武器を取れ、同士達よ! 俺は諸君らのことを誇りに思う! ヴェネチアの地に諸君らの名を刻みつけるのだ! 今こそ、安寧に身を堕とした者たちに教えてやろう! 我らの怒りを! イタリアの革命の炎を! ジャコモの演説は活動家達の胸に響いているのだろうか。各々の武器を掲げ、叫び声を上げる男達をブリジットは冷めた目線で見つめている。 アルフォドがジャコモの下で協力すると決めた以上、彼らの活動にブリジットが反対する理由はない。 それに条件付けのしがらみが外れたブリジットは公社に義理立てしてやる必要もなくなった。「ブリジット」 傍らに立つアルフォドがブリジットの肩を掴む。こちらを心配しているのだろう。顔色を伺うようにこちらを覗き込んでくる。だがそれには及ばないと彼女は微笑み返す。 確かに五共和国派に対し、復讐心を抱いていたときもあった。 けれどそれはあくまで過去の話であり、今の話ではない。 今ならわかる。彼らは彼らの信念で戦っているのであり、そこには彼らの正義がある。それが彼らの意義であり意味であり、最早ブリジットには関係の無い物だ。 それに―――。 エルザはブリジットに復讐を頼んだわけではない。彼女はブリジットに生きることを望んでいた。 ならば今のブリジットの状況はまさにそれであり、決して恥じるべき事ではないと彼女は思っている。 しかしながらいつまでも活動家達の喝采を聞いていられるほど、ブリジットは達観していない。 直ぐに踵を返してみせると、興奮冷めやらぬ室内をあとにした。 ヴェネチアの一番長い一日 ブリジットとアルフォドさんが消えて一ヶ月が経った。ジャンさんたちが行方を追っているそうだが、未だ手がかりは掴めない。 恐らくアルフォドさんが連れて行ってしまったのだろうが、それにしても手際が良すぎた。公社は何物かが外から手引きしたと推測しているようだが、私もその通りだと思う。 アルフォドさんは優しい人だから、ブリジットにされたことがどうしても許せなかったのだろう。 かくいう私も、口には決して出さないけれど不満が無いわけではない。むしろ条件付けさえ存在していなかったら、ブリジットとアルフォドさんのことを素直に応援する立場になっていた。 まあそれが出来ないあたり、現実は厳しいものだ。「トリエラ、とりあえずはここまで出来た。あとは自分で調整しなさい」 そう言って、私の隣で日曜大工に勤しんでいたヒルシャーが顔を上げた。彼が作業していたのは私のウィンチェスターをソードオフにすることだ。ノコギリを使って木製のストックを切り落とす。それだけで随分と取り回しが良くなり、格闘を織り交ぜて戦う私のスタイルにマッチするのである。「ありがとうございます。ヒルシャーさん」 素直に礼を言って、軽くなったウィンチェスターを受け取る。 最近ふと思うことは、この目の前にいるヒルシャーとの関係のことだ。 ブリジットがまだ公社にいて、元気にしていたとき、ヒルシャーと上手くいかないことがあれば、いつも彼女に相談していた。 お互い担当官に対して、恋慕にも似た思いを抱いていたから悩みをある程度共有することが出来たのだ。 けれどもし、ブリジットが最初から私の目の前に存在していなかったらどうしていたのだろう。 今みたいに、ある程度素直に彼と過ごすことが出来たのだろうか。それともブリジットとアルフォドさんみたいに取り返しの付かなくなってしまうような酷い関係になったのだろうか。 少し前までは考えることすら怖かったことだけれど、最近は自然と考えることが出来るようになってきた。 公社には二期生と呼ばれる女の子達が入り始め、一期生の、しかも初期組としては何となく終わりが近いことが分かっている。 自分の死期をある程度認識しているからこそ、もう悔いは残らないよう、精一杯生きてみようと思う。 これはブリジットが反面教師として教えてくれたことだった。 あの子は最後の最後で願いかなわずに壊れてしまった。あれだけ必死に生きていたのに、あれだけ必死に戦っていたのに、結局は失敗をしてしまって大人達に封印された。 私は彼女に同情はしない。でも、後悔だけはしている。 もっと私が彼女の力になってやることが出来たのなら。 みんながよってたかって彼女を怖そうとしたとき、少しでも助けてあげることが出来たのなら。 今となってはもう適わない願い。いや、私がピノッキオを殺して、あの子と決別したときからもう私たちの道は重なってはいなかったのだ。それぞれ別の、もう二度と交わることのない道をあの日から歩くことになった。 たまたまブリジットの道が私より早く終わっていただけで、私は今日この日まで生きてくることが出来た。 私の道がいつ突然終わってしまうかはわからない。 それでもせめてこちらの道にブリジットを引っ張ってこれたなら、二人でもうしばらくの間生きていくことが出来たように思う。 それが私の抱える一番大きな後悔であり、そしてこれからも引き摺っていくものだろう。 