ、そうだと海斗は思い出す。
『思いましたよ、わたしはボロボロの海斗さんしか見てませんから!』
セラフィナがギガス達に襲われた時だ。
助けてやったのにあの感想はない。
あれでは、まるで自分が負けっぱなしのようではないか。
自分が最強だ、などと言うつもりはないが、誤った認識は正さなければならない。
(――そのためにも!)
己の内側から湧き上がる“過去”の想いを、海斗は“現在”の想いによって呑み込んでみせた。
――今、何よりも優先すべき事だけを考えろ。
「セラフィナは返してもらうッ!!」
トアスは見た。
軌跡の中から迫り来る銀河の姿を。無数の星々の煌めきを。
メフィストフェレスは――笑っていた。
堪らない、と。
どこまで楽しませてくれる気かと。
「前の聖戦にエクレウスの存在はなかった。そうだ、この千年、エクレウスの魂は冥界のどこにも存在しなかった。てっきりお花ちゃんの仕掛けかとも思ったが……」
そして、海斗が天地を宿した両の手を打ち合わせたその時――
「んははっ! 千年前はノータッチだったってえのにさァ!! ナルホド!」
メフィストフェレスの目の前で、煌めく星々が、銀河が――爆砕する。
「跳ばしたんだな!? ハハハハッ!! とんだ意趣返しだ! コイツァ確かに因縁だよ! 確かに、二百年前の聖戦では色々とやらしてもらいはしたがなァ……。
図らずも先にちょっかいを掛けたのはお前さんの方だったってワケかい――ジェミニィッ!!」
洞窟内を埋め尽くす破壊の光。
それは宇宙の始まりビッグバンの輝きにも、星の終焉――超新星の輝きにも似て。
「“ギャラクシアンエクスプロージョン”!!」
トアスを、メフィストフェレスを、そしてそびえ立つ青銅の扉を。
海斗の前に立ち塞がる全てを、閃光が埋め尽くした。
そして――
「ぬぅ!?」
開かれた扉から放たれた閃光が、祭壇を包み込こむ赤い闇を振り払った。
背後から吹き付ける衝撃の波にポルピュリオンの動きが止まり、セラフィナの身体に押し付けられていたルビーが零れ落ちる。
「まさか聖闘士かッ!?」
ポルピュリオンが振り向いた先。
光の中から姿を現したのは、見るも無残に破壊された聖衣を纏った男。
その身は血と泥にまみれながらも、その瞳の輝きは、小宇宙は、僅かの陰りさえ見せていない。
「……え……あ……」
これは一体何の冗談なのだろうかと。
セラフィナは目の前の光景に言葉を失っていた。
「……海斗……さん?」
「よう、迎えに来たぞ」
逆行を背負い歩み寄って来る海斗は、まるでお伽噺の主人公。
しかし、その姿はどう見てもお伽噺の主人公ではあり得ない。
ボロボロだった。
新生されたはずの聖衣は見る影もなく破壊され。
せっかく怪我が治りかけていたというのに、傷だらけとなった姿はまるで初めて会った時のよう。
ここに来るまでに一体どれほどの事があったのか。
無茶をするなと怒りたい。
大丈夫なのかと確かめたい。
ごめんなさいと謝りたい。
ありがとうと感謝したい。
「待たせたな」
それなのに、目の前でひらひらと手を振って見せる海斗の姿は、この数日の間に見慣れた飄々としたままで。
「~~ッツ!!」
喜怒哀楽がごちゃ混ぜになり、何を言っていいのか分らない。
嬉しくて悲しくて。
感情が溢れ出し、涙が出る。
「って、なぜ泣く!?」
そんな自分を見て慌て始めた海斗の姿に胸が少しすっとして。後でもう少し意地悪をしてやろうと思い始める。
いつの間にか、そんな事を思えるだけの余裕が生まれていた事を、セラフィナはまだ気が付いてはいなかった。
「……はい、待ちました!」