私はウィンチェスターを空に掲げる。フロントサイト越しに見える空は、もしかしたらブリジットが今見ている空かもしれない。 そう考えると自然と涙が零れそうになって、いつまでも下を向くことが出来なかった。 私に出撃命令が出たのはそれから二時間後のこと。 サンマルコ広場が乗っ取られたという知らせに大人達が怒りを剥き出しにする。 でも私には彼らが何故そこまで怒るのかてんで理解が出来なかった。 ジャコモの名は皆を盲目にする。 誰が言った言葉かは忘れたが、耳に残るフレーズだった。 そして今、一番実感しているフレーズでもある。 私は今、黒人のアシクという男とサンクレメンテ島の高台に張っている。ジャコモが事前に持ち込んでいたアンチマテリアルライフルを私が構え、アシクという男が観測主を担当しているのだ。 私たちに任せられた任務はサンマルコ広場の鐘楼に突入してくる特殊部隊群の妨害。何故私がこの役目を負っているかと言えば、狙撃の腕を買われたことと、本当にアルフォドの言うことをまだ聞き分けるのかテストするためだ。 彼に関する服従以外を解除された私はとても不安定な義体とされている。つまりいつ何時暴走するか分からないと言うことだ。 その為の保険として、私が何か余計な行動を取れば首に巻かれた爆弾がすぐさま爆発するようになっている。 起動キーを持っているのはアシクとジャコモ、そしてクリスティアーノの三人。 当然と言えば当然の処置だが、少しげんなりしているのもまた事実だ。「突入してくるGISは無視していい。義体だけを狙え。出来るな?」 観測用スコープを調整しながらアシクという男はそんなことを命令してくる。私はそれが少し癪に障ったので、こう反発して見せた。「五月蠅いな。アルフォドさん以外が私に命令しないで。それに義体は撃ってあげるけど、頭とかは嫌よ。あれでももともとは仲間なんだから。腕ならいくらでもいいけど。あなたならわかるでしょ? 同胞殺しの辛さが」 アシクは何も反応を返さない。だがそれが彼の最大限の反応だと私は確認する。「あなたはどう考えてもイタリアの政治に興味があるようには見えないわ。宗教的情熱もね。典型的な無神論者。ならもう簡単よ。あなたが戦う理由は民族問題か、国境問題。そしてジャコモ個人に何か希望を見いだしてる。まあ気持ちは分かるわ。あいつの生き様は私から見てても清々しいものだもの。人の価値は闘争にあり。なるほど、私も一部賛成だわ」 アシクはこちらを見る。それは畏怖の目だ。こんな小娘風情に素性を見透かされた事への。だがこれは単なるインチキである。 原作をある程度知っているという広い目線。そして見た目の二倍以上の人生を生きてきたことによる分厚い視野が私の観察眼を強化している。ヒルダの人生経験も足せば、アシクよりも年上の精神年齢なのだ。「そんなに怖がらないでよ。アルフォドさんがあなたたちの下に付くと決めた以上、それなりに働かせて貰うわ。……だから早いところこの首輪外して。悪趣味よ、女の子にこんなものを付けるなんて」 アシクは何かを振り払うようにスコープを覗き込む。私はそれが何故だか面白くって少し笑ってしまった。 まだまだ信用されていないようだが、今はそれでもいい。 時間は有限なれど、精一杯生きるには十分すぎるほど存在してる。 やり残していることは多いが、それ以上にまだまだ自分はやれるという自信が私を支えていた。 戦いが始まるまでもう少し。 こちらから見えるサンマルコ広場は不気味な静寂を保っている。 ヴェネチアの街を一望するかのように建てられたサンマルコ広場の鐘楼は展望台として常時開放されていた。 だが地元の、ヴェネチア派とされる活動家グループがこれを占拠。人質六名を持って籠城を始めた。また政府は未だ把握していないが、旧ソビエト製ミサイルの弾頭部分も持ち込まれており、かくなる上は自爆という手段も残されている。 活動家グループの自爆は地元に幅広く存在しているヴェネチア派の人間達を高揚させ、さらなる困難を招くだろう。 さらに五共和国派に荷担している最重要人物、ジャコモ・ダンテの肉声による声明文も発表され現場の緊張はより増していた。 投入された義体は六組。特殊部隊であるGISも参戦しており、内閣が緊急に用意できる戦力はほぼ全て投入されたことになる。 警察による偵察のヘリはスティンガーミサイルによって撃墜されており、内部の詳しい情報は不明のまま。 内部情報は不明ながら、早急な鎮圧が求められているためGISと四組の義体はエレベーターか内部の非常階段を伝って最上階に突入することに。 またそれらを陽動とし、本命の義体二組は外壁にとりつき、そのまま登坂して最上階に侵入することが作戦として立案された。 対ピノッキオ戦以来の大規模な作戦が遂に遂行される。 だが彼らはまだ知らない。 行方不明として消息もそこそこにしか追われていないブリジットが銃口をこちらに向けていることに。 彼女はもう、公社の忠実な犬ではないのだ。